旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

光明寺・綾部市

2016-06-23 15:13:51 | 京都
2016年6月20日、お参りしました。天気予報では晴れでしたが、集中豪雨なのか、時折激しい雨でした。天橋立から帰路で立ち寄りました。
光明寺(こうみょうじ)は、真言宗醍醐派の寺院です。自動車でも結構、不便なところです。細い道で自動車がかわせそうでない道を進みます。
京都府綾部市睦寄町君尾1-1
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駐車場に車を止めて、参道を登ります。
堂がありますが、何でしょうね。

階段の上に仁王門が見えます。

仁王門(国宝)
「三間一戸、入母屋造、栩葺の二重門です。門は仁治3年(1242年)から建長5年(1253年)にかけて再建された。長押を多用し、下層の背面と上層には連子窓を設けるなど和様を基調とするが、頭貫の木鼻は大仏様とする。中世にさかのぼる二重門は極めて稀少であり、建築年代が判明する点も貴重である。」



仁王像



聖徳太子と光明寺について説明書

八十八体の石仏

参道を進みます。













説明書
「寺伝によると、推古天皇7年(599)聖徳太子によって建立された。後に役小角がこの地で修行し、延喜年中に至って聖宝理源大師が真言の道場として再興、坊堂72坊に及ぶ大寺院であったが、大永7年(1727)の兵火によって仁王門を除く全山が焼失した。天文2年(1533)上羽丹波守が大施主となって再建したが、天正年間の戦乱で再び焼失した。本堂は天保7年(1836)に再建され、本尊は千手観音菩薩をまつる。国宝の仁王門は、宝治2年(1248)竣工したことが柱上の墨書銘によって判明、鎌倉時代における類例の少ない二重門の遺構である。」

更に階段

本堂





























地蔵堂

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天橋立と智恩寺

2016-06-22 18:17:02 | 京都
2016年6月20日、行きました。天橋立は陸前(宮城県)の松島、安芸(広島)の宮島と共に日本三景の一つに数えられる景勝地です。「丹後国風土記逸文」に、国を生まれたいざなぎのみことが天に通うために梯呉を作られたが、命が寝ている間に倒れ伏したという記事があり、これが名の起こりです。「日本三景」という発想が最初に見られるのは林春斎が寛永20年(1643)に天橋立を松島・厳島とともに「三処奇観たり」と述べた「日本国事跡考」。その後元禄2年(1689)に福岡藩の儒学者、貝原益軒が天橋立を旅行した記録「己巳紀行」の中に初めて「日本三景」という言葉が登場します。神秘的で美しい姿は、野田川から流れ出る砂粒と外海から流れ来る砂粒とがぶつかり合って出来たと考えられます。約500年前に描かれた雪舟画の国宝天橋立図には現在より短い天橋立が描かれています。」
天橋立智恩寺駐車場に止めて、散策します。



あまのはしだて駅(京都丹後鉄道宮豊線)



案内図



天橋立ビューランドへのモノレール乗り場に行きます。

飛龍観・遊園地、リフト・モノレールの入園料含むで850円です。













上がってきました。



逆さまにパチリ























































土産物店など













廻旋橋









昼食です。梅渓で食べました。

海鮮丼定食1500円です。

焼き肉定食1400円です。



智恩寺
「古代より知られる文殊菩薩の霊場で、日本三文殊の一つ。丹後地方最大の山門、国指定文化財の多宝塔をはじめ貴重な文化財が多い。」
山門
「宝暦12年(1762)に着工、7年の歳月と大工延べ8780人を要して再建された禅宗様式の山門である。丹後地方で最大規模を誇る。」









多宝塔(重要文化財)









力石







































































お疲れ様でした。
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ちりめん街道・与謝野町加悦

2016-06-22 16:47:01 | 京都
2016年6月20日、城崎温泉に宿泊し翌日、この与謝野町加悦(かや)を訪れました。ちりめん街道は、丹後ちりめんの産地としてだけではなく、与謝峠を介して京都と丹後各地を結ぶ物流の拠点としても繁栄しました。明治時代末期に、但馬から加悦へ遠足に来た小学生がその賑いぶりに目の当たりにして、『ここは日本か!!』と言ったとか。現在のちりめん街道に並ぶ建物約260棟のうち約120棟が、江戸・明治・昭和初期のものです。重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
「保存地区は東西240m、南北630m、面積12.0haの範囲にあり、街道がクランク状に折れ曲がる城下町特有の地割をよく残している。近世から昭和初期に建てられた主屋や土蔵、縮緬工場などが一体となって丹後縮緬の製織町として特色ある歴史的風致を今日によく伝えている。」
京都府与謝郡与謝野町字加悦1060
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旧加悦町役場(京都府指定文化財)
「昭和4年宮津出身の大林組設計部長今林彦太郎の設計により建てられた木造総2階建て寄棟造り桟瓦葺きの建物で、東側中寄を設け、洋風印象を高め、当時の最新の技術と工法を用いた耐震性の高い建築物である。」
現在、観光協会があります。こちらの横の駐車場に止めて散策です。





街道に進みます。















井筒屋旅館
「昭和8年に再建された総2階平入りの建物で、旅館建築の玄関として堂々とした構えを見せている。街道沿いに唯一残る旅館である。」











旧川嶋酒造酒蔵
「昭和6年頃建てられたもので、終戦まで行われた酒造りの蔵には当時、精米の設備や酒樽が並んでいた。当家は角地に建つ大規模な土蔵として目を引くだけでなく、酒造という生業と生活空間とを組み合わせた、昭和初期の建築として注目される。」





旧尾藤家住宅(京都府指定文化財)
「江戸時代末期文久3年(1863)に建築れた。明治・大正期には蔵や座敷など増改築がおこなわれ、昭和3年には11代尾藤庄蔵が念願の洋館を大林組設計部長今林彦太郎の助言を受け建築した。」

















實相寺
「加悦谷で唯一の日蓮宗寺院。」





























天満神社(京都府指定文化財)
「本殿、拝殿、稲荷神社からなる。本殿は一間社流造り銅板葺きで享保18年(1733)の建築。正面の屋根は、一般には千鳥破風が置かれているが、唐破風を置いているというのは、周辺地域でも例のない扱いである。」





















石燈籠(京都府指定文化財)
「石灯籠は天満神社本殿脇にある花崗岩製の燈籠で、八角形・円筒竿・火袋大面取りの形で、三石からなる四角形の台石上に立っています。総高は256.6cmをはかる大きなもので、基礎の上に一段の造り出しを設け、その上に伏蓮華文を置いて中台の側面を薄くして長方形の羽目を彫るなど、全体的に鎌倉時代後期の特徴をよく表現しています。」



























宝厳寺
「慶長4年(1599)に開基、京都知恩院の末寺で浄土宗のお寺です。」

































杉本家住宅
「高塀に接して2階の軒近くまで厚い壁が立ちあがっているので目を惹く。延焼防止の袖壁が肥大化したものであろうか。周辺でも類例のない構えである。」







縮緬発祥之地碑

西山工場母家(ちりめん始祖)
「明治29年から41年にかけて3棟の工場が建てられ加悦谷で最初のドイツ製の発動機、スイス製の力織機を導入した。昭和2年の丹後大震災でほとんどのちりめん工場が被害を受けたが、丹後に現存する唯一の明治時代のちりめん工場である。」

旧伊藤医院診療所
「木造2階建て入母屋造り桟瓦葺きの洋館である。大正6年頃、当地域では初の西洋医学の診療所として地域に貢献し、町の近代化の証として貴重な遺産であると同時に、ちりめん街道の町並みの中にあって景観を構成する重要な建築物である。」



















浄福寺
「与謝野鉄幹の父、礼厳ゆかりの寺。慶長17年(1612)に開基されました。」




















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大江戸温泉物語 城崎温泉 きのさき

2016-06-22 14:39:07 | 温泉、旅館、ホテル
2016年6月19日、泊まりました。今回の旅行の行程は、鳥取の中国庭園の燕趙園、砂の美術館、そして城崎、天橋立などです。
城崎温泉は4回目です。今回の宿泊はメゾネットタイプです。
プラン名は【デラックス】【観光志向型】みんなでワイワイ☆外湯お楽しみプラン!!
朝夕バイキングです。生ビールを飲みながら、堪能しました。お風呂は内風呂、露天風呂、サウナ風呂、癒しの湯としてラベンダー入りの風呂がありました。もちろん3回入り、温泉も楽しませていただきました。
兵庫県豊岡市城崎町桃島1232
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外観





EV給電機

コインランドリー

レンタルゆかた

売店



ロビー

フロント



廊下

メゾネットの1階、洋間です。









2階部分、畳の部屋です。

窓からの景色



おもてなし

夕食です。

























給茶器、風呂の横にあります。

インターネットコーナー

まんがコーナー

ロビー





城崎温泉街、駅へのホテル専用循環バス、15分間隔で運行しています。

朝食です。








































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砂の美術館・鳥取砂丘

2016-06-22 11:54:41 | 鳥取
2016年6月19日、行きました。今年度のテーマは南米編です。入館料は600円、開館時間は9時から18時です。
鳥取県鳥取市福部町湯山2083-17
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鳥取砂丘







ガラパゴスの動物たち
「エクアドルの海岸から約1000km離れた赤道直下の火山島、ガラパゴス諸島。ガラパゴスはスペイン語でゾウガメを意味します。多くの島と岩礁で成り立ち、各大陸とは隔絶された独自の生物が存在しています。天敵となるような大型の哺乳類がいないことも、ガラパゴス諸島の生物が絶えず進化する大きな理由です。特に爬虫類のゾウガメやイグアナはほぼ全てが固有種で、グンカンドリ、カツオドリを含む鳥類は半数以上がこの地にしかいない貴重な種とされています。1835年はC.ダーウィンがこの地を訪れ、固有種の生態系から進化論のヒントを得ると、種の起源である島全体が保護・調査の対象となりました。現在は、周囲の海域も世界遺産に認定され、ガラパゴスの生態系は大切に守られています。」









アンデスコンドル

クスコの街並み
『標高3400mの高地にあるインカ帝国の首都クスコ。天空都市として知られるマチュピチよりもさらに1000mほど高い場所にあります。旧市街は上空から眺めるとピューマの形にみえるようつくられたと言われています。赤茶色に統一された建物の屋根が一面を覆い尽くす街並み、インカ時代に積み上げられた精巧な石垣、それらは当時の面影を今に伝えています。また、街の中心にあるアルマス広場、インカ時代に建てられた太陽神殿の土台を活用してつくられたサント・ドミンゴ教会など、スペインによる植民地時代の様子も感じることができます。そのクスコを中心にインカ帝国をつくりあげたといわれる、アンデスの先住民ケチュア族。カラフルな民族衣装が特徴です。また伝統音楽フォルクローもアンデス発祥であり、「コンドルは飛んでいく」は代表的な楽曲としてよく知られています。』







インカ道とアンデスの自然
「インカ帝国の時代に作られた道。総延長は4万km以上もあり、クスコを起点として広大な国土全体にはりめぐらされました。この交通網によって命令や情報を国の隅々にまで行きわたらせることができ、物資運搬ルートの役割とあわせて帝国の発展に大いに役立ちました。このインカ道を活用した大量運搬の手段として活躍したのがアンデス特有の動物リャマです。酸素の薄い高地に対して耐久力が高く、重い荷物を背負って長距離を歩くことができます。そのほかアンデスにはアンデスコンドル、ピューマ、アンデスミコなど多くの動物が生息しています。なかでもアンデスコンドルはアンデスの神話にも登場し、神聖な動物として重要な役割ほ担っています。」





チチカカ湖と民族
「ペルーとボリビアの国境をまたがる南米最大の湖チチカカ湖。アンデス山脈のほぼ中央、海抜3812mにあり、船が行き交う湖の中では世界最高所です。インカ帝国発祥の聖地として崇められる。"太陽の島"をはじめ、たくさんの島があり、そして多くの民族が暮らしています。なかでもウル族はシシラ葦を束ねて作った珍しい浮島に居住しています。人々は湖に生える植物を使い、浮島を巧みに操り、様々な文化を発展させています。青い空と湖に並ぶ黄金色の浮島、赤やブルーのなんとも鮮やかな衣装をまとうウル族。」









エンジェルの滝とコーヒー農園
「18世紀前半、ヨーロッパからカリブ海の西インド諸島を経由して南米大陸に伝わったコーヒーとその栽培技術。やがて南米諸国の主要産業として経済を支えるようになりました。コーヒーの栽培には熱帯の雨季と乾季がある地域に向いており、更に高地で栽培されるものは品質がよいとされています。南米大陸北部には6ケ国にまたがるギアナ高地があり、特にベネズエラのエンジエルフォールがよく知られています。作品では背景にエンジェルフォール、手前にコーヒー農園の様子を配置することによって南米高地のコーヒー栽培の様子を表現しています。」













コルコバードのキリスト像
「長きにわたってポルトガルの植民地として歴史を歩んだブラジルは、1822年に独立を果たします。それは国民の大きな誇りであり忘れられない出来事でした。のちの1931年、独立100周年の記念にこのキリスト像は建てられ、多くがキリスト教徒であるリオの人々はこの像に今も信仰と親しみをよせています。そして大きく広げられた両手には、世界中の人が感じる心の温かさが表わされているのです。青い空に映える白い大きな像は、人々のこころを支える大きな存在として、今日もコルコバードの丘からリオの街を見守っています。」







サンティアゴ大聖堂
「カトリックの国チリの総本山教会、サンタィアゴ大聖堂。旧市街の歴史的な景観に溶け込んだネオクラシック様式の重厚な建築は、総本山らしい厳かな雰囲気が漂います。度重なる震災で建て直しが繰り返され、現在の姿になりました。柱から高い天井に至るまでのあらゆる部分に施された美しい彫刻と静寂のなかに佇む聖母マリアの像は、信仰心の厚いチリの人々をあたたかく包み込みます。陽気なチリ人たちも教会の中では静かに祈りを捧げます。一方教会の外のアルマス広場は、地元の人の憩いの場・観光地のにぎやかな雰囲気が溢れています。チリの歴史や文化が集まる大切な場所です。」







ブラジルの現代建築
「1960年のブラジル高原の未開の地に新しい首都としてブセジリアが建設されます。この首都移転はポルトガルの植民地時代に構想が始まり、200年の歳月を経て実現したものです。一から街をつくることでかつてのイメージを払拭し新しいブラジルを築きたいという強い思いがありました。国会議事堂やブラジリア大聖堂など、街の主要な建築物はオスカー・ニーマイヤーによって設計され、曲線と幾何学を用いたデザインが特徴です。ひの近未来的な外観からは新しいブラジルの発展をのぞむ人々の思いが感じられます。」









リオのカーニバル
「ブラジル・リオデジャネイロで毎年開催されるカーニバルの起源は1723年にまで遡るとされています。ポルトガルの入植者から伝わった謝肉祭と、労働者としてブラジルに連行されてきた黒人たちから生まれたサンバのリズムが融合してリオのカーニバルになりました。カーニバルのメインイベントであるサンバパレードは、予選を勝ち抜いたチームが演出や踊りを競い合うコンテストです。露出度の高い衣装を着て羽根を背負った踊り手はパチスタといい、その踊りは個人技のためアドリブや表現力が求められます。華やかで迫力あふれるリオのカーニバルは陽気で情熱的なブラジルの国民性が作り上げました。」









モノリート~遺跡に立つ石の神像~
「この一枚の岩から作られた神像は世界遺産ティワナク遺跡に存在します。ティワナク文化は紀元前3世紀から後12世紀頃、チチカカ湖にほど近いボリビア高原地帯で栄えた文化です。有名な"太陽の門"や神殿郡の建設など優れた石造技術を持ち、後のインカ文明に影響を与えたと考えられています。この遺跡の石像や壁には、人間のような絵やミコ科の動物、ヘビ、コンドル、幾何学的描線など神秘的な図像が彫られています。神殿に佇むモノリートは、古代から現代までこの地を守り続けてきたのかもしれません。」

