旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

広島府中の上下の街並み(白壁の建物)

2015-07-25 20:36:33 | 広島
2015年7月21日、上下の街並みを散策しました。
上下町は府中市に合併され、広島県府中市上下町となっています。江戸時代は石見銀山から瀬戸内海への銀山街道の宿場町の一つで、天領支配のため上下陣屋が設けられました。
上下の観光案内パンフレット

無料の観光用駐車場、府中北市民病院の通りを東へ100mのところに観光駐車場の看板があります。
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駐車場を出て東、翁座と翁橋の南北の通りです。







翁橋



案内看板



明治時代の警察署
『上下町に残る明治時代の数少ない建物、屋根の上には、火の見やぐらも当時のままで残っている。明治の文豪、田山花袋が上下を訪ねたときの印象が「備後の山中」にもでている。』



黒漆喰のなまこ壁が見られる二軒連結の商家

























上下歴史文化資料館







上下キリスト教会









細い路地





商工会館(登録有形文化財)



御大師堂

上下川、鷺さんがお休み中です。





専教寺
「鎌倉時代に創建された古刹です。浄土真宗本願寺派です。」
府中市上下町上下2081
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山門







説明書
「当山中興の祖と呼ばれ権律師法橋の位を授けれらた第八世素習師が元禄12年(1699)に書き残した縁起書によると、鎌倉最宝寺の住侶明光上人が真宗布教のため中国地方に下向されたとき、これに随行した弟子の道願法師が延元二丁丑年(1337)この地に堂宇を建立した、とある。」

本堂











沿革の説明書

芭蕉の句碑(文化年間)
「唐土のはいかい問む飛ぶ胡蝶」





馬繋ぎの松
「幕末のころ、その時の藩主の乗馬を繋いだといわれている。」











翁座、修理中でした。修繕記念で8月1日に翁座特別公開を無料でするとのことです。





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府中の街を散策(広島の備後国府があったところ)

2015-07-25 20:32:26 | 広島
2015年7月21日、生口島の耕三寺を後にして、北に約25kmほど走り府中に来ました。
府中は、奈良時代に国家を整備する中で、約60ほどの国(今でいう県)に役所がおかれ、備後国府といわれていました。江戸時代には、島根県の石見銀山に通じる石州街道の要で、宿町としての役割を果たしてました。
府中学園の西側に「お祭り広場」という無料駐車場があります。
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府中市観光協会です。アイスクリームを食べて、観光パンフレットをいただきました。



恋しき(登録有形文化財)、の観光協会に西側です。
『明治5年、土井利助が恋しきの原型である「旅館土生屋」を開業しました。現在は飲食やケーキ類を売っています。』









観光協会の横の店

金比羅神社、観光協会の道路を挟んで東側です。
鳥居

日本一と言われる石灯籠です。





絵馬殿



本殿



一番街のアーケードを西に向いて歩きます。





















みちしるべ
「石州街道の出口と入り口を「かんのき」と呼んでいました。道筋がTの字形になっており、当時木戸があり、夜間は扉に閂を差し込み通行を規制していたのでその名が残っている。この三差路に石の道しるべが残っており、次のように彫り込んである。北 上下-小畑 石州道 西 市邑・甲山道 東 福山・上方道」



石州街道の説明書
「石州街道は石見銀山で採取した銀を幕府へ運ぶなど多くの人馬が往来し賑った街道でありました。旧藩時代、ここに木戸があり夕方には閉されました。」















慶照寺
「永禄2年(1559)開基、田坂教春が高倉に建立、現在地の建物は元文3年(1738)第7世知教によって建てられる。」
山門



本堂









棟瓦が積むだけでなく、化粧瓦で装飾しています。













出口通りの案内板











胡神社

番所跡
「出口村の人はここを御番所と呼んでいました。旧福山藩の時代、郡奉行の支配下に口留番があり、その場所の一つがこの場所です。口留番所は江戸時代、自領と他領に通ずる水陸の要所に設けた小規模な関所です。旅人の通行も取締りましたが物資の移出入の監視が主な役目で、通り手形と貨物を照合したり、移入品には口留運上などを徴収していました。」







茶屋跡
「旧藩時代、石州街道沿いの藩主が、山陽道に出るため、出口村を通過するとき、休憩したと伝えられています。」















オオムラサキの里があるので舗道にタイルで飾っています。









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耕三寺(母の寺)その2

2015-07-24 20:49:47 | 広島
2015年7月21日、お参りしました。
耕三寺その1より続き
本堂(登録有形文化財)
「平等院鳳凰堂を模したもの、中央に中堂、その左右対称形に翼廊を配し中堂の背後に尾廊が建つ」











本堂の翼堂





本堂の尾廊

説明書

千仏洞入口

説明書

























救世観音大尊像

説明書





茶祖堂

八角円堂(登録有形文化財)
「本堂左側に建ち、法隆寺夢殿を模したもの」



多宝塔(登録有形文化財)
「本堂右側に建ち、石山寺多宝塔を模したもの」









信楽殿(登録有形文化財)
「孝養門の左側に建ち、日野法界寺阿弥陀堂を模したもの」



鐘楼(登録有形文化財)
「礼拝堂の左側に、鼓楼と対称位置にあり、新薬師寺鐘楼を模したもの」











潮聲閣(登録有形文化財)
「境内西側に建つ、金本耕三が母のために建てた書院造を主とした日本住宅と西洋風住宅である洋館とを複合させた旧邸宅」



説明書



風呂

ステンドグラス

































































































お疲れ様でした。
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耕三寺(母の寺)その1

2015-07-24 20:48:06 | 広島
2015年7月21日、お参りしました。
「耕三寺(こうさんじ)は、初代住職・耕三寺耕三が母親の菩提寺として、昭和11年より30年余りの歳月をかけて建立した浄土真宗本願寺派の寺院で、山号を潮聲山です。」
拝観料は1200円です。
尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2
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伽藍配置は、上段・中段・下段があり、山門・中門・礼拝堂、五重塔、本堂と直線で並び、左右に堂が配されています。日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並びます。
山門(登録有形文化財)
説明書
「京都御所の屏中門と同じ様式です。この門は、和上が経営していた東洋径大鋼管製造所で鋼鉄でもって造られました。表面の龍と涛その他は、帝展作家川上拙以画伯の下図に基づいて彫刻したものを、取り付けています。」







中門(登録有形文化財)
「奈良法隆寺の西院伽藍の楼門を模しています。柱はエンタシスがあります。」





羅漢堂西(登録有形文化財)
「中門の左右に伸びる回廊状の建物で、法隆寺西院伽藍の回廊を模し、内部には五百羅漢像を安置しています。」

万葉の庭

案内図

礼拝堂



入口はいって、手水鉢



鼓楼(登録有形文化財)
「礼拝堂の右に位置し、新薬師寺鐘楼を模したもの」





下段の庭

五重塔
「奈良・室生寺五重塔を模したもの」









法宝蔵(登録有形文化財)
「五重塔の右に位置し、四天王寺金堂を模したもの」









僧宝蔵(登録有形文化財)
「五重塔の左に位置し、四天王寺金堂を模したもの」





説明書

孝養門
「日光東照宮陽明門を模したもので、五重塔から上段の位置にあります。」

説明書





本堂から

装飾は楽しいですね。



































廻廊























至心殿(登録有形文化財)
「孝養門の右方に建ち、日野法界寺阿弥陀堂を模したもの」









耕三寺(母の寺)その2へ







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向上寺(国宝)

2015-07-24 15:08:14 | 広島
2015年7月21日、旅館浦島を後にして、尾道の南側にある生口島の西北の向上寺に行きました。
自動車を耕三寺の観光駐車場に止めて、少し西側道なりに進み、瀬戸田交番前からしおまち商店街を西に少し歩きます。
平日で観光客はいないですね。
しおまち商店街



