旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

住吉神社

2023-01-31 16:07:08 | 明石市
2023年1月31日、お参りしました。
「『兵庫県神社誌』によると、創立年月不祥、はじめ森田字宮ノ先に鎮座していたが、1908(明治41)年に現在地に遷座したとある。社殿裏の供養塔は、松平信之は1686(貞享3)年7月11日に亡くなり、森田村の住民がその徳を偲んで1か月後に建立した。この地域に住吉神社が多いのは、産米を千石船で江井島から大阪へ運ぶのに航行の安全を祈り創建されたようである。」
明石市大久保町森田141-2
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鳥居

手水舎

狛犬



拝殿



本殿
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三社神社

2023-01-31 15:44:33 | 明石市
2023年1月31日、お参りしました。
「JR西明石駅から北側徒歩3分の国道2号線に面して鎮座しています。三社神社の由緒には、1661(寛文元)年に旱魃が続いたので三神をお祭りしたところ、霊験を得たので翌年に建立して祭祀したとあります。祭神は皇大神(天照太神)、八幡大神、春日大神。10月の秋祭に宵宮だんじり巡行が斎行されます。小久保村は1679(延宝7)年から1682(天和2)年の間、明石藩主・本田政利の時代に開墾されました。」
明石市小久保2-9-4
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社標

木製鳥居

手水舎



狛犬







拝殿

本殿

末社、祇園社・天満宮

稲荷社


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御崎神社

2023-01-31 15:25:11 | 明石市
2023年1月31日、お参りしました。
「山王権現ともいわれる。市指定の無形文化財『藤江の的射』でよく知られる。延喜式の「神名帳」に記された神社で式内社として格式を誇った。由緒によると、南北朝時代の1372(応安5)年に勧請、山王権現と称したというが、もっと古社だと思われる。明治の初め、御崎大明神と改称、さらに御崎神社となった。的射の神事は毎年1月15日に行われる。300年前から続けられている伝統行事である。」
明石市東藤江2-15-12
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鳥居

手水舎

拝殿

本殿





末社

民族芸能「藤江の的射」(明石指定文化財)
「藤江村に風水害をおこす悪霊を袴姿の大前・弓立が矢で射落とし、豊作・豊漁を招く神事。弓の民族芸能として市内に残る唯一のもの。」




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林神社

2023-01-31 15:14:09 | 明石市
2023年1月31日、お参りしました。
「明石九座の一つ、『延喜式』に記された式内社である。1881(明治14)年には県社に列せられている。社伝によれば、林崎の海岸にあった赤石の上に海の神が現れ、うやまわれた。成務天皇の8年(二世紀)8月、風波のため赤石が海中に沈んだ。人々は翌9年の元旦、神社を建て海の神をまつったという。922(延喜22)年夏は大変な旱魃だった。朝廷は使いを出し同神社に祈ると霊験もあらたかに雨が降った。それ以来、雨乞社とも呼んだ。1005(寛弘2)年には彦火々出見命など四神を合祀、上宮五社大明神と称したが明治に入って林神社に戻った。1945(昭和20)年1月19日の空襲で社殿が全焼した。」
明石市宮の上5-1
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社標

鳥居

参道

手水舎

狛犬



拝殿



本殿

社務所

末社・稲荷社








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来迎寺

2023-01-24 18:32:23 | 明石市
2023年1月24日、お参りしました。
「天台宗月輪山、明石西国33ケ所観音巡礼の第6番札所。717(養老元)年4月に魚住の荘八木の里に来た行基は、十一面観音をここに置き、伽藍を建立して来迎寺と名付けた。その後、寺内には西方坊、吉祥坊、極楽坊など6か坊があり、時の元正天皇の勅願所にもなった。武士の世の中になるに従って寺も衰え、荒れてしまった。南北朝時代中頃、この地方の豪族であった桜井正左衛門が再建、中興の祖になった。墓地には供養塔の宝篋印塔がある。室町時代後期の1578(天正6)年から始まった織田信長の播磨攻め、羽柴秀吉と三木城主の別所長治の戦い、播磨は戦乱で、寺院や神社が次々と焼かれた。1924(大正13)年3月24日、火災によって、すべてが焼けてしまった。観音堂は翌年に再建、庫裏などすべてが元に戻ったのは1932(昭和7)年である。」
明石市大久保町八木309
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山門











玄関

本堂
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長光寺

2023-01-24 18:26:22 | 明石市
2023年1月24日、お参りしました。
「天台宗の寺院、薬王山。奈良時代の高僧行基(668~749)が開いたといわれ、本尊の薬師如来は行基の作と伝える。播州薬師霊場七番札所卯である。寺伝によると717(養老元)年3月の開基で、如意寺(神戸市西区櫨谷町)の末寺であった。八木の来迎寺も同じころの開基と伝えている。」
明石市大久保町谷八木742
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山門










弁財天

北向地蔵尊

玄関

本堂






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龍泉禅寺

2023-01-24 18:18:20 | 明石市
2023年1月24日、お参りしました。
「臨済宗妙心寺派鷲峰山龍泉禅寺、1803(享保3)年、火災のため寺の縁起などすべてを失って、わかっていることはわずかしかない。鎌倉中期、1254(建長6)年法灯国師によって開かれた。その後、1701(元禄14)年に、法雲和尚が再興して臨済宗となった。焼失した堂宇は、3年後の1806(文化3)年二再建された。本堂の2階で寺子屋が開かれ、小さな村から50人もの子ども達が学んでいたという。1941(昭和16)年、老朽化した本堂の建て替えが行われた。海の眺望が失われるとして山門は建てられなかった。明石西国33か所巡礼の五番札所で、本尊は釈迦如来、寺宝の青銅製鋳型の涅槃像は、いつの時代のものかなど不明。」
明石市藤江1305
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寺標

鐘楼







玄関







本堂



北向鎮守社
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青竜神社

2023-01-24 18:07:08 | 明石市
2023年1月24日、お参りしました。
「鎌倉時代の1254(建長6)年9月25日、藤江村に上宮青竜五社大明神(林神社)を勧請、社殿を建てて青竜神社と称したという。土地の伝承によると、昔、ここには厳島神社がまつられていたが、藤江村が盛んになるにつれ、新しい神社を建て、古い厳島神社はその末社になった。」
明石市藤江字出の上1191
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社標

鳥居

参道

石灯籠

境内

遥拝所

藤江出ノ上遺跡
「この場所からは、縄文式土器や石鏃、すり石、たたき石などが出土し、縄文時代中期から後期にかけて、人が生活していたことが明らかになりました。この時期は、気候が今より暖かく、海水面が上昇し、現在の崖の下まで海が入り込んでいたとみられます。縄文人は、この海辺近くの台地上で、狩猟・採種生活を送っていました。」

手水舎



狛犬



拝殿







本殿

末社


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坂上寺

2023-01-24 17:54:42 | 明石市
2023年1月24日、お参りしました。
「慶命山坂上寺は真言宗の寺で、弘法大師が創建したといわれ、「かにが坂のお大師様」の名で知られている。当初「高野道場」といわれていた。「坂上寺」と名付けたのは、小笠原忠真の夫人が1632(寛永9)年7月に再興、地蔵堂と大師堂を建ててからのことで、江戸時代には船上密蔵院の末寺である。坂上寺は昭和20年の空襲で全焼したため、みるべき建物は残っていない。」
明石市和坂1-8-2
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手水舎

十三重塔



法華塔









大師堂

遥拝所





本堂





香炉
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十輪寺

2023-01-24 17:29:57 | 明石市
2023年1月24日、お参りしました。
「高野山真言宗宝珠山と号し、もと地蔵院ともいわれ、船上密蔵院の末寺であった。寺伝によると、昔、藤原鎌足の孫宇合が明石郡内に七伝薬師をつくられたさい、もう一体薬師を作られ、ここに安置した。それ以来、八つ目の薬師、八体薬師と呼ばれるようになり、当時は、赤ちゃんが生まれても、母乳が出なく八体薬師に煎麦粉を供え祈ったところ母乳が出るようになった。それから煎麦粉を供え祈る信仰が生まれた。寛永の始め(1620年頃)には、明石城主小笠原忠真の後室が先君の菩提を弔い寺格を上げた。1639(寛永16)年には四代目城主大久保季任が薬師堂を移し、享保年間(1716~1736)に本堂などが整備された。1945(昭和20)年7月7日の明石空襲の戦火で、この寺の全てが焼き尽くされた。その後、本堂は1962(昭和37)年に再建された。」
明石市西新町1-2-11
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手水鉢

焼け残った杉
「豊臣秀吉が、戦勝を祈って手植をした苗木が当時二股に分かれて高さ25メートルとなった大杉はこの付近の名勝だった。1945(昭和20)年、戦火で本堂及び境内の全てが焼失した。焼け残ったこの杉の鋸目は、当時の世話人が焼け落ちた寺の片付け、樹木の大きな物は人が運べる大きさにと作業していた。しかし、口伝によると、門前に居た年寄りが、『それは切らずに残してけ太閤さんの木やで』と、この年寄りの一言がなければ、この木すら残りはしなかっただろう」

地蔵





本堂

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