旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

明治神宮

2018-06-08 16:41:53 | 東京
2018年6月6日、お参りしました。東京1泊2日の旅行です。アルジェリアのビザ申請の関係で、神戸から羽田へのフライトでホテルアベスト目黒に宿泊しての観光です。ビザ申請が無事に終えパスポートに貼り付けされていました。2日目は雨天で残念です。増上寺にお参りをして、築地本願寺と築地での昼食、大江戸線築地市場駅から青山一丁目駅で、銀座線に乗り換え渋谷駅で乗り換え副都心線で明治神宮前駅に移動です。
東京都渋谷区代々木神園町1番1
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「明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社で、70万平方メートルの面積を有する大きな境内です。」







































拝殿





盆栽展をしていました。

































参拝も済ませて、神戸に帰ります。手荷物を預けていますので、ホテルアベスト目黒に戻ります。千代田線明治神宮前から表参道駅で銀座線に乗り換え、青山一丁目駅で大江戸線に乗り換え麻布十番駅で、南北線で目黒駅に移動です。ホテルで荷物を受け取り、三田線で三田駅で浅草線に乗り換え羽田空港国内線ターミナル駅に移動です。







夜食にネギトロ丼とざるそばセットです。帰りは自動車運転のため、アルコールは自粛。

お疲れさまでした。
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築地本願寺と築地

2018-06-08 16:39:26 | 東京
2018年6月6日、1泊2日の東京観光です。神戸空港から羽田へ、ホテルアベスト目黒に宿泊し、2日目、雨天で残念ですが、増上寺にお参りの後、大江戸線大門駅から築地市場駅に移動します。















築地本願寺
パンフレットより『浄土真宗本願寺派の直轄寺院であり、首都圏における開教活動を担う関東最大の念仏道場です。その発祥は元和3年(1617)、西本願寺(京都)の別院として建立されました。浅草・横山町にあったことから「江戸浅草御堂」と呼ばれていましたが、明暦3年(1657)明暦の大火により焼失。大火後の区画整理のため、幕府より代替地として指定されたのは、八丁堀の海上でした。そこで佃島の門徒が中心となり、海を埋め立てて地を築き延宝7年(1679)に再建され、「築地御坊」と呼ばれるようになりました。この時の本堂の正面は西南(現・築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりは58ケ寺の寺院からなる寺内町でした。大正12年(1923)、関東大震災にともなう火災により焼失したため、建築家の伊東忠太氏の設計により、古代インド仏教様式の外観で昭和9年(1934)に現本堂が落成しました。本堂・正門・北門・南門・石塀が重要文化財に指定されています。』



































内部























築地の商店街に戻ります。雨が降っているので、観光客の皆さんも傘をさしています。













こちらの店で昼食です。海鮮丼が980円で味噌汁とサラダ、茶わん蒸し付で1080円です。






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増上寺

2018-06-08 16:28:00 | 東京
2018年6月6日、東京1泊2日の旅行です。2日目、ホテルアベスト目黒に宿泊し、ビザがラマダンの関係で10時半受け取りなので10時前までホテルでゆっくりとしてチェックアウト、手荷物をフロントに預け、まずはアルジェリア大使館へ、パスポートにビザが貼付されていることを確認し受領しました。そして、目黒駅に戻り、三田線で御成門駅に移動します。少し雨が降ってきました。
増上寺
説明書より『浄土宗の七大本山の一つ、三緑山広度院増上寺(ぞうじょうじ)が正式の呼称です。開山は室町時代の明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聡の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めた。この聖聡が、実質上の開基といえます。文明2年(1470)には勅願所に任ぜられるなど、関東における浄土宗の殿堂として宗門の発展に寄与し大きく発展してきました。江戸時代初期、増上寺法主十二世・源誉存応上人、後の「観智国師」は徳川家康公から深く帰依を受け、手厚い保護もあり増上寺は大隆盛へと向かっていきました。徳川将軍家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として興隆し、浄土宗の統制機関となりました。その大きさは、寺領一万石余、二十数万坪の境内地、山内寺院四十八宇、学寮百数十軒、常時三千名の僧侶が就学する大寺院でした。現在でも浄土宗大本山として格式を保ち、宗教活動の他文化活動も幅広く行われ、建造物、古文書、経典など多数の重要文化財を保管しています。』

東京都港区芝公園四丁目7番35号
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東京タワーが見えます。



熊野神社









三解脱門{三門}(重要文化財)
「江戸前期の元和7年(1621)建立、五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、左右繋ぎ塀及び山廊付、繋ぎ塀 左右各二間、板葺、山廊 左右各桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺。」





黒門
「慶安年間(1648~1652年)、三代将軍家光公の寄進・建立とされています。」

大殿



安国殿

西向聖観世音菩薩



千体子育地蔵菩薩





徳川将軍家墓所







増上寺会館

光摂殿

境内

鐘楼


















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ホテルアベスト目黒

2018-06-08 16:23:48 | 温泉、旅館、ホテル
2018年6月5日、利用しました。今回はアルジェリアへの個人旅行で、アルジェリア大使館へのビザ申請と受け取りの関係で目黒駅周辺ということで、こちらのホテルを利用しました。神戸空港7時5分のフライトで朝に到着し、手荷物をフロントに預け、大使館へ出向き、その後は都内観光をしました。都営地下鉄と東京メトロの1日乗車券(900円)で観光しました。2日目のチェックアウトの後にも手荷物を預けての観光でした。
フロント

ウェルカムサービスでコーヒーなどが無料で飲めます。

レストラン

室内





朝食バイキング(1200円)


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ニコライ堂・神田明神・湯島聖堂

2018-06-08 16:22:40 | 東京
2018年6月5日、東京観光1泊2日の旅行です。根津神社をお参りし千代田線根津駅から新御茶ノ水駅に移動します。
ニコライ堂(日本ハリストス正教会教団復活大聖堂)
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「ニコライは文久元年(1861)ロシヤより来日した伝道師で、ニコライ堂はニコライによって建てられた正教会の聖堂である。原設計はミハノール、アレフイエウイチシチユールポスで、実施設計はコンドルと伝えられる。明治17年(1884)に起工、明治24年(1891)に竣工された。様式はロシヤビザン風、構造は煉瓦造である。関東大震災後の復興により、現状はかなり変ったが窓枠を除く壁体が当初のまゝを残しているのに価値が認められる。」

























神田明神
東京都千代田区外神田2丁目16番
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説明書より『正式名称は神田神社、東京都心108町会の総氏神様で、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内、そして東京の食を支える市場の発祥地の氏神様として、青果市場・魚市場の人々からもあつく崇敬されております。縁結び、商売繁盛、社運隆盛、除災厄除、病気平癒など数多くのご神徳をお持ちの神々です。当社は、天平2年(730)のご創建で、江戸東京の中で最も歴史のある神社の一つです。はじめは現在の千代田区大手町・将門塚周辺に鎮座していましたが、徳川家康公が江戸に幕府を開き江戸城が拡張された時、江戸城から表鬼門にあたる現在の地へ遷座いたしました。それ以降、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として幕府から江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬をうけました。さらに、明治に入り、准勅祭社・東京府社に列格し皇居・東京の守護神と仰がれ、明治天皇も親しくご参拝になられました。境内には、日本初の本格的な鉄骨鉄筋コンクリート・総漆朱塗造の御社殿や、総檜造の随神門、神社授与所・参拝待合所・鳳凰殿・明神会館・資料館などがあります。拝殿・幣殿・本殿・東門・西門・神饌所・宝庫・瑞垣は登録有形文化財です。』

鳥居



隋神門



























手水舎

石獅子(千代田区指定有形民俗文化財)
「本石獅子は、区内に残る数少ない江戸期の石造物の一つであり、当時の庶民の信仰を知る上で貴重な史料である。文久2年(1862)11月両替仲間より神田神社前へ、岩石を積み、石にて刻みし獅子の子落としの作り物を納めたとされている。」





拝殿・幣殿・本殿(登録有形文化財)
「鉄骨鉄筋コンクリート造平屋建、銅板葺、建築面積335㎡。中央間を広く取った桁行7間,梁間6間,入母屋造,本瓦型銅板葺で,正面5間に向拝を付し,両脇突出部に切妻屋根を架ける。内部は前方四半敷の土間,後方畳敷床上部とする。社殿群中最大の建物で,伝統的構成を基本にしつつ,装飾や比例に新感覚が充溢する。」



祭務所

神楽殿

鳳凰殿





通りの商店の神輿

湯島聖堂(史跡名勝天然記念物)
神田明神から新御茶ノ水駅に戻る東側にあります。
「江戸時代の元禄3年(1690)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となった。」





























東京駅

三田線大手町から目黒駅に移動します。
歩き疲れたので目黒駅前のテング酒場で夕食を兼ねて生ビールで舌鼓。
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根津神社

2018-06-08 16:18:51 | 東京
2018年6月5日、東京都内2日間観光で根津神社にお参りしました。浅草寺から上野東照宮へ、そして、銀座線上野駅から三越前で乗り換え、半蔵門線で大手町駅乗り換えで千代田線で根津駅に移動します。都営地下鉄と東京メトロ1日乗車券は便利でありがたいですね。
東京都文京区根津一丁目28番9号
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「根津神社は今から1900年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。」
鳥居

境内図



楼門(重要文化財)
「江戸中期の宝永3年(1706)築造、三間一戸楼門、入母屋造、桟瓦葺。」

















手水舎

舞殿

唐門(重要文化財)
「一間一戸平唐門、銅瓦葺。」





透塀(重要文化財)





拝殿・幣殿・本殿(重要文化財)















狛犬



西門(重要文化財)

乙女稲荷神社
千本鳥居

























駒込稲荷









徳川家宣胞衣塚


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上野東照宮

2018-06-08 16:16:47 | 東京
2018年6月5日、お参りしました。2日間の東京観光で上野公園に行きました。
説明書より『藤堂高虎(1556~1630)は上野山内の屋敷の中に、徳川家康を追慕し、家康を神とする宮祠を造った。これが上野東照宮の創建といわれている。あるいは寛永4年(1627)、宮祠を造営したのが創建ともいう。もとは「東照社」と称していたが、正保2年(1645)に宮号宣下があり、それ以降家康を祭る神社を東照宮と呼ぶようになった。現在の社殿は慶安4年(1651)、三代将軍家光が大規模に造り替えたもので、数度の修理を経ているが、ほぼ当初の姿を今に伝える。社殿の構造は、手前より拝殿、幣殿、本殿からなり、その様式を権現造りという。社殿は都内でも代表的な江戸時代書記の権現造りで、華麗荘厳を極めている。唐門、透塀は社殿とともに構造、様式が優れており貴重であることから、参道入口の石造明神鳥居、唐門前に並ぶ銅燈籠四十八基と合わせて国の重要文化財に指定されている。』

鳥居

案内図







参道



手水舎



神楽殿
「明治7年(1874)、深川木場組合奉納、屋根の勾配の美しさは都下随一といわれています。」

銅燈籠(重要文化財)
「全48基、寛永慶安年間に諸大名が奉納。唐門両側の6基は、内側より紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より2基ずつ寄進されたものです。」





狛犬



唐門(重要文化財)
「慶安4年(1651)造営、唐破風造り四脚門、柱内外に左甚五郎作、昇り龍、降り龍の彫刻がある。錦鶏鳥・銀鶏鳥の透彫は精巧で美しく、室町時代の技術を集大成したものとして評価されています。内側の透彫は諫鼓鳥という中国の故事に由来し、皇帝が朝廷の門前に太鼓を置き、政治に誤りがある時に人民にそれを打たせ訴えを聞こうとしたが、善政のため打たせることは無く、太鼓に鶏が住みつくほどであったと言う話に基づいています。天下泰平の願いを込めて彫られたと考えられています。」

























