旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

八坂神社

2022-06-10 21:26:43 | 神戸市東灘区
2022年6月9日、お参りしました。青木(おおぎ)の八坂さんと親しまれている。
「青木の地名由来は、保久良神社の祭神が青亀(おうぎ)に乗って漂着した所に社殿を造ったが、アオギが訛って青木(おおぎ)になったという。天保年間(1830~1844)、この地は青木村米屋利兵衛の所有地であったが、村中で買収し方一間春日造りの社殿を建て、1840(天保11)年正月13日神祇管領卜部良長より神明宮・素戔嗚尊・松尾大明神を勧請したという。1913(大正2)年10月11日、八坂講を組織し神明造りの社殿や社務所を造営し、末社として天満天神・大物主命を祀った。奈良時代に荘園制度ができ、青木は本荘庄に属し近隣の村々と合わせ本荘九ケ村と江戸末期まで呼ばれた。その中で最大の村が青木で農・漁・商工業も盛んで、更に酒の灘五郷の東郷(後に魚崎郷)と呼ばれ、酒・酢・焼酎の生産業者、また二十二軒の素麺製造業者もあったという。松尾大明神は、酒造業の神様であるため、例年仕込みに入る3月3日に灘五郷の青木のや役の酒造家が集まって祭典を行っていたが、水質を始め酒造家の減少等の諸事情により、明治中頃に廃絶した。しかし、それらに係わった材木業・建設業・鉄鋼業・商業等は、今日に残り青木地区の産業を支えている。」
神戸市東灘区青木5-1-10
map
鳥居

手水鉢

狛犬



拝殿









末社




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大日霊女(おおひるめ)神社

2022-06-10 20:35:58 | 神戸市東灘区
2022年6月9日、お参りしました。
魚屋道(ととやみち)
「魚屋道は江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲を結ぶ東六甲最古の山越え交通路で、当時の絵地図では、森から山に登り、蛙岩、山の神、風吹岩、東お多福山、本庄橋、一軒茶屋、射場山山腹、有馬のルートを通り、『六甲越え」と呼ばれていた。幕府が、名だから有馬への正規の街道を西宮、宝塚、船坂、有馬の線に定めた後も、遠まわりを嫌った人々はこの道を利用した。そこで、街道沿いの西宮や生瀬などの宿場の承認は、これを『抜け荷の道』と称して、通行禁止を大阪奉行所へ訴え、しばしば紛争が生じた。1806(文化3)年に、灘本庄と有馬の人々がひそかに道の大修理をしている。深江浜の魚は大正時代まで、ここから有馬に運ばれいた。」

由緒書より「1972(昭和47)年迄深江北町4丁目から本庄町3丁目にかけて『薬王寺』という町名が残っていた。その付近に中世に『薬王寺』が建立されていて、真言宗に属し、『大日如来』を本尊として祀っていたが、1481(文明13)年に『薬王寺』住職『観空』は本願寺第八代門主蓮如上人の教化により帰依して、寺号を『延寿寺』に改名、浄土真宗に改宗し、本尊を『阿弥陀如来』とした。そのために寺を出された旧本尊の『大日如来』を村人が引取って、現在地に祀ったのが、この神社の創建だと伝えられている。明治維新まで神仏習合の中で『大日如来』を本尊とする鎮守社が、1868(明治元)年の神仏分離令により分離され、1873(明治6)年村社に列格された。創始以来5百余年にわたり深江の里人から『大日ツァン』と親しまれ、心のよりどころとして崇拝されてきた深江の氏神さまがこの神柱である。1908(明治41)年4月に本殿が新築された。鯛へ宇用戦争の1945(昭和45)年の大空襲で社務所・だんじり庫・樹齢数百年の多くの松も焼失す。戦災を免れた本殿も1995(平成7)年1月の阪神淡路大震災で倒壊し、2000(平成12)年11月に新築再建す。」
神戸市東灘区深江本町3-5-7
map
社標

鳥居

手水鉢

石灯籠

狛犬



拝殿



本殿

末社・深江山の神
「深江では江戸時代より春から里に下りて田の神になり、秋には稲を実らせた後、山に帰るという山の神が広く信仰されていた。山の神は六甲山の深江が見渡せる所に祀られ、日照りに悩まされることの多かった当地の人々が、雨乞いをして五穀豊穣を祈ってきました。石の祠は1858(安政5)年正月に建立され受け継がれてきておりましたが、社会情勢の変化もあり、2004(平成16)年3月に解体搬出作業を行い境内に移設保存して、新しく神殿を建ててお祀りす。」

末社・深江賽の神
「江戸時代より村境の道路に祀らりており、村に疫病など邪気の入るのを防ぎ、又旅人の道中の安全を守る霊力があった。深江では子どもの守り神としても進行が厚く『夜泣きの神様』として有名である。用事が夜と昼を間違えて泣くのを直すのに神殿前の小石を持帰って枕の下に敷くと治ると言い伝えられている。1993(平成5)年2月に神社の近くの北東の場所より移し、新しく神殿を建ててお祀りす。」



稲荷社
「白玉稲荷大明神、末光稲荷大明神を祀る。昔から農業の神様として五穀豊穣をはじめ、商売繁盛、家内安全、無病息災の守護神として、毎年2月に行われる稲荷祭り(初午祭)とともに、長く人びとの厚い信仰をえている。白玉稲荷神社の創建年月は定かではないが、遠く715(霊亀元)年に森の稲荷神社の神様が上陸された所と伝えられている高橋川の右岸にあった『踊り松』の南に森稲荷神社の御分霊が祀られていた。その後私有地となったので、1908(明治41)年1月に森稲荷神社のお旅所とともに、この大日霊女神社境内に移された。末末稲荷神社は1918(大正7)年旧2月24日午の日に祀られ現在に至っている。」














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竈神社

2022-06-08 16:24:04 | 神戸市西区
2022年6月8日、お参りしました。
「当社は別名荒神といい、三宝荒神(仏法僧の三宝の守護神の略)で、日常火を使うところに祀られる神で、竈の神あるいは火の神とされている。一般的には窯の神であると共に農作物の守護神でもある。神出には、古くから伝わる土師器といって、弥生式土器の系統で酸化焔による焼成の赤色素焼の土器を焼く窯と、五世紀始め頃から南朝鮮より製法が伝わった須恵器という、還元焔によって焼成した灰色の比較的硬質で、日常使用した土器を焼く登り窯とがあった。ここ南村には永禄年中(1558~)まで陶器窯があった。陶器を焼くには七窯、九窯、十一窯をおくのが例であるが、神出は九窯で、別につけ窯を加えて十二窯であった。この窯で『火だすき焼』という陶器を製造した。作り方は、貝殻の粉をドロドロにして、器物の表面に油紙の袋を鳥の嘴のようにし、貝殻の泥を入れ、その嘴に似たところから流し、襷を結んだように線を引き、紋を付けた。」
神戸市西区神出町南366
map





稲荷社




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南大年神社

2022-06-08 16:07:23 | 神戸市西区
2022年6月8日、お参りしました。
「当社の創建は1676(延宝4年)4月と伝えられ、まさに集落の繁栄と五穀の豊穣を守護するが如く、南下地区の田畑の中央に鎮座している。現在の本殿は流造りで、氏子が大年講を組織して、神社の維持管理を行っている。その大年講の当番が、9月13日の例祭の準備一切を行う。例祭日には、自治会・子ども会・農会更に水利という各種団体の役員が参列し、五穀豊穣と集落の安全を祈願した後、直会も盛大に行われ、この祭礼が、集落のコミュニケーションの場となっている。神賜行事としては、子ども相撲の奉納がある。子どもは男女を問わず参加でき、また、勝負に関係なく金品が配られるためか、多くの豆力士が集まり賑わっている。」
神戸市西区神出町南20
map








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする