旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

大垣城

2019-03-29 17:23:57 | 岐阜
2019年3月27日、岐阜観光の2日目、帰路の途中で行きました。
「天文4年(1535)、宮川吉左衛門尉安定が築城した(明応9年竹腰彦五郎尚嗣の築城とも伝えられる)といわれ、水門川の流れを外堀に利用して築かれた。関ケ原の戦いのおりには、西軍石田三成の本拠地ともなった。寛永12年(1635)、戸田左門氏鉄が入城し、その後、11代にわたって藩政が続いた。」
大垣市郭町2丁目52番地
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説明書

外堀



天守閣













































大垣公園



















大垣大神宮



濃飛護国神社





















大垣市郷土館











お疲れさまでした。
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墨俣一夜城

2019-03-29 17:22:51 | 岐阜
2019年3月27日、岐阜観光の2日目です、帰路の途中に行きました。
永禄9年(1566年)、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられています。
岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1
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説明書



































白鬚神社

豊国神社

廣蓮寺









神明神社
「大垣市の祖父江中島の氏神様で、治水・舟運・諸産業の守り神である。社殿は現在地に移転したが、元和5年(1619)の棟札が残っている。」








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伊奈波神社

2019-03-29 17:21:39 | 岐阜
2019年3月27日、お参りしました。
パンフレットより「主祭神は五十瓊敷入彦命、垂仁天皇と日葉酢姫命の長子で、その弟が景行天皇です。『古事記』『日本書紀』によりますと、勅命により河内・大和・美濃などの諸国に、池溝八百をひらいて農事に努め、百姓が豊かに天下が泰平になったと伝えます。さらに物部十千根命の協力をえて、奈良の石上神宮に神剣千口を納めるなど、農耕や軍事に活躍されたといいます。
 命が身まかった翌年にあたる景行14年、遺徳を偲んで丸山に鎮斎し、天文8年(1539)、斎藤道三が稲葉山を居城とするに際して、現在地に神霊を奉遷しました。
 当地は揖斐・長良・木曽の三川に囲まれて、水利や風光という恩恵に浴しましたが、地方では久しく氾濫にも悩まされてきました。稔りゆたかな土地をねがう人びとにとって、水を制するには金を以ってするという陰陽五行の考え方から、周囲には水・金に関する地名もおおく、当社は水防の神として仰がれてきました。」
岐阜県岐阜市伊奈波通1-1
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参道

大鳥居

参道

神輿庫

石碑

社務所

二ノ鳥居





狛犬



神馬

吉備神社





楓稲荷社





針塚

神橋

楼門からの参道

放生池

手水舎

伊奈波大黒社
「宝永6年(1709)の鎮座以来、大国主神をまつり、福徳円満・医薬治病・延命長寿・商売繁盛の神徳があらたかな神として、一般のあつい崇敬が寄せられています。」

楼門



狛犬







絵馬掛け

黒龍社



神門





狛犬



逆さ狛犬



拝殿

本殿









金山神社・愛宕神社





忠魂碑

松尾神社












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岐阜市川原町界隈

2019-03-29 17:18:22 | 岐阜
2019年3月26日、岐阜市内観光をしました。
川原町界隈
『長良橋南の鵜飼観覧事務所から西に続く街並、湊町・玉井町・元浜町は通称「川原町」といい、戦前の日本を思わせる懐かしい風景に出会えます。』
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岐阜城















































手湯







川灯台
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岐阜市内散策、正法寺・林稲荷神社・妙照寺・常在寺・専應寺・真性寺・神明神社・善光寺

2019-03-29 17:17:30 | 岐阜
2019年3月26日、岐阜市内観光をしました。
正法寺
「金鳳山正法寺は、この地に天輪3年(1683)に開山始祖・廣音和尚が草庵を結んだことに始まり、元禄5年(1692)に千保和尚を開山に迎えて創建された黄檗宗の寺院です。江戸時代以来の境内地に現在も継承しています。」
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大仏殿(岐阜市重要文化財)
「明朝様式と和様が融合した江戸時代後期の建物です。構造上、大仏を造立する段階から風雨を凌ぐ覆屋が不可欠であることから、大仏造立と併行して大仏殿の造営が進められたと考えられます。大仏殿の中心部には、高さ23mを超える大仏を収めるために、大きな空間が形成されています。他の大仏殿に無い特殊な形態がみられます。」





地蔵堂

庫裏

多宝塔
「此の多宝塔は当初伊奈波山の中腹、伊奈波神社境内に奉安されてあったのですが明治10年神仏混淆禁止令が発布された時その難をさけるため当寺に移されたもので徳川時代の中期の頃の作と記録されています。」



林稲荷神社















妙照寺



山門

本堂(岐阜市指定重要文化財)
説明書より「明暦3年(1657)から寛文5年(1665)の間に建てられた全国的にも珍しい江戸時代前期の日蓮宗の寺院建築である。桁行七間、梁間七間半の入母屋造の建物で、後に改造や向拝の付加はあるものの、内部の須弥壇回りは当初のままで、意匠・色彩など江戸時代初期の雰囲気をよく残している。」

庫裏(岐阜市指定重要文化財)
「造られた年代は明らかではないが、貞享5年(1688)に岐阜を訪れた松尾芭蕉がこの庫裏に1か月滞在したという記録があり、本堂と前後して建てられた江戸時代前期の建築であると考えられる。桁行九間、梁間四間の切妻造で入口から土間・板間・座敷が並ぶ。平面的には土間・板間境を開放しており、板間には座敷が三室接しており、日蓮宗庫裏の通例に従っている。」

玄関





鐘楼





三光稲荷神社









常在寺
「斎藤道三ゆかりの寺、道三の国盗りの拠点で、斎藤氏の菩提寺。道三、義龍の画像が残されており、ともに国指定の重要文化財です。」

















長良川





専應寺
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真性寺























神明神社・金比羅神社
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足湯











善光寺、伊奈波神社の入り口にあります。
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安楽寺
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岐阜公園

2019-03-29 17:15:39 | 岐阜
2019年3月26日、岐阜観光で訪れました。
岐阜公園周辺案内図

護国神社
『この地には、岐阜の出身者で、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦の犠牲になった約37,000人の英霊が祀られている。昭和14年(1939)、当時の内務省令により建てられたが、建設においては、県・市町村・各職域団体の浄財や勤労奉仕があり、地域に密着した神社として生まれた。ここには、「鵜飼桜」があり、以前にはこの桜の咲き具合で鵜飼の豊漁の程度を占っていたという。』
慰霊塔

鳥居

手水舎



社務所



鳥居



参道









御手洗池







三重塔(国登録有形文化財)
説明書より「大正天皇の即位を祝う御大典記念事業として記念塔の建設が企画され、岐阜市が、市民の寄付を募ったうえで、大正6年(1917)11月21日にこの三重塔を建立しました。材木には、明治24年(1891)10月28日に発生した濃尾大震災により倒壊した長良橋の古材が利用されています。石造りの二重基壇の上に建つ木造三重塔で、各重(各層)とも三間四方のつくりです。中央の心柱は、鎖で吊り下げて礎石から浮かした懸垂式とよばれるもので、江戸後期から明治にかけて、全国でもわずかな例しか見られない特徴的な方式です。装飾を用いない古風で調和の取れた意匠は、明治神宮などを設計し日本建築史学の創始者と評される伊東忠太の手によるものです。また、塔を建てるのにふさわしい場所としてこの地を選んだのは、岐阜市内の小学校を卒業している日本画家、川合玉堂と言われています。」







ロープウェイに乗車、景色





































名和昆虫博物館





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岐阜城

2019-03-29 17:14:50 | 岐阜
2019年3月26日、岐阜観光で行きました。ロープウェイで頂上に往復しました。
説明書より「鎌倉時代の建仁元年(1201)、幕府の執事二階堂山城守行政が軍事目的のためにここに初めて砦を築いたと伝えられているが、稲葉山城として日本史に大きく登場してくるのは斎藤道三以降のことです。斎藤道三は天文8年(1539)2月に稲葉山城を修築して入城し、続いて子の義龍、孫の龍興が城主となりました。
永禄10ネン(1567)織田信長ハ斎藤龍興ト戦って稲葉山城を落とし、9月新城主として入城しました。信長は稲葉山城を岐阜城と改め、楽市場を保護し、「天下布武」の朱印を用いるなど天下統一の本拠地としました。永禄12年に宣教師ルイス・フロイスが岐阜城を訪れ、その壮麗さに驚いたことを書簡に記して本国ポルトガルへ送り、西洋にまで岐阜城のことが知られるようになりました。
 その後、織田信忠・神戸信孝・池田元助・池田輝政・豊臣秀勝が岐阜城主となりましたが、慶長5年(1600)8月23日岐阜城主織田秀信は西軍の豊臣方に味方して東軍の徳川方と戦い、福島正則・池田輝政に攻められ開城しました。慶長6年、岐阜城は廃城となり天守閣・櫓などは取り壊されて加納城に移築され、江戸時代には金華山頂に天守閣が建てられることはありませんでした。
 明治43年(1910)木造の模擬城が建てられましたが、昭和18年(1943)焼失しました。その後、岐阜観光のシンボルとして、また安土桃山時代の華麗な城郭を再現したいという岐阜市民の熱意と浄財により昭和31年に現在の三層四階の天守閣を再建しました。」
岐阜城の説明書

天下第一の門











伝二ノ門

閻魔堂

題目塚



天守閣









石垣







城下町



お城時計



金華山御嶽神社

資料館




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日吉神社

2019-03-29 17:13:45 | 岐阜
2019年3月26日、お参りしました。
説明書より「弘仁8年(817)最澄(伝教大師)は東国へ天台宗を広めるため、神戸の地に立ち寄った。このとき最澄は、神戸付近を治めていた安八太夫安次の願いにより善学院を建て、また、近江(滋賀県)坂本の山王社をおうけして、日吉神社が建てられたといわれている。日吉神社というのは、日吉大宮、日吉二の宮、日吉宇佐の宮、日吉樹下の宮、日吉牛尾の宮、日吉客人の宮、日吉三の宮のの7つのお宮全体をいうのである。日吉神社ができたころは、神と仏は一体であると説かれていたから、国の重要文化財である三重塔・十一面観世音菩薩像・地蔵菩薩像や、その他の仏教関係のものが神社に残っている。」
岐阜県安八郡神戸町大字神戸618
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鳥居と社標

境内図

神輿舎

参道



社務所

常楽坊跡

蓮華院跡

西門
法光坊跡

十輪院跡

浄光坊跡

福泉坊跡

十光坊跡

手水舎



神輿殿



竃殿神社

大惣忌神社

産石・本地堂跡

三重塔(重要文化財)
「この三重塔は大師の大師の神仏混淆垂述の思想に基づき平安の昔神域に建立されたものである。現存の塔は永正年間斎藤利綱が再建し、約70年の後天正13年(1585)稲葉一鉄が修造したものである。棟札は神護寺善学院に遺っている。塔は規模壮大で室町時代の豪華な建築様式の一典型である。幸いに戦国の兵火を免れ天正の修築、貞享の大修理など数次の補修を経て、その偉容を今日に伝えている。相輪頂上までの高さ24.6m、三層塔婆で毎層三間、組物三手先、軒二重、桧皮葺。」













日吉公園の庭
『この庭は、神社の起源からイメージした「石舞台の庭」と、格式と伝統が守り継がれてきた県重要無形文化財、神戸山王まつりを表した「火祭りの庭」で神社の歴史を表現しています。』



















石舞台の庭
「この庭の巨石は磐坐と磐境のおもかげを表現しています。」









神明神社

早尾神社

日吉樹下の宮

日吉客人の宮

狛犬



日吉大宮



日吉宇佐の宮

日吉二の宮

絵馬

日吉牛尾の宮

日吉三の宮

招魂社


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朝倉山真禅院

2019-03-29 17:11:11 | 岐阜
2019年3月26日、お参りしました。
説明書より「当寺は今から1250年前の創建で、開基の行基菩薩、自ら本尊阿弥陀如来尊像を彫刻され象背山宮処寺と名付け、本州阿弥陀如来四十八願の霊利の第三十四番札所とお定めになったのが天平11年(739)2月であり、その翌年12月2日には聖武天皇が不破頓宮より宮処寺及曳常泉へ行幸されています(続二本記、日本記略)その五延暦の年勅命により比叡山延暦寺宗祖伝教大師により南宮神社と両部集合され寺号を大神宮寺と改められました。
 その功徳は天慶2年(839)の平将門叛乱の時、孔雀天皇の勅命により将門調伏祈願のため延暦寺僧明達阿闍梨助修僧20人と共に南神宮寺で秘法を修したところ結願の時将門首級到着で、その法験を御嘉賞になり法躰殿の勅願と若干の寺社領を下賜されました。(扶桑略記、帝王編年紀、元享釈書)(此時十禅師社を造営し弟子十人を社僧とす=十坊設置)
 ついで後冷泉天皇の康平2年(1059)には安倍貞任追討の御祈願あり、その霊験により法性大菩薩の刺額と若干の寺社領を賜りました。このように霊験により篤い信仰を得ましたが、文亀元年(1501)4月の火災で諸堂社灰燼となりましたので、諸方に勧進し、時の美濃守護土岐政房に訴願したところ政房これを諸司に命じて復旧に着手、11年後の永正8年(1511)漸く竣工となりました。
 くだって天正17年(1589)11月16日豊臣秀吉より供田として160石、寺社堪忍分として200石の朱印は、家康の代(慶長14年10月20日)に405石が朱印状となりましたが、慶長5年(1600)9月の関ケ原合戦で、諸建築は兵火にかかり烏有に帰しました。
 因って南宮権現執行利生院、永純、本寺の東叡山寛永寺住職(開基)慈眼大師天海大僧正(徳川幕府の政務に関与)に再建を嘆願、時の大御所(家康)これを了諾するも戦後として渉らず、ようやく徳川三代将軍家光により造営の運びとなり、寛永19年(1642)9月11日に再興されましたが、命じ初年神仏習合廃止(神仏判然の令)により南宮社執行真禅院秀覚法印22堂塔坊舎を統廃合し、村人の絶大な奉仕により此の地に移し朝倉山真禅院となし現在に至っています。
 通称世人に朝倉山と親しまれ、時には朝倉寺とも呼ばれています。」
岐阜県不破郡垂井町宮代2006
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寺標、朝倉山南神宮寺

参道

お地蔵さま

十王堂

手水鉢





本地堂(重要文化財)
「江戸前期の寛永19年(1642)建立、桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、桟瓦葺。」











護摩堂

釈迦堂

薬師堂、延暦12年開基



三重塔(重要文化財)
「この三重塔は、天平13年(741)辛己歳の草創で、関ケ原合戦により焼失したが、徳川三代将軍家光により造営の運びとなり、寛永19年(1642)9月に再建されました。その後明治初年の神仏習合廃止(神仏分離令)により南宮執行真禅院秀覚法印が三重塔を含む22堂塔を統廃合し、村人の絶大な奉仕によって明治4年(1871)3月までに南宮社から現在の地へ移した。構造は三間三重塔婆、本瓦葺で柱礎石上端より相輪頂上までの全高は25.38m、内部に本尊大日如来を安置する。この塔は、永年の風雪と荷重により全体に西方へ傾斜していた上に昭和56年の豪雪で屋根に損傷を受けたため、文化庁の指導を受けて全面解体修理を行った。」









鐘楼(岐阜県重要文化財)

梵鐘(重要文化財)
「この梵鐘は無銘であるが、奈良時代に属すると推定される最古のもので、総高165cm、鐘身129cm、口径100.7cmである。上部にある竜頭の長袖線と相対する撞座の中心を結ぶ線が直角に交わり、撞座の位置が高いなど、古い梵鐘の特徴が見られる。この梵鐘の撞座は、永い年月の間に撞きつぶされ割れる恐れがあるため、指定時より国の指導を受け、撞かないようにしている。」

鉄塔(岐阜県重要文化財)
「この鉄塔は、室町時代の応永5年(1398)8月10日河内国の高大路家久による鋳物で、鉄塔二重塔、高さ165cm、上幅70cm、下幅100cm、鉄塔の上層には菩薩六体、下層には四天王像が鋳付けられている。」



観音堂(垂井町指定有形文化財)、神護2年7月創建(元宝珠院)







弁財天堂



関ケ原の戦いと吉川広家陣跡の説明書(真禅院駐車場横)





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紅葉狩り、多良渓

2017-11-19 12:39:56 | 岐阜
2017年11月18日、阪急交通社の秋の紅葉めぐりで行きました。西神中央7時集合で、阪神高速道路、中国自動車道、名神自動車道、北陸自動車道の木之本ICより目的地へ、当日は午前中は雨天で、写真がうまく映るかと心配しながらの現地へ。
鶏足寺の散策の後、関ケ原で昼食をし、多良渓に行きます。多良峡は、岐阜県大垣市上石津町にある牧田川の渓谷です。
関ケ原ウォーランド横のレストラン花伊吹でまずは昼食です。土産物店もありました。ういろ、漬物、伊吹のだがしのみの焼きなどを買いました。
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原173

銘牛三昧
近江牛のすき焼き、飛騨牛のローストビーフサラダ、松阪牛のにぎり寿司、炊き込みご飯はお代わり自由です。





宝蔵寺、レストランの前にあったのでお参りしました。













食事を終え、土産物もゲットし、多良渓に進みます。
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多良渓森林公園のつり橋









































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