旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

西大山駅(JR日本最南端の駅)

2017-03-23 09:02:53 | 鹿児島
2017年3月20日、阪急交通社の【往復新幹線利用】霧島・知覧・鹿児島3日間 南九州スペシャルでの3月19日から21日の2泊3日の旅行をしました。交通費、宿泊込みで一人3万円です。
知覧の武家屋敷群の散策の後、指宿の砂風呂体験のオプションがありましたが、こちらの西大山駅に来ました。1日に8本しかこない列車にも巡り合えました。
駅前には売店があり、西大山駅に到着しましたという証明書を有料で発行しています。
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黄色いポスト、幸せを運ぶとか



















指宿フェニックスホテル

こちらでオプション参加の方が砂風呂体験しました。ホテルの前に大きなアコウの樹があります。樹齢200年です。




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知覧の武家屋敷群(重伝地区)

2017-03-23 08:59:03 | 鹿児島
2017年3月20日、阪急交通社の【往復新幹線利用】霧島・知覧・鹿児島3日間 南九州スペシャルでの3月19日から21日の2泊3日の旅行をしました。交通費、宿泊込みで一人3万円です。
2日目、鹿児島市内のホテルタイセイアネックスを後にして、知覧観光です。少し小雨でした。7つの庭園の拝観料は500円です。リメンバー九州パスポートがあれば400円です。屋敷の庭園が史跡名勝天然記念物となっています。
南九州市知覧(重要伝統的建造物群保存地区)
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「薩摩藩政時代に113外城の一つとして、知覧島津氏の分家である佐多氏が地頭として治めていました。佐多氏には優れた当主が多く出て、薩摩藩の中でも重要な役目を果たしました。その功績によって佐多氏十六代久達の時代に、知覧の私領地化と島津姓の使用が許されました。現在残る武家屋敷群は、佐多氏十六代久達(1651~1719)の時代もしくは、佐多氏十八代久峯(1732~1772)の時代に造られたものではないかとされています。地区内は石垣で屋敷が区切られ、沖縄によく見られる石敢當(魔よけの石碑)や、屋敷入り口には屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)があります。知覧の港が江戸時代に琉球貿易の拠点であったことから、武家屋敷も琉球の影響を多く受けているようです。領主の御仮屋を中心とした道路割りが旧態をよく保持されています。」
清流溝には鯉が泳いでいます。





石積みが玉石は分家です。

案内図

佐多美舟庭園
「寛延4年(1751)に造られたといわれ、知覧庭園の中でも最も豪華で広い庭園である。枯滝を造り、築山の上部に石灯、下部の平地には、各所に巨岩による石組を設けている。門を入って右に折れ、て書院の前に出ると、本庭の主力の滝を中心とした石組みは、えんえんと流れ、訪れた人々に力強さと広さを感じさせる。」





















通りに戻ります。

佐多民子庭園
「巨石奇岩を積み重ねて深山幽谷の景をうつしだし、小舟に乗って石橋の下を潜って行くと、仙人が岩の上から手招きしているようである。麓川の上流から選んだ庭石は、凝灰岩質のもので、巨岩のため石目にそって割り、牛馬で運びやすくしたものである。」





























佐多直忠庭園
「門をくぐると切石の目隠しにつき当たる、屏風岩とも呼び、防衛を兼ねた造りで江戸時代中期の武家屋敷の風格を備えている。1741~1744年の作庭で、借景の母ケ岳を望む庭の一隅に石で組まれた築山を設け、その中心部は3.5mの立石と枯滝の石組が絶妙な趣を呈し、一幅の水墨画をそのままに現した名園である。」































通りに戻ります。











旧高城家住宅





『旧高城家住宅は、明治以前に建てられた武家住宅であり、「おとこ玄関」と「おんな玄関」の二つがある特徴をもってる。他の知覧型二ツ屋と同様に「おもて」と「なかえ」の二つの屋根の間に小棟を置いたタイプのもので、知覧だけに見られる。二つの本棟と小棟の形、そこにできる屋根の造形は実に美しく、この構造は、知覧大工の創造力と技術によって完成されたものである。」























