旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

等持院・足利尊氏墓所

2014-08-29 11:46:27 | 京都
2014年8月27日、お参りしました。
駒札より「万年山と号する臨済宗天龍寺派の寺院である。もと仁和寺の一院であったが、南北朝時代の暦応4年(1341)に足利尊氏が夢窓国師を開山として中興し、足利氏の菩提寺である中京区三条高倉の等持寺の別院とした、延文3年(1358)に尊氏がこの寺に葬られると、その法名をとって等持院と改められ、その後、本寺である等持寺を統合した。足利氏の菩提所にふさわしく、堂塔伽藍は衣笠山麓に威容を誇ったが、長禄年間(1457~60)以来、しばしば火災に遭って荒廃した。現在の建物は江戸時代・文政年間(1818~30)の建立である。方丈は、元和2年(1616)に福島正則が建立した妙心寺海福院の方丈を移築したものと伝えられ、霊光殿には尊氏の念持仏といわれる利運地蔵像を安置し、左右の壇上には足利各将軍と徳川家康の木像を安置する。境内には尊氏の墓と伝える高さ五尺の宝篋印塔のほか、夢窓国師の作庭といわれる東の心字池と芙蓉池を中心とした池泉回遊式庭園、足利義政好みと伝えられる茶室清漣亭などがある。」
拝観料は500円です。
京都市北区等持院北町63
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元天龍寺派管長、関牧翁老師筆の祖師像

山門

鐘楼

薬医門

方丈





方丈前の庭園



霊光殿

尊氏の墓所、庭園の中にあります。

茶室清漣亭



庭園









手水鉢

燈籠

庭園





















室内、ここから庭園を眺めます。



マキノ省三先生の像、境内にあります。


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妙心寺(臨済宗妙心寺派大本山)

2014-08-29 11:44:00 | 京都
2014年8月27日、お参りしました。
駒札及びリーフレットより、「正心山と号し、臨済宗妙心寺派の大本山である。深く禅に帰依された花園法皇が、大徳寺の開山大燈国師の法嗣である関山慧玄を開山とし離宮萩原殿を改めて寺とされたのが当寺の起りで、室町初期に一時中断し再興後応仁の乱で再び焼失したが、乱後雪江宗深が再建、雪江の門下に、景川、悟渓、特芳、東陽の四傑出で、龍泉、東海、靈雲、聖澤の四派を生じ、門葉頓に栄えた。その後も逸材傑層輩出して、関山禅の宗風、全国を風靡するに至り、大師の法孫で、時の朝廷より国師号を拝受したもの、禅師号を賜わったもの実に260余、塔頭が相ついで建てられ、地方にも当寺の勢力は発展した。現在末寺3,500余、僧侶約7千、臨済宗各派中最大である。勅使門より北へ三門・仏殿・法堂・寝殿・大方丈が一直線に並び、その東側に浴室・浴室鐘楼・経蔵が並ぶ、室町後期から江戸初期の建築で、近世禅宗伽藍の最も完備した形を示している。大方丈の2面の庭園は清楚な名庭である。法堂内に収蔵している鐘は黄鐘調の鐘といわれ、もと浄金剛院(廃寺)にあったもので、記年銘のあるものとしては日本最古で、文武天皇2年(698)の作である。形・音色にすぐれている。寺宝には当寺の歴史に関する多くの文化財を蔵する。また、塔頭は40余に達し、禅宗本山として堂々たる寺容をほこっている。」
法堂・浴室の拝観料500円です。
京都市右京区花園妙心寺町64
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南総門(重要文化財)

勅使門(重要文化財)



放生池

三門(重要文化財)
慶長4年(1599年)建立です。



仏殿(重要文化財)
江戸時代の建立で、妙心寺の本堂にあたり本尊さまにお釈迦さまを祀っています。

法堂(重要文化財)
明暦2年(1656年)建立です。鏡天井には、8年の年月を費やして描かれた狩野探幽の筆による雲龍図が見られます。大きさは12mです。内部は高さ8m周囲2mのケヤキの柱で堂を支えています。



写真撮影不可のため、リーフレットの雲龍図、天井を見上げながらゆっくり回ると、下り龍、昇り龍のように見えます。

大方丈











寝殿玄関

大庫裏



浴室(重要文化財)
江戸時代の建立で、明智風呂と呼ばれています。明智光秀の菩提を追善するために建立されました。一重切妻造本瓦葺、浴室内中央に浴槽と洗場があり、その南側に休息室が設けられています。浴槽は蒸風呂形式(現在で言うサウナ)で、すの子板敷の隙間から蒸気を出し四壁は正面に出入口と調節窓をもち、他の三方は板壁で閉ざされています。竃の天井は煙を逃がす小窓があります。



ゆかた姿のお嬢さん、かわいいですね。

鐘楼
風呂の合図のための鐘です。

経蔵(重要文化財)
江戸時代の建立です。

鐘楼(法堂西)
法堂に保存されているものと同型の鐘を吊るしています。

鐘楼(三門西)

北総門(重要文化財)

参道

塔頭寺院
以下は公開していません。
慈雲院









龍泉庵





聖澤院



天授院



大心院







小方丈



福壽院



如是院



雑華院



海福院





蟠桃院



養徳院



大雄院







長慶院





雲祥院



光國院



隣華院







天球院



金牛院



寿聖院、石田光成一族菩提所







天祥院



智勝院



麟祥院





春光院



大通院


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福王子神社・宇多天皇の母君班子女王をお祀り

2014-08-29 11:35:01 | 京都
2014年8月27日、お参りしました。
第58代光考天皇の后で、宇多天皇の母君班子女王をお祀りしています。神社名の由来は、班子女王が多くの皇子皇女を生んだ事に由来するともいわれています。昌泰3年(900)、68歳で崩御された際の陵墓の地と伝わっています。徳川三代将軍家光公により創建された現在の本殿は、一間社春日造、屋根は珍しい木賊葺で、拝殿・鳥居・棟札及び石燈籠弐基とともに国の重要文化財に指定されています。
京都市右京区宇多野福王子町58
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鳥居(重要文化財)

拝殿

本殿





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桂春院・妙心寺塔頭

2014-08-29 11:34:05 | 京都
2014年8月27日、お参りしました。
パンフレットより「桂春院は、慶長3年(1598)6月に織田信忠(織田信長の長男)の次男、津田秀則(1625歿)により見性院として創建され、秀則歿後、美嚢の豪族、石河壱岐守源貞政(1575-1657)が寛永9年(1632)亡父光政(1583歿)の50年忌にあたり追善供養のために、桂南守仙和尚を請じて、現在の方丈、庫裏、書院、茶室等の建物を完備し、両親の法名天仙守桂大善定門の桂と裳陰妙春大姉の春の二文字をとって桂春院とあらためた、桂南和尚の師、心華霊明禅師(水庵宗掬1533-1612)を以って勧進開祖とした。」
庭園(史跡名勝天然記念物)拝観料は300円です。
京都市右京区花園寺の中町11
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山門

方丈
寛永8年(1631)に建立された。本尊薬師如来像を安置する。内部襖絵は狩野山雪の筆になる水墨画で、山水、枯木に鴉、芦に泊り船、仏字人物雪の図、芦原に落雁、雪竹に茅屋の図、老松に滝根笹の図などがある。

清浄の庭
「方丈北側の壺庭に井筒を利用して、西南隅に紀州の巨岩・奇石を直立した枯滝の石組、そこに滝のひびき、白砂の渓流が音たてて流れる思いがする」





書院

佇の庭
「書院前の路地庭です。露地は梅軒門と猿戸によって内露地、外露地にわかれ、共に狭い面積であるが、少しの無駄なく空間を利用して巧みに作られています。その向こうは、一段低くなっていて七尊石、さびた茶の水井戸、蒼竜池があります。当院庭園の作者及び年代については、記録もないが、江戸時代初期、小堀遠州(1579-1647)の高弟、玉淵坊は妙心寺塔頭雑華院の庭を作っていることなどから、玉淵坊作庭説がいわれています。」







方丈





真如の庭
「方丈南側の崖をつつじの大刈で覆い、その向こうは一段低くなり生いしげる楓の樹木におおわれ、一面に杉苔の美しい中に、小さい庭石をさりげなく七・五・三風に配置したところは、十五夜満月を表現しています。」

























思惟の庭
「十六羅漢石、中央の座禅石にみたて、仙境に遊ぶが如く趣きがあります。」

玄関にかけている傘

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退蔵院・妙心寺塔頭

2014-08-29 11:29:32 | 京都
2014年8月27日、お参りしました。
退蔵院の「退」は後退ではなく、陰徳という意味だそうです。かくれて良い行いをして、陰徳を人知れず「蔵」のようにたくさん積み重ねなさいということ。それを目指して修行する場所が退蔵院だという。「禅は美学-見えないところまで美しく丁寧にしつらえる」非公開の塔頭も、この精神に基づいて日常不断に掃除をしていますとか。
パンフレットより『臨済宗大本山妙心寺の山内には、石畳で結ばれた一つの寺町を形作っており、46もの塔頭があります。その寺院の中でも退蔵院は、今から600年以上前、応永11年(1404)に建立された山内屈指の古刹です。方丈(本堂)では、当院開祖である無因禅師(妙法寺第三世)をおまつりしています。退蔵院の境内にはこの方丈をとり囲むように作庭された枯山水庭園「元信の庭」。方丈南方の850坪に及ぶ池泉回遊式庭園「余香苑」と、異なる趣の庭園が広がり、一年を通じて多くの樹木や草花に彩られます。』
拝観料は500円です。
京都市右京区花園妙心寺町35
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山門(薬医門)

庫裏



観世音菩薩

袴腰の大玄関

方丈(重要文化財)
応仁の乱後、1597年に再建された。禅と剣の道には共通点があり、江戸期には剣豪・宮本武蔵もここに居して修行に励んだと伝わります。

国宝・瓢鮎図の説明







元信の庭(史跡名勝)
説明書より『多くの枯山水庭園は主として著名な禅僧、又は造庭家が作者になっていますが、当院の庭園は我が国でも珍しく狩野派の画家が作庭しています。絵画的な優美豊艶の趣を失わず、独特の風格を備えている庭園で、水が滝より大海に流れ込むまでの様子を白砂によって表現しています。常緑樹を主に植え、一年中変わらない美しさ「不変の美」を求めたものと考えられます。』



余香苑の門

余香苑
「造園家の中根金作氏によって設計され、昭和40年に完成、桜、蓮、楓など、一年を通して華やぐ庭園の中心には瓢鮎図にちなみひょうたん池が配され、池のせせらぎや水琴窟、鹿威しの音色が響きます。」
陰陽の庭
敷砂の色が異なる2つの庭は、物事や人の心の二面性を伝えています。
陰の庭、門をくぐって、すぐ右にあります。

陽の庭、門をくぐって、すぐ左にあります。





通路

羅漢石

あずまや

ひょうたん池に流れる小川



通路



水琴窟



売店

茶席大休庵

井戸

鹿威し、たまにコトンと竹筒の音色が聞こえます。





水子地蔵菩薩

竹網代笠と草鞋

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広隆寺(山城最古の寺院)

2014-08-27 22:32:06 | 京都
2014年8月27日、お参りしました。
説明書より「推古天皇11年(603)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。この寺の名称は、古くは蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などと言われたが、今日では一般的に広隆寺と呼ばれている。広隆寺の成立に就いて、日本書紀によると秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとあり、その御本尊が現存する弥勒菩薩であることが廣隆寺資財交替実録帳を見ると明らかである。秦氏族が大勢で日本に渡来したのは日本書紀によると第十五代応神天皇16年で、主は養蚕機織の業であり、その他に大陸や半島の先進文化を我が国に輸入することにも務め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。我が国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は、衆生済度の道の探究、仏法への絶対的な帰依、そして、"和を似って貴しと偽す"平和な世界をめざされた慈悲の権化である聖徳太子の、理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり、信仰と芸術の美しい調和と民俗の貴い融和協調とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。」
霊宝殿拝観料700円です。
京都市右京区太秦蜂岡町32
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唐門



薬師堂

能楽堂

参道



講堂
「永万元年(1165)に再建された京洛最古の建物で、俗に赤堂という。」

太秦殿

上宮王院太子殿





手水舎



弁天社

旧霊宝殿



霊宝殿
国宝の弥勒菩薩半跏思惟像、十二神将十二軀、阿弥陀如来座像、不空覇索観音菩薩立像など展示しています。



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長福寺

2014-08-27 21:30:56 | 京都
2014年8月27日、お参りしました。
山号を密乗山といい、現在は真言宗泉涌寺派に属します。
駒札より『長福寺は仁安4年(1169)、梅津氏によって創建された寺院で、後に天台宗から禅宗へ改められ、観応元年(1350)には勅願寺となって興隆した。文禄元年(1592)には諸山に列せられ、さらに江戸時代には御朱印寺として350石を受けていた。享保17年(1732)「大梅山長福寺全盛古大図」によると、伽藍は山門・仏殿・法堂・方丈などを整えて東西に28の塔頭を配し、さらにその東には堀と土塁で囲まれた門前集落がみえており、盛時の姿をうかがうことができる。現在は江戸期に属する建築遺構として、仏殿・方丈・鐘楼・表門が残る。境内地のほぼ中央に南面して建つ仏殿は上梁銘札より、中井家配下の棟梁のもとに元禄8年(1695)に完成したことが判明する。仏殿の後方に南面して建つ方丈は寛文8年(1668)の造営と伝え、様式的にもその頃の建築と考えられる。このほか鐘楼、一間薬医門の表門も様式等からそれぞれ17世紀に遡るものと考えられ、仏殿・方丈とともに近世中期における禅宗諸山の寺院景観を伝えている。』(京都市指定有形文化財)
京都市西京極中町26
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門が閉ざされていて、拝観はできません。お参りしましたが、残念でした。
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梅宮大社(安産と酒造の社)

2014-08-27 21:28:46 | 京都
2014年8月27日、お参りしました。
説明書より『奈良時代の政治家であった橘諸兄の母・懸犬養橘三千代が、橘家の氏神として現在の綴喜郡井出町付近に創建したのが始まりといわれる。平安時代の始め、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(檀林皇后)によって現在の地に移された。酒解神(大山祇神)、大若子神(瓊瓊杵尊)、小若子神(彦火火出見尊)、酒解子神(木花咲耶姫命)の四座を祭神とする。酒解神の御子・酒解子神は大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、歓喜して、狭名田の稲を取って天甜酒を造り、これを飲んだという神話から、古くから安産と酒造の神として有名である。また、皇子に恵まれなかった檀林皇后が、本殿の横に鎮座する「またげ石」をまたいで子どもを授かったことから、この石をまたげば子宝に恵まれると伝えられ、その下の白砂は安産のお守りとされている。』
京都市右京区梅津フケノ川町30
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鳥居



西梅津神明社



神門








拝殿



手水舎と酒樽

神苑入口

お百度参りの見切り石



本殿





稲荷社



若宮社

護王社

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清凉寺・嵯峨の釈迦堂

2014-08-23 17:04:29 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
本堂の拝観料400円です。午後4時を過ぎていましたので境内のみ拝観しました。
山号を五台山と称し、"嵯峨の釈迦堂"で知られる浄土宗の古刹です。東大寺出身の僧、然が寛和3年(987)中国から帰国し、大清凉寺の建立を計画し、没後、弟子の盛算が開山しました。
京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
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仁王門







鐘楼

本堂







阿弥陀堂

一切経蔵

多宝塔

源昇公墓碑

境内



愛宕権現社

歌碑
「いまもなお なつかしとおもふ 夕霧の 墓にもうでし かへり路の雨」

「あでやかに 太夫となりて 我死なむ 六十過ぎにし 霧はかなくも」

西門
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薬師寺

2014-08-23 16:25:35 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
説明書より「平安初期の弘仁9年(819)、世に蔓延する悪病を憂慮した嵯峨天皇が、弘法大師に薬師如来の彫刻を命じた。この像が本尊の薬師如来坐像です。嵯峨天皇勅願の寺として大覚寺に属していたが、明治時代以降、浄土宗知恩院派に属し、清凉寺の境内塔頭となっています。」
京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
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日月門

本堂

狂言堂
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