ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岐阜県高山市、丹生川町山口「槻本神社のスギ」(県指定)です!!

2024-06-09 18:30:00 | 巨樹・大木
 丹生川町山口地区は、高山市役所の東北東約6km、高山市役所丹生川支所の南東約2kmのところ

 高山市役所丹生川支所の南側の国道158号線を西へ、直ぐの「町方」信号を左(南)へ、まだまだ国道158号線です

 約900mの「桜小路」バス停の先の横断歩道のところを斜め左(南東)へ

 道成りに約1kmの鎮魂碑の先を左(北)へ

 山口谷川を赤い欄干の槻本橋を渡ると

 槻本神社が南西向き参道で鎮座します

 すぐ東側の公民館に車を止めさせて頂きました

 槻本神社社號標です

 道路脇に説明版です
   岐阜県天然記念物槻本神社のスギ
 指定年月日 昭和54年6月15日
 指定理由  樹勢が良好であるので天然記念物に指定して大切に保存したい。
 概要   目通幹周囲・・・・6.3m
      根元幹周囲・・・11.0m
      樹高・・・・・・37.0m
      枝張東・・・・・14.7m
      枝張西・・・・・13.0m
      枝張南・・・・・10.6m
      枝張北・・・・・14.7m
 由来   この大杉は古代の自然崇拝の時代から神の要城として祀られたものである。この杉は隣村坊方の里に陰を映し、旅行く人々は杉を目当てとして歩いたと伝えられる。
      樹齢1200年(推定)とも伝えられ、由緒ある槻本神社の御神木である。
   岐阜県教育委員会
   丹生川村教育委員会
   槻本神社

 境内へ入ると目的のスギです

 「県指定 天然記念物 槻本神社のスギ」の文化財標柱です、側面には・・・「拝殿の南東側にあり、樹齢は1200年と推定される。大きさは目通り6.3m、樹高約37mである」と記されています。

 スギのそばにも説明版です
   槻本神社のスギ
 〈県指定年月日〉  昭和54年6月15日
 〈所有者〉     槻本神社
 〈所在地〉     高山市丹生川町山口145番地
 〈樹齢〉      推定1200年
 〈員数〉      1本
 〈規模〉  目通幹周囲・・・・6.3m
      根元幹周囲・・・11.0m
      樹高・・・・・・37.0m
      枝張東・・・・・14.7m
      枝張西・・・・・13.0m
      枝張南・・・・・10.6m
      枝張北・・・・・14.7m
 〈説明〉 槻本神社のスギは樹齢1200年とされ、槻本神社創建当時からご神木であったと推測される。
     樹高は37mに及び、旅行く人々はこのスギを目当てとして歩いたと伝わる。
    平成26年度設置   高山市教育委員会
 *道路脇の説明版と数値は変わりませんね、高山市に編入後に新しく設置されたため、設置者が丹生川村教育委員会が高山市教育委員会に変わっています。

 南側から

 西側から、太い注連縄が巻かれています

 北西側から

 北側から、支柱が大枝を支えています

 北東側から

 東側から見上げました

 手水舎です

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 説明版です
   槻本神社
     所在地 山口字月本145番地
     祭神   大山祇大神(おおやまづみのおおかみ)
          櫛御気野神(くしみけぬのかみ)
          建南方刀美神(たけみなかたとみのかみ)
         八坂刀売神(やさかとめのかみ)
 創建年代は不詳であるが、延喜(901~923年)式内社飛騨八社の一つとして、古来より崇敬されてきた。
 主祭神の大山祇大神は、伊邪那岐命・伊邪那美命の御子である。
 昔、境内に槻(杉)の巨木があり、自然崇拝の原始信仰時代神籬(常緑樹を供える祭壇)として神をここに祀ったものと伝えられている。
 この槻の巨木の陰は数里(1里は約4km)にも及んだとも言われ、社名もこの槻に起因し、この地の産土神として崇められた。
 1871年(明治4年)社格制定により「郷社」に指定され、1946年(昭和21年)「銀弊社」に指定され現在に至っている。
 覆殿で覆われた神明造りの本殿に続き、平棟造の祝詞殿・幣殿・神楽殿・神饌殿・拝殿で構成された建造物となっている。
 1831年(天保2年)、郡代大井帯刀源永昌によって、社号碑(田中大秀揮毫)が奉納され、1986年(昭和61年)手水舎が完成した。
 祭祀は、元旦祭(1月)、春祭り(4月)、例祭(本祭り・9月)、秋祭り(11月)、除夜祭(12月が行われている。
    子守神社
 創建年代は不詳であるが、古の昔よりこの地に祀られている子守神社は、大山祇大神の御子である木花咲耶姫命を祭神とする。
 流れ造りの社殿は、1930年(昭和5年)に坊方丹生川神社御旅所の熊野より移築し1980年(昭和55年)に再建された。
 昭和5年の社殿移築を機に、地区の女性が奉仕し団子撒きを行う祭りが始まった。

 こちらの境内社が子守神社です

 では、次へ行きましょう

 
 2024・5・16・10・00
 

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