旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

第96回明石公園菊花展覧会

2024-11-04 16:58:55 | 明石市
2024年11月5日、兵庫県立明石公園で菊花展がありました。
10月26日から11月17日までです。
様々なテーマでの展示で、学校園花壇、大懸崖鉢個別、意匠花壇、ドーム菊花壇、小懸崖鉢個別、三本立花壇(厚物・管物)、大菊切花、福助花壇、杉づくり鉢個別、ダルマ花壇、特作花壇、小品盆栽、盆栽花壇、秋色盆景、盆景花壇、大菊鉢組などです。広場では、肉フェアとして、様々な店舗が出店していました。




































































































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県内の大周り列車の旅

2024-09-14 07:43:27 | 明石市
2024年9月13日、友人たち20人で兵庫県内の大周り列車旅をしました。
 大周り旅は、時間に追われる日常生活とは違って、のんびりと不自由を楽しむ旅です。大周りたびは、どこでも自由に乗り回るということではなく、ルールがあります。
 旅客営業規則第157条2項(選択乗車)は、「大都市近郊区間内相互発着の普通乗車券及び普通回数乗車券(併用となるものを含む。)を所持する旅客は、その区間内においてはその乗車券の券面に表示された経路にかかわらず、同区間内の他の経路を選択して乗車することができる。」と規定しています。
 今回の大周りの列車旅は、明石駅から西明石駅の1区間170円の乗車券で、明石駅石9時20分発JR東海道山陽本線新快速 神戸方面 草津行、尼崎駅9時52分着、9時58分発JR福知山線(宝塚線)区間快速 宝塚方面篠山口行、篠山口駅10時59分着、約40分ホームで列車待で早めの昼食やトイレ休憩、11時39分発 JR福知山線〔宝塚線〕福知山行 、谷川駅11時56分着、12時10分発 JR加古川線西脇市方面加古川行、 加古川駅13時:31分着、トイレ休憩し13時52発 JR東海道山陽本線新快速 神戸方面 、14時2分着西明石駅でした。4時間42分ののんびり列車旅で、車窓から稲や枝豆の成長ぶり、山間部での樹木など緑を楽しみました。
 新快速、区間快速、加古川線では各駅停車の1両の普通列車だけどトイレ付でした。安心したグループの数人が、焼酎やお酒などで、非日常で会話が弾んでいました。
今回の周遊コースです。

篠山口での福知山行きの列車です。

列車のドアの開閉は乗降客が自分でボタンを押します。





加古川行きの各駅停車です。





加古川駅での乗換時には、児童改札ですが、駅員に大周りだと告げ、乗車券を提示して神戸行きのホームへ移動でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石寺町の南の神社群

2023-06-05 18:54:23 | 明石市
2023年6月5日、お参りしました。明石駅から南、国道2号線を渡り明石港の西側に寺町があります。その南の海岸沿いに神社がいくつかあります。今回は岬森大明神から西側に歩いて、お参りしました。
岬森大明神(稲荷神社)
石碑の印刻により、1921年に再建されたとのこと。
兵庫県明石市港町9-9-2
鳥居

手水鉢

白狐



「治永大神・白永大神・正永大神・伊勢永大神」と印刻の石碑

「再建記念芳名録」の石碑





恵比寿神社
兵庫県明石市港町10-4







子安地蔵尊

明石のマンホール

白瀧大明神
兵庫県明石市港町16-11







白鷹大明神
兵庫県明石市港町26-6



蛭子神社
兵庫県明石市港町30-10





濱森大明神
兵庫県明石市港町30



御旅神社
兵庫県明石市岬町8







音成大明神
兵庫県明石市岬町13







蛭児神社
兵庫県明石市岬町16-267









蛭子神社
兵庫県明石市岬町31



白由大明神・白武大明神
兵庫県明石市岬町24-10





伊弉諾神社
兵庫県明石市大観町17
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御厨(みくりや)神社

2023-03-23 16:19:05 | 明石市
2023年3月22日、お参りしました。
説明書より「祭神は、応神天皇(誉田別命)、菅原道真、素戔嗚尊(牛頭天皇)。往年の火災により、社殿と共に記録文書を焼失し創立の年月は不祥。社伝によると、神功皇后の西征の際、この二見浦に船を泊めて船子を加え兵糧を集めた時、土地の者が食物を奉ったところという。その故事によって御厨(神饌を調進する所)の名が起った。この御厨という言葉は、主として伊勢神宮について使用されることから、伊勢神宮の荘園ではなかったかとの説もある。貞観年間(985~987)に八幡宮を勧請した。901(延喜元)年菅原道真が筑紫大宰府に左遷されて西行の途次、船をこの浦に寄せて社地に上陸した所縁により、寛和年中(985~987)に天満宮を勧請した。この当時の社地は君貢神社(二見町東二見1)付近と伝え、菅原道真が西下の時、一夜の宿とした岡を"仮寝の岡"といい、そこに手植えした松を"仮寝の松"として神木とされ、二見の名所であった。松は枯れたが、石碑は残っている。しかし、菅公が休息したのは現在の社地であるという説もあり、鳥居の傍の松に"菅公腰掛松"というものがあったといい、また菅公が右大臣であったところから、大臣の唐名・丞相を冠して地名とした丞相谷は現在地の南方にある。現社地が卯ノ花ノ森に移ったののは長暦年間(1037~1040)と伝えられる。卯ノ花ノ森は常盤木の森ともいい、付近一帯を御社の岡と呼ぶ。土地柄から船頭や回船業者など開運関係者の崇敬が厚く、拝殿内に帆前船の絵馬と模型が奉納されている。天正年中(1573~1591)に池田輝政公が境外に社領40石を、1618(元和4)年に徳川家光公が、御朱印地40石と山林を寄付された。又、往時の神仏混淆時代、御厨神社の別当時として海雲寺があり、神社に接して円林坊、常光坊、西二見に最蔵坊と宝積坊が塔頭として存在していた。海雲寺とはこの四坊の総寺号で、神社境内に接した二坊(菅相院)が天満宮を支配し、西二見の二坊(威徳院)が八幡宮の別当だったという。現在残っているのは西二見の威徳院だけである。祭事は1月18・19日の厄除大祭、3月25日春祭、7月10日・11日祇園祭、7月25日夏祭、10月20日~26日の土・日曜の秋祭がある。」
兵庫県明石市二見町東二見1323
map
鳥居







手水舎



安永三義之碑
「安永三義人とは江戸時代の安永年間(1772~81)に東二見村を飢えから救った弥惣兵衛、市郎右衛門、伊左衛門のことで、林村の漁師と東二見の漁師が鹿の瀬のタコツボ漁で争いがあり、東二見は裁決で敗れ、漁場が無くなり東二見の村人は悲惨な状況に追込まれました。安永2年老中松平右近が江戸城を下り二見村を通過した時に、3名は厳罰覚悟で老中に現在の窮状を直訴しました。この直訴のお陰で、東二見村の漁師は沖での漁が認められ、村は飢えから救われました。」



随身門

仮寝の松

狛犬



拝殿











本殿



















社務所







境内社、由加神社(手置帆負命)・秋葉神社(武甕槌命)・金刀比羅神社(大物主命)

朝日神社(天照大神)

高良神社(武内宿祢、大年神)、大年神は大正8年6月西二見字野々口より合祀



稲荷神社(宇迦能魂命、大山祇命)大正2年2月合祀










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遍照寺

2023-02-15 18:41:47 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「浄土宗の寺院で、597(推古天皇5)年に聖徳太子が草創し、740(天平12)年に大僧正行基が開山した。聖徳太子との縁が深く、平安時代には花山上皇や和泉式部が参詣し、鎌倉時代には後醍醐天皇も立ち寄り祈願したと伝えられています。樹木葬の庭苑があります。」
明石市魚住町長坂寺513-8
map
山門







本堂



大日堂







樹木葬、魚住庭苑
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住吉神社

2023-02-15 18:31:09 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「詳細は不祥、御祭神は、底筒男命,中筒男命,表筒男命,気長足姫命。10月第2日曜日に秋祭り斎行。」
明石市魚住町長坂寺554
map
鳥居



狛犬



拝殿



本殿

末社




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正覚寺

2023-02-15 18:21:16 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「真宗大谷派の寺院で、山号は天光山と号す。室町時代の1470(文明2)年に釈浄誓(俗名佐藤時信)が開いた。佐藤時信は、平安時代の鎮守府将軍藤原秀郷(俗称俵藤太)の子孫だという。現在の本堂は、1717(享保2)年の建築である。」
明石市魚住町1368
map
寺標

山門





本堂





玄関

鐘楼


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金ケ崎神社

2023-02-15 18:15:15 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「もと黒石神社といい、大久保荘西脇にまつられた神社であった。創立年は不祥、1874(明治7)年2月村社に列せられ、1907(同40)年4月30日に住吉神社を合祀して、鐘ケ崎神社と改称している。境内には末松大明神がある。西に400メートルのところに若宮がある。秋祭には本殿と若宮との2か所で神事が行われる。」
明石市魚住町金ケ崎225-2
map
鳥居

説明書

手水舎

狛犬







拝殿

幣殿

本殿



末社


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗賢神社

2023-02-15 18:10:24 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「23代顕宗天皇、24代仁賢天皇をまつっている。皇位をめぐる争いで億計・弘計二王子の父が殺され、王子は播磨国に逃げ、縮見にかくれ住んだ。その後、二王子を大和へ迎えて即位した。「古事記」に出て来る物語である。これらの伝承から二王子をまつる王子権現が多い。西脇の宗賢神社は1672(寛文12)年9月に勧請された。」
明石市大久保町西脇635-1
map
鳥居

手水舎



狛犬



拝殿





由緒書



本殿


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西光寺

2023-02-15 18:05:49 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「真宗興正派の寺院で、鶏谷山安養院西光寺という。開基は奈良時代の慧辨上人という。昔西脇の北の給料に江南山報恩寺という七堂伽藍の大きな寺があり、西光寺は塔頭の一つだった。1579(天正7)年ごろは芝秀吉の三木攻めのさい別所方だとして焼き討ちにあい、灰燼に帰した。同寺の再建は、1592(文禄元)年で、了法上人が中興の祖といわれる。」
山門は閉まっていました。
明石市大久保町西脇412-1
map
山門

鐘楼

本堂
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする