ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山梨県上野原市、野田尻「棚頭八幡神社のモミ」は枯れてしまっていました!!

2020-03-16 06:32:09 | 巨樹・大木
棚頭地区は、上野原市役所の西約6kmのところ

旧奥州街道沿いに点々と残る宿場の野田尻宿から北に下って

仲間川の北側(左岸)の道を西の山間に入ったところです

国道2号線から県道30号線を野田尻方面へ

坂道を下り切ると鶴川宿です、道路脇に「鶴川のケヤキ」を見て

坂道を登って行くと県道は真直ぐ野田尻宿方面に伸びています

道なりに県道を進むと、道路が左に大きく回って

野田尻宿へ登って行くところで、ここを西へ入ります

棚頭集落の手前で、左の仲間川へ下る道路が有ります

上野原市指定文化財「棚頭の仁王像」の案内板が目印です

降って橋を渡り右岸側へ、道路脇に案内板が出ています

目的のモミノキは八幡神社の境内に在ります

道路脇に広い所に車を止めさせて頂きました


八幡神社への参道です

説明版です
 上野原市指定文化財
  棚頭の仁王像
    指 定/昭和56年3月17日
    所在地/上野原市野田尻2461番地
 天鼓山東林寺(八幡神社)の仁王門東の間に阿形像、
西の間に呍形像が配置されています。像高はいずれも
約2,3mです。トチ材の寄木造で、赤く彩色されて
います。やや素朴ながら仁王像らしい非常に力強い表
現が特徴で、異様な程に太い両腕や、両脚にかかる裾
をめくりあげて布裏を見せる表現、呍形像のもりあが
った肩と、あごを突き出して口を強く「へ」の字に結
び、小鼻を大きく膨らませる表現などには、塩山市・
放光寺仁王像の影響が感じられます。相州国境に近い
土地柄ですが、甲斐の仁王像らしさを感じさせ、北都
留地域でも希有な仁王像です。江戸時代後期から末期
の作と推定されます。
  平成31年3月    上野原市教育委員会

ここから坂道を登って300mです

崖下側側に手摺りの付いたコンクリート舗装がされています


登って一曲がりしただけで石段が見えて来ました

石段の上に仁王門です

右に阿形像

左に呍形像です(ガラスが嵌められていて、映込みで上手く撮れませんでした)

仁王門を潜ると正面に社殿です(元が寺院だった為神社らしくありません)

軒下には、鰐口と額には八幡神社の文字が有ります


目的のモミノキです

幹の先端部が折れて落ちています、地面には枯葉が敷き詰められています

サルノコシカケ科のキノコが生えてしまっていました、残念です

仁王門を社殿前から見ました

仁王門平面上の石碑は、棚頭地区に電灯線が引かれた記念碑です

では、次へ行きましょう
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山梨県上野原市、野田尻「大椚吾妻神社の大杉」です!!

2020-03-15 06:29:15 | 巨樹・大木
大椚地区は、上野原市役所の西約3kmのところ

旧奥州街道沿いに点々と残る宿場町の鶴川宿から野田尻宿への間です

中央自動車道の南側に当たります

国道2号線から県道30号線を野田尻方面へ

坂道を下り切ると鶴川宿です、道路脇に「鶴川のケヤキ」を見て

坂道を登って行くと県道は真直ぐ野田尻宿方面に伸びていますが

旧甲州街道は、中央高速を越えて南へ迂回するルートになります

道なりに西へ進むと右カーブの外側に吾妻神社が鎮座します

カーブ内側の道路脇に車を止めさせて頂きました


甲州街道史跡案内図です、現在の道路状況とかなり違っています

案内板です

神社入口に目的の大杉が立っています(北東側から)

東側から見上げました

説明版です
  吾妻神社の大杉
目通り :約6m
根回り :約10m
樹高  :約20m
推定樹齢:約600年
伝承由来:ご神木、伝承等なし
樹勢  :樹勢は良好
 平成27年 大椚区
  

境内の南側から


大スギの陰に鳥居です、社殿への石段は北東向きになっています

水盤です

鳥居脇西側に観音堂です

文化財説明版があります

石段脇のスギの大木にも注連縄が掛けられていますので御神木と思われます

石段を登りましょう


吾妻神社社殿です、社殿は東向きに立っています

社殿脇から大スギを見ました


北西側から

では、次へ行きましょう
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山梨県身延町、身延「久遠寺総門」です!!

2020-03-14 06:36:19 | 文化財・寺社
久遠寺総門は、JR身延線みのぶ駅前から

バスで終点久遠寺バス停の1500m程手前です

県道804号線の久遠寺入口信号を

右に曲がったすぐに有ります


総門です

説明版です
  総門
 この総門は28世日奠上人の代、寛文5年
(1665)三河国刈谷城主三浦志摩守明敬
公の母寿応院殿の丹精によって建立されまし
た。門柱に刻まれた丸に三の字は三浦家の家
紋といいます。36世日潮上人のとき改修さ
れ、その折りに日潮上人筆の開会関の大扁額
が掲げられました。開会関とは、妙法五字の
尊い教えですべての人々の心を開き、平等に
救い、仏と同じ寂光土に入ることが出来る関
門である、という意味です。


総門を入るとすぐ左には石段の上に発軫祖師堂です

祖師堂前にも杉の大木が見えます

逢嶋之遺跡 山梨県の石柱です、史跡の様です


妙法蓮華経序品第一の標柱も立ちます

大きな石碑には、発軫の文字に
  日蓮大聖人御書
 時に五十三同五月十二日かまくらを立て
甲斐国へ分入る路次のいふせき峯に登れば
日月をいただくが如し谷に下れば穴に入る
が如し河たけくして舩渡らず大石流れて箭
をつくが如し道は狭して縄の如し草木しげ
りて路みえずかかる所へ尋入事浅からたる
宿習也かかる道なれども釈迦佛は手をひき
帝釈は馬になり梵王は身に立そい日月は眼
に入かはらせ給故にや同十七日甲斐國波木
井の郷へ著きぬ波木井殿に対面有 かは大
に悦び今生は寶長が身に及程は見つぎ奉る
べし後生をば聖人助け給えと契し事はただ
ごととも覚えず偏に慈父慈母の波木井殿の
身に入かはり日蓮をば哀れみ給歟

日蓮大聖人が身延に入った時の状景を表しているようです


総門駐車場の案内板です

県道804号線を、みのぶ駅方面に戻り

橋を渡った先に

花の寺の標柱の脇に

「史跡 南部氏館跡」の石柱が立っています

この上の平場が館跡の様です


鏡圓房の説明版ですが薄くなってしまって全部を読むことができませんでした

では、戻りましょう
  
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山梨県身延町、身延「日蓮聖人御廟所」です!!

2020-03-13 06:21:01 | 文化財・寺社
コロナウィルスの拡散が止まりませんね~

私の場合人のいないところばかり回っているので

余り気にしていないのですが・・・

マスクに手洗い・ウガイはしっかりしていますよ

では、今日の投稿です


三門の前の道をロープウェイ乗り場方面に向かって間もなく

左へ入る道路が有ります


大きな「日蓮大聖人 御廟 御草庵旧跡」の石碑が有ります

石敷きの道路を進みます


ここには車止めが有ります

間も無くです

右に寺務所が有ります

橋を渡ります

上流側です


左に手水舎です

正面の石垣上にサクラの古木です

名木 雫の桜のようです

右に進んで石段を上がりましょう

正面に御廟所です

説明版です
  御廟塔ならびに拝殿
 千鳥破風造り、御所向拝丸太建築檜皮葺のこの拝殿は
昭和17年(1942)に、身延山の木材を用いて、大
阪寺院信徒連合会の丹誠によって建立されました。
 奥の石造八角塔は日蓮聖人の御遺骨を火葬の灰ととも
に納めた御廟塔で、この塔の中には古い五輪の墓があり、
その下の岩盤に掘削された方形の石室に御遺骨が納めら
れていました。
 この御廟塔は昭和16年(1941)

拝殿内部です

廟塔です


廟塔の北側には身延山歴代墓所が有ります

案内板です

歴代の墓地が並びます

合祀廟です

廟塔の南側にも墓地が有ります日蓮聖人直弟子直檀廟です

案内板です

更に南側には篤信廟です

案内板です

更に南への山道沿いにも墓地が続きます

御廟所の左手前に山梨県指定史跡の草庵跡が有ります

北東側の上の段から見下ろしました

日蓮聖人草庵之阯 山梨県 の石碑です

説明版です
  県指定史跡
 日蓮聖人御草庵跡
     昭和34年2月9日指定
     身延町身延3628番地
     身延山久遠寺所有
 この御草庵跡は、18、18m四方で、
日蓮聖人が文永11年6月17日より弘安
5年9月8日までの九年間、時には厳寒と
戦い、時には飢餓に耐えながら、昼は終日
門下の教養に努め、また法華経の深旨を論
談し、夜は深夜まで法華経要文の読誦と著
述に励まれた聖地である。
 聖人はこの御生活に満足なされ
   たちわたる身のうき雲も晴れぬべし
     たえぬみどりの鷲の山風
と詠じ給いて、法悦歓喜の安住を表されて
おります。
 昭和51年5月1日
         身延町教育委員会

詳しい説明版がありました

草庵正面入り口に一番太い杉が在ります

南西側から

手水舎の上の段の建物です

法界堂という建物の様です

では、次は総門まで行きましょう
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山梨県身延町、身延「西谷のイチョウ」です!!

2020-03-12 06:27:29 | 巨樹・大木

奥ノ院からロープウェイで降りて行きます(下りのロープウェイから)


段々と下って来ました

窓の右下に次の目的のイチョウを見ることが出来ます

道路脇に立派なイチョウが見えます

久遠寺側の駅に戻りました

石段を下って来ました

途中からイチョウを見ました

イチョウのすぐ上側に本行坊入口です


本行坊の駐車場から見下ろしました

イチョウの高さまで降りて来ました(北北東側から)

北西側から、幹の中心部に焦げ跡が残ります

西側から

東側から

幹には乳柱が見られます

東側道路に下りました、こちら側が正面になっています

南東側から見上げました

南東側道路から

南に下って振り向きました

ロープウェイに向う南の道路から見ると白い塀の上に見えました

南側の清水房です

略縁起です

では、次は日蓮聖人様の御廟に行きましょう
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山梨県身延町、身延「久遠寺奥ノ院の御手植えの杉4本」です

2020-03-11 06:48:00 | 巨樹・大木

本堂裏手からロープウェイに行きましょう

ロープウェイ駅です、山頂駅まで真っ直ぐに伸びています




山頂駅です

案内板が有ります、まず左の展望台へ行って見ました


富士川の谷を隔てて富士山を望みます

次のロープウェイのゴンドラが到着します


山頂駅を出て右へ恩親閣入口です


御案内です
 このお山は身延の嶺と称し、蓮華の嶺とも
よばれる。この地こそ身延山の頂であり日蓮
大聖人御在山の間、弟子達と節々として登山
せられ、はるか遠く故郷房州の方を拝され御
両親を慕い、恩師に思いをはせられた霊地で
あります。
 思親閣とは親を思う御堂ということであり
ますが、日蓮大聖人は9ヶ年に亘る身延山で
の御生活の間、常に此の峰にまで登られて、
両親をはじめ師匠の進善供養を祈られたとこ
ろから名付けられたものであります。
 
