旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

三十三間堂(蓮華王院)・国宝

2015-01-18 16:32:27 | 京都
2015年1月15日、お参りしました。拝観料は600円です。
パンフレットより『正式には蓮華王院といい、長寛2(1164)年鳥辺山麓(現・阿弥陀ケ峯)の後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進した。約80年後に焼失したが、すぐに復興に着手し文永3(1266)年に再建された。その後、室町・桃山・江戸そして昭和と4度の大修理により700余年間保存されています。長いお堂は和様の入母屋・本瓦葺きの「総檜造り」で約120メートルあります。本堂内陣の柱間が33あることから三十三間堂という名で知られています。中央の巨像(中尊)を中心に左右に各500体(重要文化財)、合計1001体がご本尊です。中尊(国宝)は、大仏師湛慶(運慶の長男)82歳の時の造像で鎌倉期(慶長6年)の名作と評価されています。正しくは「十一面千手千眼観世音」といい、檜材の「寄木造り」で、頭上の11の顔と40種の手に表現されています。等身立像の中、124体はお堂創建時の平安期のもので、他の800余体は鎌倉期の再建の折に約16年をかけて復興されました。』中尊のほか、国宝の雷神と風神や観音28部衆の仏像も見事ですね。端から端まで一杯の観音様に合掌。
京都市東山区三十三間堂廻町657
map

拝観受付





本堂(国宝)
日本一長い木造建築物です。縁側の南から北に矢を射通す「通し矢」の競技で知られています。













鐘楼

廻廊





東大門

太閤塀(重要文化財)



夜鳴泉
お堂創建の翌年(1165)6月7日、ひとりの堂僧が発見したという霊泉で「古今著聞集」には「いつも冷たく美味しく飲んでもお腹を痛めることのない"極楽井"でどんなに汲んでも尽きず、汲まない時も余ることのない不思議な泉だ」と記されています。

石碑

法然塔









久勢大明神

南大門(重要文化財)
建物を出て東の通りの南にあります。桃山時代、切妻造、本瓦葺、三間一戸の八脚門で、虹梁の刻銘により豊臣秀頼が慶長5年に新築したものと推測されています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東山(六道珍皇寺、六波羅蜜寺、方広寺、豊国神社)

2015-01-18 16:27:19 | 京都
2015年1月15日、お参りしました。
六道珍皇寺
開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊僧都で、平安前期の延暦年間(782年~805年)の開創です。当寺は、古くは愛宕寺とも呼ばれた。臨済宗建仁寺派のお寺です。
京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
map





子育地蔵尊
弘法大師が自ら土でつくった六波羅地蔵を安置したことに始まる古刹で、檀林皇后が皇子(のちの仁明天皇)の病気平癒を祈願したことから、子育て地蔵として信仰を集めています。
京都市東山区松原通大和大路東入ル西轆轤町81
map





六波羅蜜寺
「六波羅蜜寺は、天暦5(951)年、空也上人により開創されたました。現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせています。」
京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町
map

手水鉢

一願石と観音様





平清盛公の塚

阿古屋塚
説明板より『阿古屋の菩提を弔うために鎌倉時代に建立す。石造宝塔は鎌倉時代の作で、その下の台座は古墳時代の石棺の石蓋を用いている。歌舞伎 壇浦兜軍記{阿古屋} 平家の残党 悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五条坂に住む白拍子阿古屋を捕え、代官秩父庄司重忠は阿古屋に景清の所在を問い質す。阿古屋は知らぬと申し開きをするが、詮議のために弾かせた琴、三味線、胡弓などの調べに一点の乱れのないことに感動した重忠は阿古屋が景清の所在を知らぬことが真実であると知り釈放する。「阿古屋の琴責め」とも称される。』

説明書



本堂











道元禅師説法遺跡

なで牛

無事かえる

方広寺
釣鐘は有名で、奈良の東大寺・知恩院・方広寺と日本三釣鐘(重要文化財)に指定されています。梵鐘を製作した三条釜座鋳物師、名越(名護屋)三昌らによって1612年に製作されました。
京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町527-2
map
手水舎

本堂

大黒尊天

鐘楼

釣鐘(重要文化財)

豊国神社
神号「豊国大明神」を下賜された豊臣秀吉を祀ります。豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の指示により再興されました。
京都市東山区大和大路正面茶屋町530
map
鳥居

