旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

天然温泉石道

2017-02-22 21:18:42 | 温泉、旅館、ホテル
2017年2月20日泊まりました。
20日、21日と宝塚、猪名川、川西、伊丹そして大阪府の池田市を観光のために、又お風呂がにごり湯なので宿泊場所としました。
プラン名は季節の会席プラン[和室]です。温泉街ではありませんが、社長が苦労して温泉を掘ったとのことです。社長兼板長とのことです。日帰り温泉もしていますので、結構、近隣や大坂からも入浴客がいました。露天風呂が温泉で黄褐色でヌルヌルとした感じです。内湯は泡風呂で温度を違え、ぬるめ、熱め、神宿石の湯船、サウナ、ミストサウナといろいろと楽しめます。
兵庫県川西市石道下垣内216-1
map
外観

部屋は8畳です。ユニットバス・トイレです。







おもてなし

窓からの景色

廊下

エレベーターはガラスで外が見えます。

温泉分析書

売店



ロビーの装飾品





フロント

日帰りの方のレストランメニュー



夕食は会場食での会席です。申込時に会席か鍋コースかの選択がありました。

先付けと刺身盛り合わせ

牛のたたきとサラダ

胡麻豆腐

まぐろ丼

鯛の荒煮

鍋物

天ぷら

茶碗蒸し、最後にデザートがありました。

朝食です。
イカの刺身、鮭、煮物、大根の酢の物、ひじき、のり、生卵、ジャコ山椒、味噌汁

庭園





リーズナブルで会席が食べれて温泉に入れればいいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鴻池神社・慈眼寺・昆陽寺(伊丹市)

2017-02-22 21:18:12 | 伊丹・宝塚
2017年2月21日にお参りしました。20日、21日と阪神の宝塚、猪名川、川西、伊丹そして大阪府池田市を観光しました。
鴻池神社
兵庫県伊丹市鴻池6-22-52
map
「鴻池神社の建立沿革は詳らかではないが、本殿は一間社流造、こけら葺で覆屋内で南面して建つ。身舎の様式手法及び彩色手法から17世紀初頭と考えられる。小規模ではあるが組物、蟇股の形式意匠や細部の絵様刳型、妻組の構成等が正規の手法でまとめられている。江戸初期の遺構として、また、伊丹における神社建築の代表作として貴重である。」





説明書





狛犬







本殿(兵庫県指定重要有形文化財)

末社



慈眼寺
兵庫県伊丹市鴻池6-19-59
「曹洞宗の寺院で、山号は僊園山。 建久6年(1195年)製の本尊・木造釈迦如来坐像は国の重要文化財に指定されている。」
山門



















本堂









観音堂

かわいいですね。







昆陽寺
兵庫県伊丹市寺本2-169
map
「当山は聖武天皇の勅願所として、733年(天平5年)に行基菩薩により、畿内49院の1院として建立されたと伝えられている。天正7年(1579年)荒木村重と織田信長の戦火(有岡城の戦い)で焼失したが再興され、江戸時代は遍照院・一乗院・正覚院・成就院など9ヶ寺の塔頭を有していた。」
山門(兵庫県指定文化財)
「山門は、旧西国街道に面して建っている。上層周囲に縁をめぐらし、細部にみる絵様繰形の形式手法は江戸中期のものである。内部戸口柱を通柱として、上層柱を兼ねる構法は珍しく、斗栱部中備え間斗上の双斗肘木と妻飾虹梁下の大斗花肘木の意匠は前代のそれをよく残している。江戸時代中期における豪壮な山門は、県下でも類例が少なく、貴重な構造である。」













鐘楼

本堂









開山堂



























観音堂(兵庫県指定文化財)
「桁行3間、梁間3間、一重寄棟造正面向拝付、本瓦葺である。建立年代は明らかではないが、様式手法からみて、山門再建に先立つ時期と思われる。4面に軒柱を建て、その軒内3面に切目縁をめぐらし、正面に1間の向拝を付す。総じて簡素な建築であるが、側まわりの海老虹梁や向拝などの手法は、江戸初期の特徴をよく示している。この地方における江戸時代の数少ない遺構の一つとして貴重である。」









弁財堂


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久安寺・八坂神社(池田市)

2017-02-22 21:17:40 | 大阪
2017年2月20日お参りしました。20日、21日と阪神の宝塚、猪名川、川西、伊丹そして池田市を観光しました。
久安寺
大阪府池田市伏尾町697
map
入山料300円
パンフレットより『神亀2年(725)、行基菩薩の開創、天長年間に弘法大師の再興と伝え、「安養院」が前身。久安元年(1145)賢実上人、近衛帝の祈願所として楼門、金堂、塔等伽藍49院の坊舎を再興し久安寺と称す。豊臣秀吉参拝し、三光神を祀り、月見茶会を親しんだと伝え、太閤像を三光社にて合祀。江戸中期、歌人平間長雅が在住し、観音信仰の布教盛ん。元禄の中興で諸堂、坊舎整う。昭和興隆事業で、霊園、庭園、諸堂造営。関西薬師霊場18番霊場、攝津観音19番霊場、攝津大師67番霊場、関西花の寺12番霊場。」
境内図

楼門(重要文化財)
『「最も美しい楼門」と評価されるのは、<水平のない軒返り>という他に類例のない優れた技法が造りあげた室町初期(応永年間)の建築美。南北朝期とされる仁王像を親柱より後方に安置し、親柱は通路上を高くし前面を広くした<仏像形式>。三間一戸の楼門より壮大にしている。』



参道

本坊
「楼門をくぐって、往時49院の坊舎のうち、残る小坂院が本坊。薬医門、歌人平間長雅、俳人津田道意の遺跡雅千庵、安養院阿弥陀堂跡がある。」







榧の老木
「豊臣秀吉が久安寺に参拝し、手植したと伝える。」





御影堂(遍照殿)
「天長年間弘法大師留錫時の庵の後に御影堂を移築。大師像を拝む。御影供彼岸を勤め、真言禅観法瞑想の道場。」







本堂(大悲殿)
「行基感徳聖武帝勅願の千手観音を胎内仏として、賢実中興御一条帝勅願定朝刻作、鳥羽帝祈願近衛帝安産の秘仏千手観音立像が本尊。南北朝の不動、多門の両脇士。四天王、両界マンダラ、八祖図像尊を祀り、開運招福祈祷所。仏前結婚式、礼拝行が勤められる。」



腰掛石

銅鐘









虚空園
「本堂北に広がるパン字(こころ)池を中心に花咲く庭。両果の道をはさんで、東に「ア字山」。秀吉参拝して三光神を祀り、月見茶会をしたと伝える。」













地蔵堂



仏塔





行基菩薩像

朱雀池

弁財天

薬師堂





芳泉庭



具足池

八坂神社
大阪府池田市神田4丁目7-1
map
「八坂神社はもと素盞烏尊神社と称し、同尊を祀る。天正7年(1579)織田信長の兵火にかかり全焼したが、慶長15年(1610)に池田備後守光重の子他紋丸により再建されたものである。」
鳥居

手水舎

境内







社務所

拝殿















神田の磐座



本殿(重要文化財)
「本殿は一間社流造で蟇股、木鼻、欄間など装飾化され、桃山時代の特色をよく表わしている。北攝でも数少ない貴重な建築物の一一つである。」













末社



稲荷社




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屏風岩・戸隠神社(猪名川町)、多田神社・満願寺(川西市)

2017-02-22 21:16:44 | 川西・猪名川
2017年2月20日、阪神の宝塚、猪名川、川西、伊丹そして大阪の池田と観光しました。
宝塚の普光寺の後に途中で屏風岩がありましたのでパチリ。
屏風岩
map
「猪名川渓谷自然公園の清流に高さ30メートル、幅100メートルにおよぶ岩壁が、屏風のようにそそり立ちみごとな景観をつくりだしていることからその名がつけられた。」

戸隠神社
兵庫県川辺郡猪名川町肝川字西ノ前136番
map
「神社の創立は明らかでないが往古より肝川村の鎮守として祀られている。祭神は天手力雄命である。」





参道





拝殿

本殿(重要文化財)
「小規模な一間社春日造の本殿で、覆屋に入っており、細部までよく残っている、組物や軒が古式な反面、庇の繋虹梁、頭貫木鼻や内外の彩色には新しい手法が現われ、棟札があって時代の指標となる遺構である。間口約1.3m、奥行約2.2m、板葺。」





多田神社
兵庫県川西市多田院多田所町1-1
map
「同地は清和源氏武士団発祥の地であり、この地に居城を構えた源満仲によって天禄元年(970年)に天台宗寺院として建立される。鎌倉時代に幕府から造営の督励をうけた僧忍性による再建以降真言律宗に転じ、明治以前までは多田院と称した寺院であったが、神仏分離の際に神社となった。その際、南大門にあった金剛力士像が満願寺に移されるなどした。」
鳥居













指定文化財説明板

境内図

源頼光公、大江山鬼退治の唄

南門(兵庫県指定有形文化財)
「切妻造の三間一戸八脚門、本瓦葺。延宝4年(1676年)建立。法華三昧寺ののもとの仁王門である。」



鳥居と随神門(重要文化財)
「寛文7年(1667年)の建立。切妻造の三間一戸八脚門、本瓦葺。本殿・拝殿を結ぶ中軸上に立つ。」




社務所



手水舎



拝殿(重要文化財)
「寛文7年(1667年)の建立。正面七間側面三間、入母屋造、檜皮葺。」













本殿(重要文化財)
「寛文7年(1667年)の建立。正面五間側面三間の社殿で、内部は内陣・中陣・外陣の三区にわかれる。入母屋造、檜皮葺。」



遥拝所



ムクロジ(郷土記念物)





六社神社本殿(兵庫県指定有形文化財)
「横長の三間社で、内部は六区にわかれている。もとは多田院の鎮守社である。流造(唐破風付き)、檜皮葺。江戸時代初期の建立。」









厳島神社(兵庫県指定有形文化財)
「一間社流造、檜皮葺。江戸時代初期の建立。」

東門・西門(兵庫県指定有形文化財)
「木割の雄大な高麗門。控え柱上の屋根妻が正面から見えているのは珍しい。」



田尻稲荷社




















弁財天







満願寺
兵庫県川西市満願寺町7-1
map
入山料100円、参道の途中に賽銭箱があります。
「寺伝によれば奈良時代、聖武天皇の勅願により勝道上人が創建したという。平安時代中期には源満仲がこの寺院に帰依し、以来源氏一門の祈願所として栄えた。」



仁王門
「明治初期の洋風を取り入れた建築様式で、中国風に見える全国的に珍しい数少ない建築です。」

仁王像(兵庫県指定文化財)
「鎌倉時代末期の嘉歴年中(1326~28年)に造立されたこの像は、もと多田院の山門に安置されていたが、明治初期におこなわれた神仏分離の際に満願寺に移された。」















本坊





参道





鐘楼



子安地蔵堂



観音堂

金堂









晴雲殿



三廟
「藤原仲光、美女丸、幸寿丸の五輪塔で、室町時代初期から末期の造立」



源家の七塔
「伊豆守源国房、出羽守源光国、下野守源明国、下総守源仲政、山縣三郎源国直、摂津守源行国、兵衛太夫蔵人源国基」

九重の石塔(重要文化財)
「正応6年(1293年)銘があり、源氏一族の女法尼妙阿が父母の極楽往生を願って造立した塔である。江戸期になって当時の住職、守源僧都が法華経を書いて塔の下に埋めたので以来、法華塔とも呼ばれている。」