日蓮上人像・房州遥拝の姿、昭和10年建立
開基堂  ・六老僧日朗上人像安置
大孝殿  ・団体休憩所
信徒休憩所・団体休憩所
育恩殿  ・一般休憩所
御札所  ・お守り・お札・行衣朱印・焼印
      おみくじ等の扱い
石段を登ると
御手植の杉・700年の歳月を経過した4本の老杉
仁王門  ・密迹金剛・那羅延金剛の仁王尊を安置
鐘楼堂  ・寛文8年身延山29世日莚上人代建立の鐘楼と洪鐘
祖師堂  ・日蓮大聖人・六老僧・両親像を安置開扉参拝のお堂
元政塚  ・京都深草元政上人の父の遺骨と御自身の髪を埋められた塚
釈迦像  ・昭和45年4月建立のお釈迦様の像
寺務所  ・開扉・祈願・回向・御朱印帳・参詣予約等の受付
  身延山奥之院  思親閣
  


門を入って左に石段を上がると恩親閣です


案内板です、日蓮聖人御手植えの4本の大スギが残ります

説明石碑です
  御手植杉の由来
 この思親閣は親を思うと云う霊地で宗祖大上人は
9ヶ年の身延御隠棲の間常にこ身延山の峯に登り、
東方遙かの故郷房州の空を望んで両親と恩師道善房
を慕はれた。そして御両親並び恩師道善房の御墓へ
追善供養され御手づから植えさせたまへるもの、即
ちこの老杉である。
 亭々と聳え立つ姿又颯々と枝を渡る風の音は末法
萬年限りなくいつの世の人にも孝の重きを教えてい
るのである。




石段の両側に目的の「御手植えの大スギ」が並びます

まずは参道石段右手の大スギを石段下から見上げました

石段を上がって来ました

天然記念物標柱です

西側から見ました




参道左手の大スギは幹のコブが特徴的です

ここにも天然記念物標柱です


参道から左に入った大スギです、雪景色の中に綺麗でした

案内板です


恩親閣入口の山門です

4本目は山門の右手に見えます

山門を入ると左手に手水舎です

右手に稲荷社です

稲荷社の後ろ側に4本目の大スギが立っています

稲荷社脇(南西側)から見上げました

天然記念物標柱です




鐘楼です

参道左手に身延町指定史跡の元政理髪塚です

説明版です


恩親閣です

西側に釈迦牟尼仏です


西側の山道から三本目の大スギを見ました

では、ロープウェイを下りることにしましょう
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山梨県身延町、身延「久遠寺」です!!

2020-03-10 06:38:38 | 文化財・寺社
バスを降りて、商店街を進むと三門です

案内図お確認しましょう

三門を潜り参道杉並木の大スギを過ぎると

菩提梯です、上り切ると本堂前境内に出るようです

説明版です
 26世日せん上人の寛永9年(1632)に、
佐渡の住人仁蔵の発案願によって、完成したも
のです。高さ104mで、三門と本堂を一文字
に結ぶ287段の石段は、南無妙法蓮華経にな
ぞらえて7区画に分かれています。
 菩提とは覚りにいたる梯(きざはし)のこと
で、この石段を登り切れば、涅槃の本堂に至る
ことが出来ることから、覚りの悦びが生ずるこ
とを意味しています。



菩提梯を見下ろしました、途中で休んでいる方々が見えました

菩提梯を上がると五重塔です(実はバテてしまって五重塔を見上げながらベンチで暫く動けませんでした)

説明版です
   五重塔
 この身延山五重塔は91世日光上人の発願によ
り全国皆様の御丹誠のもと、92世日総上人のと
き130年ぶりに復元され、平成21年5月13
日より5日間に亘り落慶式が奉行された
 身延山に五重塔が創建されたのは元和5年(1
619)加賀藩主前田利常公の母・寿福院の寄進
によるもので、御大工鈴木近江守長次の作であっ
た。しかし元和の塔は文政12年(1829)に
焼失し、後に再建されてが再び明治8年(187
5)の全山を巻き込む大火により焼失した
 現在の五重塔は元和5年、初代五重塔の復元で
あり、明治以降諸堂復興の総仕上げで、悲願とも
いえる大事業であった。
 この五重塔は、宮大工の伝統技術と最新工法の
融合により蘇ったものである。




本堂前から見上げました

手水舎です

鐘楼です

大きな梵鐘です

説明版です

本堂です

説明版です
  本堂
 明治8年(1875)の大火以来、本堂の再建
は身延山の悲願ですた。機熟し、日蓮聖人第7百
遠忌の主要事業として、88世日慈上人代に着手
、89世日康上人代を経て、90世日勇上人によ
って昭和60年5月入仏落慶式が行なわれました
。総面積970坪、間口17間半、奥行28間。
内外装は木造仕上げ、外陣の天井画「黒龍」は加
山又造画伯の力作、昭和61年(1986)の建
築業界賞を受賞した総本山の根本殿堂にふさわし
い規模と格調を備えました。


境内案内図が有りますので確認しましょう

本堂東側の建物は棲神閣祖師堂です

報恩閣まえのシダレザクラです


桜が咲いていました

御真骨堂拝殿です

仏殿西納碑堂です

仏殿です

仏殿東納碑堂です


説明版です


大客殿です

仏殿前庭のシダレザクラです

樹齢約300年だそうです

開基堂です

では、ケーブルカーで奥ノ院へ行きましょう
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山梨県身延町、身延「久遠寺参道の大スギ」です!!

2020-03-09 06:48:37 | 巨樹・大木
久遠寺は、日蓮宗の総本山です

身延町役場の南約10kmのところ

JR中央本線のこうふ駅から

JR身延線みのぶ駅へ電車で移動し

久遠寺は、みのぶの駅の北西3kmの所

みのぶ駅前から終点久遠寺バス停までバスで移動しました

(なので、総門は最後に取材しました)



甲府駅ホームです、身延線で約1時間身延町まで行きます

スイカなどの交通系電子マネーが使えないので

切符を買って乗車しましょう

みのぶ駅です、駅前から久遠寺バス停までバスで移動します



バスを降りると、商店街の道を進みます

日蓮宗の南無妙法蓮華経の石塔を見ると

身延山三門です

説明版です
   三門
 古く寛永19年(1642)、26世日 上人
のとき、伏見宮邦房親王の第8王子尊賀院日廷上
人が普請奉行として建築されたが、慶応元年(1
865)に焼失し、明治40年(1907)78
世日良上人の代に全国寺院檀信徒の協力を得て再
建されました。関東三大門のひとつに数えられて
います。仁王尊は横浜市金沢区六浦の上行寺より
六浦平次郎入道妙法禅門が背負ってここまで運び
寄進したという伝説があります。六浦平次郎は相
州荒尾城主播磨守の後身で、中山法華経寺日祐上
人の弟子となり日荷と名を改めたといいます。楼
上には京都の仏師辻井岩次郎作の十六羅漢像がま
つられています。身延山の扁額は79世日慈上人
筆です。



仏法僧(ブッポウソウ)の説明版です



案内板を確認しましょう

三門を抜けると石敷きの参道です

杉並木の参道右奥に目的の大スギが在ります


南西側から


参道奥側(北側)から

東側から見ました、目通り幹囲6,9mの巨木です


南部實長公銅像です

説明版です
 身延山開基大壇越
   南部實長公銅像
 日蓮聖人は文永11年(1274)5月17日、
領主南部實長(波木井)公のお招きにより、この
身延のお山にお入りになられました。
 實長公は「今生は實長に及ばん程は見つぎ奉る
べし、後生をば聖人助け給え」とのお約束どおり、
日蓮聖人ご在山の9年間一族をあげてご給仕され
ました。
 また、公は「13里に四方の堺を立て今、日蓮
聖人に之を寄附す」との置文をして、身延山を中
心とした13里四方を日蓮聖人にご寄附され、子
々孫々に亘り身延山を護ることを戒められ、永仁
5年(1297)9月25日、76歳でお亡くな
りになりました。


では、菩提梯を登って久遠寺にお参りしましょう
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山梨県甲府市、丸の内「甲府城跡(舞鶴城)」(再訪)です!!

2020-03-08 06:38:41 | 城跡・館跡・陣屋跡
甲府駅の南東側に甲府城跡が有ります

城跡の西側には山梨県議会議場や

南西側には甲府市役所庁舎などがあり

甲府の町中に大きな舞鶴公園となっています




史跡 甲府城跡です


甲府城跡南側入口です

案内板です、城内を確認しましょう

鍛治曲輪です

坂道を登って行きます

坂下門跡の説明版です(門は復元されていません)

正面左が二の丸です、ここを右へ

鉄門下です

中の門跡です(ここにも門が有ったようです)

鉄門です

説明版です
 甲府城の歴史
 今から410余年前、豊臣秀吉の命により
浅野長政・幸長によって甲府城は築城されま
した。築城は、江戸の徳川家康をけん制する
目的でしたが、江戸幕府が開かれると代々徳
川一門や柳沢氏の居城となりました。
 鉄門復元整備事業のねらい
 かつて城下町から見上げた鉄門は、明治初
年に他の建物と共にすべて取壊されてしまい
ました。この鉄門を復元し歴史景観を再現す
ることは、甲府城跡の文化的価値や理解をよ
り高めるものと考えています。また、甲府中
心市街地からの眺望は、新たな魅力と人の流
れを生み、城下町甲府の風格と活気を取り戻
すものと期待されます。

山梨県教育委員会・埋蔵文化財センター


鉄門を入ると右手に天守台です

天守台の説明版です、天守台に登りましょう


西川の風景です、南アルプスの山々が綺麗に見えています、右に特徴的な甲斐駒ケ岳、鳳凰三山、白い雪をかぶっ

た間ノ岳と農鳥岳、日本第二の高峰北岳は鳳凰三山の後に山頂が見えます


南側です、鉄塔の左手に富士山が見えています


東側です



北側です、山の中腹から上には、甲府では雨が雪になっていました

北側の稲荷曲輪を見下ろしました

北東側の稲荷櫓が綺麗ですね

では、甲府駅から身延線の電車に乗って身延町へ行きます
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福島県南相馬市、小高区村上「村上城跡」です!!

2020-03-07 06:48:00 | 城跡・館跡・陣屋跡
避難指示が解除されてしばらく経ちました

太平洋を望む小高い丘の上に村上城跡が有ります

本丸跡には貴布根神社が在って参道は南側から

崖を登るような道になっています

城跡としての登城口は北側かなと

北側から丘に上がることにしました



城跡を南側から見ました、登城口は北側のようです

西側を回って北側の道路を進みます

東日本大震災の津波被害地に松の苗木が育てられています

ここが登城口のようです

木段に手すりが有ります

平にされている部分は郭の跡でしょうか

右に曲がるように上がって行きます

岡の上に出ます

祠に石塔・石造が並んでいます

手水舎です

丘の北側に貴布根神社の社殿です

南側に続く参道の西側には、古四王社の社殿です

説明版です
 南相馬市指定文化財第4号
   村上城跡
1、指定年月日 昭和41年3月31日
2、種類    史跡
3、所在地   小高区村上字舘腰舘内地内
4、説明
  慶長元年(1596)相馬藩主第16代
 義 は、東に蒼海を望み西に湖沼をめぐら
 す、四願一望、最も要害の地と定め、十塁
 を築き濠をめぐらしまさに殿舎を建てよう
 とした前日、火事が起きて山積みした材木
 がたちまち灰になってしまったと伝えられ
 る。義 はこれを不吉として、牛越に城を
 築いて慶長2年、小高城から移った。当時
 の築城様式を後世に伝える重要な史跡であ
 る。旧本丸跡には貴布根神社・古四王社な
 どが祭られている。海岸の浸食により、城
 跡と推定される一部は海に没している。




震災の被害です、鳥居が倒れてしまっています

貴布根神社の石塔は立っています

丘の上は広い草地(刈払いがされていました)です

東端です、戻りましょう

車で東端へ向かいます

城跡の東端です、太平洋の荒波に崖が崩れています

北側に続く海岸線です

大きな防潮堤が築かれています

では、次へ行きましょう



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宮城県丸森町、四反田「丸森のイチョウ」(県指定)です!!

2020-03-06 06:19:27 | 巨樹・大木
四反田地区は、丸森町役場の南約2kmのところ

2019年10月の豪雨被害がまだまだ跡を残していました

阿武隈川の支流が大雨により氾濫して丸森町市街地に流れ込む手前(南)

県道45号線が西側の山を迂回するようにカーブして南に向くと

すぐ右手の山裾に目的のイチョウが見えました

先の県道の道路脇に車を止めさせて頂きました




県道沿いに案内板です

西側の山沿いに目的のイチョウが在ります


地被けないので望遠レンズで撮影しました

説明版です
  丸森のイチョウ
     昭和42年4月11日
     宮城県指定天然記念物
 このイチョウの木は、高さ約46m、
樹齢約650年と推定され、昔から地方
の目あてとされ、近くに類を見ない大木
である。
 この木は雄の木で、実は結ばないが、
晩秋、黄色に色づいた葉が風に飛ばされ
る風景は見事である。
 傍らに古い墓地があり苔むした四地蔵
尊像や正吉観音堂(伊具33観音第18
番札所ー現在廃寺)跡などもあり、人々
の信仰の場となっていたようである。
 御詠歌 大空を覆えるほどの銀杏の木
     これや大悲のみかけなるらん
昭和60年2月
       丸森町教育委員会

水害被害の復興にはまだまだ時間と

多くの人手を必要としているようでした<(_ _)>

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宮城県山元町、大平「明光院のカヤ」(町指定)です!!

2020-03-05 06:28:06 | 巨樹・大木
大平地区は、山元町役場の北北西約2kmのところ

国道6号線を北へ、山元信号で県道272号線を西へ

先の交差点が国道と平行するアップルラインです

アップルラインを北へ進むと間も無く道路左(西)側に

明光院が有ります

東側の駐車場を利用させて頂きました


東側境内入口です、目的のカヤを見る事が出来ます


真言宗 智山派 妙見山 明光院です

北東側駐車場から

東側から見上げました

町指定文化財 榧の老樹の標柱です

説明版です
 山元町指定文化財 天然記念物
   榧の老樹
所在地:山元町大平字舘ノ内22
指定年月日:昭和50年9月13日
 県内随一の榧の雌株で推定
 樹齢、約650年
 樹高、約30m
 周囲、目通り約、5m
 枝張、約、32m
  枝が地面に垂れた老木の特長を示している
        山元町教育委員会

本堂です

西側から見ました

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宮城県柴田町、入間田「雨乞のイチョウ」(国指定)です!!

2020-03-04 06:36:36 | 巨樹・大木
入間田地区は、柴田町役場の北北東約3kmのところ

国道4号線から県道52号線を北西に進みます

柴田小学校入口を北へ、丘を一つ越えて北西に

円龍寺の手前を右へ曲がりくねった山道に入ります

岩沼市境の愛宕山(標高291m)への道です

道路脇に目的の「雨乞のイチョウ」が立っています

雨乞集落のすぐ下です、集落入口に車を止めさせて頂きました

集落入口から、日の出の太陽を受けて梢が輝きます

少し戻って見上げます

南側から見上げました

標石が有ります

説明版です
    国指定天然記念物
1、名称    雨乞のイチョウ
2、所在地   柴田郡柴田町大字入間田字雨乞
3、指定年月日 昭和43年11月8日
4、指定理由  天然記念物植物の部第1(巨樹)
5、説明    樹高 31m 枝張り 東14m
        幹囲 11m     西12m
        樹齢約600年    南11m
        雄株         北13m
 乳柱の発達が著しく、長さ4m直径50cmに達す
るものをはじめ、16本の乳柱を数える。
 樹勢が旺盛で樹容も美しく、イチョウの巨樹として
全国屈指のものである。
   昭和58年3月 柴田町教育委員会


南西側から、目通り幹囲は11,5mに成長しているようです

上側の集落側へ行きます


西側から

北側から

北東側から

イチョウの脇より、南側に柴田町お見下ろしました





雨乞集落は、日本最北限のユズ産地です

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宮城県角田市、高倉「高蔵寺の大杉」(県指定)です!!

2020-03-03 06:36:40 | 巨樹・大木
高倉地区は、角田市役所の西北西約5kmのところ

国道113号線から県道232号線を南に入って直ぐ東に

高蔵寺が有ります、周りは公園化されていて

駐車場が有ります


高倉公園案内図です

説明版です
 高蔵寺阿弥陀堂の沿革


阿弥陀堂への参道入口です

阿弥陀如来 高倉山 高蔵寺です

参道を進みましょう

大きな杉の切株です

国指定重要文化財の石碑です

手水舎です

阿弥陀堂が見えて来ます

境内左側に御神木の大杉です

右側にもスギの大木が在ります

境内参道から見上げました

阿弥陀堂脇から

説明版です
  【高蔵寺の大杉】(こうぞうじのおおすぎ)
科名    スギ科
樹種    スギ
推定樹齢  800年
樹高    35m
幹周    8,3m
指定状況  県指定天然記念物
指定    200年5月10日
所有者   高蔵寺
由来
  茅葺の阿弥陀堂は800余年前の1177年
 (治承元年)ごろ、平安建築様式で建立された
 もので、宮城県最古の建築物として国の重要文
 化財に指定されている。
形状
  その境内の正面山門の左側に立つ老樹で、地
 上2mから2本の巨幹に分れ、枝も太く広がり
 その勢いは、天空を貫くばかりである。
  根元は巨大化し、そこから3本目の幹が発生
 したが、枯死して途中で切断されている。
  樹皮の亀裂の平行線は見事な文様をつくる。
  この境内奥の墓地左手には指定天然記念物の
 カヤの群生林が見られる、また、この付近はき
 れいに公園化されている。(河北新報発行宮城
 の巨樹・古木より)
        桜とせんだんの木を守る会




榧の大木です

本堂側から見ましたが、周りのカヤと区別がつきませんね

庫裏の裏側にもカヤの大木が在ります

カヤの群生林が文化財にしていされているようです

本堂へ行きましょう

本堂です


国指定重要文化財の旧佐藤家住宅です



順に回りから

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宮城県角田市、角田「八幡神社の大杉」です!!

2020-03-02 06:57:07 | 巨樹・大木
角田地区は、角田市の中心部です

市役所の南約1kmのところ

角田中学校の西側に八幡神社が鎮座します



公園のロケットを見ました、八幡神社はロケットの南側に有ります



参道石段です

村社 八幡神社です

八幡神社の大杉の標石柱です

標石柱の脇に立つ大杉ですが、目的のものではありませんね

石段脇の大杉ですがこちらも違いますね

楼門です

楼門前の大杉には注連縄が巻かれた御神木です、こちらですね

石段上楼門前から、目通り幹囲6,4mの巨木です



楼門脇から見上げました


市指定文化財 八幡神社楼門の標柱です

楼門の説明版です




手水舎

狛犬です

拝殿です

本殿です


本殿玉垣の中、西側に大きな社ともう一つ小さな社があります

拝殿前から楼門を見ました

境内東側の祠です

古峯神社の石碑です

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