通りに戻ります。







森重堅庭園
「森家は、亀甲城の西麓にあり、領主に重臣として仕えた家柄で、住居や土蔵は寛保初年(1741)に建てられたものである。曲線に富んだ池には、奇岩怪石を用いて近景の山や半島をあらわし、対岸には、洞窟を表現した穴石を用いて水の流動を象徴している。庭園入口の右側にある石は、庭園の要をなし、雲の上の遠山を現わしている。」































再び通りに戻ります。



知覧型二ツ家(南九州市指定文化財)

















曲がり、通りが折れ曲がっています。





稽古所跡

石敢当(南九州市指定有形民俗文化財)
『三叉路の突き当たりに建てられたこの石は、屋敷内に魔物が入ってくるのを防ぐとされる「石敢当」という魔除けである。中国発祥の信仰で、江戸時代に琉球を経由して鹿児島に伝わり、よく丁字路や三叉路に設置された。現在、知覧では十数基確認されている。」













平山亮一庭園
「石組みの一つもない大刈込み一式の庭園である。イヌマキによる延々たる遠山は、その中に三つの高い峯を見せ、前面にサツキの大苅込みが峯山のようで、母ケ岳を庭園に取り入れて極端に簡素化された借景園として、名園の名をほしいままにしている。」





















再び通りに戻ります。



平山克己庭園
「母ケ岳の優美な姿をとり入れた借景園である。北側の隅には石組みを設けて主峯となし、イヌマキの生垣は母ケ岳の分脈をかたどっている。またどこを切り取っても一つの庭園を形づくり、調和と表現にすぐれた庭園として絶賛されている。大海原には無人島が浮かび、遠くには緑の大陸が望まれ、想像とロマンの世界が楽しめる庭園である。」

















西郷恵一郎庭園
「庭の南東部の隅に枯滝の石組みを設けて高い峯とし、この峯から低く高く刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現している。また鶴亀の庭園ともいわれ、一変して高い石組みは鶴となり、亀は大海にそそぐ谷川の水辺に遊ぶがごとく配され、石とさつきの組み合わせは至妙である。」





































知覧パラダイスでの山菜炊込定食です。


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鹿児島市内散策①、城山公園・照国神社・博物館ほか

2017-03-23 08:57:37 | 鹿児島
2017年3月19日、阪急交通社の【往復新幹線利用】霧島・知覧・鹿児島3日間 南九州スペシャルでの2泊3日の旅行をしました。交通費、宿泊込みで一人3万円です。
鹿児島市内のホテルタイセイアネックスに宿泊で、プランに夜の食事がついていないので、外食します。
ホテルを出て、道路向かいにふるさと屋台村がありますので、そこであてをつまみながらビールを飲みに行きます。
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夜の8時前でしたが、どの店も満席で、料理の選択はできないため、とりあえずあいている席に座りました。
さつま揚げ、鰹のたたきのしらす盛り、ブリ大根そして生ビール

3月20日、朝食後、出発まで時間がありましたので、少し駅まで散策しました。
ホテル前の市電の駅

左の黒っぽいのが鹿児島中央駅です。

鎖国時代の留学生、駅前の広場の銅像です。



市電

















高見橋

大久保利通銅像

旅の駅・魔猿城
こちらでは鹿児島の御菓子のかるかんを販売しています。













2階が製造工場です。



21日に市内散策です。施設は火曜日ですが連休の翌日のため、休館でした。
城山公園
「この城山は14世紀の南北朝時代豪族上山氏の山城の跡で、明治10年の西南戦争の最後の激戦地となったところです。また、樹齢約400年にもなるクスの大木やシロヤマシダ、シロヤマゼンマイなどのシダ類等、約600種余りの植物が密生しています。市街地にあって南九州特有の照葉樹林を保ち、数多くの野鳥や昆虫が生息する自然の宝庫です。このため、約10.9haが史跡・天然記念物として国の文化財指定を受けています。」
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駐車場前の売店

















桜島が残念ながら雲がかかっています。

鹿児島市内











照国神社
「御祭神は文化6年(1809)薩摩藩主島津齋興公の御嫡男として江戸で誕生になりました。幼少の頃曾祖父島津重豪公や母賢章院の薫陶を受けられ、学問を好まれ、広く世界に眼を向けた開明的な考え方と科学的な知識を身につけられました。公は嘉永4年(1851)43歳で藩主に就任されるや、幕末の内外多事踏まえて日本を強く豊かな国にするため、積極的に西洋の科学技術の導入に努力されました。」

