閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

 とんでもないお坊ちゃま。

2015-04-18 22:09:12 | 日記

 

 近畿大学の卒業式に来賓としてしゃべった「ほりえモン」の舞台がネットに出ていて、見ることが出来た。曰く「将来、未来なんて誰も予測できない、ネットを活用して情報を集め、自分の判断で行動せよ」「日本が豊かであるというのはすでに幻想になりつつある」「これからの社会はネットの広がりをいかに自分の物にするかにかかっている」などというご宣託はいかにも至極ごもっともであろう。しかしその話に取り上げられる「例え」は実に陳腐な「成金」連中の話でしかない。ご本人が「成金」そのものであるからしょうがないにしても、世の中「お金儲け」がすべてではない。彼の視野には「貧困」「心身障害」「天災」「不慮の事故」といった「負」の要素は全くないようである。小さい時からちょっと出来のいい子で、トントンと上級学校へ進み、大して大事とは思いもしないまま東大に入ってしまったかなり恵まれた能力の人で、おそらく挫折感など縁のない人である。我々の身の廻りにもそのような「出来の良い」人はいる。広く見れば中曽根、石原、小泉、石破あたりがそうだろう、作家でいえば三島がそう。堀江がしゃべっている映像を見ていると自信満々のその様子がありありと見て取れる。彼の話は大学生の旅立ちへの言葉としては社会性が足りないといえるのではないか。世に言う「勝ち組」の話でしかない。彼を来賓に呼んだ近畿大学の「感覚」の粗雑さ、壇上に居並んだ「偉いサン」がたを見下した態度に反論も出来ない「教授」連のお粗末さに背筋が寒くなる思いである。彼が見ていた居並ぶ卒業生の映像を見ても実に悲しい思いでしかなかった。映っている限り彼の話を真剣に聞いているとは思える姿はなく、その目線の空虚なこと、まさに正視に堪えない。この二重三重の擦れ違いは看過すべきことではない。日本は本当におかしな社会になっていると。

 ついでながら、この講演の司会していた女性も問題であるが、このことは別の機会に譲る。

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