旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

京都ぶらり観光、六角堂・本能寺・矢田寺・蛸薬師・錦八幡宮・錦市場

2017-01-16 17:07:18 | 京都
2017年1月12日、13日の1泊2日の京都ぶらり観光です。烏丸三条から河原町三条、寺町、先斗町、錦市場と時計回りに歩きました。
中京郵便局
「明治35年(1902)に建設されたネオルネサンス様式、赤レンガ造りの美しい外観が特徴です。この通りは京都市から「歴史的界隈景観地区」に指定されています。」



京都文化博物館(旧日本銀行京都支店)
「明治39年(1906)建築、国の重要文化財、煉瓦造二階建、一部地下一階付のもので、石材を混用して壁面に変化をつけています。塔屋をつけるなど、外観には設計者の独特な意匠が見られます。この種遺構としては保存がよく、明治中期の代表的洋風建築です。」



寺町商店街

三条名店街





先斗町歌舞練場

先斗町











ホテルモントレ京都に宿泊し、翌日13日に近くを歩いての散策です。ホテルの前の南側の信号を渡って、東側に歩きます。
六角堂
駒札より「正式名称は紫雲山頂法寺で、天台系の単立寺院。本堂の形が六角形であることから、古くより「六角堂」の通称で知られ、親しまれています。聖徳太子が用明天皇2年(587)に創建したと伝え、本尊如意輪観音像が人々の信仰を集めてきました。華道家元池坊が住職を務め、いけばな発祥の地としても知られています。」
鐘楼



山門



納経所

不動堂



手水舎

本堂









ふれあい仏

白鳥



太子堂







合掌地蔵(中央)

十六羅漢

御幸桜

一言願い地蔵

親鸞堂

親鸞上人

日彰稲荷



祇園社・唐嵜社・天満宮





東に歩いていきます。京都市役所の南にあります本能寺へ。
本能寺
駒札より「法華宗本門流の大本山で、応永22年(1415)、日隆上人によって創建された。当初は本応寺と称していたが、永享5年(1433)、六角大宮に移転した際、本能寺と名を改め、更に天文14年(1545)、油小路蛸薬師一帯に広大な寺域を得て大伽藍を復興した。本寺は、天正10年(1582)、織田信長が明智光秀によって襲撃(本能寺の変)され、自刃したところとして名高いが、その折、三十余りの宿坊は灰燼と帰した。その後、豊臣秀吉の都市計画により、天正17年(1589)、現在の地に移転再建したが、江戸時代後期に天明・元治の大火にかかり、堂宇は悉く焼失し、現在の本堂は昭和3年(1928)に再建されたものである。」

山門



案内図

本堂









信長公廟





島津義久夫人の石塔(一番奥)・菅中納言局庸子の石塔(ニ番目中)・徳川家重夫人の供養塔(一番手前)









寺町商店街へ進みます。南に歩いていきます。



天性寺(てんしょうじ)
map
「曼茶羅山當麻院天性寺といい、浄土寺総本山知恩院の末寺で天正5年(1577)眼誉道三和尚によって創建されました。」
山門





鐘楼

本堂





大和天河弁財天

矢田寺(やたでら)
駒札より「金剛山矢田寺と号する西山浄土宗の寺で、通称、矢田地蔵の名で知られている。寺伝によれば、当寺は、平安時代の初め大和国(奈良県)の矢田寺の別院として五條坊門(下京区)に創建され、以降、寺地を転々とし、天正7年(1579)に現在の地に移されたといわれている。本堂に安置する本尊の地蔵菩薩(矢田地蔵)は高さ約2メートルの立像で、開山の満慶(満米)上人が冥土に行き、そこで出会った生身の地蔵尊の姿を彫らせたものといわれ、俗に代受苦地蔵と呼ばれ、地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めている。また、当寺の梵鐘は、六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として人々から信仰され、一年を通じて精霊送りには、多くの参拝者で賑う。」











南に歩きます。

寺町通り
『寺町通りは、平安京の東京極大路に当たり、南北を通貫していた。中世には、戦乱によって衰退していたが、天正18年(1590)から始まる豊臣秀吉の京都大改造によって、道路が修復・再生された。主として、洛中に散在していた諸寺院が、この通りの東側に強制的に移転させられたので、「寺町」の名が付けられたが、西側に多くの商店が軒をつらねた。数珠屋・位牌屋・石塔屋・仏師・書店・筆屋・楽器屋・人形屋・紙表具屋・扇屋・白粉屋など、宗教・文具・装飾関係の店があり多くの人々を誘った。』

