旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

田賀神社

2023-07-10 18:31:12 | 東播磨
2023年7月9日、お参りしました。
「大山咋命を主祭神とする田口地区の氏神。もともと田口地区にあった春日神社大歳神社、高山神社の三社が合祀されてできた神社です。副祭神は、大歳大神、天児屋根命。」
兵庫県福崎町田口691
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参道階段

鳥居



狛犬



拝殿

幣殿

本殿




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金剛城寺

2023-07-10 17:30:25 | 東播磨
2023年7月9日、お参りしました。
説明書より「推古天皇の御宇聖徳太子日本三論宗の開祖高麗の恵灌法師を講じて開山せしめ給い、本尊十一面観世音は一刀三禮の御作、其後伽藍焼失十数度に及びしも、本尊灰燼なく茲に一千三百有余年を経たり。嵯峨天皇の御代、弘法大師留錫あり護摩秘密の修法の時より真言宗となり其後作門寺と称せられること四百年に及んでいたが昭和三年金剛城寺の寺號復古となれり。明治初年七種山中より現地に移転伽藍の復興成り現在の寺観を見るに至る。」

「当時、七種山には慈岡川人という修行僧がこもっていた。この地方が大旱魃におそわれ、餓死者が出た時、川人が、モミ、麦、粟など七穀の種を与えて農耕をすすめ、人々を飢えから救った。(七種山)の名もここからおこったという伝承があり、寺号も川人の名をとってつけられたという。その後、弘法大師の巡錫の途中に滞在し、真言密教の秘法を伝えてから、真言宗に移った。数十の僧坊がいらかを連ね、荘厳な密教同乗の趣を伝えていたが、天平4年焼失、聖武天皇の命によって再建。観応元年兵火によって再び炎上、足利尊氏の帰依があって伽藍再興。更に文明11年(室町中期)三度目の兵火により炎上、衰微の一途をたどったが、慶長6年、台胞明覚承認が堂塔を旧観に復した。当寺では明覚上人を中興の祖として尊崇している。滋岡寺から金剛城寺、更に作門手世と寺号は移りかわったが、明治の神仏分離令かの折、廃仏棄釈の難をまぬがれることができず、寺領は国家に没収、伽藍は破壊されようとしたので檀信徒が急ぎ、阿弥陀堂と庫裏一棟を田口へ移築した。」
兵庫県福崎町田口236
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寺標

仁王門











灯籠

鐘楼







手水舎



地蔵尊

本坊







弁天堂

宝篋印塔

本堂









阿弥陀堂

権現堂





護摩堂




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妙徳山神積寺(じんしゃくじ)

2023-07-10 17:28:06 | 東播磨
2023年7月9日、お参りしました。
説明書より「この寺は991(正暦2)年慶芳上人によって開基されたと伝えられ、七堂伽藍と52ケ寺を有する大きな寺で、書写山法華山と並ぶ播磨六山の中に加えられていました。一条天皇、三条天皇の勅願寺として栄えたが、その後1309(延暦2)年の火災で全部焼失してしまい、1587(天正15)年に本堂が再建されました。」

兵庫県福崎町東田原1891
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寺標

仁王門













塔頭・悟真院

唐門(福崎町指定文化財)
「唐門とは、四脚門の一種で、屋根の切妻に反曲した曲線状の破風がついている門のことをいいます。この門は、総高4.5mで本瓦葺きです。唐風の建築様式の随所に和風の建築技術が取り入れられていることが特徴としてあげられます。四脚門と曲線状の破風は唐風、破風が庇の上に構築されているところが和風で、創建当時のようすをよく残しています。1741(元文6)年建立の、意匠的に優れたものである。」



















塔頭・本寿院
水琴窟



弁天堂





長寿地蔵尊

石灯籠(福崎町指定文化財)
「現在、町内の神社・寺院・墓地・路傍などに130基あまりの石灯籠があります。神積寺の石灯籠は、竿が円柱で中ほどに節があり、笠・火袋・中台と基礎の平面形が四角という特徴があり、古いタイプに属します。石灯籠として、神崎郡内最古の1683(天和3)年の紀年銘をもち、江戸時代前期に造立されたものとわかります。神積寺の石灯籠は、2基どちらにも竿部分に同じ銘文が刻まれています。『奉寄進薬師如来 御宝前為二親菩提也』『天和三葵亥年 三月十七日』『神東郡北山田村 施主助左衛門』とあり。北山田村(現姫路市)の助左衛門が両親の菩提をと弔うために寄進したことがわかります。」





宝篋印塔

平和観音

手水舎

本堂











行者堂

鐘楼堂





奥の院
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岩尾神社

2023-07-10 16:29:09 | 東播磨
2023年7月9日、お参りしました。
説明書より「古来より播磨国造の奉祀するところにして一条天皇の991(正暦2)年、慶芳上人が京都より来たりて妙徳山神積寺を開基するに際し、当社に文殊像を合わせて祀り鎮守社とした。慶長年間、徳川氏の命により池田輝政は不動院快祐に前殿、拝殿、鳥居等を修造なさしめ1611(慶長16)年1月19日に落城した。故に、徳川二代将軍秀忠は、池田輝政に命じ同月25日に当社へ代参せしめた。その後、明暦元年(1655)、寛政9年(1797)、文化2年(1805)などの修理を経て今日に及んでいます。」
兵庫県福崎町東田原1935-1
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石鳥居(兵庫県指定文化財)
「鳥居は凝灰岩で沓石がなく直接地中に埋めている。各部材が細く、柱に内転がないこと、全体に背が低いことなどから古い様式を持っている。柱の断面は隅丸方柱状でこの地方の特色をよくあらわしている。高さ3.5メートル、柱間は下部で3.03メートル、柱に刻銘があり1611(慶長16)年に造られたことがわかる。」





石灯籠



拝殿



本殿(兵庫県指定文化財)
「小規模な社殿で、軒廻りや縁、浜床に後補の跡が見られますが、その他はよく保存されています。極彩色で桃山時代の余風を伝え細部手法もよくその頃の技風を示している貴重な遺構です。1千年余の間、鎮守として親しまれてきた歴史深い神社です。」








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北山鹿島神社

2023-03-24 18:16:33 | 東播磨
2023年3月22日、お参りしました。
由緒書より「当社は鹿島神社と称し、建御雷神(別名鹿島神)を奉斎す。神域一町余歩は姫路藩主松平(奥平)下総守忠明の寄進する所なり。神社の創建は1645(正保二酉)年即ち約380年の昔にして、創健者は当部落の開拓者小島利兵衛なり。利兵衛ある夜白髪の老翁枕辺に立ちて、この池の田子の井を中心として開墾すべしと告ぐると夢み、人々と共に開墾の鍬を振いたりしに、その年の秋小童の霊感を受けるものあって、地に鹿島の神霊を鎮め祭り奉るべしと告ぐ、この由藩主に上聞す。藩主、奇瑞に驚き、使いを遣わし、之を検視せしめしが、この際にもまた重ねて奇瑞が現出す。即ち鎮座地の東の山より牡鹿、牝無鹿相連れ、而も角上には光明輝く玉を載せけり、やがてその玉を今の社の地に落とし神鹿は西の方に姿を消した。検視の者よりこの由を聞きたる下総守はいたく之に感動し、社地を寄進して、鹿島神社を創建せしむ。御祭神は『経津主神、武甕槌神』で御神徳は交通安全、心願成就、縁結び、厄除、安産となっている。」
兵庫県高砂市阿弥陀町北山20
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一の鳥居

二の鳥居

参道

手水舎





狛犬



拝殿





本殿

神鹿

稲荷社



香取神社
「今は天孫降臨に先だち建御雷命(鹿島神宮祭神)と共に出雲国にくだり大国主命と国譲りを交渉し、また荒ぶる神たちを平定したと伝える。奈良時代には藤原氏の氏神として奈良春日大社が創立されるにあたり御本殿の第一殿には鹿島の神、第二殿には香取の神が祀られ崇敬されている。社殿は千葉県佐原市香取の香取神宮より御分霊を迎え、聖峰高御位山を望む当地象須山のふところにこの地の守護神として祀る。」
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生石(おうしこ)神社・石の宝殿

2023-03-24 17:04:38 | 東播磨
2023年3月22日、お参りしました。
由緒書より「大己貴命と少彦名神が天神の勅命で国土経営のため出雲から当地に立寄りになり、この宝殿山に仮宮を作って御滞在された時、この石宝殿を刻まれた。工事中に天佐久売がやってきて、今麓の里で阿賀神が反乱を起こしていると二神に告げたので、石宝殿作りの工事は中止して今の神爪(神詰で神爪の名称の起りという)に諸神を集めて阿賀神を平定されたが、石宝殿作りの工事は捨てられたので、未完成に終わった。この工事で生じた石屑は一里北の高御位山に捨てられた。高御位の北側に頂上から麓にかけて莫大な石屑が今尚あり、魚の象になっている。この附近には岩を切ったあとかたは全くない。崇神天皇13年に創建されて以来、伊保荘、平津荘の鎮守として崇められ、孝徳天皇は白雉5年千石の土地(現在の生石、神爪、島の土地併せて千石)を寄付されたのでこの三ケ町は墓地をいみ、生石は魚橋、神爪は岸、島は米田に墓地を作り、宮百姓と称していたので大いに栄えていたが、天正年間豊臣秀吉の焼打ちに逢い、土地は没収、鐘楼、釣鐘は分捕りされ、当社の宝物、古文書は焼失し没落した。鐘は陣太鼓代りに使用した後、岐阜県大垣市赤坂町の安楽寺に寄付した(この鐘は大垣市の指定文化財となっている)鐘は播州石宝殿と寄進者の名が入っている。荒井川はもと御手洗川と称し、神々が手を洗われたと伝える。泊は神々が御泊りになったのでとまりの名称が出来たと伝えられ、今日の加古川市泊の名の起りという。」
兵庫県高砂市阿弥陀町生石171
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鳥居

手水舎



石宝殿(国史跡)

由緒書

参道







絵馬殿
「1816(文化13)年以降の建築、高砂市指定文化財の算額のレプリカがかかっており、本物は本社の中央の上にあります。備中井原の佐藤善一郎一門の算額は東播磨では、ここと稲美国安の天満神社の2つしかありません。」

案内図

社標

狛犬



詰所
「階段の上の詰所は江戸時代の末期に建てられたものです。」

参集殿・案内所

山上公園登口









頂上、大正天皇行幸之跡碑

本社(拝殿)
「現在の本社は1844(天保15)年に棟上げ再建されたもの。右側に少毘古那を、左側に大穴牟遅の2神が祀られています。このような造りを『割り拝殿』といいます。」









霊岩
「下の面が座りキズで切れていることが明確で、これを根拠に浮石製作にかかったと推察される。」

末社

石灯籠
「島村の石工さん達が精魂込めて造った灯籠です。一説には播磨灘を照らす灯台の役目も担っていたとも言われています。竜山石でつくられた丸竿形の灯籠で、中台と竿のみ元の部材です。明暦元年銘があります。」

浮石(国史跡)
「465トンもある巨大な石造物、幅6.47m、多可さ5.68m、奥行き5.58mの直方体に屋根形の突起部がつきます。えぐり込まれた底面に水がたまり、浮かんでいるように見えることから『浮き石とも呼ばれています。奈良時代に編纂された、我が国最古の地誌『播磨風土記』に物部の守屋が造らせたと書かれていましたが、それ以外は全く謎につつまれた石。日本国内で類をみない特異な構造物で、江戸時代以降、制作目的や年代等について諸説出されてきましたが、古代以前の採石・加工技術を今に伝える貴重な遺構です。浮石の下は水平方向に割れており、東側に溝を深く掘り立てようとしていた様です。」









神輿蔵

御旅所

竜山1号墳
「石棺とその蓋がむき出しで見られます。採石場を纏めていた首長の墓とも言われていますが詳しくは不明です。」

能舞台
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真浄寺

2023-03-24 15:49:06 | 東播磨
2023年3月22日、お参りしました。
「浄土真宗本願寺派別院の高砂組です。阿弥陀如来をご本尊とする。詳細は不祥。」
兵庫県高砂市伊保3-15-17
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寺標

山門



手水舎

鐘楼





経蔵

本堂











玄関


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高砂神社

2023-03-24 15:24:34 | 東播磨
2023年3月22日、お参りしました。
縁起書より「祭神は、素戔嗚尊、大己貴命、奇稲田姫命。祭事は、尉姥祭5月21日、祇園祭7月7日より13日、例祭10月10日・11日。神功皇后征西の際、大己貴命の冥護を得て敵を平げ凱旋の途鹿子の水門に泊られた時、『此処は広く西国を見渡し近く畿内を護るに適したよい処である。われこの地に留らん』との御託宣により大己貴命を祀られたのが高砂神社の創始である。後に、圓融天皇の天禄年間国内疫病流行し人民の死亡するもの算なし神誨を得て素戔嗚尊、奇稲田姫命を合わせて祀ったところ疫病たちまち息み、国内大に治まった庶民歓び報賽の典を修めた。実に972(天禄3)年9月11日の事である。爾来以て恒例とし高砂牛頭天王又は祇園社とも称する様になった。古来朝廷、国司、武将等の崇敬厚く近世に入りても豊臣秀吉は朝鮮出兵の際、戦勝を祈願し姫路城主池田輝政京都所司代板倉勝重は社領を寄せ本多忠政姫路城に臨むに及びては崇敬殊に深く1625(寛永2)年本社、末社を改造し門墉を建築し社領を捧げ、又三代相生松を継植した。寛政7年には尉姥神像を禁裡御所に勧請御代拝あらせられ金品を下賜せられた。1909(明治42)年4月東宮殿下の行啓を仰ぎ1956(昭和31)年10月秩父宮妃勢津子殿下御参拝『五代相生松』御命名を賜った。上代以来和歌に謡曲に有名な相生松の枯死を惜んで本多忠政が継植した三代相生松は天然記念物に指定された天下の名木であったが1937(昭和12)年に枯死し、今は秩父宮勢津子殿下御命名の五代相生松が緑の色もいよいよ濃く立栄えている。松の傍に尉姥神社がある。松の木陰を清めつつわれら神霊をこの木にとどめ永く夫婦伉儷の道を護らんと仰せられた尉姥の二神をお祀りしている。大前に額きて和合長寿を祈り結婚式を挙げて偕老の契を結ぶ人々は近年ますます多い。」
兵庫県高砂市高砂町東宮町190
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由緒書

社標

境内図

鳥居

表門











手水舎

石灯籠

池田輝政公高砂城趾
「高砂城の記録はあまり残っていない。1600(慶長5)年に池田輝政が播磨に入り、姫路城を築いた後、1612(慶長17)年に播磨の海の守りを固めるために高砂城を築いた。中村主殿助正勝が城主となり、大規模な構えの城を形成させ、高砂は城下町として生まれ変わった。しかし、立派な城も1615(元和元)年に出された『一国一城令』により破棄され、歴史を終えた。その後、1626(寛永3)年に本丸の跡地に元来の地にあった高砂神社が戻された。」







東宮駐駕所

神馬

狛犬



拝殿





















本殿



和魂神社







歌碑

琴平神社









猿田彦社・秋葉社

神馬厩

天満社



粟島社

神輿倉



高砂の真砂

社務所



稲荷社

三社、天照大神・春日大神・八幡大神





住吉社





尉姥神社
由緒書より「祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊、尉姥祭5月21日・22日。境内にある日一本の松生い出で、その根は一つで雌雄の幹が左右に分かれていましたので神木霊松などと称えられていましたところ伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神現われ『我は今より神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さん』と告げられました。これより人はこの松を霊松と呼び、この二神を『尉と姥』として今日めでたい結婚式にはなくてはならないものとなったのです。また、『お前百まで、わしゃ九十九まで』とうたわれています尉と姥は平和と長寿の省庁としてあまりにも有名です。天正年間、戦乱の巷にゆくえ知れずとなった『尉と姥』の御神像が寛政7年めでたく京都で見つかり5月21日当社で御遷座奉祝祭が盛大に斎行され、お面かけ神事はそのお祝として今日まで伝承されております。」













五代目相生松





霊松殿





三代目相生松



能舞台

愛宕社

弁財天





厄落とし清め処


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阿閇神社(あえじんじゃ)

2023-03-23 21:12:19 | 東播磨
2023年3月22日、お参りしました。
「明神鳥居をくぐり拝殿を真っすぐ進むと、本殿は4棟、横一列。それぞれが一間社春日造りで、正面の縁は廊橋で結ばれる。屋根は檜皮葺きで、現在の本殿は1702(元禄15)年の建立さとれ、県指定文化財となっている。『播磨風土記』に『阿閇の津』と記され昔から港として発達し、舟人の往来の盛んな所で『住吉大社神代記』(大平3年)に阿閇社とあることから、ここに海上守護神として摂津の住吉大社から『子神』として御分霊を奉斎したのが当社である。後に、源季房朝臣(赤松氏の祖)が播磨国の守護として、加古郡大内村に移住され、国家安全を祈願された。のち、赤穗郡に白旗城を築き居城とされたが、赤松氏の祈願所として深く崇敬を受け、ために、社殿は赤松氏の居城に向かって西向に建立されているという。」
兵庫県加古郡播磨町本荘4丁目11-21
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社標

鳥居

社務所

手水舎

鳥居

由緒書

狛犬



拝殿



本殿(兵庫県指定文化財)
「この本殿は、一の宮から四の宮に至る四社からなり、南北線上に西向きに近接して並立している。北橋の一の宮には表筒男命、二の宮には中筒男命、三の宮には底筒男命、南端の四の宮には息長帯姫命をまつっている。建立年代については、普請関係文書が残されており、それによれば、1701(元禄14)年5月に大阪・宮屋藤兵衛から『皇子造一間社仕様帳』を出させて工事に着手し、翌15年11月には、すべて作業は完成したらしい。現在の本殿は、様式作法からも、そのときのものに相違なく、各四社は、一間社春日造の同形・同規模からなり、いずれも正面の縁を廊橋で結ぶ形式をとっている。屋根は檜皮葺で、切妻の妻入正面に軒唐破風つき庇を出し、棟には、千木鰹男木を飾っている。各四社とも、元禄造営後は、1800(寛政12)年の屋根替えをはじめとして幾度かの修理を経ており、柱間装置・縁まわりなどにその跡がみられるが、主要軸部には旧材が残されている。特に組物や蟇股・木鼻・手狭などの細部手法は江戸中期ごろ特色を良く表していて、保存もよい。各部には、良質の材料を用い、工作も優秀である。この本殿は、江戸中期の造建ではあるが、正規の春日造り形式をよく伝え、特に、四社が軒を近接して並立する配置は他に類似例が少なく、神社建築史研究上注目される遺構である。」









阿閇恵美須神社
「当神社は、事代主命・三穂須須美命を奉斎し、蛭子命を合祀しています。昔から海運が展け、漁業・農業の盛んな土地で、里人は産業隆昌の守護神として各地に蛭子神社をお祭りしていました。近年、当地は臨海工業地帯として目覚ましい発展を遂げており、更に氏子地域諸々の産業・氏子住民の福徳円満家運隆昌を祈念し、ここに出雲国美保神社より御分霊を戴き、1965(昭和40)年阿閇神社の玉垣内に新社殿を建立し奉斎いたしました。」







大将軍社

大歳神社

塞神社












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圓満寺

2023-03-23 18:11:26 | 東播磨
2023年3月22日、お参りしました。
「弘法大師が開祖とされる。山号は巌光山と号す。約1キロ南西の無量寿院の住職が隠居の後に過ごす寺として創建されたという。江戸時代の初期 全国に寺請制度が実施されるのに伴い、姫路城主より寺領地を下賜されると共に、加古郡土山村の檀那寺と言う役目を負い、圓満寺は加古郡阿閇庄野添村字北川原に移転した。五重塔は1993年に建築、鉄筋コンクリートのもの。」
兵庫県加古郡播磨町上野添2-1-1
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山門













手水舎

仏足石

十二神将





夢現一願観音

髪塚

修行大師

写経塚





水子地蔵尊

茶之寿観音

不動明王

本堂

播磨五重塔 舎利宝塔


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