旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

菊花展覧会(明石公園)

2020-10-26 16:46:23 | 明石市
2020年10月26日、兵庫県立明石公園での菊花展覧会が開催されていましたので行きました。
期間は10月24日から11月15日です。平日は10時から16時、土日祝日は9時から17時開催しています。



学校園関係の菊がお出迎えです。











協賛出品















三木立花壇















参考展示

意匠花壇



展覧会場と明石城の櫓





盆栽花壇





小品盆栽







































大八菊組















































































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鬪雞神社

2020-10-14 20:13:35 | 和歌山
2020年10月12日、南紀白浜に宿泊し帰路、お参りしました。
説明書より「田辺の宮に熊野権現を祀り、熊野別当湛増が社前で紅白の鶏を7度、闘わせ、全て白鶏が勝ったので源氏に味方して屋島壇之浦の戦に源氏を援けたことから、この名前がついたと言われています。」
和歌山県田辺市東陽1-1
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鳥居

社標

手水舎





社務所





拝殿



中殿

本殿、工事中でした。



御神木の大楠(田辺市指定天然記念物)
「樹齢約1200年、樹高14m、根本周囲11m」





弁慶社
「紀州田辺は弁慶生誕の地と伝わり、奥州平泉で弁慶が亡くなった事を悼み植えられた弁慶松に祀られていた御霊。」

藤厳神社
「 祭神は安藤直次、紀伊田辺藩初代藩主で紀州藩附家老」



えびす社

玉置神社

西殿(上四社)



下段(下四社)

八百萬殿(満山宮)

淡水柏木常雄碑



湛増弁慶の像

神馬

鶏姫弁財天社

太鼓橋



椰(なぎ)の木
「マキ科の常緑高木。雄雌異株。葉は披針形(竹の葉に似る)で、多数の平行脈を有し強靭で光沢がある。」
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平草原公園・とれとれ市場

2020-10-14 18:20:53 | 和歌山
2020年10月12日、南紀白浜に宿泊し帰路の途中で寄りました。
平草原(へいそうげん)公園
「園内には、2,000本の桜の木(ソメイヨシノ)があり、春の花見シーズンになると、連日、町内外からたくさんの観光客の方が訪れます。また、季節ごとに水仙や菜の花など四季折々の花が園内に咲き誇り、撮影スポットにもなっています。バラが咲いているので寄り道です。」
和歌山県西牟婁郡白浜町2054-1
map



















































南紀白浜とれとれ市場
和歌山県道33号線にありましたので、寄り道です。
海産物や土産物、梅干し、魚介類を買ってバーベキュが出来ます。食堂もあります。
和歌山県西牟婁郡白浜町堅田2498-1
map

みかんとバニラ、ブルーベリーのソフトクリーム

水槽

うろうろと買い物です。



お昼になったので、昼食です。とれとれ真鯛の風味付け丼、海鮮うどん
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リヴァージュ・スパひきがわ

2020-10-14 08:50:48 | 温泉、旅館、ホテル
2020年10月11日、利用しました。台風14号が心配でしたが、前日に通りすぎました。
 白浜温泉の少し南側に位置する南紀白浜の日置川温泉です。pH10.1の強アルカリ性泉で、浴槽に浸かるとヌルヌルという感じですね。今までの温泉で一番つるすべ感です。大浴場には大浴槽、源泉の湯、備長炭の湯、蓬生の湯、露天風呂、サウナ風呂、泡風呂などがあります。すべての部屋が太平洋に面するオーシャンビューです。12畳和室に縁です。プラン名は[オリジナル2大特典付き、笑顔あふれる記念日プラン]です。夕食は[おまかせ美食]、朝食は和洋個別御膳スタイルです。
和歌山県西牟婁郡白浜町日置1013-25
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外観