唐門(国宝)
元は南禅寺塔頭金地院にあったもので、豊国神社再建にあたって金地院から移築されました。





千成りひょうたん絵馬

拝殿

京都国立博物館(重要文化財)
京都市東山区茶屋町527
map








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掌美術館、圓徳院

2015-01-18 16:23:49 | 京都
2015年1月15日、行きました。あいにくの雨で大変でした。
掌美術館
高台寺と関連各寺院に収蔵されてきた名品を中心に高台院ゆかりの品々を展示公開しています。
map

圓徳院
高台寺の塔頭で、慶長10(1605)年、豊臣秀吉の没後に正室のねねが、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を移築して住んだ。ねねは77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送り、この地は北政所の終焉の地となった。

長屋門





庫裏



秀吉公好みの手水鉢

方丈

庭園

























北庭(国名勝指定)
パンフレットより「もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的庭園のひとつです。賢庭作で後に小堀遠州が手を加えた。池泉回遊式だが枯山水となっている。枯滝石組を構成し、多数の巨岩大岩がふんだんに置かれている庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。」











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高台寺

2015-01-18 16:22:13 | 京都
2015年1月15日、お参りしました。あいにくの雨でした。3ヵ所共通割引拝観券(高台寺・高台寺掌美術館・圓徳院)大人900円です。
パンフレットより「臨済宗建仁寺派の寺院で、正しくは高台寿聖禅寺という。豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11(1606)年開創した寺です。寛永元(1624)年7月建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大な財政的援助を行ったので、寺観は壮麗をきわめたという。しかし、寛政元(1789)年以降、たびたびの火災にあった多くの堂宇を失い、現在残っているのは旧持仏堂の開山堂と霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で現在国の重要文化財に指定されている。」
参道(台所坂)

唐門

庫裏

庫裏の玄関前



高台寺大満宮
豊臣秀吉の夫人であった北政所ねねが、慶長11年(1606)に高台寺を創建した際、日頃崇拝していた綱敷天満宮の祭神 菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたものです。



鐘楼





牛様

雲居庵









庭園



開山堂
高台寺第一世の住持、三江紹益禅師(1572-1650)を祀る塔所です。





方丈庭園と勅使門

























観月台(重要文化財)
檜皮葺きの四本柱の建物で、三方に唐破風をつけた屋根の下から観月するための建物です。





臥龍廊
開山堂と霊屋を結ぶ階段で龍の背に似ている所からこのように名付けられた。









石碑

霊屋{おたまや}(重要文化財)
北政所(ねね)の墓所、秀吉と北政所をお祀りしている所であり、厨子内左右に秀吉と北政所の木像を安置しています。









傘亭への階段

石塔

時雨亭(重要文化財)と傘亭(重要文化財)
利休の意匠による茶席であり伏見から移建したものです。





竹林



鬼瓦





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三面大黒天

2015-01-18 16:17:45 | 京都
2015年1月15日、お参りしました。
秀吉の出世守り本尊である三面大黒天は、たいへん珍しい大黒天・毘沙門天・弁財天の三天合体の尊像です。高台寺の西にあります。
map



石碑

歌仙堂

手水鉢

大黒天





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平安神宮

2015-01-18 16:16:46 | 京都
2015年1月14日、お参りしました。
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。

京都市左京区岡崎西天王町97
map
大鳥居(登録有形文化財)







京都市美術館

京都府立図書館



由緒書

応天門(重要文化財)
二層楼碧瓦本葺・丹塗で、高さ19.3mです。



手水舎



大極殿

手水



神楽殿(登録有形文化財)





東門

蒼龍楼(重要文化財)







白虎楼(重要文化財)



絵馬



廻廊(登録有形文化財)

おみくじ

石碑






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東山周辺(円山地蔵尊、満足稲荷神社、祇園、南座、大雲院)

2015-01-18 16:14:13 | 京都
2015年1月14日行きました。
円山地蔵尊
大雲院のすぐ傍にあります。
map

八坂神社周辺案内板

円山公園の池、鷺が首をすくめて一休み

円山公園の説明書
『平安の昔、一帯は真葛や薄などが生い茂り真葛ケ原と呼ばれていました。鎌倉時代、慈円僧正が「わが恋は松を時雨の染めかねて真葛ケ原に風さわぐなり」(新古今集)と詠んだことから一躍、和歌の名所となり、以来多くの歌にうたわれました。江戸時代に入ると安養寺塔頭の六阿弥が席貸を始め、次第に賑やかさを増してきました。この頃から「慈円山安養寺」の「円山」がこの辺りの呼名となったと伝えられています。明治19年10月、京都府は円山一帯を公園地に指定し、造園家・小川治兵衛の手により、中央に池を配した回遊式日本庭園に作り変えられたのが現在の円山公園の姿です。』

鴨、かわいいですね。



14日、昼食は「だる満」で揚げ餅そばをいただきました。



黄梅、店で飾っていました。

満足稲荷神社(満足さん)
祇園新道にいく途中の東大路通にありましたのでお参りしました。
説明書より「文禄年間(1592~96)、豊臣秀吉が伏見城の守護神として伏見稲荷大社の祭神を勧請し、後元禄6(1693)年、現在地に遷座しました。秀吉の崇敬が篤く、社名の満足の二字は、秀吉が祭神の加護にすこぶる満足したことに由来するとされています。」
京都市左京区東大路仁王門下る東門前町527-1
map

説明書

















祇園新橋通(重要伝統的建造物群保存地区)
map











火除け地蔵

辰巳大明神

南の風景

白川南通

白川





南座(重要文化財)
江戸時代(元和年間)から続くとされる、日本最古の劇場です。名称の由来は、四条通の南側に位置しているため。
京都市東山区四条通大和大路西入中之町198
map



阿国歌舞伎発祥の地碑

仲源寺(めやみ地蔵尊)
治安2年(1022)に定朝が四条橋の東北に地蔵尊を祀ったのに始まるといわれます。南座の少し東にあります。
京都市東山区四条通大和大路東入祇園町南側585
map

















大雲院
浄土宗の寺院です。天正年間(1573-92)織田信長・信忠親子の菩提を弔うため、父子の知遇を得ていた貞安上人が、信忠の法名をもって二条烏丸に創建した。のち寺町四条に移転したが、天明・元治の大火で焼失。明治初期に復興、1973年(昭和48)現在地に移転した。本堂の背後に山鉾を模した祇園閣がそびえます。非公開のため、境内ははいれません。
東山区祇園町南側594-1
map

祇園閣で年昭和3(1928)に建築された3階建ての建物で、大倉財閥の設立者である大倉喜八郎が別邸とし建てた別邸「真葛荘」の一部です。銅閣と呼ばれています。





ねねの道



案内版

三門

石塀小路
map







案内図



祇園女供養塔
map

京都祇園堂

月真院
高台寺塔頭のひとつで久林玄昌を開祖とします。慶応3年(1867)伊東甲子太郎らが新選組から分派後、屯所を構えたとされています。
京都市東山区高台寺下河原町528
map
御稜衛士屯所跡







三年坂








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八坂神社

2015-01-18 16:02:03 | 京都
2015年1月14日、お参りしました。
パンフレットより「創建年代は、社伝によると斉明天皇2年(656)といわれています。本殿は重要文化財で、様式は祇園造といわれ、2つの屋根をさらに大きな屋根で覆う形式で他に例を見ない。京都の夏の象徴である祇園祭は、貞観時代(9世紀)頃、都一帯に疫病が流行り、疫病退散を祈って、鉾66本をたて神輿を神泉苑に送り御霊会を修したことにはじまります。7月の1カ月間の祇園祭の中でも、特に17日の山鉾巡行、神輿の神幸、24日の花傘巡行、神輿の還幸は豪華絢爛、躍動感に溢れ往時が偲ばれます。白朮詣は、12月28日早朝、神職が鑽り出した火を大晦日に燈籠にうつし、その火を元旦にかけて吉兆縄につけて持ち帰り、新年のお祝い事や御灯明の種火とする、新春のめでたい行事です。」
京都市東山区祇園町北側625
map
西楼門(重要文化財)









18時過ぎです。

南楼門



石鳥居(重要文化財)

狛犬







手水舎

本殿(重要文化財)
「一般の神社では別棟とする本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式をとり、祇園造と言われています。」























舞殿

絵馬堂

能舞台

斎館

絵馬

厳島社

祖霊社

五社

刃物神社

日吉社

美御前社

大年社

大国主社

悪王子社
説明書より『悪王子の「悪」とは「強力」の意であり、荒魂は、現実に姿を顕す、霊験あらたかな神の意であります。』

疫神社

祓所

美容水

忠盛燈籠

祇園社乱闘事件
現地説明書より「時は久安3(1147)年6月15日、祇園臨時祭(祇園御霊会、現在7月24日に行われている還幸祭の翌日に当たり、朝廷から奉幣が行われた)の日の事、中務大輔平清盛は心に決めた宿願を果たさんと、祇園社に田楽を奉納します。この田楽を守護していたのが清盛の郎等達、武装した彼らを見、祇園社の神人(下級神職)はその解除を求めます。しかし清盛の郎等はその要求を受け入れず、ついに乱闘へと発展、祇園社権上座隆慶をはじめ負傷者が出る始末。6月26日、祇園社の本寺であった延暦寺はこの乱闘について訴えます。28日、延暦寺の衆徒と日吉・祇園両社の神人は清盛と父・忠盛の流刑を訴え、神輿を舁いて入洛しようとします。神々の神意の体現とされた神輿の動座を伴う強訴(神輿振り)は当時の人々に大変恐れられていました。鳥羽法皇の清盛への決は贖銅(実刑に代わり銅を納める)という軽いもので、顛末として平忠盛・清盛父子を擁護した鳥羽法皇は祇園の神に対して何度も謝罪をしています。」
大神宮社

稲荷社

北向蛭子神社

石碑

太田神社・白髪神社

車祓い所




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知恩院、青蓮院

2015-01-18 15:29:28 | 京都
2015年1月14日、お参りしました。
パンフレットより「浄土宗の総本山で、東山三十六峰のひとつです。法然上人が初めて教えを説いた念仏の聖地で、上人入滅の地でもあります。7万3000坪の境内は、法然上人の御廟を中心に勢至堂や濡神大明神のある上段、上人の御影を祀り一度に2000人がお参りできる御影堂が中心の中断、壮大な三門は高さ24m、横幅50m、屋根瓦7万枚と木造の門としては世界一のスケールを誇ります。」
三門、御影堂は平成30年までの修理中でした。
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400
map
南門

駒札

子弟愛の像

説明書

知恩院案内図

仏教大学建学之地石碑

参道









多宝塔

阿弥陀堂
明治年間に建てられた建造物です。



手水舎

灯籠

寒桜

四脚門

武家門

法然上人御堂(重要文化財)
寛永12年(1635)に建立されました。俗に千畳敷といわれるほど広いお堂で、御影堂の北側に隣接し、南北十五間の鴬張りの渡り廊下で御影堂と結ばれています。明治5年(1872)の京都博覧会の会場にもなりました。



知恩院新玄関

庫裏



北門

法仏殿



大鐘楼
僧侶が17人がかりで撞く除夜の鐘で有名です。



納骨堂



香炉





石塔

経堂(重要文化財)
「本堂の東方に建つ宝形造本瓦葺き裳階(もこし)付きの建物で、三門と同じ元和7(1621)年に建立され、徳川二代将軍・秀忠寄進による宋版大蔵経六千巻を安置する輪蔵が備えられています。」



写経塔

御廟の参道



石碑



参道

法然上人御廟山門

鐘楼

勢至堂(本地堂)



石碑







御廟











一心院



元大谷 崇泰院







山門

親鸞聖人得度聖地の碑

青蓮院のクスノキ





青蓮院門跡



石碑

粟田口



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京料理旅館 高台寺 よ志のや

2015-01-18 15:22:03 | 温泉、旅館、ホテル
2015年1月14日、泊まりました。
こちらの旅館は、宿泊の場合は自動車を当日の10時から翌日16時まで止めさせていただけますので、観光者にとっては大変ありがたいです。当日は午前中に来て、少し近辺を観光し、南座で演劇を楽しみ、ビールを飲みながらの夕食、翌日は朝食をいただいた後、市内観光をさせていただきました。フロント、仲居さん達スタッフの方は非常に気配りがあり、気持ちよく宿泊させていただきました。
八坂神社、高台寺、清水寺の近くなので立地はいいですね。14日は旅館の北側の八坂神社、知恩院、平安神宮と祇園、四条通りの土産物屋、15日は南側の寧々坂から清水坂、六波羅蜜寺から三十三間堂までを歩きました。
京都市東山区高台寺北門前通下河原東入鷲尾町528
map
外観

室内







玄関の御影石の飾り、高台寺の屏風をレーザーで彫っています。

階段の飾り











玄関

食堂

夕食です。料理長 黒崎譲結様
フォアグラ豆腐と前菜のサーモン手毬寿司、鰊積雪焼、石垣真丈、葡萄銀杏。博多干柿、松笠慈姑

椀物、蟹真丈、蕪、椎茸、人参、鶯菜と鯛、鮪、鯵の盛り合わせ

鴨西京鍋、焼豆腐、九条葱、白菜、白舞茸、芹

鰤と大根木の芽焼

穴子飯蒸

揚物の海老、甘鯛、キス、ピーマン、シイタケ

さごしの酢物、大根御飯、留椀、京漬物

デザート

朝食です。
豆乳鍋(豆腐、えのき、ミブナ)、湯葉、近江蒟蒻、鮭の味噌漬け、出汁巻き玉子、海苔、切干大根、香物、シジミの味噌汁、デザート、食後のコーヒー





デザート

御馳走様でした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする