旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

おの桜づつみ

2020-03-29 15:04:11 | 小野
2020年3月29日、兵庫県小野市の「おの桜つづみ」の散策に行きました。新型コロナウイルスの感染拡大防止もあり、マスク着用しながらの野外ですね。太陽を浴びながら歩くことで、免疫力を低下させないことも大事だと思います。
 「おの桜づつみ回廊」の所在地は小野市古川町~住永町(加古川堤防左岸)です。全長4kmに約650本の桜並木があります。江戸彼岸、大島桜、染井吉野、八重紅枝垂、思川と5種類の桜が上流から下流へ、開花順に植樹されています。江戸彼岸が満開でした。下流側の観光用無料駐車場に車を止めて、歩いてみました。
下流の方では思川、八重紅枝垂はまだ開花していませんでした。染井吉野が5部咲のようですね。

























大島桜が開花していますね。

















江戸彼岸ですね。













枝垂桜が辻の所で少し開花しています。



















お疲れさまでした。
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垣田神社

2014-07-19 15:38:56 | 小野
2014年7月19日、お参りしました。
大同2年(807)神ノ木の旧社地より現在地に移転されたと云われています。
小野市ホームページより『地元では、「舞堂」と呼ばれ、もとは本殿の正面にあったが、大正年間に現在の位置に写されたという。橋掛は遺存していない。古くは常設の構があったと思われるが、取替えられた部材があって明らかではない。能が演じられるときは仮設し、戦前には人形芝居もやっていたという。舞台の創建年代については「垣田社神記」によると、「天正年間に宮殿・拝殿・舞台等ことごとく焼失云々」とあり、また「加東郡誌」には、「貞享3年 (1686)舞殿再建」の棟札の記録がある。今の舞台は、一部に後補がみられるが、貞享の再建時の古材が良く残っており、江戸中期頃の様相を知ることがで きる。この地方における当時の庶民文化を探るうえで貴重な民俗文化財といえよう』
小野市小田町1640
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鳥居

狛犬



手水舎、鉢が石を刳り抜いた立派なものです。

能舞台

拝殿

本殿



八坂神社

末社













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小野市の浄土寺(国宝)

2014-07-08 15:57:59 | 小野
2014年7月8日お参りしました。
浄土堂の内部拝観料は500円です。
浄土寺のリーフレットより引用します。
浄土寺の国宝、浄土堂は奈良の東大寺南大門と並んで、大仏様(天竺様)建築を代表する最も大切な建物です。
鎌倉時代のはじめ、源平合戦の兵火により焼失した東大寺を再建工事が始められた際、大勧進職となった俊乗房重重源上人は、領所として与えられた大郡荘に壮大な寺院を興しましたが、そのときのままに残っているのがこの浄土堂です。創建の建久3年(1192)から現在まで風雪に耐え、昭和32年まで一度も解体されずに持ちこたえてきました。
この浄土堂は、桁行三間、梁間三間、単層、屋根宝形造、本瓦葺の堂々とした建物で、柱間の隔りは二十尺という広いものです。柱に胴張り(エンタシス)をもっていること、斗の下に皿を付けていることなどや、天井を張らない化粧屋根裏や太い柱に挿された挿肘木で虹梁を支えているのが特徴です。また、西側の壁部は蔀戸となり、中央の円形須弥壇上に配された本尊の阿弥陀如来及び両脇侍立像に西日が差し込み、来迎の姿を表現する構造となっています。信仰の場であるとともに、自然の光を使った芸術を醸し出します。
小野市浄谷町2094
map
案内図

浄土堂











堂内撮影禁止のため、リーフレットより
阿弥陀如来5.3m、観音菩薩3.7m、勢至菩薩3.7m、
如来の右手が下なのが他のものとは違います。印相は右手が下がり、左手が挙がる逆手来迎印となっています。
天井間近までの大きさで立っていました。
台座の手前には、五鈷杵や五鈷鈴が置いていました。

鐘楼堂(兵庫県指定文化財)



八幡神社、境内にあります。
大和の東大寺の手向山八幡宮があるように、同寺の末寺には鎮守八幡の建てられているところが少なくありません。浄土寺でも鎌倉後期の嘉禎元年(1235)に八幡宮を建てたことが寺記に載せられ、現存の拝殿と本殿はその遺構とされています。国の重要文化財に指定されています。
鳥居

拝殿



本殿





薬師堂、国の重要文化財です。
浄土堂と相対し、浄土寺の根本道場となっています。桁行五間、梁間五間、単層、屋根宝形造、本瓦葺です。













不動堂

開山堂(兵庫県指定文化財)
浄土寺の開基である重重源上人の座像を安置する堂です。創建についての記録を欠いているが、「縁起」によれば、八幡神社の建てられた1239年以降で、その後明応7年(1498)に薬師堂とともに炎上し、永正17年(1520)に上棟されたのが今の堂です。

経蔵

文殊堂

境内にて













芭蕉句碑、芭蕉が浄土寺を訪れた記録がないことから、文化9年(1812)に芭蕉愛好家が建立したと考えられます。

水向石(みずむけいし)
古墳時代の石棺の蓋を再利用したものです。長辺約170cm、短辺約80cm、高さ約20cm、の家型石棺の蓋を逆さまにして、その内側を刳り抜き、水を溜める場所を設けています。毎年5月8日の花まつりの時に、塔婆を置いて水を向けるとのことです。

板碑
古墳時代の石棺と同じ石材を用いて作られた板碑です。右側は地蔵像が彫られています。真ん中のものは、上部は失われていますが、阿弥陀三尊の「来迎」の姿が刻まれています。左側は下部を欠いていますが曼荼羅が刻まれています。

珠を抱えて、可愛いです。

石橋
歓喜院前から浄土寺への境内への谷川に架かっていた石橋で、道路拡張で床部は失われ、高欄部のみ残っています。

塔頭寺院
歓喜院









宝持院













仏足石、インドの石にインドで彫刻した石です。

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