御神木の大楠
「樹齢600年以上で幹の太さが8m異常で上野公園一です。」

栄誉権現
「御狸様ともよばれています。江戸時代に大奥など安置される各所に災いをもたらし、天正年間に東照宮に寄贈されてから災いがなくなったといわれています。」

本殿、幣殿、拝殿(重要文化財)、拝観料500円













































透塀(重要文化財)




















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上野恩賜公園、寛永寺清水堂、五條天神社、寛永寺五重塔

2018-06-08 16:14:13 | 東京
2018年6月5日、2日間の日程で東京観光に行きました。都営地下鉄・東京メトロ一日切符で、銀座線浅草駅から上野駅に移動です。
上野恩賜公園の案内図
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寛永寺清水堂(重要文化財)
「江戸前期の寛永8年(1631)建立、桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺。」













不忍池







不忍弁財天





大黒天堂
「豊臣秀吉公が大切に護持された大黒天が祀られる。寛永寺の伽藍の一つ。」







五條天神社
由緒書より「第十二代景行天皇の御代、日本武尊が御東征の際、上野の忍岡で薬祖神二柱の大神が奇瑞を現し給い難を救われたので、ここに両神をお祀りしたと伝えられている、東都屈指の古社である。江戸時代、社地は神職の瀬川屋敷(上野公園下・旧五條町)に遷り、御創祀に近い現地に昭和3年に遷座になりました。」

















花園稲荷神社



時の鐘



寛永寺五重塔(重要文化財)
「江戸前期の寛永8年(1631)建立、三間五重塔婆、五重銅瓦葺、他本瓦葺。旧東照宮五重塔、明治時代に神仏分離令が発令され、五重塔は仏教施設であることから全国の神社所有の五重塔は多くが破壊されました。当宮の五重塔も取り壊しの対象となりましたが、美しい姿を何とか残したいと当時の宮司は熟慮を重ね、五重塔を手放すこととし塔は寛永寺の所属であると国に申し出しました。東照宮五重塔は寛永寺五重塔と名前を変えましたが、その機転により取り壊しは免れました。塔の高さは32m、全層が和風様式です。」


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浅草寺・浅草神社・仲見世商店街

2018-06-08 16:10:59 | 東京
2018年6月5日、2日間の日程で東京観光に行きました。神戸空港から朝7時5分のフライトで羽田空港に到着、京急空港線で泉岳寺まで450円で切符を買い、一度下車します。そして、自動販売機で都営地下鉄と東京メトロ一日乗車券900円を購入します。乗り放題のコツは路線と行先を確認しながらどこの駅で乗り換えるかを見ておくことです。何しろ、地名が判らないので、路線図を見ながらどこ行きかを見ての乗車です。まずは、押上方面行きで三田駅で三田線に乗り換えで目黒駅に向かいます。目黒駅前のホテルアベスト目黒に行きます。目黒の大使館にビザ申請と受け取りの関係でこちらの駅近のホテルを利用しました。早朝の到着でしたが、荷物を預けて、大使館にビザ申請に行きました。
取りあえず、大使館で申請を済ませましたので、観光をすることにしました。目黒駅まで戻り三田線で三田駅より浅草線に乗り換え、浅草駅で下車です。駅から北向きに歩きます。
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浅草観光案内図

雷門

凄い人でいっぱいです。女性は浴衣姿で良いですね。

雷門から浅草寺までの参道が仲見世商店街となっています。人だらけ。外国人の観光客もたくさん来ています。













伝法院通りから東方向にスカイツリーが見えます。











浅草寺(せんそうじ)
説明書より「縁起によれば推古天皇36年(628)、隅田川で魚を捕る兄弟が一躯の仏像を感得した。郷司の土師中知に示した処、観世音菩薩像とわかった。そこで、この兄弟は深く帰依し、中知は自ら出家し、自宅を寺に改めて尊像を祀ったのが朝草寺の始まりである。ご本尊が示現して17年後、大化元年に勝海上人が浅草寺に来られ、観音堂を建立し、本尊を秘仏に定めた。平安時代中期、天慶5年(942)安房の国守であった平公雅は京に帰る途次も浅草寺に参拝した。その折、次は武蔵の国守に任ぜられるように祈願した処、その願いがかなったことから、そのお礼に堂塔伽藍を再建し、田地数百町を寄進したと伝えられる。その伽藍に法華堂と常行堂の諸堂があったことから天台宗の法の流れに属していたことが知られる。」
境内案内図

宝蔵門









五重塔





三宝荒神堂

本堂







手水舎、天井には龍の絵が描かれています。









二天門(重要文化財)
「三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺。」





浅草神社(あさくさじんじゃ)
説明書より『祭神は土師真中知命・桧前浜成命・桧前竹成命・東照宮である。浜成と竹成は隅田川で漁猟中、浅草寺本尊を網で拾い上げた人物、真中知はその像の奉安者といわれている。三神を祀る神社なので「三社様」と呼ばれた。しかし鎮座年代は不祥。東照宮は権現様すなわち徳川家康のことで、慶安2年(1649)に合祀された。以来、三社大権現といい、明治元年(1866)三社明神、同6年浅草神社と改称した。現在の社殿は慶安2年10月、徳川家康が再建したもの。建築様式は、本殿と拝殿の間に「石の間」(幣殿・相の間ともいう)を設け、屋根の棟数の多いことを特徴とする権現造。この社殿は江戸時代初期の代表的な権現造として評価が高い。」



狛犬





神楽殿

拝殿
























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アルジェリア大使館でのビザ申請

2018-06-08 16:07:25 | 日記
目黒の大使館にビザ申請と受け取りについて、通常は旅行会社での申請がほとんどだと思います。なかなか個人旅行では難しいようです。目黒駅から北西に約1kmの住宅街の中にあります。前もって、地図を確認してから行くといいですね。
平日のビザ申請は9時半から10時45分まで、受け取りは2営業日の15時30分から16時30分まで。ただし、ラマダン期間中は10時30分から11時30分まで、遠方の方は事前に電話で相談されるといいと思います。玄関が2重扉となっていますので、必ず手前は締めて入ってください。そして、中にインターホーンがありますので押すと開けてくれます。受付の方は日本語での対応ができますので、安心です。
在日アルジェリア大使館
東京都目黒区三田2丁目10-67
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下記の大使館のホームページより、事前にビザ申請書をダウンロードしてくださぃ。PDF形式となっていますが、直接入力できるようになっています。

ビザ等取得のための手続きについて


ビザ申請書の書き方


必要書類について
観光ビザを必要とする申請者は、アルジェリアの観光エージェントにコンタクトする必要があります。このビザについては、アルジェリア当局の許可対象となります。
全ての書類が一人ごとに2部が必要です。

1.ビザ申請書

2.アルジェリア国内で滞在する滞在先の証明書が必要となります。これがなかなか難点ですね。
下記のいずれかを準備する。

①アルジェリア現地の旅行代理店からの招待状
②現地の家族や親戚、知人宅などの民間人の家に滞在する場合は、
宿泊証明書(Attestation d’hébergement)にア ルジェリア国内の
市役所の認証を受けたもの
③ホテル予約確認書
インターネットを通して予約した確認書ではビザ申請できません。
現地ホテルが発行した宿泊証明(現地責任者サイン)が必要です。
現地ホテルに問い合わせて取得するようにしてください。

3.英語またはフランス語でアルジェリア国内での旅行日程表

4.往復予約済みの航空券等の写し(E-TICKET)

5.パスポートの原本 ビザがOKであれば、パスポートに貼り付けされます。

受付の女性の方は、親切に応対していただきました。観光用ビザ費用は一人4800円です。前もって、人数分の金額を用意してください。または受け取り時に支払いをしてくださぃ。
コメント (8)
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