松本地区は、中井町役場の北西約1kmのところ
中井町役場の西側を流れる「中村川」を南西に「比奈窪橋」で渡って「中井町役場入口」信号を右(北西)へ、県道709号線に出ます
約250mの横断歩道のある交差点を右(北東)へ、県道77号線です
中村川を渡り返して直ぐのY字路を左(北)へ入って、すぐ先の丁字路を左(西北西)へ
約300mで右手に泰翁寺の参道が南南西向きに出ています
手前を右に入って直ぐに駐車場が有ります
「曹洞宗 泰翁禅寺」の寺号標です
参道を進むと山門です
文化財説明版です
中井町指定重要文化財 第13号
泰翁寺薬師如来立像
松本山泰翁寺と号し、曹洞宗に属す。開創は永正2年(1505年)、開山は、瑞秀祥貞大和尚(秦野市堀の蔵林寺と同開山)である。
明治37年8月の火災で本堂、庫裡を焼失し、昭和2年に現在の本堂が再建された。
本堂右手前の薬師堂に安置されている木造薬師如来立像は、明治初年廃寺となった城正坊成願寺にあったものと伝えられ、幾多の変遷を経て泰翁寺に安置されたものといわれる。
その後の調査によりこの像は、その特徴から平安時代の仏像(藤原仏)であることが確認された。
なお、本堂の裏には「かながわの名木100選」に指定された樹齢350年余りの「イトヒバ」がある。
山門前の石仏です
見事な馬頭観音の仏像です
奥には六地蔵様です
参道を進むと右手に鐘楼です
手水舎です
本堂です
説明版にあったように、目的のイトヒバは本堂裏側なので本堂西側から本堂裏側の墓地へ行きましょう
本堂と墓地の間に目的のイトヒバですが根元が見えません
北側から、逆光です
近付いて北側から
北北東側から見ましたがやはり逆光です
かながわの名木100選の標柱です
神奈川県 かながわの名木100選 昭和59年12月選定
泰扇寺のイトヒバ
和名:ヒヨクヒバ(ヒノキ科)
幹はまっすぐに伸びているが上方で2つに分かれ、枝はしだれ気味に下方に広がる円錐形である。
樹勢は旺盛で樹容は整っていて美しい。
樹高 25m、 胸高周囲 2.6m、 樹齢 約300年(推定)
ヒヨクヒバは、枝が細く長く垂れ下がるサワラの園芸品種で、庭園に植えられることが多い。
庫裡東側から見ましたが、根元は見えませんでした
では、次へ行きましょう
中井町役場の西側を流れる「中村川」を南西に「比奈窪橋」で渡って「中井町役場入口」信号を右(北西)へ、県道709号線に出ます
約250mの横断歩道のある交差点を右(北東)へ、県道77号線です
中村川を渡り返して直ぐのY字路を左(北)へ入って、すぐ先の丁字路を左(西北西)へ
約300mで右手に泰翁寺の参道が南南西向きに出ています
手前を右に入って直ぐに駐車場が有ります
「曹洞宗 泰翁禅寺」の寺号標です
参道を進むと山門です
文化財説明版です
中井町指定重要文化財 第13号
泰翁寺薬師如来立像
松本山泰翁寺と号し、曹洞宗に属す。開創は永正2年(1505年)、開山は、瑞秀祥貞大和尚(秦野市堀の蔵林寺と同開山)である。
明治37年8月の火災で本堂、庫裡を焼失し、昭和2年に現在の本堂が再建された。
本堂右手前の薬師堂に安置されている木造薬師如来立像は、明治初年廃寺となった城正坊成願寺にあったものと伝えられ、幾多の変遷を経て泰翁寺に安置されたものといわれる。
その後の調査によりこの像は、その特徴から平安時代の仏像(藤原仏)であることが確認された。
なお、本堂の裏には「かながわの名木100選」に指定された樹齢350年余りの「イトヒバ」がある。
山門前の石仏です
見事な馬頭観音の仏像です
奥には六地蔵様です
参道を進むと右手に鐘楼です
手水舎です
本堂です
説明版にあったように、目的のイトヒバは本堂裏側なので本堂西側から本堂裏側の墓地へ行きましょう
本堂と墓地の間に目的のイトヒバですが根元が見えません
北側から、逆光です
近付いて北側から
北北東側から見ましたがやはり逆光です
かながわの名木100選の標柱です
神奈川県 かながわの名木100選 昭和59年12月選定
泰扇寺のイトヒバ
和名:ヒヨクヒバ(ヒノキ科)
幹はまっすぐに伸びているが上方で2つに分かれ、枝はしだれ気味に下方に広がる円錐形である。
樹勢は旺盛で樹容は整っていて美しい。
樹高 25m、 胸高周囲 2.6m、 樹齢 約300年(推定)
ヒヨクヒバは、枝が細く長く垂れ下がるサワラの園芸品種で、庭園に植えられることが多い。
庫裡東側から見ましたが、根元は見えませんでした
では、次へ行きましょう