旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

賀野(かや)神社

2023-07-10 20:34:39 | 姫路
2023年7月9日、お参りしました。
「『雪彦山大権現』、通称は『賀野(かや)の権現さん』。応神天皇がご巡幸のときに夢のお告げで伊弉諾(イザナギ)・伊弉冉(イザナミ)の二神を祭ったのが始まりといわれ、江戸時代、姫路藩主をはじめ諸大名の信仰厚く、隆昌を極めた。社殿の配置に特色があり、太田・牛岡・貴船・若宮の二間流れ造りは他には例の少ないものとして有名である。」
兵庫県姫路市夢前町山之内戊558
map
鳥居
鳥居から本殿まで2.3Km車で行く



拝殿



お牛さん

神馬



狛犬



絵馬殿

拝殿

本殿(夢前町文化財)



末社




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円山神社

2023-07-10 20:14:27 | 姫路
2023年7月9日、お参りしました。
「大規模な三間社流造り。銅版葺(元は桧皮葺)、妻飾は二重虹梁大瓶束笈形付、大虹梁上中備え大板蟇股である。細部の手法に優れた古建築として播磨地方の代表的な本殿と評価される。なお、高欄の宝珠には「延宝二年甲刁(寅)六月吉日」の紀年銘が彫り込んである。本社は夢前町指定文化財。」
兵庫県姫路市夢前町新庄字上芝956
map
社標

鳥居

218段の階段が続くので、車で本殿まで行きました。
力石

新庄の力石の説明書

狛犬



説明書

随神門





末社・古天神社





賀野神社遥拝所



拝殿



本殿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満願寺

2023-07-10 19:03:19 | 姫路
2023年7月9日、お参りしました。
「この地区に満願舎と呼ばれた寺は、江戸初期、異教取締りの政策によって檀家寺となり、龍珠山満願寺と呼ばれるようになった。新庄地区での一神社、二寺の神仏習合時代が長く続いたが金剛寺は廃寺となり、十一面観音像は満願寺に移され、このとき、雪彦山の山号も満願寺がひきついだ。」
姫路市夢前町新庄983
map

寺標

総門(京都御所の門を模してつくった)

山門
「江戸時代の建立で上部が釣鐘堂になっている。戦前の釣鐘は供出された。」



手水舎

本堂
「釈迦如来がまつられている。昭和2年に再建された。」









庫裏
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安志稲荷神社

2023-03-25 19:16:01 | 姫路
2023年3月23日、お参りしました。
「当神社は京都賀茂別雷神社(上賀茂神社)の分霊を奉祀し、播磨国安志庄の荘園鎮守・総社として建立された神社です。」
兵庫県姫路市安富町安志407
map
鳥居

参道









摂社・安志稲荷神社
「『神社明細帳』によると、1908(明治41)年11月26日、宮ノ谷から移転合併、(元)笠守稲荷社と称し、安志藩陣屋に祀られ、小笠原家に厚く信仰されていました。」

















手水舎

社務所



安志加茂神社
「創立年代不詳、1184(寿永3)年源頼朝が京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)に神領を寄進したという記録があり、この中に播磨国安志庄のことが記載されています。これによると、当社は賀茂別雷神社の分霊を奉祀し、安志庄の庄園鎮守として崇敬されていた神社です。後に小笠原家が安志藩主に改封されて以降、年々藩主から幣帛が奉納され、篤い崇敬を受けてきました。」
狛犬



拝殿



本殿



末社、金比羅神社・神明社・小笠原社



安志弁天宮


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隋願寺

2023-03-24 21:04:53 | 姫路
2023年3月22日、お参りしました。
由緒書より「山号を増位山と号す。播磨天台六山の一つ。史料では増井寺とも記される。寺伝によると高麗僧慧便が開基し、天平年間(729~749)に行基が中興したという。もとは法相宗であったが833(天長10)年に仁明天皇の勅命で天台宗に転じた。平安時代には諸堂が整備され、山上には三十六坊もある大寺であったという。1573(天正元)年、別所長治に攻められ全山を焼失。同13年に羽柴秀吉が再興した。江戸時代、姫路藩主榊原忠次が当寺を菩提寺とし、再建・整備に尽力した。」
兵庫県姫路市白国5 増位山
map
参道



手水舎



本堂(重要文化財)
「大鬼瓦銘に1692(元禄5)年3月10日他の篦書銘があり、様式的にも元禄時代を代表する建築の一つである。唐様にしたがった細部が多く、技法的にきわめて丁寧な造りであり、規矩術(中国から日本に伝えられた建築の計算技術)の基本を踏襲しながら、人の視線を意識した特徴ある建築となっている。また厨子は規模の大きさ、精巧な技法であり、江戸時代の唐様の厨子としては傑作である。」













開山堂(重要文化財)
「正面三間、側面三間、背面半間通り下屋付の方三間のお堂である。平面では仏壇の前を広げるために四天柱の位置を側柱通りより後方へちょうど間半分をずらしている。平成9年度からの解体修理の際に、1654(承応3)年の墨書と『1641(寛永18)年2月吉日』の墨書が発見された。随願寺に現存する建造物の中でも最古の建築である。」





榊原忠次墓所唐門(重要文化財)
「榊原家は、徳川家の譜代大名の中の名門で四天王の一つに数えられた。なかでも忠次(1605~1665)は、文武両道に優れた人格者で、姫路城主としての17年間にも随願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君とされた。唐門は本堂の西側にある姫路市指定史跡・榊原忠次墓所の正門であり、瓦銘から1731(享保16)年の建立である。おおらかな構の建築であるが、細部も丁寧に造られ、垂木鼻、拳鼻、桟唐戸、柱等随所に錺金具の痕跡が残っており、きらびやかな建物であったことが想像できる。碑文は朱子学者の林怒(鷲峰)の撰によるもので、長文で名高い。榊原家の系譜をたどり忠次の生い立ちから舘林(群馬県)・白河(福島県)の藩主を経て1649(慶安2)年、姫路城主となるまでの経緯、存命中の業績など彼の一代記が約3000の字に刻まれている。」





経堂(重要文化財)
「平面的には正堂と礼堂を並べた形式の堂が変化したもので、正堂に磚敷きを残していることなど、延暦寺中堂などの磚敷きの正堂の名残を留めている。大鬼瓦に1761(宝暦11)年、内陣仏殿下には1763(宝暦13)年の銘がある。撞木造という珍しい構成をとる堂であり、軒を外陣では背面も正規に造り、後の厚板軒とたくみに取り合わせ、物組の出組が見られるなど貴重な建築である。また正堂には磚敷きがあり、正堂仏壇下には石碑を置くなどの特徴がある。」













毘沙門堂

鐘楼(重要文化財)
「鐘楼は瓦銘から1718(享保3)年の建立で、廻縁付の正規の袴腰付鐘楼である。全体的に形の整った建築であるが、腰組が変形の二手先にするなどの独特な手法が見られる。」



鎮守社



随願会館




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚吹八幡神社

2020-12-11 11:28:26 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「魚吹八幡神社の起源は202年(神功皇后摂政3年)、西海より御環幸のとき、お艦(ふね)を宇須伎津の湊に泊められた際、皇后御神託を受け此処に浄地を開き一小社を造り、五依姫命を奉祀して敷島宮と号せられました。第16代仁徳天皇悪夢を畏み給いて紀角宿禰を遣わされ、319年頃、上の御三神を崇め祀られました。505年(第25代武烈天皇7年)に至り、魚の砂吹き寄せの故事に依り魚吹大神宮と号せられました。
 725年(神亀2年)播磨大掾吉備朝臣魚養公、神域を営繕しましたが、保元の頃(1165年~1158年)、石清水八幡宮の別宮となり源平の乱世も公武の厚く保護せられるも、1576年(天正4年)兵火に罹り社殿すべて灰尽となり祭祀の中断のやむなきに至りました。後1645年(正保2年)網干3ケ村、氏子協力して正殿を再建し、1650年以上に亘り、当地方産土神として信仰と伝統が受け継がれてきました。今日では氏子25ケ村、戸数15000戸を擁し特に秋の例祭には見事な屋台練りと、宵宮の華麗な提灯練りが繰り広げられます。」
兵庫県姫路市網干区宮内193
map
楼門(兵庫県指定文化財)
「建築年代は不祥だが、鬼瓦及び丸瓦に『1686年(貞享3年)の刻銘がある。三間一戸八脚入母屋造楼門で、どっしりとした重量感があり、細部手法も優れており、播磨地方における江戸時代前期の代表的な楼門である。」















手水舎



狛犬



拝殿・注連柱

















鐘つき堂

社務所

神馬舎

本殿(姫路市指定文化財)
「現在の本殿は1645年(正保2年)の再建と伝えられる。桁行三間、梁間三間、入母屋造り、正面千鳥破風付き平入本殿で、屋根銅板葺きで、播磨地方において江戸時代前期という遺構の少ない時代の建築である。」



厳島神社



敷島神社本殿(兵庫県指定文化財)
「三間社流造で、三方廻り縁・高欄付、中規模ながら細部手法にも優れている。社伝に1645年(正保2年)網干郷民協力して正殿を再建し摂社等を整備したと伝えている。江戸時代初期の神社建築の技法を今によく伝える貴重な文化財である。」

金比羅神社

三神社

松尾神社

放生池

招魂社







力石
「江戸期の文政・天保年間、力石を担いで大力持ちとして関東一円を風靡した武州岩槻藩領三野宮村生まれの『三ノ宮卯之助』が仰向けになって両足で差回した『曲持ち』銘の力石と、手で差し上げた『差し石』銘の力石が当神社に現存する。これは1840年(天保11年)2月、大阪・天満宮で三ノ宮卯之助一行が興行したさい、魚吹八幡神社の氏子である網干回船の船仲間たちが当神社に招き興行したものとみられる。卯之助が担いだ刻銘の力石は、長野・諏訪大社など関東を中心にして26の有名な神社に37個現存しているが『曲持ち』と刻まれた力石は当神社に唯一つ残る貴重な力石。当地より以西には三ノ宮卯之助の足跡は見当たらない。」

小松神社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亀山本徳寺

2020-12-10 23:08:48 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「亀山本徳寺は、もとは英賀の地にあった浄土真宗布教の本拠、英賀本徳寺(御堂)が1580年(天正8年)秀吉の英賀城攻略の時、秀吉の命により現在地の亀山に移されたのに始まる。のち、本願寺が東西に分かれたのに従い西本願寺派の播磨の根本道場となった。
 現在の建物は英賀から移転した当初頃の建物と推定される鼓楼を始めとし大部分が、17世紀末から18世紀前半(江戸中期)のもので18世紀後半の住宅風建物の茶所や大門など全体として30棟近くの建物である。建物全体が播磨における浄土真宗の中心道場としての伽藍形態を良く伝えていると共に個々の建物が年代を異にしていて江戸時代の建築様式を知ることが出来る点で貴重である。」
兵庫県姫路市亀山324番地
map
大門(兵庫県指定文化財)
「1709年(宝永6年8月)建築、一間一戸四脚門、切妻造、本瓦葺。」













手水舎

本堂(兵庫県指定文化財)
「県下最大の仏堂で18世紀の代表的建築、もと西本願寺の北集会所だったが、1873年(明治6年)移築した。妻入の本堂も珍しい。」





庫裏(兵庫県指定文化財)
「土間と49畳の板間と4つの小部屋があり、県下最大規模の庫裏、1719年(享保4年)の年号が瓦銘(獅子口)にあり、英賀当時の瓦も一部使われている。」

経堂(兵庫県指定文化財)
「18世紀中頃建築、方三間もこし付經堂、方形造、本瓦葺。」







鐘楼

浄華堂

大玄関(姫路市指定文化財)
「1691年(元禄4年8月)建築、正面三間・側面五間・唐破風本瓦葺。」

大鼓楼(姫路市指定文化財)
「十八世紀中頃建築、層正面三間・側面四間、上層方二間、上下層ともに入母屋造、本瓦葺。」



中宗堂(蓮如堂)










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)

2020-12-10 21:45:03 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「当社は播磨総鎮守、姫路城鎮護の神社として、播磨一円の人々はもとより、歴代の城主にも篤い尊崇を仰いできました。古くから『総社さん』の呼び名で親しまれていますが、『射楯大神』と『兵主大神』を本殿に奉斎することから正式名称を射楯兵主神社と云い、播磨国風土記にも登場する歴史ある神社です。
 射楯大神は『五十猛尊』と称し、素戔嗚尊の御子神であられ、日本の国土に檜を植樹された神さまで、幸福へ導く道開きの神さまでもあります。
 兵主大神の別名は『大国主命』『大黒様』と云い、縁結びの神さまと名高く、産業・医薬・酒造などの国造りの神さまでもあります。
 また、境内の摂社・末社には、天照大御神、ゑべっさんをはじめ、名のある64座の神々を祀り、総社の名の由来にもなっている播磨国総神殿には、播磨国内の大小明神174座の神々を奉斎し、日々の平穏と繁栄を祈願しながら人々の暮らしを見守っています。」
兵庫県姫路市総社本町190
map
社標

神門





西門

手水舎



狛犬



拝殿







本殿



恵美酒社・住吉社

鹿嶋神社





琴平社

東播磨総神殿

十二社合殿

西播磨総神殿

神明社

戸隠社

稲荷社





案内社八幡宮



粟島神社

長壁神社

厳嶋神社

長生殿



車祓所

八重垣門










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白国神社

2020-12-10 20:28:27 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
「白國神社は、姫路市街地の北部にある広嶺山の山麓に位置する神社である。白國の地は、稲背入彦命が播磨別となり阿良津命が播磨国の初代国造りとなり、この地方を治め、その子は佐伯直の氏姓を賜り、佐伯蓮・差浮き宿祢など、代々大和朝廷の要職に就いてきたので、古くから開けた土地であった。『延喜式』神明、飾磨郡四座のなかに『白國神社』の名が、『峰相記』『播磨鑑』にも『白國大明神』の名があり、明治中期まで白国氏が神官として75代続いたという由緒ある神社である。
 八幡社は、本殿の北に位置し、南面して建っている。かつては白國大明神を祀る本殿であったが、昭和10年に県社昇格を祝って現本殿を新築した際、現在地に移して八幡神を勧請したものと伝え、様式的に17世紀末から18世紀初頭の建築と考えられる。
 一間社隅木入り春日造で屋根は銅板葺になっているが、かつては柿葺きであった。正面、側面の三方に切目縁を廻し、高欄、脇障子を置く。軸部円柱の身舎内部は奥行き中央付近で前後に分かち、正面外陣、背面内陣とし、内陣には宮殿を置き、内外陣境は引き違い戸四枚とする。外陣正面は両開きの桟唐戸である。正面向拝は庇を身舎幅より片側で四枝落ちとし、木階七級、浜床、浜縁がつく。縁廻り、高欄、脇障子、浜縁(浜床)は後補である。
 規模は小さいながら、組物を出組とし、蟇股や妻飾りに意匠を凝らしている。身舎の蟇股は正面に鳳凰、右側面に竹に虎、背面は波に兎、左側面は梅に鶯となっており、正面向拝に龍(裏側は渦)が配してある。身舎組物は出組で軒支輪(蛇腹支輪)とし、向拝は出三斗で、海老虹梁で身舎と繋ぐ。身舎、向拝とも頭貫および肘木先端の木鼻に繰形が付く。妻飾りは、正面は虹梁大瓶束で背面は二重虹梁大瓶束である。背面は支輪が廻っているため、背面妻飾り部分が手前にせり出しており、下段の虹梁の間に立葵と菊の紋を飾った蟇股を配している。紋は姫路城主であった本多家と神社の紋を組み合わせたもので、本多家との特別な関係を物語っている。
 17世紀末から18世紀初頭にかけての華麗な細部意匠をもつ上質な建築物であり、白國神社の旧本殿として歴史的に重要である。縁廻り等は後補であるが、全体として保存状況も良い。』
兵庫県姫路市白国5-15-1
map
社標

随神門





大石鳥居
「1717年(享保2年)9月に氏子中にて建てられたもので、播州餝東郡国衛庄白國神社と刻まれている。」

撫で戌



社務所

手水舎





参道

池鯉鮒社

狛犬



拝殿









神馬



本殿







山森稲荷社

白国神社八幡社(姫路市指定重要有形文化財)
「1935年(昭和10年)に現本殿の新築に伴い、旧本殿を移築したものと伝えられている。一間社隅木入り春日造りで、規模は小さいながら組物を出組とし、蟇股や妻飾りに意匠を凝らしている。屋根は現在は銅板葺きであるが、かつては柿葺きであった。17世紀から18世紀初頭にかけての華麗な細部意匠をもつ上質な建築物であり、白国神社の旧本殿として歴史的に重要である。」








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随願寺念仏堂

2020-12-10 20:07:03 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「随願寺念仏堂は常行三昧堂として建てられたものと思われる。1085年(応徳2年)白河天皇の中宮賢子の菩提のため常行堂を二階五間の堂に改め造くられたと増井山集記に記載されている。現在の建物は棟札により江戸時代の1809年(文化6年)大工棟梁池内忠兵衛により完成したものである。本尊は弥陀三尊である。周りには姫路藩士の墓や榊原藩士の墓がある。太子谷には風羅堂跡があり、芭蕉につながる誹諧の地である。姫路城主酒井忠恭の千山を思い『はせを葉や風にやれても名は幾世』と詠じた歌碑もある。」
兵庫県姫路市白国三丁目12-5
map
山門







念仏堂
























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする