旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

椿神社

2024-11-12 17:59:39 | 鳥取
2024年11月11日、参りしました。
「詳細不祥」
鳥取県道190号線(金沢伏野線)の金沢公園北西に鎮座しています。
鳥取県鳥取市金沢
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鳥居の左に大きなイヌマキ



鳥居

扁額「椿神社末松大明神」

鳥居の西側
子どもを抱いた地蔵



参道の階段

狛犬



石灯籠

拝殿



本殿



たくさんの彫刻があります。





湖山川







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浜村稲荷神社

2024-08-11 15:14:43 | 鳥取
2024年8月10日、お参りしました。
説明書より「加知彌(かちみ)神社末社稲荷神社で、祭神は神倉稲魂神、縁起不詳、古い昔は1769(明和6)年3月、庄屋竹森善兵衛検分になる気多郡山東神社御改帳に、社一尺三寸四方板葺、社地平地長十間半横九間、森有。鳥居高八尺、横七尺五寸。勧請にまつわる言い伝えによると1592(文禄2)年、ときの鹿野城主亀井武蔵守茲矩朝鮮征伐より無事帰還せし折建立したるもの也。1870(明治3)年神仏稀釈の令に際し、社祠平地より山なる洞窟に遷し給えりと口伝あり、法難を避け神産山ら上るも民衆の尊崇篤く、洞窟崩れるをもって、その場を平にし新たに祠を奉建し今に伝える。」
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鳥取県鳥取市気高町浜村
民家の間の道を進むと、鳥居が見えます。

参道の階段は草だらけだった。










境内からの景色
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出雲大社浜村教会

2024-08-11 13:59:18 | 鳥取
2024年8月10日、お参りしました。
鳥取県鳥取市気高町浜村783−1
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国民宿舎 水明荘

2024-05-04 07:39:36 | 鳥取
2024年4月30日、利用しました。ここは何度か利用しています。鳥取の実家で草刈りの後に温泉に浸かります。
ここ水明荘は、昭和32年、日本初の国民宿舎として誕生しました。東郷温泉の発見は1872(明治5)年頃、東郷湖の湖底から自然湧出している湯を、湖底に住むコイが教えたという伝説が残る温泉。湯温80℃以上と高温の源泉が湖底から湧き出しています。源泉かけ流しです。
鳥取県東伯郡湯梨浜町旭132
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館内及び室内



























夕食、会席水明

















朝食
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城下町鹿野の街並み

2022-12-01 22:54:04 | 鳥取
2022年11月30日、散策しました。
パンフレットより『戦国時代の武将:亀井茲矩公(3万8000石)によって築かれた当時の面影が、400年たった現在も残されており、懐かしい風情とあたたかみのある、散策にはぴったりの観光スポット。城下町の風情が残るぬくもりあふれる町です。
城下町らしい、数カ所の「地蔵小道」や「T字路」や「L字路」。一帯を網の目のように走る亀井氏により作られた「水路」や、馬や牛をつなぐために使用したとされる「牛つなぎ石」。そして、昔栄えていたという町の名残の商家造りの古い建物などが、当時の状態で残されており、当時にタイムスリップしたようなこの場所で当時の歴史を感じることが出来ます。鹿野の大工技術は、応仁の乱(1460年代)に京都山城地区から宮大工が戦乱を避けるため鹿野町に来たことがきっかけで伝わったといわれています。藩政時代に入ると、西因幡の大工頭を務めていたといわれています。町の中で残っている古い建物は江戸末期から明治時代のものがほとんどです。建物は「京風千本格子」が多く残り、構造は釘を使用しない「木組み」で建てられています。今でもその宮大工の子孫は「山城屋」という屋号を称しています。』
鳥取市鹿野町鹿野
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鳥取市鹿野町往来交流館・童里夢









牛つなぎ石















鹿野苑(ろくやおん)




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幸盛寺

2022-12-01 22:53:41 | 鳥取
2022年11月30日、お参りしました。
パンフレットより「亀井茲矩の義理の父で非業の死をとげた武士山中鹿介の菩提寺。茲矩が鹿介の菩提を弔うために現在地に移転させ鹿介幸盛の2字をいただき、幸盛寺と改めた。境内には大イチョウ(高さ34m)がある。山中鹿介は、戦国時代に主君尼子氏の再興を果たしえず、非業の死を遂げた武士であった。鹿介の墓の前に高さ130cmの大きな五輪塔がある。これは慶長19年に亡くなった茲矩の姉の墓である。」
鳥取市鹿野町鹿野1306
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山門







本堂








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光輪寺

2022-12-01 22:50:34 | 鳥取
2022年11月30日、お参りしました。
パンフレットより「光輪寺は天台宗の法楽寺と小別所の宝寿寺を一つにして、鹿野の北方の持西山麓に建立したのが最初といわれる。この時、初代住職の誓正が檀家一同とともに浄土真宗に帰依し、寺号を解脱山光輪寺と号した。正式には本山から許可されたのが1655(明暦元)年である。現在の庫裏の東には貴重な池田輝澄時代の庭園が残る。」
鳥取市鹿野町鹿野1862
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寺標

山門

本堂

鐘楼
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城山神社

2022-12-01 22:48:29 | 鳥取
2022年11月30日、お参りしました。
パンフレットより「創立年代は不明であるが、もとは加知弥神社の摂社で古くから妙見大明神と称し町民から崇敬されていた。素盞鳴尊を祀り亀井茲矩公在城の頃は鹿野城の守り神として祀られていた。社殿の規模は小さいが、その構造や彫刻は近郷に例を見ない精巧なものである。『鹿野まつり』として知られる祭礼は昭和32年に県の無形文化財に指定され、御輿、榊、四台の屋台(山車)、武者行列、獅子舞とにぎやかにしかも情緒豊かに行われる。獅子舞は昭和29十九年に県の無形文化財に指定されている。祭礼は近年隔年の4月に行われている。」
鳥取市鹿野町鹿野2489
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鳥居

稲荷社



参道

六角堂







狛犬

拝殿

境内からの景色
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雲龍寺

2022-12-01 21:43:13 | 鳥取
2022年11月30日、お参りしました。
パンフレットより「山号は凌恭山と号す。当山は因幡観音霊場27番札所にて、ご本尊は聖観音菩薩です。1590年に譲伝寺九世・忠岳和尚が隠居して、領主亀井茲矩に供4百余畝を賜り、獅子舞山の双樹林山涅槃寺跡に寺を建てた。1671年亀井家が津和野に移り池田光政が藩主となり涅槃禅寺は替え地として与えられた口水谷に移り仰雲山凌恭寺と改号しました。1632年池田光仲が藩主となり、1636年現在の雲龍寺の場所を当山五世の版饒晃全は永平寺三十五世の住職となっています。1640年山崎藩主池田輝證(藩主光仲の叔父)が鹿野に移されたとき、弟赤穗藩主・正綱の位牌を岡山から持ち帰り1660年千手寺に安置し、雲龍寺の菩提寺として寺号を凌恭山雲龍寺と改号しました。当山本堂は、1688年の建築で、1807年に大改築が行われ本堂内には鹿野領主亀井公伝来の聖観世音菩薩、雲龍院を始め池田家の位牌を安置しています。庭園は、もみじを主流とし春は桜、夏に睡蓮、秋は紅葉、冬は雪景色と四季薫る庭園です。」
鳥取市鹿野町鹿野164
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寺標

山門







本堂

選仏場

庫裏



護摩坊

愛宕神社
「雲龍寺の境内にある250段の石段を上ると、愛宕大権現と呼ばれる神社があります。近隣の人々から火の神として信仰が厚く、社殿には大きな鉄の十能と火箸が飾られています。」

狛犬



拝殿


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観世音寺・古涅槃寺

2022-12-01 20:32:49 | 鳥取
2022年11月30日、お参りしました。
パンフレットより「山号を施無畏山と号す。弘法大師(空海)が諸国巡業の際、鷲峰山麓の巨桜の霊木の一枝を採り不動尊として桜谷に南之坊を建立した寛弘年中(1004~1012)郡司紀氏郷娘「桜姫」が16歳の時、観音菩薩の示現により導かれ桜谷の桜の木尊像を刻み施無畏山観音寺を開いた。祈祷で知られた寺でもあり、度重なる台風や日照りなどの天災を防ごうと藩から四回も祈祷を命じられている。」
「さくら姫物語」
「昔、因幡気多郡の郡司として 紀氏郷という人がいた。この人にはさくら姫という美しい姫がいた。ある時、さくら姫は父と都に上がった。 たまたま勝美親王の嫁選びがあり、さくら姫が選べれた。しかし、姫は御仏の道にすがる気持ちが強く勝美親王の縁談に耳を傾けず故郷に帰ってしまった。親王は姫への思いを断ち切れず、わずかの供を連れて姫の後を追った。長旅の末気多郡宿にこられたが、病のため倒れられ、御輿で山を越す途中亡くなられた。さらに世の中の無常を感じた姫は仏道に入り、さくら谷の南の坊にこもった。 ある日、観音様のお告げがあり観音像を刻みこの南の坊に安置してまつった。姫の亡骸は、雲から現れた白衣の天人・天童に囲まれ車に乗せられ、蓮の花びらを散らしながら鷲峰山空高く昇って行った。人々は姫は鷲峰山大明神の化身ではないかと語り合ったと伝えられている。」
鳥取市鹿野町鹿野317
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寺標











本堂













鐘楼

地蔵尊







古涅槃寺





金毘羅宮


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