旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

有楽・三朝温泉

2020-12-21 21:56:44 | 温泉、旅館、ホテル
2020年12月20日、利用しました。
三朝温泉の{かがり火の宿 有楽}に宿泊しました。
部屋タイプは8畳+8畳です。宿泊プランは、【平日限定】一泊二食付きプラン再開記念♪ずわい蟹&鳥取和牛のおまかせ会席!です。
三朝温泉はラドン含有の温泉です。町有混合泉(1号泉・4号泉・6号泉・新1号泉、約50℃)です。雪がちらついていました。屋根には40cmくらい積もっていました。
鳥取県東伯郡三朝町三朝642-1
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玄関



ロビー









廊下













階段の明かり





庭園

湯上り処







室内
8畳+8畳の2間です。







マッサージ機があります。



おもてなし

踏み込み

洗面

雪が積もっています。

食事会場

夕食です。一献書

食前酒、梅酒

三朝正宗を熱燗で頂きました。

茶碗蒸し、栃餅・銀杏

酢の物、ズワイ蟹

椀物、親ガニの味噌汁

造里、蟹刺身

焼八寸、鰆の柚庵焼・秋刀魚鮨・プチトマト・干柿の鳴門巻・イクラと春菊・鴨・クルミ

台の物、鳥取和牛





蟹雑炊

デザート、抹茶プリン

朝の景色

朝食
サラダ

焼き海苔

出汁巻き玉子



イギス

和え物

湯豆腐

赤出汁

香の物

オレンジジュース

庭園、雪が積もっています。
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赤穗市尾崎の散策

2020-12-11 18:37:09 | 西播磨
2020年12月10日、赤穗温泉の旅館祥吉に宿泊し、帰路で赤穗市尾崎を散策です。
まずは、赤穗八幡宮です。
「赤穂八幡宮は赤穂の氏神さまとして、室町時代の1406年(応永13年)に、現在の鎮座地に赤穂市の西(銭戸島)から 応神天皇(八幡大神)が遷座されました。室町時代は播磨国守護赤松家の庇護のもと維持され、江戸時代は赤穂藩主池田家、浅野家、森家の信仰のもと発展しました。明治維新に神仏分離がなされ八幡神社と呼ばれましたが、昭和27年以降は江戸時代の社名である八幡宮へ戻し、現在に至っています。」
赤穂市尾崎203番地
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社標

鳥居

太鼓橋



狛犬



手水舎

社務所



拝殿







長堂の絵馬













本殿





末社三光神社





八幡宮の東の小路を時計回りに散策します。

如来寺
「天台宗の寺院で、1605年(慶長10年)開創、開基は源清上人、本尊は阿弥陀如来。尾崎赤穂八幡宮別当神宮寺として、歴代の藩主大名及び地方の信者の参詣が多かったと伝えられ、明治維新になり神仏分離によって行基作と伝えられる阿弥陀如来を安置して1870年(明治3年)に如来寺と改め現在に至ります。本堂には阿弥陀三尊を、薬師堂には薬師如来が安置されています。」
兵庫県赤穂市尾崎829













塩釜神社
「赤穗八幡宮の摂社、塩釜神社、金毘羅神社、天神社の三社が1918年(大正7年)に合祀された。」









普門寺
「聖徳太子によって開かれ、慈覚大師により創建されました。もともとは、天台宗長安寺と共に、赤穂城下の東北に位置する雄鷹台山に建立されていました。」
兵庫県赤穗市尾崎825−2







































太地堂

宝崎神社(ノット)
「境内には古代神功皇后が船を着けたといわれるノット岩があり、八幡宮の神幸式ではこのノット岩まで渡御を行います。『ノット』とは『祝詞(のりと)を奏上する所』からその呼び方になったといわれています。宝崎神社には他に水神社と稲荷神社があります。」
赤穂市尾崎618番地
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宝専寺
説明書より「昔の宝専寺は真言密教の霊場として尾崎地区の北東の山の上にありましたが、戦国時代の1536年に浄土真宗のお寺として、現在の場所に移されました。その後、江戸時代に、本願寺から特別に一寺二住職の免許を得て、東院と西院の二人の住職がいる全国でも珍しいお寺になりました。当寺院で江戸時代中期に始まった正月の『めでたい舞い』恵比寿大黒舞は兵庫県無形文化財に指定されています。」
赤穂市尾崎595


























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赤穗市御崎周辺散策

2020-12-11 17:41:22 | 西播磨
2020年12月10日、赤穗温泉の祥吉に宿泊し、翌朝の散歩で周辺を散策しました。
旅館を出て、海沿いに北向いて歩きます。
赤穗だんつう工房の毯なか

お堂

赤穗温泉の看板



周遊バス乗り場

田渕記念館

塩味饅頭三島屋本店

レトロな家

正福寺(赤穗義士史蹟)
兵庫県赤穂市御崎478
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「補陀山と号し、浅野家の菩提寺である台雲山花岳寺の開山秀巌龍田大和尚の退隠された曹洞宗の寺院です。はじめは、城下の加里屋にあったとされており、後に御崎の現在地に移された。1701年(元禄14年)3月、浅野内匠頭の殿中刃傷の変が赤穗に伝わるや当時三世良雪和尚は大石良雄を檄するに『君辱死臣』の名言を与え、元禄の快挙として世に伝わる討ち入りを果たさせた。また大石良雄と良雪和尚が共に囲碁を愛したことは『二良の対局』の寺として世に有名です。寺には、この対局の碁盤や、仇討ち前日にしたためられた大石良雄の暇乞状、また、母への大高源五の暇乞状をはじめ、小野寺十内・原惣右衛門・赤埴源蔵ほか数々の義士書状が残っており、大石良雄が描いた両親の画像も保存されている。」





思誠小学校発祥の地
「1872年(明治5年)の学制公布を受けて、1873年3月20日に正福寺を仮校舎として新浜村(現在の御崎)に初めて小学校となる思誠小学校を発足した。」

法雲寺
「日蓮宗の寺院で山号を啓昌山と号す。」



猫さんに会いました。



光徳寺、真宗大谷派の寺院









廣度寺、浄土宗の寺院で常光山と号す。
廣度寺の本堂は、大石内蔵助が、開城の際に移り住んだ尾崎の「おせど」から通って残務処理をした、赤穂城下の「遠林寺」本堂が移築された。
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旅館に戻ります。

港にはレジャーボートがたくさん繋留されています。

仕出しの梅田商店

赤穗海浜公園の観覧車




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潮彩きらら 祥吉(赤穗温泉)

2020-12-11 15:19:50 | 温泉、旅館、ホテル
2020年12月9日、利用しました。海沿いに建つ旅館です。温泉は、弱含ラドン、カルシウム・ナトリウム、塩化物強塩低温泉のpH6.95です。早めの到着で、ゆっくりと温泉を楽しみました。大浴場から瀬戸内海の島影に夕日が沈むのを見て浴槽に浸かりました。素敵でした。夕朝は男女入れ替え制です。露天風呂が瀬戸内海を展望できます。
 宿泊プランは「浜会席」でスタンダード和室10畳でした。スタッフは皆さん若くて、丁寧で親切な応対でした。
兵庫県赤穗市御崎2-8
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外観

玄関

フロント

到着後にロビーでのおもてなし



売店



ロビー





アイスキャンデーの無料サービス、お風呂上りに1本

利き酒、忠臣蔵(本醸造)、忠臣蔵(生)、雪彦山(吟醸酒)、奥播磨(純米酒)、夕食前に提供しています。

赤穗浪士



ラウンジ

エレベーター内の飾り

廊下



















客室









おもてなし

窓からの眺望



夜にはかがり火が焚いていました。



洗面

夕食です。会場食です。家族ごとにテーブルを分けての提供です。足元は掘りごたつ式で暖房が入っていました。



食前酒、柚子ワインで乾杯、前八寸、帆立山椒煮・小松菜と湯葉の炊いたん・雪輪蓮根・公魚みじんこ揚

清酒の忠臣蔵を注文しました。

造り、季節五種盛り、鯛・鮪・ハマチ・鮑・雲丹

凌ぎ、焼アナゴ蒸し寿司



焼肴、鰆柚庵焼き・カリフラワー摺流し・炙りスペアリブ

鍋物、牡蠣鍋白味噌仕立て



揚物、牡蠣フライ

御飯、留椀、香の物

デザート、アイスクリーム・チョコムース・ラズベリージュレ・塩味饅頭

夕食後、部屋に戻ると"折り鶴"とメッセージ

朝食です。同じ会場です。
サラダ、小松菜とじゃこ、胡瓜の酢の物、豆と佃煮、塩海苔、ミカンジュース・ニンジンジュース・トマトジュース

出汁巻き、鯵の開き、

煮物

湯豆腐



味噌汁
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魚吹八幡神社

2020-12-11 11:28:26 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「魚吹八幡神社の起源は202年(神功皇后摂政3年)、西海より御環幸のとき、お艦(ふね)を宇須伎津の湊に泊められた際、皇后御神託を受け此処に浄地を開き一小社を造り、五依姫命を奉祀して敷島宮と号せられました。第16代仁徳天皇悪夢を畏み給いて紀角宿禰を遣わされ、319年頃、上の御三神を崇め祀られました。505年(第25代武烈天皇7年)に至り、魚の砂吹き寄せの故事に依り魚吹大神宮と号せられました。
 725年(神亀2年)播磨大掾吉備朝臣魚養公、神域を営繕しましたが、保元の頃(1165年~1158年)、石清水八幡宮の別宮となり源平の乱世も公武の厚く保護せられるも、1576年(天正4年)兵火に罹り社殿すべて灰尽となり祭祀の中断のやむなきに至りました。後1645年(正保2年)網干3ケ村、氏子協力して正殿を再建し、1650年以上に亘り、当地方産土神として信仰と伝統が受け継がれてきました。今日では氏子25ケ村、戸数15000戸を擁し特に秋の例祭には見事な屋台練りと、宵宮の華麗な提灯練りが繰り広げられます。」
兵庫県姫路市網干区宮内193
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楼門(兵庫県指定文化財)
「建築年代は不祥だが、鬼瓦及び丸瓦に『1686年(貞享3年)の刻銘がある。三間一戸八脚入母屋造楼門で、どっしりとした重量感があり、細部手法も優れており、播磨地方における江戸時代前期の代表的な楼門である。」















手水舎



狛犬



拝殿・注連柱

















鐘つき堂

社務所

神馬舎

本殿(姫路市指定文化財)
「現在の本殿は1645年(正保2年)の再建と伝えられる。桁行三間、梁間三間、入母屋造り、正面千鳥破風付き平入本殿で、屋根銅板葺きで、播磨地方において江戸時代前期という遺構の少ない時代の建築である。」



厳島神社



敷島神社本殿(兵庫県指定文化財)
「三間社流造で、三方廻り縁・高欄付、中規模ながら細部手法にも優れている。社伝に1645年(正保2年)網干郷民協力して正殿を再建し摂社等を整備したと伝えている。江戸時代初期の神社建築の技法を今によく伝える貴重な文化財である。」

金比羅神社

三神社

松尾神社

放生池

招魂社







力石
「江戸期の文政・天保年間、力石を担いで大力持ちとして関東一円を風靡した武州岩槻藩領三野宮村生まれの『三ノ宮卯之助』が仰向けになって両足で差回した『曲持ち』銘の力石と、手で差し上げた『差し石』銘の力石が当神社に現存する。これは1840年(天保11年)2月、大阪・天満宮で三ノ宮卯之助一行が興行したさい、魚吹八幡神社の氏子である網干回船の船仲間たちが当神社に招き興行したものとみられる。卯之助が担いだ刻銘の力石は、長野・諏訪大社など関東を中心にして26の有名な神社に37個現存しているが『曲持ち』と刻まれた力石は当神社に唯一つ残る貴重な力石。当地より以西には三ノ宮卯之助の足跡は見当たらない。」

小松神社
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亀山本徳寺

2020-12-10 23:08:48 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「亀山本徳寺は、もとは英賀の地にあった浄土真宗布教の本拠、英賀本徳寺(御堂)が1580年(天正8年)秀吉の英賀城攻略の時、秀吉の命により現在地の亀山に移されたのに始まる。のち、本願寺が東西に分かれたのに従い西本願寺派の播磨の根本道場となった。
 現在の建物は英賀から移転した当初頃の建物と推定される鼓楼を始めとし大部分が、17世紀末から18世紀前半(江戸中期)のもので18世紀後半の住宅風建物の茶所や大門など全体として30棟近くの建物である。建物全体が播磨における浄土真宗の中心道場としての伽藍形態を良く伝えていると共に個々の建物が年代を異にしていて江戸時代の建築様式を知ることが出来る点で貴重である。」
兵庫県姫路市亀山324番地
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大門(兵庫県指定文化財)
「1709年(宝永6年8月)建築、一間一戸四脚門、切妻造、本瓦葺。」













手水舎

本堂(兵庫県指定文化財)
「県下最大の仏堂で18世紀の代表的建築、もと西本願寺の北集会所だったが、1873年(明治6年)移築した。妻入の本堂も珍しい。」





庫裏(兵庫県指定文化財)
「土間と49畳の板間と4つの小部屋があり、県下最大規模の庫裏、1719年(享保4年)の年号が瓦銘(獅子口)にあり、英賀当時の瓦も一部使われている。」

経堂(兵庫県指定文化財)
「18世紀中頃建築、方三間もこし付經堂、方形造、本瓦葺。」







鐘楼

浄華堂

大玄関(姫路市指定文化財)
「1691年(元禄4年8月)建築、正面三間・側面五間・唐破風本瓦葺。」

大鼓楼(姫路市指定文化財)
「十八世紀中頃建築、層正面三間・側面四間、上層方二間、上下層ともに入母屋造、本瓦葺。」



中宗堂(蓮如堂)










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射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)

2020-12-10 21:45:03 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「当社は播磨総鎮守、姫路城鎮護の神社として、播磨一円の人々はもとより、歴代の城主にも篤い尊崇を仰いできました。古くから『総社さん』の呼び名で親しまれていますが、『射楯大神』と『兵主大神』を本殿に奉斎することから正式名称を射楯兵主神社と云い、播磨国風土記にも登場する歴史ある神社です。
 射楯大神は『五十猛尊』と称し、素戔嗚尊の御子神であられ、日本の国土に檜を植樹された神さまで、幸福へ導く道開きの神さまでもあります。
 兵主大神の別名は『大国主命』『大黒様』と云い、縁結びの神さまと名高く、産業・医薬・酒造などの国造りの神さまでもあります。
 また、境内の摂社・末社には、天照大御神、ゑべっさんをはじめ、名のある64座の神々を祀り、総社の名の由来にもなっている播磨国総神殿には、播磨国内の大小明神174座の神々を奉斎し、日々の平穏と繁栄を祈願しながら人々の暮らしを見守っています。」
兵庫県姫路市総社本町190
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社標

神門





西門

手水舎



狛犬



拝殿







本殿



恵美酒社・住吉社

鹿嶋神社





琴平社

東播磨総神殿

十二社合殿

西播磨総神殿

神明社

戸隠社

稲荷社





案内社八幡宮



粟島神社

長壁神社

厳嶋神社

長生殿



車祓所

八重垣門










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白国神社

2020-12-10 20:28:27 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
「白國神社は、姫路市街地の北部にある広嶺山の山麓に位置する神社である。白國の地は、稲背入彦命が播磨別となり阿良津命が播磨国の初代国造りとなり、この地方を治め、その子は佐伯直の氏姓を賜り、佐伯蓮・差浮き宿祢など、代々大和朝廷の要職に就いてきたので、古くから開けた土地であった。『延喜式』神明、飾磨郡四座のなかに『白國神社』の名が、『峰相記』『播磨鑑』にも『白國大明神』の名があり、明治中期まで白国氏が神官として75代続いたという由緒ある神社である。
 八幡社は、本殿の北に位置し、南面して建っている。かつては白國大明神を祀る本殿であったが、昭和10年に県社昇格を祝って現本殿を新築した際、現在地に移して八幡神を勧請したものと伝え、様式的に17世紀末から18世紀初頭の建築と考えられる。
 一間社隅木入り春日造で屋根は銅板葺になっているが、かつては柿葺きであった。正面、側面の三方に切目縁を廻し、高欄、脇障子を置く。軸部円柱の身舎内部は奥行き中央付近で前後に分かち、正面外陣、背面内陣とし、内陣には宮殿を置き、内外陣境は引き違い戸四枚とする。外陣正面は両開きの桟唐戸である。正面向拝は庇を身舎幅より片側で四枝落ちとし、木階七級、浜床、浜縁がつく。縁廻り、高欄、脇障子、浜縁(浜床)は後補である。
 規模は小さいながら、組物を出組とし、蟇股や妻飾りに意匠を凝らしている。身舎の蟇股は正面に鳳凰、右側面に竹に虎、背面は波に兎、左側面は梅に鶯となっており、正面向拝に龍(裏側は渦)が配してある。身舎組物は出組で軒支輪(蛇腹支輪)とし、向拝は出三斗で、海老虹梁で身舎と繋ぐ。身舎、向拝とも頭貫および肘木先端の木鼻に繰形が付く。妻飾りは、正面は虹梁大瓶束で背面は二重虹梁大瓶束である。背面は支輪が廻っているため、背面妻飾り部分が手前にせり出しており、下段の虹梁の間に立葵と菊の紋を飾った蟇股を配している。紋は姫路城主であった本多家と神社の紋を組み合わせたもので、本多家との特別な関係を物語っている。
 17世紀末から18世紀初頭にかけての華麗な細部意匠をもつ上質な建築物であり、白國神社の旧本殿として歴史的に重要である。縁廻り等は後補であるが、全体として保存状況も良い。』
兵庫県姫路市白国5-15-1
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社標

随神門





大石鳥居
「1717年(享保2年)9月に氏子中にて建てられたもので、播州餝東郡国衛庄白國神社と刻まれている。」

撫で戌



社務所

手水舎





参道

池鯉鮒社

狛犬



拝殿









神馬



本殿







山森稲荷社

白国神社八幡社(姫路市指定重要有形文化財)
「1935年(昭和10年)に現本殿の新築に伴い、旧本殿を移築したものと伝えられている。一間社隅木入り春日造りで、規模は小さいながら組物を出組とし、蟇股や妻飾りに意匠を凝らしている。屋根は現在は銅板葺きであるが、かつては柿葺きであった。17世紀から18世紀初頭にかけての華麗な細部意匠をもつ上質な建築物であり、白国神社の旧本殿として歴史的に重要である。」








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随願寺念仏堂

2020-12-10 20:07:03 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「随願寺念仏堂は常行三昧堂として建てられたものと思われる。1085年(応徳2年)白河天皇の中宮賢子の菩提のため常行堂を二階五間の堂に改め造くられたと増井山集記に記載されている。現在の建物は棟札により江戸時代の1809年(文化6年)大工棟梁池内忠兵衛により完成したものである。本尊は弥陀三尊である。周りには姫路藩士の墓や榊原藩士の墓がある。太子谷には風羅堂跡があり、芭蕉につながる誹諧の地である。姫路城主酒井忠恭の千山を思い『はせを葉や風にやれても名は幾世』と詠じた歌碑もある。」
兵庫県姫路市白国三丁目12-5
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山門







念仏堂
























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八葉寺

2020-12-10 18:54:20 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「八葉寺(はちようじ)は、播磨西国三番札所で播磨天台6か寺の一つに数えられる古刹です。736年(天平8年)、行基上人の開基と伝えられ、平安時代『日本往生極楽記』を書いた寂心上人が中興したのが始まりとされています。毎年1月7日に修正会鬼会式(鬼追い)が行われます。これは不動明王、毘沙門天の化身とされる赤鬼、青鬼が『息災延命』『五穀成就』の願いを込めて踊るものです。」
姫路市香寺町相坂1068
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紅葉が素敵ですね。





山王社

行者堂



本堂











弁天堂





観音堂








鐘楼堂













妙勝院










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