旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

生野春日神社

2024-10-25 15:40:23 | 神戸市北区
2024年10月23日、お参りしました。
「当社は、往古『志り知社』と称し、天児屋根命・経津主命を祭祀し、氏の長者が神主となって奉仕してきた。その後、敏達天皇の御宇、聖徳太子が此の地に行啓あって、独菰山適射寺を創立し、『志り知社』の別当となる。1594(文禄3)年、舟越良左衛門殿古検地以前より除地として、祭神春日大明神を尊崇し奉ることは1671(寛文11)年11月12日調製の大地図に明らかである。1673(延宝元)年の頃より、『志り知村』の文字を改めて塩生野村と書き、元禄の頃(1688~)より塩の字を省き生野村となる。また、『志り知社』を春日神社と改称した。明治12年の神社取調べの際、村社に加列せられ、大正元年8月に生野村無格社天満神社を合祀し、生野村字門樋ノ尻へ社地を移転し現在に至る。本殿屋根は、古来桧皮葺であったが、平成10年10月銅板葺屋根とする。境内には、勧請年月不祥ではあるが、天照皇大神を祭神とする末社・神明神社が往古より鎮座し、御神体御箱破損再箱ら『宝永2年(1705)4月朔日」とある。当社は、小さな丘の中央に、松や杉樹の鬱蒼たる森林の中に鎮座しており、近くには摂津名所の一つである百丈岩や鎌倉狭、更に、北区内に供給する水源の千苅水源地があり、桜の名所となっている。」
神戸市北区道場町生野字宮ノ浦882
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鳥居

参道の階段が続きます。





鳥居

石灯籠



手水舎

狛犬



拝殿

本殿



末社


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大澤寺(ダイタクジ)

2024-10-25 15:22:47 | 神戸市北区
2024年10月23日、お参りしました。
「詳細不祥、当寺は曹洞宗の寺院、本尊は釈迦牟尼尊です。」
神戸市北区大沢町上大沢545
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寺標







鐘楼

銅鐘







本堂









庫裏

お寺のパン屋さんです。
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上大沢素戔嗚尊社

2024-10-25 14:49:26 | 神戸市北区
2024年10月23日、お参りしました。
由緒書より「当社の創建は不詳であるが、昔、播磨の国広峰神社の御分霊を勧請して平ノ森(現字池ノ口)に牛頭天王と称し奉祀したに始まる。1478(文明10)年に現在地に新造営して感神社と改めた。やがて、戦国の世になり赤松の一族小野三郎がケシ山(善入西山林)に居を構え、当社を鎮守神と仰ぎ厚く崇敬した。1580(天正8)年織田信長の臣羽柴秀吉が三木城主別所長治を攻略した時、士卒に下知して、神霊を背後の山中に匿遷したため兵火を免れた(当地をおかくれ屋敷と云う)。その後、1684(天和4)年に社殿改修、1764(宝暦14)年社殿再建された。やがて、明治維新となり、三田九鬼藩家臣小寺泰治朗氏を差遣し祭神取り調べの際に、威容厳然としていたので素戔嗚尊社と改称された。明治38年、本殿幣殿が新築された。氏子の出願により大正4年12月14日神職特置を許可され池上市松宮司が勤務された。4月3日の春祭には、地区農会長が籾種を持参し五穀豊穣祈願を行う。10月10日の例祭には餅撒きがある。」
神戸市北区大沢町上大沢字岸之奥357
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社標

