2016年3月28日、友人達と三宮集合で電車、バスを乗り継ぎ岩船寺にお参りし、その後、石仏の道を約2kmほど浄瑠璃寺に向かって歩きました。
石仏の道の案内図
天気予報で雨との予報でしたが、天気も良くて、皆で喋りながらのハイキングです。コースを岩船寺からにしたのは下り坂で逆コースであれば、登りはきついとのことからでした。
振り返ってパチリ
一願不動(不動明王立像)
「弘安10年(1287)のもので、京都府指定文化財、岩船寺奥の院の修行場の大岩に彫られた童顔ギョロ目の愛嬌があるお不動さん。像高121cm。」
また下り坂を歩きます
なんだか巨石が、何も彫っていません。
わらい仏(岩船阿弥陀三尊磨崖物)
「永仁7年(1299)の銘文があり、京都府指定文化財、当尾の代表的な石仏の一つです。蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を従えた阿弥陀仏です。上部の屋根石が廂となっているので、風蝕の影響が少なく保存状態は良好です。伊末行の作、中尊像高79cm。」
ねむり仏(地蔵石仏)
「わらい仏の左の土の中に埋もれています。この石仏は、長い間土の中に休んでおられます。」
再び歩きます。まわりは竹林が多いですね。
カラスの壺二尊(阿弥陀地蔵摩崖仏)
「康永2年(1343)のもので、道が交差する分岐点で「からすのつぼ」と呼ばれている場所、一の岩に阿弥陀如来坐像と、面を変えて地蔵菩薩立像が彫られています。阿弥陀仏の横の線彫灯籠は火袋を彫り込み、そこへ燈明が供えられます。」
再び、石仏の道を歩きます。のどかな道です。
あたご灯籠
「細長い自然石を使用した灯籠です。高さ170cm。愛宕神は火の神様を司っています。当尾ではお正月にここからおけら火を採り雑煮を炊く風習があったそうです。同形の燈籠が、穴薬師の前と岩船の集落にもあります。」
薮の中三尊摩崖仏
「弘長2年(1262)のもので、東小集落中程の薮中にあります。随願寺の塔頭があった場所といわれています。像高、右から111cm、153cm、91cm。舟形の光背を彫りくぼめ、正面に地蔵と十一面観音、向かって左に阿弥陀を配する非常に珍しい配置の石仏です。作者は橘派の橘安縄、当尾の石仏中最古のものです。」
浄瑠璃寺周辺の案内図
参道の土産物屋
参道
アセビの花が咲いていました。
桜
石碑
参道、正面が山門
参道の左手にある「あしびの店」で昼食しました。
とろろ定食は1080円でした。手作り味噌での味噌汁、山椒の実の塩漬けなどの漬物、わけぎなどが添えられています。
店の前の庭にはさまざまな木々の花が食事を楽しませてくれます。
当尾の説明書
浄瑠璃寺
真言律宗の寺院で、山号は小田原山です。関西花の寺25ケ所霊場の第16番です。
パンフレットより「この寺は東の薬師仏をまつる三重塔、中央宝池、西の九体阿弥陀堂から成り立っている。寺名は創建時のご本尊、薬師仏の浄土である浄瑠璃世界からつけられた。薬師仏は東方浄土の教主で、現実の苦悩を救い、目標の西方浄土へ送り出す遣送仏である。阿弥陀仏は西方未来の理想郷である楽土へ迎えてくれる来迎仏である。この寺ではまず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、その前でふり返って池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝である。」
拝観料は300円です。
京都府木津川市加茂町西小
map
山門
境内
鐘楼
宝池は修理中でした。
三重塔(国宝)
『「浄瑠璃寺流記事」によると治承2年(1178)、京都の一条大宮から移建したとするが、もともとどこの寺院にあったものか不明である。構造上の特色は、初層内部には柱がないことで、心柱は初層の天井から立てられている。浄瑠璃寺に移築された後、初層内部に仏壇を置きその上に薬師如来像(重文、秘仏)が安置された。初層内部の壁面には十六羅漢像など の壁画が描かれている。』
九体阿弥陀堂(国宝)
「寄棟造、本瓦葺きで、桁行11間、梁間4間、堂正面の左右両端間は上半を連子窓、下半を土壁とし、他の9間は板扉とする。隅の柱上に舟肘木を用いるほか、外周の柱上には組物を用いない、簡素な建物である。当時、京都を中心に競って建立された九体阿弥陀仏をまつるための横長の銅で、現存する唯一のもの。」
堂内には、九体阿弥陀如来像(国宝)、子安地蔵菩薩像(重要文化財)、四天王像(国宝)の持国天と増長天、不動明王三尊像等がまつられています。
石灯籠二基(重要文化財)
「本堂と三重塔の前、池の両岸にある。阿弥陀仏と薬師仏のお光で、塔の前のは貞治5年の年号銘が読める。」
お疲れ様でした。
石仏の道の案内図
天気予報で雨との予報でしたが、天気も良くて、皆で喋りながらのハイキングです。コースを岩船寺からにしたのは下り坂で逆コースであれば、登りはきついとのことからでした。
振り返ってパチリ
一願不動(不動明王立像)
「弘安10年(1287)のもので、京都府指定文化財、岩船寺奥の院の修行場の大岩に彫られた童顔ギョロ目の愛嬌があるお不動さん。像高121cm。」
また下り坂を歩きます
なんだか巨石が、何も彫っていません。
わらい仏(岩船阿弥陀三尊磨崖物)
「永仁7年(1299)の銘文があり、京都府指定文化財、当尾の代表的な石仏の一つです。蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を従えた阿弥陀仏です。上部の屋根石が廂となっているので、風蝕の影響が少なく保存状態は良好です。伊末行の作、中尊像高79cm。」
ねむり仏(地蔵石仏)
「わらい仏の左の土の中に埋もれています。この石仏は、長い間土の中に休んでおられます。」
再び歩きます。まわりは竹林が多いですね。
カラスの壺二尊(阿弥陀地蔵摩崖仏)
「康永2年(1343)のもので、道が交差する分岐点で「からすのつぼ」と呼ばれている場所、一の岩に阿弥陀如来坐像と、面を変えて地蔵菩薩立像が彫られています。阿弥陀仏の横の線彫灯籠は火袋を彫り込み、そこへ燈明が供えられます。」
再び、石仏の道を歩きます。のどかな道です。
あたご灯籠
「細長い自然石を使用した灯籠です。高さ170cm。愛宕神は火の神様を司っています。当尾ではお正月にここからおけら火を採り雑煮を炊く風習があったそうです。同形の燈籠が、穴薬師の前と岩船の集落にもあります。」
薮の中三尊摩崖仏
「弘長2年(1262)のもので、東小集落中程の薮中にあります。随願寺の塔頭があった場所といわれています。像高、右から111cm、153cm、91cm。舟形の光背を彫りくぼめ、正面に地蔵と十一面観音、向かって左に阿弥陀を配する非常に珍しい配置の石仏です。作者は橘派の橘安縄、当尾の石仏中最古のものです。」
浄瑠璃寺周辺の案内図
参道の土産物屋
参道
アセビの花が咲いていました。
桜
石碑
参道、正面が山門
参道の左手にある「あしびの店」で昼食しました。
とろろ定食は1080円でした。手作り味噌での味噌汁、山椒の実の塩漬けなどの漬物、わけぎなどが添えられています。
店の前の庭にはさまざまな木々の花が食事を楽しませてくれます。
当尾の説明書
浄瑠璃寺
真言律宗の寺院で、山号は小田原山です。関西花の寺25ケ所霊場の第16番です。
パンフレットより「この寺は東の薬師仏をまつる三重塔、中央宝池、西の九体阿弥陀堂から成り立っている。寺名は創建時のご本尊、薬師仏の浄土である浄瑠璃世界からつけられた。薬師仏は東方浄土の教主で、現実の苦悩を救い、目標の西方浄土へ送り出す遣送仏である。阿弥陀仏は西方未来の理想郷である楽土へ迎えてくれる来迎仏である。この寺ではまず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、その前でふり返って池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝である。」
拝観料は300円です。
京都府木津川市加茂町西小
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山門
境内
鐘楼
宝池は修理中でした。
三重塔(国宝)
『「浄瑠璃寺流記事」によると治承2年(1178)、京都の一条大宮から移建したとするが、もともとどこの寺院にあったものか不明である。構造上の特色は、初層内部には柱がないことで、心柱は初層の天井から立てられている。浄瑠璃寺に移築された後、初層内部に仏壇を置きその上に薬師如来像(重文、秘仏)が安置された。初層内部の壁面には十六羅漢像など の壁画が描かれている。』
九体阿弥陀堂(国宝)
「寄棟造、本瓦葺きで、桁行11間、梁間4間、堂正面の左右両端間は上半を連子窓、下半を土壁とし、他の9間は板扉とする。隅の柱上に舟肘木を用いるほか、外周の柱上には組物を用いない、簡素な建物である。当時、京都を中心に競って建立された九体阿弥陀仏をまつるための横長の銅で、現存する唯一のもの。」
堂内には、九体阿弥陀如来像(国宝)、子安地蔵菩薩像(重要文化財)、四天王像(国宝)の持国天と増長天、不動明王三尊像等がまつられています。
石灯籠二基(重要文化財)
「本堂と三重塔の前、池の両岸にある。阿弥陀仏と薬師仏のお光で、塔の前のは貞治5年の年号銘が読める。」
お疲れ様でした。