旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

るり渓谷

2017-11-30 21:07:38 | 京都
2017年11月28日、散策しました。前日にるり渓温泉に宿泊し、送迎バスで渓谷の入り口まで行き、そこから約1時間の散策でした。
るり渓谷は、京都府南丹市園部町大河内に位置し、大堰川支流、園部川が流れる全長4kmの渓谷で、国の名勝に指定されています。
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るり渓谷散策マップ





































[快刀厳]大きな岩の真ん中を、刀でスパッと割るように松の木が生えている。





[巨盆岩]お盆のような平らな大岩





[螮蝀泉]滝の水しぶきによって美しい虹ができる泉







[龍軻潭]龍が歌を歌っている深い淵





[渇虯澗]龍の水飲み場



[双龍淵]雌雄の龍が水中に泳いでいる深い淵

[沈虎潭]虎のように見える大きな岩がある淵

[玉走盤]岩の上を流れる水が、まるで盤上を転がる玉のよう



[高臥石]寝床のような平らな岩



[弾琴泉]広いせせらぎにいたるところに突き出た石が、たくさんの小さな滝をつくり、さながら琴を弾いているような様子



[玉裳灘]静かな浅瀬

[水晶簾]滝のおちる様子が、まるで水晶のすだれがかかっているような様子

[宝亀厳]亀のような形をした岩





[碁顚石]碁盤のような正方形な姿をした石



[千幻瀑]大きな岩を流れる飛瀑で、階段状になった岩である
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るり渓温泉

2017-11-29 23:27:44 | 温泉、旅館、ホテル
2017年11月27日利用しました。
るり渓にあり宿泊施設の本館と別館があります。温泉はラドン温泉で、大浴場と水着着用での露天の混浴があります。サウナ風呂、ミストサウナ、泡ぶろなどが楽しめます。食事は会場食で鳥鍋プランで申込しました。うどん、雑炊で締めでした。
京都イルミエール、るり渓谷の散策も目的として宿泊しました。
京都府南丹市園部町大河内広谷1−14
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客室



おもてなし

廊下

フロント



売店

食事会場



夕食、ビールとワインで美味しくいただきました。

刺身盛り合わせ









デザート

朝食

豆乳






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京都イルミエール

2017-11-29 23:08:47 | 京都
2017年11月27日、るり渓温泉に宿泊し京都イルミエールを楽しみました。10月28日より2018年1月8日まで開催しています。入場料金は1000円です。温泉宿泊者は500円です。
京都府南丹市園部町大河内広谷1−14
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大山祗神社(南丹市)

2017-11-29 22:51:19 | 京都
2017年11月27日、お参りしました。
説明書より「大山祗(おおやまずみ)神社の創立は、藤原純友の弟純索が、熊野三所権現を祀ったのに始まり、のち楠正季がこの地に文中3年(1374)社地を改めたと伝える。」
京都府南丹市園部町大河内溝ノ上5
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鳥居

狛犬



参道





本殿(重要文化財)
「建立年代は、応永26年(1419)11月20日棟上、楠の血末当村郷士下村義親、田井義高が造りかえたともいう。一間社流造、屋根は「こけら葺」箱棟をのせ鬼板をすえている。この鬼板には鬼面を彫刻したものを張り付けためずらしいもので、類例の乏しい貴重な資料である。建物の構造は簡素であるが建築年代明らかであり、特に屋根柿葺も初建当時の形式を良く保存している。なお天井には初建当時の工作型板12枚を保存しているなど稀有な資料がある。」


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徳雲寺(南丹市)

2017-11-29 22:51:00 | 京都
2017年11月27日、お参りしました。
「1385年地元の豪族荘林氏が希曇禅師を招いて開創され、1619年小出吉親が初代藩主となって園部藩が立藩して以降、小出家の菩提寺となった。」
京都府南丹市園部町小山東町塩田谷7
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手水鉢:四隅にフクロウの彫刻が施されている。




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生身天満宮・園部城址(南丹市)

2017-11-29 22:08:32 | 京都
2017年11月27、お参りしました。
『日本三大歌舞伎「菅原伝授手習鑑」に登場する式部源蔵は、生身天満宮最初の宮司です。もう、千年以上も昔のこと。現在の宮司は、三十八代目。今も式部の姓を継ぎ、生身天満宮をお守りしています。「天神さん」と親しまれる天満宮は、全国に約1万2千社あり、菅原道真公が生きておられる時からお祀りしたのは、唯一生身天満宮だけです。これが、日本最古の生身(いきみ)天満宮と称される由来です。延喜元年(901)、菅原道真公は大宰府に左遷を命じられました。当時、京都・園部の役人であった源蔵は、菅公から八男の慶能君をかくまい育てるように頼まれました。引き受けた源蔵は、園部の地で慶能君と共に菅公の無事の帰りを待つこととなります。源蔵は、ひそかに祠を建て、自ら彫った菅公の御木像を安置し、生祠(いきほこら)としてお祀りします。菅公と仰ぎ、日夜ご安泰を祈り崇敬の誠を尽くしました。しかしその甲斐なく2年後、菅公は大宰府でお亡くなりになるのです。それから源蔵は、この生祠を霊廟として途絶えることなく礼拝しました。後、天暦9年(956)に、慶能君と共に神社と改め生身天満宮と称し、千年の時を越えて現在に至ります。」
京都府南丹市園部町美園町1号67番地
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燈籠

鳥居

参道







厳島神社



稲荷神社



式部源蔵社





狛犬





鳥居











本殿(京都府指定文化財)
「棟札より承応2年(1653年)の遷座時に建立されたとみられます。」

















園部城址
「元和5年(1619)、但馬の出石から移封となった初代園部藩主小出吉親公は、約2年間を費やして、この地に園部陣屋を築きました。歳月を経て折しも戊辰戦争のさなか最後の園部藩主(第十代)小出英尚公は明治新政府から園部陣屋をより強固な園部城として整備をする許可を受け、明治元年(1868)から明治2年にかけて櫓門・巽櫓の他、小麦山山頂に三層の櫓を築きました。しかし、新たな時代の潮流の中、園部城は明治5年(1872)そのほとんどが取り壊され、今は残った巽櫓などが往時を忍ばせます。」
南丹市園部町小桜町
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九品寺(南丹市)

2017-11-29 21:39:11 | 京都
2017年11月27日、お参りしました。
「九品寺(くほんじ)は、当寺に伝来する縁起などによると、弘法大師によって建立され、その後、白河天皇皇子の覚行法親王が伽藍を整備したと伝えられる。中世の戦乱によって伽藍は焼失するなどして荒廃したが、現在の大門と呼ばれる仁王門のみが残り、かつての様子を今に伝えている。なお、境内地には宮内庁管理の覚行法親王墓がある。」
京都府南丹市園部町船阪大門47
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大門(重要文化財)
「鎌倉後期(1275-1332)の様式で、三間一戸の楼門、屋根は入母屋造桧皮葺である。上層と下層の間には屋根はなく、高欄と回縁がつく。」





仁王像(南丹市指定文化財)





















本堂

覚行法親王墓

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春日神社(南丹市)

2017-11-29 19:49:35 | 京都
2017年11月27日、お参りしました。
「春日神社は、平安時代初期の大同2年(807)蟠根寺の守護神として春日大明神が建立され、仁平2年(1152)平清盛の進言により、桐の庄18カ村の総社として再建したと伝える。現在の社殿は形式などから室町時代初期の建立と考えられる。」
京都府南丹市園部町高屋宮ノ前1
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鳥居

説明書







境内

本殿(重要文化財)
「社殿は一間流造で間口は一間で、切妻平入りである。軒は二重の本繁垂木で、柱の組物は三ツ斗組である。正面の組物の間には優美な笹竜胆の彫刻を施した蟇股を装備している。」
















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梅田神社(亀岡市)

2017-11-29 19:49:15 | 京都
2017年11月27日、お参りしました。
説明書より「当社は天児屋根命を祀り、『類聚国史』『古跡志盥魚記』『明和丹波志』等の古書に掲載され、和銅2年(709)の創建と伝える。清和天皇の貞観5年(863)5月5日丹波に国に雪が降り五穀不穣、しかるに、井路の地だけは神徳によって豊かに実り、それらの種子を分け与えた。これによって一地域を挙げて御赦免朱印地とせられ、井路村を印地村と改め、この文字を用いるようになった。梅田神社の称号は最明寺時頼(北条時頼)、鎌倉幕府の執権(1227~1263)が諸国巡行の節、謹みて『梅田神社』の称号を賜った。室町時代には、丹波守護細川氏の崇敬があつく、細川勝元は宝徳2年(1450)神領地を寄進し、境内地とともに免租地としたという。天正5年(1577)明智光秀の兵火にかかり衰退したが、本殿は焼失を免れたと伝える。その後、当地を領域とする篠山城主青山下野守は特に信仰が篤く、かつてのように境内及び神領をご赦免地とし、古式による神事祭典を行った。当社には葺替等の修理に関する棟札が多く伝わり、社殿にかける人々のあつい思いがしのばれる。境内には大変めずらしい榁の古木がある。」
京都府亀岡市旭町宮ノ元23
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鳥居

ムロノキ(亀岡の名木)
「常緑低木まれに高木。やせ地や湿地に生え、成長は遅くまれに大木となるが、これだけの大木は極めて珍しい。一般に用いられる名前はネズでネズミサシ、ネズとはこの枝を鼠の通り道に置くと葉が鼠を刺し、そのうち鼠がいなくなったことから『ネ居ず』が転訛してネズとなったといわれている。胸高幹回2.2m、樹高12m」







本殿(重要文化財)
「現在の本殿は、建武5年(1338)北条高時、執権のとき、家臣藤井盛次に命じて建立した。一間流れ造、檜皮葺である。長禄3年(1459)の修理をした。全体に装飾は控えめで、架構は簡素である。細部様式は古様を示すものが多く、その中で身舎頭貫に大仏様系の木鼻を用い、斗栱肘木に禅宗様の笹繰を施すなど、鎌倉時代に宋から伝来した様式を採用していることが注目される。緩やかな屋根の曲線と軒反りの美しい、繊細高雅な建築である。」








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出雲大神宮(亀岡市)

2017-11-29 19:48:34 | 京都
2017年11月27日、お参りしました。
由緒書より「当宮には大国主命とその后神三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主宰神と称し祀り他に天津彦根命、天夷鳥命を祀る。特に三穂津姫命は、天祖高産霊尊の御女で大国主命の国譲りの砌、天祖の命により后神となり給う。天地結びの神即ち縁結びの由緒亦ここに発するもので俗称元出雲の所以である。日本建国は、国譲りの神事に拠るところであるが、丹波の国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり、此処に国譲りの所由に拠り結ばれたのが当宮である。古来大平和の御神意に拠り、国と国、人と人総ての結びの大神を祀るとして上下の尊崇極めて篤かった。崇神天皇再興の後、元明天皇和銅二年に初めて社殿を造営、現社殿は鎌倉初期の建立にして、それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し古来より今尚禁足の地である。又御陰山は元々国常立尊の鎮まり給ひし聖地と伝えられている。」
亀岡市千歳町千歳出雲無番地
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千年宮鳥居

参道

紅葉の落葉でお出迎え









さざれ石

紅葉が綺麗ですね。







境内案内図

弁財天社



一の鳥居

手水鉢

真名井のいずみ

大国恵比寿社

夫婦岩



拝殿

本殿







楽殿(重要文化財)



車祓所

鎮守の杜





春日社

磐座

稲荷社



御陰の滝



上の社



笑殿社


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