空中都市マチュピチュ
「ペルー南東部のウルバンバ渓谷に沿った山の尾根、標高2430mにあるマチュピチュは今から100年ほど前にアメリカの考古学者ハイラム・ビンガムが探検したことにより存在が確認され、広く知られるようになりました。その姿は山の麓から確認する事はできませんが空中からは見えることから、空中都市とも称されます。マチュピチュはかつてペルーのクスコを中心に繁栄したインカ帝国によって建造されました。5平方kmの面積の半分を占める段々畑で農業をし、約200ある建物は神殿・宮殿・居住区として使用されていました。しかし、インカ文明は文字を持たなかったため、いつ・何のために建造されたのかなど謎に包まれています。現在では南米屈指の観光地となっており、神秘的な石造りの遺跡と美しい景色を求めて毎日たくさんの観光客が訪れています。1983年にはクスコ歴史地区と合わせて世界遺産に登録されました。」











新大陸発見
「15世紀中頃から始まった大航海時代。当時ヨーロッパにおいて貴重だった香辛料を求め、ポルトガルはアフリカ大陸を南下してインドを目指しました。一方、スペインはクリストファー・コロンブスが提案した西側航路でインドを目指し1492年には中米の西インド諸島に到着しました。このことは新大陸発見としてよく知られていますが、これをきっかけとしてヨーロッパ人がアメリカ大陸に進出することになります。それまで先住民しかいなかったアメリカ大陸にとって大きな歴史の転換点であったと言えます。やがて南米大陸にはスペインが進出していきます。未知の土地を進んでいった結果、彼らはインカ帝国を見つけました。」











インカ帝国
『1200年ごろにケチュア族の中の小さな部族として始まったインカは、次々に周辺諸国を支配し15世紀後半には現在のペルー・ボリビア・エクアドル・チリまで範囲を広げました。最盛期は80の民族と1600万人の人口を抱える大帝国になったとされています。人々は太陽を崇拝し、太陽の化身であるとされた皇帝は宗教・政治全てにおいて頂点に立っていました。しかし、13代皇帝アタワルパが亡くなると国は衰退し始め、インカ帝国は終わりを迎えます。近年になりインカ帝国の太陽神に祈りをささげる儀式、「インティライミ」が祭りとして復活し、現代に生きる人々にも色鮮やかに帝国の栄華を伝えています。』





キリスト教の布教
「コロンブスの新大陸発見、それはキリスト教と南米の不運な歴史の始まりでした。15世紀ローマ教皇は、キリスト教の布教と領土の開拓をスペインに命じます。当時の西洋では優れた文明を伝えることは権利であり、異文化の人々を改宗させる義務があると宣教師たちは使命感に駆られていたのです。改宗を受け入れなければ宣戦布告とみなし、言葉も通じない先住民にとって布教という名の征服でした。また改宗した者には教えを説き、保護という名目で植民地化を進め、布教を正当化したのです。こうして大陸各地へキリスト教は広がり、先住民は減少の一途を辿りました。南米の西洋化が進んだ現在では約7割の人々がキリスト教を信仰しています。」





伝説の黄金郷エルドラド
「南の海の向こうは黄金の国があるらしい、多くの探検家を惹きつけたこの噂は、16世紀ごろまでアンデス地方に存在した秘密の儀式に由来しています。コロンビアの山奥、グアタビータ湖ではインディオの首長が全身に砂金を塗り、湖に入り、財宝とともに祈りをささげる神事を行っていたのです。湖に沈む財宝、輝く砂金、きらびやかなその光景を口伝えに広まり、話はあっという間に膨らんでエル・ドラド"黄金郷"の伝説となりました。それ以降黄金への野望に駆り立てられた探検家やスペインのコンキスタドールたちが次々と上陸するようになったのです。」





















黄金を求めて「大航海時代、金銀財宝が沈む湖、金で飾られた建物がひしめく黄金郷のイメージに、コンキスタドール(征服者)たちは夢を膨らませました。そして希望と不安を胸に抱きながら、未知の世界と向かいます。征服者ということを伏せインディオに近づくコンキスタドールたち。インディオは生まれて初めて目にする白い肌の人々を警戒しつつも、その白い姿が崇める神の存在と重なり困惑していました。そうした背景は、ピサロに代表されるコンキスタドールの侵略を進める要因にもなりました。武装したスペイン人兵士を引き連れ、優越した火砲と騎兵を用いた征服は瞬く間に広がります。部族間の対立を利用したり、虐殺などの手段を選ばない悲惨なものでした。その結果、ラテンアメリカのインディオの文明は破壊され、反対に新大陸の金を得た本国スペインは、莫大な富で潤い大きな国へと成長していきました。」



















イグアスの滝とインディオ
「世界最大のイグアスの滝。毎秒6万5千トンの水が流れ落ち、潤う熱帯雨林には多様な動植物とインディオが共存しています。常に危険が潜むジャングル、人々は智恵をつけ工夫した生活を営みます。植物の毒を抜き食用にしたり、反対に毒を使い狩猟や麻酔薬に利用します。地を這う昆虫から身を守るハンモックや、弓矢などの武器も自然の摂理から学んだ生きる術です。また部族ごとの特徴ある衣装、鼻や耳に着けた装飾品も彼らのアイデンティティです。大航海時代、西洋人の侵入によりインディオは減少しましたが現在に残る部族もいます。鮮やかな虹のかかるイグアスの滝、豊かな自然に囲まれ今日も独自の文化を築いています。」









アマゾンの動物たち
「世界最大の熱帯雨林アマゾン。ブラジルをはじめ9カ国を含むその広さは地球上の熱帯雨林の半分に相当します。また地球の酸素の1/3を供給すると言われるほど緑豊かなアマゾン川流域は、まっすぐに伸びた大木が林立し、湿潤な地が広がる動物たちの恰好の住処となっています。そして南米独特の陸生・水生の動物は、環境にあった進化を続けているのです。木を登り泳ぐこともできるジャガーは食物連鎖の頂点に君臨し、茂みを自由に闊歩しています。宝石と呼ばれるほど美しいくちばしを持つオニオオハシや彩り豊かなコンゴインコが空を舞い、生物の宝庫アマゾンでは今日もどこかで新しい生物が発見されています。」











イパネマ海岸
『ブラジルの港湾都市リオ・デ・ジャネイロには、世界屈指の美しい海岸が並んでいます。イパネマ海岸は、高級住宅地に面したしゃれた雰囲気の静かな海岸です。地元の利用者が多く、観光客で賑わう隣のコパカバーナ海岸とはまた違った魅力があります。美しいイパネマ海岸の先にはレブロン海岸が続き、終点には象徴的なドイス・イルモンス(双子の兄弟の山)が聳えています。ボサノバの名曲「イパネマの娘」の舞台としても有名なこの一帯は、夕日に浮かぶ山のシルエットや青い空と白いビーチのコントラストが格別の絶景スポットです。』



小さな砂像









お疲れ様でした。
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日本最大級の中国庭園・燕趙園その2

2016-06-21 16:35:26 | 鳥取
日本最大級の中国庭園・燕趙園その1の続き
臥龍廊に進みます。









































華夏堂





































飛雲瀑

眺池亭























東郷池の眺め







天池山



































聴雨軒



西垂花門

集粋館、中国雑技団のショーをしています。



孫子像

西王母と八仙像

孟子像

孔子像





魚洗













梧竹幽園











































































































売店












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日本最大級の中国庭園・燕趙園その1

2016-06-21 16:25:11 | 鳥取
2016年6月19日、行きました。今回の旅行は3人で鳥取から城崎、天橋立と時計回りの行程です。最初に燕趙園(えんちょうえん)は鳥取県の湯梨浜町の東郷池沿にある中国庭園です。
鳥取県と中国河北省との友好提携のシンボルとして造られました。
パンフレットより「歴代の皇帝が造り、親しんだ皇家園林方式の中国庭園をそのまま再現し、設計、資材調達、加工まで全て中国で行い、一度仮組をした物を解体して日本に運び、中国の職人が再度建設しています。屋根には皇帝しか使用できない黄色の瑠璃瓦を使用し、園内の各所には皇帝を象徴する龍の彩画ゆ美術工芸の数々を見ることができます。」
道の駅となっていますので、温泉施設「ゆアシス東郷 龍鳳閣」お食事処「牛骨拉麺屋 ゆとろぎ」「レストラン 吉華」中国土産店「老龍頭」などがあります。
鳥取県東伯郡湯梨浜町引地565-1
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神戸を9時に出発しましたので、お昼になりました。とりあえず昼食ということで「レストラン吉華」で食べました。

玄関の獅子舞

太鼓

メニュー

牛骨塩レモン750円

牛骨梅塩750円

ハンバーグ定食1080円

店の2階大きな壺を置いていました。

温泉施設「ゆアシス東郷 龍鳳閣」
日帰り入浴ができます。ラーメン、うどん、定食などがあります。







燕趙園、入園料は500円です。
入園で中国雑技ショーが観れます。9時30分、13時30、15時からり毎日公演で約25分です。今回は時間の関係でパスしました。

東垂花門、外側から



案内図







燕趙門、ここから反時計周りに進みます。



影壁

華夏童













魚背橋、七星橋 迎水坊

天湖





魚背橋、左から眺池亭、一覧亭、臥龍廊



三景軒















長廊



荷池



四面荷風樹









東垂花門

























































一覧亭



七星橋





















知春亭

























迎水坊



















魚背橋、華夏堂

右手が一覧亭



日本最大級の中国庭園・燕趙園その2に続きます。
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神戸空港

2016-06-18 08:21:24 | 神戸市中央区
2016年6月17日、行きました。
神戸空港は、三ノ宮からポートライナーで接続されています。駐車料金は1時間150円です。飛行機の搭乗者は1日が無料で24時間後から1時間150円で24時間毎上限1000円です。
こじんまりとした空港です。航空会社はANAとSKYマークです。





バス乗り場



フライト情報

2階の搭乗カウンター

オンラインチェック、予約番号と照会番号でできます。

2階の土産物店

3階の店舗







案内図

1階到着ロビー



4階展望デッキへ

ちょっと曇っていました。



















展望レストラン、ランチメニューです。チョット・・・。食べるのはやめて他の店に。

洋食にしようか、和食にしようかと、結局、うどんに。讃岐うどんの「たもん庵」に、セルフの店です。天丼セットで770円。うどんは太麺で、天ぷらも結構、量があり、美味しいですね。

おろしうどん580円、山菜100円です。

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ホノルル国際空港

2016-06-16 20:38:02 | ハワイ
2016年6月12日、帰国です。現地時刻13時16分発、日本の関空着13日17時50分です。前日にアラモアナセンターのOLIOLIステーションで、パソコンよりWebログイン手続きを済ませておきました。







DL277便、21番ゲートを確認。























































機内食です。





お疲れ様でした。

雑感:ハワイは気温が日本と変わらなく、小雨が毎日降りますが、すぐに晴れ間となります。小さな折りたたみ傘があれば、不意の雨には重文です。また、各店舗でも日本語が通じるので、日本の観光客は行きやすい所ですね。公園やバス停などで浮浪者を見かけました。数は多くありませんが、白人です。原住民ではありません。彼らは何らかの病気や事情で、そんな境遇になったのかもと思います。ビルの建設が進む、裏側で違った面を見ました。バスなどの公共交通機関がありますので、移動も便利ですね。ガイドマップもあり、ショッピナグセンターも随所に案内表示があり、判りやすいと思います。歴史的建造物が好きな者にとっては、行く場所が限定されますので、少し物足りないのかもと思いつつ、ハワイを後にしました。
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カメハメハ大王像からアラモアナセンターへ、日本のフラダンスが出演

2016-06-16 20:36:25 | ハワイ
2016年6月11日、イオラニ宮殿を見学の後、カメハメハ大王像の横のバス停よりアラモアナセンターに移動です。
カメハメハ大王像

バックは州最高裁判所









野鳥





カワイアオハ教会





連結バス

自転車をバスの前の所に自分で乗せます。その間、乗客はゆっくりと待っています。スローライフなのかも。

バス停、JTBの表示を確認します。

各所で、ホテルやビルを建設中です。

アラモアナセンターを散策します。





もう2時になりました。少し遅い昼食、結局、うどんに。IYO UDON



大盛りに天ぷら、おにぎり

センターステージではイベントがありました。日本からのグループが出演していました。

宮城県のグループです。











北海道のグループ、フラ スタジオ 旭川です。





































































































司会

Youth Theatre Japanのグループです。






























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