鳥居

百度石

社務所

社殿

手水舎

由緒書

鳥居

狛犬



拝殿



幣殿、本殿



末社

八幡宮

平野社

稲荷社

末社


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中大沢素戔嗚尊神社

2024-10-25 11:03:21 | 神戸市北区
2024年10月23日、お参りしました。
説明書より「創建は室町時代以前、祭神は素戔嗚尊、月夜見尊、櫛福田姫命です。当町の鎮守本神社の当初は牛頭天王社、次いで感神社と称し現在名に至る。そして江戸時代までは本地として薬師如来と合祀奉っていた。口伝によれば、和田盛遠の子孫浪士和田善盛が当地に留まり、神社の側に日照山法寺庵と称する寺庵を建立し、良寛と改名して社坊となり、神社を管掌していた。しかし1580(天正8)年、羽柴秀吉の三木城攻略の際の兵火により本庵は焼失し、その後、石峯寺竹林院の管掌に帰したといい伝えられている。明治の神仏分離令に基づき、三田藩代官泰次郎による取り調べの結果、合祀していた薬師如来像・棟札等は焼却されたが、三祭神・本殿は安泰で現在に至っている。なお、本殿は寛永年代(1624~)に再建されたと伝えられている。神戸市歴史建造物調査会により『神戸建築百選』の一つに選ばれた。10月10日の大祭に、古儀旧慣の宵宮渡御がある。年交代で最も忌み穢れない氏子中の長男二人を選び、大幣と三宝を奉持させ、氏子青年始め老若男女が古例の歌謡を、「今年しゃ嬉しやよき雨もろて」と唄いつつ和し、笛・太鼓・笙・鉦にて囃しながら行列をなし神社二練り込む。境内に入ると、天狗・猿・於多福などがこの列に加わり『目出度~』の祝い唄を唄いつつ拝殿に進み、大幣と三宝を本殿に収め渡御神事を終える。」
神戸市北区大沢町中大沢字法寺庵杮蕗
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鳥居

社標

手水舎

由緒書

素戔嗚尊(すさのおのみこと)神社の社叢(神戸市指定天然記念物)
「ブナ科の照葉樹であるコジイが中心となっています。階層構造は5層からなり、高木層では高さが約20mのコジイが優占しているほか、同じくブナ科のウラジロガシが混生しています。第1・第2低木層には、モチノキ、ネズミモチが生育しています。この社叢は「コジイ-カナメモチ群集」に属し、瀬戸内の代表的な自然植生です。さらに、同群集の内陸部のシラカシ亜群集に属し、内陸部では数少ない照葉樹林の一つで、貴重な社叢となっています。その面積は、素戔嗚尊神社の背後、約3,000㎡に及んでいます。」

二の鳥居

狛犬







覆屋兼拝殿
「銅板葺、約21坪。」





本殿
「三間社流造、正面軒唐破風付、杮蕗」

末社・八幡神社

末社・稲荷神社

末社・弁財天社(左)、秋葉神社(右)
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八多神社

2024-01-11 18:52:58 | 神戸市北区
2024年1月10日、お参りしました。
「八多は古くから幡多と記され、秦氏の居住地だった、摂津の端の地である、機織に関係がある、畑である等諸説あり、定かでない。古い記録によると、三十一代用明天皇の時、物部守屋が、六甲の嶺より遥か西北に杉檜の森を望み、神霊のいますを信じ訪ねたところ、木樵がいて、『天照大神は神代の昔から此の社に鎮座され、神功皇后に付き添って三韓を親征し、皇后は神のおしえに従いお祀りになった』と告げた。守屋は斎戒し謹んでおまつりし、神のお告げを受け、殿舎を建て荘田を献じた。その後、延喜の朝、神誨によって稲荷大神を奉祀した。歴朝、大社に準じて崇められ、即位、大嘗、祥瑞、災害等、いやしくも事があればすぐ使を遣わして祭告し、祈謝された。」



神戸市北区八多町下小名田284
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鳥居





狛犬



参道





拝殿



本殿





末社
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附物八王子神社

2024-01-11 18:20:27 | 神戸市北区
2024年1月10日、お参りしました。
「附物の地名由来は、有野川支流の八多川上流域に位置し、古代の豪族秦氏が統括していた大蔵に納める工作品の作物所から、附物になったと伝えられている。古くは、衝毛野・付物といい、江戸期の古文書には付物村と載っている。付物村は、丹波国福知山藩領であったが、のち三田藩領となり、1605(慶長10)年の『摂津国絵図』の『摂津高改帳』によると、四七四石余、さらに『天保郷帳』・『旧高旧領』では、ともに七百九石余となっており、裕福な地区であったと思われる。八王子とは、一般的に、天照大御神が須佐之男命と誓約し給いし時に成りませる、天之忍穂耳命・天之菩卑命 ・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・市寸嶋比売命・狭依毘売命の五男三女の神をいう。神仏習合の頃の信仰では、八王子を牛頭天王、須佐之男命と御子として、八王子権現と称して祀った。当社は、八王子の親神である天照大御神を主神とし、更に、八王子の神々を合わせて祀っている。元、八多神社の摂社として村内に鎮守し、八多神社を大宮(氏神)と崇め祭祀を行っていたが、1889(明治22)年、八多村の大字となった際、八多神社より分離して独立神社となった。」
神戸市北区八多町附物361-2
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手水舎

社標

鳥居



狛犬



拝殿

本殿

末社




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深谷八王子神社

2024-01-11 18:03:45 | 神戸市北区
2024年1月10日、お参りしました。
「深谷という地名の如く、深い谷に囲まれた地区ではあるが、その中にあって、当社は一段高い丘の上に鎮座し、檜・杉が生い茂る森厳な社である。創建年代は不祥であるが、中古以来、本地垂迹説が盛んな頃、祭神八柱命と共に本地薬師如来を合祀していたが、1580(天正8)年の羽柴秀吉の兵乱にて、社殿以下悉く烏有に帰し、その後、再建したと伝えられている。氏子戸数は三十九戸と少ないが、よく神域を維持管理している。」

神戸市北区八多町深谷字杉尾920
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参道

一の鳥居



参道

二の鳥居



手水舎

末社

社務所

覆屋

社殿

末社
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粟嶋神社

2024-01-11 17:43:52 | 神戸市北区
2024年1月10日、お参りしました。
「当社の創建は、『奉社伝記』によると、『村内白血病流行により、1538(天文7)年、紀州(現和歌山)加太浦より淡嶋大明神を勧請す。神験忽にして近郷一円篤く崇敬す』と記されている。社殿は、風景絶妙なる粟嶋山の山頂に鎮座している。昭和初期に不審火により社殿炎上するも、約百三十戸の氏子の懸命なる努力により、1930(昭和5)年に再建されたのが現社殿である。社前の石造物である狛犬・燈籠等は、その時の奉献によるものである。」
神戸市北区淡河町野瀬234
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鳥居

参道

手水舎

社務所

狛犬



拝殿



本殿



清水寺遥拝所

末社・八坂神社鈴ノ宮
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有馬温泉街散策

2023-12-01 17:51:31 | 神戸市北区
2023年11月29日、有馬温泉のホテル宿泊で、早めについたので温泉街の散策です。







































地域猫に会った。





















紅葉が素敵ですね。






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屏風八王子神社

2023-12-01 16:40:54 | 神戸市北区
2023年11月29日、お参りしました。
当地区が屏風と呼ばれるのは、往古、八柱権現が天の磐船に乗って降臨し、村主伊賀目に神憑して当社を奉らしめ、その磐船が屏風の如く聳え立っているからという。古来、当村は幡多郷(現・八多)内の一村に八多神社の境外摂社として村内鎮守し、八多神社を大宮と崇る祭祀を行っていたが、明治年間に分離した。当初、淡河弾正の所領地であって、数々の奉納品や、三木城主別所長治奉献の偑刀を所蔵するも、1580(天正8)年の羽柴秀吉の三木城攻めの兵火により、社殿を始め奉納品悉く焼失した。後の1588(天正16)年社殿再建、1742(寛保2)年本殿覆再建等々の棟札を所蔵している。更に1915(大正4)年に本殿・幣殿・拝殿を新築し、翌5年に下宮と称せし岩佐神社を合祀した。
神戸市北区八多町屏風字頓行司362
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鳥居

手水舎

拝殿

本殿

末社、金比羅神社・出雲神社・八柱神社



稲荷神社




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