旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

孝恩寺

2019-01-27 15:18:19 | 大阪
2019年1月24日、お参りしました。
「奈良時代の神亀3年(726)、行基による開基と伝える古寺である。平安時代初頭までに七堂伽藍が揃っていたが、室町時代に山名氏や大内氏らの戦火に巻き込まれ大半の建物を焼失、安土桃山時代には根来寺の傘下にあったがために、天正13年(1585)、豊臣秀吉の紀州攻めで観音堂以外のほぼ全ての建物を焼失した。」
大阪府貝塚市木積798
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山門



鐘楼









観音堂(国宝)
説明書より「人皇45代聖務天皇が僧行基に命じて畿内に49院を造営せられるに当り地を此処木積に卜して木積の杣山の良材を採って其の一院を建立せられた。時に神亀3年(726)春3月、当時に七堂伽藍が整然と聳えていた事であろう。然るに足利時代に至り山名、大内二氏の乱に合い堂宇の大半は鳥有に帰した。幸いに仏像は程近い池中に投じられ辛うじて災禍を免れ後年泥中より引揚げられ難を免れた。釘無堂内に安置せられたと伝えている。その後天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州根来寺を攻めた時にも戦火に遭い、残余の僧房等悉く焼失したが幸いにして釘無堂のみ僅かに災厄をまぬがれて現在に及んでいる。然し乍ら現存の堂は創建当時のものでなく鎌倉時代の代表的建築である。思うに其の頃に破損はげしく改築したものであろう。」











五輪塔(大阪府指定文化財)
「和泉砂岩製で、一重の基壇上に立ち、高さ110cmで、全体としてほぼ原型を有している。地輪の高さは24.6cm、幅は39.4cmで、中央の梵字の右に「貞和22年戌子」、左に「七月十四日」と刻されている。貞和4年は北朝方の年号であり、南朝年号は正平3年(1348)である。南朝勢力下とされているこの地域において、貴重な事例といえる。」








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来迎寺

2019-01-27 15:16:07 | 大阪
2019年1月24日、お参りしました。
「來迎寺の草創は明らかではないが、寺伝によればもとは天台宗に属し、のち真言宗となり、元禄2年(1689)には曹洞宗梅渓寺の末寺となったと言われている。」
大阪府泉南郡熊取町和田3-3765
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山門

鐘楼



本堂(重要文化財)
説明書より「鎌倉後期(1275-1332)建立、桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、本瓦葺。嘉暦4年(1329)正月、沙弥隋善、沙弥妙法、宗平四郎等が建立したと伝えられ、もと雨山城にあって南朝の武将橋本正高が八大龍王殿と称し、朝夕武運長久、繁栄安泰の祈願堂としたともいわれている。鎌倉時代の様式を備え、三間四方(約30㎡)の小堂で、屋根は寄棟造、行基葺、基壇はなく野面石上に柱を建て、三方に濡縁を設けている。内部は中央奥寄りに四天柱を建て、正面に格狭間のついた漆塗りの須弥壇を設け、主要部は朱塗りである。正面中の間に戸口、背面に半間の出入口があって他は塗壁で一本の垂木が軒先から内部まで通り、天井の四隅の梁が蝦虹梁という珍しい建築である。内部は煤けが多く、燻った状態からこの本堂は当初護摩堂ではなかったかと推定されている。」














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日根神社

2019-01-27 15:15:12 | 大阪
2019年1月24日、お参りしました。
説明書より『日根神社の創建は明らかではないが、元正天皇霊亀2年(716)に制定された和泉五社のうちに数えられ、また延喜式内社日根郡十座のうちに列している。日根荘全体の鎮守で、和泉国五社の一つでもありました。「日根野村絵図」には、大井関大明神として、溝口大明神とともに描かれています。九条政基の帰洛後、日根神社は秀吉の紀州攻めで焼失しますが、秀頼によって再建されました。江戸時代以降は日根野・上之郷・長滝など樫井川流域の村々を氏子としました。』
大阪府泉佐野市日根野631-1
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鳥居


拝殿

狛犬



本殿(大阪府指定有形文化財)
「向拝、縁側廻りに修理の部分が認められるが細部の手法はよく桃山時代の特徴をあらわし斗栱など見るべきものがある。社殿としては比較的大きな部類に属し堂々として雄大な風格を示している。」















末社

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慈眼院

2019-01-27 15:13:35 | 大阪
2019年1月24日、お参りしました。
「真言宗御室派の寺院で、山号は大悲山。隣接する日根神社の神宮寺でした。天武天皇2年(673)、天皇の勅願寺として開創されました。その後、弘仁6年(815)、弘法大師によって多宝塔、金堂をはじめとする諸堂が再興されたと伝える。」
大阪府泉佐野市日根野626
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鐘楼





庫裏

本堂

金堂(重要文化財)
「鎌倉前期(1275-1332)建立、桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺。」

多宝塔(国宝)
「鎌倉前期の文永8年(1271)建立、三間多宝塔、檜皮葺。」
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総福寺鎮守天満宮

2019-01-27 15:12:32 | 大阪
2019年1月24日、お参りしました。
目立たないでひっそりと佇むお宮さんです。総福寺は廃寺となり、お堂が一つ残っています。
大阪府泉佐野市日根野1119-1
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鳥居

狛犬



本殿(重要文化財)
「桃山時代の天正4年(1576)頃建立。小規模な一間社春日造の本殿で、部材の保存が良い。 細部手法に特色があり、近世神社建築の先駆をなすものとして重要な遺構である。」



願かけなで牛

末社
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意賀美神社

2019-01-27 15:11:41 | 大阪
2019年1月24日、お参りしました。
「延喜式神名帳に記載されている古い神社です。祭神はタカオカミで、竜神即ち水を支配する神です。」
大阪府泉佐野市上之郷45
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鳥居

拝殿





本殿(重要文化財)
説明書より「室町中期の嘉吉2年(1442)建立、一間社春日造、向拝正面軒唐破風付、檜皮葺。泉佐野市の神社建築では最も古く、一間社春日造りでは大阪府最古のものです。」










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花山温泉薬師の湯

2019-01-26 22:37:34 | 温泉、旅館、ホテル
2019年1月23日、茶褐色の濁り湯なので大阪観光をして少し足を延ばして利用しました。
プラン名は「【2食付♪】四季彩会席と成分濃厚な天然炭酸温泉に泊まる。」です。
泉質は、含二酸化炭素・鉄・カルシウム・マグネシウム・塩化物泉でph値6.3、源泉温度25.2℃。大浴場は41.5℃、源泉風呂は26℃、内風呂37℃、露天風呂39℃、泡風呂、サウナ風呂などがあります。日帰り温泉として結構の利用者が入浴していました。
和歌山市鳴神574
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外観







2月2日にウラマヨで13時から放送されるようです。



館内











売店



室内



おもてなし

食事会場



夕食、四季彩会席、大阪観光をして喉も乾いていましたので、生大ビールで食事を堪能しました。
先付、黒豆胡麻豆腐・山葵・くこの実

お造り、鯛・鮪・カンパチ

煮物、蟹真丈・梅麩・里芋・竹の子・菜の花

焼物、カンパチ味噌柚庵焼・とり松風・紅白はじかみ

揚物、海老金婦羅揚げ・くわい・鯛・パプリカ・あわ麩

酢の物、サーモン錦糸巻

蒸し物、鱈白子茶碗蒸し

台の物、豚小鍋

じゃこ釜めし



デザート、苺・生クリーム

朝食

花山薬師










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金剛寺

2019-01-26 22:09:42 | 大阪
2019年1月23日、お参りしました。
パンフレットより『奈良時代、聖務天皇からの命をうけて行基菩薩が密教の寺院「天野山金剛寺」を創建。平安時代初期に「弘法大師が密教練行の聖域にした」との言い伝えが数々残っています。平安時代末期にになると、境内は荒れ果ててしまい、八条女院の政治力と阿観上人の知恵と手腕で復興を成し遂げました。寺領は拡大を続け、子院の数が100を超えて行きます。古い境内図を見ると、伽藍を中心にたくさんの子院が建ち並び、都市に入る門は二重になっています。これは枡形と呼ばれ、城郭の門と同じ構造をとっており、外敵から身を守ることを想定した都市計画がなされています。総合大学クラスとなった学問所から知能にと邁進していきます。清流に恵まれた土地柄、清酒づくりに成功して僧坊酒を生産するなど、商業の流通も発展しました。労働力で生産量をあげて、地域の経済を潤していきます。当時、日本でも流通していた中国銭も境内から多くみつかっています。中世に巨大な境内都市として発展してきました。時を刻み続けた寺院史は濃くふかく、類稀なる文化財を現世へと残しています。』
大阪府河内長野市天野996
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総門

案内図

所化部屋

寺務所











楼門(重要文化財)
「鎌倉後期(1275-1332)建立、三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺。」



増長天立像(重要文化財)



食堂(重要文化財)
「室町前期(1333-1392)建立、桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、本瓦葺、正面軒唐破風付、本瓦葺。」



鐘楼(重要文化財)
「室町前期(1333-1392)建立、桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺。金剛寺の建物としてはめずらしい唐様の様式を取り入れている。主要部は丹塗、板類は胡粉、連子は緑青、袴腰は黒塗である。」

金堂(重要文化財)
「平安時代治承2年(1178)建立、桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、正面向拝一間、背面一間通り三間庇、本瓦葺。」









多宝塔(重要文化財)
「平安後期(1086-1184)建立、三間多宝塔、こけら葺。豊臣秀頼公による修理の際に大改造された。昭和13年の解体修理で、わが国最古の多宝塔の形式をとどめた極めて貴重な建物であることが判明した。」







経蔵(大阪府指定文化財)

宝蔵(大阪府指定文化財)

薬師堂(大阪府指定文化財)

五仏堂(大阪府指定文化財)
「平安時代の創建。三宝院とも大日堂とも称された。慶長11年(1606)の再建。」



御影堂(重要文化財)
「桃山時代の慶長11年(1606)建立、桁行四間、梁間四間、一重、宝形造、正面向拝一間、背面向拝二間、観月亭 桁行南面一間、北面二間、梁間一間、一重、東面向唐破風造、西面御影堂に接続総檜皮葺。」



法具蔵(大阪府指定文化財)

護摩堂(大阪府指定文化財)
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烏帽子形八幡神社

2019-01-26 22:06:34 | 大阪
2019年1月23日、お参りしました。
「烏帽子形山には楠木七城(河内七城)のひとつとされる烏帽子形城があった。楠小二郎がこれに拠い、城の鎮護として創祀したものと伝えられる。」
大阪府河内長野市喜多町305
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鳥居と参道





烏帽子形恵比須社



参道の階段

本殿(重要文化財)
「桁行三間、梁間二間、入母屋造の檜皮葺、三間の向拝をつけています。正面中央に五段の木階をつけ擬宝珠高欄をめぐらし、側面後端に脇障子をおき、向拝に浜床、その正側面三方に浜縁を設けています。創立年代は明らかにする資料はありませんが、現在の社殿は棟札の墨書によって文明12年(1480)に建立されたことがわかります。」







比良野社

稲荷社





烏帽子形城跡(国指定史跡)の案内

「楠公武威の松」


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長野神社

2019-01-26 22:05:28 | 大阪
2019年1月23日、お参りしました。
説明書より『旧長野・古野の一部を氏神とするこの神社は素戔嗚大神を祀っている。また長野恵比須としてもよく知られている。江戸時代中期の頃までは、木屋堂宮・牛頭天王宮とも言われ、命じ元年に長野神社と改称された。
 長野神社は、明治初年の神社合祀でつけられた名称です。江戸時代には「木屋堂宮」あるいは「牛頭天王宮」と呼ばれていました。この「木屋堂」は正和2年(1313)の後宇多院御幸記に木屋堂御所の記載が初見です。その後も元弘3年(1333)の粉河寺文書や応永6年(1399)の日野観音寺大般若経奥書に「木屋堂」の記事が見られます。』
大阪府河内長野市長野町8−19
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本殿(重要文化財)
「長野神社の本殿は、一間社流造りで、正面に千鳥破風と軒唐破風がつき、屋根は檜皮葺きです。この建築年代は、天文18年(1549)の棟札のある観心寺の訶梨帝母天堂や天文12年の棟札のあった堺市の多比速比売神社本殿とも似ていますので、これらと同時代と推定されています。」







五社

恵比須社

天神社

カヤの木(大阪府天然記念物)、幹回り4メートル、高さ約17メートル
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