玄関



フロント



ロビー

売店

廊下









卓球コーナー





ラウンジ

室内







おもてなし

室内からの景色



夕食です。



アニバーサリーのスパークリングワインハーフボトル

前菜、豆乳胡麻豆腐・栗の白和え・太刀魚南蛮漬け・薩摩芋の揚げ饅頭・合鴨ロースとフルーツをバジルのソースで

船盛、那智勝浦産鮪・中トロと赤身・甘烏賊・鯛・天使海老・蛸・太刀魚

温物、紀州九絵と大根の炊き合わせ

台の物、熊野牛ロースときのこの投入小鍋仕





和歌山ももワインを注文

強肴、氷の器で、蒸し鮑を梅香る泡でサラダ仕立て

揚物、熊野灘の伊勢海老アーモンド揚げ・地元で採れた無花果と秋の山菜・素材を活かして天婦羅・紀州の柚子塩・炭塩

釜飯



赤出汁と香の物

デザート、季節のフルーツ



アニバーサリーのフルーツ盛り合わせ

朝食です。
籠膳
漬け鮪トロロ掛け

地野菜サラダ

龍神椎茸と大山赤鶏の茶碗蒸し

地元野菜の天婦羅、南瓜・ピーマン

金山寺味噌・紀州南高梅・紀ノ川漬け・青海苔・味海苔

金平・こんにゃく煮・ひじき

皿盛り、紀州梅卵の出汁巻き卵、鯖の塩焼き



デザート、紀州みかんジャムヨーグルト・本日の果物

ホテル近辺を散策
道の駅志原海岸

















海上遭難者供養塔
























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波太神社・鳥取神社

2020-10-13 23:51:00 | 大阪
2020年10月11日、お参りしました。
説明書より「鳥取氏の祖神である角凝命を桑畑に祭ったことから、『波太』の名がついたものと思われます。正確な創建の年代はわかりませんが、927年に完成した『延喜式』という当時の政治に関する規則を記した書物には、鳥取郷の総社として記載がみられることから、その当時には既に創建されていたようです。桑畑から現在の地に移されたのは、いつ頃なのかはわかっていませんが、貝掛の指出森神社を合祀し神々をひとつの神社に祭ることとしたため、本殿には波太宮(祭神は角凝命)と八幡宮(祭神は応神天皇)が祭られ、末社三神社には天湯河板擧命、神功皇后、武内宿祢が祭られています。1577年(天正5年)には織田信長の紀州雑賀攻めの時、本陣がおかれたという記述が『信長公記』にみられます。本殿の前にある石灯籠は1600年(慶長5年)の銘があり、豊臣家の重臣片桐且元が寄進したものと伝えられています。」
大阪府阪南市石田167
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社標

灯籠

鳥居

狛犬



参道



太鼓橋

社務所

手水舎



神馬









ヒノキ

拝殿





狛犬



灯籠

本殿(重要文化財)
「江戸前期の1638年(寛永15年)建立、三間社流造、正面千鳥破風二カ所及び中央軒唐破風付、銅板葺。」





末社厳島神社



末社門神社

鳥取神社
「祭神は天忍穂耳命、紀州街道は山中の宿場に祀られていた往時は山越えする旅人達が健脚を祈願したことから今も『足軽さん』と親しみ信仰が厚い。当神社は、明治41年3月26日に合併し、鳥取中地区の村社八幡神社を合祀する。この地は元、波太神社の神主田島家の屋敷跡で当時田圃となっていたものを買い入れ、社殿・拝殿・幣殿・社務所等が造営された。当神社は、明治から大正初期にかけて推進された政府・地方官主導の神社合併政策で創立されることとなる。」



















鳥取戎社






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上善寺

2020-10-13 22:16:27 | 大阪
2020年10月11日、お参りしました。
「浄土宗知恩院の末寺で、山号は白道山、戦国時代の初め、1512年に建立したと伝えられています。」
大阪府泉佐野市栄町10-5
map
表門(登録有形文化財)
「明治前期(1868年-1911年)建立、木造、瓦葺、間口3.5m。本堂の正面、通りに西面して建つ。切妻造本瓦葺の四脚門、本柱は円柱で、その前後に方柱を建てる。組物は三斗組で、妻は虹梁大瓶束。軒は二軒繁垂木。中央に両開桟唐戸をたてる。組物間や扉上部等が植物紋様や動物の彫刻で充たされる。」

裏門(登録有形文化財)
「江戸中期(1661年-1750年)建立、木造、瓦葺、間口2.5m、両脇袖塀付。庫裏の西、孝子越街道に北面する。切妻造本瓦葺の一間薬医門。両脇に袖塀を設け、東袖塀に潜りを開ける。本柱は五平柱で、控柱は面取方柱。一軒半繁垂木。妻と冠木中備に板蟇股を置く。旧佐野町場の町並みに建つ、重厚な門である。」

手水舎

境内

鐘楼(登録有形文化財)
「江戸時代の1797年(寛政9年)建立、木造、瓦葺、面積16㎡。本堂の南方に位置する南北棟の吹放ち鐘楼で、屋根は切妻造本瓦葺。桁行3.9m梁間3.6m、切石積基壇上に四方転びに円柱を建て、貫や台輪で固める。三斗組で、妻は虹梁大瓶束、軒は二軒繁垂木。笈形や木鼻、中備などに貘や獅子ほかの良質な彫物が配される。」

銅鐘

本堂(登録有形文化財)
「江戸時代の1683年(天和3年)建立、木造平屋建、瓦葺、建築面積380㎡。境内のほぼ中央に西面して建つ。入母屋造本瓦葺の七間堂で、正面に一間向拝を付ける。内・外陣からなる典型的な浄土宗平面に、正面に広縁、両側面入側一間半に各3室を設ける特徴的な平面になる。正面各間には両開双折桟唐戸をたてる。大規模な浄土宗本堂の一例。」











庫裏(登録有形文化財)
「江戸後期(1751年-1829年)建立、木造平屋建、瓦葺、建築面積322㎡。本堂の西北に南面して建つ。南北棟の切妻造妻入本瓦葺で、正面14m奥行16mと規模の大きな庫裏である。東側面には桁行5.6m梁間9.0mの切妻屋根を張り出し、その南面に式台を付ける。棟に煙出を載せ、妻正面には虹梁や束、貫からなる架構を表す。」

観音堂






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願泉寺

2020-10-13 21:22:16 | 大阪
2020年10月11日、お参りしました。
説明書より「1545年(天文14年)、無住であった草庵に紀州根来寺から卜半斎了珍を迎え、一向宗の町づくりが始められた。石山本願寺から寺内町にとり立てられた後、1577年(天正5年)には、その支城として織田信長と戦い、町は焦土と化した。その後、寺も町も再興され、1583年(天正11年)から2年の間、紀州鷺ノ森より顕如上人を迎えて本願寺御堂となった。江戸時代には、町は寺領とされ、住職のト半家の支配が続いた。願泉寺の名は、1607年(慶長12年)准如上人から授けられた。」
大阪府貝塚市中町5番1号
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貝塚寺内町
「南北800m、東西約550mの広さをもつ環濠城塞都市であった。西は大阪湾、北は北境川、南は清水川を濠と見立て、これらをつなぐ形で東に濠をめぐらしていた。1648年(慶安元年)の町絵図によれば、濠の内側には土塁が築かれ、6ケ所の町の出入口には番所がおかれていた。後年拡幅された中の町通りと府道堺阪南線を除けば、街路はほぼ当時のまま、現在も使われている。」

表門(重要文化財)
「江戸中期の1679年(延宝7年)建立、四脚門、切妻造、本瓦葺。」















井戸屋形



経蔵(貝塚市指定建造物)

鐘楼

太鼓堂(重要文化財)
「江戸中期の1719年(享保4年)建立、桁行三間、梁間三間、二重二階、入母屋造、本瓦葺。」

本堂(重要文化財)
「江戸中期の1663年(寛文3年)建立、桁行27.8m、梁間27.0m、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺。」





書院
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感田神社

2020-10-13 20:18:12 | 大阪
2020年10月11日、お参りしました。
説明書より「もとは感田瓦大明神と称し、貝塚寺町の産土神である。創建は明らかではなく、天照大神、素戔嗚尊、菅原道真を祭神とする。1648年(慶安元年)社殿が再建され、宗福寺の住職が社僧として祭祀にあたるようになった。1766年(明和3年)に大明神の号を授けられる。明治に神仏分離によって神職をおかれ、1872年(明治5年)に郷社とされる。」
大阪府貝塚市中町10-1
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社標

鳥居

石碑

神門(登録有形文化財)
「江戸時代の1780年(安永9年)建立、木造2階建、瓦葺、建築面積38㎡。南北の通りから少し東に入った位置に建つ。三間一戸二重門、入母屋造本瓦葺。初重は大斗肘木で、出桁造とし、一軒繁垂木。上重は平三斗で二軒扇垂木とする。初重両脇間には金剛柵と花頭窓を構え、上重には格狭間風に窓を開ける。独特な意匠構成になる神門。」



狛犬



南門(登録有形文化財)
「1780年(安永9年)、大工種子島源左衛門によって建てられたもの。境内地南辺のほぼ中央に建つ。間口4.1mと規模の大きい、一間一戸高麗門。屋根は切妻造本瓦葺。切石上に五平柱を建て、楣で固める。肘木と斗で支えられた男梁が深く軒桁を持ち出す。軒は一軒疎垂木。脇の土塀とともに、敷地南面の街路景観をつくる。」

手水舎



御神木

境内

神馬
「1758年(宝暦8年)、細工人岸上武左衛門の作である。」

社務所

拝殿

狛犬



末社琴平神社(登録有形文化財)
「江戸時代の1773年(安永2年)建立、造平屋建、瓦葺、建築面積28㎡。境内地中央に東面して建つ。桁行4.8m梁間5.8mの木造平屋建で、その内部を方2.9mに画し、後半に壇を設け、三間社風に神殿を造る。神殿は正面に擬宝珠高欄付の木階と縁を設け、円柱で出組とし、二軒繁垂木。屋根は軒唐破風付檜皮葺。末社社殿の一例。」



五之社鳥居

末社神明神社(登録有形文化財)

末社住吉神社(登録有形文化財)

末社春日神社(登録有形文化財)

神輿蔵(登録有形文化財)
「明治中期の1868年-1911年に建立、土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積21㎡。一之社本殿の南側に東面して建つ。桁行4.9m梁間4.2mの土蔵造平屋建。切妻造妻入本瓦葺。内部は一室で、中央の土間に神輿を置き、側・背面に低い板床を張る。外壁は腰板張とする白漆喰仕上げで、正面には銅板葺の唐破風を付け、印象的な意匠にまとめる。」

神楽殿(登録有形文化財)
「1954年(昭和29年)再建、木造平屋建、瓦葺、建築面積25㎡。境内地の東方に東西棟で建つ。桁行3間梁間2間半の木造平屋建で、北・西・南面に擬宝珠高欄付の切目縁をまわす。入母屋造桟瓦葺。内部は一室で、格天井を張る。東面は中央半間に神棚を造る。神事の際に西面中央柱を取り外し、広く開放とする。」

参集殿(登録有形文化財)
「1882年(明治15年)移築、境内地の北辺に建つ、東西に細長い建物。屋根は本瓦葺で、東半部を入母屋造、西半部を切妻造とし、中央東寄りに入母屋造の式台を設ける。東端にはトコと違棚、平書院を構える十二畳半、その西に同規模の次の間を置き、縁をまわす。上質なつくりになる座敷。」



末社海幸戎神社

末社潜戸神社

初姫稲荷神社


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岸和田城

2020-10-13 18:26:08 | 大阪
2020年10月11日、拝城しました。
「岸和田古城が築城されたのは15世紀後半と言われています。天守閣は1827年(文政10年)に落雷で焼失、維新期には櫓・門など城郭施設を自ら破壊したため、近世以前の構造物は堀と石垣以外には残存していません。現天守閣は、1954年(昭和29年)に建造された3層3階の天守です。城跡は1933年(昭和18年)に大阪府指定史跡となりました。」
大阪府岸和田市岸城町9−1
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兵主(ひょうず)神社

2020-10-13 18:11:14 | 大阪
2020年10月11日、お参りしました。
由緒書より「延喜式内社祭神は天照大神、八幡大神、菅原道真旧帰守郷の総社で西之内、上松、下松、尾生など近隣十二か村を氏子区域とし禰宜一人ずつを出して当社に奉仕していたという天正年間に社殿が焼失した後各村はそれぞれ氏神を勧請したため以降は西之内村のみで祭祀した。ただ雨降りの神として崇敬を受けていたため旱天の際の祈雨祭には従前の十二か村から庄屋年寄が出仕したという社殿は豊臣秀吉の再建と伝え、1873年(明治6年)に郷社に列格し、兵主神社と改称、1909年(明治42年)に下松村の八幡神社、菅原神社、厳島神社を合祀し両村で奉仕し今日に至る。」
大阪府岸和田市西之内町1−1
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社標

鳥居

参道

御神木



手水舎



社務所

拝殿





本殿(重要文化財)
「桃山時代の1573年-1614年頃に建立、三間社流造、正面軒唐破風付、檜皮葺。」

龍王神社











三宝荒神社

牛神社



大宮戎社



大宮稲荷社


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