旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

旅風庵(浜村温泉)、街散策

2017-05-29 20:51:02 | 鳥取
2017年5月28日、浜村温泉の旅風庵に泊まりました。国道9号線の浜村交差点から1Kmほど南です。JR山陰線の浜村駅から徒歩3分のところにあります。温泉といっても、旅館が2軒だけです。
温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫黄塩泉です。浸かると少ししょっぱくてヌルヌルとした感じです。大浴場は内風呂と岩露天風呂があります。貸切風呂は2つあり予約なしで、空いていれば宿泊者は利用できます。「大酒釜風呂」は地元の酒蔵より譲り受けた直径2mの大釜です。釜の中に座れるように段をつけています。もうひとつの風呂は岩風呂の露天です。到着後と食後に2つの貸切風呂、早朝と4回入りました。
鳥取県鳥取市気高町勝見696−1
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今回の宿泊プラン名は、【岩牡蠣御膳プラン】鳥取☆夏の名物☆(ご夕食は食事処で)です。部屋条件は和室【お部屋おまかせ】 踏込みです。
到着後、部屋のグレードアップで和洋室の大きな部屋に変更していただきました。
アットホームな感じの旅館です。朝食はバイキング形式でした。
外観

玄関



フロント



売店



ロビー







囲囲炉裏























部屋





おもてなし

窓の外は竹やぶ



風呂

貸切風呂の大釜

廊下の飾り

夕食、料理長は福山勇さんです。

造り盛り合わせ

岩牡蠣四種盛り





蓬豆腐

焼豚

茶碗蒸し

めかぶ丼、とろろ芋

デザート

朝食、バイキング形式

翌日朝、街を散策







足湯



温泉薬師堂





駅前の足湯

JR浜村駅

浜村温泉観光案内所





鳥取信用金庫、壁面は踊り

歩道の飾り







八幡(やはた)神社
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説明書より「当社勧進記によると、弘安4年(1281)元寇襲来の後に応神天皇を祀った社という。古くから八幡村、下原村、姉泊村の氏神であり、鳥取藩主池田家の崇敬も厚く、社領四石一斗二升が寄進されていた。明治元年(1868)八幡字上土居の稲荷神社、大正6年(1917)姉泊の鶴見神社、下原の諏訪神社の祭神を合祀した。狛犬の一対は、江戸時代後期、気多郡(現在の気高郡)、高草郡(現在の鳥取市西部)で著名な青谷町北河原の名石工川六(かわろく)の制作である。」
彼の制作した狛犬や燈籠は、幾度の地震でも倒壊していない。台座が菱形の石を組み合わせ、地震の力を分散させる工夫がされています。すごい技術です。

鳥居



神門

手水舎

拝殿

狛犬







拝殿

本殿













お疲れ様でした。
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堺市内観光①、大仙公園・鉄砲鍛冶屋敷・清学院・山口家住宅・十輪院・妙国寺

2017-05-17 23:33:27 | 大阪
2017年5月16日、堺市内観光にいきました。堺市南区の桜井神社と多治速比売神社にお参りの後、大仙公園の駐車場に自動車を止め、観光案内所でパンフレットを入手し、堺市内の阪堺電車(チンチン電車)と南海バスが乗れる「堺おもてなしチケット」500円を購入しました。
とりあえず、お昼なので、大仙公園でお弁当を食べてから観光です。大仙公園は、仁徳陵の南側に位置します。
堺市には、堺区、中区、東区、西区、南区、北区、美原区の7つの区があります。仁徳天皇陵古墳を中心として百舌鳥古墳群という日本屈指の古代文化遺産ゾーンがあります。今回はチンチン電車での移動を中心に北側から南に向かって観光します。
大仙公園
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13時5分までバスがないので、仁徳陵を見学してから市内へ。
仁徳陵・陪冡の復元模型



仁徳陵



中には入れません。眼の高さからでは雰囲気も判らないですね。















堺市博物館前からバスで移動ですが、平日は周遊のループがないので、堺東駅前に移動します。
切符

スクラッチ形式で、年、月、日を削って、バス、電車の降車時に提示します。バスは1回220円、チンチン電車は1回210円です。3回以上の乗車であれば得です。

堺市役所の21階展望ロビーからの眺望
一番左付近が仁徳陵ですが、やっぱり判らないですね。













展示物







バスで大小路に移動します。堺のバス路線図は観光者には判りません。京都であれば、番号や色分けで一目でどのバスに乗ればいいのか理解できます。地図をいただきましたが、バス路線のすべてが青で表示されており、番号もないし、バス亭の位置も表示されていません。観光案内所で、どこから、どこ行きかを聞いて乗りました。帰りについても博物館行きのバスも判らないので、堺東駅に戻ることにしました。東西方向の移動をしない場所に駐車するのがいいのかも。
紀州街道

大小路

チンチン電車の大小路駅



駅での付近案内図

天王寺駅前行きが来ました。乗車して高須神社駅まで5駅北に移動します。1時間に5本運行しています。

高須神社駅です。



高須駅の付近案内図

高須神社





鉄砲鍛冶屋敷に行きます。駅から230mです。



町並み





鉄砲鍛冶屋敷(堺市指定有形文化財)
「戦国時代、堺は日本一鉄砲生産地でした。わが国で唯一現存する貴重な江戸時代の鉄砲鍛冶工房です。(内部非公開)」





次は清学院に行きます。

堺市立町家歴史館 清学院
「修道院の寺院としての歴史を持ち、江戸時代後期から明治初期には仏典を求めてヒマラヤ山脈を越えてチベットに入った河口慧海も学んだ寺子屋として知られ、建物は国の登録有形文化財です。」火曜日休館日
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歩いて山口家に移動します。
綾の町駅

堺市立町家歴史館 山口家住宅(重要文化財)
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「主屋は慶長20年、大坂夏の陣で市街地が全焼した直後に建てられ、現存する数少ない江戸時代の町家のひとつ。伝統的な堺の町家暮らしを感じることができる魅力溢れる施設です。」火曜日休館日









南に歩きます。
町家



月蔵寺





北辰院



十輪院
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『当寺は、真言宗御室派で本尊は地蔵菩薩であす。天文9年(1540)5月賢盛が創建、当初は前之坊といっていましたが、延宝6年(1678)に十輪院と改称しました。本尊は、賢盛が海船の浜(現南海線七道駅周辺)から感得したものといわれています。境内に大阪府規則指定(大阪府古文化紀念物等保存顕彰規則)の石造板状塔婆が建っています。頭部が船形をし、碑身上部には蓮華座上に立つ地蔵菩薩立像が半肉彫りされ、その下に阿弥陀如来の種子が陰刻されています。その下に銘文もあり、根元部分が失われているため不完全なものの、向かって左側は「明徳2年六月」(1391)、右側は「為阿弥陀仏」と判読できます。この板状塔婆は、当時流行した阿弥陀如来と地蔵菩薩とを同体とする信仰を物語る資料として、府下においては数少ない南北朝時代の貴重な遺品となっています。』





石造板状塔婆

覚応寺
『当寺は、浄土真宗本願寺派で、本尊は阿弥陀如来です。正中元年(1324)、伊予の豪族河野通有の子であった通元は、本願寺覚如上人に帰依して、覚応と名のり、正中2年(1325)九州の霧島山のふもとに一宇を建て、覚応坊と名づけました。後に堺に移り、第5覚貞は覚如上人に師事して、坊を改め覚応寺としました。その後、現在地に移りました。当寺の住職であった河野鉄南(1874~1940)は、与謝野晶子と浪華青年文学会の機関紙「よしあし草」で、歌を通じて親交がありました。与謝野鉄幹とは少年時代から親しく、晶子を鉄幹に紹介しました。』












更に南側に歩きます。
妙国寺
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『当寺は、日蓮宗本山由緒寺院です。永禄5年(1562)、堺を支配した三好四兄弟の一人、三好実休(義賢)と日晄上人の尽力により建てられました。日晄上人は酒井の豪商、油屋(伊達)常言の息子です。堺での日蓮宗の代表的な寺院として、商人や来堺した戦国武将たちの信奉を受け、朝廷より勅願寺と定められました。幕末にはフランス兵との間でおこった「堺事件」において、十一人の土佐藩士が切腹した場所でもあります。』
堺事件
「慶応14年(1868)、当時は外国に対して開港となっていなかったにもかかわらず、堺港に上陸してきたフランス兵と、堺の警備にあたっていた土佐藩士との間で争いが起こり、フランス人多数が死傷しました。この問題は国際問題となり、責任を追及された土佐藩士十一名が当寺の境内にて切腹しました。」



















土佐藩士十一名の墓















妙国寺駅

妙国寺駅周辺の案内図

チンチン電車

浜寺駅行きに乗ります。
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堺市内観光②、ザビエル公園・菅原神社・南宗寺

2017-05-17 23:32:42 | 大阪
2017年5月16日、堺市内観光をしました。
チンチン電車の花田口駅で降ります。

戎公園(ザビエル公園)
「室町時代、この公園付近にフランシスコ・ザビエルを自宅に招いて布教を助けた日比屋了慶(珪)の屋敷があったといわれています。」



























ザビエル公園の南側の筋を東に少し歩いて菅原神社に行きます。
菅原神社
説明書より「今から千年以上前、堺の海船の濱に一体の木像が流れ着きました。これは、菅原道真公が配流された大宰府の地で自ら作られ、海へ放された七天神のうちのひとつと伝えられています。天台宗威徳山天神常楽寺の僧徒が山王権現と共に祀ったことがこの神社の始まりです。長徳3年(997)のことでした。明治の「神仏分離」により天神社を菅原神社に名称が変わりました。」



鳥居

拝殿

随神門(大阪府指定有形文化財)
「室町時代に建立、たびたび火災にあっているが、延宝5年(1677)、鉄砲鍛冶、榎並屋勘左衛門の寄進によって仁王門(楼門として現存)が再建されるなど、そのつど、再興・修復されています。」















境内

神牛





薬祖神社



堺戎神社





大小路駅に行きます。そこから御陵前へ、南宗寺に行きます。



電車が来ました。

御陵前の周辺案内図

堺環濠都市遺跡







南宗寺まで210m

南宗寺
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「堺の戦国武将・三好長慶が建立した寺院で、大坂夏の陣で焼失後、沢庵宗彭らが再建、国の名勝枯山水の庭、重要文化財の仏殿、山門、唐門、千家一門の供養塔、利休好のみ茶室実相庵などがあります。千利休はこの寺で修行し、禅の心を茶の湯に昇華させたといわれています。」









山門(重要文化財)
「江戸前期の正保4年(1647)建築、三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺。」



























鐘楼







唐門(重要文化財)
「江戸前期建築、桁行一間、梁間一間、向唐門、本瓦葺。」

仏殿(重要文化財)
「江戸前期の承応2年(1653)建築、桁行三間、梁間三間、一重もこし付、背面張出附属、入母屋造、本瓦葺。」



徳泉庵
「当庵は、臨済宗大徳寺塔頭大仙院に属する禅寺です。慶安元年(1648)、松江宗安が母徳泉の菩提を弔うために創建し、清巌宗渭を招いて開祖としました。」

















海会寺
「当寺は、臨済宗東福寺派で、本尊は阿弥陀如来です。元弘2年(1332)乾峯士曇が開山で、当時は、関口神社の西門にあり、300石の寺領、6ケ寺の塔頭を有していました。本堂、庫裏及び門廊は、江戸時代初期の建築で、重要文化財に指定されています。」











本源院



















水子地蔵堂

バスで堺東駅に戻ります。
堺東駅前商店街、縦横に商店街があります。一杯飲み屋が所せましと並んでいました。



















バスで堺博物館に移動し駐車場へ。堺観光を終了し、神戸に帰ります。お疲れ様でした。
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桜井神社(拝殿は堺市内唯一の国宝)、多治速比売神社

2017-05-17 23:32:11 | 大阪
2017年5月16日、お参りしました。堺市内観光で阪神高速3号線から松原線、阪和自動車道の堺ICを出て、大阪府道61号線で目的地に向かいました。
桜井神社
大阪府堺市南区片蔵645
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説明書より『御祭神は、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后で、上神谷八幡宮(にわだにはちまんぐう)とも称せられています。当社は、延喜式内社で、古くから公武の崇敬がありました。天正5年(1577)織田信長の根来攻めの兵火にあい、社頭は一時荒廃しますが、江戸時代に神門、鐘楼、宝蔵等が再建されました。拝殿は、鎌倉時代の建築で、古い様式の架構である二重虹梁蟇股がみられ、創建当時の姿をとどめています。内部には、中央に「馬道(めどう)」と呼ばれる通路を持つ割拝殿形式の建物で、市内では唯一の国宝に指定されています。毎年10月5日に近い日曜日の秋祭に奉納される「上神谷のこおどり」は、中世の風流踊りの影響をうかがえる神事舞踏であり、国選択・大阪府指定無形民俗文化財に指定されています。また、鎌倉時代の神像と応永19年(1412)の銘を持つ石灯籠は、大阪府の有形文化財に指定されています。』

神門
駐車場の前の神門は、お寺の山門のような感じです。鳥居はありませんが、南にまっすぐに伸びた道路の先には社標がありますので、そこらに鳥居があったのかも。



鬼面瓦

手水舎

神輿庫
「享保16年(1732)再建」



拝殿(国宝)
「この拝殿は神社の祭例を行う建物で、建立は鎌倉前期と推定されている。桁行五間、梁間三間、一重、切妻造、本瓦葺の建物。中央間を土間の通路とした割拝殿で、架構方法は二重虹梁蟇股といわれる奈良時代以来の伝統的な形式となっている。装飾的な要素をひかえた明快な建物で、各部に鎌倉時代の特色をよく示している。神社拝殿最古の遺構として貴重な建物である。」







狛犬



絵馬殿

絵馬







上神谷のこおどりの鬼面の奉納



弊殿





本殿

末社・招魂社

稲荷社





戎社

社務所

参籠所

モミの木(堺市指定保存樹木)、樹高14.0m、幹回り1.15m





多治速比売神社
大阪府堺市南区宮山台2丁3番1号
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説明書より「当社は、延喜式内社で、多治速比売命を主神として、素盞嗚尊・菅原道真公を併祀しています。安産、縁結び、厄除けの神様として現在も知られています。本殿は、国の重要文化財に指定されています。天井裏の墨書や棟札の記載などから、天文10年(1541)に再建されたことがわかります。八つの蟇股と向拝の二つの手狭にそれぞれ彫刻が施されています。荒山宮の名でよく知られ、梅と桜の名所としても有名です。」

鳥居

手水舎



脇門



案内図

拝殿







狛犬



本殿



稲荷社

弁財天





伊勢神宮遥拝所

脇参道鳥居



末社

社務所



福石社





水天宮





太子堂
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貴船神社

2017-05-12 18:26:29 | 京都
2017年5月11日、貴船神社にお参りしました。鞍馬駅前の駐車場に自動車を止めて、鞍馬寺の仁王門11時20分頃から金堂、奥の院、そして西門をくぐり、貴船に来ました。途中でお弁当を食べての13時10分です。
京都市左京区鞍馬貴船町180
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貴船は川沿いに川床料理の店が所せましと並んでいます。安いところで2500円くらいから7000円の看板が出ています。



貴船神社は本宮、結社、奥宮があります。
由緒書より『御祭神は高龗神。水の供給を司る神。創建年代は明らかでないが、第18代反正天皇の御代(406~410)に奥宮の水の湧き出すところに社殿を建てたという御鎮座伝説の古社である。対岸の鞍馬山の鞍馬寺は、平安初期の延暦15年(796)藤原伊勢人が貴船明神の夢のお告げで建立したと諸書に出ているので、その当時すでに貴船の神は大きな力を具えていたことがうかがえる。永承元年(1046)7月の水害で奥宮が被災、天喜3年(1055)4月この地に本社を移築した。京都に都が開かれて当社は国の重要な神社となり、事ある毎に勅使(天皇のお使い)が差し向けられた。特に当社には、日照りの時には黒馬を、長雨の時には白馬を献じて「雨乞い」「雨止み」の祈願がこめられた。「その数数百度に及ぶ」とある。平安時代の勅願社二十二社の一社で、延喜式名神大社。庶民の崇敬も篤く、全国に二千社の分社がある。古くは「貴布禰」と記したが、「黄船」「木船」「木生嶺」「気生根」などの表記も見られる。明治4年官弊中社となり、以降「貴船」の表記で統一された。』
貴船神社の鳥居

本宮案内図







貴船神社境内案内図

手水舎

休憩所

拝殿と本殿





石庭

桂(御神木)、樹齢約400年















道路に戻り、結社へ。



























結社(貴船神社 中宮)
『御祭神は磐長姫命で、神武天皇(初代の天皇)の曽祖父にあたられる瓊々杵命が、木花咲耶姫命を娶らんとする時、父の大山祇命が姉の磐長姫命も共におすすめしたが、瓊々杵命は木花咲耶姫命だけを望まれたため、磐長姫命は大いにはじ、「吾ここに留まりて人々に良縁を授けよう」といわれ、御鎮座したと伝えられています。古くより縁結びの神、「恋を祈る神」として信仰が篤く、平安時代の女流歌人和泉式部が切ない心情を歌に託して祈願したという話は有名です。男女間の縁だけでなく、人と人、会社と会社、就職、進学などあらゆる縁を結んでくださる神様です。』









桂(御神木)





和泉式部歌碑

天乃磐船

道路に戻ります。



相生の杉、同じ根から生えた二本の杉で樹齢千年

奥宮の鳥居



つつみケ岩

参道







連理の木、別々の木が重なっている。

















本殿

権地





すべてお参りしたので帰ります。





























結構、歩いたので貴船からバスに乗りで貴船口まで。160円でした。貴船口から鞍馬寺まで電車で移動します。210円です。







叡山電鉄の電車です。







お疲れ様でした。
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鞍馬寺・由岐神社

2017-05-12 18:25:58 | 京都
2017年5月11日、鞍馬寺と貴船神社にお参りしました。叡山電鉄鞍馬駅前の駐車場に自動車を止めての約3時間ハイキングです。駐車料金500円です。仁王門から由岐神社、多宝塔、本殿から奥の院、西門を抜けて、貴船神社本宮、結社、奥宮のコースです。
鞍馬駅





駅前広場の天狗様

案内図

駅前の土産物店

天狗の面を売っています。



仁王門前の通り



鞍馬寺
説明書より『奈良、唐招提寺の開山鑑真和上の高弟、鑑禎上人が、宝亀元年(770)、鞍を負った白馬の導きで当山に至り、毘沙門天を感得して草庵を結んだのが始まりである。延暦15年(796)には、藤原伊勢人が王城鎮護の道場として伽藍を造営し、爾来、衆庶の信仰を集めてきた。現在は鞍馬弘教の総本山であり、宇宙の大霊・尊天を本尊とする信仰の浄域である。山の聖霊である天狗が住む山としても有名で、貴船に続く参道には、豊かな大自然の中に、牛若丸(源義経)ゆかのり「息次ぎの水」や「背比べ石」枕草子に記された「九十九折り」などの名噺古跡が散在し、多くの文学作品にも登場する。「初寅大祭」や「竹伐り会式」など由緒ある年中行事も多く、春の花に始まり、夏は全山緑に包まれ、秋は紅葉の彩り、冬は雪景色と四季折々の風景の佇まいは、訪れる人々の心に安らぎを与えている。』

入山料300円です。11時20分
京都市左京区鞍馬本町1074番地
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歓喜院

仁王門
「寿永年間(1182~1184)に建立されたが、明治24年に炎上したので、明治44年に再建され、更に昭和35年に移築に改修が加えられた。向かって右側の扉一枚は寿永の頃のものである。仁王像は湛慶作と伝えられ、明治の再建時に丹波よりお移しされたという。」



仁王像



駒虎



観音・還浄水

参道、緑もみじがお出迎えです。

童形六体地蔵尊、表情がとても可愛いです。

普明殿

方生池









吉鞍稲荷社



魔王の滝の鳥居



崖の上に魔王尊をお祀りしています。

鬼一法眼社
『鬼一法眼は牛若丸に「六韜三略」の兵法を授けたという武芸の達人といわれる。』

由岐神社
説明書より『大己貴命と少彦名命を祀る。天変地異が続く都を鎮めるため、天慶3年(940)、御所内に祀られていた祭神をこの地に勧請したのが当社の始めとされ、天皇の御病気や世上騒擾のとき、社前に靱(矢を入れる器具)を奉納して平安を祈ったため靱社の名がつき、後に現在の社名となったとも伝えられる。京都三大奇祭の一つとして有名な「鞍馬の火祭」は当社の例祭で、毎年10月22日夜に行われる。祭神勧請の際、篝火を焚いてお迎えしたという故事にちなんで、氏子らが大小様々の松明をかついで鞍馬街道から参詣するため、一面火の海となって壮観を極める。』
手水舎



鳥居

拝殿(重要文化財)
「慶長12年(1607)、豊臣秀頼によって再建されたもので、中央に通路(石階段)をとって二室に分けた割拝殿という珍しい桃山建築で、前方は鞍馬山の斜面に沿って建てられた舞台造(懸造)となっている。」





末社・冠者社

末社・岩上社

末社・白長弁財天社

本殿

狛犬(重要文化財)、ユニークな表情をしています。





末社・三宝荒神社







川上地蔵堂
「遮那王と称した牛若丸(義経公)の守り本尊である地蔵尊が祀られており、牛若丸は日々修行のときにこの地蔵堂に参拝したといわれる。」

義経公供養塔

いのちの像
「平和への祈り テロはやめよう 戦争もやめよう どちらも無慈悲で残酷だ 真の平和を願ってひたすら祈ろう」

玉杉大黒天







参道を進みます。





信楽香雲歌碑

中門





本殿まで393mです。



登り道です。

緑の木々で一杯です。森林浴です。



貞明皇后行啓御休息跡

さらに登ります。



更に登ります。

分岐点で多宝塔に進みます。
多宝塔まで300m、本殿まで168mです。

弥勒堂

参道を進みます。



緑色岩(ハイアロクラスタイト)



多宝塔









戻ります。

分岐点から本堂へ







巽の弁財天社



更に階段です。

転法輪堂・洗心亭



手水舎



寝殿



もう少しです。

11時48分、やっと本殿の境内に。





本殿金堂







休憩所

多くの参拝者が座っています。

藤棚

閼伽井護法善神社

銅燈籠(重要文化財)、鎌倉時代の作品







翔雲台

光明心殿





本坊(金剛寿命院)

奥の院参道





階段です。

鐘楼





霊宝殿

案内図

冬柏亭(与謝野晶子の書斎)

登り坂です。

義経息つぎの水

屏風坂の地蔵堂







木の根道



大杉権現社





ここから下りになります。奥の院まで511m







不動堂





義経堂







奥の院まで241m











奥の院・魔王殿



西門へ573mの下り坂です。



























奥の院橋です。途中でお弁当を食べ、3時10分こです。の後貴船神社にお参りです。
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長寿寺(湖南三山)・白山神社

2017-05-05 20:20:10 | 滋賀
2017年5月4日、三重県の東海道の宿場町・関宿に行き、帰りの途中にお参りしました。湖南市の国宝の天台宗3カ寺院の1つです。
「長寿寺の創建は、聖武天皇の天平年中(729~748)良弁僧正によって建立された勅願所であり、現在国宝に指定されている。その昔、聖武天皇は大仏造営のため、一時信楽宮に遷都されたが、世継がなかったので良弁に祈請せしめたところ、良弁は阿星山中の瀑布に籠って祈った結果、間もなく降誕をみるに至った。そこで天皇は信楽宮より鬼門に当たる東寺に七堂伽藍、廿四坊の寺を建立し、皇女誕生にちなむ子安地蔵尊を行基菩薩に刻ませて本尊とし、皇女の長寿を願い長寿寺という寺号をおくったことに始まる。後貞観年中に焼失、同年間復元、現在に至る。中世に頼朝、足利氏らの祈願所になっていたが、天正の頃信長の手によって三重塔は自分の居城である安土城へ、楼門は栗東市の連台寺へ移築し、主要建物は失った。現在、国宝の本堂、重要文化財の弁天堂、丈六阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、十六羅漢図等が残されている。」
拝観料は500円です。
滋賀県湖南市東寺5-1-11
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山門

参道

子安祈願の石

内仏堂



参道

手水舎

鐘楼

銅鐘

本堂(国宝)
「天平年中創建し貞観年中焼失、同年復元、現在に至る。桁行五間、梁間五間、屋根一重寄棟造、向拝三間檜皮葺、四面廻廊と、天台伽藍には珍しい建築である。中央三間は桟唐戸の入口、左右には連子窓、内部は正堂と礼堂とに分かれ、奥行の深い堂を構成し、化粧屋根裏や、雄大な虹梁、その上の板蟇股等、藤原時代の雰囲気を残し、建立年代が相当古いことを物語っている。本堂内の厨子は本尊子安地蔵尊で脇士は聖観音と毘沙門天を安置し、厨子は春日厨子で国宝に指定され内部墨書により、文明12年の建立とみられる。」











弁天堂(重要文化財)
「桁行一間、梁間一間、屋根一重入母屋造、唐破風付檜皮葺のほぼ真四角な堂で、小さいが本格的な構造である。建立年代は詳らかでないが、内部より刷毛書の墨書が発見され、それに十六、十二月とあり、肝心の年号の部分がぬりつぶされているが、建物の様式、地中から発見された瓦に「文明6年」という銘があることや、「天文19年3月手間参百人云々」という修理銘が見出されていることから、これは文明16年の建立とみるべきだというのが建築史家の結論である。」

経蔵



三重塔趾
「近江の主要な天台系伽藍には、かならず三重塔を配するのが堂塔配置の常である。長寿寺の三重塔は本堂に向かって左後方の叢林中に在ったが天正3年頃織田信長の手によって、安土城山中の信長の菩提寺である摠見寺に移築された。地中より鉄刀子、鎮壇具に用いられたと思われる素焼の壺が発掘された。蓋は室町時代とみられる菊花双鶴文鏡が用いられ、鏡の製作年代から推定して享徳ごろ塔が建立されたものと思われる。」





石造多宝塔(湖南市指定文化財)
「聖武天皇の菩提を弔う為に鎌倉時代に建立した多宝塔。今は相輪が欠けているが、この種の石造多宝塔の遺例は極めて少ない。」







白山神社
「長寿寺の鎮守社として、奈良時代に建立された。 社殿と拝殿は長寿寺本堂の西に隣接する。祭神は白山比咩神。」

鳥居

参道



手水舎

鳥居

拝殿(重要文化財)
「拝殿は様式手法よりみて室町時代末期の建立であろう。方三間の簡素な建物であるが、軒廻りや舟肘木などに時代の特色がみられる。屋根は桧皮葺。各柱間は開放する類例が多いが、格子戸を備えるのは珍しい。滋賀県下では重要文化財の御上神社拝殿(野洲町)に次いで古い拝殿である。」









狛犬



本殿

十王寺
天台宗寺院で、長寿寺の横にあります。















お疲れ様でした。
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常楽寺(湖南三山)

2017-05-05 20:19:41 | 滋賀
2017年5月4日、三重県の東海道の宿場町・関宿に行き、帰る途中にお参りしました。
常楽寺は、天台宗の寺院です。湖南市は、滋賀県の南東部に位置し、南に阿星山系、北に岩根山系、中央に琵琶湖に注ぐ最大の河川である野洲川が流れれ、石部町と甲西町が平成16年に合併しました。この湖南市に奈良時代に建立された天台寺院で国宝に指定された建築物が3カ寺(常楽寺、長寿寺、善水寺)あることから湖南三山と称しています。通称西寺といい、近在の東寺‐長寿寺とともに栄えてきた。
「常楽寺は、近江西国霊場第一番札所、びわ湖百八霊場第九十五番です。和銅年間(708~715)元明天皇の勅命により、良弁が開基した阿星寺五千坊の中心寺院として、また紫香楽宮(742~745)の鬼門鎮護として栄えた。平安~鎌倉時代には、皇室の帰依を受けて寺運は隆盛。延暦年間(782~805)天台宗に改められたという。延文5年(1360)火災で全焼したが、同年、観慶らによって再興された。」
入山料は500円です。
滋賀県湖南市西寺6丁目5-1
map

境内案内図

鐘楼

銅鐘

本堂(国宝)
「室町前期の延文5年(1360)再建、桁行七間、梁間六間、向拝三間、入母屋造、桧皮葺。」









本堂内部に重要文化財の釈迦如来、風神・雷神、二十八部衆が安置されています。
行者堂

普賢堂

薬師堂

三重塔(国宝)
「室町中期応永7年(1400)再建、三間三重塔婆、本瓦葺。三重塔は本堂後方左手の一段高いところに建つもので、建立年代については応永五年(1398)の勧進状が残っているほか、瓦に同七年の箆書をもつものがあって明らかである。初重総間四・五六メートル、総高二二・八メートル、三重塔としては標準的な規模をもつ。全体の比例をみると、相輪長さは総高のちょうど三分の一、総高は初重総間の五倍、塔身高は同じく三・三倍で、これまた遺構の平均的な数値である。柱間寸法の決定は、初重総間を一五尺として中央間一二枝、脇間十枝に割つけ、二重・三重はそれより中央間で二枝脇間で一枝ずつ減らすといった、明快な枝割によっている。その結果、三重総間は初重の七割五分となるが、この平面の逓減も三重塔の平均値にあたる。様式手法は内部の須弥壇を除いては純和様からなり、きわめて正統的である。初重内部に仏画や装飾文様を描いているのはめずらしくないが、天台宗寺院の塔でありながら板壁に真言八祖像を描くのは興味深い。この塔は伝統的な手法をもつ形通りの三重塔で、均整のとれた比例や整然とした枝割計画をもち、室町時代三重塔の代表作といえる。本堂後方の高いところに塔を建てる配置も、中世の地方密教寺院には多い。」



























経蔵



三聖神社
寺院の境内に鎮座しています。

鳥居

狛犬




















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第23回しがらき陶器市

2017-05-05 20:07:45 | 滋賀
2017年5月4日、三重県の東海道の宿場町・関宿の散策、そして滋賀県の湖南市の常楽寺、長寿寺にお参りし、信楽焼の町に行きました。陶器市が丁度5月6日までの開催中でした。時間の関係で窯のところは散策ができませんでした。駅前の陶器市を見て回りました。狸の焼き物が一杯です。お皿とか茶碗などの焼き物もたくさん販売していました。
観光案内図















































陶器市は17時30分で終了でした。神戸まで約2時間半かかりますので帰ります。お疲れ様でした。
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関宿の寺院、福蔵寺・地蔵院・瑞光寺

2017-05-05 16:58:47 | 三重
2017年、三重県にある東海道の関宿に行きました。関宿散策での寺院です。
福蔵寺
「関の小方は孝女の仇討で知られ、鈴鹿馬子唄にもうたわれています。その墓と記念碑が福蔵寺境内にあります。」
「清浄山と号し、当山は、天台真盛宗(本山は滋賀県大津市坂本の西教寺)に属します。草創は、天正11年(1583)、織田信長郷三男信孝公の菩提寺として創建されました。本堂のご本尊は阿弥陀如来です。」

参道

山門



説明書

薬師堂















本堂

藤棚

観音堂









織田信孝公の墓



庫裏

地蔵院
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『「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」の俗謡で名高い関地蔵院。天平13年(741)行基菩薩の開創と伝えられています。近郷の人々に加え、東海道を旅する人々の信仰を集め、現在でも多くの参拝客でにぎわっています。』

「現本堂は元禄年間に江戸出開帳や地元からの寄付などによって資金を集めて建設された。大工も地元であるが建築の質がよく、造営関係の文書が保存されていることも貴重である。鐘楼は寛永年間の建築で、意匠が優れ、すでに重要文化財に指定されている愛染堂とともに伽藍を構成する建築として貴重である。」
手水舎

本堂(重要文化財)
「江戸中期の元禄13年(1700)建造、桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺、背面後陣、側面脇間付。」





欄間の彫刻





















鐘楼(重要文化財)
「江戸前期の寛永21年(1644)建造、桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺。」



庫裏



愛染堂(重要文化財)
「江戸前期の寛永7年(1630)建造、桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺。」



地蔵堂

経蔵

瑞光寺
「瑞光寺は中世にこの地域を治めた関氏ゆかりの寺です。境内にある権現柿は、徳川家康が関宿に立ち寄った時、賞味したと伝えられている柿の木です。」
山門



鐘楼

本堂







権現柿(亀山市史跡)

庫裏
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