誓願寺
説明書より「天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建された。本尊の阿弥陀如来坐像は賢問子・芥子国の作であった。もとは奈良にあったが、鎌倉初期に京都の一条小川(現・上京区元誓願寺通小川西入)に移転し、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備に際して現在地に移つされた。その当時は京都有数の巨刹の規模を有し、表門は寺町六角に面し、裏門は三条通に北面し、境内地6500坪には多数の伽藍を有し、18ケ寺の山内寺院を有していた。清少納言、和泉式部、秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺としても名高い。また源信僧都は、当寺にて善財講を修し、一遍上人も念仏賦算を行った。浄土宗元祖の法然上人が興福寺の蔵俊僧都より当寺を譲られて以降、浄土宗になったという。現在、法然上人の高弟・西山上人善恵房證空の流れを汲む浄土宗西山深草派の総本山である。」









扇塚





新京極
「北は三条通から南は四条通に至る約500メートルのこの通りを新京極通といい、通り名は平安京の最も東に整備した東京極大路(現在の寺町通)の東側に新しく造られた通りであることに由来する。天正年間(1573~1592)、豊臣秀吉が市中の多くの寺院を寺町通に集めたことに伴ない、その境内が縁日の舞台として利用され、周辺は見世物や催し物を中心に発展するようになった。」

光明寺、閉ざされています。



宝蔵寺、閉ざされています。









法界寺、閉ざされています。









蛸薬師堂永福寺
駒札より『正しくは浄瑠璃山永福寺といい、本堂に「蛸薬師」と呼ばれる薬師如来の石像を安置している。昔、この寺が二条宝町にあったころ、付近に池があったことから、水上薬師又は澤(たく)薬師と呼ばれ、これが訛って蛸薬師となったといわれている。また、一説には、この寺にいた善光という親孝行な僧侶が、戒律に背いて病気の母のため蛸を買って帰るところを町の人に見とがめられ、箱わ開けるよう求められたとき、薬師如来に「この難をお助けください」と念じたところ、蛸の足が八巻の妙法蓮華経に変わり、南極を逃れたという。その後、母の病気も薬を飲まずに全治し、これは、親孝行の僧侶を守った本尊の霊験であるとして、本尊の薬師如来を蛸薬師というようになったと伝えられている。病気平癒の祈願のために参拝する人々でにぎわった参道を蛸薬師通と呼ばれるようになった。』









錦八幡宮
『当天満宮は平安時代前期の十世紀初頭、学問の神となられた菅原道真公の生家「菅原院」に創建されました。桃山時代天正年間に行われた豊臣秀吉の都市計画によって、時宗四条道場としても有名な「金蓮寺」の敷地に移転。以後400年余、「錦天満宮」として同地に鎮座しております。』























錦市場、ここでお土産を買って帰りました。













お疲れ様でした。
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ホテルモントレ京都

2017-01-16 17:06:41 | 温泉、旅館、ホテル
2017年1月12日泊まりました。プラン名は日本料理+京都で温泉無料で11500円でした。駐車料金は1泊1500円です。15時のチェックインで15時までの料金です。13階にスパ施設があり、露天、ジョット、サウナ、源泉風呂があります。塩化物泉で少し茶褐色でした。露天風呂からは京都市内の夜景が少しだけ見れます。部屋はスタンダードツインで、アメニテイも充実していました。パジャマは2つのサイズが2組用意されています。食事は夕食は和食での会席で落着いたレストランです。朝食はバイキングでした。セキュリィティがしっかりしていますので、女性1人での宿泊でも安心です。スタッフは、駐車場係、フロント、スパ、レストランとどの部署も丁寧で親切な応対です。朝は部屋に京都新聞が配達されていました。清掃も行き届いており、結婚式場も併設し、素敵なホテルです。
京都市中京区烏丸通三条下ル饅頭屋町604
map
外観

フロント

室内

廊下

エレベーターホールのセキュリィティ、磁気カードをかざさないとドアが開きません。





夕食です。2階日本料理の「隨縁亭」で会席でした。
おしながき

先付

煮物椀

造り盛り合わせ

八寸

焚合せ

揚物

デザート

朝食はバイキング形式でした。食欲がなくて小食に。

結婚式場を併設しています。












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京都ぶらり観光、晴明神社・二条城・東本願寺   

2017-01-16 17:04:51 | 京都
2017年1月12日京都ぶらり観光です。白峯神宮の後は堀川今出川交差点を南に歩いて晴明神社です。前回お参りしましたので参照してください。
晴明神社参照クリック

















































バスで移動し、晴明神社前から二条城前に行きます。
前回きました二条城参照クリック
東大手門が工事中のため、北大手門からしか入れませんでした。堀川丸太町で下車したほうが近いですね。

北大手門(重要文化財)















唐門(重要文化財)





















車寄(国宝)

















































































バスで堀川丸太町から七条堀川に移動します。
東本願寺
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説明書より「真宗大谷派の本山で、真宗本廟といい西本願寺と区別して一般に東本願寺と呼ばれています。本願寺は文永9年(1272)宗祖親鸞の娘「覚信尼」が、東山大谷の地に仏堂を建て、親鸞の御影を安置した時にはじまるが、室町時代第八代「蓮如」の時代に教団は飛躍的に発展し、戦国時代には大きな勢力となって織田信長にも対抗した。豊臣秀吉は六条堀川の地に本願寺を再興し、ついで徳川家康は慶長7年(1602)この地を寄進し、第12代教如が堂舎を建てて本寺がはじまった。堂舎はその後たびたび火災にあい、現在の建物はいずれも明治時代からの再建であるが、真宗寺院の典型的様式と配置を示している。親鸞の御影を安置する御影堂は阿弥陀堂よりも大きく造られて中心をなし、高さ38メートル、正面の幅76メートル、内部は927畳の大広間であり竣工は明治28年である。寺宝には親鸞直筆の教行信證(国宝)、紙本箸色本願寺聖人伝絵(重文)等文化財を多く蔵している。」

案内図

阿弥陀堂門(登録有形文化財)
「木造四脚門、檜皮葺、建築面積31㎡、前後に唐破風を付ける。四脚門としては最大級の規模であるとともに頭貫木鼻や欄間に精緻な彫刻を用いて飾る。御影堂門南に並んで建ち、壮大な伽藍の正面構成上欠かせない建物。」



阿弥陀堂(登録有形文化財)
「単層、入母屋造、本瓦葺、組物は側柱上が四手先、入側柱上は三手先とし、平面は真宗本堂の典型を持つ。御影堂に比して格段に複雑な組物を備え内陣回りは全面金箔押しで荘厳を極める。御影堂とともに寺観構成上欠かせない建物。」







鐘楼(登録有形文化財)
「阿弥陀堂前方南寄りの高い切石垣基壇上に建つ。円柱、三手先、二軒繁垂木で深い軒をつくり、入母屋造、檜皮葺の屋根を架ける。大梁2本を互いに対角線方向に渡し中央交差部に鐘を吊り、直下に陶製の瓶を埋めるなど特徴をもつ。大型で総欅造りの質の高い鐘楼。」

御影堂(登録有形文化財)
「二重仏堂、入母屋造、本瓦葺、組物は上層三手先、下層は出組及び二手先とする。間口及び面積においてわが国最大の仏堂で、伝統様式・技法による木造建築の集大成を示す。棟梁伊藤平左エ門により明治13年釿始以来16年をかけて完成。」





造合廊下(登録有形文化財)
「御影堂と阿弥陀堂の間を繋ぐ2筋の廊下のうち東表側にあるもの。高床、吹放しで、唐破風造、本瓦葺とし、約5,5mの梁間に虹梁を架け輪垂木天井を見せる。前後に出梁で縁葛を支え擬宝珠高欄を付け、床下にも桁行、梁間に虹梁を架けるなど凝った造りとなる。」

手水舎



御影堂門(登録有形文化財)
「明治40年宗祖650年遠忌事業として再建。三間三戸二重門、入母屋造、本瓦葺で、下層は二手先、二軒繁垂木、上層は三手先、二軒扇垂木とし、左右に山廊を付す。大型で立ちが高く彫刻や細部の意匠にも優れ、寺域への正門として伽藍正面の構えを整えている。」













