ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県一関市、大東町大原清水田「清水田の杉」です!!

2024-09-26 06:46:43 | 巨樹・大木
 ここからは、2024年9月11日取材分です

 清水田地区は、一関市役所の東北東約29km、一関市役所大東支所の東約600mにスギの巨木があります

 一関市役所大東支所南側の道路を東へ進んで約200mで砂鉄川沿いの道路です

 間も無く道路左手にスギの樹冠が見えて来ます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から

 南南東側から

 南東側から、樹高30m・目通り幹囲5.3mの巨木です

 東側から

 北東側から見上げました

 南側の砂鉄川を渡る端の手前から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・9・11・05・40
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岩手県一関市、川崎町門崎千手堂「伊吹神社の御神木(杉)」です!!

2024-09-25 18:36:11 | 巨樹・大木
 川崎町門崎千手堂地区は、一関市役所の東約12km、一関市役所川崎支所の北約4kmのところ

 一関市役所川崎支所北側の県道282号線を北西へ進みます

 約300mの砂鉄橋の手前を右(北)へ、砂鉄川の土手道はまだ県道282号線です

 道成りに約3.1kmで「御滝川排水樋門」の先を右(北東)へ

 約400mで工場の北側に鳥居が見えました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 大きな「軍事功労者佐藤武君頌徳碑」の石碑です

 鳥居です

 「伊吹神社社叢」全体が市指定天然記念物です

 参道石段を上がります

 石段を上がった正面には石碑が並び、参道は左へ直角に曲がっています

 拝殿です


 本殿です

 目的のスギは本殿裏側です

 南西側から、目通り幹囲5.3mの巨木です

 南側から

 南東側から見上げました

 では、そろそろ陽が西側に傾いてきました

 今朝早かったので、早めに明日の取材場所近くへ移動しておきましょう




 2024・9・10・16・10
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岩手県一関市、東山町松川町裏ノ上「宗松寺 の参道杉並木とモミ」(市指定)です!!

2024-09-25 06:31:55 | 巨樹・大木
 能登半島の大雨被害では、多くの人的被害が出てしまいました、ご冥福を祈ります

 では・・・

 東山町松川町裏ノ上地区は、一関市役所の東北東約12km、一関市役所東山総合支所の南約4kmのところ

 一関市役所東山総合支所前の道路を南東へ進みます

 約300mで「一関・猊鼻渓・県道19号線⇒」の標識に従って信号を右(南西)へ

 約900mの「⇖松川」の標識に従って斜め左(南)へ直ぐにJR大船渡線の高架を潜り、砂鉄川沿いを進みます

 約1.6km「十二木橋」の丁字路を左(南東)へ、道成りに約1.8kで一時停止を左(東)へ、県道282号線です

 約800mで「保呂羽三嶽神社」の案内板を左(北東)へ入って坂道を上がって行きます

 約700mで右下への砂利道を下ると大きなスギ並木の宗松寺参道へ出ました

 前の広場に車を止めさせて頂きました

 六地蔵様です

 天然記念物標柱です

 説明版です
 

 沢を渡って

 参道の杉並木の大きなスギです

 参道を上ります

 スギの大木が並びます

 参道右手にモミノキが見えて来ました

 西側から

 北西側から

 山門です

 山門前北側から、推定樹齢600年だそうです

 天然記念物標柱です

 東側から、目通り幹囲5m(目測)の巨木です

 南東側から見上げました

 山門を潜り石段を上がると本堂です

 山門の屋根の脇にモミが見えました

 では、次へ行きましょう





 2024・9・10・15・40
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岩手県一関市、東山町田河津「田ノ萱のイチョウ(市指定)と源頼朝の墓」です!!

2024-09-24 19:13:05 | 巨樹・大木
 東山町田河津田ノ萱地区は、一関市役所の北東約12km、一関市役所東山総合支所の西北西約3kmのところ

 一関市役所東山総合支所南側の県道237号線を西へ坂道を上って行きます

 約2.7kmの「上高金」バス停の前を左(西北西)へ

 約1.4kmでY字路を左の道路へ、約500m坂道を上っていくと

 右手にお大きな「田ノ萱屋敷参道 源頼朝公墓入口」の石碑です

 ここから目的のイチョウの東面が見えました

 先にイチョウの立つ住宅への街道へ行ってみました

 ズームアップしましたが遠いですね

 根元に天然記念物標柱です

 石碑のところから近付けそうですので行ってみます

 イチョウの東側に通路があります

 目的のイチョウです

 北東側から
 
 天然記念物標柱です

 石塔(墓碑)が二つ有ります

 文化財標柱です

 では、次へ行きましょう




 2024・9・10・15・05
 
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岩手県一関市、舞川大平「儛草(もくさ)神社のモミ(市指定)とスギ」です!!

2024-09-24 12:32:23 | 巨樹・大木
 朝から津波注意報に驚かされました、8時20分ころ八丈島の南180kmの鳥島近海で発生した地震(震度1以下)で発令されました。
 八丈島で50cm、神津島で20cm、三宅島や大島でも10cmの津波を観測されていましたが、午前11時過ぎに津波注意報は解除されましたが、津波は50cmでも足を掬われて流されるそうなので注意したいですね

 では、今回の投稿は前回の続きです

 舞川大平地区は、一関市役所の北東約7kmのところ

 一関市役所南側道路を東南東へ、約200mで信号を左(北)へ、県道260号線です

 約1.3kmの「陸前高田・猊鼻渓・県道14号線⇒」の標識に従って右(東)へ、直ぐに跨線橋となって東北本線をこえます

 約1.6kで東北新幹線の高架を潜り、約1.3kmで北上川を棚の瀬橋で渡ります

 道成に北上川の河岸段丘上へと上がっていった約2kmで左手(西側)の県道14号線への取り付け道路へ

 約200mで右(北)へ、県道14号線です、道成りに2.4kmで「舞川1区公民館入口」看板を反対の右(東北東)へ

 約500mで道路左手に「儛草神社表参道黒門址」です

ここからが前回「儛草(もくさ)神社」の続きになります
 

 隋身門を潜ると右手にまずはイチョウの大木です

 南東側から

 西側石段から、目通り幹囲は4m程(目測)です

 石段を上がります

 拝殿前からイチョウを見ました

 本殿東側の社務所の先に目的のモミです

 南側から
 
 説明版です
  市指定天然記念物
    モミ
     所在地  一関市舞川字大平5-1
     所有者  儛草神社
      指定年月日  平成16年5月1日
 モミは岩手県南部から九州・四国の山地などに自生する常緑針葉の高木であり、現在は庭園樹や公園樹としても植栽されています。
 市内では、自生と見られるモミが陽当たりのよい斜面などに他の樹種と混生しているものが確認されます。
 モミとしては配志和神社に群生するモミ林とともに当地方を代表する巨木となっており、現在でも地元の人々から御神木として崇められています。
 指定当時の樹高は約31m、幹周約4.3mであり、樹齢は250年と推定されます。
     平成21年7月    一関市教育委員会

 南東側から

 本殿北東側にもう一つの目的のスギです

 南南東側から見ました、樹高16m、目通り幹囲5.8m、推定樹齢300年以上の巨木の御神木です

 では、戻って次へ行きましょう



 
 2024・9・10・13・50
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岩手県一関市、舞川大平「儛草(もくさ)神社」です!!

2024-09-24 06:31:00 | 文化財・寺社
 舞川大平地区は、一関市役所の北東約7kmのところ

 一関市役所南側道路を東南東へ、約200mで信号を左(北)へ、県道260号線です

 約1.3kmの「陸前高田・猊鼻渓・県道14号線⇒」の標識に従って右(東)へ、直ぐに跨線橋となって東北本線をこえます

 約1.6kで東北新幹線の高架を潜り、約1.3kmで北上川を棚の瀬橋で渡ります

 道成に北上川の河岸段丘上へと上がっていった約2kmで左手(西側)の県道14号線への取り付け道路へ

 約200mで右(北)へ、県道14号線です、道成りに2.4kmで「舞川1区公民館入口」看板を反対の右(東北東)へ

 約500mで道路左手に「儛草神社表参道黒門址」です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 ここ標高約115mから舞草神社の社殿の建つ標高約265mまで北へほぼ一直線の登りに成ります、約20分ほどで行けそうなのでストックを持って歩いて行ってみました(神社前まで車で行くことも出来ます) 

 儛草神社の社號標です
 
 「儛草神社表参道黒門」の標柱です

 参道に入ると大きな庚申碑です

 参道(山道)を進みます

 大きな石がゴロゴロしています

 石段が現われました

 ところどころに石段が有ります

 また歩きづらい参道です

 スギ並木の間を進みます
 
 途中で林道が横断しています

 大岩を巻く様に進みます

 一向に先がわかりません

 日向は暑くて汗が吹き出します、この日も32度を超えていますが、日陰は風が吹きあがってい一息付けました

 ようやく鳥居が見えました

 隋身門です、ここまで25分かかってしまいました

 儛草神社来歴説明版です
   儛草神社 来歴
 養老 2年  718 羽場白山岳に白山妙利社勧請  祭神 菊理姫命
            陸奥県県多治見直人建立と伝える
 延暦18年  799 吉祥山に馬頭観音勧請 坂上田村麻呂東夷征伐の折
            祈願の為 吉祥山東城寺を建立する
 嘉祥 3年  850 慈覚大師東北巡陽の折り吉祥山に錫杖を止め多羅葉の
            木にて4尺2寸の聖観音像を彫刻安置しと伝う
 仁寿 2年  852 往時東山 舞草 小字穴の倉に鎮座する稲倉明神社
            舞草神に従五位下を授かる
 延長 5年  927 既に延喜式神名帳に登載の舞草神社である
 承平 元年  931 白山社跡近くに金鋳神社跡がある 舞草安房以来 
            二神を深く信仰してその守護により 無双の名剣を
            代々約300年間に亘り作り続けたと伝えている
 天正 2年 1574 吉祥山白山寺野火の為に堂塔社炎上す
 文禄 元年 1592 吉祥山一山の堂社宇僧坊同年3月12日野火為炎上する
            神社直属の三枝祢宜これを深く嘆き御霊を穴の倉に
            鎮座する稲倉神社に遷座して稲倉明神と称える
 寛永19年 1642 王子吉祥山は羽場村なるもお村直しの令により
            羽場村の一部を合併して舞草村と相成る
 寛保 3年 1743 御上より稲倉明神に舞草神社稲倉大明神の神号を賜る
 明治 2年 1869 神仏混淆禁止令により吉祥山東城寺より聖観音像
            並びに仁王像を別当宅地内の大悲閣内に安置する
 明治 4年 1871 同村穴ノ倉鎮座の稲倉大明神社より10月26日
            御霊を当観音堂地に遷座延喜式内舞草神社と称える
 明治 9年 1876 当年9月17日舞草神社三間四面の堂 炎上
            隋身門を残し焼失する
 明治39年 1906 舞草神社本殿 拝殿落成
 大正 2年 1913 同村川岸鎮座の熊野神社を合祀
 昭和12年 1937 本拝殿改築する
     祭神 伊邪那岐尊 白山姫神 倉稲魂命 熊野大神
     祭日 歳旦祭 4月17日 8月17日
            延喜式内 舞草神社  
      
 隋身門西側には舞草鍛冶遺跡の石碑です

 説明版です
   舞草鍛冶遺跡
 日本刀の完成にあたって、欠くことができなかった奥州の刀剣、それが舞草刀(もくさとう)です。
 鉄落山(てつおちやま)と別称される白山岳を有するここ舞草はそのふる里と考えられています。
 舞草鍛冶の活躍は、京都・観智院に伝わった現存最古の銘尽(めいじん)をはじめとする数多くの刀剣書、また、説話集や物語など、古くは平安時代から語りついでいます。
 この鍛冶遺跡のを目指し、岩手大学や一関市教育委員会は地元と一体となって発掘調査を実施し、これまでタタラ跡や鞴の羽口、鏃、おびただしい鉄滓の発見など数々の成果を上げています。
 今後はより一層の解明が進むものと期待されています。
     平成15年3月   一関市教育委員会

 隋身門を潜って石段を上がります

 石段の中段左に神馬舎です

 拝殿です


 本殿です

 社務所前に鐘楼です

 石塔が並びます

 長く成りましたので「続き」にします、次は「儛草(もくさ)神社」の木々を紹介しましょう

 
 
 
 2024・9・10・13・25
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岩手県奥州市、前沢八幡「前沢八幡神社のイチョウは切株に成っていました」です!!