弘法大師像

羅紗門堂







坂田金時の墓







八幡宮


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

普光寺と素盞嗚神社 (宝塚市長谷)・伊和志津神社、清荒神清澄寺(宝塚市)

2017-02-22 21:14:07 | 伊丹・宝塚
2017年2月20日、お参りしました。20日、21日と阪神の宝塚、伊丹、川西、猪名川そして大阪府池田市周辺と観光しました。
普光寺と素盞嗚神社は同じ境内で並んでいます。
普光寺
兵庫県宝塚市長谷字門畑25
map
「養老年間(717年 - 724年)に法道の開山により創建されたと伝えられる。本尊は奈良県の長谷寺本尊と同体で、故に当地を「長谷」と称した、と伝えられている。中世には5坊と多くの寺領を有したが、弘治年間(1555年 - 1557年)に焼失。その後、牛頭天王社(現素盞嗚神社)の別当寺となった。



仁王門







本堂









鐘楼











素盞嗚神社
「素盞嗚命(すさのおのみこと)を主祭神とする祇園信仰の神社で、旧川辺郡長谷(ながたに)村の村社である。弘治年間(1555年 - 1557年)に現在地へ遷座したと伝えられ、普光寺と同じ境内にあり、神仏習合の典型的な配置である。」









長床
「本殿前にある舞台で、農村歌舞伎が行われていた。長床の床下をくぐって参拝する、珍しい参道になっている。」

赤いコーンの左からくぐって入ります。境内からの写したもの。

本殿(兵庫県指定重要有形文化財)
「近畿地方で数少ない、三間社切妻造平入(一間向拝付)で、江戸時代初期の建立。細部には八阪神社 (宝塚市)と同一の様式が見られる。」

覆屋で囲まれています。







宝篋印塔(兵庫県指定重要有形文化財)
『南北時代の観応元年(1350年)の銘がある。「波豆石」と呼ばれる流紋岩製での宝篋印塔としては、現在のところ最も古いものである。塔身の月輪は一般には線刻だが、本例のように一段低く彫りくぼめ、その中に種子(梵字)を刻むのは、波豆に所在する宝篋印塔に同じような例が見られ一つの地方的特徴である。』



末社





伊和志津神社
宝塚市伊孑志1-4-3
map
『醍醐天皇の延長5年にまとめられた「延喜式神名帳」にその名を残す由緒深い神社です。祭神の須佐男命は和歌・学問・開発・縁結びの神で、境内神社に安産・水商売の宝塚水天宮もあります。本殿は市の文化財で、3,000坪の広さの境内は憩いの森として市民に愛されています。』











拝殿

















清荒神清澄寺
宝塚市米谷清1
map
『「荒神さん」の名で親しまれる真言三宝宗の古刹で、寛平8年(896年)宇多天皇の勅願によって建立されました。同天皇から「日本第一清荒神」の称号を受けたことから「かまど(台所)の神様」「火の神様」として厚い信仰を集め、境内には大小さまざまの火箸が奉納されています。毎月27日・28日例祭日、1月の初荒神、年末の納荒神には、多数の参詣者が境内はもちろんのこと多種多様な店が軒を連ねる参道まで埋め尽くします。本尊の大日如来坐像は国の重要文化財となっています。』
土産物店







山門











境内図

説明書
『清荒神清澄寺は、今をさかのぼること千百十余年-平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万人豊楽の世界を開く勅願所の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。まず伊勢内宮・外宮など15神を勧請し鎮守神として、三宝荒神社を祀り、蓬莱山七嶺七渓に荘厳な伽藍を造営しました。そして宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を賜り、蓬莱山清澄寺として栄えました。およそ300年の後、源平の兵火により灰燼と帰しましたが、勅令により建久4年(1193)、源頼朝の手によって再興されました。それよりおよそ400年の後の戦国時代、再び兵火により荒神社を除く諸堂尽く焼亡しました。江戸時代末期、一代の名僧浄界和上(号露庵)の諸堂再興。』

講堂



なぜか狛犬







護牛神堂
『本尊「矢頭天王」はインド祇園精舎の守護神であり、厄除けの神・恵方神として知られています。」





寺院ですが鳥居もあります。



鐘楼

天堂





誉属堂・受付所

売店

護法堂







眼神祠
「古くここは霊水が湧き出て、眼の悪い人たちが目を洗って病を癒したとされます。」

龍王堂
「すべての生命を守る水神社で、古くから酒造・農業・火防の神として信仰をあつめています。」



納札所

火箸納所

行者洞
「岩壁をくりぬいた祠は、修験道の開祖で病気、災難等を取り除くといわれる役行者をお祀りしています。」



宝稲荷社
「明治時代、当時の忍随和上と光浄和上がある夜、同じ稲荷明神の夢をみたことからここに新しく祀られたといわれています。」



本堂
「天堂とならぶ重要な建物。内部は密教寺院の伝統を継承したつくりで、大聖不動明王の秘法が毎日修行されています。」













池苑













一願地蔵尊

寺務所
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸ホテル・フルーツフラワーと神戸イルミナージュ

2017-02-09 17:01:42 | 温泉、旅館、ホテル
2017年2月6日、神戸フルーツフラワーパークにある神戸ホテル・フルーツフラワーに泊まりました。こちらのホテルは有馬温泉と同様に赤い酸化鉄の温泉があり、また、2月12日まで建物を飾りイルミネーションがありましたので選びました。
宿泊プラン名は、「2017新春大バーゲンプラン☆1泊2食☆イルミ鑑賞券付」です。ディナーバイキング、朝食バイキングです。温泉は露天風呂が「大沢温泉」で、内風呂、菖蒲湯、サウナ、ミストサウナ、泡風呂などがあります。
神戸市北区大沢町上大沢2150
map
園内案内図



遊園地

室内







おもてなし

窓からの景色





廊下



バンキングレストラン゛「カトレア」



夕食バイキングです。蟹がありましたので、ビールを飲みながら頂きました。



朝食バイキングです。

売店

フロント



ロビー



まずはお風呂に入って、温泉を楽しみます。少し小雨でしたが、露天風呂に入りました。赤い湯で少しなめてみると非常に塩っぱいです。そして、ミストサウナ、サウナ、菖蒲湯と泡風呂とゆっくりと浸かりました。
神戸イルミナージュ17時30分点灯です。夕食前に散策です。宿泊しない場合にはイルミネーションは1000円です。宿泊での鑑賞券付なのでフロントで事前に頂きました。





























































































ひかりのモンキーショーが無料で数回の上演をしています。





































演技終了後はお猿さんへの評価として募金をお願いしていました。お猿さんは5歳ですが、3年以上の訓練でさまざまなことができるようになったとのことでした。寸志を出しました。
翌日、園内の散歩です。













温室です。

































お疲れ様でした。宿泊に合わせて三田、宝塚など近くを観光しました。帰りにコヤマロールでのロールケーキを買って帰りました。約40分並んだのには少し大変でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三田市の蓮花寺、高布売神社、御霊神社、大川瀬住吉神社

2017-02-09 17:00:59 | 三田
2017年2月6日、三田市内ドライブをし、神社、お寺詣りをしました。
蓮花寺
説明書より「攝津国多田庄槻瀬郷蓮花寺の創立は古い、法道仙人開山と伝え1300年の寺歴を誇る古刹で、社町上鴨川神社蔵大般若経に鎌倉時代同寺住僧侶の写経典書や本尊阿弥陀如来像(県重文)の文永8年(1271)墨書銘などから伺いしることができる。山門は室町末の戦乱期に兵火で焼失したが、豊臣秀頼の寄進により再建されたと伝え、建物全体の手法は和様でその時代の特色をあらわしている。三間一戸単層八脚門、屋根は入母屋茅葺である。両脇の仁王像も市指定重文である。」
兵庫県三田市下槻瀬678
map
寺標

山門(兵庫県指定文化財)
説明書より「川原観福寺と同形式の単層仁王門であったが、昭和63年の解体修理にあたって屋根下の木組みを調査した結果、創建時はニ層の楼門であったことが確認されたので、原形に復元した。縁腰組は三手先に組み、中備は間斗束、和様を基調に室町時代末の特色をよく残している。山号額は享保19年(1734)京都門跡尼寺宝鏡寺より送られた額である。」



仁王像(三田市指定文化財)
「観福寺と同様、運慶作と伝えられている。」













十三仏堂















庫裏

鐘楼



三尊種子板碑(兵庫県指定重要文化財)
「嘉暦2年(1327)の建造」
石造五輪塔(三田市指定文化財)
「長享3年(1489)僧良真銘」



高布売神社
「高売布神社(たかめふじんじゃ)は、三田市内唯一の式内小社で、旧社格は旧川辺郡の郷社である。下照姫命(高比売神)を主祭神とし、創建は推古天皇当時と伝えられている。」
兵庫県三田市酒井50
map



鳥居

拝殿





社務所

狛犬



本殿(重要文化財)
「室町後期永正10年(1513)再建、一間社流造、檜皮葺。」







戎神社



稲荷神社







2017年2月7日、神戸ホテル・フルーツフラワーに宿泊した翌日にお参りしました。
御霊神社
三田市貴志字美内1100
map
参道



説明書より『「貴志宮」又は、「貴志神社」とも呼ばれてきたが、鎌倉時代に当地豪族貴志氏が関東御家人となった縁より、相模国の鎌倉御霊神社から、武勇に優れた「鎌倉権五郎景政」公の御霊を勧請合祀。御霊神社と改称され今日に至っている。本殿は、室町後期の文明2年(1470)貴志の村ひとたちによって再建された。このいきさつは殿前扉裏板に墨書されていて当時のもようがよくわかる。身舎正側面、向拝紅梁上に計6つの蟇股を配し、透彫絵模様の中に珍しい物がある。身舎上に牡丹に唐獅子、戎大黒ほか特に見るべきものに当時の神仏習合を表わしたものとして向拝上の種子キヤ(十一面観音)がある。なおこの地区の神事講は永禄年(1558~)より書き留められてきて巻子本として残り今も続いている。」





鳥居





拝殿



彫刻が素敵です。



















狛犬



本殿(重要文化財)
「兵庫県下でも類例が少ない桁行二間、梁間正面三間、背面二間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、檜皮葺。」













末社









夜なき石
『その昔、境内にあった石(夜なき石)が殿様の目にとまり屋敷の庭石に使われたところ、夜になると「貴志に帰りたい、貴志に帰りたい」とないて殿様を困らせた。そして石は元の貴志に帰ってきた。』



大川瀬住吉神社
兵庫県三田市大川瀬1644
map
「本殿は鎌倉時代に建立され、国の重要文化財に指定されています。本殿造営のとき近隣24か町村の氏子が参集したとされ、信仰のあつい神社であったことを物語っています。」
鳥居





狛犬



拝殿









舞殿(兵庫県指定重要文化財)
「舞殿は近世初期のもので、今は能楽堂となっているが、元来は拝殿であったものをこのように改造されたものである。桁行一間、梁間ニ間入母屋造、茅葺である。寛文ごろ(1661~)から毎年奉納舞が行われ、折々に藩主たちが観能に訪れました。現代は10年毎に能楽を奉納しています。」





本殿(重要文化財)
説明書より「社殿は三間社流造、屋根は檜皮葺の伝統的な工法で鎌倉期の建築様式を残しています。建築後いくたびかの補修再建が繰り返されてきました。昭和47年に半解体修理が行われました。その時社殿の基壇石組は創建当初に復元されました。建築された年代は、大工日原氏が建てたとする棟札写などによって文永2年(1265)の建立であると考えられていました。文化財の修理工事の調査報告書では、古文書に見える貞治4年(1365)の上棟をとるべきであるとの見解が示されました。三田市内に現存する最古の神社本殿の建築であるとともに、14世紀中ごろの流造の遺構としても全国的みても貴重な本殿である。」