高廊下



参拝接待所



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京都ぶらり観光、梨木神社・廬山寺・首途八幡宮・白峯神宮         

2017-01-16 17:04:14 | 京都
2017年1月12日、京都の観劇を兼ねてのぶらりと1泊2日の観光です。京都御所の駐車場に車を止めて、15時30分からの舞台開場までの観光です。京都御所の東側の梨木神社にお参りです。
梨木神社
map
駒札より『当社は、明治18年(1885)に創建された旧別格官弊社で、明治維新の功労者三条実萬公・実美公父子を祀り、三条家の旧邸が梨木町にあったことにちなんで名付けられた。実萬公は文化9年(1812)以来47年間、光格、仁孝、孝明の三代の天皇に仕え、皇室の中興に尽くしたため、幕府と対立し、その圧迫により一乗寺に幽居したが、翌年の安政6年(1859)に逝去し、「忠政公」の諡号を賜った。実美公は、幕末期に尊王攘夷運動の先頭に立ち、明治維新後は太政大臣に任じられたが、明治24年(1891)に逝去し、正一位を贈られ、大正4年(1915)に父を祀る当社に合祀された。旧茶室は京都御所の春興殿(賢所)の神饌殿を改装したもので、境内手水舎の井戸「染井」の水は京の三名水の一つとして有名である。また、当社は萩の名所として知られ、毎年9月中旬から下旬に催される「萩まつり」の頃は、多くの参詣者で賑う。』

鳥居

燈籠と参道



ニの鳥居

参道

旧茶室



神門

手水舎

由緒書



拝殿

境内



天壌無窮の石碑

本殿



廬山寺
map
説明書より「天慶年中、元三大師良源によって草創される。良源は康保3年(966)55歳で第18世天台座主となり、内供奉に補せられて以降、比叡山から宮中に参内するにあたり、現船岡山の麓、現廬山寺通北に與願金剛院を建立し、寛和元年(985)正月3日入滅まで、都に下った宿坊とされる。良源入滅後、次第相承の本光禅仙上人(嘉元2年・1304寂)が與願金剛院を再興する。一方、台密、戒浄(顕教)等事相伝承した住心覚瑜上人(1158~1235)が京都出雲路に仏閣を建て、廬山寺と号す。廬山寺第三世並びに第五世明導照源上人(1298~1336)が両上人の廬山、與願師跡を伝領し、與願金剛院師跡に廬山寺を統合し、與願を廃し、廬山寺とし、円密戒浄の四宗兼学道場として天台の別院となる。この明導上人、受法はもとより四宗兼学であったが、特に円に精通し、第四世並びに第六世実導仁空上人(1309~88)が密教と共に浄戒ニ門にも力を注がれ、両上人によって円密戒浄の四宗兼学道場としての一家の密乗を成し、廬山寺流として経軌を根底とした天台秘密乗の教判を開説されたのである。この廬山寺流は実に伝教大師により南北朝時代における天台教学の全貌を知る手鑑と称すべく、真に日本天台の宝庫であると推奨される。この頃より寺号を廬山天台講寺と称した。応仁の乱、京都の大火で堂舎類焼するが、寛政6年(1794)再建されたのが現今の本堂である。」

山門

薬医門

手水舎

本堂









鐘楼

境内



紫式部歌碑











京都御苑
清和院御門



石薬師御門







案内図









猿ケ辻

朔平門

桂宮邸跡



今出川御門

西に進んで、烏丸今出川交差点を北に進見ます。
大聖寺
map







お参りできないような感じです。境内のみで入口が閉ざされていました。



地下鉄の駅で市バスの1Day切符を購入しました。烏丸今出川から今出川浄福寺へ移動
首途八幡宮
map
駒札より『宇佐神宮(大分県宇佐市にある八幡宮の総本宮)から八幡大神を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(応神天皇)、比咩大神、息長帯姫命(神功皇后)を祭神とする。もとの名を「内野八幡宮」といい、平安京の大内裏(皇居や官庁があった場所)の北東に位置したため、王城鎮護の神とされた。かつて、この地には奥州(東北地方)で産出される金を京で商うことを生業としていた金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経(牛若丸)は奥州平泉に赴く際に、吉次の助けを得て、ここで道中の安全を祈願して出発したといわれている。「首途(かどで)」とは「出発」を意味し、この由緒より「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。このことから、特に旅立ち、旅行安全の神として信仰を集めている。』

鳥居



































バスに乗って、今出川浄福寺から堀川今出川に戻ります。
白峯神宮
map
駒札より『当神宮は、崇徳天皇及び淳仁天皇を祀る。明治天皇は父孝明天皇の遺志を継ぎ、保元の乱により讃岐国(香川県)に配流となった崇徳天皇の慰霊のため、明治元年(1868)讃岐の白峯陵より神霊を迎えて、創建された。次いで、明治6年(1873)には奈良時代に僧道鏡と恵美押勝との争いにより、淡路に配流の淳仁天皇の神霊を迎えて合祀された。この地は、蹴鞠・和歌の宗家飛鳥井家の邸跡で、同家の守護神「まり精大明神」が祀られ球技愛好者に崇敬されている。他に「伴緒社」「潜龍社」などの境内社があり、「おがたまの木」は京都市の天然記念物に指定されている。』

鳥居



神門







拝殿









本殿





伴緒社



潜龍社


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淡路観光、灘黒岩水仙郷・道の駅うずしお・護国寺・賀集八幡神社・おのころ島神社

2017-01-07 20:55:36 | 淡路
2017年1月5日、淡路観光の2日目です。淡路島観光ホテル宿泊の翌日、県道76号線で南向きに進み、灘黒岩水仙郷に行きます。料金は500円ですが、ホテルのフロントで450円でチケット購入しました。
灘黒岩水仙郷
map


























































少し坂を登りますので、足の不自由な方はつらいですね。南に進みます。
途中、道の駅福良で干物を土産に買いました。



次に道の駅うずしおです。ここで昼食です。































3年とらふぐの炙り出汁飯



めで鯛三昧



鯛と寒ブリの漁師飯



食後のアイスクリーム、みかん味とミルクミックス

護国寺
南あわじ市賀集八幡732
map「行教により開創されたと伝えられています。高野山真言宗の寺院で、明治の神仏分離以前は、賀集八幡宮の神宮寺であった。中世には淡路守護細川氏の庇護を受けていたが、至徳3年(1386年)の火災で焼失し、寛永8年(1631年)に再興された。」









手水舎



鐘楼



本堂











庫裏



瓦の布袋さん





本地堂

























賀集八幡神社
「当八幡宮は、貞観2年(860)御神託を受けた奈良大安寺の僧行教が京都石清水八幡宮の御分霊を奉じて淡路に来島、建立したという由緒ある神社であります。石清水八幡宮の社殿を模し、壮麗輪喚の美を整えた当八幡宮は往昔隆盛を極めておりました。(伽藍古図は護国寺にて保存)その後室町時代暦応3年(1340)阿讃の領主細川師氏が兵を率いて来たり、淡路国守、宇原兵衛永真の軍と戦い、田中川の合戦で大勝、その際、当八幡宮を祈願所として社殿を造営、以来、神馬、太刀、神田奉納が続きました。江戸時代に下り、寛永8年(1631)阿波藩主蜂須賀忠英は当八幡宮を崇め奉り伽藍を改造、本殿、拝殿、摂末社に至るまで悉く再建、現在の諸建物はこの時のものであります。昭和12年3月御由緒正しきを以って、県社に昇格し、古来皇室の崇敬も厚く、昭和54年11月には浩宮徳仁親王殿下の御参拝を賜った島内屈指の由緒ある大社として祭事絶えることなく受け継がれ広く、八幡(やはた)の八幡(はちまん)さんとして親しまれ現在に至っています。」
南あわじ市賀集八幡734
map







手水舎

拝殿



神馬

狛犬



本殿(県指定文化財)
「三間社流造、寛永8年(1631)に藩主松平忠鎮(ただしず)が建立。」













摂社八坂神社















稲荷神社





おのころ島神社
南あわじ市榎列下幡415
map
『「国生み神話」に登場する「おのころ島」伝承地の1つとされています。古代の御原入江の中にあって、伊弉諾命(イザナギノミコト)・伊弉冉命(イザナミノミコト)の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くからおのころ島と親しまれ、崇敬されてきました。安産の神様・縁結びの神様などとして親しまれており、高さ21.7mの大鳥居は日本三大鳥居の1つにも数えられています。また、周辺には「葦原国(あしはらこく)」や「天浮橋(あめのうきはし)」などの神話の伝承地が残っています。』



































お疲れ様でした。1泊2日の淡路観光を終え神戸に帰ります。
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淡路島観光ホテル

2017-01-07 20:54:35 | 温泉、旅館、ホテル
2017年1月4日宿泊しました。1泊2日の淡路島観光です。明石大橋を渡り、淡路ICを降りて南に向かって観光で、夢舞台にある奇跡の星の植物館、香りの館、東山寺、伊弉諾神宮、たこせんべいの里、厳島神社、洲本八幡神社、洲本城を見て回って、やっとホテルに着きました。
淡路島観光ホテルは海沿いにあるホテルでプライベートの磯釣り場があります。釣った魚を調理して夕食に出してくれます。私たちは到着が17時前だったので釣りはしませんでした。風呂は1階と2階にあり、朝夕を男女入れ替えします。露天風呂、サウナ風呂、風呂3つ湯船があり、ジェット、熱め、ぬるめとなっています。露天風呂からは釣り場を含め、海の景色や対岸の和歌山が望めます。温泉の泉質は単純弱ラドン泉です。オーシャンビューの14畳の部屋で広縁がありました。プラン名は地魚会席、5階以上和室です。
洲本市小路谷1053-7
map
外観

ロビー























部屋









おもてなし

部屋からの景色

廊下













夕食です。部屋食でした。
食前酒のワイン、先付・淡路島ささげ豆腐、お造り・旬の地魚ニ種とさざえ、地魚南蛮漬け









鰤と玉葱の魚すき

鰆と玉葱の味噌焼き

地酒の都美人を飲みながら、料理に舌鼓

追加料理の淡路牛ステーキ

焼き白子蒸し

椀物とデザート



朝食はバイキングです。



プライベート磯釣り場







リーズナブルな料金で、新鮮な魚とおいしい味付けでした。スタッフの応対も丁寧で親切でした。お風呂もよくて最高です。
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淡路観光、たこせんべいの里・厳島神社・洲本八幡神社・洲本城

2017-01-07 20:53:40 | 淡路
2017年1月4日、淡路島観光で奇跡の星の植物館、パルシェ香りの館、東山寺、伊弉諾神宮そしてたこせんべいの里でたこせんを土産にと立ち寄りました。
たこせんべいの里
兵庫県淡路市中田4155−1
map
津名一宮ICの近くに店舗があります。産直の店なども別棟であります。
たこせんべいの里では、たこせんべいが様々な商品が試食でき、コーヒーが無料で提供されています。バスツアーの観光客が休憩できる大きなスペースもあります。もちろん、土産にたこせんを買い込みました。種類が多いとついつい買ってしまいますね。

産直の店





案内板

土産もゲットしたので、洲本市中心部に行きます。
厳島神社
洲本市本町4丁目1-27
map
「御祭神は、市杵島姫命で、この神様は水・海の神であることから、航海と積荷の安全を守る燈台の役目を果たし、商売繁盛、智恵開運、伎芸上達に御神徳の高い神として尊ばれてきました。」















洲本八狸





拝殿





一筋南で東に進みます。
國瑞彦護国神社
洲本市山手2丁目1−42
map
「藩主蜂須賀家の守護神として阿波より分祀された神社です。境内の宝物館には藩主稲田城代家老の使用したヨロイ・カブトなど多数が保管されています。」



拝殿

本殿

洲本八幡神社
護国神社の隣に鎮座しています。
「淳仁天皇のご創祀と伝わり、江戸時代には徳島藩主蜂須賀氏、洲本城代稲田氏の祈願所として淡路の国の安寧が祈られました。」
随神門

狛犬





拝殿

本殿

大楠
「幹周/6.7m、兵庫県第4 位の巨木です。」







遥拝所

太神社





金天閣(兵庫県指定文化財)
「江戸時代に蜂須賀氏により建てられた洲本城の一部の玄関、書院が移築されて保存されています。洲本城関係者の建物では現存する唯一の建物で江戸時代初期の建築様式が随所に見られ、四国随一の大名家の往時を今に伝えています。」
説明書、かすれて読めないですね。











稲荷神社







愛宕神社

つぎに洲本城に移動します。
洲本城(国指定史跡)
「洲本城を初めて築いたのは、室町時代後期、紀州熊野の水軍安宅氏である。織田信長の天下統一で、天正9年(1581)安宅氏は滅んだ。天正10年、本能寺の変が起り信長は自刃。その後羽柴秀吉は洲本城を四国攻めの根城として、仙石秀久を配置する。安宅氏時代の城は土塁や柵で、石垣ではなかったが、秀久の時期から石垣の城となる。天正13年(1585)、仙石秀久のあと脇坂安治が入城。慶長14年(1609)までの24年間の在城中、本格的に石垣の城を築いた。大阪湾、紀淡海峡を制し、豊臣秀吉の大坂城防衛のため、水軍を編成して水軍の城とし、九州攻め、小田原攻め、そして朝鮮の役に水軍の将として出陣した。慶長14年、脇坂安治が伊予の大洲へ移ったあと、淡路の領主、池田氏、蜂須賀氏は、洲本城を使わず、天正、文禄、慶長の時期の石垣が、脇坂安治が築いたままに残された城である。」
八幡神社付近から見上げた天守閣

案内図



駐車場から大手門へ





南の丸から右へ





南の丸隅櫓跡

















本丸大石段



南の丸







本丸南の虎口







武者走台

天守閣



















芝右衛門大明神



















洲本城資料















お疲れ様でした。
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淡路観光、パルシェ香りの館・東山寺・伊弉諾神宮

2017-01-07 20:52:00 | 淡路
2017年1月4日、淡路観光で奇跡の星の植物館の後、神戸淡路鳴門自動車道の淡路ICから北淡ICに、パルシエ香りの館に行きました。
香りの館は、香りをテーマにした、アロマやリース・香水などの手作り鯛県が楽しめるテーマ館です。香りの湯で数種のハーブ風呂などを楽しめます。特産館では、ハーブやポプリ・アロマグッズなどを販売しています。日本一の生産高を誇る淡路市の特産品でもある、お香・お線香も数多くの種類があります。
淡路市尾崎3025-1
map
『淡路市の線香生産量は全国の七割を占めています。お香の歴史は古く、わが国に仏教伝来とともに、インド、中国から伝わってきましたが、それより前の推古3年(595)に、淡路島で漁師が流れついた流木を燃やしたところ、すばらしい香りがたちこめたので、帝に献上したという伝承が日本書紀に記されています。平安時代の貴族や中世の武士の間にも、衣服や甲冑に香をたきしめる風習がありました。室町時代には、香りの芸術として香道が生まれました。江戸時代に淡路島での線香がつくられるようになって、その普及はめざましいものがありました。淡路は、①気候が適していたこと。②立地条件が良かったため、原材料の搬入と製品輸送に便利であったこと。③良港を有しながら季節風で出漁ができないために、必然的に家内工業を生み出したこと。④漁家の婦人、農閑期の副業による安価な労働力が得やすかったこと。などを背景に線香の製造が盛んとなりました。特産線香は嘉永3年(1850)淡路市江井の田中辰造が泉州堺で線香製造の技法に接し、熟練職人を伴なって帰り、原料の「杉葉粉」を阿波より購入し製造を始めた。明治初期に「久盛香」「藤田香」として製造販売した。大正初期から杉粉から宮崎県近辺特産のタブの木の皮を製粉したホン粉を使用して香料入線香の製造を始め、品質向上と生産増加で販路を拡大した。全国有数の線香産地となりました。』
特産館



宿泊棟、香りの湯とトレストラン



和食処「かおり」で昼食にしました。





香りの館





















温室





















つづいて東山寺に向かいます。
東山寺
淡路市長沢1389
map
「東山寺(とうさんじ)は、今からおよそ1100余年前、弘仁10年(820)弘法大師が開基された寺で、当時は今の奥の院を中心に七堂伽藍が建っていましたが、その後不慮の災火で全焼し、後460余年を経て弘安8年(1286)、現在の所に再興された。当時は末寺17寺坊36僧兵さえ多くいたと伝えられています。その後は寺運次第に衰え末寺は離れ建物の多くは焼失又は倒壊して一時は無住となりました。今の本堂および山門は室町時代の淡路守護職(三原養宜館主)の細川頼春が寄進されたもので、淡路最古の木造建築物です。本尊の千手観音像は弘法大師の作と伝えられ、国の重要文化財に指定されています。」

山門



















本堂









薬師堂

鐘楼
「天和年間に建造された、梵鐘に天和3年の銘と願主として末寺17カ寺の名が刻まれており、戦時中も名鐘として供出をまぬがれました。」













庫裏





茶堂





伊弉諾神宮
淡路市多賀740
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『「古事記」・「日本書紀」の冒頭「国生み神話」に登場する、国生みの大業を果たされた伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の二柱をお祀りする神社です。「古事記」・「日本書紀」に記載がある中では全国で最も古い神社で、淡路国一宮として古代から全国の崇敬を集めています。延喜式名神大社、三代実録神格一品、旧官幣大社で兵庫県唯一の「神官号」を宣下された神社です。「古事記」・「日本書紀」には、国生みに始まるすべての神功を果たされたイザナギ尊が、御子神である天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に、「幽宮」を構えて余生を過ごされたと記されています。その御住居跡に御神陵が営まれ、そこに最古の神社として創始されたのが、伊弉諾神宮の起源です。』







大鳥居

狛犬





表参道

さざれ石

陽の道しるべ









神池









神橋



手水舎

亀さんです。

正門

注連縄



拝殿

















中門

本殿







祓殿

渡廊

竃神社・根神社

鹿島神社・住吉神社

神輿庫

頭髪感謝碑

左右神社

神馬

夫婦大楠(兵庫県指定天然記念物)
「樹齢900年、胸高周囲8.5m」









東門





淡路祖霊社







伊勢神宮遥拝所







夫婦鶺鴒像



西門


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淡路観光、奇跡の星の植物館

2017-01-07 20:49:52 | 淡路
2017年1月4日、1泊2日の淡路観光です。淡路は神戸からは近くなので宿泊での観光は初めです。いつも通り過ぎて四国に行きますので。明石海峡大橋を渡り、淡路ICで降りて、まずはかまぼこ等の練り製品を販売している「鯛おどる館」でちくわなどをお土産に買いました。
鯛おどる館
淡路市岩屋2942-26
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次は兵庫県立淡路夢舞台温室の「奇跡の星の植物館」です。SAにある「ぷらっと淡路」のパンフレットを入手していれば、クーポンが付いていますので、各施設の割引があります。こちらの施設は1割引きの600円が540円です。
奇跡の星の植物館
淡路市夢舞台4番地
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ウェスティンホテル淡路にナビ設定して地下駐車場に車を止めて行きます。帰りにショップで玉葱を土産に買いました。駐車料金は500円ですが、駐車券を提示すれば、駐車料金が無料になります。
「プランツギャラリー、トロピカルガーデン、花と緑、癒しの庭、フラワーショールーム、イベント、シダルームの6つの展示室と特別展示室があります。」
地下駐車場から植物園に行きます。



日時計

植物園入口



エントランスホール









エレベーターで3階に上がり、上から全体を通路から眺めながら展示室1から順番に6まで進みます。
展示室1・プランツギャラリー
「乾いた土地で生きる多肉植物とオブジエとで構成されたモダンなドライガーデンです。」





































































展示室2・トロピカルガーデン
「耐暑性のあるカラフリーブスやトロピカルフラワーなど、大坂ベイエリアの暑い夏を元気に彩るサマーガーデンです。」

































































展示室3・花と緑のある暮らし
「日本の共生の文化が生み出した伝統的なライフスタイルや園芸文化を紹介すると共に地域性と伝統性を生かしたガーデンを提案するスペースです。」



















































展示室4・癒しの庭
「香り、色だけでなく、植物は五感を通して私たちに様々な癒しを与えます。植物と光、水、アート等多様なエレメントのコーポレートを楽しむ癒しの庭です。」









































展示室5・フラワーショースペース
「世界の花文化を伝えるフラワーショーに加え、華麗なラン展、クリスマスショーをしています。」



































































































展示室6・シダルーム
「暗い空間でも植物は育ちます。水音の響く洞窟空間に、シダやベゴニア、イワタバコ科の植物、耐陰性の植物を集めた室です。」





























アトリウム他









































お疲れ様でした。
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