石碑

瀬戸田観光案内図

もう少し西に行って、右に曲がって、向上寺へ

案内図

細い道です。

尾根から見た耕三寺です。

道標

ゆるやかな階段です。

さらに続きます。

道標

案内地蔵がお出迎えしています。可愛い。

少し草むらに

案内地蔵

もう一度、耕三寺です。



展望台からの景色









案内地蔵、三重塔まで50m







高根大橋





塔が見えてきました。



向上寺
説明書
「曹洞宗向上寺は、臨済宗大本山仏通寺開山、仏徳大通禅師の開基によるもので応永10年(1403)に生口島地頭、惟平の頃に向上寺の前身向上庵が建てられ応永21年(1414)ころには、仏通寺の末寺として独立しました。三重塔は、藤原朝臣の作で大檀越、生口守平、檀那信元、信昌として永享4年(1432)に完成しました。塔の構造は方三間、三重の塔婆本瓦葺で、九輪先端までの高さ19m52cmで、全体は和様を基調としていますが、初重を扇たる木、花頭窓にするなど細部にかなり濃厚な唐様の手法が取り入れられています。ひじ木鼻や、すみ木持送りの彫刻なども巧みにつくられ、四隅の親柱の飾りつけは、逆蓮華で珍しくわら座、須弥壇も意匠として特異なものです。」

尾道市瀬戸田町瀬戸田57
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三重塔(国宝)























階段を下りて本堂へ

下から見た三重塔

本堂







鐘楼
「鐘は1555年、桶狭間の戦より3年も前に鋳造され、鐘楼堂は嘉永6年ペリーが日本に来た年に建立。」

梵鐘(県指定重要文化財)







山門、若い男性の外国人に会いました。サイクリングで回っているようでした。自転車を階段を持ち上げて大変そうでした。反対側は山道で自転車は無理だから来た道を戻った方がいいですよと。つたない英語でお話しました。OKって言っていたので通じたと思います。



向上寺を後にし耕三寺に向かいます。

生口神社



























富士本舗(みやげもの店)、こちらでおみやげを買いました。









岡哲商店、揚げたてのコロッケを食べ歩きしました。来店された有名人をたくさん手書きで張り紙をしていました。



もう少し東に歩けば耕三寺です。


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天然温泉うら湯 旅館浦島(養老温泉郷)

2015-07-24 10:02:01 | 温泉、旅館、ホテル
2015年7月20日泊まりました。JR尾道駅から北に約7Kmの養老温泉郷の旅館浦島です。部屋数18室の小じんまりした旅館ですが、食事は満足でした。単純泉 ラドン温泉で、もちろん旅館到着後、夕食後、朝と3回入浴しました。内風呂、ミストサウナ、露天の壺風呂があります。日帰り温泉として、入浴客が結構いました。EV用充電スタンドも設置していました。
尾道市美ノ郷町三成2500
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外観、本館と別館があります。









別館の入り口の橋

客室の名前があこう・かれえ・さざえなど海にちなんだものとなっています。





年代物の電話です。左は無料セルフのコーヒーメーカーです。食後にいただきました。

室内です。

おもてなし、三万石名城焼、三原市のものだそうです。ピーナッツ入りの香ばしいパリッとしたせんべいです。

夕食です。
サザエ・ハモともち米・ごま豆腐

刺身、鯛・イカ・カンパチ・エビ、蛸・ハモ・紅ショウガ

焼き物、アワビ・貝柱・野菜、もずく

鮎の塩焼き

煮物、茶碗蒸し

鯛の吸物

てんぷら、エビ・シイタケ・ししとう・カボチャ・レンコン・(飲んで食べるのに忙しくて撮り忘れました)とデザートのメロン

今回はワンドリンクサービスプランでしたので。ビールを一杯飲みました。
朝食です。
生卵、サバ、玉子焼き、なめこ、竹輪の天ぷら、ごぼう、香物、わかめの味噌汁


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尾道散策その4~天寧寺・尾道本通~

2015-07-23 21:41:31 | 広島
2015年7月20日、尾道を散策しました。尾道散策その3続き
天寧寺
「貞治6年(1367)、普明国師を請して開山された。創建当時は臨済宗であったが、元禄年間に現在の曹洞宗に転宗した。 」
尾道市東土堂町17-29
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天寧寺三重塔、ロープウェイより













山門





説明書



本堂



手水舎

供養塔







五百羅漢



三重塔へ



狭い階段

北門

階段



三重塔(重要文化財)











尾道本通









センター街







尾道商業会議所

奉行所跡



















うず潮小路

芙美子像









尾道駅に戻ってきました。



たくさん歩きました。旅館に行ってビールを飲むぞ!(^^)!





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尾道散策その3~艮神社・千光寺・千光寺公園~

2015-07-23 21:40:02 | 広島
2015年7月20日、尾道を散策しました。尾道散策その2の続きです。
西國寺を後にして、進みます。細い路地です。





艮神社(うしとらじんじゃ)
尾道市長江一丁目3番5号
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千光寺山ロープウェイ山麓駅のすぐ横に鎮座しています。尾道では一番古い神社とのことです。映画「時をかける少女」のロケ地としても知られています。
鳥居





手水舎



拝殿と御神木(樹齢900年と言われ、幹の周囲は約7mの楠)





ロープウェイより

本殿



末社



























千光寺へのロープウェイで
千光寺
「大同元年(806)、弘法大師の開基とされる真言宗のお寺です。」
本堂、ロープウェイよりパチリ







鐘楼、ロープウェイよりパチリ





玉の岩
「周り50m、高さ15mあり、岩の頂に玉が置かれ、夜になると三色に輝きます。」







護摩堂、正面の建物



御船岩



尾道市内と向島





ロープウェイ千光山乗場

臥竜垣(竹垣)

展望台

モニュメント

新尾道大橋

向島







恋人の聖地

仲のいいカップルです。





文学のこみち

































お願い地蔵



大師堂

客殿









景色















三重岩

修行大師









夫婦岩

男鎖







大仙堂

三十三観音堂

















鼓岩









レストラン









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尾道散策その2~浄泉寺・常称寺・西國寺~

2015-07-23 21:37:18 | 広島
2015年7月20日、尾道散策しました。尾道散策その1の続きです。

浄泉寺
浄土真宗本願寺派の寺院です。
「開基は、大永5年(1525)に宗円が現在の木ノ庄町市原の地に一精舎を建立したのが始めで、その後慶長元年(1569)に現在地に道場を移した。寛永8年(1631)改築した本堂が、元禄15年(1702)の大火で類焼し、安永10年(1782)再建、明治22年(1888)堂舎炎上、同25年(1892)から本堂の再建にかかり、同44年(1911)十二間四面総欅造り本堂が岡山邑久の宮大工の最後の人といわれている宮大工棟梁田渕勝義・勝敏父子の手になり竣工した。その大屋根には畳16畳という鬼瓦を東西に頂き瀑布の流れ下るような瓦の波は近在随一の大伽藍であることを物語っている。」

尾道市西久保町2-2
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手水舎、「離垢」の銘文は頼陽山の筆です。



鐘楼
「享保8年(1723)9月に建立され、明治24年(1891)山陽鉄道開通にともない現在地に移建されました。梵鐘は文政10年(1827)4月に鋳造され、口広三尺、高さ六尺あります。第二次世界大戦の折、金属回収令により供出されましたが、昭和20年(1945)終戦後、岡山玉野の精錬所で発見、無傷で返還されました。」







本堂

大屋根の上には畳16枚くらいの大きさの鬼瓦が有名です。久保八幡神社の境内からパチリ。

















細い路地を西に歩きます。
常称寺
「鎌倉時代後期の正応年間(1288~1293)に、時宗二祖真教上人によって創建されたと伝わる古刹である。神奈川県藤沢市清浄光寺を本山とする。現存の本堂は、室町中期の建築で、外観を和様、内部構成を禅宗様とし、内陣・外陣と脇陣を一体空間とするなど、中世時宗本堂の特徴をよく表わしている。」

尾道市西久保町8-3
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観音堂(重要文化財)





本堂(重要文化財)

六地蔵



細い路地を通って、西國寺に向かいます。

れんが坂





西國寺
「真言宗醍醐派大本山で、天平年中(729~749)、僧行基の開基と伝えられる。治暦2年(1066)火災にかかり本堂、五重塔などことごとく焼失した。当時の住職慶鎫和尚は、京都仁和寺の性信法親王に師事し、白河院を頼って復興を願い、金堂など七堂伽藍が再建された。官寺として末寺も百数ケ寺を数える備後備中安芸にわたる西国一の大寺となった。天仁元年(1108)から七帝御国忌の不断経修行が命じられたが、度々武士団の侵略にあった中断し、寺領も尾道浦一円を残すのみとなっていた。」
説明書

尾道市西久保町29-27
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山門(県指定重要文化財)
「室町時代末期の桜門形式の仁王門です。」2mを超える巨大な草履が目を引きます。







境内より





手水舎

手水鉢



案内図

持善院、塔頭寺院です。参道の左側にあります。







金剛院、塔頭寺院で慶鑁(けいばん)の開基と伝えられています。
参道の右手にあります。





重軽天狗、願いをかけながら持ち上げ、軽く上がれば願いが叶えられるとか。





さらに参道の階段を登ります。108段です。

十王堂
階段の途中の左手にあります。

金堂(重要文化財)



英霊殿、金堂の西南にあります。経典が納めてあったが遺族会からの要望で建物を提供したとのこと。







鐘楼、晴天で空が澄みきって映えて見えます。





子授け地蔵

唐門



上の境内へ



持仏堂



手水舎





大師堂

青銅大不動明王

不動堂

毘沙門堂



廻廊







三重塔への階段

小林和作の墓

さらに階段

三重塔
「永享元年(1429年)足利義教の寄進により建立、純和様の建築です。」









市内の景色

「力石、尾道は港町で、荷物の上げ下ろしで多くの人が働きました。力自慢の人達がこの石を持ち上げて競い合いました。」

尾道護国神社








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尾道散策その1~浄土寺・西郷寺・久保八幡神社~

2015-07-23 21:32:24 | 広島
2015年7月20日、尾道の街並みを散策しました。自動車を市営駐車場に止めて、尾道駅の観光案内所で地図をいただきました。
駅前のバス案内切符売場でロープウエイセットの1日乗車券600円を購入しました。レトロバスも乗れます。
まずは、街の東の浄土寺に向かいます。駅前からバスで6つ目の浄土寺下まで乗車します。
バス

浄土寺下で下車

レトロバス、市内の循環バスです。土日・祝日のみ30分間隔で運行しています。尾道駅前から1周約30分です。

浄土寺石標

参道の階段

浄土寺
「真言宗泉涌寺派大本山の寺院で、山号は転法輪山です。創建年代等については不詳ですが、616年に聖徳太子が開いたとも伝えられ、足利尊氏が戦勝祈願をした寺としても有名です。」
広島県尾道市東久保町20-28
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山門(重要文化財)
「四脚門、切妻造、本瓦葺で、室町時代初期までの優れた建築で本堂向拝と同じ規矩をもつ」



説明書

本堂(国宝)





手水舎





納経所

唐門(重要文化財)

観音様





多宝塔(国宝)
「嘉暦3年(1328年)建立の和様の多宝塔で、中国地方における古塔の一つです。規模が大きく均整がとれ蟇股に牡丹唐草文や蝶・輪宝などを透彫し、装飾性に優れる。」





蟇股の装飾は素敵ですね。











阿弥陀堂(重要文化財)



薬師堂





不動堂

護摩堂











文殊堂

宝篋印塔(重要文化財)、納経塔(重要文化財)





子安堂

庖丁塚

尊氏供養塔



鐘楼

景色



裏門





案内板

姿三四郎のモデルとなった「西郷四郎」の像





市立中央図書館



西郷寺へ

狭い階段です。尾道は坂と階段がおおい街ですね。





羅紗門天



西郷寺
「正慶年間(1332年-1333年)、遊行6代他阿一鎮により建立されたと伝わっています。本堂は文和2年(1353)、山門は貞治年間(1362年-1368年)の建立で、現存する時宗最古の建築物です」
尾道市東久保町8-40
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山門(重要文化財)

本堂(重要文化財)

鐘楼

七福神が可愛く並んでいました。













六地蔵



久保八幡神社
「この神社は貞観年間(859から877)に創建されたと伝えられています。」

















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