2024年12月22日、お参りしました。
説明書より「壺平山宝光院と号す。真言宗御室派別格本山、本尊は薬師如来です。当寺の開基は行基菩薩です。聖武天皇の御世に釈迦院とし開創された。弘仁年中(810-824)に弘法大師が当地に巡錫の折、安産と子孫繁栄の守り本尊として千手観音菩薩(国指定重要文化財)を自刻して安置した。868(貞観10)年聖宝理源大師によの再興した。当時は理源大師が起居し、厄除長生の行法を修した所である。大師は聖宝の二字を分けて、聖通寺宝光院と号し再興のしるしとした。その後、宇多天皇の寛平年中、讃岐のち勅使に勅して釈迦堂、仁王門を建立、豊作長久の勅願所となる。文永年中には亀山天皇の勅により、三重大塔、鐘楼鼓閣及び八十余坊を再興するが、星霜を経て伽藍は朽化する。後光厳天皇の文和年中(1352-1356)、小野僧正仁海の末流勢今宥僧正が当時に起居、御再興の勅許がある。1362(貞治元)年細川頼之は細川清氏との戦いの折、形勢不利の状態にあったが、神仏の擁護によって勝利を得るべしと住持勢宥僧正に薬師如来の冥威を祈らしめたところ、頼之側の大勝利となった。頼之は、これは薬師如来の威力神通なりと当寺に帰依、伽藍を再興して、鵜足・那珂二郡及び塩飽七島を以って当寺を旦那時としている。しかし天文年中(1532-1555)に兵火にかかり多くの伽藍及び宝物等を焼亡。生駒親正は讃岐国受封の折、引田城より聖道寺山字多津城に移っている。その子一正が嶋田寺を高松に移し弘憲寺と改めた時、命によって当時の宝物35種が弘憲寺に移され、堂塔2基は象頭山に移されている。1650(慶安3)年備後国常書院の宥長上人が当地に訪れ、伽藍焼却を嘆き、再興を期し当寺に住し、松平頼重讃岐国受封の後願により御再興仰出され1652(承応元)年起工、堂塔が建立されている。源英公は当寺に帰依、落成した薬師堂(本堂)は御自筆にて棟札を書いたと伝えられている。」
香川県宇多津町坂下2805
map
寺標
庫裏
弁財天
大聖不動明王
鐘楼
忠魂碑
釈迦堂
釈迦如来坐像(宇多津町指定有形文化財)
「本造は右手を施無畏院、左手を弓願印とした通形の釈迦如来で、榧材の一木造りである。像高77.8センチメートルであるが、過多膝の張りが力強く、また体奥も極めて厚く堂々とした見事な像容を示している。制作年代は平安時代前期(10世紀)とみられ、かつて存在した釈迦堂に安置されていたと伝えられている。」
観音堂
「木造千手観音立像(重要文化財)を祀る。」
本堂(宇多津町指定有形文化財)
説明書より「壺平山宝光院と号す。真言宗御室派別格本山、本尊は薬師如来です。当寺の開基は行基菩薩です。聖武天皇の御世に釈迦院とし開創された。弘仁年中(810-824)に弘法大師が当地に巡錫の折、安産と子孫繁栄の守り本尊として千手観音菩薩(国指定重要文化財)を自刻して安置した。868(貞観10)年聖宝理源大師によの再興した。当時は理源大師が起居し、厄除長生の行法を修した所である。大師は聖宝の二字を分けて、聖通寺宝光院と号し再興のしるしとした。その後、宇多天皇の寛平年中、讃岐のち勅使に勅して釈迦堂、仁王門を建立、豊作長久の勅願所となる。文永年中には亀山天皇の勅により、三重大塔、鐘楼鼓閣及び八十余坊を再興するが、星霜を経て伽藍は朽化する。後光厳天皇の文和年中(1352-1356)、小野僧正仁海の末流勢今宥僧正が当時に起居、御再興の勅許がある。1362(貞治元)年細川頼之は細川清氏との戦いの折、形勢不利の状態にあったが、神仏の擁護によって勝利を得るべしと住持勢宥僧正に薬師如来の冥威を祈らしめたところ、頼之側の大勝利となった。頼之は、これは薬師如来の威力神通なりと当寺に帰依、伽藍を再興して、鵜足・那珂二郡及び塩飽七島を以って当寺を旦那時としている。しかし天文年中(1532-1555)に兵火にかかり多くの伽藍及び宝物等を焼亡。生駒親正は讃岐国受封の折、引田城より聖道寺山字多津城に移っている。その子一正が嶋田寺を高松に移し弘憲寺と改めた時、命によって当時の宝物35種が弘憲寺に移され、堂塔2基は象頭山に移されている。1650(慶安3)年備後国常書院の宥長上人が当地に訪れ、伽藍焼却を嘆き、再興を期し当寺に住し、松平頼重讃岐国受封の後願により御再興仰出され1652(承応元)年起工、堂塔が建立されている。源英公は当寺に帰依、落成した薬師堂(本堂)は御自筆にて棟札を書いたと伝えられている。」
香川県宇多津町坂下2805
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寺標
庫裏
弁財天
大聖不動明王
鐘楼
忠魂碑
釈迦堂
釈迦如来坐像(宇多津町指定有形文化財)
「本造は右手を施無畏院、左手を弓願印とした通形の釈迦如来で、榧材の一木造りである。像高77.8センチメートルであるが、過多膝の張りが力強く、また体奥も極めて厚く堂々とした見事な像容を示している。制作年代は平安時代前期(10世紀)とみられ、かつて存在した釈迦堂に安置されていたと伝えられている。」
観音堂
「木造千手観音立像(重要文化財)を祀る。」
本堂(宇多津町指定有形文化財)