旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

苗村神社・西本殿(国宝)、東本殿(重要文化財)

2015-02-21 18:24:57 | 滋賀
2015年2月16日、お参りしました。
近郷の33ヶ村にわたって氏子を有する総社で、創祀不詳です。周りには古墳群が多く、祖霊信仰に始まる神社とされています。
滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸467
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石碑

鳥居

由緒書
「当社の御鎮座は上古に属し、平安時代の延喜式神名帳に長寸神社と記す格式高い神社である。社伝によれば垂仁天皇の御代に当地方を開拓された御祖を最高の産土神と崇めお祀りされた(東本宮)のが創記とされる。その後、冷泉天皇の安和2年(969)3月28日大和国吉野の金峯山より主神の一柱を勧進し、祀る社殿を造営された(西本宮)ことから両本殿がある。長寸神社に苗の字を用いたのは、寛仁元年(1017)後一条天皇より苗村神社の称を賜り現在に至る。」

門の前の太鼓橋

楼門(重要文化財)
「建立年代は明らかでないが、蟇股の輪郭部や斗栱の形式などの技法から応永(1394年~1427年)ごろの造営と考えられる。構造は、三間社一戸楼門入母屋造の茅葺で、この地方最大規模の和様を基調とした遺構である。」

説明書





石碑



子守の像

手水舎

神輿庫(重要文化財)

神馬

不動明王・重要文化財の木造不動明王立像を安置しています。



拝殿

西本殿(国宝)

説明書
「この本殿は社蔵される棟札から徳治3年(1308)に再建されたと考えられる。構造は、三間社流造で、前面は一段低い床張りとし、菱格子を入れて前室を作り更に一間の向拝を出し、屋根は桧皮葺とした形式は総体的に鎌倉時代後期の特質を現わしている。」











末社



東本宮
道路を挟んで鎮座しています。

参道

狛犬



本殿(重要文化財)



説明書

佐々貴社

天神社

大神社

境内での古墳群出土の説明




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日牟礼八幡宮

2015-02-21 18:22:28 | 滋賀
2015年2月16日、お参りしました。近江八幡の町並み散策のおりによりました。
「伝記によれば、131年、第13代成務天皇が高穴穂の宮に即位の折に、武内宿禰に命じ、現在のこの地に大嶋大神(地主神)を祀られたのが、社の鎮座の始めとされています。」
滋賀県近江八幡市宮内町257
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鳥居

楼門



狛犬



手水舎



拝殿





能舞台







神馬



御祈祷所

本殿





末社

天満宮



牛様





大島神社

繁元稲荷

八坂神社

恵比須神社

お祓い所




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近江八幡の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)

2015-02-21 18:19:55 | 滋賀
2015年2月16日、帰路の途中に寄りました。
「近江八幡の町並みは、天正13年(1585年)に豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八幡山に城を築いたことに始まります。秀次の楽市楽座等による商工業の発展政策は、その後の近江商人の活躍の原動力となりました。天正18年(1590年)に 秀次が移封され、ついで京極高次が城主となりますが、わずか5年後の文禄4年(1595年)に廃城となります。特に新町や永原町にはかつての近江商人本宅の家々が立ち並び、 八幡堀に面した土蔵群は往時の繁栄を偲ばせます。」
市営駐車場に車を止めて、散策です。
朝鮮人街道(京街道)
『江戸時代、将軍が交代する朝鮮国より国王の親書を持って来日する「朝鮮通信使」は、役人の他にも文人や学者など、多い時は、500人規模で組織され、往復でも約1年の歳月を費やしたと言われています。行程は、ソウルから江戸までの約200キロにもなりますが、近江八幡を含む、彦根から野洲までの一部の地域で「朝鮮人街道」と今でも呼ばれています。本願寺八幡別院では正使、そして京街道(当地域)一帯で随員の昼食や休憩場所として使われ、当時の町人はまち挙げて歓迎し、文化交流がさかんに行われました。』
説明書







旧伴家住宅



市立郷土資料館

新町通





石柱

格子戸と貫見せ(軒下の壁に貫を見せる他に例の少ない独特の意匠と言われています)、むしこ窓(二階の屋根裏部屋には明かりとりと風通しのため小窓)

森五郎兵衛邸



旧西川家住宅、摺り上げ戸









おねがい地蔵様





麩の吉井



八幡堀
説明書
「掘は城を防御するために存在しますが、豊臣秀次はこの八幡堀を運河として利用することを考え、琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡の町に寄港させました。また、八幡城下はかつての安土と同じく、楽市楽座をを取り入れたことから、商人の町として大いに活気に呈しました。」







郷土料理喜兵衛

八幡堀
撮影のロケ地や観光場所になっています。









観光案内図

大杉町

明治橋







クラブハリエ

八幡堀の説明書





白雲館観光案内所



重要伝統的建造物群保存地区説明書

宮内町

稲荷神社







琴平神社







大太鼓



漬物屋さん

あきんじ道

仲屋町通り













魚屋町












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彦根城その3・楽々園、玄宮園

2015-02-19 18:23:39 | 滋賀
2015年2月16日、彦根城を観光しました。
西の丸より山崎山道を降りて、観音台から黒門橋へ移動です。
内堀の土塁です。




黒門



内堀の鴨





井伊直弼生誕地

石碑

楽々園
「旧藩士の下屋敷で、槻御殿のほかに黒門外屋敷とも称されていましたが、現在は楽々の間にちなんで楽々園と呼ばれています。1677年四代藩主直興により造営が始まり、1679年に完成、その後数回にわたり増改築が行われ、往時には能舞台を備えた広大な建物であったが、現在では書院や地震の間、雷の間、楽々の間等の一部が残っている。」

玄関

保存整備のため工事中です。

地震の間、お茶座敷









庭園







八景亭(臨池閣)
庭園を見渡す好所に建てられた数寄屋建築です。
説明書



玄宮園(名勝)
城の北東にある大名庭園で、中国の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられた縮景園で、第四代当主直興が延宝5年(1677)に造営した。

説明書



槻御殿の説明書



































鳳翔台(茶室)
園内の築山に建つ趣のある建物で、藩主が客人をもてなすための客殿であった。



説明書















屋形船乗船場所

遠城謙道の石碑
「旧彦根藩士で、医術、儒学や画を学び禅の修行にはげみ、桜田門外の変における、大老井伊直弼公の横死の後、非憤の余り主君の旧恩に報じようと同志と謀り老中に抗弁するも果たすことが出来なかった。追い腹は犬死と判断し、僧となってお墓守を決心した。終生掃墓、読経し、直弼公の霊を慰めること実に37年に及んだ。」

説明書

井伊直弼大老像

説明書





開国記念館



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彦根城その2・天守(国宝)

2015-02-19 18:21:55 | 滋賀
2015年2月16日、彦根城を観光しました。
天守(国宝)
いくつもの破風を巧みに組合せ、美しい曲線の調和をみせ、牛蒡積と呼ばれる石垣の上に三階三重の天守がそびえている。
説明書





着見台より



















本丸跡
御広間や宝蔵・矢櫓・着見櫓などが築かれていたが、明治になって取り壊された。



着見台

説明書

景色







用水池



天守の中へ

















鉄砲狭間

矢狭間





















隠し部屋
破風を利用して、4ケ所あり、中には4人~5人が入れる広さがある。



展示品

































西の丸

西の丸三重櫓(重要文化財)

説明書



山崎山道へ







大堀切と出郭











内堀と黒門橋

彦根城その3・楽々園、玄宮園に続く



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彦根城その1・二の丸佐和口多門櫓、天秤櫓、太鼓門櫓

2015-02-19 18:20:32 | 滋賀
2015年2月16日、長浜ロイヤルホテルに宿泊の翌日、帰路の途中で彦根城を観光しました。
彦根城は、江戸時代初期、井伊氏の拠点として置かれた平山城です。山は「金亀山」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいわれています。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城でした。将軍徳川家康公の命により、慶長9年(1604)より着工され、元和8年(1622)に築城しました。明治に入り各地の城が廃城令で破壊・売却されていく中、彦根城も例外ではなかった。しかし、明治11年10月、明治天皇が巡幸で彦根を通過した際に城の保存を命じたため破却は逃れたという。
拝観料はお城と玄宮園の庭園を合わせて600円です。
滋賀県彦根市金亀町1-1
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観光案内マップ
真ん中の下の二の丸駐車場から時計回りに観光していきました。説明書きは現地のパンフレットを引用しました。

二の丸佐和口多門櫓(重要文化財)
佐和口に向かって左翼に伸びる白壁の櫓です。明和4年(1767)に火災で類焼し、現在の建物は明和6年から8年にかけて再建されたものです。





櫓から見た天守、右手は馬屋(重要文化財)ですが、修理中です。

案内図

櫓内、保存品











説明書

櫓から見た中掘



壁の説明書
「防火や防弾のために厚い土壁となっています。土壁は、竹を縦横に組んだ竹小舞を骨組みとして藁縄を絡め、、それに荒壁、中塗り、白漆喰の順に塗り重ねています。建物の外面は、柱などを土壁で完全に塗りこめる大壁造り、内面は柱を見せる真壁造りとなっています。」







当時の城の図面、外堀もありました。



内堀



表門橋
明治初期の写真や当時の文献を参考に、3年の歳月をかけて平成16年2月、現代に蘇った。

人力車





案内図

登り石垣の説明書

彦根城博物館(表御殿)







表門山道

振り返って

天秤櫓(重要文化財)
表門から坂を上がっていくと廊下橋(非常時には落とし橋となる)が見える。この橋を中央にして建てられているのが天秤櫓である。日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけである。



廊下橋をくぐって、山道を登って鐘の丸へ









鐘の丸

説明書
築城当初、鐘楼が当地に存在したため鐘の丸と称する。

鐘の丸からの天秤櫓





天秤櫓説明書











聴鐘庵(茶室)

時報鐘
城全体に響くようにと鐘の丸から移された。

説明書

太鼓門櫓(重要文化財)
本丸への最後の関門で、東側の壁は無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしている。





説明書





振り返って

本丸より

彦根城その2・天守に続く
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長浜城歴史博物館、豊公園

2015-02-18 17:34:49 | 滋賀
2015年2月16日、長浜ロイヤルホテルに宿泊し、その北側に長浜城歴史博物館、豊公園があり、散策しました。
ホテルの部屋からの夜景です。
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琵琶湖での鴨が、のんびりとしていました。











対岸の景色

供養観音





長浜城石垣出土地









先人顕彰碑

大正時代を今に伝える東屋



石碑



長浜観光マップ

長浜城歴史博物館
秀吉公が居城として初めて築いた城で、市民により再興されました。







長浜城本丸跡












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長浜ロイヤルホテル

2015-02-18 16:43:12 | 温泉、旅館、ホテル
2015年2月15日、宿泊しました。琵琶湖畔に位置するホテルです。
露天風呂が温泉で、総鉄イオンの少し褐色のお湯です。到着後、入浴し、食後、早朝と3回はいりました。サウナもありましたので、汗もかきました。
滋賀県長浜市大島町38
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外観







1階ロビー



室内



おもてなし

エレベータ前

夕食は和食にしました。
先付、前菜、造り、焚合、合鴨鍋、モズクの酢物、蒸物、止碗、香の物、デザートです。
生ビールを2杯飲みながら食事を満喫しました。
鴨鍋

ブリ、マグロ、イカの造り、

サワラ、若サギ、蓮根肉味噌、蒲鉾

茶碗蒸し

赤出し、香の物

デザート

20時半から打ち上げ花火のサービスで、部屋より冬の催しを楽しみました。花火の撮影は難しいですね。









































朝食はバイキング形式でした。

売店

客室からの眺め
山には雪が積っています。











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黒壁スクエア、黒壁ガラス館、豊国神社

2015-02-18 15:57:30 | 滋賀
2015年2月15日、大通寺にお参りした後、散策しました。
江戸時代に栄えた蔵や商家を生かしたショップ、ギャラリーなどが点在しています。
大通寺の山門前の通り、ながはま御坊表参道

















十軒町
元禄8年(1695)の記録では、家敷10軒で当時男25人女24人が住んでいた。





大手門通り

米川

豊臣秀吉公と朱印地の説明書
「豊臣秀吉公は、天正2年(1574)頃から長浜の城下町を建設しますが、町屋敷年貢を免除して町民の誘致を図りました。この年貢免除の規定は、秀吉公が長浜を去った後も認められ、天正19年(1591)5月9日の朱印状によって300石という範囲も確定しました。」

曳山博物館









まち歩きMAP









黒壁ガラス館(登録有形文化財)
明治33年に建てられた旧第百三十銀行長浜支店で、平成元年に市と民間によりガラス館としてよみがえりました。
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豊国神社
豊臣秀吉は天正元年(1573年)~天正4年(1576年)に長浜城主であったが、当社は長浜町民が、秀吉の3回忌に当たる慶長5年(1600年)、その遺徳を偲んで建立したものです。
滋賀県長浜市南呉服町6-37
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東の鳥居

南の鳥居

拝殿



神馬

加藤清正公像

天満宮

説明書







出世稲荷
豊国神社の東隣に鎮座しています。





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大通寺

2015-02-18 14:59:03 | 滋賀
2015年2月15日、お参りしました。
真宗大谷派の寺院で、山号は無礙智山、慶長7年(1602)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建し、慶安4年(1652)に現在地に移転しました。
滋賀県長浜市元浜町32-9
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山門
江戸時代末期(1841年)建立、総欅造、二層門です。

















境内より





本堂(阿弥陀堂)
江戸初期建立の入母屋造、本瓦葺き、重要文化財です。







大広間(附玄関)
江戸初期建立の書院造り、本瓦葺き、重要文化財です。

境内



太鼓楼

鐘楼

手水舎の龍

脇門
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