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旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

近江八幡の町並みパート2

2016-08-23 15:14:20 | 滋賀
2016年8月22日、近江八幡に行きました。今回は、友人達とJR三ノ宮から青春18キップで行きました。当日は、土山での急病人の対応で電車が非常に遅れていました。とりあえず到着した新快速に乗り、近江八幡駅で下車。予定時刻より10分遅れです。3番乗り場の野ケ崎行のバスで町並み近くのバス亭、小幡町資料館前で下車、220円です。台風の影響で曇りとなるのかと思いましたが、晴天で暑かったですね。
近江八幡は前回2015年2月21日に散策し、ブログに掲載しています。前回の部分とダブルところもありますので、参照してください。
近江八幡の町並み
日牟礼八幡宮
JR三ノ宮で午前8時50分集合です。電車が非常に遅れています。

とりあえず、25分遅れている新快速に乗ることにします。

近江八幡駅に10時45分に到着しました。駅前の案内図です。

回数券を買って、3番のバス乗り場から

時刻表、11時発の野ケ崎行きに乗ります。

案内ボランティアの伊東さんと市営駐車場で待ち合わせ、その横にある旧伴傳兵衛住宅の土蔵です。

ガイドさんの説明を記載します。
「近江八幡は現在人口8万人くらいで、昭和29年に市に昇格しました。人口7万人くらいで推移していましたが安土町と合併し、8万人となっています。琵琶湖が近いので風もあるので涼しいと思われますが、あまり近隣と変わりません。冬は雪が20センチほど積もります。1585年に豊臣秀次が開いた城下町で、45万石で、18才から10年間治めていましたが、、秀吉に切腹させられました。近江八幡商人の在郷町です。江戸から明治に縦12筋と横4筋の町並みです。」
旧伴家住宅です。「1830年から10年かかって造られた豪邸です。2階以上の建物は建ててはならなかったが、豪商故に建てました。3階が建てられない理由は、武士を見下ろしてはいけないとのことでした。」



「正面から見ると2階ですが、実際は3階です。」

旧伴家と朝鮮人街道
「500名の規模の朝鮮通信使が朝鮮人街道を通って江戸に行きました。大阪から淀川を通って、ソウルから江戸まで2000kmの行程でした。豊臣秀吉の時に朝鮮征伐があって、国交断絶があったが徳川時代に家康が国交回復ということで、招かれ西の野洲から42kmの彦根まで歩いた。伴家住宅で朝鮮通信使が食事をしました。」



近江市郷土資料館です。旧伴家住宅の道路向かいにあります。
「洋風の建物です。昭和29年にアメリカ人が造った警察署でした。西川氏の邸宅で20歳の時にベトナムに渡って25年間商売をしていたが、帰国した時に鎖国令がだされていたため、上陸できずにベトナムで亡くなりました。建物の2階で柵があるのは、警察署の名残です。」













「煙突があるのは暖炉があるためです。」



案内図

新町通り

「近江八幡の町なみを構成する町屋は、切妻造桟瓦葺、平入の木造建築が基本で、中二階建が多く、正面の構えは格子、出格子、虫籠窓(むしかごまど)等からなり、軒下の壁に貫を見せる形式の真壁造り(しんかべつくり)はうだつとともに八幡の特徴ともなっています。また、道路に面する庭に見越しの松を配し、緑を取り込んで景観は素敵です。松の枝が2ツ目の枝を道路に出しているのは、家の中だけではダメだと、外の情報を得なさいということでした。中途半端な2階建、2階に番頭とか丁稚さんとかが住み、倉庫になっていました。」



「左は祈祷札を重ねていた。中央にある箱は京都の愛宕さんの札が入っています。」







うだつ
「隣家の類焼を防ぐ、防火壁の役割です。」







「壁板を釿(ちょうな)で削っています。上部の竹は曲がり竹での装飾です。」

青空に白いうだつが映えますね。

むくり屋根
「屋根面が真っ直ぐなものは、直線屋根、反っているものを、そり(てり)屋根、ふくらんだ ものを、むくり屋根と呼びます。大工でも技量が必要とのことです。」

奥の中央が三階建ての土蔵です。重要文化財です。



こちらの住宅の板塀は舟板を再利用したものです。





ちょうじ麩とちょうじ最中





八幡堀
「堀は城を防御するたろに存在しますが、豊臣秀次は、この八幡堀を運河として利用することを考え、琵琶湖を往来する船をすべて八幡の町に寄港させました。また、八幡山城下はかつての安土と同じく、楽市楽座を取り入れたことから、商人の町として大いに活気づきました。平成3年重要伝統的建造物群保存地区、日本遺産となっています。琵琶湖と繋がる5kmほどの堀で、5トンが9台分の300石船が入ってきていました。深さ1.4mです。底の浅い船でした。八幡堀の水郷めぐりの屋形舟もあります。」







八幡山





背割排水
「町屋の背を合わせる通路に溝を配し、下水道の役割と低地での排水があります。」





八幡瓦



案内図

大杉町









説明書き

白雲館
「明治10年、近江商人たちにより、子どもの教育充実を図るために建てられた八幡東学校。その費用のほとんどが寄付で賄われ、当時にして6000円が集められました。現在で1億円くらいでした。男子が115名で女子が117名でした。当時では、男子だけ学問をすればいいという時代の中で近江商人の教育の熱心さが伺えます。」







日牟礼八幡宮
「近江商人の守護神として、千有余年の歴史を誇る神社であり、楼門は室町時代に造られた、改築もされています。彫り物がたくさんあります。猿の御門と言われています。随身門として右大臣、左大臣がまつられています。菊の御紋も飾られています。」

猿の彫り物













本殿

絵馬がそろばんです。

鏡池



本殿の後が屏風岩です。





旧八幡郵便局
「大正期のヴォーリズ建築の一つ。現在、NPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動「一粒の会」の事務所として使用され、内部見学可能です。」

















洦游舘で昼食です。
ことぶき弁当1580円でした。赤出汁が後ででました。



店内













為心町通り





近江八幡教会



教会のあゆみ





旧近江兄弟社 地塩寮



西光寺
「織田信長ゆかりの浄土宗の寺です。」







鐘楼



本堂

















山門





五輪塔



八幡小学校、モダンですね。



池田町洋館街









本願寺八幡別院
「豊臣秀次が八幡城下町を開いた時、安土から移築した市内随一の大寺院です。徳川家康が上洛した際に宿泊したほか、友好使節団・朝鮮通信使の昼食所にもなりました。壮大な寺院建築を誇る本堂、鐘楼、表門、裏門は滋賀県指定文化財です。」













本堂







鐘楼

















庫裏

玄関

お疲れ様でした。
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三朝温泉・花屋別館

2016-08-16 17:52:39 | 温泉、旅館、ホテル
2016年8月15日、泊まりました。三朝温泉は6回目です。
プラン名は、【お得会席】スタンダードプラン/【本館】和室8帖、11900円/人でした。
団体の旅行者とか家族連れで結構、泊まっていました。お風呂は大浴場ですが、地下1階ということで、熱気がこもっていました。大きな水車と岩風呂という感じです。ラドン泉ということで、もちろん3回入りました。食事は部屋食でした。中居さん、フロント係を初めスタッフは丁寧な応対です。アットホームな雰囲気ですね。旅館のすぐ近くに元湯がありましたので、ちょっと散策もしました。
鳥取県東伯郡三朝町三朝818-6
map
外観

旅館の外にある足湯





売店



ロビー



部屋









おもてなし

廊下



夕食です。料理長は今井学さんです。生ビールをたのみ、後で「濁濁」という柚子酒をロックで頂きました。結構どろっとしたお酒でした。
野菜の盛り合わせ、胡瓜が蛙さんでした。

アワビと鶏肉のすき焼き風鍋です。横の豆乳卵をかけて食べます。



刺身盛り合わせ

焼き魚

インゲン、そうめん南瓜、蛸、里芋、トウガン、人参、湯葉

天ぷら

御飯は釜炊きです。

デザート

朝食です。
エテカレイの干物ほか

冷茶碗蒸し

湯葉豆腐

しじみの味噌汁

全体的には薄味で、やさしい感じです。ごちそうさまでした。綺麗に頂きました。
元湯の株湯へ散策です。

三朝温泉の発見・大久保左馬之祐と白狐
『むかしむかし 大久保左馬之祐ちゅう源義朝の家来が主家再興の祈願をするため三徳山にお詣りになった。その途中、ごっついくすの木の根株に年いとった白い狐がおるのを見つけ、すぐに弓で狐を討つってしなったが、「まてよ殺生はならん、ならんぞ」と思いなおし、見逃してやんなっただっていな。そしたらその夜うさ、妙見菩薩が夢枕に立ちなってつ使わしのである白狐を助けてごいた礼だと言って、「かの根株の下からは湯が湧き出ている」と教えてごしなった。それからずうっと三朝の湯は、こんこんと湧いて8百何十年にもなっとるちゅうこってす。』





三朝区共同浴場、大人300円







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