旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

慶野事代主神社(ことしろぬしじんじゃ)

2025-01-07 18:02:01 | 淡路
2025年1月4日、お参りしました。
「名勝『慶野松原』にあるこの神社は、北の戎とも呼ばれており、正月の例祭には的矢の神事が行われていました。また、土用の丑の日には、近郷より多くの人たちが集まり、鳥居前の浜辺で焦砂に身を伏しての病の治癒や牛馬の生育を願った水浴も近年まで行われており、慶野の湯治とも言われていたと、郷土の歴史を刻む地誌『味地草』にも記されています。主祭神は事代主大神で、通称戎神社と呼ばれています。例祭は1月15日です。創立年代不詳、1919(大正8)年、本殿拝殿を再建。」
慶野松原の公園内に鎮座しています。
兵庫県南あわじ市松帆慶野1091
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鳥居、浜辺に建立されています。

説明書

参道

拝殿

本殿
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慶野八幡神社

2025-01-07 17:51:30 | 淡路
2025年1月4日、お参りしました。
「誉田別命と天照大神を祀っています。創立年月不詳、明治6年(1873)、村社に列せられる。」
兵庫県南あわじ市松帆慶野1
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鳥居

参道

手水舎





例祭

拝殿



狛犬



本殿
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瑞井八幡神社

2025-01-07 17:15:13 | 淡路
2025年1月4日、お参りしました。
「平安時代初期の806年、桓武天皇の勅命により、征夷大将軍坂上田村麻呂が東北地方の蝦夷征伐の際に、戦勝を祈願して創建したとされています。その後、源頼朝や足利尊氏など、多くの武将が参拝したと伝えられています。例祭は4月14日に行われ、神輿渡御やだんじり巡行、奉納芸能などが行われます。祭神は、応神天皇、仲哀天皇、仁徳天皇、神功皇后、伊弉諾命、伊弉冉命、保食命、天忍日命、稚日女命、月夜見命です。」
兵庫県南あわじ市松帆北方421
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社標

鳥居

神門





参道の階段、幅が狭くて急です。

拝殿







狛犬



本殿













末社・秋葉神社






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大和大圀魂神社

2025-01-07 15:45:49 | 淡路
2025年1月4日、お参りしました。
由緒書より「古より八太の二ノ宮と尊称し、皇室を初め世人の崇敬厚く臨時祭及び祈年国幣に預り給ひ1280有余年の星霜を経移転なき旧社たる事青史に明らかなり。当国伊弉諾神社を以って一ノ宮とし本社を以って二ノ宮と称す。文徳天皇仁寿元年官社に列し、清和天皇貞観元年従一位に叙せらる。醍醐天皇延喜の制に名神大社に列し名神祭及び祈年国幣に預り給ひ淡路国税の内八百束(現在の米16石)を祭料に充てらる。文武天皇慶雲元年諸社に下賜ふものと伝うる古銅印に現在重要文化財に指定され今尚当社に所蔵す。土御門天皇元久2年庁舎宣により祭料を下され其神を祭り土民群衆桜花を賞す。世に二ノ宮の桜祭と称し世人の知る所なり。後当国二ノ宮と仰がれ公武の崇敬浅からず。江戸時代蜂須賀候深く当社を信仰し元禄15年社領に友を下賜ひ代々祈願所と定め深く当社を崇敬し社殿の改築等度々行ない実文10年本殿再興、文政12年、天保14年諸殿建立、然る所王政復古御維新以来廃藩置県の制度に改まり其道絶せり。明治6年県社に列し三原郡一円信徒たるを以って郡費を充て明治10年本殿及び諸建物悉皆新築し現今に至る。当社は大国主神即ち大己貴神なり其故は大黒の神影を摺て世に弘め配る古板ありて今猶珍伝し近世新に神影を彫刻して用ゆなり。郷土作りの神、医薬の神、難病祈封の神、人体五行の神、病気祈願の神様として神霊あらたかなり。」
兵庫県南あわじ市榎列上幡多857
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社標

鳥居

参道







由緒書

手水舎

拝殿

歌碑

本殿
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淡路国分寺

2025-01-07 14:57:09 | 淡路
2025年1月4日、お参りしました。
説明書より「国指定史跡 淡路国分寺塔跡。天平の昔に建立された淡路国分寺の今に遺る壮大な塔跡である。中心礎石は、塔跡基壇に建てられた大日堂の中にあり、直径約1.36メートルの円形の自然石の表面を加工、直径約75センチメートルの円柱座と、さらにその上にホゾを彫り出している。これを中心に188.93平方メートルが指定されたが、この範囲には、中心礎石のほかに五個の礎石がある。塔跡は一辺13~14メートルの基壇の推定され、また、中心礎石は、北へ約2メートル移動していることがわかった。」
兵庫県南あわじ市八木国分331
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説明書
「木造釈迦如来坐像(国指定重要文化財)、聖務天皇は、741(天平13)年に、万民豊楽、国家鎮護を祈念して、国ごとに僧寺、尼寺の建立を命じました。当国分寺もその一つで創建当時の建物は失われていますが、礎石等の遺構から往年の盛時がしのばれます。即ち、現在、大日堂の立っているところが塔跡で当時の心礎があり、その周辺部に十個の礎石が残っています。また、八葉の連辨をもつ唐草模様の古瓦が附近から出土しており、これらから創建当時の塔、金堂、講堂、南大門、中門等各伽藍の立ち並んでいた様子が想像でき当時の境内は、昭和62年度に実施した調査により、寺域は東西約170m、南北約210mであるとわかりました。
 本尊は木造の丈六釈迦如来坐像です。像高は236cmの堂々としたもので、像内の背部に1340(暦応3)年の墨書銘があります。現存する諸国分寺の多くは薬師如来を本尊としていますが、国分寺本来の本尊である丈六の釈迦如来を本尊としている事は特筆すべきです。国の重要文化財に指定されています。
 本尊と共に収蔵されている飛天坐像は、平安後期の作で像高53.7cmの木造で、両手を失っていますが、小品ながら極めておだやで仏の徳と賛嘆供養している様子がよく表現されており、兵庫県の重要文化財に指定されてます。」



史跡淡路国分寺塔跡



大日堂

菩提樹

旧本堂







本堂

鎮守社

忠魂碑

観音像
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事代主神社

2022-01-27 21:35:16 | 淡路
2022年1月26日、お参りしました。
「創立年月は不祥、古来から淡路・東浦を代表する漁師街・仮屋の『えべっさん』として漁師の方々を始めとして仮屋周辺の地域の方々から篤い崇敬を集めてきたお宮です。御祭神の事代主命については、対岸の西宮にある『えべっさん』の総本宮として名高い西宮神社から勧請されたものと伝わっております。」
兵庫県淡路市下田217
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鳥居

拝殿





本殿・住吉神社



本殿・恵比須神社


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里春日神社

2022-01-27 21:27:44 | 淡路
2022年1月26日、お参りしました。
「創立年は不詳、伝として天平年間に行墓菩薩開基の覚王寺の鎖守の神として勧請されたと云われている。1325(正中2)年に鋳造した梵鐘が、洲本市上内膳蓮光寺に現存し、その銘に『淡路国塩田庄櫟田宮』とあり、1333「(正慶2)年改鋳の事が刻まれており、この鐘が元は当社のもので、後世に洲本の八幡神社に移り現寺院に渡った。1819(文政2)年に社殿を焼失し、あらためて大和国春日神社より御分霊を勧請し社殿を再興したことが、現在の棟札(上棟文政4年11月26日)に記されている。1870(明治3)年徳島藩民政庁より金一千疋が奉納され、1873(明治6)年2月に郷社に列せられ、1890(明治23)年に境内を整備、本殿を現在地へ遷し幣殿、拝殿を新築した。1957(昭和3)年10月に本殿屋根替、境内神社等の大営繕をなし、戦時中供出していた神鹿像を再建、境内整備、また、1985(昭和60)年3月本殿を銅板屋根に葺改め、1986(昭和61)年12月に幣殿屋根を葺替した。」
兵庫県淡路市里櫟田333
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鳥居

神門

社標

狛鹿



手水舎

狛犬



拝殿









本殿











地神神社

住吉神社

熊野神社

稲荷神社








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宝生寺

2022-01-27 21:11:38 | 淡路
2022年1月26日、お参りしました。
「淡路島七福神霊場の一つで、寿老人を御祀りしています。740(天平13)年、聖武天皇の勅命をうけ、僧行基が淡路島に建立を祈念し、自から刻まれた地蔵菩薩を安置したのが創まりと伝えられています。」
兵庫県淡路市里326
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手水鉢





本堂







玄関










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神光寺・安覚寺

2022-01-27 20:06:24 | 淡路
2022年1月26日、お参りしました。
神光寺
高野山真言宗の寺院、淡路四国第84番札所、山号は五智山と号す。
兵庫県洲本市山手町3-5-11
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寺標

参道の階段を登ります。









本堂





地蔵尊



安覚寺
高野山真言宗の寺院、淡路四国第85番札所
兵庫県洲本市山手町3-5-1
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坂道を登ります。



寺標


























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洲本の寺町

2022-01-27 18:13:01 | 淡路
2022年1月25日、お参りしました。寺町を北から南に進みます。7つのお寺が南北で並んでいます。洲本寺町は、1631(寛永8)年、由良引け(政治・経済の中心を由良から洲本に移す事業)により洲本城下西方の防御のために形成された。
寺町
右手に白い壁が続きます。

浄泉寺
真宗大谷派の寺院、山号は楠林山と号す。
山門



本堂





本妙寺
法華宗本門流の寺院です。

山門

本堂







鎮守社

五輪塔

玄関

白壁が続きます。

千福寺
高野山真言宗の寺院、山号を玉青山と号す。愛染明王を本尊とする。
山門

除病門の額

本堂





薬師堂
洲本最古の仏、薬師瑠璃光如来、子安地蔵菩薩を祀っています。







鎮守・稲荷社











次の寺院に向かいます。猫さんが散歩しています。

遍照院
高野山真言宗の寺院、山号は新高野山と号す。開創は不祥。寺町移築の当時は地蔵寺であった。木食観正(もくじきかんしょう)上人、洲本大工町に生まれた俗の名は喜作という。30歳の時、地蔵寺第7世住職本實上人のもと得度し、日本各地を木食行者として修行に励んだ。木食行というのは、出家後穀物を断ち、草の根や木の皮を食べ木食戒を守り厳しい修行に打ち込むことで余にも危除なため明治事態にこの行は禁止された。
寺標





山門















庫裏

本堂















幸せ六地蔵

青龍権現

賓頭盧尊者



馬頭観音菩薩・芭蕉句碑





大村純安(1850(嘉永3)~1870(明治3))
「常盤町在住の徳島藩医大村純道の長男。15歳で江戸に学ぶ。徳島藩士となり明治3年に起こった庚午事変(稲田騒動)で稲田家中を襲撃したことにより切腹。享年21歳。我が国最後の切腹刑とされる。この事変により徳島本藩側は斬首10名。稲田家中は北海道移住を命ぜられた。左の小さな墓は幼い時に亡くなった純安の姉のもの。」



藤江石亭、1741年生まれ、1815年に74歳で没した。徳島藩洲本学問所の教官となり、淡路一の碩学とうたわれた。

地蔵菩薩





専称寺
浄土宗の寺院、本尊は阿弥陀如来、山号を心念山と号す。稲田騒動を慰霊するために庚午志士碑が建てられています。
寺標

山門

本堂







庚午志士碑





鎮守堂・妙見宮

称名寺
西山浄土宗の寺院、山号は護念山と号す。
寺標

山門

本堂

観音堂



不動堂





浄光寺
浄土真宗本願寺派の寺院、山号は梅林山と号す。
山門

本堂

お疲れさまでした。
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