大麻町板東広塚地区は、鳴門市役所の西約10kmのところ
鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号川北街道です
約9.4kmの「徳島学院」の標識に従って右折車線に入ると信号の先に「阿波一の宮大麻比古神社」の案内板が有ります
約300mの高松自動車道の高架を潜ってすぐを左(西)へ
約300mで右(北)へ曲がると赤い大鳥居です
大麻比古神社社號標です
道成りに石灯籠が並ぶ参道を進んで約700mで赤い欄干の祓川橋です
石鳥居です、鳥居を潜った境内が駐車場に成っています
境内案内図で確認しましょう
幅の広い石段を上がります
右手に手水舎です
古神札納所です
拝殿が見えてきます
説明版です
阿波一宮 大麻比古(おおあさひこ)神社神社由緒
御祭神 大麻比古大神 猿田彦大神
由緒 社伝によると、神武天皇の御代に天太玉命(大麻比古大神)の子孫である天富命が勅令により肥沃の地を求めて全国各地を巡り、阿波国に到り麻や楮を育て麻布・木綿を作り、殖産興業の基を築き、当国の国利民福を進めた。
太祖である天太玉命(大麻比古大神)を阿波国の守護神としてこの地にお祀りした。
猿田彦大神は、大麻山の山頂にお祀りされていたが、後世に当神社に合祀された。
延喜式神名帳には「名神大」と記され、また平安中期には朝廷より「阿波国一宮」と、当国内で第一の地位と称えられた。阿波・淡路両国の総氏神として崇敬された。
第56代清和天皇貞観元年(859)には、朝廷より神階・従五位を賜り、以後順次進階し、第114代中御門天皇享保4年(1719)に正一位を賜った。
当国代々の国司・領主・藩主の厚い崇敬を受け、社殿の造営や祭費の献上や神田・山林が寄進された。
明治6年(1873)6月13日国弊中社に昇格した。また、明治13年(1880)1月には、3年の月日をかけ国費をもって本殿・拝殿以下諸舎の造営が行われた。
祝詞殿・内外拝殿は、昭和45年(1970)8月に県内外の氏子崇敬者の浄財によって造営。昭和58年(1983)6月に社務所・昭和59年(1984)7月には参集殿が竣工した。
平成14年(2002)7月には、祓川橋の架け替え・参道石灯籠・駐車場舗装工事など境内整備工事が進められた。同年12月に2代目大鳥居が朱塗りも鮮やかに建立した。
令和4年(2022)10月には令和御大典奉祝記念事業として御社殿群御屋根葺替及び改修工事が県内外の方々の御奉賛により、銅版御屋根が竣工した。
拝殿です
本殿です
本殿西側の豊受社です
山神社です
中宮社です
左奥へ進むと「心願の鏡池」と「めがね橋」です
説明版です
心願の鏡池
第1次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士約千人が大正6年から9年にかけて、異郷の地坂東俘虜収容所に過ごした。
ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら一日も早く故国に帰れることを願いつつ当神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋を架けた。
坂東の地で、日々を送った兵士達は、地元の人々と国境を越えた暖かい友情で結ばれ、今も尚、日独友好の灯をともし続けている。
以来七十有余年を経て、この度当神社では、神池を拡張し、メガネ橋の周辺を整備して、「心願の鏡池」と命名した。
平成4年3月吉日 阿波国一の宮 大麻比古神社社務所
めがめ橋
ドイツ橋と共に現存する一つで、本殿裏の心願の鏡池に架けられている。
完成はドイツ橋より少し前の大正8年4月(1919)である。
全長4.3m、全横1.2m。撫養石製、石積二重橋。
奥宮 峯神社遥拝所です
ドイツ橋へ行ってみましょう
ドイツ橋です
説明版です
ドイツ橋
第1次世界大戦当時、近隣の坂東俘虜収容所で捕虜生活を過ごしていたドイツ兵士が、地域との自由な交流の中で地元への感謝の気持ちを込め、母国の優れた土木技術を生かし、大正6年6月から大正8年6月までに10の橋を造った。
木橋が6橋、石橋が4橋で、現存するドイツ橋は同8年6月に神社境内の丸山公園に造った最後の石橋である。
今では日独両国の友情の架け橋とされている。
県の史跡(平成16年1月)に指定されている。全長9m、全横2.1m、高さ3.2m、撫養石(和泉砂岩)製、総重量約195トンの石積アーチ橋。
下流側からドイツ橋です
もう一枚の説明版です
ドイツ橋
第1次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年までの間、大麻町桧の坂東捕虜収容所に収容されていました。
この間地元住民との間に”国境を越えた人間愛と友情”がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられました。
バターやチーズの製法、博覧会の開催、楽団による演奏会等地元の発展に大きく貢献しました。
帰国を前に記念として母国の土木技術を生かし近くで採れる和泉砂岩を使ってドイツ橋が造られました。
四国のみち 環境庁 徳島県
奥宮へのルートですが、ここまでにします
戻って、次は境内の大楠です
鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号川北街道です
約9.4kmの「徳島学院」の標識に従って右折車線に入ると信号の先に「阿波一の宮大麻比古神社」の案内板が有ります
約300mの高松自動車道の高架を潜ってすぐを左(西)へ
約300mで右(北)へ曲がると赤い大鳥居です
大麻比古神社社號標です
道成りに石灯籠が並ぶ参道を進んで約700mで赤い欄干の祓川橋です
石鳥居です、鳥居を潜った境内が駐車場に成っています
境内案内図で確認しましょう
幅の広い石段を上がります
右手に手水舎です
古神札納所です
拝殿が見えてきます
説明版です
阿波一宮 大麻比古(おおあさひこ)神社神社由緒
御祭神 大麻比古大神 猿田彦大神
由緒 社伝によると、神武天皇の御代に天太玉命(大麻比古大神)の子孫である天富命が勅令により肥沃の地を求めて全国各地を巡り、阿波国に到り麻や楮を育て麻布・木綿を作り、殖産興業の基を築き、当国の国利民福を進めた。
太祖である天太玉命(大麻比古大神)を阿波国の守護神としてこの地にお祀りした。
猿田彦大神は、大麻山の山頂にお祀りされていたが、後世に当神社に合祀された。
延喜式神名帳には「名神大」と記され、また平安中期には朝廷より「阿波国一宮」と、当国内で第一の地位と称えられた。阿波・淡路両国の総氏神として崇敬された。
第56代清和天皇貞観元年(859)には、朝廷より神階・従五位を賜り、以後順次進階し、第114代中御門天皇享保4年(1719)に正一位を賜った。
当国代々の国司・領主・藩主の厚い崇敬を受け、社殿の造営や祭費の献上や神田・山林が寄進された。
明治6年(1873)6月13日国弊中社に昇格した。また、明治13年(1880)1月には、3年の月日をかけ国費をもって本殿・拝殿以下諸舎の造営が行われた。
祝詞殿・内外拝殿は、昭和45年(1970)8月に県内外の氏子崇敬者の浄財によって造営。昭和58年(1983)6月に社務所・昭和59年(1984)7月には参集殿が竣工した。
平成14年(2002)7月には、祓川橋の架け替え・参道石灯籠・駐車場舗装工事など境内整備工事が進められた。同年12月に2代目大鳥居が朱塗りも鮮やかに建立した。
令和4年(2022)10月には令和御大典奉祝記念事業として御社殿群御屋根葺替及び改修工事が県内外の方々の御奉賛により、銅版御屋根が竣工した。
拝殿です
本殿です
本殿西側の豊受社です
山神社です
中宮社です
左奥へ進むと「心願の鏡池」と「めがね橋」です
説明版です
心願の鏡池
第1次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士約千人が大正6年から9年にかけて、異郷の地坂東俘虜収容所に過ごした。
ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら一日も早く故国に帰れることを願いつつ当神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋を架けた。
坂東の地で、日々を送った兵士達は、地元の人々と国境を越えた暖かい友情で結ばれ、今も尚、日独友好の灯をともし続けている。
以来七十有余年を経て、この度当神社では、神池を拡張し、メガネ橋の周辺を整備して、「心願の鏡池」と命名した。
平成4年3月吉日 阿波国一の宮 大麻比古神社社務所
めがめ橋
ドイツ橋と共に現存する一つで、本殿裏の心願の鏡池に架けられている。
完成はドイツ橋より少し前の大正8年4月(1919)である。
全長4.3m、全横1.2m。撫養石製、石積二重橋。
奥宮 峯神社遥拝所です
ドイツ橋へ行ってみましょう
ドイツ橋です
説明版です
ドイツ橋
第1次世界大戦当時、近隣の坂東俘虜収容所で捕虜生活を過ごしていたドイツ兵士が、地域との自由な交流の中で地元への感謝の気持ちを込め、母国の優れた土木技術を生かし、大正6年6月から大正8年6月までに10の橋を造った。
木橋が6橋、石橋が4橋で、現存するドイツ橋は同8年6月に神社境内の丸山公園に造った最後の石橋である。
今では日独両国の友情の架け橋とされている。
県の史跡(平成16年1月)に指定されている。全長9m、全横2.1m、高さ3.2m、撫養石(和泉砂岩)製、総重量約195トンの石積アーチ橋。
下流側からドイツ橋です
もう一枚の説明版です
ドイツ橋
第1次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年までの間、大麻町桧の坂東捕虜収容所に収容されていました。
この間地元住民との間に”国境を越えた人間愛と友情”がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられました。
バターやチーズの製法、博覧会の開催、楽団による演奏会等地元の発展に大きく貢献しました。
帰国を前に記念として母国の土木技術を生かし近くで採れる和泉砂岩を使ってドイツ橋が造られました。
四国のみち 環境庁 徳島県
奥宮へのルートですが、ここまでにします
戻って、次は境内の大楠です
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