上桑島町は、宇都宮市役所の南東約8km、宇都宮市 瑞穂野地区市民センターの北北東約2kmのところ
宇都宮市 瑞穂野地区市民センターの前の道路を東へ出ます
約200mの押し釦信号のある交差点を左(北)へ進みます
約1.1kmの田圃の中で右(東)へ、約300mで左(北)へ
約200mで山門前です
2025年1月10日、日の出前朝早くに埼玉を出て、日の出時間に到着しました
境内の駐車場に車を止めさせて頂きました
「真言宗 智山派 桑島山 金剛定寺」の寺号標です
山門の落慶記念碑です
山門落慶記念碑之文
当山は今を去る事700有余年、弘安元年鎌倉時代、北条時宗の時に草創すると伝えられたり。
伊豆北条の益田峰忍公この地に及んで、叢林の中に不動明王を見出し草庵を建てて、寺門興隆の願いを立てる。
峰忍公、鎌倉幕府の命勅を受け、当病平癒の祈願に赴く。将軍惟康親王、病魔より快方し数棟の伽藍と寺領を寄進す。
時移りて、明徳4年中興第1世祐請上人晋山、寺門再興を警願す。然し乍ら、その年日照りと干魃の為、多くの餓死者が多発するも、上人21日間の雨乞いの行法を修し、信心功を積み、一乗の経を写す。
御法神衛りて、霊験を呈す。然るに大飢饉は終熄し、住民は皆救済せらる。
後にこの事が時の朝廷後小松天皇に達し、上人の位と金剛定寺の額を賜る。
その後は法門の拡張に務め、枝院88を数え、末寺200を有し、又御朱印寺として関東の屈指の定法檀林となり、本山の能化職をも兼任す。
その後は歴代の住職の努力により旧態を一新して輪奐の美を済ふ。
然るに明治初年の王政復古と廃仏毀釈の逆境は如何ともし難く、その上大火に遭い、一山は灰燼に帰す。
明治44年成田山より当山第42世照尊和上普住す。総本山智積院の事務長を兼任して再建に務む。
更に当山第43世照晋和上山門の再建を発願するも叶わず。茲に小衲前住職照晋和上の思いを叶えんが為、檀信徒と相謀り、建設委員会を立ち上げ、金剛定寺山門の再興を発願す。
本日の佳日を貞して建立を祝し落慶の法会を営む。
仰庶願くはこの功徳をもって檀信徒各家各人の安寧、殊には伽藍安穏・興隆仏法・天下泰平・五穀成就ならんことを。之至法界 平等利益
維時 平成29年4月2日 (境内駐車場に在りました・以下略)
山門を潜ると、少し右にずれた参道の右に目的のカヤが朝陽を受けています
南側から
南東側から
西側から幹を見上げました
とちぎ名木百選の標柱です
説明版です
栃木県指定 天然記念物
金剛定寺のカヤ 1本
所有者 金剛定寺
昭和63年12月26日指定
樹高 18.7m・目通周囲 4.25m・枝張り 東西 21m・南北 23.5m・推定樹齢400年
このカヤは、均整のとれた大きな樹冠を持ち、盆栽のような見事な枝振りに育っている。
主幹は、全く傷みもなく、真直ぐ天に向かい、地上3mあたりから枝が四方にバランス良く伸びている。
樹勢は旺盛で、毎年たくさんの実をつけている。
カヤはイチイ科の高木で、本県では北西部の山地にわずかに自生しているだけで、昔から神社仏閣などの庭木とされることが多い。
栃木県教育委員会・宇都宮市教育委員会
北側から見上げました
参道左の鐘楼も朝陽を受けて輝いています
本堂へお参りしましょう
本堂です
本堂前からカヤを見ました
本堂東側には弘法大師様です
では、次へ行きましょう
宇都宮市 瑞穂野地区市民センターの前の道路を東へ出ます
約200mの押し釦信号のある交差点を左(北)へ進みます
約1.1kmの田圃の中で右(東)へ、約300mで左(北)へ
約200mで山門前です
2025年1月10日、日の出前朝早くに埼玉を出て、日の出時間に到着しました
境内の駐車場に車を止めさせて頂きました
「真言宗 智山派 桑島山 金剛定寺」の寺号標です
山門の落慶記念碑です
山門落慶記念碑之文
当山は今を去る事700有余年、弘安元年鎌倉時代、北条時宗の時に草創すると伝えられたり。
伊豆北条の益田峰忍公この地に及んで、叢林の中に不動明王を見出し草庵を建てて、寺門興隆の願いを立てる。
峰忍公、鎌倉幕府の命勅を受け、当病平癒の祈願に赴く。将軍惟康親王、病魔より快方し数棟の伽藍と寺領を寄進す。
時移りて、明徳4年中興第1世祐請上人晋山、寺門再興を警願す。然し乍ら、その年日照りと干魃の為、多くの餓死者が多発するも、上人21日間の雨乞いの行法を修し、信心功を積み、一乗の経を写す。
御法神衛りて、霊験を呈す。然るに大飢饉は終熄し、住民は皆救済せらる。
後にこの事が時の朝廷後小松天皇に達し、上人の位と金剛定寺の額を賜る。
その後は法門の拡張に務め、枝院88を数え、末寺200を有し、又御朱印寺として関東の屈指の定法檀林となり、本山の能化職をも兼任す。
その後は歴代の住職の努力により旧態を一新して輪奐の美を済ふ。
然るに明治初年の王政復古と廃仏毀釈の逆境は如何ともし難く、その上大火に遭い、一山は灰燼に帰す。
明治44年成田山より当山第42世照尊和上普住す。総本山智積院の事務長を兼任して再建に務む。
更に当山第43世照晋和上山門の再建を発願するも叶わず。茲に小衲前住職照晋和上の思いを叶えんが為、檀信徒と相謀り、建設委員会を立ち上げ、金剛定寺山門の再興を発願す。
本日の佳日を貞して建立を祝し落慶の法会を営む。
仰庶願くはこの功徳をもって檀信徒各家各人の安寧、殊には伽藍安穏・興隆仏法・天下泰平・五穀成就ならんことを。之至法界 平等利益
維時 平成29年4月2日 (境内駐車場に在りました・以下略)
山門を潜ると、少し右にずれた参道の右に目的のカヤが朝陽を受けています
南側から
南東側から
西側から幹を見上げました
とちぎ名木百選の標柱です
説明版です
栃木県指定 天然記念物
金剛定寺のカヤ 1本
所有者 金剛定寺
昭和63年12月26日指定
樹高 18.7m・目通周囲 4.25m・枝張り 東西 21m・南北 23.5m・推定樹齢400年
このカヤは、均整のとれた大きな樹冠を持ち、盆栽のような見事な枝振りに育っている。
主幹は、全く傷みもなく、真直ぐ天に向かい、地上3mあたりから枝が四方にバランス良く伸びている。
樹勢は旺盛で、毎年たくさんの実をつけている。
カヤはイチイ科の高木で、本県では北西部の山地にわずかに自生しているだけで、昔から神社仏閣などの庭木とされることが多い。
栃木県教育委員会・宇都宮市教育委員会
北側から見上げました
参道左の鐘楼も朝陽を受けて輝いています
本堂へお参りしましょう
本堂です
本堂前からカヤを見ました
本堂東側には弘法大師様です
では、次へ行きましょう
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