末社



















お疲れ様でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八幡神社(宝塚市波豆)

2017-02-09 08:54:12 | 伊丹・宝塚
2017年2月6日お参りしました。本殿は国の重要文化財に指定され、境内の鳥居や石塔などは兵庫県の文化財に指定されています。
波豆八幡神社縁起について、説明書より『当社本殿は柿葺三間社流造りで応永10年(1403)に再建された簡素ながら端正なる容姿は国指定重要文化財中でも優秀な部類に属し、この時代の代表的な遺構です。特に昇勾欄の寶珠柱の向拝の蟇股に応永以前の古材が保持されています。神社縁起では攝津源氏の祖・源満仲公の弟鎮守府将軍治部輔源満政公の建立と伝えています。満政公は晩年、官職を退き、ここ波豆の里に隠棲、諏訪神社の神宮寺金福寺に入り律師満政を帰して仏道に精進しています。一日童子で寶珠を捧げ持って現われ、「此の寶珠は護国の珠なり、請う以て垂迹の印となせ、朕はこれ八幡麿なり」と宣べられ、寶珠を満政公に手渡すと忽然と消え去り、満政はその場にひざまづき宝珠を捧げ垂迹の地を拝みました。そしてこの地に宮社を築き、自ら一刀三拝の礼をもって神影を彫刻し社奥に御祀りしました。波豆里は古くから「波豆千軒8ケ寺」と呼ばれ、大変賑っていました。里人や氏神にして諏訪の神・誉田別尊(応神天皇)建御名万命建姫宮命を御祀りしています。この宮地に八幡神の垂迹の由縁を以て創建された八幡神社は後世の源一族が氏神として八幡神を尊び戦神として武人の信仰を高めましたが、正に八幡信仰の「源地」といえます。今では八幡神を厄除の神として世の尊信を集めています。境内には湖底に沈んだ金福寺の三尊種子板碑、宝篋印塔、五輪塔等が安置されています。湖水を影を映す石の鳥居は応永32年(1425)の銘を持つ県下2番目の古い鳥居です。』
兵庫県宝塚市波豆字谷田東掛2
map
鳥居(兵庫県指定重要有形文化財)
「この鳥居は室町時代の応永32年(1425)に、八幡神社参道入り口に立てられた。地元では、波豆川西岸の石切場から川底に青竹を敷き並べ引っ張り上げてきたと、言い伝えられている。千刈水源池築造に際して現位置に移された。三田市藍本の酒垂神社にある応永3年(1395)の石造鳥居は同じ波豆産出の流紋岩製で、構造・形式も同一であることから同人または同系の石工の製作と考えられる。中央高約3.7m。」

狛犬



拝殿



本殿(重要文化財)
覆屋で覆われています。柿葺三間社流造りで応永10年(1403)に再建された。

境内

末社







波豆石造美術群
「波豆周辺には奈良時代から室町時代にかけて優れた石造美術品が多く残っている。これらは波豆川下流の石切場(現千刈水源池内)から切り出された流紋岩を使用している。これらの石造美術品は、旧金福寺の境内にあったもので、千刈水源池がつくられた時に、現在地に移されたものである。」
板碑(兵庫県指定重要有形文化財)
「ここにある高さ約4mの板碑は嘉暦3年(1328)に立てられたもので、三尊の種子(梵字)が薬研彫りに深く刻まれている。」

宝篋印塔(兵庫県指定重要有形文化財)
「明徳2年(1391)に建てられたもの。」

五輪塔(兵庫県指定重要有形文化財)
「康永2年(1343)に建てられたもの。」

宝篋印塔(宝塚市指定文化財)
「左の宝篋印塔は、笠部の隅飾に種子が刻まれており、南北朝時代中期(14世紀後半)に建てられたものであろう。」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする