2021年11月18日と19日、石切温泉のホテルセイリュウに宿泊し散策しました。
ホテルに16時前に到着しましたので、周辺の散策です。
阿弥陀堂
千手寺
「役行者が開基し、空海が中興したといわれている真言宗の名刹です。別名を光堂と呼ばれ、西方に沈む夕日に浄土への思いをかける念仏の道場でもありました。平安時代、戦火で焼失し、本尊の千手観音はひとり深野池に飛び入り、後日、光を放っているのを在原業平が発見して寺を中興したと当寺の縁起に伝わっています。仏像、絵画、仏教法具などは府・市の文化財に指定されています。境内に横穴式古墳があります。」
石切大仏
日本で三番目
「高さ6m重さ120トン、1914年に石切にて創業した阪本漢方製薬(旧:阪本ふさ製薬所)の四代目当主の阪本昌胤氏が1972年に石切山大仏寺を創建し、1980年に石切大仏を建立された。」
石切参道商店街案内図
石切不動明王
北向地蔵堂
石切劒箭(つるざや)神社
「『石切さん』と親しまれ、参拝者が絶えません。平安時代の『延喜式』に記されている千年以上の歴史をもつ神社です。神名は石をも切る鋭利な剣と矢を意味します。祭神は古代の軍事をつかさどった物部氏の祖神饒速日命とその子可美真手命の二神です。物部氏の一族、穂積氏がまつっています。現在の社家は、かつて穂積氏と称していた木積氏です。奈良時代には、神社の傍に法通寺を建立され、その寺跡が残されています。拝殿前のクスノキは樹齢約五百年、東大阪市指定文化財です。」
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境内案内図
随神門
参道
社標
鳥居
手水舎
水神社
神馬
クスノキ
神楽殿
神猫
拝殿
五社明神社
神武社
遥拝所
授与所
19日の散策です。
一番大師堂
爪切地蔵
石切劒箭神社上之社
「石切劒箭神社は神武紀元2年、現在の生駒山山頂に程近い宮山に饒速日尊を奉斎した事をもって創祀と致します。その後、崇神天皇の御代には可美真手命を奉斎するため下之社が創建され、長らく饒速日尊を祀る宮山、可美真手命を祀る下之社として祭祀が継承されました。1650(慶安3)年宮山の御神座は光堂山(現在の上之社鎮座地)に御遷座が行われ、下之社に対して上之社と称されるようになります。しかしながら時代が下って明治40年、政府の神社合祀政策によって上之社は下之社に合祀される事となります。その後上之社跡地として石碑のみを有する形となりましたが、崇敬される参拝者は後を絶たず、多くの方々の御懇志により昭和47年に再興され現在に至ります。現上之社の御本殿は、元は下之社本殿として造営された室町時代の建築によるもので、現本社本殿造営を機に解体保存されていたものです。」
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参道
熊繁大神
白光大神
浪切不動尊
石切水子地蔵尊
熊繁大神
白光大神
ホテルに16時前に到着しましたので、周辺の散策です。
阿弥陀堂
千手寺
「役行者が開基し、空海が中興したといわれている真言宗の名刹です。別名を光堂と呼ばれ、西方に沈む夕日に浄土への思いをかける念仏の道場でもありました。平安時代、戦火で焼失し、本尊の千手観音はひとり深野池に飛び入り、後日、光を放っているのを在原業平が発見して寺を中興したと当寺の縁起に伝わっています。仏像、絵画、仏教法具などは府・市の文化財に指定されています。境内に横穴式古墳があります。」
石切大仏
日本で三番目
「高さ6m重さ120トン、1914年に石切にて創業した阪本漢方製薬(旧:阪本ふさ製薬所)の四代目当主の阪本昌胤氏が1972年に石切山大仏寺を創建し、1980年に石切大仏を建立された。」
石切参道商店街案内図
石切不動明王
北向地蔵堂
石切劒箭(つるざや)神社
「『石切さん』と親しまれ、参拝者が絶えません。平安時代の『延喜式』に記されている千年以上の歴史をもつ神社です。神名は石をも切る鋭利な剣と矢を意味します。祭神は古代の軍事をつかさどった物部氏の祖神饒速日命とその子可美真手命の二神です。物部氏の一族、穂積氏がまつっています。現在の社家は、かつて穂積氏と称していた木積氏です。奈良時代には、神社の傍に法通寺を建立され、その寺跡が残されています。拝殿前のクスノキは樹齢約五百年、東大阪市指定文化財です。」
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境内案内図
随神門
参道
社標
鳥居
手水舎
水神社
神馬
クスノキ
神楽殿
神猫
拝殿
五社明神社
神武社
遥拝所
授与所
19日の散策です。
一番大師堂
爪切地蔵
石切劒箭神社上之社
「石切劒箭神社は神武紀元2年、現在の生駒山山頂に程近い宮山に饒速日尊を奉斎した事をもって創祀と致します。その後、崇神天皇の御代には可美真手命を奉斎するため下之社が創建され、長らく饒速日尊を祀る宮山、可美真手命を祀る下之社として祭祀が継承されました。1650(慶安3)年宮山の御神座は光堂山(現在の上之社鎮座地)に御遷座が行われ、下之社に対して上之社と称されるようになります。しかしながら時代が下って明治40年、政府の神社合祀政策によって上之社は下之社に合祀される事となります。その後上之社跡地として石碑のみを有する形となりましたが、崇敬される参拝者は後を絶たず、多くの方々の御懇志により昭和47年に再興され現在に至ります。現上之社の御本殿は、元は下之社本殿として造営された室町時代の建築によるもので、現本社本殿造営を機に解体保存されていたものです。」
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参道
熊繁大神
白光大神
浪切不動尊
石切水子地蔵尊
熊繁大神
白光大神