2016年11月24日、前日に湯郷温泉の竹亭に宿泊し、長福寺、本山寺、誕生寺、津山城跡、城東の古い町並みなどを散策し、美作総社宮にお参りに来ました。
岡山県津山市総社427
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由緒説明書
「美作総社宮は社記に欽明天皇の25年(およそ1400年前)大巳貴命(大国主命)を字本舘に(西方およそ1キロ)にお祀りしたのがはじまりと伝えられた。和銅6年(713)備前国から六郡を割いてはじめて美作国が置かれ、その翌年国府がこの里に開府されました。その後美作の国司が社殿をいまの社地亀甲山に移して大巳貴命を主祭神として一宮(中山神社)二宮(高野神社)の両大社をはじめ美作国65郷の総べての社祇を合祀して総社宮となづけてそのみちおよそ500年間歴代の国司はみなこのご神意を奉じて国内の政治を執り行いました。その後鎌倉時代になって国府がすたれたあともこの社は美作三大社の一つとして広く士民より崇祈され近世のはじめ美作国主森氏は多くの神領を寄進しのちの松平氏もまた祭祈料を奉納し明治維新後は県社に列せられました。」
社標
鳥居
参道
狛犬
手水舎
拝殿
本殿(重要文化財)
「現在の本殿は永禄12年(1569)に毛利元就が造営したものでのち明暦3年(1657)に国主森長継が大修理を加え近くは昭和7年に国と氏子の崇敬者一堂の協力によって解体修理がおこなわれました。この地方独自の中山造で、桁行三間・梁間三間・一重入母屋造・妻入、向拝一間・向唐破風造、こけら葺である。入母屋妻入の独特な様式をもち規模、豪壮で華麗な彫刻を総社宮に配置した桃山時代の代表的なすぐれた建造物で全国の総社宮のうちで当社のみが大正3年国宝に、現在は国の重要文化財に指定されています。」
神輿社
末社
お疲れ様でした。
岡山県津山市総社427
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由緒説明書
「美作総社宮は社記に欽明天皇の25年(およそ1400年前)大巳貴命(大国主命)を字本舘に(西方およそ1キロ)にお祀りしたのがはじまりと伝えられた。和銅6年(713)備前国から六郡を割いてはじめて美作国が置かれ、その翌年国府がこの里に開府されました。その後美作の国司が社殿をいまの社地亀甲山に移して大巳貴命を主祭神として一宮(中山神社)二宮(高野神社)の両大社をはじめ美作国65郷の総べての社祇を合祀して総社宮となづけてそのみちおよそ500年間歴代の国司はみなこのご神意を奉じて国内の政治を執り行いました。その後鎌倉時代になって国府がすたれたあともこの社は美作三大社の一つとして広く士民より崇祈され近世のはじめ美作国主森氏は多くの神領を寄進しのちの松平氏もまた祭祈料を奉納し明治維新後は県社に列せられました。」
社標
鳥居
参道
狛犬
手水舎
拝殿
本殿(重要文化財)
「現在の本殿は永禄12年(1569)に毛利元就が造営したものでのち明暦3年(1657)に国主森長継が大修理を加え近くは昭和7年に国と氏子の崇敬者一堂の協力によって解体修理がおこなわれました。この地方独自の中山造で、桁行三間・梁間三間・一重入母屋造・妻入、向拝一間・向唐破風造、こけら葺である。入母屋妻入の独特な様式をもち規模、豪壮で華麗な彫刻を総社宮に配置した桃山時代の代表的なすぐれた建造物で全国の総社宮のうちで当社のみが大正3年国宝に、現在は国の重要文化財に指定されています。」
神輿社
末社
お疲れ様でした。