2022年6月9日、お参りしました。青木(おおぎ)の八坂さんと親しまれている。
「青木の地名由来は、保久良神社の祭神が青亀(おうぎ)に乗って漂着した所に社殿を造ったが、アオギが訛って青木(おおぎ)になったという。天保年間(1830~1844)、この地は青木村米屋利兵衛の所有地であったが、村中で買収し方一間春日造りの社殿を建て、1840(天保11)年正月13日神祇管領卜部良長より神明宮・素戔嗚尊・松尾大明神を勧請したという。1913(大正2)年10月11日、八坂講を組織し神明造りの社殿や社務所を造営し、末社として天満天神・大物主命を祀った。奈良時代に荘園制度ができ、青木は本荘庄に属し近隣の村々と合わせ本荘九ケ村と江戸末期まで呼ばれた。その中で最大の村が青木で農・漁・商工業も盛んで、更に酒の灘五郷の東郷(後に魚崎郷)と呼ばれ、酒・酢・焼酎の生産業者、また二十二軒の素麺製造業者もあったという。松尾大明神は、酒造業の神様であるため、例年仕込みに入る3月3日に灘五郷の青木のや役の酒造家が集まって祭典を行っていたが、水質を始め酒造家の減少等の諸事情により、明治中頃に廃絶した。しかし、それらに係わった材木業・建設業・鉄鋼業・商業等は、今日に残り青木地区の産業を支えている。」
神戸市東灘区青木5-1-10
map
鳥居
手水鉢
狛犬
拝殿
末社
「青木の地名由来は、保久良神社の祭神が青亀(おうぎ)に乗って漂着した所に社殿を造ったが、アオギが訛って青木(おおぎ)になったという。天保年間(1830~1844)、この地は青木村米屋利兵衛の所有地であったが、村中で買収し方一間春日造りの社殿を建て、1840(天保11)年正月13日神祇管領卜部良長より神明宮・素戔嗚尊・松尾大明神を勧請したという。1913(大正2)年10月11日、八坂講を組織し神明造りの社殿や社務所を造営し、末社として天満天神・大物主命を祀った。奈良時代に荘園制度ができ、青木は本荘庄に属し近隣の村々と合わせ本荘九ケ村と江戸末期まで呼ばれた。その中で最大の村が青木で農・漁・商工業も盛んで、更に酒の灘五郷の東郷(後に魚崎郷)と呼ばれ、酒・酢・焼酎の生産業者、また二十二軒の素麺製造業者もあったという。松尾大明神は、酒造業の神様であるため、例年仕込みに入る3月3日に灘五郷の青木のや役の酒造家が集まって祭典を行っていたが、水質を始め酒造家の減少等の諸事情により、明治中頃に廃絶した。しかし、それらに係わった材木業・建設業・鉄鋼業・商業等は、今日に残り青木地区の産業を支えている。」
神戸市東灘区青木5-1-10
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鳥居
手水鉢
狛犬
拝殿
末社