旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

菅生石部神社(加賀国二ノ宮)

2017-09-28 13:44:39 | 石川
2017年9月25日、お参りしました。24日に石川県の加賀観光、大聖寺の町並み散策、北前船の船主の古里の橋立の散策、那谷寺お参りし山中温泉に宿泊、山中温泉街並み散策、帰路に菅生石部(すごういしべ)神社にお参りしました。
パンフレットより「当社は、敏達天皇の願いにより、宮中でお祀りしていた神様を用明天皇がご即位元年(585)にこの地にお移ししたことに始まります。創始以来続く祭りは天神講や敷地祭といい、3日間特別なお祓いの神事を行います。天武天皇は、白鳳5年(676)御願神事をはじめさせ、現在も石川県無形民族文化財の指定を受け、例祭(竹割りまつり)として続いています。
 この神社は延喜式内社で、越前国三ノ宮のちに加賀国二ノ宮(一ノ宮は白山比咩神社)となり、明治期には国幣小社に列せられました。中世には福田の庄が京都北野天満宮領となることから天神信仰も盛んとなり、別名菅生天神や敷地天神とよばれるようになりました。
 天神信仰としてこの地に住む人々や越前に住む人々からの崇敬をうけ、この地に始まり美濃から全国に住む斎藤氏の氏神として美濃各地に勧請されました。美濃国の天神社、天満宮全17社は当社より勧請された社です。このほか京都市敷地神社(わら天神)、鯖江市敷山神社など関係の社が多くあります。
 崇敬では、伏見天皇(1287~1298)の頃より正親天皇(1557~1586)の頃まで春秋年2回の居入祭(おりいさい)に朝廷より御衣・神宝がお供えになりました。現在、居入祭に遅れた際の詫状や皇子ご降誕の祈祷礼状が残っています。
 そのほか木曾義仲、足利義持、豊臣秀吉や前田利家はじめ前田家による寄進や奉納も多くありました。現在その多くが宝物として残っています。」
石川県加賀市大聖寺境内
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鳥居

説明書

神門(加賀市指定文化財)
「文政7年(1824)起工、よく9年落成。設計者は建仁寺流の名工山上善右衛門嘉広の系統で、七代目善右衛門嘉順と伝える。総欅造唐様の楼門で、軒は扇垂木とし、天上は碁組となっている。」











手水舎







拝殿







本殿





能舞台



敷地稲荷社







白山社・事比羅社



菅原社

お疲れ様でした。
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山中温泉の菅谷八幡神社・徳性寺・長谷部神社・医王寺・白山神社

2017-09-28 13:44:06 | 石川
2017年9月25日、24日から石川県の加賀観光で大聖寺の町並み、北前船の古里の橋立地区の散策、那谷寺にお参り、山中温泉のホテルうさぎのお宿月物語に宿泊し、ホテルで山中温泉マップをいただき、翌日に山中温泉の鶴仙渓、ゆげ街道などを散策しました。
寺院と神社です。
菅谷八幡神社
鳥居

盤持石





三又大杉(史跡名勝天然記念物)
「菅谷村の起源は、縄文遺跡が発掘されていることから、5千年以上もさかのぼります。鎮守の八幡神社は、応神天皇が祀られています。樹齢2300年の大杉は、高さ54メートル、幹囲8メートル、地上3メートル余のところからで、幹が三つに分かれているところから、三又杉と呼ばれています。三本の幹はともに幹囲3.5メートルで、実に美しい女性的な樹勢です。伝説として、次のような面白い話が残っています。昔々、村人たちが大杉を伐って帆柱にしようと相談したが、翌日、お宮さまにいってみると、三つの枝に分かれ、帆柱にならない杉になっていたという。」















狛犬



拝殿











本殿

徳性寺
「蓮如さんゆかりのお寺」



















長谷部神社
「建久年中、長兵衛尉長谷部信連が加賀の賊を平らげた功により、源頼朝之を賞し、塚谷保(現在山中町)を加領したと云われる。山中温泉再興は実に信連の力によるものとして、古くより医王寺に武建霊神として、其の肖像を祀りましたが、明治5年長谷部神社と改称。明治9年社殿を造営遷座するも、地域住民間にその争奪が起こり、一時薬師山の白山神社に鎮祀。昭和19年移転遷座。」



狛犬、足長で、結構天を仰いでいます。



















医王寺
「聖武天皇の天平年間(729~748)僧行基が自ら薬師如来の尊像を刻み開基したと伝えられ、承平年間(931~937)兵火に焼かれ、温泉と共に荒廃しましたが、建久年間(1190~1198)に至り、長谷部信連が温泉を再発見、この寺を再興されました。真言宗高野山派、準別格本山、山号を国分山と号します。通称『お薬師さん』です。」







山門

縁起

宝篋印塔















キンモクセイ



本堂









宝篋印塔(室町時代)

滝不動
「境内の一隅に薬師山山中より湧出する一条の滝があり年中かれることなく、甘露水として霊験あり『薬水不尽』と伝えられています。」



白山神社
「創立年代不詳。古く産土神と祀られ地域の崇敬をうけ、古来石像の観世音像をご神体として祀られたが、明治5年神鏡を祀り、同18年白山社を白山神社と改称。昭和6年5月7日当町未曾有の大火により社殿が炎上。直ちに仮殿が造営され、同14年5月21日社殿新築造営。薬師山一番地より現在地に移転遷座。」



鳥居











拝殿









本殿


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山中温泉の街並み

2017-09-28 08:00:01 | 石川
2017年9月25日、24日から石川県の加賀観光で大聖寺の町並み、北前船の古里の橋立地区の散策、那谷寺にお参り、山中温泉のホテルうさぎのお宿月物語に宿泊し、ホテルで山中温泉マップをいただき、翌日に山中温泉の鶴仙渓、ゆげ街道などを散策しました。
まずはホテルから朝食までの時間に少し散策です。
天狗岩
「山頂部にある3つの岩を遠くから拝めばご利益があるという。」





街並みにある蔵



屋根の上に煙抜き



そば屋「山ぼうし」

イノシシ出没看板

チェクアウトし、あやとりはしの横の観光用駐車場に移動します。
あやとりはし
「勅使河原宏氏デザインのユニークなS字型の橋。」























川床





滝、川床のところにあります。





鶴仙峡散策マップ

桜公園

道明地蔵と慈悲観音

渓谷



青鷺



ゆげ街道マップ

山中温泉の町並みに進みます。



ゆげ街道です。











ちょっと、アイスクリーム。











ゆげ街道に

ゴーヤの天日干し

子宝安産ゆげ地蔵

福を招く鐘

片岡鶴太郎工藝館(国指定登録有形文化財)
「高校卒業後、片岡鶴八に弟子入り、画家としては、1995年に初の絵画展を東京で開催、2001年に海外個展をフランス・パリにて開催。2011年、初の本格的仏画を出展。」



総湯 菊の湯(おとこ湯)
「奈良時代の高僧・行基が発見したのが約1300年前、以来、浴場の場所が一度も変わったことがない。昭和のはじめまで旅館には内湯がなく、浴客はみな『湯座屋』と呼ばれたこの総湯に入っていた。芭蕉が称賛した日本三名湯のひとつ。」













からくり時計

菊の湯(おんな湯)

山中座
「山中の芸能が楽しめるホール」





薬師橋






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うさぎのお宿 月物語(山中温泉)

2017-09-27 17:30:05 | 温泉、旅館、ホテル
2017年9月24日、石川県の加賀観光で、大聖寺の町並み、橋立の北前船主の屋敷群の散策、那谷寺をお参りして、山中温泉の「うさぎのお宿・月物語」に宿泊しました。
 プラン名は料理長おまかせ会席です。部屋は8階、12畳が2部屋で、縁が2方にありました。温泉は、カルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性低温泉)、夜中に男女入れ替えします。内湯、薬湯、渦湯、サウナ、露天風呂と楽しめます。建物は古いですが、スタッフの方は親切でアットホームな感じです。リーズナブルでいいですね。1階フロントのところに、ゲージにうさぎがオス、メスがいました。
石川県加賀市山中温泉菅谷町イ-10
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玄関

玄関天上







玄関からエスカレーターでフロントに



フロント

室内







廊下



案内図

ロビー





































庭園、滝があります。

夕食は会場食です。

造り盛り合わせ、鮭と里芋・蕗佃煮、ごま豆腐、ウニ塩辛、茶碗蒸し、鍋物、サラダ、デザート





















朝食です。
ノドグロの干物、鍋での味噌汁、温泉卵、海苔、切干大根、海苔佃煮、サラダ、デザート

チェクアウトでうさぎさんがお見送りです。
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那谷寺

2017-09-27 17:06:36 | 石川
2017年9月24日、石川県の加賀観光で大聖寺の町並み散策、橋立の北前船主の町並みを散策し、那谷寺にお参りしました。
 那谷寺(なたでら)は、白山信仰の寺で、養老元年(717)越の大徳泰澄神融禅師によって開創されました。禅師は夢にみられた十一面観世音菩薩のお姿を自らお造りになり、洞窟内に安置し、岩屋の胎内をくぐって、人としての罪を白く清める霊場としました。そして、この地にお堂を建立され、白生山岩屋寺と名付けられました。
 その後、寛和2年(986)に西国三十三蕃札所を開かれた花山法皇がこの地においでになった時、洞窟内の観音像を拝せられ、西国三十三ケ所第一番紀伊の那智山と、第三十三番美濃の谷汲山の各一文字をとって那谷寺と改め、七堂伽藍を御造営なされました。
 往時は寺院250ケ坊に及ぶ隆盛を極めましたが、延元3年(1338)南北朝の争い、弘治元年(1555)朝倉景隆により坊舎が焼きつくされました。
 しかし、寛永年間(1640)、加賀藩主前田利常公がその荒廃を嘆き、後水尾天皇の勅命を仰ぎ、岩窟内本殿、拝殿、唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院等を再建、境内の一大庭園を復興され今日の御祈願所とされました。
拝観料600円、書院と庭園を含むと800円。
石川県小松市那谷町ユ-122
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駐車場の前の土産物店



神社のような鳥居があります。

山門

案内図





山門くぐって、すぐ左手に金堂(華王殿)があります。
「ご本尊は十一面千手観音、白山曼荼羅、泰澄神融禅師、中興花山法皇を安置し、那谷寺の年中仏事祈祷はすべてこのお堂で行われます。金堂は650年前に消失したが、再び山岳自然信仰の復興を願って平成2年に建立されました。」







香炉



庭園(名勝指定園)
「寛永年間庫裡と同時に築造されたもので、別部ト斉の作(1640)、園区は元廣大にして東方瀑所在の部に逹していたが近年縮少された。歩石を布置し處々石を立て西方に茶室東方に小池がある。北界に近く椎の大樹がある。東方に池を挾んで杉の巨樹亭立している。庭石は主として瑪瑙石を用い蘚苔青々として老樹と趣をほどこしている。」





























池中央にそば立つ自然石の岩面は3つに別れ阿弥陀三尊の姿といわれ、三尊石と名づけられた。













茶室









庫裏書院(重要文化財)
「寛永14年改築(1637)の建物、利常公自らこの書院に住し、山上善衛門、後藤程乗等を使って、諸堂の再興にあたったと言われます。玄関は土天上、南面二間は仏間兼対面の間、東には装束の間、北は利常公御成の間です。」





普門閣(登録有形文化財)
「那谷寺境内中央に北面して建つ。元は小松市山間部の新保地域にあった春木家住宅主屋を昭和40年に移築したもの。木造二階建、切妻造銅板葺妻入の大型の農家で、前広間型の平面を持ち、東列奥に豪壮な仏間を構える。木柄も太く、当地方の大規模農家の好例。」
建物内は宝物館および休憩所となっています。









参道、江戸時代の石灯篭が歴史を刻み、加賀三代藩主前田利常公が植樹された、小松から那谷寺にいたる御幸街道杉の一部であった古杉が林立します。















奇岩遊仙境(国名勝指定園)
「観音浄土補陀落山を思わせるこの天然公園は、現生のパラダイスとして大切にされてきました。太古の噴火の跡と伝えられ、長い年月の間、波や風雪に洗われ今日の奇岩が形成されました。面積3万3百平方米が国名勝指定園となっています。」



















中門





観音霊水













本堂拝殿(重要文化財)
「桃山時代の慶長2年(1597)建立、懸造、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風及び軒唐破風、背面両下屋根付、檜皮葺。観世音菩薩の慈眼視衆生の大慈悲心の御誓願より、大悲閣と名づけられました。岩窟中腹に建てられ、四方欄間に浮き彫りが施され、鹿、鳳凰、鶴、松、竹、梅、橘、紅葉などが配されています。」



寺院ですが、狛犬があります。



























三重塔(重要文化財)
「大悲閣西南の山上にあり、江戸前期の寛永19年(1642)建立、檜皮葺、方三間三層で、扇垂木を使用。四方の壁面は唐獅子の二十の行態や牡丹の彫刻が施されており、内には、元金堂にあった鎌倉時代の作、胎蔵界大日如来を安置しています。」

























芭蕉の句碑
「元禄2年8月5日、那谷寺を参拝された俳聖芭蕉は、奥の細道の記にこの名句を残しました。」
"石山の 石より白し 秋の風"

翁塚

庚申塚



護摩堂(重要文化財)
「江戸前期の慶安2年(1649)建立、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。壁面には沈思、柔和、昇天、凝視、観閲、雅戯、問答の八相唐獅子及び牡丹の彫刻があり、内陣には平安時代作の不動明王が安置されています。」







鐘楼堂(重要文化財)
「江戸前期の慶安2年(1649)建立、桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、檜皮葺。内には寛永時代、朝鮮より請来した名鐘を吊るしてあります。」



若宮白山神社
那谷寺の守護神として境内の一角にあります。























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加賀市の橋立(重要伝統的建造物群保存地区)

2017-09-27 17:06:05 | 石川
2017年9月24日、加賀観光で、大聖寺の町並み散策の後、加賀市の橋立地区を散策しました。日本遺産に認定されています。
 橋立は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。江戸後期から明治中期にかけて活躍した北前船の船主や船頭が多く居住した集落です。保存地区には往時の様子を伝える船主屋敷が起伏に富む地形に展開しています。敷石や石垣には淡緑青色の笏谷石(しゃくだにいし)が使われ、集落に柔らかな質感を与えています。
 日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定し、様々な文化財を総合的に活用する取り組み支援する制度です。
 日本海岸には、山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。そこには、港に通じる小路が随所に走り、通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、京など遠方に起源がる祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。これらの港町は、各地の繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落を形成してきました。
 北前船は、江戸時代から明治時代にかけて繁栄した商売の形態のことで、大阪と北海道を往復し、莫大な富を得ました。北前船の商売の特徴は、他人の荷物を運んで運賃を稼ぐのではなく、船主が荷主として各地で物を売り買いしながら航海するという点にあります。そのため、うまく行けば大儲けできますが、失敗すれば大損、それどころか遭難すれば、命の危険にさらされることもありました。まさに「板子一枚下は地獄」といった状況だったのです。
 加賀市橋立町には特に北前船主が多く、寛政8年(1796)の記録では、42名の船主の名がみえます。加賀市は船主のふる里と呼ぶにふさわしく、他にも瀬越町、塩屋町など船主が多く出た地域があります。
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北前船主屋敷蔵六園(旧酒谷長一郎家住宅)・登録有形文化財









雑感として、蔵が土塀ではなく、板張りであったことが印象的です。
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大聖寺の町並み散策

2017-09-27 17:05:07 | 石川
2017年9月24日、石川県加賀市の大聖寺の町並み散策しました。
 大聖寺は地名で、大聖寺藩の初代藩主は、前田利常の三男として生まれた前田利治。金山、銀山をひらいたり、九谷焼を興したりするなど、後の大聖寺藩の産業が栄えるもとを築きました。小堀遠州から手ほどきを受けた茶人でもあったと言われています。
 歴代藩主が茶の湯や能などをたしなんだからでしょうか。今も大聖寺は、お花やお茶を教えている人が多かったり、能楽をされる方がいたり、年代ものの九谷の器をそうとは知らずに普段使いしていたり。さりげなくスゴイことをしている人が多い町でもあります。
 大聖寺の町割りは江戸時代からほとんど変わらないままです。









時鐘堂







江沼神社
「前田家の祖先・前田利治と菅原道真をまつる神社、庭園は金沢の兼六園の構想を入れたものと言われています。境内には加賀市出身の作家で「日本百名山」の著者として有名な深田久弥の文学碑もあります。」

















拝殿

















船乗場





山口玄蕃首塚碑
「慶長3年(1598)、豊臣秀吉が死去したことで、天下は、徳川家康に従う東軍と石田光成に従う西軍の2つに大きく分かれて行きました。この加賀の地でも、金沢城の前田利長は東軍に、大聖寺城主であった山口玄蕃は西軍についたため、大聖寺城があった錦城山を舞台に激しい戦いがおきました。慶長5年(1600)7月26日、利長は、およそ2万5千の大軍を率いて、金沢城を出発しました。松任で2、3日逗留した後、8月2日の大聖寺城下の松山村の古城に陣を敷ました。当初は小松城の丹波長重を攻める予定でしたが、小松城の攻略は手間取ると判断し、急遽、大聖寺城を攻めることにしたのです。このとき、大聖寺城の玄蕃軍は勢力は僅か1200人でした。利長は玄蕃に対して石田光成方に味方するのをやめ、徳川方につくように説得しましたが、玄蕃はこれまでの豊臣家に対するご恩をここでお返ししたいと、討ち死に覚悟で一戦を交えることとし、これを聞き入れませんでした。前田勢力は、大聖寺城の鐘が丸に突入し、本格的な合戦となりました。そのすさまじい戦いによって、鐘が丸には血の川が流れ、骨ケ谷は屍の山となったといいます。その日の夕刻には大聖寺城は陥落しました。玄蕃とその子息、右京亮は城内で自害しました。この戦いで、前田勢はおよそ900名、山口勢は800名余の死者を出したといわれています。その後、首塚が建てられました。」



















本善寺











願成寺























蘇梁館
「大聖寺藩を支えた北前船主邸を伊地区したものです。」














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山ノ下寺院群

2017-09-27 17:04:35 | 石川
2017年9月24日、石川県の加賀観光に行きました。神戸より舞鶴若狭自動車道、北陸自動車道と走り、加賀ICで降りて最初の観光地は、大聖寺です。
 大聖寺は、古くは白山信仰の中心、白山五院のひとつ「大聖寺」があったと言われていますが、今は地名として残っています。江戸時代には加賀藩前田家の分家として、「大聖寺藩前田家」が生まれました。本家の百万石と違い、七万石(のち十万石)の小さな城下町でしたが、独自の文化や美意識が育まれました。
 大聖寺の町割りは、江戸時代からほとんど変わっていません。町名にも城下町らしい名前が多く残っています。鍛冶町、鉄砲町、鷹匠町、京町など、かつての生業やどんな人が住んでいたかを表しています。
 大聖寺城址、現在は錦城山公園となっていますが、ここより南一帯を寺院群として配置されています。
蘇梁館前の観光用駐車場に自動車を止めて、寺ノ下寺院群を散策します。
「大聖寺寺下の南西部に連なる丘陵地、石堂山の北東部に位置するところは、寺院と下級武士の屋敷が多く集まった町で、古くは「山の下寺町」と呼ばれた。天明6年(1786)の大聖寺町絵図には西の方から神明宮、白山社、本光寺、宗寿寺、正覚寺、全昌寺が描かれており、下屋敷に抜ける道の両側に足軽や徒士などの下級武士の屋敷が続いていた。『大聖寺藩史』によれば、寛永末頃、城下の整備に伴い、大聖寺藩は、越前との国境との防御を兼ねて、意図的に寺院を集めたとされている。いずれも禅宗、浄土宗、日蓮宗の三宗に限られており、前田家と激しく敵対した浄土真宗の寺院は除外された。」
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久法寺







全昌寺
「曹洞宗の寺院で山号を熊谷山という。この寺はもと山代にあったが、慶長2年(1597)大聖寺藩主山口玄蕃頭宗永公の信仰を得て大聖寺に移された。元禄2年(1689)8月俳人芭蕉と曽良が奥の細道行脚の途中ここに宿泊されたさの時の句は後に句碑として境内に残っている。寺宝には杉風作の芭蕉木像、兆殿司の作と伝えられる絹本著色釈迦三尊十羅刹女図、太閤秀吉朱印状等がある。また、別棟に慶応3年(1867)作の五百羅漢像が五百体揃って安置されている。」





正覚寺











宗寿寺

旧大聖寺関所門







本光寺







旧月田家住宅(登録有形文化財)
「大聖寺の城下町としての基礎ができるのは天正11年(1583)溝口秀勝の頃からとされていますが、現在残されている町割りは大聖寺藩成立以降と考えられています。町割りは藩邸の東側に向かって伸びており、藩邸周辺には家老など上級の武家屋敷が取り囲み、中級武士は水害に遭いにくい北東部耳聞山町周辺に集中していました。一方町人は中央部の福田町や中町に、職人たちは弓町や鍛冶町などに多く居住し、基本的な町割りや道筋は、現在も江戸時代の姿をよく残しています。旧月田家住宅は、大聖寺藩の下級侍であった家柄の建物です。文化11年(1814)頃に描かれたとされる「大聖寺町絵図」でも現在地に月田大助の名があることから、少なくとも幕末には建てられていたものと考えられます。建物の玄関。押入れ、縁などの一部には改造の跡があるものの基本形はよく残されており。大変貴重なものとなっています。」





加賀神明宮
『昭和34年の改称以前は「山下神社」と称し、江戸時代には神明宮と称していました。旧縣社で祭神は天照大神で、1616年に現在地に移り金沢藩より社領を寄進されています。現拝殿は文政7年(1824)再建の棟札があり、南の山上には白山宮が鎮座しています。白山宮は1642年大聖寺初代藩主前田利治より社領を寄進され1652年社殿を再建、棟札には「大勝寺氏神」と記されています。50m先の熊坂川に架かる神橋前に一の鳥居が建立されています。白山神社、琴平神社、松尾神社、橋姫神社の境内社があります。』
熊坂川

一の鳥居







参道

境内













拝殿

狛犬











本殿





白山神社























橋姫神社





松尾神社

琴平神社


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