2024年10月23日、お参りしました。
「当社は、往古『志り知社』と称し、天児屋根命・経津主命を祭祀し、氏の長者が神主となって奉仕してきた。その後、敏達天皇の御宇、聖徳太子が此の地に行啓あって、独菰山適射寺を創立し、『志り知社』の別当となる。1594(文禄3)年、舟越良左衛門殿古検地以前より除地として、祭神春日大明神を尊崇し奉ることは1671(寛文11)年11月12日調製の大地図に明らかである。1673(延宝元)年の頃より、『志り知村』の文字を改めて塩生野村と書き、元禄の頃(1688~)より塩の字を省き生野村となる。また、『志り知社』を春日神社と改称した。明治12年の神社取調べの際、村社に加列せられ、大正元年8月に生野村無格社天満神社を合祀し、生野村字門樋ノ尻へ社地を移転し現在に至る。本殿屋根は、古来桧皮葺であったが、平成10年10月銅板葺屋根とする。境内には、勧請年月不祥ではあるが、天照皇大神を祭神とする末社・神明神社が往古より鎮座し、御神体御箱破損再箱ら『宝永2年(1705)4月朔日」とある。当社は、小さな丘の中央に、松や杉樹の鬱蒼たる森林の中に鎮座しており、近くには摂津名所の一つである百丈岩や鎌倉狭、更に、北区内に供給する水源の千苅水源地があり、桜の名所となっている。」
神戸市北区道場町生野字宮ノ浦882
map
鳥居
参道の階段が続きます。
鳥居
石灯籠
手水舎
狛犬
拝殿
本殿
末社
「当社は、往古『志り知社』と称し、天児屋根命・経津主命を祭祀し、氏の長者が神主となって奉仕してきた。その後、敏達天皇の御宇、聖徳太子が此の地に行啓あって、独菰山適射寺を創立し、『志り知社』の別当となる。1594(文禄3)年、舟越良左衛門殿古検地以前より除地として、祭神春日大明神を尊崇し奉ることは1671(寛文11)年11月12日調製の大地図に明らかである。1673(延宝元)年の頃より、『志り知村』の文字を改めて塩生野村と書き、元禄の頃(1688~)より塩の字を省き生野村となる。また、『志り知社』を春日神社と改称した。明治12年の神社取調べの際、村社に加列せられ、大正元年8月に生野村無格社天満神社を合祀し、生野村字門樋ノ尻へ社地を移転し現在に至る。本殿屋根は、古来桧皮葺であったが、平成10年10月銅板葺屋根とする。境内には、勧請年月不祥ではあるが、天照皇大神を祭神とする末社・神明神社が往古より鎮座し、御神体御箱破損再箱ら『宝永2年(1705)4月朔日」とある。当社は、小さな丘の中央に、松や杉樹の鬱蒼たる森林の中に鎮座しており、近くには摂津名所の一つである百丈岩や鎌倉狭、更に、北区内に供給する水源の千苅水源地があり、桜の名所となっている。」
神戸市北区道場町生野字宮ノ浦882
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鳥居
参道の階段が続きます。
鳥居
石灯籠
手水舎
狛犬
拝殿
本殿
末社