旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

石切駅(東大阪市)周辺の寺院・店舗

2021-11-20 21:40:19 | 大阪
2021年11月18日と19日、石切温泉のホテルセイリュウに宿泊し散策しました。
ホテルに16時前に到着しましたので、周辺の散策です。
阿弥陀堂





千手寺
「役行者が開基し、空海が中興したといわれている真言宗の名刹です。別名を光堂と呼ばれ、西方に沈む夕日に浄土への思いをかける念仏の道場でもありました。平安時代、戦火で焼失し、本尊の千手観音はひとり深野池に飛び入り、後日、光を放っているのを在原業平が発見して寺を中興したと当寺の縁起に伝わっています。仏像、絵画、仏教法具などは府・市の文化財に指定されています。境内に横穴式古墳があります。」



















石切大仏
日本で三番目
「高さ6m重さ120トン、1914年に石切にて創業した阪本漢方製薬(旧:阪本ふさ製薬所)の四代目当主の阪本昌胤氏が1972年に石切山大仏寺を創建し、1980年に石切大仏を建立された。」



石切参道商店街案内図



石切不動明王











北向地蔵堂























石切劒箭(つるざや)神社
「『石切さん』と親しまれ、参拝者が絶えません。平安時代の『延喜式』に記されている千年以上の歴史をもつ神社です。神名は石をも切る鋭利な剣と矢を意味します。祭神は古代の軍事をつかさどった物部氏の祖神饒速日命とその子可美真手命の二神です。物部氏の一族、穂積氏がまつっています。現在の社家は、かつて穂積氏と称していた木積氏です。奈良時代には、神社の傍に法通寺を建立され、その寺跡が残されています。拝殿前のクスノキは樹齢約五百年、東大阪市指定文化財です。」
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境内案内図

随神門









参道

社標

鳥居



手水舎

水神社

神馬



クスノキ

神楽殿

神猫



拝殿


五社明神社





神武社

遥拝所

授与所









19日の散策です。
一番大師堂



爪切地蔵



石切劒箭神社上之社
「石切劒箭神社は神武紀元2年、現在の生駒山山頂に程近い宮山に饒速日尊を奉斎した事をもって創祀と致します。その後、崇神天皇の御代には可美真手命を奉斎するため下之社が創建され、長らく饒速日尊を祀る宮山、可美真手命を祀る下之社として祭祀が継承されました。1650(慶安3)年宮山の御神座は光堂山(現在の上之社鎮座地)に御遷座が行われ、下之社に対して上之社と称されるようになります。しかしながら時代が下って明治40年、政府の神社合祀政策によって上之社は下之社に合祀される事となります。その後上之社跡地として石碑のみを有する形となりましたが、崇敬される参拝者は後を絶たず、多くの方々の御懇志により昭和47年に再興され現在に至ります。現上之社の御本殿は、元は下之社本殿として造営された室町時代の建築によるもので、現本社本殿造営を機に解体保存されていたものです。」
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参道























熊繁大神



白光大神



浪切不動尊

石切水子地蔵尊







































熊繁大神

白光大神








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大長寺

2020-11-21 00:14:02 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
「もとは網島にあったが、1909年(明治42年)に現在地に移転した。1720年(享保5年)10月14日、十夜まつりの夜、天満の紙屋治兵衛と曽根崎新地の遊女小春が、大長寺で心中した。近松門左衛門がこの事件を浄瑠璃に仕立てたのが名作『心中天網島』で、境内には2人を供養するために建てられた紙治・小春比翼塚がある。」
大阪府大阪市都島区中野町2-1-14
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山門














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桜宮神社

2020-11-21 00:02:42 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
説明書より「この神社は、もと東成郡田村にありました。1620年(元和6年)の大和川洪水で社殿が流され、この近くに漂着したためその場所から社殿を再建しました。低地であったことから、1756年(宝暦6年)あらためて現在地に移されました。数度にわたる火災のため神宝・旧記等はすべてなくなりましたが、明治40年以降、兎我野町の若宮八幡神社、鯰江町の新喜多神社、毛馬町八幡大神宮、善源寺町の産土神社を合祀しました。」
大阪府大阪市都島区中野町1-12-32
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鳥居

参道



社務所



石碑

手水舎





八神社

鳥居・拝殿





狛犬





本殿

雀さんが水たまりで水浴びしていました。
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都島神社

2020-11-20 22:19:06 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
「天照大神を主神に15の神をまつるので、十五神社ともいわれている。淀川の洪水防止を願う後白河法皇の勅願で、近隣農民が協力して、1160年(永暦元年)に建立された。」
大阪府大阪市都島区都島本通1丁目5
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社標

鳥居



手水舎



宝篋印塔(大阪府指定文化財)
「由来等不祥、宝篋印塔は元来密教の塔で、塔中に宝筐印羅尼経を納めることからこの名がついた。通常は平面方形の一重の塔で、笠の四隅の突起を作り、笠上部は数段の段形とし、その上に相輪を立てる。都島神社の宝篋印塔は、各層の塔身部と相輪は後補で珍しく三重塔となっており、全国的にも稀有で関西最古の石造塔、基礎台に『嘉元二甲辰/六月/廿九日』『願主口/沙弥口蓮/造立之」の銘文があり結衆による供養塔であろうと思われる。」

社務所

拝殿

狛犬



本殿
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母恩寺

2020-11-20 21:59:14 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
「1168年(仁安3年)に、後白河法皇が、高野山に参詣される途中、とくにこのあたりの景色を好まれ、ここに生母・待賢門院の菩提のためにこの寺を創建されました。寺の名前には『母后報恩』の意味がこめられています。往時は12の坊舎を有する大伽藍で、代々住職は皇女が勤める尼寺でした。淀川の洪水や兵乱でしだいに勢いが衰え、一時は荒れ寺となっていたこともありました。寺宝として後白河法皇と待賢門院の画像のほか、1719年(享保4年)の略縁起などがあります。」
大阪府大阪市都島区都島本通1丁目20
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山門

本堂
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鶴満寺(かくまんじ)

2020-11-20 21:47:33 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
「奈良時代に創建されたといわれている。もとは河内国にあったが、1753年(宝暦3年)、長柄の地に移ったという。上方落語『鶴満寺』は、題名そのままに当寺が舞台となっており、境内にはサクラの名所としても有名であった。」
大阪府大阪市北区長柄東1丁目3-12
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山門

手水舎

観音堂
「八角塔楼閣付きの堂、1933年(昭和8年)に再建された。」









鐘楼



本堂(大阪市指定有形文化財)























納骨堂


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摂津之国 国分寺

2020-11-20 21:27:55 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
由緒書より「寺伝によると、仏教に深く帰依した聖務天皇により741年(天平13年)一国一寺の『国分寺建立の詔』を公布されると、既存の『長柄寺』を摂津之国国分寺(金光明四天王護国之寺)として定める。世俗『長柄の国分寺』と称され、今日まで歴代天皇14帝の勅願道場として由緒ある法灯を伝燈してきた。しかし、長い歴史の中幾度も戦火に晒され、中でも豊臣氏が滅亡した大坂夏の陣、1615年(元和元年)には全焼、その後約百年余り荒廃の極みであった。そして江戸時代、1718年(享保3年)に中興の祖、律師快圓により再建され文献に登場する。このような伽藍も明治の廃仏毀釈などの混乱、1934年(昭和9年)の室戸台風により甚大な被害を受け、更には1945年(昭和20年)第二次大戦の大空襲により旧書院門(現山門)を残し寺宝共灰燼に帰した。戦後、境内地は区画整理や一部官有地であった為、大幅に縮小されるも、1965年(昭和40年)昭和金堂を大平の古式にのっとり落慶、1984年(昭和59年)弘法大師千百五十年御遠忌の頃現在の姿となる。」
大阪府大阪市北区国分寺1丁目6-18
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山門



水かけ不動尊

手水舎

弘法大師像

鐘楼

灯籠

護摩堂





地蔵菩薩

水児地蔵尊

本堂



仏足石

香炉

石碑




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野江水神社・野江水流地蔵尊

2020-11-20 20:42:11 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
説明書より「昔このあたりは土地が低く、再々水害を被むる事がありました。そこで水難からのがれようとして水の神様がおまつりされました。1533年(天文2年)三好宗三(政長)が、この附近に榎並築城の際、水害を被むったので水火除難の守護神として城内に社を建てて篤くまつられたのが現在の社殿の位置と言われています。1583年(天正11年)豊臣秀吉も大阪築城に際し、水火除難の守護神として近郷の諸社中最も崇敬篤く、社殿を修築し幣帛を奉り、国家泰平を祈願いたしました。1702年(元禄16年)の大洪水では、一面水海と化し住民がことごとく困窮の日を重ねていた時に快晴の祈願をしたところ、雨がやみ洪水は減退したと伝えられています。1803年(享和2年)の大洪水にも当神社は無事であったことを榎並八箇洪水記の中に絵で記録されています。現今の社殿は1883年(明治16年)の造営後度々修築されています。」
大阪市城東区野江4-1-39
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鳥居



石碑



手水舎

手水鉢

御神水

狛犬



拝殿



本殿

野江稲荷神社







野江水流地蔵尊
「1885年(明治18年)未曾有の大洪水が大阪北部一帯を襲った際に、当地に流れ着いたと伝わるお地蔵さんです。城東区民にとって忘れてはならない出来事の証人として、地元町会の人達に大切に守られ、地蔵盆などの行事は毎年欠かさず行われています。なお、野江水流地蔵尊は、2012年(平成24年)に大阪市の都市景観資源に登録されました。」




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関目神社

2020-11-20 20:08:56 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
関目神社境内に「関目発祥之地」の石碑が立っています。関目という地名は、平安時代後期の榎並庄の時代からあったもので、この地に見張り所(目で見る関所)があったことから起こったといわれています。
「関目神社は、1580年(天正8年)豊臣秀吉が大阪城築城の際防備の一策として北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として毘沙門天王を勧請して小祠を建立したことに始まります。」
大阪府大阪市城東区成育5丁目15-20
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鳥居

手水舎

関目発祥之地碑



社務所

狛犬



拝殿

本殿

毘沙門天







明治天皇大坂行幸の碑




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波太神社・鳥取神社

2020-10-13 23:51:00 | 大阪
2020年10月11日、お参りしました。
説明書より「鳥取氏の祖神である角凝命を桑畑に祭ったことから、『波太』の名がついたものと思われます。正確な創建の年代はわかりませんが、927年に完成した『延喜式』という当時の政治に関する規則を記した書物には、鳥取郷の総社として記載がみられることから、その当時には既に創建されていたようです。桑畑から現在の地に移されたのは、いつ頃なのかはわかっていませんが、貝掛の指出森神社を合祀し神々をひとつの神社に祭ることとしたため、本殿には波太宮(祭神は角凝命)と八幡宮(祭神は応神天皇)が祭られ、末社三神社には天湯河板擧命、神功皇后、武内宿祢が祭られています。1577年(天正5年)には織田信長の紀州雑賀攻めの時、本陣がおかれたという記述が『信長公記』にみられます。本殿の前にある石灯籠は1600年(慶長5年)の銘があり、豊臣家の重臣片桐且元が寄進したものと伝えられています。」
大阪府阪南市石田167
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社標

灯籠

鳥居

狛犬



参道



太鼓橋

社務所

手水舎



神馬









ヒノキ

拝殿





狛犬



灯籠

本殿(重要文化財)
「江戸前期の1638年(寛永15年)建立、三間社流造、正面千鳥破風二カ所及び中央軒唐破風付、銅板葺。」





末社厳島神社



末社門神社

鳥取神社
「祭神は天忍穂耳命、紀州街道は山中の宿場に祀られていた往時は山越えする旅人達が健脚を祈願したことから今も『足軽さん』と親しみ信仰が厚い。当神社は、明治41年3月26日に合併し、鳥取中地区の村社八幡神社を合祀する。この地は元、波太神社の神主田島家の屋敷跡で当時田圃となっていたものを買い入れ、社殿・拝殿・幣殿・社務所等が造営された。当神社は、明治から大正初期にかけて推進された政府・地方官主導の神社合併政策で創立されることとなる。」



















鳥取戎社






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