旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

矢掛(やがけ)の街並み

2017-12-31 20:14:10 | 岡山
2017年12月29日、28日香川県の引田のまち並み散策、志度寺、琴平散策、塩江温泉に宿泊し、国分寺、神谷神社にお参りし、岡山に進みます。瀬戸大橋のパーキング与島で一服、昼食です。



やっぱ、うどんかな。

釜玉うどん大盛504円にしました。

矢掛宿のなりたち
「江戸時代の山陽道(西国街道)は、幕府が直轄する五街道に次ぐ主要な街道でした。山陽道は大坂を起点に小倉を終点とする約128里で、その間に52の宿駅がありました。矢掛宿はその宿場町のひとつとして小田川に沿った自然堤防上に設置されました。矢掛宿が設置された正確な年代は、必ずしも明らかではありませんが、1615~42年(元和~寛永期)のころ、当時の備中松山藩池田氏の時代に設置され、1690年代(元禄初年頃)の幕府領の時代にかけて整備されたものと考えられています。武家諸法度が1635年(寛永12)に改正されてから、江戸と領地とを隔年に往復する大名の参勤交代が制度化されてから、街道の整備がいっそう進みました。宿場の最も重要な職務は、幕府御用の荷物(御用物)・手紙(御状箱)及び幕府御用役人、それに参勤大名らを宿場から宿場へ継ぎ送ることでした。これらはいずれも公用交通を最優先するしくみで、継ぎ送りには宿場に備えた人と馬を無賃または格安の賃金で使用することができました。人と馬とで継ぎ立てる任務のことを、当時は伝馬役といい、これらの任務に対する補償として、町内の屋敷地の年貢(地子)の免除も行われていました。この伝馬役は屋敷の間口に応じて負担したため、街道に面した町並み全体が一部を除いて間口が狭く奥行きの長い屋敷(「うなぎの寝床」という)が続くという、宿場町独特の景観をもたらしたのです。こうした町並み景観は、いくぶん変化したものの今日まで伝わっています。」
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町家のみどころ
「矢掛の町家は伝統的な本瓦葺が多く、正面の型は妻入り、平入りいずれもよく見られます。屋根や開口部に虫籠窓、なまこ壁、袖壁、平格子など伝統的意匠を数多く残しています。宿場内には家々が密集しているため、防火対策として漆喰で軒裏まで塗り籠めた出桁造りのものや袖壁を付したものが見られます。また、鬼瓦に水物(鯱など)を使うことで、火災除けとしている家もあります。」
まずは、矢掛町のふれあい広場に駐車して散策です。

旧山陽道です。





史跡、旧山陽道一里塚跡
「一里塚とは一里ごとの目印として道路の両側に土を盛って木を植えたところをいいます。一里塚を造り始めたのは織田信長で、その後、豊臣秀吉・徳川家康が全国に広めました。江戸時代の一里塚は、三十六町を一里とし、街道の両側に榎・松等を植えさせました。これは旅人の里程の目安となり木陰は休憩所となりました。現在、矢掛町には3ケ所の一里塚跡が確認できます。」













矢掛脇本陣高草家住宅(重要文化財)
「大名の泊まる本陣職が世襲でったのに対し、それ以下が泊まる脇本陣は時に応じて指定され、矢掛では7~8軒の商家が努めました。庭瀬藩の掛屋(会計方)であり、藩札の発行もした最後の脇本陣高草家の建物がそのまま残されています。」

























路地

コロッケ屋さん





妻入り五軒並び
「屋根の棟と直角に交わる三角形の面「妻の側に出入口がある形式を妻入り」と言います。中町の東寄りには五軒の妻入り町家が立ち並ぶ一画が有ります。愛らしい妻面の表情、ほぼ同じ高さに揃った下屋庇、そして軽やかな格子戸が見どころです。」



































矢掛本陣石井家住宅(重要文化財)
「寛永12年(1635)から幕末まで200年以上本陣職をつとめた石井家は庄屋であるとともに酒造業を営み、矢掛きっての豪商、大地主でもありました。建物には建築の粋がこらされています。」















胡宮
「宿場の繁栄を願って建立されました。」











観音寺















再び街並みへ



やかげ郷土美術館
「高さ16mもある赤松板張りの水見やぐらが目を引く美術館。収蔵品は矢掛出身の書家・田中塊堂と洋画家・佐藤一章の作品が中心。」



矢掛屋・温浴別館















鬼瓦、可愛いですね。

































お疲れ様でした。
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神谷神社(かんだにじんじゃ)・坂出市

2017-12-31 20:11:32 | 香川
2017年12月29日、お参りしました。28日から香川観光で引田のまち並み散策、志度寺、琴平そして、塩江温泉のヴィラ塩江に宿泊し、国分寺の後に寄りました。
縁起「創建は不祥。神谷の渓谷にあった深い淵から自然に湧き出るような一人の僧が現れ、淵の傍にあった大岩の上に祭壇を設け祀られた社だという。その後、嵯峨天皇弘仁3年(812)に、弘法大師の叔父・阿刀大足によって社殿が造営され、春日神を配祀されたと伝える。」
香川県坂出市神谷町621
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参道での残念切りの石
「その昔、他国から狼藉者が徒党を組んで当神谷神社の社殿及び境内で狼藉を働かんとして此処で来た時に熊蜂が群をなし飛び来たり境内に一歩も進むことかなわず残念のあまり傍らにあった石を刀でもって切り付けそのうっ積を晴らして退散したという言い伝えがある。」

参道

鳥居







狛犬







拝殿





本殿(国宝)
「鎌倉前期の建保7年(1219)建立、三間社流造、檜皮葺。荘官の刑部正長により旧本殿より再建された社殿で、建造年の明らかな神社建築としては日本最古である。」





お参りをして、岡山に進みます。
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国分寺・高松市

2017-12-31 20:10:54 | 香川
2017年12月29日、香川観光でヴィラ塩江に宿泊し、岡山に抜けます。途中、国分寺にお参りしました。
縁起略記「当山は、天平13年(741)聖武天皇の勅願行基菩薩の開基にして、国家安穏、五穀豊穣、万人豊楽等、祈願のため、また地方文化の発展を願って国ごとに建立された讃岐の国分寺(具には金光明四天王護国之寺と云う)である。創建当時の寺域は二町四方を有し、南より、南大門を入り、東側に七重塔・中央に中門・金堂、講堂の諸堂があった。現在、古義真言宗御室派の別格本山で四国第80番の札所である。」
高松市国分寺町国分2065
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案内図

仁王門











参道

千体地蔵堂

鐘楼

梵鐘(重要文化財)
「この鐘は当山創建当時(奈良時代)に鋳造された四国最古の鐘で、総高約五尺余(1.5メートル)、重量約300貫(1200キログラム)である。伝説のある鐘。」





閻魔堂

毘沙門堂





金箔縁結び







お願弁財天

手水舎



本堂(重要文化財)
「鎌倉後期(1275-1332)建造、桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺、廻縁を有し、柱は円柱、組物は和様出組、軒は二重繁垂木で、内部は内・外陣に分かれ、内陣天井は鏡天井、外陣は格天井となっている。」







延命地蔵尊

宝篋印塔

願掛け金箔大師

大師堂













福松、松の上部に傘のように松の葉が繁っています。
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ヴィラ塩江(香川・塩江温泉)

2017-12-31 20:09:58 | 温泉、旅館、ホテル
2017年12月28日、香川観光で宿泊しました。プラン名はセレクトプランです。塩江温泉は、奈良時代の行基が開湯したと伝えられ、弘法大師も修行し、湯治を万人に勧めたと言われる歴史ある湯治場です。アルカリ性低張鉱泉で、Ph9.6です。もちろん、到着後と夕食後、早朝の3回、入浴しました。
香川県高松市塩江町上西乙688-1
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外観
夜はライトアップでお出迎えです。







フロント



玄関





食事会場



室内

おもてなし

廊下

庭のプール



夕食
前菜・和洋冷菜盛り合わせ

生ビールの後で、地元のお酒、純米吟醸の石鎚



造り・季節の盛り合わせ

台物・オリーブ豚と魚介のレモン鍋

強肴・金目鯛と根菜の白だし煮ポルチーニ味噌添え

サラダはサラダーバーより









メイン・国産牛ヒレ肉のローストとインカのめざめのマッシュ

炊き込みご飯と吸い物

デザート・ケーキとフルーツ、アイスの盛り合わせ

朝食はバイキング形式です。


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志度寺

2017-12-31 20:09:04 | 香川
2017年12月28日、四国観光で、引田のまち並みを散策した後は志度寺に向かいます。国道11号線を高松方面に走行します。とりあえず、陣内うどん(香川県 東かがわ市 松原 926-5)で昼食。



天釜うどん730円です。

おなかも満ちたので、志度寺へ。
案内図

福聚山世尊院円通寺
「江戸時代、行基菩薩が開基。当寺は西林坊と呼ばれ、志度寺の塔頭七坊の一つであった。江戸時代の初め、志度寺の住職であった宥忍和尚が、自らの隠居所として再興し、依頼歴代住職の隠居所となる。江戸時代の中頃独立し現在の寺号となる。」









塔頭寺院の自性院常楽寺
「当院(真言宗善通寺派)のご本尊は、不動明王であるが、正面は、弘法大師をまつっている。これは当院本堂の場所は、元志度寺の御影堂(弘法大師をまつる)の跡とも伝えられている。当院は天正年間(約420年前)に志度に来住し繁栄した摂津兵庫県の豪族多田和泉守一族の創建による。平賀家は、当院の檀家である。源内さんは本草学薬草研究の他にエレキテル、火浣布、平線儀等様々な方面で有名である。」





源内さんの墓

志度寺
四国88か所霊場第86番札所、補陀洛山と号し、本尊は観世音菩薩を祀る。
由緒書より「仏教が、幾多の文化とまじわり困難を乗り越えながら日本に伝来(538)した後、讃王の時代には、寺に縁のある近江の越の凡薗子が「見仏聞法」に目覚め、推古33年(625)には、補陀洛渡海信仰に始まり、観音浄土の瀬戸の入口として、十一面観世音を新たに刻んで観音堂を造立し開創。亡き母の追善菩提のために藤原不比等の次男房前公が、行基の法華八講の修法を営ませ堂宇を建立、千基の石塔群に自ら写経して経塚に奉納したものが、現在の海女の墓である。これらの史跡を伝えながら、行基、最澄、覚阿、阿一入道が堂宇を修復し、細川頼之・勝元公の護持、藤原家の末裔の生駒親正公等の支援を得て、法相宗・天台宗・浄土宗・真言宗と時代により変遷しながら、初代高松藩松平頼重公が堂塔を寛文11年(1671)に寄進造営されて今日に至った古刹である。1万坪の広い境内には、人形浄瑠璃で有名な『花上野誉碑』の舞台となった奥書院、またその南側には池水を巡らした回遊式庭園、枯山水式の無染庭等がある。」
香川県さぬき市志度1102
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仁王門(重要文化財)
「江戸中期の寛文10年頃(1670)建造、三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺。」









参道

鐘楼

五重塔







奪衣婆堂(香川県指定有形文化財)



本堂(重要文化財)
「江戸中期の寛文10年(1670)建造、桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、軒唐破風付、本瓦葺。」













案内図

大師堂















閻魔堂(香川県指定有形文化財)









薬師堂



庭園











お辻の井戸



書院



庫裏






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引田まち散策(東かがわ市)

2017-12-31 20:07:25 | 香川
2017年12月28日、香川県の旅行で、東かがわ市の引田に行きました。鳴門と高松の中間くらいに位置するところです。引田は、瀬戸内海を運行する船の要港として栄えたまちです。戦国時代には、引田城の城主は四宮氏、矢野氏など何度も変わりました。戦国時代の終わりごろの天正15年(1587)に、讃岐国を治めることとなった生駒氏は讃岐国支配の拠点とする高松城と並行して、東讃地方の支城として引田城を利用していました。現在の引田城跡には、生駒氏が築いた自然石を積んだ野面積の石垣が残っています。城山のふもとの湾は風よけの良港となっていました。ここでの船はよい風が来るのを待ち、その間、船人は引田のまちで滞在していました。そのため、引田は料亭、商店、旅館などが100軒程並ぶ、賑わいのあるまちとなりました。北前船の立ち寄り港であったため、物流にも恵まれ、醤油や酒の醸造が発達したともいわれています。
かめびし屋(登録有形文化財)
香川県東かがわ市引田2174
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「宝暦3年(1753)創業の老舗醤油屋。伝統製法(むしろこうじ)製法と築200年以上の蔵で長期熟成された醤油は、独特の風味と香りが特徴です。かめびし醤油の名称は歴史が長く、氏神のある亀山の「かめ」と醤(ひしお)から取ったといわれています。」

























讃州井筒屋敷
「佐野いえは高松藩の郷士といわれています。元禄年間に醤油の製造を開始し、その後、酒の製造も行っています。」
母屋

五之蔵

一之蔵

二之蔵

三之蔵











引田のひなまつり
2018年2月28日から3月3日まで、引田駅から引田の古いまち並みまでの間をひな祭りで飾られます。

日下家(登録有形文化財)
「初代を寛永7年(1630)没の日下彦右衛門であるとし、江戸時代に代々引田村の庄屋、大内郡の大庄屋を務めてきた家です。屋敷は江戸時代の庄屋としての格式を随所に残しており、風格のある長屋門、母屋が配置され、それらを囲む土塀が残っています。長屋門は木造平屋建、切妻造の本瓦葺で使用人の部屋、馬屋や納屋もあります。母屋は木造平屋建、入母屋造の本瓦葺です。勘定部屋や女中部屋などの間もあります。江戸時代、日下家周辺には高松藩の浦番所や米蔵があり引田村の村政の中心地でした。また、日下家に伝来する古文書は瀬戸内海歴史民俗資料館に寄託されています。その中でも浦方御用留には、廻船・海難・漁業・水夫についての願書や触書が綴られており、引田浦だけでなく、讃岐国高松藩の制作も捉えることができる貴重な資料です。」







旧引田郵便局(登録有形文化財)
「明治4年(1871)に郵便制度が実施され、全国に郵便局が創設されたとき、地方の三等郵便局は戸長宅(当時の役場事務を執ったところ)に置くとの規定から吉川清太郎宅に局が設けられた。大正7年日下武近氏が譲り受けた。昭和7年(1932)、日下家により建築された建物で、昭和52年まで開局していました。建物は、木筋コンクリート造り平屋建の洋風建築で、上部に八角型の窓、下部には上げ下げ式の窓、高い天井、入念な装飾に昭和初期の様式美が見られる。」

松村家(登録有形文化財)
「江戸時代の中期から引田村、魚の棚において多嶋屋の屋号で魚の卸商を営んでいた商家です。4代目の時に分家し、現在の場所に多嶋屋弁吉の名で薬屋(薬種商)を開店、漢方薬の調合・販売を始める。分家6代目のとき(明治中期)に医院を開業、屋敷の北半分を診療室にあて、手術なども行って多くの患者を集めるとともに薬の調合・販売もしていた。建物は江戸時代末期の建築です。」



泉家(登録有形文化財)
「海産物の販売を本業とするかたわら、酒、たばこの小売を行う商家でした。建物は江戸時代末期の建築です。」



神崎家(屋号・米屋)
「江戸時代から酒、醤油の醸造や廻船業で財をなし、引田村一の豪商でした。」





引田まち並み案内図



山本家
「明治37年(1904)に醤油の製造を始めた醸造元です。建物は明治時代の建築です。」







ギャラリー翼

藤澤南岳の石碑
「天保13念(1842)引田生まれ、幕末に高松藩の危機を救った功労者。孫は小説家の藤澤恒夫。」

長崎家(登録有形文化財)
「江戸時代から廻船業をしていた家です。明治時代中頃から醤油の製造も始めました。」





萬生寺(まんしょうじ)
「讃岐三十三観音の7番札所、真言宗の寺院で、永正年中に創建し当初寺名を新坊と称していたが、江戸期前に現在の寺名に改めています。歌手の笠置シヅ子さんゆかりの寺です。」



















善覚寺
「浄土真宗の寺院で開基は不祥です。引田城の門を移築したと伝わっています。」













積善坊(しゃくぜんぼう)
「真言宗の寺院で、藩主松平頼重公の遊猟のおりの宿坊となり、客殿を新築し、寺号を西向寺積善坊と改めています。寺門の仁王像は江戸時代に作られ四国第一といわれています。作家の瀬戸内寂聴さんゆかりの寺です。」























海の見える路地
「まち並みは、誉田八幡宮を北端に北西から南東に約1kmに渡っています。メーンストーリーには商家が並び「オカ」と呼ばれ、それに平行した海側の通りは漁師町で「ハマ」と呼ばれていました。向かって下る幾筋もの細い路地があります。家々の板壁に挟まれた人一人がやっと通る道、その奥には瀬戸の小さな海が光っています。漁家と町家を結ぶ生活の匂いがする道です。」

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芝川ビルディング、

2017-12-22 20:51:31 | 大阪
2017年12月22日、大阪市中央区の中野島周辺を散策しました。
御堂筋線淀屋橋駅下車し、少し東側にレトロな建物、芝川ビルディングがあります。
芝川ビルディング(登録有形文化財)
大阪市中央区伏見町3丁目3−3
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大阪市役所の少し南側。昭和2年(1927)建築、鉄筋コンクリート造地上4階地下1階建、建築面積349㎡。
御堂筋から伏見町3丁目交差点を東に入ったブロックの北西隅に建つ。腰を竜山石,上部はスクラッチタイル貼とし,3階軒部にスパニッシュ瓦を葺く。設計は渋谷五郎と本間乙彦。古代マヤ・インカの細部装飾を採入れたアールデコ建築。







日本基督教団浪花教会



オペラ・ドメーヌ 高麗橋



愛珠幼稚園(重要文化財)
大阪市中央区今橋3丁目1-11
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愛珠幼稚園は明治13年(1880)に創立され,現在の園舎は,元大阪府技手の中村竹松が設計し,明治34年(1901)3月に竣工した。
 園舎は,遊戯室棟,玄関棟,西保育室棟,北保育室棟,便所棟,東棟からなり,敷地周辺に高塀を廻し,また,遊戯室と保育室に面して園庭を設ける。遊戯室棟は,たちの高い木造平屋建で,屋根は入母屋造,桟瓦葺である。玄関棟には,車寄が付き,全体的に,和風で重厚な外観を呈している。
 現存最古の幼稚園建築であり,遊戯室の大空間を洋小屋を用いてつくるなどの特色を有しており,建築史上および幼稚園史上,高い学術的価値が認められる。また,創建以来幼稚園園舎としてありつづけていることも高く評価される。









旧緒方洪庵住宅(重要文化財)
大阪市中央区北浜3丁目3-8
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江戸末期の1830-1867建築。江戸時代末期の大阪の町屋建築の代表的なもので、天保9年(1838)緒方洪庵がここで医者を開業し、また塾を開いて人材を養成した。史跡に指定されています。











大阪市中央公会堂(重要文化財)
大阪市北区中之島1丁目1-27
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大正7年(1918)建築、鉄骨煉瓦造、建築面積2,164.m2、三階建、地下一階、銅板葺、一部スレート葺。中之島地区の東端部にあります。北浜で株式仲買商を営んでいた岩本栄之助の寄付によって,大正7年10月に竣工しました。設計は,指名設計競技に一等当選した岡田信一郎の設計案をもとに,実施設計は辰野金吾,片岡安が中心となって進めました。ネオ・ルネッサンスを基調にバロック的な躍動感を加味した意匠で,我が国における様式建築の習熟の過程をよく示しています。我が国の煉瓦を主体とした建築の到達点をかざる建築のひとつといえ,高い価値があります。





























大阪府立図書館(重要文化財)
大阪市北区中之島1丁目27
大阪市役所の東隣。明治37年(1904)2月に住友家によってつくられ大阪府へ寄付された建築で,昭和49年(1974)5月21日に本館・右翼・左翼の三棟が重要文化財に指定されています。この度,阪神・淡路大震災後の構造診断に際し,小屋裏より棟札が発見されたので,設計者・設計の経緯等を示す貴重な資料としてこれを追加指定されました。



















日本銀行大阪支店



大江橋(重要文化財)
昭和10年(1935)築造、鉄筋コンクリート造二連アーチ橋、橋長81.5m、主径間幅員37.7m、側径間幅員45.2m、両側鉄筋コンクリート造側径間及び高欄(照明16基を含む)付、親柱及び北側袖高欄附属。大阪市の設計と「大江橋及淀屋橋意匠設計図案懸賞競技」で一等を受賞した大谷龍雄の案に基づき建設され、昭和10年4月に竣工しました。鉄筋コンクリート造アーチ橋で、御堂筋が、中之島と交差する交通と景観の要所に建設されました。



水晶橋








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宇治で紅葉真っ盛りの散策

2017-12-01 16:28:32 | 京都
2017年11月30日、友人たちと三宮から梅田経由で京阪電鉄宇治駅に、そして、興聖寺、宇治神社、上宇治神社周辺の紅葉を楽しみました。
朝霧通り



開運不動尊

京都府茶道会館

紅葉が素敵ですね。

















朝霧橋











十三重石塔(重要文化財)、塔の島に建っています。



宇治川

















観流橋より

















亀石楼、こちらで昼食をしました。
『わが庵は 都のたつみしかぞすむ 世をうじ山と人はいふなり』百人一首でなじみの深い喜撰法師が詠んだここ宇治の麓、清き流れの宇治川畔に静かに佇んでいるのが亀石楼です。民宿旅館です。
京都府宇治市宇治紅斉29

















昼食です。さわらの焼き物、天ぷら盛り合わせ、煮物、和え物、数の子といくら、出汁巻玉子、イカナゴの佃煮、茶そば、デザートに黒蜜入り葛餅。おいしくいただきました。

東禅院















興聖寺
「日本曹洞宗最初の寺院である。道元が興聖宝林寺を建立したことにはじまる。興聖寺は、比叡山延暦寺の弾圧を受け、寛元元年(1243年)、道元が越前に下向して以降荒廃し、住持4代で廃絶した。その後慶安2年(1649年)、淀城主の永井尚政が万安英種を招聘して5世住持とし、伏見城の遺構を用いて本堂、開山堂、僧堂、庫院、鐘楼、山門などの諸堂を建立整備し、朝日茶園のあった現在地に復興したのが今ある興聖寺である。興聖寺の構えを「禅宗様伽藍配置」といい、京都府の文化財指定を受けている。特徴は、山門・法堂(はっとう・説法道場・本堂)が直線上にあり、法堂の左右に、僧堂(坐禅堂)・庫院(台所)を設ける。また山門側には東司(とうす・トイレ)と浴司(よくす・浴室)がある。」



参道



















竜宮門







薬医門





































宇治神社



















宇治上神社





拝殿(国宝)



本殿(国宝)



平等院表参道























Ichigoで一服





抹茶エスプーマぜんざい、800円

平等院の正門前の紅葉













お疲れさまでした。
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サザンカの西方寺(篠山市)

2017-12-01 08:40:00 | 丹波
2017年11月28日お参りしました。27日に京都の亀岡、南丹散策しるり温泉宿泊、京都イルミエール、るり渓谷散策、京丹波町を観光、帰路の途中でサザンカの寺の西方寺に寄りました。
説明書より「兵庫県下随一はもちろん全国でもまれな『さざんか』の巨木が当寺境内にあります。樹齢600年東西南北10メートル四方に枝を広げた姿は他に例を見ないみごとなもので、天然記念物に指定されています。境内には同様に樹齢600年を誇るかやの木槙の木の古木もあり、いずれも不老長寿のご利益を授かることができます。」
篠山市今田町今田新田82
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本堂











お疲れさまでした。
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九手神社(京丹波町)

2017-12-01 08:26:31 | 京都
2017年11月28日にお参りしました。27日、亀岡市内、南丹市の観光をしるり渓温泉宿泊、京都イルミエール、るり渓谷散策、大福光寺にお参りし、九手神社へ。
説明書より「豊田地頭藤原定氏が京都の松尾大社より勧請した。長元2年(1029年)9月31日に社殿が造営される。このときの棟札には栗材に墨あと鮮やかに書かれており、今に保存されている。明応7年(1498年)3月3日再建される。天正10年8月17日松尾大社の神輿を受納した。御室御所から安政4年3月九手大明神の鳥居額を御染筆お納めになり、同5月菊御紋章付釣提灯一対を御寄付になった。」
京都府船井郡京丹波町九手125
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鳥居

狛犬



境内の紅葉が素敵でした。















本殿(重要文化財)
















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