旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

射水市の内川、高岡の気多神社、ひみ番屋街

2017-06-22 21:56:53 | 富山
2017年6月19日、2泊3日の富山・石川観光で、宇奈月温泉・杉乃井ホテルに宿泊し、2日目です。宇奈月温泉から高岡市に移動し、瑞龍寺、前田利長公墓所と繁久寺をお参りしました。移動し、高岡大仏、高岡古城公園、射水神社にお参りし、重要伝統的建築物群保存地区の土蔵造りの町並みの山町筋と金屋町、有磯正八幡宮をお参りして、射水市の内川へ。
日本のベニスと讃えられ新湊には映画やドラマのロケで使われた場所が多数あります。「川の駅新湊」に自動車を止めて散策です。
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神楽橋
「郷土出身の大伴二三弥氏の制作によるステンドグラスがはめ込まれている橋です。」























気多神社に行きます。
高岡市伏木一宮1丁目10−1
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説明書より「気多神社は、養老2年(718)に僧の行基が創建したと伝えられ、また天平宝字元年(757)に、越中から能登国が分立した後、越の大社として崇められていた能登の羽咋にある気多大社を、越中国府に近い現在地に勧請したともいわれている。盛時には越中一宮として境内の周囲に神宮寺である徳証寺をはじめとする大伽藍が並立していたと伝えられるが、寿永年間(1182)に木曽義仲、天文年間(1532~1554)には上杉軍と二度の兵火で、ことごとく焼失したという。現在の本殿は、永禄年間(1558~1569)に再建されたと伝えられる。構造は三間流造り、柿板葺きで、正面に一間の向拝を付け、軒は二重繁棰である。斗栱は和様の三ツ斗で、軒下両側の面柱の上は舟肘木を用いている。向拝の斗栱は同じ三ツ斗で、正面の虹梁の上には彫刻した蟇股があるが、これは後代につけ加えたと思われる。向拝の柱及び前面の第一列に方柱を用い、他はすべて円柱である。正面の三面及び両側面の一面は吹通しとし、意匠は簡単であるが、木割は大きく、全体に雄大な風格を備え、県内の本殿中もっとも優れた建築物である。気多神社本殿は、室町時代の特徴が充分にあらわれており、作風が優秀であると評価され、重要文化財に指定された。」

社標





鳥居

参道





神馬



狛犬



拝殿





本殿(重要文化財)





神輿堂

大伴神社





















2日目の富山観光も終わり、石川の和倉温泉をめざします。
途中、氷見市の路の駅「ひみ番屋街」によりました。
「氷見漁港場外市場として設置されています。食事処、鮮魚・干物、みやげなどのお店が35店舗並んでいます。隣の施設は氷見温泉郷として沿総湯の日帰り温泉施設があります。ナトリウム・塩化物強塩温泉で10時から23時、入浴料は600円です。」
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いよいよ和倉温泉を目指します。
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高岡市山町筋と金屋町(重伝地区)・有礒正八幡宮

2017-06-22 21:56:15 | 富山
2017年6月19日、2泊3日の富山・石川観光で、宇奈月温泉・杉乃井ホテルに宿泊し、2日目です。宇奈月温泉から高岡市に移動し、瑞龍寺、前田利長公墓所と繁久寺をお参りしました。移動し、高岡大仏、高岡古城公園、射水神社にお参りし、土蔵造りの町並みの山町筋に行きます。
高岡市山町筋(重要伝統的建造物群保存地区)
「土蔵造や真壁造の町家、全面を洋風に仕上げた町家、レンガ造の洋風建築の銀行など、明治中期から、大正、昭和初期に建築された伝統的な建築物が残されています。」
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菅野家住宅(重要文化財)
「菅野家は、代々伝右衛門を襲名した高岡の代表的な商家で、江戸時代末期から明治にかけて、廻船の隆盛に伴い財を築いた。明治22年(1889)には高岡銀行を設立、同36年には、高岡電燈を設立する一方で、政界にも進出するなど高岡の政財界の中心的な存在であった。主屋は明治33年(1900)の高岡の大火の直後に再建され、土蔵も同時期の再建と推定される。主屋は、土蔵造、建築面積288.45m2、二階建、桟瓦葺、背面西方浴室及び便所附属。外観は黒漆喰仕上げである。2階の窓には、観音開きの土扉を備えるなど全体に重厚な趣みとなっているが、大棟、防火壁正面の石柱、正面庇の天井飾りや軒を支える鋳物の支柱などの細部の要所には細やかな装飾が施され、華やかな意匠としている。」















木船町の交差点を右に曲がって、金屋町に進みます。
千保川の鳳鳴橋









高岡市金屋町(重要伝統的建造物群保存地区)
「高岡市は、富山県の北西部に位置する。前田利長は高岡城の外側にあたる千保川西岸に、砺波郡西部金屋から七人の鋳物師を招き、東西50間、南北100間の土地を与えた。この拝領地を中心として金屋町が成立する。元和元年(1615)、高岡城は廃城となり、城下町は一時衰退するが、三代利常は高岡を商業の町として再興するため、町政組織の改善や商業振興を図る。こうした中で鋳物師は諸役免除され、生活用品や用具といった鋳物製造を行ってきた。保存地区は、東西約140メートル、南北約450メートル、面積約6.4ヘクタールで、市街地を流れる千保川西岸、旧拝領地とその周辺の範囲からなる。保存地区の中央を南北に金屋町通りが縦断し、江戸期から昭和初期までに建てられた町家が密度高く残る。敷地は短冊形で、道路に面して主屋を建て、主屋背面の中庭をはさんで土蔵が建ち、さらにその背後に作業場が置かれる。作業場で火災が発生した際に主屋への延焼を防ぐための工夫とされる。主屋は真壁造として、切妻造平入で桟瓦葺を基本とする。正面は、一階は出入り口に大戸を建て構え、サマノコと呼ばれる格子を設けるものが一般的であり、古いものには蔀が残る。二階は袖壁を設け、長押、貫を化粧でみせ、白い漆喰壁とコントラストをなす。蔵は、土蔵造、二階建を基本として、屋根は切妻造、桟瓦葺で、平入と妻入が混在している。蔵を並べて建てる場合は、その間に土戸と呼ばれる防火のための扉を設け、作業場で火災が発生した際には、戸を閉め、主屋への延焼を防いだとされる。高岡市金屋町伝統的建造物群保存地区は、高岡城下の建設に伴い鋳物師が集住して形成された町並みが今日までよく継承され、意匠的に優れた外観や質の高い造作をもつ町家と作業場や土蔵など鋳物製造に関わる建物がともに良く残り、特色ある歴史的風致を良く伝え、我が国にとって価値が高い。」

石畳













金屋町の説明書



































石畳

宗泉寺
「このお寺に安置している十一面観世音菩薩坐像は、旧北陸道を往来する人馬の道中の安全祈願と、道端で亡くなった人々の供養として祀られた。この仏像は、高岡鋳物師の名工、若野四郎左衛門の作である。」
山門

本堂









勝景寺









有礒正八幡宮
高岡市横田町3-1-1
「高岡古城公園の小竹薮付近にあったが、利長公による高岡城築城に際し、横田正八幡宮と合祀された。境内を囲んでいる築城様式の石垣は、その折りに前田家より奉納されたもので、ご祭神として利長公も祀られている。」
鳥居









神輿(高岡市指定文化財)



鳥居

手水舎

御神木(高岡市保存樹木のケヤキ)







かえる石

有礒正八幡宮拝殿及び幣殿(登録有形文化財)
「昭和10年(1935)建築、木造平屋建、銅板葺、建築面積159㎡。拝殿は1室で,正側面の各間に板戸を建て込み,正面に向拝を付ける。幣殿は一段高い板敷の床とし,左右に翼室を張出す。屋根は両殿を一体化し,八棟造,銅板葺とし,棟に千木,鰹木を置く。社殿の正面を構成し,伝統技法を用いつつ変化に富んだ外観を見せる」









社務所





高岡古城公園に戻ります。
横田橋

万葉線の路面電車





路面電車で方原町より広小路まで乗ります。150円です。



次は射水市の内川周辺に行きます。
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高岡大仏・高岡古城公園・射水神社

