旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

平野区・町ぐるみが博物館その1、平野環濠跡・杭全神社・古河藩陣屋跡・馬場口地蔵・大念仏寺

2018-12-30 18:11:59 | 大阪
2018年12月26日、大阪市平野区を散策しました。
「平野は大阪市のなかで、最も歴史のある町並みが残ります。戦国時代には町の周囲に環濠を巡らせ、町民たちの自治で平野郷を運営した。江戸時代の平野郷は、およそ元禄7年(1694)を境にして前期は幕府領、後期は大名領であった。とくに正徳3年(1713)下総国古河藩主、本多忠良に給与されて以来、明治2年の版籍奉還までの156年間は、松平候、土井候と大名は代わったが古河藩付所領であった。幸運にも戦火を免れた平野には、100年以上を経た町家や社寺が路地に佇む。また、町全体を博物館に、という住民の発想で、町の随所に手作りの博物館を立ち上げている。」
JR平野駅を下車し、南口を出てすぐの道、線路沿いに東に向かいます。
平野環濠跡





杭全(くまた)神社
「平安時代初めの貞観4年(862)、坂上広野麻呂の子当道が、第一殿に素戔嗚尊を氏神として祀ったのが起源である。その後、第三殿に熊野信仰が流行して、建久元年(1190)に熊野権現を勧請した。さらに、第二殿に元享元年(1321)後醍醐天皇の勅命により、熊野三所権現を祀った。明治時代初期の神仏分離令で、寺院関係のものは長寶寺へ移され、明治3年(1870)、杭全神社と改称された。宝永5年(1708)再建された連歌所は、全国で唯一ここに残っている。」
大阪市平野区平野宮町2-1-67
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石鳥居

境内案内図

鳥居

参道

大門

社務所



手水舎



拝殿





狛犬



絵馬掛け



第一本殿(重要文化財)
「江戸中期の元禄3年(1690)建立、一間社春日造、檜皮葺。三殿並立する本殿のうち、向って左端が第一殿である。式年造替で取壊された春日大社本社本殿(第三殿)を移したもので、後世の改修はほとんどなく、よく旧規を保っている。現存する春日大社旧殿のうち、由緒が明らかで、かつ年代の古いものの一つ。」

第二本殿(重要文化財)
「室町後期の永正10年(1513)建立、三間社流造、檜皮葺。」

第三本殿(重要文化財)
「室町後期の永正10年(1513)建立、三間社流造、檜皮葺。」

神輿庫

田村社

恵比須社



鎮守社

稲荷社



保存樹のくすのきと拝殿

十柱社

古札納所

西門





巨楠(大阪府指定天然記念物)、樹齢千年、樹高30m、周囲10m





忠魂碑





筆塚

宇賀神社









古河藩陣屋跡(平野小学校正門にある)
「平野郷の陣屋は天明年間(1781~89)土井候の下総国古河藩時代に置かれ、明治2年の版籍奉還後、陣屋は廃止跡に郷役場、警察署、小学校が出来た。平野郷は大阪市に編入、奈良街道拡張後、平野小学校のみ此処に現存しています。」

馬場口地蔵
「平野郷は、現在の平野宮町・平野本町・平野上町・西脇流町・平野市町にあたり、大坂の陣(1614~15年)で焼失した後、徳川家康の命により、2重の濠で囲み、碁盤目状に区画された。江戸時代、野堂・流・市・背戸口・西脇・泥堂・馬場の本郷7町に惣門という13の出入口があり、木戸と地蔵堂・遠見櫓などが設けられた。平野から外に出るときは、地蔵様のご加護を、外から入る時は凶事の退散を祈った。」



馬場門筋

大念仏寺
「大源山諸仏護念院大念仏寺と号し、俗に亀鉦寺とも称する。融通念仏宗の総本山である。当寺のはじめは、坂上氏の菩提所修楽寺の別院であったが、大治2年(1127)開祖聖応大師(良忍上人)が鳥羽上皇の勅願によって新しく一寺を建立されたものである。
 第七世法明上人は大いに寺門を興したが、千早赤坂の戦・大坂の陣等の兵火に遭い堂宇・什宝等を失った。その後第三十六世道和上人がこれを再興し、第四十三世舜空上人は願を発して寛文7年(1667)方二十間の大堂を建立した。
 さらに、元禄年間地元徳田家より第四十六世大通上人が出るに及んで、諸堂を建立し什宝を整備し、一山の法儀用具を完備し輪奐の美を極めるに至った。
 しかし、明治31年出火し、大堂以下多数の堂宇を失い、現在の大堂は昭和13年第五十九世戒全大僧正のときに竣工したものである。」
境内案内図

山門(大阪市有形文化財)
「宝永3年(1706)、第四十六世法主大通上人の建立による。棟行二間、梁行9尺、両脇に七尺の壁落ち屋根を付けている。「大源山」の扁額は、後西天皇の皇女で京都宝鏡寺の本覚院の宮徳厳尼の真筆である。大通上人はこの門を融通無碍門と命名し、人種、年齢、性別、職業の違いを越えて、お互いが一つ心で融け合い、喜びと感謝があふれる仏国土を築きあげていくという融通念仏の功徳を称揚した。







石碑


手水舎

本堂(登録文化財)
「昭和13年に竣工した総欅造り銅板葺きで、棟行39.1メートル、梁行49.8メートルの大阪府下最大の木造建築である。」











マニ車

毘沙門堂
「東側に四間四面、西側に棟行五間、梁行三間の二つの堂を合わせ持つ建物で、天治2年(1125)、元祖聖應大師(良忍上人)の創建と伝える。現在の堂は寛政11年(1799)、第四十九世堯海上人の再建である。中央厨子の本尊毘沙門天は行基菩薩作と伝えるが不祥。両足で邪鬼を踏み、右手に戟、左手に巻子を持つ躍動感あふれる等身大の木造である。毘沙門天は仏法守護の四天王の一つで、多聞天とも称する。良忍上人は永久5年(1117)、阿弥陀仏から、人々が口に念仏を称えることにより、その念仏が相互に融け合い、現世に智慧輝き幸あふれる仏国土が現出するという融通念仏の教えを授与されてのち、洛北鞍馬寺の多聞天王の冥助によって、宮中をはじめ広く諸国にこの念仏を勧めて歩かれた。」





梁松院

西門
「この門は現在の平野小学校所在地にあった、古河藩の陣屋門で、明治の廃藩後平野小学校の表門として昭和2年まで使用されていたが、小学校舎新築拡張にともない、保存の要望があって、昭和37年1月、ここに移築された。平野郷の藩政時代を示す唯一の遺構であり、その門扉は樟の一枚板である。

白雲閣

客殿

延喜殿

経蔵
「元禄年間(1688~1703)、第四十六世大通上人の創建。三間半四面の中心に経箱を置き、回転させる構造となっている。これは転法輪を意味し、経の功徳が普く行きわたることを願ったものである。」





地蔵堂
「弘化元年(1844)、第五十二世教彌上人再建。本尊は蓮台に乗る等身大の木造である。幕末の頃、八尾を中心に河内地区において熱心な布教活動をした榮山上人の作である。榮山上人は融通念仏勧進聖として有名であるが、帰信者1万人ごとに地蔵菩薩を建立した。弘化2年(1845)十月、五万人勧進回向を大念仏寺で執行したときの地蔵菩薩で、錫杖を持つ掌は正面に向け、宝珠を持つ左手は中指だけがまっすぐに伸びている。これは石造の地蔵や墨書した地蔵象でも同じで、榮山作の特徴である。」

観音堂
「元禄6年(1693)、第四十六世再興大通上人の創建。二間四方で前面に一間、後方に二間の庇を付けている。本尊は木造聖観音立像で、像高五尺五寸あり、伝教大師作と伝え、優雅な表情をたたえている。堂の両袖に、左棟行五間、梁行二間、右棟行四間、梁行二間の霊牌安置所を設けている。」

銅燈籠







納骨堂

鐘楼



銅鐘









くすのき 保存樹、高さ18.9m、幹回り6.8m

龍王殿

霊明殿
「正門、廻廊、奉安所、修法堂から成る。創建は保元元年(1156)、第三世明應上人のときと伝える。良忍上人の念仏勧進を助け、自らも融通念仏に深く帰依された鳥羽上皇の霊牌と御真影を祀るために建てられた。その後、寛永年間(1624~1643)、第三十八世法覚上人は徳川家康公を合祀するため、権現造りの社殿を再建した。」














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平野区・町ぐるみが博物館その2、長寶寺・全興寺

2018-12-30 18:08:52 | 大阪
2018年12月26日、平野区の町を散策しました。平野区・町ぐるみが博物館その1の続きです。大念仏寺から南へ進み、東に行きます。
懐かしいレトロな家があります。

永福寺













昔の町家、漆喰で虫籠窓、屋根瓦葺が少し反りがあります。平野町の推奨建物ですね。





光永寺、浄土真宗本願寺派の寺院です。









長寶寺
説明書より『当寺開基の慈心大姉は、坂上田村麻呂の娘で俗名を春子といい、もと桓武天皇の妃であった。延暦25年(806)桓武天皇崩御によって、春子は弘法大師に帰依して剃髪し、父坂上田村麻呂が大同年中(806~10)に創建した長寶寺の開基となったのである。縁起によると、当寺の本尊・十一面観音像は田村麻呂の守護神で春日作と伝わる。のちに後醍醐天皇が、吉野に皇居を移されるとき、当寺を仮の皇居とされ、「王舎山」の山号を賜った。また、元享年中(1321~24)笠置城落城のとき61人が討死し、その妻女たちが当寺にて出家したという。のちに広い堂宇も、元弘の乱、建武元和の兵火にあい、ことごとく焼失した。現在の本堂と庫裏は、天保年間(1830~44)第三十三代慈源大姉の代の再建という。大姉堂はもとは田村堂であった。明治維新の廃仏毀釈のさい、杭全神社の大師堂の弘法大師像と、田村堂の坂上廣野麻呂作という田村麻呂像を入れ替えたのである。』
大阪市平野区平野本町3-4-23
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手水舎

本堂







護摩堂

子安地蔵堂

密祖堂(大師堂)



鐘楼堂

銅鐘(重要文化財)
「建久3年(1192年)作」

稲荷社

本妙寺





町並み





案内図、赤い線が平野商店街通り

小林新聞舗店舗兼住宅(登録有形文化財)
「昭和4年(1929)建築、鉄筋コンクリート造2階建及び木造平屋建、瓦葺、建築面積142㎡。商店街のアーケードに北面して建つ。RC造2階建の店舗の背後に木造平屋建の住居が接続する。正面中央西寄りに店舗入口,東端に住居の通り土間への戸口を開き,小庇を付ける。正面は柱形で4分割し,2階に2つずつ配したアーチ形の窓枠が外観を特徴づける。」
新聞屋さん博物館

薬師堂全興寺
由緒書より「真言宗の寺院で野中山と号する。本尊は薬師如来で、聖徳太子の作と伝えられている。平野がまだ広茫たる野であったころ、ここに薬師堂が建てられ、ここから人が住みはじめ平野の町が次第に広がっていったといわれ旧町名の平野町堂町の起源となっている。やがて、坂上家の尊信するところとなり、現在の本堂も天正4年(1576)坂上利治によって再建されたもので、府下木造建築の中でも古いものである。当寺には、真田幸村が樋之尻口の地蔵堂に仕掛けた地雷によって飛来したという伝説をもつ「首の地蔵尊」や、湛慶作と伝えられる「太子像」がある。また境内には、万治3年(1660)奥野家が寄進した石燈籠や井戸形の水盤がある。別に当寺は、杭全神社の奥の院と仰がれ、毎年7月14日には「みこし」渡御があり、神事が行われている。」
大阪市平野区平野本町4-12-21
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マニ車









本堂

仏足石





境内にある駄菓子屋さん博物館
「駄菓子屋さんに並んでいたおもちゃが展示されている。」











地獄堂











ほとけのくに









再び町並み





パズル茶屋
「店主の黒田誠さんがコレクションされた組木パズル・知恵の輪・移動パズルなど古今東西のパズルが100種類以上揃っている。」







へっついさん博物館
「昭和20年代、平野付近ではほとんどの家で煮炊きに使われていたへっついさんは、家庭の燃料がガスや電気に代わる前まで台所の主役であった。薪を焚き口にくべて実際に使用できるへっついさんを店先にしつらえ、珍しい雛道具のミニへっついさんも展示している。



道標













平野商店街


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白鬚神社

2018-12-29 15:57:35 | 滋賀
2018年12月25日、お参りしました。
由緒書より「社記によれば、垂仁天皇の25年倭姫命により社殿を創建したと伝え、白鬚社の総社でもある。その後、慶長年間に豊臣秀頼により境内の整備が行われた。」
『謡曲「白鬚」は、白鬚明神の縁起を語って祝言を述べる曲である。勅使が近江国の白鬚の社に参詣すると明神の神霊が漁翁の姿で現れ、白鬚明神の縁起を詳しく語り、比叡山が仏法修行の清浄地として、外道魔物を入れない地となった縁起を語る。やがて明神は真の姿を現して楽を奏し、天女も竜神も現れて御代を祝うというのがその粗筋である。』
滋賀県高島市鵜川215
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鳥居

湖中鳥居

拝殿



狛犬



手水舎



本殿(重要文化財)
「本殿は、慶長8年(1603)片桐且元を奉行として、播州の大工により建立されたことが、棟札・嵌板墨書によってわかる。桁行三間、梁間三間、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。建物は、地垂木や桔木の長さを節約して、当初から軒先に支柱を入れているため、外観はやや軽快さに欠ける。屋根は、明治12年に向拝の軒先を切り縮め、現拝殿を付加したため権現造風となり、雨仕舞を考慮して、それまでの柿葺を檜皮葺に改めている。本殿は、大型で向拝の手狭・蟇股などの絵様に、桃山期の特徴をよく表した優れた建物である。また、寛永元年(1624)建築の旧拝殿(現絵馬電)を除く社殿も慶長復興期のもので、近世の社殿配置を残す神社としても貴重である。」

末社若宮神社本殿(高島市指定文化財)
「桃山時代建立、一間社流造、こけら葺。」

上の宮

豊受大神宮(高島市指定文化財)

天照皇大神宮(高島市指定文化財)

八幡三社(三所)中央は八幡神社・向かって右は加茂神社・左は高良神社

波除稲荷社

岩戸社

中野照子 歌碑


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天皇神社

2018-12-29 15:56:11 | 滋賀
2018年12月25日、お参りしました。
説明書より『和邇は、往昔孝昭天皇(第5代天皇・紀元前475~393)の皇子、天足彦國押人命より出で、近江國和珥臣の遠祖 彦姥津命及び彦國葦命等の本拠地たる大和國添上郡大岡郷和邇よりこの地に遷り、近江の國政を司り和邇家の本領とす。子孫連綿、因って地名を和邇と称す。當時國内に居住する尊貴の名族は総て和邇家に属せしという。また湖岸を和邇津という、東國、北國との運漕の衝地なり。其の後和邇家より小野氏出で、南部に居住す。因って地名を小野と称す。
 天皇神社の創立は不祥であるが、社伝によれば村上天皇康保3年(966)創始とある。京都八坂祇園の「牛頭天王」を此地に遷して「和邇牛頭天王社」と称し、和邇中、今宿の産土神として崇敬されている。明治9年(1876)「天皇神社」と改称されている。』
滋賀県大津市和邇中146
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鳥居

拝殿



社務所

忠魂碑

本殿(重要文化財)
「現本殿は、正中元年(1324)の建築で正面三間、側面二間の母屋の前面に一間の庇(向拝)をつける切妻造本殿で、鎌倉時代後期の建築物で全国的に類例がもなく、この地方特有の本殿形式となっている。
 他に小野篁神社と道風神社がこの様式である。
 平面は、後方中央の一間が内陣で、その周囲三方は外陣である。柱は母屋円柱で隅延付、庇角柱で、組物は母屋隅柱上舟肘木、側面中央柱上大斗で向拝柱上舟肘木、中備蟇股である。軒は母屋、庇とも垂木を二股に配する二軒である。
 母屋は正面中央間と右側面は幣軸構板戸両開、脇間格子嵌殺のほかは板壁である。
 外陣内部は内法長押上に漆喰塗の蟻壁で、小組格縁天井を張る。内陣は正面板扉両開、両側面板壁で床は外陣長押上端を床面とし、天井は棟木から天井長押上へ板を打ち流したいわゆる舟底天井である。
 外陣および内陣は後世の改造を受けていないので、鎌倉様式の極めて荘重なものである。」









樹下神社
「創立は、後醍醐天皇正中2年(1325)に日吉十禅師社の分御霊を此地に奉遷し社殿を造営し、同年11月遷宮される。和邇牛頭天王社の摂社と称し中浜の産土神として崇敬されている。」



三宮神社
「創立は、後光厳天皇康安元年(1361)に日吉三宮の分御霊を此地に奉遷し、社殿を造営するとともに、同年11月遷宮される。和邇牛頭天王社の摂社と称し中浜の産土神として崇敬されている。」

若宮神社
「創立は、後小松天皇明徳2年(1391)日吉二宮の分御霊を此地に奉遷し、社殿を造営するとともに、同年9月遷宮される。和邇牛頭天王社の摂社と称し中浜の産土神として崇敬されている。」

松尾神社

宝塔(大津市指定有形文化財)
『境内地南隅に鎌倉時代の優れた作品として評される二基の宝塔がある。宝塔は、塔身の平面が円形となる単層の塔で、平面四角の基礎と笠を伴い、笠上には相輪を立てるものが多い。「法華経」見宝塔品では、釈迦・多宝二仏が宝塔中に同座することを説くため、「法華経」を根本経典とする天台宗で盛んに宝塔が造立された。旧志賀町内の神社に、この種の古遺品が点在するのも、比叡山延暦寺の強い影響があったものとされる。』


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小野神社

2018-12-29 15:55:15 | 滋賀
2018年12月25日、お参りしました。
由緒書より
『小野神社は、小野妹子・小野篁・小野道風などを生んだ古代の名族小野氏の氏神社である。推古天皇の代に小野妹子が先祖を祀って創建したと伝える。そして、餅及菓子の匠・司の始祖である第五代孝昭天皇の第一皇子天足彦国押人命と同命から数えて七代目の米餠搗大使主命の二神を祀る。
 平安時代に小野篁(802~852)のときに、同族が小野神社に集まって氏神を祀ったことは、「続日本書紀後期」にくわしく載っている。
 今から一千年前の延喜式の神名帖に滋賀郡大三座の内小野神社二座、名神大社(官幣大社の意)とある古社である。
 古事記によれば天足彦国押人命は孝昭天皇と尾張国の連の娘余曽多木比命との間にお生れになった第一皇子で春日、大宅、栗田、小野、栃木、大阪、安濃、多岐、羽栗、都怒山、伊勢、飯南、一志、近江、の国造の祖であると記されている。
 又、日本書紀には大和和邇(やまとわに)の祖であるとも記されている。
 大和朝廷成立以前この地において、今の大阪府、京都府、奈良県、三重県、愛知県、滋賀県の広い地域を統治されていた王族であり、諸国に多い小野の地名、氏族の発生地、祖神でもある。
 延長5年(927)寛政の「延喜式」神明帳に「小野神社二座神大」とあり、日吉神社と並ぶ官幣大社であった。現在の社殿は、江戸時代に再建されたと伝えられている。』
滋賀県大津市小野1961
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鳥居



手水舎



社務所

歌碑

拝殿

小野小町の塔



鳥居

小野神社







小野神社境内社篁(たかむら)神社(重要文化財)
「現在の本殿は、室町時代前期に建てられ、形式は三間社の切妻造に一間の向拝が付く、切妻造平入りの本殿は遺構が少なく貴重な建物である。」







夫婦円満の木
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神田神社

2018-12-29 15:52:39 | 滋賀
2018年12月25日、お参りしました。
由緒書より「神田神社は、彦国葺命がこの地を開創したときに社殿を建てたと伝えられ、祭神に彦国葺命を祀る。」
滋賀県大津市真野普門3丁目8-1
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鳥居







社務所



狛犬



拝殿

本殿(重要文化財)
『現在の本殿は棟札に、「御上棟当社神田明神御宝殿建徳元年」(1370)とあり、よく時代の特色を伝える。形式は前室付き三間社流造。正面庇に建具を備えて前室とし、さらに向拝をつける形式は滋賀県の中世本殿に遺構が多く、古式流造が一層優美に発達したものである。母屋柱上に舟肘木を用いる簡素な意匠であるが、本格的に造られた均整のとれた本殿である。』





末社、八幡宮・若宮神社


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おごと温泉 琵琶湖グランドホテル・京近江

2018-12-28 21:59:00 | 温泉、旅館、ホテル
2018年12月24日、利用しました。
プラン名、すき焼き鍋プラン・朝食バイキングです。雄琴温泉は、アルカリ性単純泉、大浴場が琵琶湖展望風呂と西館の風呂があります。
滋賀県大津市雄琴6-5-1
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外観



フロント

ロビー



















ラウンジ

廊下







庭園

室内



おもてなし

室内からの眺望



夕食













朝食

琵琶湖での鴨さん


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長命寺

2018-12-28 21:57:20 | 滋賀
2018年12月24日、お参りしました。
麓から本堂に至る808段の長い階段で登ります。非常に細い道ですが、自動車で本堂近くまで行くことが出来ます。そこから108段の階段を登ってお参りします。伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。
滋賀県近江八幡市長命寺町157
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808段の階段の参道







山門

手水舎



書院





本堂(重要文化財)
「入母屋造、檜皮葺き。桁行7間・梁間6間の和様仏堂である。寺の文書から室町時代・大永4年(1524年)の建立と判明する。手前の奥行3間分を外陣、後方の奥行3間分を内陣及び後陣とする。内陣須弥壇中央には秘仏本尊を安置する厨子を置き、厨子外の向かって左に毘沙門天立像(重要文化財)、右に不動明王立像が立つ。厨子も堂と同時代の造営。」

















本堂の裏の大きな岩

三重塔(重要文化財)
「本堂の東方、やや小高くなったところに建つ。高欄擬宝珠銘から慶長2年(1597年)の建立と判明する。こけら葺きで全面丹塗。和様の一般的な三重塔であるが、初重の両脇間に連子窓を設けず板壁とすること、初重に和様には珍しく腰貫を用いる点が特色である。初重内部は須弥壇を設け、胎蔵界大日如来像(桃山時代)と四天王像(鎌倉時代)を安置する。大日如来像は像底の銘から天正17年(1589年)、七条大仏師康住とその子の大弐の作とわかる。」





閼伽井堂





護摩堂(重要文化財)
「本堂と三重塔の間に建つ宝形造、檜皮葺き、方三間の小堂。屋根上の露盤の銘から慶長11年(1606年)の建立と判明する。内部は北面中央間の側柱前に角柱二本を立て、その中に仏壇を設けている。なお、寛政5年(1793)にこの仏壇上に壇を重ねてその上に作り付けの厨子を新造している。三間四方の正面中央は桟唐戸、正面左右は連子窓で、側面中央は板扉または板戸、側面前方は連子窓で、他は板壁という簡素な造りである。また、柱は全て角柱で、絵様大斗肘木に軒先は疎垂木木舞打という軽やかな姿である。」





石碑

三仏堂(滋賀県指定有形文化財)
「桁行五間、梁間四間の入母屋造、檜皮葺き、丹塗の堂で、側廻りは円柱に舟肘木をのせた簡単な造りであるが、内部は木鼻・実肘木を入れた三斗を組む。軒は二軒疎垂木で、背面では一軒としている。元暦元年(1184)佐々木秀義の菩提を弔うため、その子定綱が造立したと伝え、釈迦・弥陀・薬師の桟尊を祀る。永禄年間(16世紀半ば)頃の建立と推定されるが、江戸時代の寛政5年(1793年)に改造されている。」



護法権現社(滋賀県指定有形文化財)
「 三仏堂の西に、短い渡り廊下を経て護法権現社の拝殿がある。拝殿は入母屋造檜皮葺きで、隣の三仏堂と同じく永禄8年(1565年)頃の建立と推定される。奥にある本殿は一間社流造で江戸時代後期の建立。長命寺の草創説話にかかわる武内宿禰を祀る。」





鐘楼(重要文化財)
「境内西方の高い位置にある。入母屋造、檜皮葺き、重層、袴腰付きの鐘楼。上棟式の際に用いられた木槌に慶長13年(1608年)の銘があり、建立年次が判明する。内部の梵鐘は中世にさかのぼるものである。」

如法行堂
「勝運将軍地蔵尊・智恵文殊菩薩・福徳庚申尊安置。」

修多羅岩
「修多羅とは、仏教用語で天地開闢、天下太平、子孫繁栄をいう。封じて当山開闢長寿大臣、武内宿禰大将軍の御神体とする。」





太郎坊権現社
「鐘楼のさらに西方にある、長命寺の総鎮守である。ここに祀られる太郎坊とは大天狗の名で、寺の縁起によれば、後奈良天皇の時代に長命寺にいた普門坊なる超人的力をもった僧が、寺を守護するため大天狗に変じたものという。境内の中で最も琵琶湖の展望が良い。」













拕柷尼天尊(稲荷大明神)





琵琶湖の景色


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日吉神社

2018-12-28 21:56:45 | 滋賀
2018年12月24日、お参りしました。
由緒書より「創建は不祥、この村の鎮守の神として迎えられお祀りされたのは、おそらくこの地が比叡山延暦寺あるいは日吉大社の社領地であった頃であろう。今は圃場整備でなくなったが小字で山王前と言う所があった。山王とは日吉大社の別称で、その名は伝教大師が中国の天台山国清寺の山王祠にならって比叡山の守護神の神号を山王と奉られたのが始まりです。この小字山王前の後ろの小字宮の森に神社が創建されたのは記録によると文亀元年(1501)4月、坂本村日吉大社より勧請とあります。境内地は1町歩余りを有していたとあります。それが日野川支流の諸川等の氾濫により度々の水厄に遭い、氏子達が心血を注いで100年後の慶長9年(1604)2月24日に南の小高い山麓の現在地に遷座されたのです。」
滋賀県野洲市小篠原140
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本殿(重要文化財)


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鏡神社

2018-12-28 21:55:57 | 滋賀
2018年12月24日、お参りしました。
『神社の創立は古代にさかのぼると伝えられ、祭神は天日槍命を祀る。南北朝時代の建築で「日本書紀」にも記されている朝鮮半島の新羅から製陶技術(渡来文化の陶物師、医師、薬師、弓削師、鏡作師、鋳物師など)を供に近江の国ー入り集落を成し、吾国を育み文化を広めた伝えた祖神。天日槍を祀る神社です。天日槍は持ち来たる神宝の日鏡をこの地に納めたことから「鏡」の地名が生まれ、書記にも「近江鏡の谷の陶人は即天日槍の従人なり」と記されている。鏡山の麓は渡来集団に関わる地名も多く須恵器を焼いた古窯址群も広く現存する。延喜の御世には大嘗会に鏡餅を献上した火鑽の里であり、鏡路は鏡山と共に万葉の歌枕として150余首詠まれ、宮廷巫女の歌人額田王や鏡王女にも所縁の地である。』
『謡曲「烏帽子折」は、義経記などの牛若丸(源義経)伝説から創作された。前段は
鞍馬山を抜け出した牛若が、金売り吉次と奥州に向かう途中、追手が迫ったので、鏡の里宿で盗賊の熊坂長範に襲われ、奮闘して退治した武勇伝。鏡の里宿は当地で、鏡神社は牛若が元服の際、源氏再興を祈願した神社とされ、烏帽子を掛けた「烏帽子掛け松」や「元服の池」などがある。元服に使った盥も神社に保管されている。今や一片の板切れとなっているが、その木くずは戦時中、出征兵士のお守りとして役立ったという。大願成就、家内安全にご利益のある神社である。』
滋賀県蒲生郡竜王町鏡1289番
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烏帽子掛け松



鳥居





手水舎



拝殿

祓所

本殿(重要文化財)
「現在の本殿は、室町中期に建てられたもので、滋賀県に遺構の多い前室付三間社流造り、屋根はこけら葺。蟇股を多用し、屋根勾配をゆるくみせる外観は優美である。」







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