旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

丹生川上(にうかわかみ)神社下社

2023-09-15 15:58:05 | 奈良
2023年9月13日、お参りしました。
説明書より「天武天皇白鳳4年(676)『人声の聞こえざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし、霖雨を止めむ』との御神誨に因り創建された古社である。延喜式の名神大社22社の1社で、元官幣大社。」
奈良県下市町長谷1−1
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鳥居

神馬



手水舎



二の鳥居



拝殿








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入鹿神社

2023-09-15 15:51:30 | 奈良
2023年9月13日、お参りしました。
「当社は廃普賢寺の東南部の一段高い所に西面して建ち、もとは同寺の鎮守社であったようです。祭神は素戔鳴尊と蘇我入鹿の両柱を合祀しています。」
奈良県橿原市小綱町335
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狛犬



拝殿





本殿(橿原市指定文化財)
「本殿は一間社春日造で、身舎は丸柱、柱上に三斗を組み背面を除く頭貫桁間に中世風の面影を残す蟇股を置く。屋根は檜皮葺で、棟は箱棟に千木、かつお木を取り付けた江戸初期位の建物である。」
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正蓮寺大日堂

2023-09-15 15:34:21 | 奈良
2023年9月13日、お参りしました。
説明書より「堂は1478(文明10)年に再建された建物で、重要文化財、方三間寄棟造、本瓦葺、前面一間の外陣を礼拝堂として、後方二間内陣後方寄りに四本の柱に囲まれた厨子を設けて本尊大日如来座像を安置している。簡素な堂であるが、不要な飾りは一切しりぞけて間取りなども実用的に作られている点がかえってゆかしく風格のある建物である。」

奈良県橿原市小綱町13
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人麿神社

2023-09-15 15:33:36 | 奈良
2023年9月13日、お参りしました。
説明書より「神社の創立は明らかではありませんが、本社は新庄町の柿本神社から分祀されたと伝えられ江戸時代以降には、人丸大明神・柿本人麻呂大明神と称したことが知られています。」
奈良県橿原市地黄町445
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説明書

鳥居

社標







狛犬



拝殿

本殿(重要文化財)
「本殿は一間社隅木入春日造りの小社殿で、棟木銘に康永四年(1345)と墨書され、この時代の建立様式の特徴がよく現れており蟇股や木鼻等の細部の意匠も優れています。建立投書は屋根が厚板葺で隅木は無く脇障子が身舎前柱の位置に移る等後世の修理によって改変をうけ現在にみられる形になっています。」




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大神(おおみわ)神社

2023-09-15 15:16:38 | 奈良
2023年9月13日、お参りしました。
説明書より「当神社は三輪山を神体山とする我国最古の神社で神階は最高位の正一位、延喜式内の名神大社22社の1社で大和国一之宮、全国各社に祀られる大物主神の総本社であります。大物主大神は、大国主神の和魂(幸魂、奇魂)で、大国主神が神代国造りに労せられたとき、その和魂が現れ、問答の後、自らこの地に鎮まられたのであり、農工商等あらゆる産業を開発し、常に日常生活全般をお守りされる大神であります。」

奈良県桜井市三輪1422
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案内図

大鳥居
「この大鳥居は、1984(昭和59)年10月13日に竣工した。高さ32.2メートル、柱間23メートル、柱の直径3メートル、笠木の長さ40.86メートル、本体総重量185トン、材質は耐候性銅板」

社標



灯籠



参道



神橋

祓戸(はらえど)神社
「二の鳥居から参道を進むと最初に鎮座する神社で、諸々の罪・穢れを祓う祓戸の四柱の神様をまつります。」



夫婦岩

手水舎





拝殿(重要文化財)
「1664(寛文4)年徳川家綱公により再建。当神社は三輪山をご神体とするために本殿がなく、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留める。」



到着殿

勅使殿

しるしの杉

祈祷殿







儀式殿

清明殿

授与所





自動車お祓所

くすりの道









末社・天皇社
「三輪山の麓に都をおかれた第十代の崇神すじん天皇をまつる。」



成願稲荷神社
「神宮寺の一つで尼寺であった浄願寺の鎮守祠として鎌倉時代に創祀。」









末社・神宝神社
「熊野三山の神々をまつる。」



摂社・磐座神社
「御祭神の少彦名神は大物主大神と共に国土を開拓し、人間生活の基礎を築かれると共に、医薬治病の方法を定められた薬の神様として崇敬されています。三輪山の麓には神様が鎮まる岩が点在し、この神社もその一つです。社殿がなく磐座を神座とする形が原始の神道の姿を伝えています。」



市杵嶋姫神社
「九州の宗像や安芸の宮島と同じ海の神、水の神である市杵島姫命を祀る。芸能や財宝をつかさどる弁天さんとしても親しまれている。」





大三輪神祠
奈良県桜井市三輪1198
「教部省達により、管幣大社大神神社に、小教院設置される。教会内に神殿のほか、祖霊殿を設けている。」三柱鳥居がある。










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大和(おおやまと)神社

2023-09-15 11:28:29 | 奈良
2023年9月13日、お参りしました。
由緒書より「日本大国魂大神は、大地主大神と申し上げ、日本の国の土地を司る神で宮中内に天照大神と共に奉斎されていました。第十代崇神天皇六年に皇女渟名城入姫命により当地に移されたのが当神社の御創建(2000年余年前)。奈良朝時代には遣唐使も出発に際し交通安全を祈願された。万葉集にもうたわれています。また、戦中は世界最大を誇った『戦艦大和』の守護神として祀られました。祖霊社に伊藤整一命外が祀られています。」

奈良県天理市新泉町星山306
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社標

鳥居

参道

日清戦争出征の記念碑



二の鳥居

摂社・増御子(すみこ)神社
「祭神の猿田彦大神は、もごとの一番最初にご出現になり、万事最もよい方へお導きになる大神です。古事記・日本書紀などにも、わが国のはじめ天孫瓊瓊杵尊をこの国土へご啓行くーになられたと伝えています。ご神徳によって、全国各地のご祭礼に際しては一番先頭に大神を仰いで渡御が行われ、本社の渡御祭にも先駆する天狗が猿田彦大神です。『さき立ちの神』『さきみちの神』『ひらきの神』として、氏子、崇敬者の将来の繁栄と開運、成就をお授けくださいます。」



忠魂碑

参集館

手水舎



絵馬掛け







狛犬



拝殿



中門

本殿

摂社・高龗(たかおおかみ)神社
「御祭神は雨師大神即ち水神様で崇神天皇のとき渟名城入姫命をして穂積長柄岬(現新泉星山)に創祀される。古来6月1日、10年に一度の大祭には、和歌山・吉野・宇陀そのた近在邑々から千人余りも参拝者の列が続いたとある。先頭に丹生川上神社中・下社が金御幣を持ち後尾は末社の狭井神社が勤めた。茅原上の道を経て、箸墓裾で休憩、大倭柳本邑に入り長岡岬、大市坐皇女渟名城入姫斎持御前の井戸で祓い清める。神職は輿と共に神橋を渡り、大和神社に入る。一般の人達は宿から一番鶏が鳴くと倭市磯池に体を清め笠縫邑から神社に向かう。社は古代伊勢神宮と同じ建築様式で江戸時代の建立になる。」







磐座(いわくら)・雨師(あまし)

社務所





戦艦大和のゆかりの神社の石碑

祖霊社
「明治7年1月9日官許により創建、大和神社の祭祀を担ってきた旧宮司家と氏子筋にあたる大和神道御霊之社の各家々祖霊を祭祀するために創建された。国家によって神社管理が行われていた時代に一般国民の先祖御霊を祭祀する祖霊社が官幣大社の社格を有する神社の境内地に建立許可されたのは、大和神社のみである。九ケ大字800世帯にすぎない氏子地域が、時の政府に例外の許可を賜った史実は皇室と大和神社との深い関係を推しはかることが出来る。」

末社・厳島神社、事代主神社、朝日神社

大黒天
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添御縣坐神社(奈良市)、根聖院

2021-11-20 23:24:53 | 奈良
2021年11月19日、お参りしました。
説明書より「添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)の名称は、『大和の国の添郡に設置された縣に鎮座する神社』を意味する。鎮座の年代は詳らかではないが、およそ1400年前に遡ると推定される。明確になるのは平安時代初期で、朝廷が編纂した全国神社名鑑である『延喜式神名帳』に大社の格式を認められた神社として記載されている。本殿は、山を背に西を向いて建っており、様式は五間社流造、正面三箇所に千鳥破風付き、屋根は桧皮葺で、覆屋によって保護されているため、状態は良好である。昭和41年の解体修理の際、内部の壁板面に1383」(水徳3)年11月9日寛政した旨の墨書が発見された。本殿は、神社建築としては全国的に希少な、南北朝時代の袞竜であることが確認された。」
奈良県奈良市三碓3丁目5−8
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社標

鳥居





倉庫

恵美須神社



英霊殿



舞台

拝殿







本殿(重要文化財)
「室町前期の1383(永徳3)年建立、五間社流造、正面三個所千鳥破風付、檜皮葺。」







末社







子授石



根聖院
地名の由来「この土地一帯を三碓(みつがらす)と言うのは、遡ること1300年前、奈良時代に小野福麿がこの地域を治めていました。住居とは別にこの場所に三ツ碓をおき、米を搗かせていましたが、鳥狩りに御幸された聖武天皇が御覧になり、この土地を『三碓』と名付けられました。この碓は搗き碓で、朝鮮半島と戦った後に、米を搗く文化と共に大和に渡って来たと考えられています。『古事記』には播磨の国でもこのような石碓が使用されていたと伝えられています。」
神社に隣接しているので神宮寺であったのだろうか。














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宝山寺(生駒市)

2021-11-20 22:59:46 | 奈良
2021年11月19日、お参りしました。
パンフレットより「1678(延宝6)年に宝山湛海律師が開いたもの。『生駒の聖天さん』として広く信仰されている。開祖が初めて足跡を印したこの地は、霊峰生駒山の中腹、巨巌うしろに聳えて南面し、清水はこんこんとして尽きることなく、而もその昔、役行者及び弘法大師修練の旧跡でもあったので、此の地こそ開祖が求めて得られなかった仏法有縁の霊地である事を感得し、この山を永世修練の同情、霊尊歓喜天奉祠の根本霊場と定めたのであります。
 ちなみに、この岩屋を般若窟と云うのは、役行者がここに梵本の般若経を納めたとの伝えがあることからで、惣門の扁額にその文字が見られます。また開祖はこの寺域が弥勒浄土の内院であるとの古説に基づき、1682「(天和2)年仏師院達に弥勒菩薩像を造らせ、この岩屋の本尊としました。また岩山は不動明王の座所とされるところから、不動明王像を自作して当寺の本尊とし、都史陀山大聖無動寺と称しましたが、のち宝山寺と書かれた弘法大師の真蹟が見出され、これを当山永世不易の寺号に改めたのであります。
 入山当初から、数々の困難にうちかって苦行を重ねた開祖は、2年後山麓菜畑村民の助力を得て、仮本堂を営み、ここで初めて8万枚の護摩供を修しました。次第に朝野の信望もあつまり、1699(元禄12)年東山天皇から皇子誕生祈願の勅命を拝して法験を顕し、長宮、秀宮の二皇子が続いて誕生しました。この御礼として開祖が拝領した宝剣は天皇の諱である朝仁の一字を賜わって朝日宝剣と云い、当山の寺宝として今に伝持されております。」
奈良県生駒市門前町1-1
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宝山寺案内図

一の鳥居

金剛殿

総門



和光殿

地蔵堂

七福神







鐘楼

中門

水屋

獅子閣

御供所

寺務所





本堂
「1688(貞享5)年建立、梁間五間、桁行五間半」







朝日宝塔
「五層長身の多数の宝鐸をつけた銅塔」

天神

二の鳥居





線香場



拝殿
「八つ棟造り、棟や破風の数が多い珍しい外観である。手前が外拝殿、後方に中拝殿、一番奥に聖天堂がある。」







文殊堂





弥勒菩薩









常楽殿

観音堂



水神

鳥枢沙摩明王







福徳大神

多宝塔











宝山観音



五社明神

水子地蔵尊







大師堂

手水舎





大黒天















奥の院本堂

開山堂
「1769(明和6)年6月、第6世光善和尚の代に建てられたお堂で、中興開山湛海律師が自ら刻まれた、ご自身のお姿が安置されております。律師は、1678(延宝6)年10月10日に生駒山に登られ、宝山寺を開かれました。以来、聖天堂や、本尊不動明王像などをお造りになり、10年後の貞享5年には、現本堂も落慶いたしました。」

仏足石

開山廟














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高山八幡宮(生駒市)

2021-11-20 08:26:31 | 奈良
2021年11月18日、お参りしました。
由緒について、パンフレットより「749(天平勝宝元)年11月、奈良東大寺大仏殿の落慶、毘盧遮那仏開眼供養の折、聖武天王の思召によって豊前国宇佐神宮から迎えられて御入京の途次、ここに頓宮として奉斎されたのが鎮座の起源と伝えられる。国史『続日本書紀』天平勝宝元年の篠『八幡神を平群郡に迎う。此日入京』とある。中世とくに鷹山氏の信仰を集め無足人座とよばれる宮座が結成された。」
奈良県生駒市高山町12679−1
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社務所

手水舎

参道

鳥居





舞殿

拝殿







本殿(重要文化財)
「室町後期の1572(元亀3)年建立、三間社流造、檜皮葺。」





末社


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法華寺

2018-02-26 17:34:06 | 奈良
2018年2月18日、奈良市内観光に行きました。法華寺にお参りしました。
「光明皇后ゆかりの門跡尼寺として知られ、天平17年(745年)5月、皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まりである。法華寺は皇后発願の寺院であり、国分尼寺という位置づけでありながら、伽藍の完成までには相当の歳月を要したとみられる。法華寺は平安京遷都以後は次第に衰微し、平安時代末期にはかなり荒廃した。鎌倉時代に入り、東大寺大仏の再興を果たした僧・重源は、建仁3年(1203年)、法華寺の堂宇や仏像を再興した。その半世紀後、鎌倉時代中期の真言律宗の僧・叡尊によって本格的な復興がなされた。その後、明応8年(1499年)と永正3年(1506年)の兵火や慶長元年(1596年)の地震で東塔以外の建物を失い、東塔は宝永4年(1707年)の地震で倒壊した。現在の本堂、鐘楼、南門は慶長6年(1601年)頃、豊臣秀頼と母の淀殿が片桐且元を奉行として復興したものである。法華寺は叡尊の時代以来、真言律宗における門跡寺院としての寺格を保っていたが、平成11年(1999年)に、光明皇后にちなんで光明宗と名づけ離脱・独立した。」
奈良県奈良市法華寺町882
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境内案内図

赤門

鐘楼(鐘楼堂)(重要文化財)
「桃山時代の慶長7年(1602)建築、桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺。」



稲荷神社



横笛堂

薬師堂







護摩堂





本堂(重要文化財)
「慶長6年(1601年)建築、寄棟造、本瓦葺き。正面7間、側面4間。豊臣秀頼と淀殿の寄進で再建された。」





鬼瓦に慶長7年(1602年)の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられる。



南門(重要文化財)
「桃山時代の慶長頃(1596-1615)建築、四脚門、切妻造、本瓦葺。」


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