2017-06-22 21:55:33 | 富山
2017年6月19日、2泊3日の富山・石川観光で、宇奈月温泉・杉乃井ホテルに宿泊し、2日目です。宇奈月温泉から高岡市に移動し、瑞龍寺、前田利長公墓所と繁久寺をお参りしました。移動し、高岡大仏です。
大仏寺
『浄土宗の寺院で鳳徳山、奈良、鎌倉につぐ日本3大仏「高岡大仏」は、前田利長公が高岡城築城の折りに、現在地に移転された。幾多の焼失により、不燃の大仏の鋳造をと、伝統の銅器製造技術の粋を集め、30年の歳月をかけて昭和8年(1933)に完成された。すべて地元の手による大仏は、銅器日本一のまち高岡の象徴です。総高15.85m、重量65トン。』
高岡駅から北に300mのところです。拝観用無料駐車場があります。拝観料はいりませんが、志納です。
高岡市大手町11-29
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高岡大仏(高岡市指定文化財)
「高岡大仏は、坂下町極楽寺第十五世等誉上人が大仏建立を誓い、延享2年(1745)、木造金色の仏像を建立したのが始まりである。しかし、その像は文政4年(1821)に焼失、その後天保12年(1841)に再興されたが、これもまた明治33年(1900)の大火で焼失した。現在の大仏は、篤信家の松木宗左衛門が大仏の再建を発願し、明治40年(1907)に造営事業が着手された。その後、中川原町の萩布宗四郎らの協力により、20有余年の歳月を経て昭和8年(1933)に全工程を完了、5月に開眼式が行われた。」











銅燈籠

鐘楼

時鐘(高岡市指定文化財)
「江戸時代にはまだ時計が普及していなかったので、町民に時刻を知らせる必要があった。それは規則的な生活を営み、共同生活の秩序を保ち、生産の能率を上げ災害を防止する上にも重要であった。当時の高岡町奉行寺島蔵人は時鐘の鋳造を計画し藩の許可をえたところ、金屋町に前田利長以来の藩の厚い保護に報いるためその鋳造を願い出て文化元年(1804)に出来上がった。そうして9月11日午前6時から二番町会所でつきはじめたが、間もなく割目が生じて改鋳にせまられた。坂下町の鍋屋仁左衛門は、高岡鋳造の名声を傷つけたことを悲しみ、自ら多額の金品を寄付し、浄財を集め工人を督励などして文化3年(1806)7月には遂に見事な大鐘を完成した。これがこの時鐘で、口径120cm、厚18cm、高さ197cm、重量2250kg、この鐘の東南西北の鏡面に皆川淇園の筆になる銘が刻まれている。」



本堂









次は高岡古城公園に移動します。こちらも無料駐車場があります。
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公園案内図







































射水神社、公園内にあります。



由緒書
「創始は太古のことで年代は不祥ですが、創建は千三百年余り前の奈良時代以前とされています。社伝によれば、養老年間、僧行基が二上山麓に建てた養老寺に、二上権現と称して祀ったのが二上神の鎮座といわれ、その後、承平、天正の二度にわたる兵火で焼失しますが、慶長十五年(1610)、加賀藩主・前田利家公により復興。」



結婚式のようです。

手水舎

拝殿













社務所





公園を出て、山町筋、金屋町に行きます。
本丸橋



駐春橋




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瑞龍寺(国宝・高岡市)・前田利長公墓所

2017-06-22 21:54:14 | 富山
2017年6月19日、2泊3日の富山・石川観光で、宇奈月温泉・杉乃井ホテルに宿泊し、2日目です。宇奈月温泉から高岡市に移動し、まずは瑞龍寺です。高岡駅に南に800mの位置です。拝観料500円です。
富山県高岡市関本街35
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パフレットより「曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀二代藩主前田利長公の菩提をともらうため三代藩主利常公によって建立された寺である。利長公は、深くその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山された。造営は、正保年間から、利長公の五十回忌の寛文3年(1663)までの約20年の歳月を要した。当時、寺域は3万6千坪、周囲に壕をめぐらし、まさに城郭の姿を思わせるものがあった。平成9年12月3日、山門、仏殿、法堂が国宝に指定された。また、総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂が国の重要文化財に指定されており、江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されている。」
寺標



瑞龍寺の沿革

伽藍配置図
「伽藍は、鎌倉時代広く我国にもたらされた中国の寺院建築を模して建立されたもので、総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列し、左右に禅堂と大庫裏を置き、加えて四周を回廊で結ぶなど、厳粛且つ整然たる伽藍構成である。名匠山上善右衛門嘉広は、利長公の代より前田家の信任厚く、禅宗様建築を良くし、近世工匠の中でも一流の域に達した名工の一人であった。なお善右衛門はこの瑞龍寺の他に、能州滝谷の妙成寺、加州那谷寺の諸堂、越中大岩日石寺、能州一の宮気多大社、加州小松の天満宮等、多くの建築を命じられた。」

総門(重要文化財)
「江戸前期、正保年間の建立、三間一戸薬医門、切妻造、こけら葺、左右袖壁附属。」
山門(国宝)、工事中です。
「正保2年(1645)に建立され万治年間に場所を変えて建直す。延享3年(1746)火災で焼失、現在の建物は文政3年(1820)に竣工した。当時としてはめずらしく和算により設計されている。左右に金剛力士像を安置し、楼上には釈迦如来、十六羅漢をまつる。」

大庫裏(重要文化財)
「調理配膳や寺務運営を行う堂である。天井が漆喰で曲線になり結露に配慮してある。正面には韋駄天尊像がまつられている。」



















回廊(重要文化財)









禅堂(重要文化財)
「江戸末期の寛永元年(1624)建立、桁行七間、梁間五間、正面向唐破風向拝付、背面・両側面庇附属、一重、切妻造、こけら葺。」



仏殿(国宝)
「万治2年(1659)に建立された。桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、鉛瓦葺。山上善右衛門嘉広の最も心血を注いだ力作の一つで、総欅造りである。屋根は鉛板をもって葺かれている。これは全国においても金沢城石川門にその例をみるだけである。上層軒組は、禅宗建築の純粋な形式で、屋根裏の扇垂木やエビ虹梁など複雑にして妙をえた架構法である。御本尊として中国明代の釈迦・文殊・普賢の三尊をまつる。」















初層は和様の垂木

上層は禅様の垂木



内部の天井











法堂(国宝)
『江戸前期の明暦元年(1655)建立、桁行十一間、梁間九間、一重、入母屋造、銅板葺、向拝 桁行二間、梁間一間、一重、向唐破風造、銅板葺。建坪186坪。境内第一の大建築、総桧造りとなっている。構造は方丈建築に書院建築を加味したもので、六室より成っている。中央奥の内陣には二代藩主利長の御位牌が安置されている。法名は「瑞龍院殿聖山英賢大居士」。中央二室の格天井には狩野安信の四季の百花草が描かれており、正面の欄間には高岡という地名の由来となった鳳凰が刻まれている。』



















鐘楼

大茶堂(重要文化財)
「創建当初に造られたもので、その存在は全国的にも類例は少ない。その構造は外壁や軒下を土蔵と同じ大壁とし、内部を土天井とした大変珍しい防火建築物である。」









石廟(重要文化財)
「前田利長、利家、織田信長、同室正覚院、織田信長の分骨廟。石廟の中には、宝篋印塔がまつられている。」









前田利長石廟











鬼瓦

瑞龍寺周辺案内図

前田利長公墓所
瑞龍寺から八丁道(870m)を進むとあります。
説明書『加賀藩二代藩主・利長公(1562~1614)は関野に新しい城を築き、街づくりを進めて「高岡」と命名、この地で他界しました。利長公を敬愛された異母弟の三代藩主・利常公(1593~1658)が33回忌までに建立された壮大なお墓です。当時は5万余坪(現在は1万平方m)の敷地に墓守寺を配置、墓碑は豪壮な戸室石の基檀を含めて高さ12mの偉容を誇ります。国宝瑞龍寺・八丁道とともに先代藩主への厚い思慕の念と百万石の力量で造りあげた石の建造物として高い評価を得ています。』

八丁道、真直ぐにに続いています。

墓所入口

















繁久寺
「曹洞宗の寺院で、前田利長墓所の廟守の寺として造営されたお寺です。回廊に五百羅漢が安置されています。」
山門

本堂

選仏堂

玄関







次は高岡の街並み散策します。
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宇奈月温泉の街並み

2017-06-22 21:52:36 | 富山
2017年6月18日、2泊3日で富山・石川観光です。宇奈月温泉杉乃井ホテルに宿泊し、周辺の散策です。ホテルの前の黒部川に山彦橋が架かっています。黒部渓谷のトロッコ列車の橋です。近くに宇奈月ダムがあります。
宇奈月ダム周辺案内図

宇奈月ダム説明書



宇奈月ダム



山には雪が残っています。

ホテル周辺を散策します。

















富山地方鉄道の列車

宇奈月温泉駅







宇奈月温泉街案内図

駅前の温泉噴水



宇奈月温泉の説明書

引湯の木管





足湯

トロッコ列車











黒部渓谷鉄道宇奈月駅



銅像があちらこちらに















聖徳大師堂

お湯掛薬師











分湯槽

温泉成分表





黒部川電気記念館









黒部渓谷セレネ美術館

宇奈月神社



























やまびこ展望台より























































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富山城・富山港と岩瀬の街並み

2017-06-22 21:51:48 | 富山
2017年6月18日、富山観光しました。富山市八尾町諏訪町の街並みを散策した後に富山城址公園に来ました。駐車場は無料です。
富山駅の南800mくらいの位置です。
富山市本丸1-62
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「富山城は明治6年(1873)に廃城となり、その後、解体され、戦災復興事業として天守閣が建設されました。富山市立郷土博物館として開館してきました。富山城は前田利長が整備、大火で焼失した後、元和元年(1615)の一国一城令により一旦廃城。寛永16年(1639)の富山藩分藩に伴ない、初代藩主前田利次が入城。その後、明治時代に至るまで、富山前田家13代の居城となった。」入館料は210円です。
城址公園案内図

富山市立郷土博物館・富山城(登録有形文化財)







































千歳御門





富山市佐藤記念美術館























掘めぐりの遊覧船





城址公園の北側の富山市役所の展望台に行きます。こちらは無料で市内が眺望できます。



少し、雲があるので連峰は見づらいですね。

























富山港展望台に移動します。
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展望台からの眺め





一筋東側の岩瀬の街並みに行きます。













案内図





北前船回船問屋森家(重要文化財)














































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越中八尾の街並み

2017-06-22 21:46:42 | 富山
2017年6月18日、神戸を朝出発し、舞鶴自動車道を経て、北陸自動車道で富山観光です。今回は2泊3日で富山と石川の観光です。最初の観光地は富山市の八尾の街並みです。神戸から約400Kmを走りました。富山西ICから南に13Kmの位置です。県道224号線の通りに駐車場があります。
八尾は江戸時代から養蚕業、特に蚕種(カイコの卵)の生産や取引で栄え、かつては「蚕都」と呼ばれました。養蚕は何百年も前から人々の暮らしを支え、戦前に至るまでの町の基幹産業として隆盛していた歴史があります。
江戸時代には富山藩の御納戸所として栄華を極めた町人文化の象徴であった曳山神事は、今もなお伝承されています。5月3日は越中八尾の曳山祭で、三味線、笛、太鼓の奏でる古式ゆかしい典雅な曳山囃子につれて、凛々しい若者達が揃いの法被姿で曳く六本の曳山、夜には数千の提灯に灯がともる提灯山車となって、坂の町を練り歩きます。
富山市八尾町上新町2898
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原蚕の坂





蔵並み通り







曳山展示館、工事中でした。

川崎順二像(越中八尾おわら保存会書台会長・医学博士)

八尾まち歩き案内図



国道472号線の通り

もう一筋奥の諏訪町通りに進みます。

諏訪町通りです。石畳みの通りです。







































専能寺







街並みに戻ります。

諏訪町公民館





















諏訪社



鳥居

手水舎

狛犬





拝殿





社務所













街並み











おたや階段













































次は富山城に行きます。
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