閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

飛行機のこと

2015-04-12 21:49:43 | 日記

小生は子供のころからの乗り物好きをいまだに引きずっている「幼児性」を否定できない。マニアには汽車・電車・自動車ほか色々あって、さらにその中でもメカ、スタイル、写真等種類色々。 吾輩は電車はあまり関心がない。その理由の一つが、どっちを向いて走っているか、止まっているのか が わからないということは大きいように思う。自動車は身近すぎて、実用としか思っておらず、大排気量の必要を認めないのでこれも省く。新幹線は基本的に電車であるし、ある別の根拠でもって小生は可能な限り乗らないことにしている(新幹線は怖いです)。では残るのは何かというと、船と飛行機、そしてトラック、ほかの「働く自動車」ということになる。飛行機については全く何も関与も出来ない一「ファン」に過ぎないが・・。かつてYS-11について「純国産」という表現はオカシイとあちこちに投書・投稿したけど取り上げてもらえなかった。今日 三菱のMRJについて、YS-11とおなじような 感情的・無批判・無節操な記事が目立つのを危惧している。なぜYS-11が「失敗」したのか、マスコミの態度はそれをわかっていないとしか思えない。 2月の搭載エンジンの始動試験の記事と関係者の感想はおよそ客観的とは離れた記事で背筋が寒くなる思いだった。この機体が「全体にまがっていて、あたかも飛ぶ鳥のようで流麗な素敵なデザイン」「流麗な姿の飛行機は高性能の証し」だそうでそれは低翼で床下に貨物室を置かないことでそうなった、と書いてある(手荷物などは機体後部に積むそうである)。 さてはて はたしてこれはそんなに単純な事だろうか?ボーイングの機体がお世辞にも「カッコいい・スマート」と言えないのは昔から。707とDC-8、727・737とDC-9DC-10を見てもわかる。でも結局ボーイングの方が勝ってしまった。この理由は何だろう。YS-11の開発とき、遅れに遅れている間に英国では同じエンジン・プロペラでほぼ同じ性能の機体を3年で仕上げて進空させた、しかも最初から軍用輸送機を想定した床構造だったので一般の民間路線だけでなく広く売り込むことが出来、二百数十機生産した。 日本では7~10年で機種更改されるが、中古機になったのの多くは貨物機に改造されて世界中を飛んでいる。それだけの空間・許容量があるからこそできる技で、MRJははじめから荷物室がない、機体の上部は細くて微妙にまがっていては大型の貨物ドアをつけることは出来ない。ということはこの機体は改造しようのないいわば「観光バス」専用機であるということだろう。さすれば、日本のような税制で数年たてば新規変更で古くなった機体は中古でさばけばよいという感覚では世界中には通用しないのではないか。 YS-11のときも売り込み先の余剰機の売りさばき、そして YS-11が古くなったとき代替機の用意ができないというのは大きな障りだった(フィリピンで、中南米で、USAのローカル線で)。 こんなことを頭によい人たちがきずいていないはずはないと思うけれど・・。マスコミはこんな点をこそきちんと把握して報道すべきではないかと。

こんなことはもっと詳しく話すべきだけど、このブログに見合う話かどうか・・。というので今回はおしまい。本に関することではないのでちょっと反省しています。

 

 

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