旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

箸蔵寺

2019-07-06 21:35:10 | 徳島
2019年7月3日、四国観光で1泊2日の旅行です。貞光の町並み散策の後に、箸蔵寺にお参りしました。
ロープウェイは往復1540円です。15分間隔で運行しています。
パンフレットより「真言宗別格本山箸蔵寺は、箸蔵山600mの山頂にあり約1200年の昔、弘法大師がこの地で修行された折、金毘羅大権現のお告げを受け、本尊として箸蔵寺をお開きになりました。以来、杉、桧がうっそうと茂る中に国指定重要文化財の本殿、薬師堂、護摩堂等30余りの建物が点在し、左甚五郎の弟子の作といわれる彫刻と箸の寺として全国より参拝者が訪れております。また四国別格霊場二十ケ寺の15番札所、四国三十六不動霊場第4番札所としても多くのお遍路さんが参拝に訪れております。」
徳島県三好市池田町州津蔵谷1006
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箸蔵寺駅









境内案内図

中門(国登録有形文化財)
「中門は、伽藍中段にある方丈に入る門で、東西棟で建つ。切妻造桟瓦葺の一間薬医門で、門の両脇に袖塀を付け、片引きの潜り戸を開き、規模が大きく威厳のある構えとなっている。構造は、五平の本柱を冠木や虹梁形のまぐさで固め、男梁を四通りに架す。男梁上に大斗肘木を置き、梁や桁を支持している。一軒疎垂木で、妻虹梁大瓶束を乗せ、全面に格天井を張っている。中央の男梁下の女梁を省略し、柱筋のみ化粧的な籠彫りの女梁を挿している。建築年代は、組物等から明治初頭の建立と推察される。」

方丈(重要文化財)
「方丈(本坊)は東西に長い建物で部屋がいくつもあり、寝泊まりする人への食事を準備する庫裏や宿坊・読経所・書院・離座敷などと接合する大規模な建築である。1856(安政3)年の箆書きがある平瓦が残り、本殿との一連の造営と一致している。建物全体は入母屋造であるが、方丈やや中央に張り出しの切妻造で妻側に建築年代を示す唐破風の装飾が付けられる大玄関がある。その西側には小玄関があり大玄関から小玄関の廻りが方丈の顔となる。特に開閉装置の戸袋の彫刻は荘厳で鏡板全面に虎の彫刻が施されている。このような大規模で装飾的な建築は四国にも類がなく、その時代の建築を知る上で貴重な建造物である。」









境内

納経所

護摩殿(重要文化財)
「護摩電は本殿を少し小さくしたような建物で、全体の構成や彫刻の様子もほぼ同じであることから造営の時期は本殿と同じ時期といわれる。建物は入母屋造の外陣と宝形造の奥殿を切妻造の内陣で繫いだ複合殿形式であり、本殿同様規模が大きく、目を見張る建築である。意匠も優れており、組物は外陣が三手先、内陣が二手先、奥殿が三手先とし、建物の格付けに合わせて使われているほか、彫刻が多用され、装飾性を高めている。このように複合社殿形式としながらも奥殿屋根のように仏寺建築を混交する手法は極めて特異性を持ち、その時代の建築を知る上で貴重な建築物である。」





















ぼけ封じ観音

般若心経 昇経段
「この階段は本坊より本殿までの石段の段数が278段となっています。これは仏教で最も読経されている『般若心経』の文字数と同じです。」







鐘楼堂(重要文化財)
「鐘楼堂は護摩堂や薬師堂と一連の造営で江戸時代末期から明治初期に建立されたといわれている。一般の鐘楼によく見られる袴腰風の造りとは逆の発想で下層の柱の間を板壁で囲う楼造とする特異な建物で、四本柱の鐘楼と比べるとひと回り大きい建築である。屋根は勾配の緩やかな入母屋造で桟瓦を葺き、軒には一軒の扇状の垂木を配し禅宗の造り方を取り入れている。境内にある他の建物に比べると、彫刻が少なく簡素な意匠であるのは鐘を撞くという機能を優先させたものといわれている。」







本殿への階段



薬師堂(重要文化財)
「薬師堂は祈祷札から1861(文久元)年直前の建立といわれている。建物は三間四方で宝形造の屋根を付け、正面に一間の向拝を構える。組物は身舎を平三斗、向拝を出三斗とし、附属堂の様相を示している。堂内にある厨子は虹梁や木鼻の絵様から江戸時代中期の様相を顕している。破風尻など至るところに彫金を多用し、浅唐戸、中備え彫刻など全体に彩色するなど賑やかに仕上げられ、禅宗様式が色濃く出ている。建物より古く1826(文政9)年の大火の際に持ち出され、火災を免れたものと言われている。このような装飾的な建築は四国にも類がなく、その時代の建築を知る上で貴重な建築物である。」











天神社本殿(重要文化財)
「天神社本殿は小さな社であるが細部まで彫刻が多用され、虹梁の絵様などから江戸末期一連の造営といわれている。建物は土台建てで間口が一間の流造と呼ばれる形式の社殿で屋根は銅板で葺かれている。神仏の信仰が混在していた時期には寺院に神社があるのは普通であって、今日では神社の形をしていても仏堂の名を使う寺院が多いので箸蔵寺ではかつての信仰の様子をよく残していることがわかる神社本殿である。このような特異で見応えのある建築物は四国にも類がなく、その時代の建築を知る上で貴重な建築物である。」





十三重の塔

御影堂









手水舎(国登録有形文化財)
「手水舎は、伽藍最上段の本殿東南に位置する。方一間で四方を吹放しとし、軒は二軒繁垂木、屋根は南北棟の入母屋造桟瓦葺である。礎盤上に立てた角柱を虹梁型頭貫と台輪で固める。内部は格天井を張り、組物は出組詰組とする。琵琶板に植物紋様を飾り、手水鉢の四隅を邪鬼で支えるなど、小規模ながら装飾性に富む手水舎である。建築年代は手水鉢銘や内部の長押面に取り付けられた額により、1896(明治29)年と推測される。現在も建築当時の姿をとどめ、時代の特徴がよく表れた箸蔵寺の特徴的な建造物として、国の登録有形文化財に認められた。」

本殿(重要文化財)
「箸蔵寺では中心建物を本殿と呼び、仏教と神道が一体となっていた時代の様相を色濃く残している。建物は外陣、内陣、奥殿からなり、山を背に建てられているため、外陣向拝部の地面から奥殿仏間の床までの高低差は11.38メートルある。入母屋造の奥殿と入母屋造の外陣を切妻造の内陣で繫いだ複合社殿形式で全国的にも最大級の規模を有する。細部の意匠が特に優れており、組物や彫刻が多用されている。1854(安政元)年以降に着工され、1861(文久元)年までに一部の制作を残しほぼ完成したといわれ、全てが完成したのは明治初頭といわれる。このような大規模で装飾的な社殿建築は四国にも類がなく、その時代の建築を知る上で貴重な建造物である。」























神馬

大聖不動明王









観音堂(徳島県指定有形文化財)
「観音堂は箸蔵寺で一番古い建物で細部の意匠や絵様から江戸初期に造られたといわれている。境内の奥まった位置に建ち、1912~26(大正)年間に清水寺[せいすいじ](徳島市)から移築されたとものといわれている。建物は入母屋造で大柄で本格的な三間堂である。江戸時代では禅宗の要素を用いることが多く、この仏堂にも台輪や木鼻があるが組物のほかは伝統的な仏堂の手法を用いている本格的な建物である。軒を支える組物は桃山様式を踏襲した和様の三手先と複雑で、寺院の中心の建物であったことを示している。内部は一室として奥に半間ほどの仏壇を構える。このような江戸時代初期まで遡る仏堂は県下でも少なく、その時代の建築を知る上で貴重な建築物である。




















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貞光の二層うだつの町並み

2019-07-06 21:31:30 | 徳島
2019年7月3日、四国観光をしました。神戸から明石海峡大橋、大鳴門橋、徳島自動車道、美馬ICで降りて、つるぎ町貞光に寄りました。九州は大雨との天気予報で心配しながら行きました。少し雨が降り中の観光です。まちなみ交流館に観光用の無料駐車場があります。
 つるぎ町は徳島県北西部に位置し、徳島市から吉野川を西に約60km上流です。JR徳島線の貞光駅から東南600mのところに古い町並みが広がります。
 貞光は江戸中期以降の郷町で商業と交通の要衝として栄えてきた。1955(昭和30)年頃まで、山村の葉煙草の収納、繭・こんにゃくの収穫と引き換えにに、農具・日用品・薬品などを購入する人々で賑わいを見せていて、脇町とならんで二大商業地を形成していた。一宇街道に沿う北町~南町への街路には商家が軒を並べ「うだつ」がその繁栄を象徴している。
 貞光のうだつは種類が多く、彫刻が施されているものもあり多種多様である。うだつに最初は鳥衾や鬼瓦を乗せる程度だったが次第に破風や懸魚、宝珠、家紋などがつけられるようになった。さらに漆喰で塗った上に鏝で風景や動植物なども描いているものもある。
道の駅貞光ゆうゆう館
徳島県美馬郡つるぎ町貞光大須賀

松尾神社



南に向かって歩きます。
二層厨子上下共切妻型



鯱の装飾瓦

つるぎの女神・酒の神様

単層二階切妻型

通り

二層厨子上下共切妻型



単層二階切妻型



屋根の鬼瓦

二層厨子上下共切妻型





旧永井家庄屋屋敷(つるぎ町指定有形文化財)
「南に切妻本瓦葺の表門を開き、築地塀に囲まれた約550坪の敷地の中に、母屋(主屋)、蔵やネドコ2棟等の建物群、また、井戸や鶴亀蓬莱庭(座視観賞式)等、その歴史を今に伝えるたたずまいを色濃く残している。18世紀後期に創建され、19世紀前期から明治時代に間取りの骨格が整ったであろう主屋を始め、蔵やネドコ2棟等の建物群が、今日まで維持されてきたこと自体希少なことである。」入館無料







































再び町並みへ
単層厨子切妻型

単層二階切妻型

二層厨子上下共切妻型、鏝絵・本家宇山(家号)

鏝絵・鯉の滝昇り



虫籠窓

二層厨子上下共切妻型







単層二階切妻型

二層厨子上下共切妻型、鏝絵・松と鷹









鏝絵・亀






















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大歩危峡(国の天然記念物)

2015-09-13 16:29:30 | 徳島
2015年9月8日、高知宿泊後、帰路の途中、大歩危峡に寄りました。少し小雨でしたが、遊覧船に乗りました。1080円です。
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『大股で歩けば危ない、小股で歩いても危ないといわれています。古語で「ホキ」は渓流に臨んだ断崖を意味するとされています。2億年の時を経て四国山地を横切る吉野川の激流によって創られた約8kmにわたる溪谷です。』
道の駅大歩危附近から







道の駅に「妖怪屋敷」があります。



地図

道の駅









周辺マップ







道の駅から少し北側に遊覧船乗り場があります。遊覧船です。

乗船します。全員がオレンジ色のセーフジャケットを着用します。

川を下ります。



































































































鯉がいます。



ここでUターンし川を登ります。岩肌の斜めのラインが川の中から外は右が上になります。

鴨もいます。



















































船着き場に戻ってきました。



船着き場には小魚が一杯いました。約30分の遊覧でした。







大歩危から少し南に戻り県道45号線、県道32号線を走り、祖谷渓(いやけい)に行きます。小便小僧です。















展望台ですが、樹木で渓谷はあまり見れませんでした。



モミジが青々としています。



県道32号線は細くて、通行は危険ですね。対向車はかわせないですね。昼間ですが、対向車によく判るようにライトを点けて走りました。気づいたらお互いが、少し待っているという感じでした。小歩危の方を行けばよかったと思います。
全部、見ていただいてありがとうございました。お疲れさまでした。ドラブインを度々覗きながら、無事神戸に帰りました。




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薬王寺(四国霊場第23番札所)

2015-09-10 14:33:17 | 徳島
2015年9月6日、丈六寺の後、約40キロ南の薬王寺にお参りしました。四国2泊3日旅行の初日の最後の寺院です。
高野山真言宗の寺院で、山号は醫王山です。
「当薬王寺は、神亀3年(726年)行基菩薩が聖武天皇の勅願を受け、この地に巡錫し一寺を建立した。弘仁6年(815年)に弘法大師が42歳のとき、平城天皇の勅命によって本尊厄除薬師如来を刻んで開基された。当寺は厄除根本御祈願所として、全国にその名を知られている。また、高野山真言宗の別格本山とされ、嵯峨上皇・淳和天皇は厄除の祈誓を願われ、土御門上皇は嘉禄2年皇居として行在せられた。そして、後嵯峨天皇は、寛元元年当山の伽藍を再建をして、仁助親王が落慶の法筵に入られたと伝えられている。」 
徳島県海部郡美波町奥河内寺前285番地1
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案内図

寺標

厄除橋







仁王門

仁王





参道



女厄坂、33段あります。





絵馬堂



石臼と大香炉





鐘楼堂



方丈





男厄坂、42段あります。

本堂













魚藍観音

随求塔

随求の鐘

大楠(美波町指定天然記念物)





地蔵堂



十王堂



大師堂



供養塔

鎮守堂

雲牌堂

還暦厄坂、61段です。

瑜祇塔

景色です。















本坊





お寺もそうですが、道路を走っていても白装束や輪袈裟をした方をたくさん見かけます。道路をテクテクと歩いています。挨拶しいろいろと話かけると、それぞれの思いでお参りしているのだと感じます。若い方もよく見かけます。外国人の方もいますね。
 お寺や神社などの史跡や文化財は、説明書などを見ていくと様々な歴史の証人であると感じます。世界で様々な戦争、紛争で命が奪われるのに心を痛めます。(合掌)
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丈六寺・本堂(重要文化財)

2015-09-09 23:31:26 | 徳島
2015年9月6日、お参りしました。美馬市脇町を後にして徳島道で徳島に戻りました。
曹洞宗の寺院で、山号は瑞麟山です。
寺伝によれば、寺の歴史は白雉元年(650年)に関東地方よりたどり着いた尼僧が、この地に庵を構えたことに始まると伝えられています。
徳島県徳島市丈六町丈領32
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境内図

中老生駒家墓碑

鐘楼



中門





戒壇石

三門(重要文化財)
「この門は室町時代末期の16世紀に建立された。徳島県下最古且つ優美で県を代表する建築文化財である。この門の形は、和様・唐様折衷の重層、間口が三間で三か所とも出入りするので三間三戸の門と呼ぶ。柱は丸く上部が細い粽柱で下に礎盤を置く。二階の窓は火燈窓である。それらを唐様と呼ぶ。垂木が多いことなどは和様である。」









僧堂

本堂(重要文化財)
説明書
「寛永6年(1629)蜂須賀蓬庵が娘辰(美濃国加納城主松平忠光夫人)の供養のため、方丈を再建寄進したものである。」











徳雲院(徳島県指定文化財)
説明書
「細川持隆が寄進した瑠璃殿を子の真之が、永禄6年に改築して持隆の法名の徳雲院と改称した。現在の堂宇は、寛永19年(1642)に再建されたものです。」







鐘楼





経蔵(重要文化財)
説明書
「室町末期の永禄11年(1568)細川真之が修行僧が座禅の修行をする僧堂を寄進建立した。江戸中期の享保12年(1727)奥行を1間縮小して二間後ろに移築し、経蔵に改めた。納められた一切経は明国で1616年に出版された径山版大蔵経で、徳島市指定文化財となっている。」



遍照庵観音

観音堂(重要文化財)
説明書
「室町末期の永禄10年(1567年)、細川真之により建立された。現存する建物は江戸時代初期の慶安元年(1648年)と昭和32年(1957年)に解体修理された。」








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美馬市脇町南町(重要伝統的建造物群保存地区)

2015-09-09 20:45:57 | 徳島
2015年9月6日、脇町南町を散策しました。金泉寺を後にして徳島道で脇町ICで降りて西に約4キロ県道12号線、道の駅・藍ランドうだつに駐車して散策です。
脇町の南町通に約400mにわたって続く町並みで、江戸半期より藍に沸き繭に栄えた商いの町です。
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美馬市周辺観光案内図

船着場

お昼となったので、茶里庵で昼食です。郷土料理のそば米雑炊セット(飲み物付き)をいただきました。









吉田家住宅









田村家





















































うだつの説明書





























































































脇町劇場オデオン座





















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金泉寺(こんせんじ)・四国霊場第3番札所

2015-09-09 20:01:06 | 徳島
2015年9月6日、お参りしました。極楽寺から約3キロ西側にあります。
説明書より
「当山は徳島県板野郡板野町大寺という地名に所在し、亀光山釈迦院金泉寺と称す。本尊は、釈迦、阿弥陀、薬師の三如来を奉祀し、高野山真言宗に属し、四国霊場第3番なり。当山の創建は聖武天皇の勅願にて、天平年間に鎮護国家のため、行基菩薩をしてこの地に寺塔を建立せしめ、金光明寺と号せり。その寺域は頗る広く、今に地名を大寺という。その後、大同年間、弘法大師四国霊場御開創にて御巡錫の折、住民常に水不足にて苦しむのを知り、井戸を掘らせられるに、不思議や霊水こんこんとして湧きだし、住民これを見て金泉と称えた。大師金光明寺を再建し、寺号を金泉寺と改めた。その後、亀山天皇、弘法大師の遺跡また霊場を順拝し、堂舎を建立した。」

山門

仁王



参道



手水舎

鐘楼



大師堂



観音堂





黄金地蔵尊

閻魔堂

本堂











倶利迦羅龍王

説明書





満願弁財天





六地蔵

長慶天皇御陵

阿弥陀堂







庫裏




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極楽寺(四国霊場第2番札所)

2015-09-09 17:34:13 | 徳島
2015年9月6日、お参りしました。霊山寺の後、徳島県道12号線を約1キロ西に走ります。
徳島県鳴門市大麻町桧字ダンノ上12番地
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説明書より
『極楽寺は四国八十八ケ所第2番のお寺であり、真言宗高野山派のに属す。三方を山に囲まれた閑静な雰囲気中にあり、宗教的な霊気につつまれている。寺伝によれば、行基菩薩開基にして弘法大師が当山に留錫、「阿弥陀経」を21日間読誦された折、難波の難産に悩む女性が、弘法大師のお加持によって無地安産した。それでそのお礼にと木彫りの大師像を奉納し、以降安産祈願の本坊として多大な信者を集めたという。時代は下り明治の頃、大阪住吉に住み難産に悩む婦人が妊娠したので、安産祈願を受けたところ、ある夜夢の中に弘法大師があらわれ四国遍路をすすめられた。そこで発心して讃岐まで巡拝して、ここ2番極楽寺までくると急に産気づいたが、弘法大師より最後までめぐりつづけよとお告げがあった途端におさまった。その後何事も無く結願し帰宅したら、男子を無事に出産することができたという。当山安産縁起と同じ霊験を得て無事出産され観劇した婦人は、大師堂の前に安産大師像を奉納された。』

境内案内図

山門

仁王





願掛け地蔵尊

参道

弁天堂

句碑

手水舎

子授大師

記念碑









六地蔵

観世音菩薩

薬師堂





供養観音

手水舎

鐘楼



観音堂

一願水掛不動尊

香炉

仏足石

参道



本堂









抱き地蔵(おもかる地蔵)

大師堂



長命杉(空海手植えと伝えられる樹齢約1200年余りの杉。鳴門市天然記念物。)




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霊山寺(四国霊場第1番札所)

2015-09-09 15:34:48 | 徳島
2015年9月6日、お参りしました。札所ということでお遍路さんがたくさんお参りしています。宇志比古神社を出て徳島県道12号線を約4キロ西に進みます。
高野山真言宗の寺院で、山号は竺和山です。
縁起によると「聖武天皇(在位724~49)の勅願により行基菩薩が開創された。弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ21日間(三七日)留まって修行したという。」
鳴門市大麻町板東字塚鼻126
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番号の順に巡拝する遍路には、ここが「発願の寺」ということで、駐車場からお寺に入るところの門には「発心」の額があります。

山門

仁王



放生池





白鳩



縁結観音様

手水舎

多宝塔





鐘楼



大師堂





十三仏堂





不動堂



本堂









聖龍美観音











十三重塔

お遍路案内図

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東林院(一番札所奥の院)

2015-09-09 15:30:37 | 徳島
2015年9月6日、宇志比古神社にお参りした際に、隣にありましたので、お参りしました。駐車場のお店の方にお寺について尋ねると、高野山真言宗の寺院で、四国八十八箇所霊場第一番札所霊山寺の奥の院とのことでした。
徳島県鳴門市大麻町大谷字山田59
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説明書より
「当院は聖武天皇の御宇、天平5年(733)、行基菩薩の開基にして高野山真言宗、八葉山 神宮寺 東林院と称し古来、阿波国八首(薬王寺、大龍寺、鶴林寺、隆禅寺、神応寺、端川院、荘厳院、東林院)の一寺にして昔は末寺16ケ寺を誉れ広大なる伽藍であったが数度の火難、特に元禄年間、1700年頃の大火により中絶同様の小地となった。歴代住職や檀信徒の努力により、昭和59年本坊を新築した。」

『空海(弘法大師)がここを訪れ、住民に真言の教えを伝えるとともに農業振興を奨励したと言われ、空海自ら鍬を取り米・麦の種を蒔きをしたことから、当院は「種蒔弘法大師」と称されるようになった。』

新四国曼荼羅霊場一覧の最初に東林院が掲載されています。

本堂

鐘楼



大師堂

薬師堂
「御本尊薬師如来縁起 天平5年行基菩薩の御作にして、旧徳島藩主蜂須賀候の帰依厚く祈願寺として喜捨12貫の奉納あり。寛永年間、藩主江戸在勤の時、当院薬師如来に特別御祈祷の仰せ付けありて、その御祈祷御守札を江戸藩主邸へ持参せしその夜、御本尊薬師如来から藩主を始め、家臣、中村若狭守へ御夢告のおしるしあり、その時より本尊を身代薬師如来と尊称す。」



水子地蔵



石碑

沙羅双樹

弥勒菩薩

種蒔大師

一願観世音菩薩





滅悪不動尊

穴観音古墳

大日大聖不動明王

七福神


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