旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

川面神社

2024-01-12 08:27:59 | 伊丹・宝塚
2024年1月11日、お参りしました。
由緒書より「御祭神は、高皇産霊神、天照大御神、神皇産霊神。当社は『摂津志』『摂津名所図会』にも所載の神社で、創立は794(延歴13)年に高皇産霊神、神皇産霊神を斎礼さる。寿永年間(1182~1184)に神弁山法楽寺を建て、社僧別当を置て奉仕せられ、社名を『大梵天皇宮』と称された。その後明治維新の際、法楽寺が廃寺となるに伴い、神社も共に廃せられんことを恐れ、在来の二神を秘し、天照大御神を正中に祀り社名を皇太神宮と称せり。1915(大正4)年、社名を川面神社と改む。『慶長年間片桐且元中山寺に滞留さるや、当社を崇敬して、神前左右に御手洗池を堀り境内風致のため植樹さるという。』『天保12年正月神祇伯白資敬王(白川宮)鳥居額字御染筆あらせらる。』『嘉永3年6月本光院宮より菊葵御紋附釣提灯四張寄進ありせらる。』」

兵庫県宝塚市宮の町11-7
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社標

参道

鳥居

手水舎

狛犬



拝殿

本殿

社務所



末社、八幡神社

末社、天満神社

末社、稲荷神社





末社、素戔嗚神社







参拝後、宝塚駅に向かいます。
宝塚大劇場の前の花の道です。モニュメントがあります。



宝塚大劇場



朝から、たくさんの方が並んでいます。





宝塚ホテル

ショッピングセンターのソリオ


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宝泉寺

2024-01-12 08:22:03 | 伊丹・宝塚
2024年1月11日、お参りしました。門は閉ざされていましたので、近くから撮影です。
「曹洞宗の寺院である。山号は慈雲山。1608(慶長13)年、宗徹の開基と伝わる。」
兵庫県宝塚市宮の町12-9
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寺標



山門

鐘楼堂

本堂

庫裏
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八坂神社

2024-01-12 08:13:20 | 伊丹・宝塚
2024年1月11日、お参りしました。
「創立年不詳。寛仁年間(1017~1020)、源頼光の家臣、平井保正の創立と伝わる。主祭神は、建速須佐男命。」
兵庫県宝塚市清荒神2-21-11
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社標

参道

鳥居

手水舎

狛犬、少し後ろに座っていて、愛嬌がある表情で可愛いですね。





社殿、覆屋の中にあります。



末社、愛宕神社
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萬霊殿

2024-01-12 08:00:49 | 伊丹・宝塚
2024年1月11日、お参りしました。
「詳細不詳、社標に『日本最初笑門平和』と書かれています。御祭神は、天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、天照大神、須佐之男大神、大國主大神、稲荷大神の9柱の神様を祀っています。阪神・淡路大震災で倒壊し、その後再建されました。」
清荒神参道の清荒神駅北側すぐのところに鎮座しています。
兵庫県宝塚市清荒神1丁目13-11
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社標

鳥居

狛犬



拝殿

本殿

社務所
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皇太神社

2024-01-11 21:36:36 | 伊丹・宝塚
2024年1月11日、お参りしました。
由緒書より「祭神は、天照皇大神、天児屋根命。いにしえより人々の心のよりどころとして、信奉厚き社といわれる。その歴史は、源満仲を祭神とし970(天禄)年に創設された多田神社が始まりといわれている。十世紀、多田盆地の地利に着目した源氏の祖満仲は、現在の川西市北部、宝塚市北部などに広大な荘園を開き、当時の御家人中村勘素を安場の地(川面)に派遣、安場村を開かせたといわれる。そして、源氏の守護神八幡神を現在の川面1丁目付近に勧請、明白(明城とも書く)大明神として創建かされたのが、皇太神社の前身といわれているが、その創建年代は不祥。時は移り、江戸時代の1715(正徳5)年、安場村の明白大明神と、鍋野宇古宮(現川面5丁目)に鎮座の八幡神赤白大明神の二つの神を現在地に遷座されたという。その後、明治維新の神仏分離により、天照皇大神、天児屋根命を奉斎、名は皇太神社と改められた。以来、混乱の世も、安定の世も守護神として敬われてきた。阪神・淡路大震災により御本殿、拝殿などが倒壊した。このため、氏子をはじめ地域の人々が心を一つに、新世紀への復興のシンボルとして御社殿再建に取り組んだ。」

兵庫県宝塚市川面4丁目7-6
map

宝塚のマンホール

社標

参道





手水舎



鳥居



狛犬



拝殿



本殿

覆屋の中にあります。

末社、天満天神社

末社、住吉神社・熊野神社

末社、大山祇神社

末社、加太神社

末社、愛宕神社

末社、多田神社

末社、稲荷神社



末社、明城大明神
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千古稲荷神社

2024-01-11 20:36:37 | 伊丹・宝塚
2024年1月11日、お参りしました。
「創建不祥、正勝稲荷大明神、火防稲荷大明神、白玉稲荷大明神、千吉稲荷大明神の4柱を祀っています。手塚治虫が幼少の頃に昆虫採集をした神社です。」



兵庫県宝塚市川面6丁目21-48
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畦の細い参道です。



鳥居





手塚治虫の新聞記事





社殿






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鴻池神社・慈眼寺・昆陽寺(伊丹市)

2017-02-22 21:18:12 | 伊丹・宝塚
2017年2月21日にお参りしました。20日、21日と阪神の宝塚、猪名川、川西、伊丹そして大阪府池田市を観光しました。
鴻池神社
兵庫県伊丹市鴻池6-22-52
map
「鴻池神社の建立沿革は詳らかではないが、本殿は一間社流造、こけら葺で覆屋内で南面して建つ。身舎の様式手法及び彩色手法から17世紀初頭と考えられる。小規模ではあるが組物、蟇股の形式意匠や細部の絵様刳型、妻組の構成等が正規の手法でまとめられている。江戸初期の遺構として、また、伊丹における神社建築の代表作として貴重である。」





説明書





狛犬







本殿(兵庫県指定重要有形文化財)

末社



慈眼寺
兵庫県伊丹市鴻池6-19-59
「曹洞宗の寺院で、山号は僊園山。 建久6年(1195年)製の本尊・木造釈迦如来坐像は国の重要文化財に指定されている。」
山門



















本堂









観音堂

かわいいですね。







昆陽寺
兵庫県伊丹市寺本2-169
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「当山は聖武天皇の勅願所として、733年(天平5年)に行基菩薩により、畿内49院の1院として建立されたと伝えられている。天正7年(1579年)荒木村重と織田信長の戦火(有岡城の戦い)で焼失したが再興され、江戸時代は遍照院・一乗院・正覚院・成就院など9ヶ寺の塔頭を有していた。」
山門(兵庫県指定文化財)
「山門は、旧西国街道に面して建っている。上層周囲に縁をめぐらし、細部にみる絵様繰形の形式手法は江戸中期のものである。内部戸口柱を通柱として、上層柱を兼ねる構法は珍しく、斗栱部中備え間斗上の双斗肘木と妻飾虹梁下の大斗花肘木の意匠は前代のそれをよく残している。江戸時代中期における豪壮な山門は、県下でも類例が少なく、貴重な構造である。」













鐘楼

本堂









開山堂



























観音堂(兵庫県指定文化財)
「桁行3間、梁間3間、一重寄棟造正面向拝付、本瓦葺である。建立年代は明らかではないが、様式手法からみて、山門再建に先立つ時期と思われる。4面に軒柱を建て、その軒内3面に切目縁をめぐらし、正面に1間の向拝を付す。総じて簡素な建築であるが、側まわりの海老虹梁や向拝などの手法は、江戸初期の特徴をよく示している。この地方における江戸時代の数少ない遺構の一つとして貴重である。」









弁財堂


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普光寺と素盞嗚神社 (宝塚市長谷)・伊和志津神社、清荒神清澄寺(宝塚市)

2017-02-22 21:14:07 | 伊丹・宝塚
2017年2月20日、お参りしました。20日、21日と阪神の宝塚、伊丹、川西、猪名川そして大阪府池田市周辺と観光しました。
普光寺と素盞嗚神社は同じ境内で並んでいます。
普光寺
兵庫県宝塚市長谷字門畑25
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「養老年間(717年 - 724年)に法道の開山により創建されたと伝えられる。本尊は奈良県の長谷寺本尊と同体で、故に当地を「長谷」と称した、と伝えられている。中世には5坊と多くの寺領を有したが、弘治年間(1555年 - 1557年)に焼失。その後、牛頭天王社(現素盞嗚神社)の別当寺となった。



仁王門







本堂









鐘楼











素盞嗚神社
「素盞嗚命(すさのおのみこと)を主祭神とする祇園信仰の神社で、旧川辺郡長谷(ながたに)村の村社である。弘治年間(1555年 - 1557年)に現在地へ遷座したと伝えられ、普光寺と同じ境内にあり、神仏習合の典型的な配置である。」









長床
「本殿前にある舞台で、農村歌舞伎が行われていた。長床の床下をくぐって参拝する、珍しい参道になっている。」

赤いコーンの左からくぐって入ります。境内からの写したもの。

本殿(兵庫県指定重要有形文化財)
「近畿地方で数少ない、三間社切妻造平入(一間向拝付)で、江戸時代初期の建立。細部には八阪神社 (宝塚市)と同一の様式が見られる。」

覆屋で囲まれています。







宝篋印塔(兵庫県指定重要有形文化財)
『南北時代の観応元年(1350年)の銘がある。「波豆石」と呼ばれる流紋岩製での宝篋印塔としては、現在のところ最も古いものである。塔身の月輪は一般には線刻だが、本例のように一段低く彫りくぼめ、その中に種子(梵字)を刻むのは、波豆に所在する宝篋印塔に同じような例が見られ一つの地方的特徴である。』



末社





伊和志津神社
宝塚市伊孑志1-4-3
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『醍醐天皇の延長5年にまとめられた「延喜式神名帳」にその名を残す由緒深い神社です。祭神の須佐男命は和歌・学問・開発・縁結びの神で、境内神社に安産・水商売の宝塚水天宮もあります。本殿は市の文化財で、3,000坪の広さの境内は憩いの森として市民に愛されています。』











拝殿

















清荒神清澄寺
宝塚市米谷清1
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『「荒神さん」の名で親しまれる真言三宝宗の古刹で、寛平8年(896年)宇多天皇の勅願によって建立されました。同天皇から「日本第一清荒神」の称号を受けたことから「かまど(台所)の神様」「火の神様」として厚い信仰を集め、境内には大小さまざまの火箸が奉納されています。毎月27日・28日例祭日、1月の初荒神、年末の納荒神には、多数の参詣者が境内はもちろんのこと多種多様な店が軒を連ねる参道まで埋め尽くします。本尊の大日如来坐像は国の重要文化財となっています。』
土産物店







山門











境内図

説明書
『清荒神清澄寺は、今をさかのぼること千百十余年-平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万人豊楽の世界を開く勅願所の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。まず伊勢内宮・外宮など15神を勧請し鎮守神として、三宝荒神社を祀り、蓬莱山七嶺七渓に荘厳な伽藍を造営しました。そして宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を賜り、蓬莱山清澄寺として栄えました。およそ300年の後、源平の兵火により灰燼と帰しましたが、勅令により建久4年(1193)、源頼朝の手によって再興されました。それよりおよそ400年の後の戦国時代、再び兵火により荒神社を除く諸堂尽く焼亡しました。江戸時代末期、一代の名僧浄界和上(号露庵)の諸堂再興。』

講堂



なぜか狛犬







護牛神堂
『本尊「矢頭天王」はインド祇園精舎の守護神であり、厄除けの神・恵方神として知られています。」





寺院ですが鳥居もあります。



鐘楼

天堂





誉属堂・受付所

売店

護法堂







眼神祠
「古くここは霊水が湧き出て、眼の悪い人たちが目を洗って病を癒したとされます。」

龍王堂
「すべての生命を守る水神社で、古くから酒造・農業・火防の神として信仰をあつめています。」



納札所

火箸納所

行者洞
「岩壁をくりぬいた祠は、修験道の開祖で病気、災難等を取り除くといわれる役行者をお祀りしています。」



宝稲荷社
「明治時代、当時の忍随和上と光浄和上がある夜、同じ稲荷明神の夢をみたことからここに新しく祀られたといわれています。」



本堂
「天堂とならぶ重要な建物。内部は密教寺院の伝統を継承したつくりで、大聖不動明王の秘法が毎日修行されています。」













池苑













一願地蔵尊

寺務所
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八幡神社(宝塚市波豆)

2017-02-09 08:54:12 | 伊丹・宝塚
2017年2月6日お参りしました。本殿は国の重要文化財に指定され、境内の鳥居や石塔などは兵庫県の文化財に指定されています。
波豆八幡神社縁起について、説明書より『当社本殿は柿葺三間社流造りで応永10年(1403)に再建された簡素ながら端正なる容姿は国指定重要文化財中でも優秀な部類に属し、この時代の代表的な遺構です。特に昇勾欄の寶珠柱の向拝の蟇股に応永以前の古材が保持されています。神社縁起では攝津源氏の祖・源満仲公の弟鎮守府将軍治部輔源満政公の建立と伝えています。満政公は晩年、官職を退き、ここ波豆の里に隠棲、諏訪神社の神宮寺金福寺に入り律師満政を帰して仏道に精進しています。一日童子で寶珠を捧げ持って現われ、「此の寶珠は護国の珠なり、請う以て垂迹の印となせ、朕はこれ八幡麿なり」と宣べられ、寶珠を満政公に手渡すと忽然と消え去り、満政はその場にひざまづき宝珠を捧げ垂迹の地を拝みました。そしてこの地に宮社を築き、自ら一刀三拝の礼をもって神影を彫刻し社奥に御祀りしました。波豆里は古くから「波豆千軒8ケ寺」と呼ばれ、大変賑っていました。里人や氏神にして諏訪の神・誉田別尊(応神天皇)建御名万命建姫宮命を御祀りしています。この宮地に八幡神の垂迹の由縁を以て創建された八幡神社は後世の源一族が氏神として八幡神を尊び戦神として武人の信仰を高めましたが、正に八幡信仰の「源地」といえます。今では八幡神を厄除の神として世の尊信を集めています。境内には湖底に沈んだ金福寺の三尊種子板碑、宝篋印塔、五輪塔等が安置されています。湖水を影を映す石の鳥居は応永32年(1425)の銘を持つ県下2番目の古い鳥居です。』
兵庫県宝塚市波豆字谷田東掛2
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鳥居(兵庫県指定重要有形文化財)
「この鳥居は室町時代の応永32年(1425)に、八幡神社参道入り口に立てられた。地元では、波豆川西岸の石切場から川底に青竹を敷き並べ引っ張り上げてきたと、言い伝えられている。千刈水源池築造に際して現位置に移された。三田市藍本の酒垂神社にある応永3年(1395)の石造鳥居は同じ波豆産出の流紋岩製で、構造・形式も同一であることから同人または同系の石工の製作と考えられる。中央高約3.7m。」

狛犬



拝殿



本殿(重要文化財)
覆屋で覆われています。柿葺三間社流造りで応永10年(1403)に再建された。

境内

末社







波豆石造美術群
「波豆周辺には奈良時代から室町時代にかけて優れた石造美術品が多く残っている。これらは波豆川下流の石切場(現千刈水源池内)から切り出された流紋岩を使用している。これらの石造美術品は、旧金福寺の境内にあったもので、千刈水源池がつくられた時に、現在地に移されたものである。」
板碑(兵庫県指定重要有形文化財)
「ここにある高さ約4mの板碑は嘉暦3年(1328)に立てられたもので、三尊の種子(梵字)が薬研彫りに深く刻まれている。」

宝篋印塔(兵庫県指定重要有形文化財)
「明徳2年(1391)に建てられたもの。」

五輪塔(兵庫県指定重要有形文化財)
「康永2年(1343)に建てられたもの。」

宝篋印塔(宝塚市指定文化財)
「左の宝篋印塔は、笠部の隅飾に種子が刻まれており、南北朝時代中期(14世紀後半)に建てられたものであろう。」

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中山寺(安産の寺)

2016-11-14 18:53:23 | 伊丹・宝塚
2016年11月13日、箕面の滝道を散策し、近くなので中山寺にお参りしました。
中山寺は、真言宗中山寺派大本山で、本尊は十一面観世音菩薩、西国三十三所第24番札所です。
寺伝によれば「聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場です。豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとされる。また、幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られる。」
阪急宝塚線の中山観音駅すぐです。
兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1
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駅前からの参道です。

寺標

大門(兵庫県指定重要有形文化財)
「正保3年(1648年)徳川家光公により建立された。」



















総持院

宝蔵院





華蔵院







観音院













成就院





参道階段

五百羅漢堂









境内案内図、エスカレーターやエレベーターがあります。

手水舎

鐘楼堂

寿老神堂

大黒堂

閻魔堂















本堂(兵庫県指定重要有形文化財)
「慶長8年(1603年)豊臣秀頼の命で片桐且元が再建した。」



















境内での菊花展

護摩堂(兵庫県指定重要有形文化)
「慶長8年再建」





宝蔵





阿弥陀堂





亥の子地蔵



信生会館





鎮守社







大願塔



子授け地蔵









大師堂



五重塔

稲荷社





開山堂(聖徳太子堂)

紫雲閣



お疲れ様でした。帰りの参道でアイスクリームを食べました。


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