2014年8月27日、お参りしました。
駒札より「万年山と号する臨済宗天龍寺派の寺院である。もと仁和寺の一院であったが、南北朝時代の暦応4年(1341)に足利尊氏が夢窓国師を開山として中興し、足利氏の菩提寺である中京区三条高倉の等持寺の別院とした、延文3年(1358)に尊氏がこの寺に葬られると、その法名をとって等持院と改められ、その後、本寺である等持寺を統合した。足利氏の菩提所にふさわしく、堂塔伽藍は衣笠山麓に威容を誇ったが、長禄年間(1457~60)以来、しばしば火災に遭って荒廃した。現在の建物は江戸時代・文政年間(1818~30)の建立である。方丈は、元和2年(1616)に福島正則が建立した妙心寺海福院の方丈を移築したものと伝えられ、霊光殿には尊氏の念持仏といわれる利運地蔵像を安置し、左右の壇上には足利各将軍と徳川家康の木像を安置する。境内には尊氏の墓と伝える高さ五尺の宝篋印塔のほか、夢窓国師の作庭といわれる東の心字池と芙蓉池を中心とした池泉回遊式庭園、足利義政好みと伝えられる茶室清漣亭などがある。」
拝観料は500円です。
京都市北区等持院北町63
map
元天龍寺派管長、関牧翁老師筆の祖師像
山門
鐘楼
薬医門
方丈
方丈前の庭園
霊光殿
尊氏の墓所、庭園の中にあります。
茶室清漣亭
庭園
手水鉢
燈籠
庭園
室内、ここから庭園を眺めます。
マキノ省三先生の像、境内にあります。
駒札より「万年山と号する臨済宗天龍寺派の寺院である。もと仁和寺の一院であったが、南北朝時代の暦応4年(1341)に足利尊氏が夢窓国師を開山として中興し、足利氏の菩提寺である中京区三条高倉の等持寺の別院とした、延文3年(1358)に尊氏がこの寺に葬られると、その法名をとって等持院と改められ、その後、本寺である等持寺を統合した。足利氏の菩提所にふさわしく、堂塔伽藍は衣笠山麓に威容を誇ったが、長禄年間(1457~60)以来、しばしば火災に遭って荒廃した。現在の建物は江戸時代・文政年間(1818~30)の建立である。方丈は、元和2年(1616)に福島正則が建立した妙心寺海福院の方丈を移築したものと伝えられ、霊光殿には尊氏の念持仏といわれる利運地蔵像を安置し、左右の壇上には足利各将軍と徳川家康の木像を安置する。境内には尊氏の墓と伝える高さ五尺の宝篋印塔のほか、夢窓国師の作庭といわれる東の心字池と芙蓉池を中心とした池泉回遊式庭園、足利義政好みと伝えられる茶室清漣亭などがある。」
拝観料は500円です。
京都市北区等持院北町63
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元天龍寺派管長、関牧翁老師筆の祖師像
山門
鐘楼
薬医門
方丈
方丈前の庭園
霊光殿
尊氏の墓所、庭園の中にあります。
茶室清漣亭
庭園
手水鉢
燈籠
庭園
室内、ここから庭園を眺めます。
マキノ省三先生の像、境内にあります。