2017年9月25日、お参りしました。24日に石川県の加賀観光、大聖寺の町並み散策、北前船の船主の古里の橋立の散策、那谷寺お参りし山中温泉に宿泊、山中温泉街並み散策、帰路に菅生石部(すごういしべ)神社にお参りしました。
パンフレットより「当社は、敏達天皇の願いにより、宮中でお祀りしていた神様を用明天皇がご即位元年(585)にこの地にお移ししたことに始まります。創始以来続く祭りは天神講や敷地祭といい、3日間特別なお祓いの神事を行います。天武天皇は、白鳳5年(676)御願神事をはじめさせ、現在も石川県無形民族文化財の指定を受け、例祭(竹割りまつり)として続いています。
この神社は延喜式内社で、越前国三ノ宮のちに加賀国二ノ宮(一ノ宮は白山比咩神社)となり、明治期には国幣小社に列せられました。中世には福田の庄が京都北野天満宮領となることから天神信仰も盛んとなり、別名菅生天神や敷地天神とよばれるようになりました。
天神信仰としてこの地に住む人々や越前に住む人々からの崇敬をうけ、この地に始まり美濃から全国に住む斎藤氏の氏神として美濃各地に勧請されました。美濃国の天神社、天満宮全17社は当社より勧請された社です。このほか京都市敷地神社(わら天神)、鯖江市敷山神社など関係の社が多くあります。
崇敬では、伏見天皇(1287~1298)の頃より正親天皇(1557~1586)の頃まで春秋年2回の居入祭(おりいさい)に朝廷より御衣・神宝がお供えになりました。現在、居入祭に遅れた際の詫状や皇子ご降誕の祈祷礼状が残っています。
そのほか木曾義仲、足利義持、豊臣秀吉や前田利家はじめ前田家による寄進や奉納も多くありました。現在その多くが宝物として残っています。」
石川県加賀市大聖寺境内
map
鳥居
説明書
神門(加賀市指定文化財)
「文政7年(1824)起工、よく9年落成。設計者は建仁寺流の名工山上善右衛門嘉広の系統で、七代目善右衛門嘉順と伝える。総欅造唐様の楼門で、軒は扇垂木とし、天上は碁組となっている。」
手水舎
拝殿
本殿
能舞台
敷地稲荷社
白山社・事比羅社
菅原社
お疲れ様でした。
パンフレットより「当社は、敏達天皇の願いにより、宮中でお祀りしていた神様を用明天皇がご即位元年(585)にこの地にお移ししたことに始まります。創始以来続く祭りは天神講や敷地祭といい、3日間特別なお祓いの神事を行います。天武天皇は、白鳳5年(676)御願神事をはじめさせ、現在も石川県無形民族文化財の指定を受け、例祭(竹割りまつり)として続いています。
この神社は延喜式内社で、越前国三ノ宮のちに加賀国二ノ宮(一ノ宮は白山比咩神社)となり、明治期には国幣小社に列せられました。中世には福田の庄が京都北野天満宮領となることから天神信仰も盛んとなり、別名菅生天神や敷地天神とよばれるようになりました。
天神信仰としてこの地に住む人々や越前に住む人々からの崇敬をうけ、この地に始まり美濃から全国に住む斎藤氏の氏神として美濃各地に勧請されました。美濃国の天神社、天満宮全17社は当社より勧請された社です。このほか京都市敷地神社(わら天神)、鯖江市敷山神社など関係の社が多くあります。
崇敬では、伏見天皇(1287~1298)の頃より正親天皇(1557~1586)の頃まで春秋年2回の居入祭(おりいさい)に朝廷より御衣・神宝がお供えになりました。現在、居入祭に遅れた際の詫状や皇子ご降誕の祈祷礼状が残っています。
そのほか木曾義仲、足利義持、豊臣秀吉や前田利家はじめ前田家による寄進や奉納も多くありました。現在その多くが宝物として残っています。」
石川県加賀市大聖寺境内
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鳥居
説明書
神門(加賀市指定文化財)
「文政7年(1824)起工、よく9年落成。設計者は建仁寺流の名工山上善右衛門嘉広の系統で、七代目善右衛門嘉順と伝える。総欅造唐様の楼門で、軒は扇垂木とし、天上は碁組となっている。」
手水舎
拝殿
本殿
能舞台
敷地稲荷社
白山社・事比羅社
菅原社
お疲れ様でした。