旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

本立寺

2022-10-29 18:23:48 | 明石市
2022年10月29日、お参りしました。
「本山本圀寺第十六世日禎上人が信州松本に開いた本願寺がはじまりである。のちの明石藩主小笠原忠真の父秀政の生母延寿院が寺を建立した。1617(元和3)、忠真の明石転封で、城下町が建設された時、本源寺も一緒に移り、本立寺と称した。1945年の大空襲で山門を除いて悉く焼失した。梁田蛻巌(やなぎだぜいがん)の墓がある。1719(享保4)年、48歳で明石藩儒となり、没するまで定住した。江戸で生まれ、人見竹洞について儒学を学んだ。加賀藩(現石川県金沢市)、美濃国加納藩(現岐阜県岐阜市)の藩儒を務めたが、奔放で率直な性格が仕官に向かず致仕している。明石藩は彼を厚遇し、蛻巌自身の性格も次第に穏やかになって、1749(寛延元)年、78歳で退隠するまで藩儒の任務を務め上げた。」
兵庫県明石市日富美町6-8
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山門









本堂



鎮守社






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宝林寺

2022-10-29 17:50:19 | 明石市
2022年10月29日、お参りしました。
「1705(宝永2)年、京都仁和寺の宥真和尚の開基といわれている。仁和寺の末寺で真言宗、山号を松浦山という。1945年の大空襲で本堂以下の主な建造物が焼失した。木造聖観音立像は兵庫県指定文化財、藤原時代末期の様式で、寄木造、右手は垂下左手は屈臂して蓮華をもつ体躯はわずかに腰を左にひねり相貌は、伏眼豊頬、定朝様式の優美な美しさを持つ。」
兵庫県明石市材木町14-5
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本堂







十三重塔










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第94回 明石公園の菊花展覧会

2022-10-29 17:31:22 | 明石市
2022年10月29日、行きました。
明石公園で第94回菊花展覧会が10月22日から11月13日まで開催されています。入園無料です。盆栽、ドーム菊花壇、大菊鉢組、大懸崖鉢、小懸崖鉢、福助花壇などです。


































































































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郡主神社(ぐんしゅじんじゃ)

2022-10-24 20:13:21 | 但馬
2022年10月24日、お参りしました。
説明書「室町時代の1408(応永15)年建立と伝わる神社です。大物主神と平清盛の嫡男・重盛を祀っており、本殿は兵庫県指定重要有形文化財としています。江戸期の寛永および享保年間などに幾度か修理し、現在本殿は鞘堂に納められています。三間社流造の本殿、屋根は柿葺きで、身舎と向拝のつなぎは中央を海老虹梁、両端を大面取りのつなぎ虹梁と、珍しい形式をとっています。15世紀初めの建築様式を今に伝える貴重な文化財です。修理はおおむね向拝まわりの一部に留まっており、建築当時の様子を現在に伝える貴重な文化財です。」
兵庫県美方郡香美町村岡区板仕野
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狛犬



鞘殿



本殿(兵庫県指定重要有形文化財)



末社


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黒野神社

2022-10-24 20:12:06 | 但馬
2022年10月24日、お参りしました。
説明書より「この神社は、平安時代創建と伝えられる延喜式内社で、村岡(旧称黒野村)の氏神社として崇敬を集め、七美の郷の総社志都美(上・下)神社を合祀して、伊津岐三柱大明神と仰がれて現在に至る。江戸時代に、歴代村岡藩主山名氏より、一藩の祈願所として、殊に厚い崇敬を受け、藩主の四時社参や、ゆかりの品々の奉納の例が多い。祭神は、天御中主命、天津彦火能邇邇芸命、木花咲耶姫命で、旧社格は県社です。」
兵庫県美方郡香美町村岡区村岡723-2
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社標

鳥居

石灯籠

参道

コスモス

金比羅宮

狛犬



参道

二の鳥居

手水舎

狛犬

拝殿





本殿(兵庫県指定重要有形文化財)
「1765(明和2)年建立の規模の大きい三間社で、入母屋造の屋根を載せ、正面に千鳥破風と軒唐破風を付けています。組物は二重に尾垂木を付けた三手先で、軒は扇垂木として、禅宗様が濃厚な建物です。奥行三間の内、正面一間通りは吹き放ちとして、その後方の間口三間、奥行二間を建具と壁で閉じています。小規模社殿の多い兵庫県山間部にあって、規模が大きいだけでなく、流造風の軸部構成と、それとは無関係に一連の形式で造られた軒の構成の特異な取り合わせに、類例の少ない独特の社殿ということができます。また江戸時代後期の豊かな装飾を備えています。県北部の近世神社建築の変遷を知るだけでなく、県域を越えて近世後半の神社建築の変遷を知る上できわめて重要な建物です。」









神馬





西宮神社・愛宕神社・稲荷神社

皇大神社


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円通寺

2022-10-24 18:58:54 | 但馬
2022年10月24日、お参りしました。
「臨済宗南禅寺派の中本山で、大本山に次ぐ格式のある寺院です。山号を萬年山と号す。1389(元中6)年、時の但馬守護、山名時義・時熈父子が、高僧月庵和尚をして円通寺を創建しました。1644(寛永21)年9月には、沢庵和尚が寺を訪れ、多くの詩を残しています。また後年、大石蔵之助の妻大石りくなど多くの著名人が来寺しています。あじさい寺として有名です。」
兵庫県豊岡市竹野町須谷940
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寺標

総門



参道

山門





鐘楼



本堂






























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城崎温泉 大正ロマンの湯宿 深山楽亭

2022-10-24 17:54:52 | 温泉、旅館、ホテル

2022年10月23日、利用しました。


プラン名は「黒毛和牛朴葉焼きや香住かにのしゃぶしゃぶ等『秋夕べの巻』」です。浴場は御影石の風呂、庭風呂、檜造りの風呂、露天風呂があります。夕と朝は男女入れ替え制です。3回の入浴を楽しみました。館内全体がレトロな調度品やステンドグラスで懐かしい感じですね。夕食・朝食は会場食でした。生ビールでご馳走に舌鼓でした。スタッフの皆さんは新設で丁寧な応対です。


兵庫県豊岡市城崎町湯島1011


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玄関









フロント

ロビー













売店



廊下























室内









おもてなし

夕食です。

先付け・ごま豆腐

前菜・三種盛





造里・旬魚四種、サーモン、ハマチ、海老、烏賊



蒸し物・茶碗蒸し

陶板・黒毛和牛朴葉焼き

お凌ぎ・出石蕎麦 あしらい一式

鍋物・香住かにのしゃぶしゃぶ

蓋物・炊き合せ

ご飯・紅ずわい蟹の釜飯

止メ椀・合わせ味噌仕立て、香物

デザート・栗プリン プチ焼き芋

箸のプレゼント

朝食です。
鰈一夜干し

かまぼこ

うにしいたけ

サラダ

温泉玉子

豆乳鍋

なめこ汁

フルーツ



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大龍寺

2022-10-19 17:51:38 | 神戸市中央区
2022年10月19日、お参りしました。
再度山の中腹にある本寺は、山号を再度山といい真言宗の寺です。
パンフレットより「768(神護景雲2)年、称徳天皇の勅をうけた和気清麻呂公が、摂津の国に寺塔建立の霊地を求めて当地の山中まで来られたときのことであります。公を暗殺しようとしてつけ狙っていた僧道鏡の刺客は、忽然と現れた一匹の大蛇に驚いて一目散に逃げ帰ってしまいました。
 危ないところを助けられ清麻呂公があたりを見まわしてみますと、大蛇が消えた跡に『聖如意輪観世音菩薩』が立っておられたのであります。霊験を感じられた公は、早速この地に伽藍を建立され寺名を『大龍寺』と名付けられました。 観世音がご出現になった場所は『蛇ケ谷』と称し『龍ケ滝』と共に霊蹟として現存しております。
 又804(延暦23)年、入唐される弘法大師は、旅の所願成就を御本尊に祈願されました。その甲斐があって唐の長安で清龍寺の恵果和尚より秘密の大法を授けられ、806(大同元)年に無事帰国されたのであります。そして、帰朝報告奏上のため上京の途中、ふたたび当山に参龍され本尊に報恩謝徳のため7日間秘法を勤修されました。
 弘法大師が再び登山されたというので『再度山』と呼ばれるようになり、修法された場所を『修法ケ原行場』と呼ぶようになりました。従って当山には奇瑞霊験の伝説が多く、なかでも1375(天授元)年、後円融上皇が中風(脳梗塞)にかかられた折、善妙上人が本尊に7日間の祈願をされますと霊験たちまち現われ、さしもの重い病もご平癒になったので、宸翰、宝器を当寺に賜り本尊に深く帰依されたのであります。
 このことが広く世間に伝わり『中風除けの寺』『病気平癒の寺』として有名となり、以来、代々の住職がこの秘法を受け継いでおります。
 鎌倉時代、度重なる戦火によって伽藍を失いましたが、1351(観応2)年、摂津国司赤松円心は善妙上人を山主として中興し旧観をとりもどしたのであります。しかし戦乱の世が続いたためその後再び荒廃していたのを唐招提寺の実祐上人が、寛文年間(1661~1673)、尼崎城主光録居士の協力を受け『弘法大師八十八ケ所』の霊場を勧請されるなど再興に努力され、上人没後は資賢上人が遺志を継いで現在の規模のものを復興されたのであります。又、1679(延宝7)年臨済宗の名僧高泉禅師が書かれたと伝えられている『大龍寺の記』は寺宝として今も大切に保存されております。
 明治になると、廃仏棄却によって、廃寺となる運命にあった当寺を、時の住職井上徳順和尚が地元の人とともに、法燈維持のために尽くしたので、東寺真言宗所轄の寺院として今日まで存置されることになったのであります。本尊の菩薩立像は国指定重要文化財」
「近畿三十六不動尊霊場札所、西国愛染霊場第五番、摂津西国三十三ケ所第六番札所、神戸七福神霊場、神戸十三佛霊場第六番、摂津八十八ケ所第八十二番札所、近畿十楽観音第八番霊場、ぼけ封じ三十三ケ所第八番札所」
神戸市中央区神戸港地方再度山1
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案内図

六地蔵

寺標

山門





参道















仁王門

仁王



説明書

手水舎



権倉稲荷大明神



参道の地蔵



















ひたすら、登ります。

鐘楼





















毘沙門堂

本堂













護摩堂

諸天堂







本堂から約95m登ります。



































奥の院(大師堂)











霊明殿









摩尼殿


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花隈城跡

2022-10-13 18:04:18 | 神戸市中央区
2022年10月12日、行きました。
「織田信長が、1568「(永禄11)年10月に 和田惟政に摂津を任した時に築いたか、1574年(天正2)年に石山本願寺と毛利氏とに荒木村重に命じて築城したのではないかという説もある。築城には近江の『穴太衆』を呼び出しかなりの石垣を使用し、1年程度で完成させたと言われている。」

神戸市中央区花隈町1-5-4

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長狭北向地蔵尊、城郭の北側に鎮座しています。
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走水(はしうど)神社

2022-10-13 17:40:45 | 神戸市中央区
2022年10月12日、お参りしました。
「旧走水村の氏神で、祭神は天照大神、応神天皇、菅原道真の三神。天満宮とも呼ばれており、もとは元町通5丁目北側にあった天神社と八幡神社を1875(明治8)年に合祀して走水神社とした。『走水(はしうど)』の名は、昔、再度谷に大水が出ると、この村めがけて水が流れ水害を受けたため、走水という名がついたという。また、近年以前から間人(はしうど)家がここに住んでいたが、走水に住んだので間人を名乗ったという。間人は古代氏族の一つであり、のちに水害の話が付け加わり、『走水』の字が当てられのであろうか。」

神戸市中央区元町通5-6-1

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鳥居

社標
筆塚
社務所
お牛さん
拝殿
本殿
稲荷社
荒神社
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