旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

蓮海寺

2022-09-18 20:11:38 | 滋賀
2022年9月16日、お参りしました。
「蓮海寺と号するこの寺名は、当地志那浦が中世から近世にかけて蓮花の名勝地であったことに由来すると考えられます。」
滋賀県草津市志那町936
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芦浦観音寺跡

2022-09-18 20:05:38 | 滋賀
2022年9月16日、お参りしました。
「芦浦観音寺は、聖徳太子開基・秦河勝創建の伝承を持つ古刹ですが、現在の寺の歴史は、室町時代前期の1408(応永15)年、歓雅による寺の中興にはじまるとされています。特に観音寺三傑僧と呼ばれる八世賢珍・九世詮舜・十世朝賢の時代には、芦浦観音寺は、天下人である織田信長・豊臣秀吉・徳川家康のもとで天下統一事業に積極的に関与しており、とりわけ九世詮舜は、秀吉から琵琶湖湖上交通の管理・監督を行う船奉行に任命されています。以後、1685(貞享2)年に代官職を罷免されるまで、船奉行として活躍しました。一方、周囲に堀を巡らし、内部に石垣や土塁を配する現在の寺の様子は、江戸時代前期の作とみられる『芦浦観音寺境内絵図』にも表れており、さらに近年の各種調査によって、この景観は安土桃山時代から江戸時代前期に行われた寺の整備によるものであること、また往時の芦浦観音寺が現在の寺の西側まで広がっていたことなどが明らかとなっています。以上、芦浦観音寺は、中世末から近世初頭のわが国の歴史を窺う上で重要であり、しかも当時の遺構が良好に遺存していることなどから、かつての境内地等を含めた範囲を史跡芦浦観音寺跡に指定し、長く保存を図っていこうとするものです。」
滋賀県草津市芦浦363−1
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おごと温泉 琵琶湖グランドホテル

2022-09-18 19:47:37 | 温泉、旅館、ホテル
2022年9月15日、利用しました。
このホテルは2度目です。滋賀県観光で立地がいいので宿泊しました。プラン名は[マル得プラン・夕食:会席]です。朝食はバイキング形式です。
滋賀県大津市雄琴6-5-1
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外観

ロビー



廊下

庭園



室内





おもてなし

窓からの景色







夕食です。
先付、胡麻豆腐・鱧・山葵・美味出汁

前菜、海老芝煮・無花果・ブラックキャビア・零余子テリーヌ・栗・蒟蒻土佐和え

造り、鮪・鯛・帆立・甘海老

凌ぎ、茶蕎麦・錦糸卵・椎茸旨煮・ピース豆・とろろ昆布

焜炉二種
豚塩麹鍋、水菜・榎木・玉葱・ブナピー・椎茸・マロニー・豆腐





近江鴨朴葉景焼、焼葱・舞茸・パプリカ・自家製朴葉味噌

煮物、小芋・南瓜・蓮根・海老・麩・陸蓮根

焼物、太刀魚西京焼・牛笹焼・袱紗焼・はじかみ

揚物、海老変り揚げ・小鮎・丸十・コーン・しし唐

酢の物、炙り真鯛・彩りサーモン・帆立・合鴨スモーク・袱紗胡瓜・昆布・ジュレ酢

留椀、湯葉・滑子・三つ葉・柚子、香の物、水菓子・ハネージューメロン

朝食です。
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八幡神社

2022-09-18 18:25:55 | 滋賀
2022年9月15日、お参りしました。
由緒書より「八幡神社は、応神天皇の霊を勧請して武運長久を祈願したのがはじまりで、その後、1571(元亀2)信長の兵火にあい社殿は焼失する。」
滋賀県近江八幡市馬淵町2447
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社標

鳥居

狛犬



神馬



手水舎

拝殿

中門

本殿(重要文化財)
「現在の本殿は、織田信長の兵火後の1596(文禄5)年、大岡作左衛門尉長広によって再建された。その後、数度の修理・改修がおこなわれたが、昭和41年の解体修理によりもとの形に復元された。」









末社






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浄厳院

2022-09-18 17:28:36 | 滋賀
2022年9月15日、お参りしました。
説明書より「山号は金勝山と号し、浄厳院(じょうごんいん)。1578(天正6)年織田信長によって建てられた浄土宗の寺である。この地はもと佐々木六角氏頼が建てた慈恩寺(天台宗)の跡地であり現在も大字慈恩寺として地名が残っているが、近江八幡市多賀町にあった興隆寺のお堂を移し、栗太郡の金勝寺より明感という僧侶を招いて金勝山浄厳院とした。また本尊の阿弥陀如来像は愛知郡二階堂にあった古寺より譲り受けたもので平安時代の作である。ここはまた『信長公記』にみられる、法華宗と浄土宗との間で争われた『安土問答』の場としても有名である。」

滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺744
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寺標



仁王門









徳本上人名号碑



山門

手水舎

鐘楼堂(近江八幡市指定文化財)
「この建物は、県内に珍しい袴腰付の大型鐘楼で、平面は一間3.67メートルの方形です。隅の鬼瓦銘(寛保2年1742年)と梵鐘銘(寛保元年1741年)のほかに全体の様子から江戸時代中期、寛保2年に建てられたものと認められます。三段石積基壇上に建つため、比較的背が高く感じますが、袴腰の裾を広げ、軒の出も深く、軒の反り強くした近世らしい袴腰付鐘楼に整えています。当寺は、江戸時代に八幡の大工高木家と深く関わっており、この鐘楼もその関連建物の一つです。」



観音堂

本堂(重要文化財)
「1577(天正5)年織田信長が再興、本堂はこの時、近江八幡多賀村の興隆寺弥勒堂を移建したものであって、室町時代中期末頃の建築とみられ和様を主体とした古い形式を示し、中世地方寺院の遺構として貴重な存在である。」















茶所

釈迦堂

不動堂(近江八幡市指定文化財)
「この建物は、宝形造、桟瓦葺で禅宗様を取り入れた小堂です。隅鬼瓦銘(元禄16年1702年)と、細部の彫刻などの特徴から、江戸時代中期、元禄16年に建てられたものと認められます。正面、背面が一間、側面が二間になっていますが、寸法は各面4.98メートルを測る平面方形の建物です。基壇上に建ち、内部は瓦四半敷の土間、正面は方位を立て桟唐戸両開で、両脇の小間に火頭窓を設けています。江戸時代中期、元禄時代の禅宗様でまとまった価値の高い建物です。」

塔頭・誓要院







塔頭・春陽院




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五個荘・金堂の町並み

2022-09-18 17:28:11 | 滋賀
2022年9月15日、散策しました。
「滋賀県東近江市の五個荘の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に平成10年12月25日に、選定されました。選定理由は、『金堂の町並みは古代条理地割を基礎に大和郡山藩の陣屋と社寺を中心に形成された湖東平野を代表する農村集落で、加えて近江商人が築いた意匠の優れた和風建築群の歴史的景観を保存し、わが国として価値の高い」とされています。近江商人たちは、郷里を離れることなく、金堂の本宅を守り、進んで社寺や公共のために出資しました。彼らが育み、現在にもなお受け継がれている白壁、舟板張りの屋敷の町並みをお楽しみください。」
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案内図



























































稲荷社













安福寺

五輪塔(東近江市指定文化財)
「仏教では、空・風・火・水・地の五大が世界を構成する基とし、これを造形したものが五輪塔です。日本では、平安時代後期から密教の塔として造られ、のち宗派を超えて用いられました。この五輪塔は、総高197cmの七尺塔で、ほぼ完全な形で遺っています。四方に四門の梵字(キャ・カ・ラ・バ・ア)を配し、地輪に『正安二季庚子二月日』『願主沙□蓮□□之』と刻んでいます。正安2年は1300年に当り、在銘塔としては滋賀県下最古の五輪塔です。」





















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大城神社

2022-09-18 17:27:38 | 滋賀
2022年9月15日、お参りしました。
「高皇産霊神や菅原道真公などをお祀りしている。観音寺城から艮の方角(北東/鬼門とされる)にあたる佐々木氏の守護神として信仰された。当神社のお祭りは、近江商人の旅姿で4月の第2日曜日に開催。9月15日に1860(万延元)年に建築された『万延楼』と称する曳山が出る。」
由緒書より「人皇34代推古天皇29年(621年)厩戸皇子大臣小野妹子に令して当地に金堂寺を建立せしめられし創り其の護法鎮守の為字大城の地を卜して社檀を造営勘定奉斎せられたるを創始とす。實に紀元1281年也。後紀元1830年嘉応2年(1170年)に至り西南地続きたる現地に社殿を改造し天満天神大梵天王八幡大神を勧請し同殿に合祀し当山の前五個荘総本社と崇敬せり天満宮の称は蓋しこの頃より始まりしものなり。降りて紀元2163年文亀3年蓋(1503年)地頭職那須与一の末金堂修理允社宇を加造し以って家運長久を祈願せり祭礼は卯月吉辰勤行の慣例とせり。佐々木氏観音寺城を繖山に築くに至り城の艮位に方れるを以て守護神とし崇敬特に篤く神田を寄進し年々幣物を奠し重く祭祀せられしが元亀年間(1570年頃)度々織田氏の兵燹に罹り佐々木氏の没落と共に当社の書記等亦紛失す。徳川の世となり大和郡山候柳沢氏領となり代官陣屋を当地に設けられるや年々1月3日藩候代参拝して祭儀を警衛し以って明治に及べリ。天和2年(1682年)3月故ありて大梵天王を七里村に分祀す。五個神社是なり。安政2年(1855年)4月八幡大神を川並村塚本村に分祀す。結神社八幡神社是なり。明治9年(1876年)村社に制定、同14年郷社に加列せらる。」

滋賀県東近江市五個荘金堂66
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鳥居





社標









手水舎



拝殿

狛犬



灯籠









本殿



末社

日若宮神社、大城神社の南がわ道路向かいに鎮座

鳥居

常夜燈



手水鉢

狛犬



社殿

曼殊沙華が咲いていました。
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勝徳寺

2022-09-18 16:12:53 | 滋賀
2022年9月15日、お参りしました。
「1515(永正12)年開基の真宗大谷派の寺院。江戸時代には、通りをはさんだ向かいに大和郡山藩の陣屋が置かれ、当地は大和郡山藩柳沢家の供養堂とされた。当寺の門は、武家屋敷に多く用いられた形式の長屋門で、1871(明治4)年廃藩置県の後、大和郡山藩陣屋から移築されたと伝えられる。門扉の釘かくしには、柳沢家の紋所、四つ花菱が使われ、名残をしのぶことができる。」
滋賀県東近江市五個荘金堂町879
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山門

本堂



五輪塔

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浄栄寺

2022-09-18 16:00:33 | 滋賀
2022年9月15日、お参りしました。
「金堂という地名に由来に関わる寺院、寺伝には、その昔、聖徳太子がこの地を訪れた際、不動坊という僧とともに、大きな金堂を建て、これにより村の名前を金堂としたという。この時、聖徳太子と行動をともにした不動坊は不動明王の化身とされ、不動院を建立、時は過ぎ、この建物は朽ちてしまったが、1247(宝治元)年、浄栄法師がこの寺院を再興し、浄土宗『清光山不動院浄栄寺』と号したという。」
滋賀県東近江市五個荘金堂町616
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寺標

山門

由緒書

石造五重塔





本堂

庫裏
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弘誓寺(ぐぜいじ)

2022-09-18 15:51:59 | 滋賀
2022年9月15日、お参りしました。
「真宗大谷派の寺院、寺伝では、那須与一の孫『覚如上人の高弟愚咄賢空坊』の開基により正應3年(1290)に創立されたと伝わる。本堂は、規模が大きく大屋根の様相は、御坊格寺院の本堂に匹敵する。主要部は、1764(宝暦14)年に完成。表門の瓦には、那須与一に由来する扇の紋が入っているのが見所。1692(元禄5)年建立(東近江市指定文化財)」
滋賀県東近江市五個荘金堂町615
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寺標

山門

鐘楼堂





本堂(重要文化財)
「江戸後期の1764(宝暦14)年に出来上がったことが小屋梁に記され、大工棟梁は八幡の高木作右衛門但馬であったことが普請文書よりわかる。南面する本堂は間口・奥行とも五間の一重、入母屋造で、正面に向拝三間、背面に後堂を付けた屋根本瓦葺の大型仏堂である。内部は奥行の深い外陣と、その奥を上段として中央の内陣、左右の余間、飛櫓の間からなっている。外陣は太い欅材の円柱に虹梁型の飛貫を縦横に構架し、高い格天井との校正は力強く雄大である。外部は外陣の三方に広い入側縁を設け、入側柱も円柱にする珍しい手法を取り入れている。普請文書により造営の事情がわかる高木大工の代表作として貴重である。」






















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