旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

美作総社宮

2016-11-27 14:04:40 | 岡山
2016年11月24日、前日に湯郷温泉の竹亭に宿泊し、長福寺、本山寺、誕生寺、津山城跡、城東の古い町並みなどを散策し、美作総社宮にお参りに来ました。
岡山県津山市総社427
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由緒説明書
「美作総社宮は社記に欽明天皇の25年(およそ1400年前)大巳貴命(大国主命)を字本舘に(西方およそ1キロ)にお祀りしたのがはじまりと伝えられた。和銅6年(713)備前国から六郡を割いてはじめて美作国が置かれ、その翌年国府がこの里に開府されました。その後美作の国司が社殿をいまの社地亀甲山に移して大巳貴命を主祭神として一宮(中山神社)二宮(高野神社)の両大社をはじめ美作国65郷の総べての社祇を合祀して総社宮となづけてそのみちおよそ500年間歴代の国司はみなこのご神意を奉じて国内の政治を執り行いました。その後鎌倉時代になって国府がすたれたあともこの社は美作三大社の一つとして広く士民より崇祈され近世のはじめ美作国主森氏は多くの神領を寄進しのちの松平氏もまた祭祈料を奉納し明治維新後は県社に列せられました。」

社標

鳥居

参道



狛犬



手水舎

拝殿







本殿(重要文化財)
「現在の本殿は永禄12年(1569)に毛利元就が造営したものでのち明暦3年(1657)に国主森長継が大修理を加え近くは昭和7年に国と氏子の崇敬者一堂の協力によって解体修理がおこなわれました。この地方独自の中山造で、桁行三間・梁間三間・一重入母屋造・妻入、向拝一間・向唐破風造、こけら葺である。入母屋妻入の独特な様式をもち規模、豪壮で華麗な彫刻を総社宮に配置した桃山時代の代表的なすぐれた建造物で全国の総社宮のうちで当社のみが大正3年国宝に、現在は国の重要文化財に指定されています。」









神輿社

末社









お疲れ様でした。
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鶴山八幡宮(津山市)、装飾が凝っています。

2016-11-27 10:17:47 | 岡山
2016年11月24日、津山市内の城東重要伝統的建造物群保存地区を散策した後、鶴山八幡宮にお参りしました。
岡山県津山市山北159
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「八幡神社はもと鶴山(慶長年間津山城の敷地となった)にあり、鶴山八幡宮とも呼ばれてきた。この地方独特のいわゆる中山造の形式をもつ本殿で規模が大きく、良質で、保存も良い。組物を三手先とし、随所に地紋彫や浮彫を施し、丸彫や篭彫の彫刻を付けるなど、きわめて装飾性に富む。旧美作国一帯に分布する中山造の遺構のうち、最も手が込んでおり、華麗である。細部意匠の上では、江戸時代中期以降の装飾豊かな建物の早い例であり、この地方の社寺建築の動向を示す上に貴重な遺構である。」
由緒書

鳥居

狛犬



神門

境内

拝殿と釣殿(岡山県指定重要文化財)
「拝殿と本殿に繋がる釣殿は寛文9年(1669)の建造である。拝殿は桁行5間・梁間3間の桟瓦葺入母屋造で、檜皮葺唐破風向拝1間が付いている。釣殿は桁行1間・梁間6間の桟瓦葺両下造に銅板葺の背面唐破風が付いている。」

本殿(重要文化財)
「江戸時代前期の寛文9年(1669年)に建造された。津山地方独特の中山造の本殿である。随所に彫刻が施されている。建造当時は極彩色に着色されていた。」







紅梁にも彫り物が施されています。

木鼻が凝っています。







薬祖神社社殿(岡山県指定重要文化財)
「桁行5尺2寸・梁間1間2尺の栩葺流造で、鶴山の社地から移転したと伝えられており、当神社で最も古い建造物である。」



末社













お疲れ様でした。
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津山市内観光その2、妙津寺・大隅神社他

2016-11-26 23:07:07 | 岡山
2016年11月24日、津山の城東重要伝統的建造物群保存地区を散策し、一筋北側の道をを西側に進み津山城跡へと行きました。この通りは神社やお寺が並んでいます。

妙津寺
「日蓮聖人より受け継ぐ宗派、本門佛立宗の寺院です。」













大隅神社(津山市指定重要文化財・史跡)
「大隅神社境内には、貞享3年(1688)建立の本殿を初め、神門、昭徳館、玉垣、石灯籠、狛犬、手水鉢、幟立石など、多くの貴重な文化財があります。これらの建造物は、元禄から明治にかけての神社の変遷を示すものです。」





鳥居

狛犬



由緒書

参道と神門(津山市指定重要文化財)

手水舎

昭徳館

神輿

参道の階段

拝殿





本殿(津山市指定重要文化財)

























蛭子神社

蓮光寺

由緒書
「津山市林田は、中世には林田郷と呼ばれ、この地方の交易、文化の中心として、田中郷、戸川の宿と共に栄えた。林田郷はまた、津山に於ける日蓮宗発祥の地でもあった。文明年中開基の延寿山本行寺がそれである。慶長8年、森忠政津山入府の後、城下の町づくりのため、本行寺は城西に移るにおよび、慶長15年(1610)本光院日秀は、この地に明星山蓮光寺を開いた。開基檀越は金谷佐大夫夫婦である。寛文年間となり、徳川幕府の日蓮宗への禁圧所謂寛文の法難により、寺運は衰微を極めたが、延宝年間、第5世是音院日厳の入寺により再興される。下って天保末年に至り、火摩により本堂を焼失、嘉永元年(1848)第25世浄真院日誠により再建された。」

鐘楼門

本堂



















旧玉日容上人墓所



千光寺
「当寺のご開祖は、実峰良秀禅師の弟子、綱菴正宗大和尚である。開創年月日応永年間(1394年〜1428年)の頃と思われる。」





山門

本堂















観音堂

鐘楼

本蓮寺
「顕本法華宗のお寺です。慶長19年(1614)開創。」

本堂









大信寺
「江戸時代初期の元和7年(1621)の創建。本堂は江戸時代後期の天保2年(1831)に建築。」





山門

本堂

鐘楼

銅鐘

観音堂







稲荷橋

千代稲荷神社
鳥居

由緒書
「社伝によると、承平4年(934)の創建と伝えられています。鶴山の八幡宮の摂社としてあったものを築城により遷座しました。城の守護神として祀られています。」







ニの鳥居





拝殿





本殿(津山市指定重要文化財)





お疲れ様でした。
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津山市内観光その1、旧津山基督教図書館・津山郷土博物館・城東(重伝地区)・作州城東屋敷

2016-11-26 23:06:29 | 岡山
2016年11月24日、津山市内観光をしました。津山市は、岡山県の北部、津山盆地とその周辺から成り立っており、北は鳥取県と接しています。古くから美作地域の中心であり、和銅6年(713)の美作国成立時には現在の津山市総社に国府が置かれました。江戸時代には津山城の城下町となり、当時の遺構や古い町並みも残っています。津山の名前の由来は、津山初代藩主の森忠政が津山盆地中央の鶴山に城を築き、それを津山と改めたのが始まりとされています。
津山観光センターから東に歩き、城東むかし町家を散策します。
観光センター

旧津山基督教図書館(有形登録文化財)
「大正15年(1926)建築、木造3階建、銅板葺、建築面積230㎡。津山城跡の前面の角地に建つ。内村鑑三の弟子森本慶三が創設した建物で、設計は桜庭駒五郎。イオニア式の壁付柱を持ちゲーブルを設けた南面中央入口部の構え、東面にある時計付の塔屋、壁面各所の浮き彫り等に特徴がある。」







城下町案内図

津山郷土博物館{旧津山市庁舎}(有形登録文化財)
「昭和8年(1933)建築、鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、建築面積586㎡、塔屋付。市の中心部に位置する,鉄筋コンクリート造3階建の庁舎建築。中央正面に車寄を付け,背面には議場を張り出す。腰に花崗岩を貼り,頂部にはスクラッチタイル貼のパラペットを四周に巡らす。中央に5層の塔屋を設け中心性を強調した左右対称の外観が特徴。」



津山市城東
「津山市城東重要伝統的建造物群保存地区は、城下町の商家町として発展した町並みで、江戸時代に形成された町割を良く残し、江戸時代の町家を主体として昭和戦前期までに建築された、出格子窓、むしこ窓、なまこ壁、袖壁などを使用し、意匠的に優れた伝統的建造物が密度高く建ち並び、城下町に形成された商家町の歴史的風致を良く伝え、我が国にとって価値が高い。」
材木町説明書

宮川に架かる大橋







城東の説明書



橋本町説明書









城東の歴史町のおいたち







林田町説明書







































勝間田町説明書

関貫小路





作州城東屋敷
「町家の白い壁と火の見櫓がひときわ目をひきます。」











中之町説明書



松木小路































札場小路























大隅小路



















津山洋学資料館








城東むかし町家(登録有形文化財)











東美濃屋小路



















瓦屋小路





























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津山城跡

2016-11-26 20:58:16 | 岡山
2016年11月24日、湯郷温泉に宿泊し、長福寺、本山寺、誕生寺とお参りし、津山市内観光です。津山市観光協会に車を留め、とりあえずは昼食です。その後、隣接する津山城跡を散策しました。入園料300円です。
リーフレットより
森忠政と津山城築城
『慶長8年(1603)、美作一国18万6千5百石の国持ち大名となった森忠政は、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い「鶴山」を城地と決定し、翌慶長9年(1604)「鶴山」を「津山」と改めて城と城下町の建設を開始しました。途中、江戸城や駿府城普請、大坂の陣への出陣などに多くの年月を費やされましたが、足がけ13年を経て元和2年(1616)にようやく築城工事は終了したのです。』
津山城の城郭構成
「津山城は、山頂を削って本丸とし、本丸を囲むようにニの丸、三の丸が配置されています。麓には重臣の屋敷を配し、城下町との間を画する塀で囲んでいます。堀には6ケ所の門が設けられており、城下町の中心となる京町に面する京橋門を大手としています。本丸とニの丸には御殿が置かれ、建造物は本丸31・ニの丸12・三の丸17棟が把一され、門は本丸15・ニの丸7.三の丸11棟の門が存在しました。比較的コンパクトな面積の中に、これらの建造物群がひしめき合っている様は壮観であったと思われます。」
津山城の城主
「森氏は初代の忠政から4代続きましたが、元禄10年(1697)、4代藩主長成の跡継ぎを立てられずに領地没収となり、翌元禄11年には松平宣富が美作10万石を領し津山城主となりました。その後松平氏は慶倫まで9代続き明治維新を迎えたのです。」
津山城廃城と鶴山公園
「江戸時代の終焉と共にその役目を終えた津山城は明治6年(1873)には取り壊しが決まり、明治7年から明治8年にかけて石垣を残して全ての建物が解体され払い下げられました。その後津山城跡は県有地となり、明治32年(1899)には公園にするという条件で津山町に払い下げられました。翌年から城跡の公園化が進められ、当時の津山町議会議員(後の津山市議会議長)福井純一らの尽力により、昭和3年(1928)頃までには城跡全体が桜で覆われる現在の姿になったと云われています。津山城は現在建造物は残っていませんが、かつては数多くの櫓や門が存在していました。」
蘇る備中櫓
『備中櫓は、「森家先代実録」付図の「作州津山城本丸之図」に「上ノ櫓備中卜云 城下ヨリ見ユル」と記載されているように、本丸から南に張り出した石垣上に建てられた櫓であり、城下からの景観も含め、城内で天守に次ぐシンボル性の高い建造物であったと推定されます。さらに備中櫓はその内部構造も独特のものでした。奥向御殿の更に奥という場所に位置し、なおかつ御殿の一部として機能していたため、内部は御殿建築の仕上げとなっています。このことからは、備中櫓が藩主あるいはその家族という限られた人物のための空間であったことが推定されます。そのため通常の櫓では稀な全室畳敷、天井張りという構造で、絵図によると「御座之間」、「御茶席」、「御上段」等の全国的にも類例の余り見られない特別な空間が存在していました。このように景観的にシンボル性が高く、内部は限りなく御殿建築であるというこの櫓を複元することにより、築城当時の津山城の建造物の様子を体感してもらうことが可能となりました。そのため、慶長9年(1604)に森忠政が津山城の築城を開始してから400年目の節目である平成16年(2004)、備中櫓福元整備が行われたのです。』
岡山県津山市山下135
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鶴山公園案内図



津山城復元図

津山城跡説明書

森忠政公像

森忠政の説明書

表門





石垣の刻印

















三の丸



尾上柴舟碑



表中門



津山城説明書









四足門説明書



備中櫓







切手門説明書













表鉄門

表鉄門説明書

本丸

城内表玄関



矢切櫓











備中櫓













五番門と土塀の説明書



天守



多門櫓説明書

景色







備中櫓











七番門と虎口





長櫓跡



涼櫓跡

月見櫓

腰巻櫓跡

鐘撞き堂











裏鉄門













裏中門



























鶴山館







お疲れ様でした。次は津山市内を散策します。
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衆楽園(旧津山藩別邸庭園)・国指定名勝

2016-11-26 20:15:55 | 岡山
2016年11月24日、湯郷温泉に宿泊し、長福寺、本山寺、誕生寺とお参りし、津山市内観光です。津山の最初に衆楽園に行きました。入園無料で、休園日は無です。庭園の前に無料駐車場があります。
岡山県津山市山北628
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リーフレットより「衆楽園は、中国山地を借景としたスケールの大きさ、南北に長い池に四つの島を配した近世回遊式の大名庭園で、同じ様式の後楽園よりも古く、国の名勝に指定されています。明暦3年(1657)津山藩ニ代藩主、森長継公が京都から庭師を招き、仙洞御所を模して造営。水面に映る島影の美しさ、四季折々の枝ぶりにも、いかにも京風の洗練された優美さを感じることでしょう。特に銀色にベールを被ったような雪景は凄絶なまでに美しく、わざわざこの季節を選んで訪れる人も多いとか。「絲櫻 水にも地にも 枝を垂れ」この句は、山口誓子が昭和54年の春、衆楽園に吟行して詠んだもの。津山出身の俳人、西東三鬼の花冷え句碑建立の際、津山を訪れた誓子も、この庭園をそぞろ歩き、深い感動を覚えたのでしょう。」

説明書







右が紅葉島































衆楽茶屋

余芳閣

迎賓館



山口誓子句碑





















清涼軒

























津山絵図

次は津山城跡に行きます。
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誕生寺(法然上人誕生の地)

2016-11-26 17:14:21 | 岡山
2016年11月24日、お参りしました。湯郷温泉に宿泊し、長福寺、本山寺と続いて立ち寄りました。
説明書より「栃社山誕生寺は、建久4年(1193)法力坊蓮生(熊谷直美)が、浄土門念仏元祖法然上人誕生(1133)の地に、師法然上人の御徳を仰ぎ上人誕生の旧邸を寺院に改めたものです。また、蓮生は、この寺で亡き上人のご両親の追善供養のため、5年間の常行念仏を修したといわれています。以来8百数拾年の星霜を経て、境内には法然上人のゆかりの公孫樹、片目川、産湯の井戸などがあり、また法然上人25霊場第1番札所となっています。両幡の天降ります椋の木は世々に朽ちせぬ法の師の後(熊谷入道詠)

岡山県久米郡久米南町誕生寺里方808
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駐車場より

久米郡案内図

門前

山門(重要文化財)
「正徳6年(1716年)建造、三間薬医門、切妻造、本瓦葺。付帯する筋塀は安政4年(1857年)伏見宮家より寄進されたものである。」







公孫樹(岡山県指定天然記念物)
『久安3年(1147)15歳の勢至丸(法然上人)は、比叡山に旅立たれる際、高円菩提寺より杖とされた銀杏の枝をこの地にさされたところ生着繁茂し、根が上に伸び「逆木の公孫樹」ともいわれる。』





羅紗門堂

誕生寺七不思議説明書

御影堂(重要文化財)
「江戸中期の元禄8年(1695)建造、桁行五間、梁間四間、二重、入母屋造、向拝一間、唐破風造、本瓦葺、背面下屋附属、桟瓦葺。浄土宗における仏堂型本堂のうちでも、側回りを円柱・三斗組とした本格的なもの。内部は外陣を仕切るだけで、内陣まわりや位牌の間が仕切られない古式な平面をもつ。」

















宝物館

法然上人の母秦氏御尊像

旅立ちの法然上人



守護大仏





観音堂



無垢橋(登録有形文化財)
『大正9年(1920)建造。片目川に架かる石橋。長さ7.3m、幅2.6m。萬成石を用い,擬宝珠欄干を付ける。桁は3列に3間を架け渡し、路盤石の端部、欄干より外側は丸太尻に見せる凝ったつくり。親柱に「石匠高松市太田與平」を刻む。』

両幡の椋と石造五輪塔(岡山県指定重要文化財)
「応永32年(1425年)の製作。」





片目川

勢至堂(法然上人御両親御霊廟)











津山城主の森忠政の長男、森大膳重政と御養母の墓





石造宝篋印塔、南北朝時代の製作

原田三河貞佐の墓、十五代稲荷山城主



五輪石塔

法然上人の産湯の井戸



鐘楼

方丈唐門

方丈玄関



















奥の院 六角堂浄土院














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本山寺(岡山県久米郡美咲町)

2016-11-26 09:01:35 | 岡山
2016年11月24日、お参りしました。湯郷温泉に宿泊し、その近辺を観光しました。長福寺の三重塔を見て、こちらに来ました。天台宗の寺院で、山号は岩間山、本尊は観世音菩薩です。静かな山間に佇む寺院です。

岡山県久米郡美咲町定宗403
map
境内図

説明書
「大宝元年(701)頼観上人の創建で、当初は現在地より南方の山頂に在ったが、平安時代の末期、天永元年(1110)に現在の地に移され、大いに発展して百廿坊と言われた。古来、山岳仏教の道場として、又、庶民信仰の霊地として栄えた。長承元年(1132)稲岡ノ庄(誕生寺)の漆間時国公夫婦が参詣、祈願して生まれたのが、後の浄土宗の宗祖と仰がれる法然上人(源空)である。降って江戸時代になると津山藩の祈願所として、尊ばれ、森候の時代には、美作の天台宗の触れ頭であった。山内寺院のうち、遍照院・仏性院・梅元院の三院が院内頭であったが、今では皆、合併して本坊一ケ寺となった。現代の境内は4200坪、十余棟の堂塔伽藍は、昔に変らぬ面影を伝えている。」

仁王門(岡山県指定重要文化財)
「貞享3年(1686)建造、檜皮葺。」











寺侍長屋(岡山県指定重要文化財)、弘化2年(1845)建造。







客殿、弘化2年(1845)建造。





噴水

御霊廟(岡山県指定重要文化財)
「承応元年(1652)建造、拝殿と本殿が中殿で連結された権現造りによる社殿様式となっている。建造時は森氏の霊廟であったが、藩主交代後は松平氏の霊廟となる。」





山王堂、享保18年(1733)建造。



鐘楼、天明2年(1782)建造。

本堂(重要文化財)
「南北朝時代の観応元年(1350)創建、桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、向拝一間、向唐破風造、檜皮葺。」







常行堂(岡山県指定重要文化財)、永正16年(1519年)建造、檜皮葺。











三重塔(重要文化財)
「江戸前期の承応元年(1652)建造、三間三重塔婆、こけら葺。津山藩主森氏によって再建された三重塔。 外部は古式で正統的な手法をもつが、内部の構造は桔木に頼った軒の支持方法や、手先肘木の繋ぎ方などに新しい手法がみられる。近世的構造手法を取り入れた初期の塔の遺構。」











宝篋印塔(重要文化財)
室町前期の建武2年(1335)、建武二年乙亥六月十一日の刻銘がある。」







お疲れ様でした。次は誕生寺に行きます。
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長福寺三重塔(岡山県下最古の木造建築)

2016-11-25 20:08:19 | 岡山
2016年11月24日、お参りしました。三重塔が岡山県下最古の木造建築ということで、訪れたいと思っていました。23日に湯郷温泉に宿泊し、ましたので、近くということで立ち寄りました。
案内説明書より「長福寺は奈良時代天平宝字元年(757)に女帝・孝謙天皇の勅願にて唐の鑑真和上が開基されました。その後一旦衰えていましたが、弘安8年(1285)に天台宗の高僧円源上人が、この寺を中興されましてその後、天台宗と真言宗の住職が交替する時代がありました。明徳年間(1390年代前半)に全く真言宗になりました。当時山上には60余の寺坊がありましたが、江戸中期に25ケ寺、明治維新の際に4ケ寺になり、明治9年2月の火災によって奥の院の1ケ寺が残りました。長福寺がその寺であります。面して長福寺は院号を般若院、山号を真木山といい、村名をそのまま寺の名前としております。古より山上には俗人は居住できなかったので、従って勿論女人は登山できなかったのであります。文化文政(江戸時代後期)より俗人も住み女人も登れるようになったのであります。その後1ケ寺の長福寺も遂に大正14年12月17日に焼失しましたので、昭和3年に現在の神田に移転したのであります。国指定重要文化財、三重の塔婆は棟札銘によれば弘安8年(1285)鎌倉中期大工棟梁藤原国右衛門尉の建立であります。その後寛永元年、ついで文政6年に大修理が施され、尚明治末に部分的修理を経て、昭和24年~26年の移転解体修理になっております。」
岡山県美作市真神414
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説明書



鐘楼門





弁天堂

本堂























三重塔(重要文化財)
「三重塔は県下の最古の木造建築物であり、総高は約22m、方は約6mの木造丹塗で、屋根は3層よりなっております。その特徴は屋根の勾配が緩く、軒先が深く、軒先のえりが軽快であって、中心の柱が初層の床より出て中心を貫いていますので鎌倉時代の典型的なものと称せられております。」









鎮守社






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竹林の中の美人湯・離れ露天風呂 やさしさの宿 竹亭(湯郷温泉)

2016-11-25 17:33:17 | 温泉、旅館、ホテル
2016年11月23日泊まりました。湯郷温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム塩化物温泉、P H 8 . 5の低張性弱アルカリ性温泉です。竹亭は、温泉街の山側に立地していますので、温泉街が眺望できます。お風呂が7階の屋上の展望風呂と離れに露天風呂があります。露天風呂は周りが竹やぶで、洗い場と湯船も露天です。冬場は少し寒いですね。
プラン名は、【平日限定】美味少量の会席・女性やご年配の方にも人気~量より質のお食事~。部屋タイプは、【和室10畳】竹亭のスタンダード客室です。
岡山県美作市湯郷622-1
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外観

1階ロビー











もうクリスマスツリーが飾っています。



売店

2階のラウンジ

コヒー、湯茶が無料サービスです。製氷器も置いています。

滝になっています。







廊下



室内
踏み込み

左はトイレと洗面・風呂の入口、和風の戸です。



畳が新しく、青いです。





おもてなし

部屋からの景色



露天風呂の案内

夕食、会場食です。
先付け

刺し身盛り合わせ

陶板焼き



ふぐ鍋



にしんそば

デザート

朝食です。

今回の宿泊は、9,980円/人とリーズナブルで、部屋も良くて、温泉、食事、そして仲居さんをはじめ、フロントなどスタッフは丁寧で気持ちよく泊まれました。
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