2024-09-23 18:41:05 | 巨樹・大木
 埼玉は、久しぶりにエアコンなしで過ごせるようになりました

 前沢八幡地区は、奥州市役所の南約12km、奥州市役所前沢総合支所の南東約2kmのところ

 奥州市役所前沢総合支所西側の道路を南へ進みます、約200mで一時停止を右(西)へ

 直ぐ(約50m)の信号を左(南)へ、県道243号線です

 約300mで「⇐東山・県道237号線」の標識に従って左(東南東)へ進みます

 道成りに約1.7kmの床屋さん先の交差点を右(南南西)へ、約100mのカーブミラーの所で左(南東)へ

 約100mで北上川の土手下です、左(東北東)へ進むと間も無く鳥居が見えました

 鳥居と社殿は有りますが、イチョウの木やスギの木が無くなっています
 *グーグルマップのストリートビューでは2023年5月の画像では、大きなイチョウとスギを見ることが出来ました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南東向きに社殿です

 イチョウの切株です

 ヒコバエが出ていますが、除草剤の影響が出ています

 北西側から

 ヒコバエが大きくなって大木になってほしいものです

 境内にはギンナンが沢山落ちていてます

 中には小さなイチョウの葉を広げていますので、除草剤の散布の仕方を工夫して頂ければと思います

 東側にはスギの切株です

 境内にはアシビの木が茂っています

 花が咲き終わった所の様です

 では、次へ行きましょう




2024・9・10・13・05
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岩手県奥州市、衣川女石「松山寺・磐神社のカツラ2本」です!!

2024-09-23 12:28:02 | 巨樹・大木
 下衣川女石地区は、奥州市役所の南西約18km、奥州市役所衣川総合支所の西約2kmのところ

 奥州市役所衣川総合支所北側の県道37号線を西北西へ、約300mの横断歩道の先を左(南西)へ

 道成に約1.7kmで右手に松山寺が南東向きにあります
 
 道路向かい側に駐車場が有りますので車を止めさせて頂きました

 ここから前回の「松山寺の榧と乳房イチョウ」の続きです

 山門を潜って直ぐ左(南西側)に鳥居があります

 磐神社社殿です

 社殿前右手と社殿の真横に二本のカツラが有ります

 社殿前のカツラです

 東側から、目通り幹囲8mの情報でしたが

 南側からみました、この部分に傷が残っているので、太い幹があったと思われます

 社殿の裏側に廻り奥側のカツラを見ました

 南西側から、目通り幹囲5m(目測)でしょうか

 社殿裏側の注連縄の巻かれた大岩です
 
 本堂前へ行って見ました

 本堂前から、カツラ二本を見ました

 南西側から見ました

 では、次へ行きましょう




 2024・9・10・12・30
 
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岩手県奥州市、衣川女石「松山寺の榧・乳房銀杏」(市指定)です!!

2024-09-23 06:32:43 | 巨樹・大木
 下衣川女石地区は、奥州市役所の南西約18km、奥州市役所衣川総合支所の西約2kmのところ

 奥州市役所衣川総合支所北側の県道37号線を西北西へ、約300mの横断歩道の先を左(南西)へ

 道成に約1.7kmで右手に松山寺が南東向きにあります
 
 道路向かい側に駐車場が有りますので車を止めさせて頂きました

 「曹洞宗 荷石山 松山寺」寺号標です

 道路沿いに六地蔵様です

 山門(仁王門)です

 参道石段です、石段上のカヤの幹が見えます

 石段脇に「衣川村指定天然記念物 カヤ」の標柱です

 右手に鐘楼です

 石段上に目的のカヤです

 東側から

 南側から、根元周囲6.6m 、胸高周囲4.10m の大木です

 南西側(本堂前)から

 本堂です

 離れてもう見ました

 山門南西側に「衣川村指定天然記念物 乳房イチョウ」の標柱です

 北東側から見ましたが・・・

 北西側から見ました、高い所に乳柱(気根)が見えます

 *奥州市のホームページでは、根元周囲4.28m 胸高周囲1.58m、樹高14.3m のイチョウです、規模よりも古木感が見ものです

 長くなりましたので、続きは境内の「磐神社のカツラ二本」を見て行きましょう




 2024・9・10・12・25
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岩手県奥州市、上衣川山岸「山岸のイチョウ」(市指定)です!!

2024-09-22 18:32:11 | 巨樹・大木
 今年1月1日の能登半島地震に次いで、今回の大雨による人的被害が出てしまっていることに、お見舞い申し上げます<m(__)m>

 で、今回の投稿です

 上衣川山岸地区は、奥州市役所の南西約18km、奥州市役所衣川総合支所の南西約2kmのところ

 奥州市役所衣川総合支所北側の県道37号線を東へ、直ぐの信号を右(南西)へ、県道49号線です

 道成に約1.9kmの県道左手に消防屯所と南股交流館が有ります

 前の県道から目的のイチョウが南東側に見えます

 県道脇に車を止めさせて頂きました

 ズームアップして見ました

 ここを入って見ました

 イチョウを見上げました

 手前はヤブに成っていて近付けません

 かろうじて黒い幹を見ることが出来ました、樹高35m、根元周囲5.74m、胸高周囲4.86mの大木です

 藪の中に天然記念物標柱の先端だけが見えました

 では、次へ行きましょう


 
 2024・9・10・12:10
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岩手県奥州市、上衣川野崎「大原薬師神社と野崎のヤマトアオダモ(市指定)」です!!

2024-09-22 12:44:07 | 巨樹・大木
 上衣川野崎地区は、奥州市役所の南西約24km、奥州市役所衣川総合支所の南西約8kmのところ

 奥州市役所衣川総合支所北側の県道37号線を東へ直ぐの信号を右(南南西)へ、県道49号線です

 道成りに約8.3kmで野崎地区に入って「大原」バス停の所を左(南南東)へ入ります

 道路が直角に右(西南西)へ曲がると間も無く左手に鐘楼が見えて来ますので、前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 農道に入って行くと

 鳥居です

 鳥居脇には大きな出羽三山(月山)の石碑です

 手前右側の建物は神楽殿(舞殿)です

 東向きに社殿です

 説明版です
   大原薬師神社
 「享保元年(1716)月日は相知らず、明宝院が薬師如来を祀ったものとされる。この明宝院は山城の国(現在の京都府南部)の生まれで、京都にあった大原村東岳院の修験者であり、何年の頃に当地に来たかは誰も知らない。大原用水堰を開いたのはこの明宝院であると申し伝られております。」とあり、本尊は慈覚大師作の薬師瑠璃光如来で御長4寸9分と記されている。
 明宝院は宝暦4年(1754)9月8日に没したとされ、その墓碑は現社殿の西方にあり「権大層部法印明宝院」と刻されている。
 明宝院の没後、再三火災に罹り堂塔本尊共に灰燼に帰したるを、部民造営度々修繕を加え維持してきたが、明治30年1月、民部協同出資し、同年5月竣工遷座式を行いたりとも記されている。
 薬師堂はもともと現在地にあったと考えられ、火災のため当初の御堂や本尊は失われたが、明治30年の遷座時点における旧堂は現存し、字楢原山の竹駒神社の社殿として移築されたものである。(衣川村資料編より)
        平成26年度 南股地区振興会

 境内北側に鐘楼です




 石塔や石仏・石碑が並びます

 社殿前から南西側に黒く太い幹が見えます

 目的のヤマトアオダモです、樹高25m、根元周囲5.23m、胸高周囲4.21m の大木です

 *個人宅のようですので、道路からのみ見ることにしました

 「衣川村指定天然記念物 ヤマトアオダモ」の天然記念物標柱です

 *奥州市は、平成18年(2006)に水沢市・江刺市、胆沢郡前沢町・胆沢町・衣川村が新設合併して誕生しました。

 では、次へ行きましょう




 2024・9・10・11・50
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岩手県一関市、赤荻外山「外山のサイカチ 」(市指定)です!!

2024-09-22 06:34:13 | 巨樹・大木
 9月21日から台風14号から変わった低気圧の影響で、能登半島や新潟県村上市周辺で大雨に成っています、輪島市周辺では川が溢れているニュースが流れています、今後の雨の状態に注意して頂きたいと思います

 では、今回の投稿です

 赤荻外山地区は、一関市役所の北西約6kmのところ

 一関市役所南側道路を東南東へ、約200mで信号を左(北)へ、県道260号線です

 約4.1kmで横断歩道の手前を斜め左へ入ります、直ぐに国道4号線一関バイパスの道路橋の下を潜ります

 約400mで左からの道路に合流する様に一時停止を右(西)へ、間も無く東北自動車道の高架を潜り道成りに進みます

 約2.7kmで丁字路状の交差点を右(北東)へ、約 mで道路沿いに大きな木が見えて来ます

 近付きました

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南西側から

 南側から

 太い幹を見ました

 南東側から

 説明版です
   市指定天然記念物
     サイカチ
      所在地 一関市赤荻字外山13-2
      指定年月日 平成13年7月1日
 サイカチは、本州中部以南に自生するマメ科の落葉高木で、当地方では旧家の屋敷地の目立つ場所に植栽されていましたが、現在ではほとんど見られなくなっています。
 江戸時代の中期に活躍した医師、建部清庵が著した「民間備荒録」には、若芽の調理方法について記載されており、食糧難の時代には食料として、また昭和20年頃までは、果実の莢(さや)部分は石鹸の代用品として使用されるなど、人々との生活に深く関わりがあったことをうかがい知ることができます。
 指定当時の樹高は約10m、幹周囲が約4.7mであり、樹齢は300年以上と推定されます。
     平成21年7月    一関市教育委員会

 東側に離れて見ました

 北東側から

 離れて見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・9・10・11・05

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岩手県一関市、赤荻外山「赤荻山神社のスギ」です!!

2024-09-21 13:09:00 | 巨樹・大木
 赤荻外山地区は、一関市役所の北西約6kmのところ

 一関市役所南側道路を東南東へ、約200mで信号を左(北)へ、県道260号線です

 約4.1kmで横断歩道の手前を斜め左へ入ります、直ぐに国道4号線一関バイパスの道路橋の下を潜ります

 約400mで左からの道路に合流する様に一時停止を右(西)へ、間も無く東北自動車道の高架を潜り道成りに進みます

 約2.7kmで丁字路状の交差点を左(南西)へ、約500mの右カーブの手前を左(南東)へ

 約300mで山神社の参道が東向きで右手に出ています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 山神社の社號標です

 手水鉢からは綺麗な水があふれています

 鳥居です、鳥居下の建築碑には、東日本大震災での鳥居・本殿・石碑が大被害を受け再建として、2024年9月吉日と記ていますので出来たばかりです

 一関市指定有形文化財の「石室」が境内にあるようです

 参道を進みましょう

 東海道(あずまかいどう)跡疑定地の標柱です、昔の道は山の中を縫う様に進んでいたようです
 *一関市の地図を見ると、市街地の東側を北上川が蛇行しながら南北に流れて、広い農地を作っています。
 JR東北本線は「配志和神社」の東側の裾を南北に通って、配志和神社の西側の山間を国道4号線一関バイパスが通り、更にその西側を東北自動車道が通っています。
 東北新幹線は、一関駅を出ると東北本線から外れて北上川を渡って、水沢江刺・北上・盛岡へと向かっていきます。
 かつての東海道は更に西側の山間を通っていたようです。

 直角に曲がって南向きに山神社のニノ鳥居です

 境内の斜面に石碑が並んで、その上に大きなスギの幹が見えています

 杉の根に持ち上げられた参道石段を上がります

 大きな石碑です

 参道左脇に目的のスギです

 北側から、目通り幹囲5.8mの巨木です
 
 社殿です

 西側から

 南西側から見上げました


 社殿前右手に石室です

 説明版です
   市指定有形文化財
     石室
      所在地   一関市赤荻字外山293
      指定年月日 昭和51年6月1日
 この石室の由緒は、室部の後壁に天正2年(1574)の紀年銘と石工弥六の制作者名があるのみでです。
 安永風土記によると、当文化財が所在する「山の神社」の地主・別当について、「外山屋敷利兵衛」と記載されていますが、その人物から10代遡ると安部上総之介という天正年間の先祖にあたるため、その当時に製作されたものと推察されます。
 この石室は、安山岩製で総高90cmです。
 基礎・室・寺院形式の方形屋根をかけた屋根を組み合わせており、室の奥壁には半月状の光背が彫られているため、本来は仏を祀る石仏龕であったと思われます。
 紀年銘の残る石室は類例が乏しく、本資料は当時の姿を知ることのできる貴重な考古資料といえます。
       平成21年10月   一関市教育委員会

 では、次へ行きましょう


 
 2024・9・10・10・40
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岩手県一関市、山目舘「配志和神社(市指定有形文化財)と境内社」です!!

2024-09-21 07:18:37 | 文化財・寺社
 山目舘地区は、一関市役所の北約1kmのところ

 一関市役所南側の道路を西へ、約150mの信号を右(北)へ

 約750mで道路左手に配志和神社参道入口が南東向きに出ています

 参道脇の道路を登って行って白鳥神社手前の駐車場に入りました

 前回「配志和神社の夫婦杉」の続きです

 手水鉢です、石段を上がります

 拝殿です

 拝殿軒下の額です

 本殿です

 説明版です
   一関市指定有形文化財(建造物)
     配志和神社社殿
  所在地   一関市山目字舘
  年代    江戸時代
  指定年月日 昭和61年(1986)7月1日
 配志和神社本殿は「延喜式内神名帳」にも記載される延喜式内社で、磐井郡二座のうちの西岩井・流の総鎮守神として、崇められきました。
 はじめ磐座山に鎮座して火石輪と呼ばれ、後に始和大明神、穂志波社梅森明神、蘭梅明神(梅の宮)、刃蔵社とも呼ばれました。
 配志和神社に改めたのは延長5年(927)で中世に現在地に移されて今日に至っています。
 宝暦風土記(1763)によると、その創建は日本武尊が蝦夷征伐の際に、高皇産霊尊・瓊瓊杵尊・木花開耶姫命の三神を祀り戦勝祈願したことといわれ、その三神が祭神とされています。
 「県社配志和神社略記」によると、本殿は養和元年(1181)、拝殿は正徳元年(1711)に改築されたとされていますが、現在の社殿は拝殿と本殿を幣殿でつなぐ複合社殿であり、江戸時代の特色が見受けられます。また、拝殿二手先組、化粧屋根裏構架、本殿欄間彫刻といった構造手法も非常に優れており、当地方の信仰や社寺建築の歴史を知るうえでも貴重な建築物です。
        平成28年10月  一関市教育委員会

社殿北側に境内社が並びます、まずは愛宕神社です

 説明板です
   愛宕神社
 火神過遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀る。
 誕生の時に母神が火傷のためにお隠れなさったので、仇児の神と、また火産霊神(ほむすびのかみ)とも称される。
 社殿の経緯は不明であるが、江戸時代の配志和神社々殿造立に相次いで建立と推定される。
 昭和10年の修理記録が一部残る。平成23年の大地震で損傷激化し、同25年から同27年にかけて屋根葺替、縁床浜床張替、階造替等の修繕を行い、天神社側の雨打線の競合から配志和神社側に3尺移転し基礎を鹿の子建から一部亀腹とした。

 天神社です

 説明板です
   末社 天神社
     御祭神  菅原道真公(天満大自在天神)
     御神徳  学問 詩歌 書道 合格 雪冤 降雨
 菅原道真公は学問に秀で、政治家として異例の出世をしたが、妬まれて大宰府に左遷され不遇の中に亡くなった。
 その後、都に落雷などの天災が頻発したため、管公の御霊として恐れられ、天満大自在天神として祀られるようになった。
 配志和神社には管公左遷の折に、御子敦茂公が当地に流され、父の帰洛を願って社殿を修造し観音像を祀り、蘭麝梅を植えたという伝承がある。
 蘭麝梅は全山に繁茂して、馥郁たる香りを放ち、この山を乱梅山と呼ぶようになった。

 天神社の裏側には「硯が池」です、天神様と慕われる菅原道真公大宰府に左遷され御子敦茂公が当地に流された折この池の水にて硯の墨を擦ったと伝えられる。

 御名前がわかりませんでした

 南向きに産神祠(山の神)です、中には祠と石仏が祀られています

 説明板です
   産神祠
 山神又は山の神とも言う。
 木花開耶姫を祀る。
 天孫瓊瓊杵尊の妃となり火中で出産し安産又女性の守り神とされる。
 お産の時に枕を借り、産後は焚き上げて、新枕二つを返す。

 神明社です

 説明板です
   神明社
 天照皇太神を祀る。
 配志和本社に祀る瓊瓊杵尊の祖母神。
 八百万神の中で最も尊い神とされる。

 社殿面から太い方のスギを西側から見上げました

 細い方のスギです

 境内から南へ出てみると「蘭梅山いこいの森案内図」がありました

 では、次へ行きましょう




 2024・9・10・09・50
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岩手県一関市、山目舘「配志和神社の夫婦杉」(市指定)です!!

2024-09-20 18:32:57 | 巨樹・大木
 9月20日も埼玉は暑い一日でしたが、東北地方の秋田県内には、線状降水帯がかかって大雨になったようです

 では、今回の投稿です

 山目舘地区は、一関市役所の北約1kmのところ

 一関市役所南側の道路を西へ、約150mの信号を右(北)へ

 約750mで道路左手に配志和神社参道入口が南東向きに出ています

 参道脇の道路を登って行って白鳥神社手前の駐車場に入りました

 前回「配志和神社参道の白鳥神社の姥杉」の続きです


 参道を更に進みます

 参道右手の窪地?は

 産湯ヶ池です

 参道右手には沢山の石祠や石碑が並びます、屋根の掛けられているのは「足尾神社」です

 国常立命(くにのとこたちのみこと)・面足命(おもだるのみこと)・惶根命(かしこねのみこと)を祀る。
 手・足・軀を守り、殊に足病に霊験有り。回復すると草履等を奉納する慣有。
 茨城県新治郡足尾山を本山とする。

 こちらにも並びます

 足尾神社山側の石祠郡
 敷地中央通路を挟み、山側が細谷地区内日吉神社から、谷側が下大林地区内浅間神社から、北上川遊水地事業のため移転した、両神社も配志和神社の南面に移転した。

 更に参道石段を上ります

 剣坂です

 社殿の屋根が見えて来ました、参道左右のスギの影に目的の夫婦杉です

 社殿一段下に上がって来ました、社殿は東南東向きに鎮座します

 右手には太い方のスギです

 南側から、目通り幹囲7.1mの巨木です

 東側から

 北側から見上げました

 左手には細い方のスギです

 北側から、目通り幹囲4.8mの大木です

 東側から

 南側ぁら見上げました

 夫婦杉の石碑です
    夫婦杉
 本社前の大きな二本のスギは、市内では最古、最大級で、配志和神社の御神木として大切に保護されています。
 この樹木は北側が目通り周7.18m、南側が4.83m、樹齢は千年以上と推定されます。
 風雪に耐えながら永きにわたり寄り添うようにそそり立つその姿に、地元では何時しか夫婦杉と言うようになりました。
   一関市指定天然記念物
   平成3年4月1日  指定第47号
      一関市教育委員会

 古峯神社の石碑です

 夫婦杉の南側には、足尾神社の説明に有った境内社の日吉神社です

 日吉神社事蹟説明石碑です
日吉神社は一関市川辺字藤後六十六番地に鎮座 細谷部落鎮護の守護神として又遠近より多くの崇敬者により広く信仰されてまいりました 當社は三百有余年の歴史を有し殊に社殿は社寺建築界の名工として知られる奥の源太夫師(天保七年殁)が文化十二年に建立した貴重な建造物でありよって原状のまま移転復元することとし宮大工棟梁川坂浩氏によって完成した。
昭和61年度一関遊水地事業により配志和神社境内に移築遷座す。

 浅間神社です

 浅間神社事蹟説明石碑です
浅間神社は當地より東方五キロ地点の一関市中里下大林部落に在り守護神として三百有余年に亘り信仰してまいりましたが北上川治水事業に依り昭和六十一年度事業で配志和神社境内に移転す。

 また長くなってしまったので、続きとさせて頂きます。次は配志和神社社殿周辺です



 2024・9・10・09・30
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