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島津齋彬公像







護国神社頓宮



幼年学校跡





島津忠義公像





太平洋戦争戦士之墓



島津久光公像



鹿児島県立博物館考古資料館(登録有形文化財)
「明治16年(1883)建築、石造2階建,建築面積337㎡。興業館として建設され、鹿児島県の産業振興に大きな役割を果たした。石造アーチ橋の文化圏にある鹿児島ならではの石造建築で、洋風を基調としながら、随所に和風モチーフの細部を混在させた特異な建造物として知られる。」
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鹿児島県立博物館<旧鹿児島県立図書館>(登録有形文化財)
「昭和2年(1927)建築、鉄筋コンクリート造3階建、建築面積671㎡、塔屋付。照国神社前交差点の角地に建つ。鉄筋コンクリート造3階建塔屋付で、鹿児島県建築課の設計による。担当は地元出身の岩下松雄。丸くした隅部に正面玄関を配し、階段室や塔屋に曲面を用いてダイナミックな構成とするなどに岩下松雄の作風がよく示されている。」
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博物館の前の道路に沿って北向きに進みます。
鹿児島市中央公民館(登録有形文化財)
「昭和2年(1927)建築、鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、建築面積1126㎡。建物周囲にドライエリアを設け、ラーメン構造のRC造、地下1階地上3階建とする。正面立面及び平面をほぼ左右対称とし、玄関両脇に階段室塔屋を配し、その間に4本のピラスター、イスラム風尖頭アーチの窓を設置するなど、中央重視の特徴ある意匠とする。」



西郷隆盛銅像





















鶴丸城石垣



























鹿児島市内散策②へ続きます。
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鹿児島市内散策②、西南戦争の銃弾跡・県政記念館・鹿児島市庁舎本館・南日本銀行本店・山形屋・商店街など

2017-03-23 08:56:14 | 鹿児島
2017年3月19日、阪急交通社の【往復新幹線利用】霧島・知覧・鹿児島3日間 南九州スペシャルでの2泊3日の旅行をしました。交通費、宿泊込みで一人3万円です。
鹿児島市内散策①から続きます。照国神社を起点に博物館、鶴丸城跡と時計回りに市内散策です。
西南戦争の銃弾跡
「明治10年(1877)5月から、鹿児島の争奪をめぐり、政府軍と西郷軍の間に激しい攻防が繰り広げられました。特に、この私学校周辺では同年9月に、政府軍によって放たれた銃弾の跡が今でも生々しく残っています。」









ウィリス 高木に西洋医学を説く



県政記念館<旧鹿児島県庁舎本館>(登録有形文化財)
「大正14年(1925)/平成12移築改修、鉄筋コンクリート造3階建、建築面積334㎡。曽禰中條建築事務所設計によるロの字型平面の県庁舎建築の正面玄関及び中央階段部分。大正期におけるネオ・ルネッサンス様式による県庁舎建築で、中央は3階建とし、玄関車寄のトスカナ式の双柱に2階のイオニア式の柱を重ね、威厳ある正面をつくりあげている。」









かごしま県民交流センター





鹿児島市庁舎本館(登録有形文化財)
「昭和12年(1937)建築、鉄筋コンクリート造3階建,建築面積2813㎡。大蔵省営繕管財局の設計になる府県庁舎スタイルを踏襲した市庁舎建築であるが、当時の岩元市長の強い意向により、ベースメント層を設けずに道路からストレートに入れるようなプランニングをとっている点に特徴がある。」





南日本銀行本店(登録有形文化財)
「昭和12年(1937)建築、鉄筋コンクリート造6階建,建築面積1333㎡。鹿児島無尽株式会社鹿児島支店として建設。3階分通しのコリント式列柱による主階層、アーチ窓を重ねたアチック層、曲面構成の塔屋との対比に妙味が感じられる。設計は元鹿児島県技師の三上昇。三面が道路に面することで格好のランドマークともなっている。」



山形屋、鹿児島のデパートです。
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中町通り

















はいから通り























グルメ通り







伊勢殿屋敷跡











天神ぴらもーるの通りのちょうちょ家です。
昼食に海鮮丼です。妻はヒレ肉しょうが焼きです。













注文から30分は少し長いですね。
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