晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 足の話 9/23

2019-09-23 | 雨読

2019.9.23(月・祝)

 ベアフットランニング(Barefoot Running・裸足走行)が注目を浴びている。ランニングのありかたが根本的に変わるもので、双方から様々な意見が飛び交っている。裸足歩行を推奨実践しているわたしとしては他人事ではない。ランニングもウォーキングも同じ足を持った同じ人間が行う行為だからだ。実はこのことに関してわたしは明確な見解を持っている。いずれ発表することとなるが、その前に足に関する書物を順次紹介したい。一般的にはあまり読まれない分野だと思うが、足というのは奥深いものであり、我々の関心事である健康や長寿、病気や免疫、人類の進化や未来について実に密接に関係するものである。まずは古典から始めたい。
 「足の話」近藤四郎著 岩波新書 1979年10月発行
 
足について書かれた書物では今のところ最も古いだろう本である。足の古典といって良いだろう。もう数年前に読んだもので、その時点で雨読に投稿しておけばいいものを今日になって書いているので、記憶が怪しい。
 足や歩行について研究を進めるならまずこの本を読んでいただきたい。足、脚の違いや素足、裸足の違いなど今日混同されがちな用語がはっきりと区別されている。
 また、歩行の基本である「あおり」についても初めての記述ではないかと思う。「ヒトは足を外から内へあおって歩く」ということを関取の歩みを見て発見されたそうだ。このことは足裏の荷重という意味で大変重要な原因となる。
 ロコモーションや姿勢、ヒトと足の進化、履き物の起源などについて興味有る記事が掲載されているが、裸足歩行が足のためによいと提唱されたのはわたしが読んだ本の中では最も古い。そのなかで近年よく言われるメカノレセプター(受容器)についても言及されているのはすばらしい。
【今日の”のび”】NO.4
Img_0523
じょんの時はコンパネでフェンスを作ったが今はそんな馬力もなく、出来合いのフェンスを買った。
これがなかなか優れもので、この出入り口はかみさんのお気に入りである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 正しく歩いて不調を治す 9/21

2019-09-21 | 雨読

2019.9.21(土)雨

 「正しく歩いて、不調を治す」田中尚喜著 (株)クロスメディア・パブリッシング発行
  2019年6月初版 綾部市図書館借本

 この分野の本としては最新のものと思われる。足や歩行に関する本をたくさん読んできて、著者が実践ウオーカーであるか、机上の論者であるかすぐに解る。本書の著者田中氏は理学療法士だが、実践的に歩いておられるようだ。そういう意味で「大股で、腕を振って、速く歩く」ことが正しい歩き方に反しているという主張は魅力がある。ウォーキングに関する本のすべてが「正しい歩き方」についてあれこれ述べているのだが、その中身は食い違うもの、相反するものなど様々で、読者は戸惑ってしまう。それは「歩き」の目的が統一されていないからである。最終目標は健康なんだが、そこに至るプロセスが筋肉や骨の増強であったり、人類の歩行の目的、つまり長く遠くへ移動することであったり、精神的な安定、成長を求めるものであったり様々なわけだから、「正しい歩き」も様々なわけだ。
 わたし自身の「歩き」の目的もまた違っているので田中氏の理論に合致するところもあれば、反対のところもある。

 「大股で、腕を振って、速く歩く」はわたしも疑問を感じる。筋肉を付ける心肺能力を高めるためには良い方法かもしれないが、それが正しい歩き方とは考えられない。ただ田中氏は「腕振は意識しなくていい」と述べておられる。歩行ロボットの例を出して「腕の振り」は歩行には関係ない、とまで言っておられる。ロボットと人間の歩行のメカニズムがどれほどの差異があるのか検証せずに、ロボットが手を振らないのは歩行と関係が無いのだというのは詭弁である。もっとも「意識しなくていい」というのは「振らなくていい」とは違うのかも知れないが、、。
 他の本で得られなかった情報があったのは嬉しい。それはメカノレセプターのことである。あまり詳しくない内容で、分布図も出所の解らない図で怪しげなものだが、母趾に多く分布しているというのは正しいがだからどうするのだということが明確で無い。
 コラムのところにベアフットラン、フォア一フットランなどの紹介があり、裸足のトレーニングを奨励されている。実は裸足歩行はあらゆる本が奨励しているのだが、実践に繋げている様子はない。ランニング部門ではあるが、「BORN TO RUN」という本が紹介されていた。これは衝撃的な内容で、いずれ紹介したい。
 シューズやインソールなどの最新情報などもあって楽しく読めるが、全体的に総満艦飾的な内容でこれからウオーキングを始めようという人には、さて読んだけれどどうすればいいの?という風な感じだろう。
【今日の”のび”】NO.2
 昨日京都からじょんのびまでの道中、吐くこともなくしまいに眠っていたようで、なかなかいい度胸してるみたいだ。初めての朝も8時だというのにぐっすり寝ていた。昨日うんPしてないので、おしっこうんPに出ようとしたが、雨が降ってきた。どうせいつかは着なきゃならんので、レインコートを着せる。もちろん初めての経験で、見事に固まってしまった。じょんの時もそうやったからまっいいか。
Img_1465
雨降ってじょん固まる(2008.11)

雨降ってのび固まる、写真横向きでゴメン。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 ニムロッド 5/26

2019-05-26 | 雨読

2019.5.26(日)晴れ

  第160回芥川賞受賞作品である。芥川龍之介は好きだけど芥川賞受賞作品は実は森敦の「月山」以外に読んだことが無かった。なんでって興味がわかないから、、。そのかわり興味がわいたら何度でも読み返し、月山なんて遂に現地を訪れる事となったぐらいだ。月山の主題は七五三掛でも月山でもなく、十王峠だと思っている。それだけ深読みしているということだろう。
 ニムロッドは最新の受賞作だが、これは興味を惹いた。AIが人間の思考能力を超え、ロボットが人間のあらゆる技術的能力を超えそしてゲノム編集で人類が永久の命を得たときに人間社会はどのようになるのか、人類は人類として生存できるのか、こんな疑問を学術的分野、宗教分野で語って欲しいと願っている。それは遠い未来のことではなくて、我々の世代、あるいは次の世代にはやってくるだろう近未来のことだろうから。
 ニムロッドは文学でその近未来を語ってくれた。

 表紙のデザインは天に届くような高層ビル、ニムロッドはその際上階に住んでいる。バベルの塔よろしく、この塔は人間の人間たるを示している。
「ニムロッド」上田岳弘著 講談社 2019年1月発行 綾部図書館借本

 生産性を最大限に高めるために彼らは個をほどき、どろどろと一つに溶け合ってしまった。個をほどいてしまえば、一人ひとりのことは顧みずに、全体のことだけを考えればいいからね。より強く高く長く生き続けたいという欲望を最大限達成できるからね。
 いかにも文学的な表現なんだが、永遠の生命、安住した生活を得たがために、個、人間性をなくしどろどろと一つに溶け合った人間、いや元人間を塔の最上階からニムロッドは見下ろしている。彼は欲望をむき出しにした人間最後の王なのだ。
 これだけで読んでみたいと思うでしょうからあとは書かないことにするが、なんとなく思い浮かんだストーリーがあるので紹介する。次号をお楽しみに。
 
【今日のじょん】風太(ぷーた)が来たぞ。楽しみにしていた風太君(2ヶ月)が来じょんした。写真や動画でしか見てなかったのだが、予想以上の男前でよい子なのだ。じょんも嫌がるかなと思ったが、友好的で一安心。

柴とシェパードのミックスだって、、大きくなるかもヨ。じょんとも仲良くしてくれい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原始人健康学ー4 3/24

2019-03-24 | 雨読

2019.3.24(日)曇り

 最終章は「医食同源・時代はナチュラル」で健康と食事の記事である。最近はTVなどでこの件に対しては盛んにやってるのでそちらの方が詳しいかと思う。というわけで「食と心」ーその関係性を解き明かすーの中の藤田先生の一文を紹介しよう。

 「腸は第二の脳であるー食
と腸とこころ」という一文なのだが最近話題となっている腸、腸内細菌について詳しく書かれている。腸の働きと言えば消化吸収がまず浮かぶが免疫、解毒など自然治癒力と大きく関わっていることも忘れてはならない。腸内細菌については善玉悪玉なんて騒がれているが、一体自分の腸内はどうなっているんだろう。こんな疑問は誰もが持っているのだが、これを解き明かす手段はそう簡単にはいかない。有名な辨野博士の腸内細菌検査を受けたのだが、その結果は一体どうなのかちっとも解らない。細菌のパーセンテージは書かれているが、それがどうなのか解らないのだ。結局腸内細菌を良好な状態にするには、穀類、野菜類、豆類、果物をとること。次に発酵食品、食物繊維やオリゴ糖を摂ることだそうだ。そして加工食品や食品添加物の入った食品をなるべく避けるということである。この最後の部分が難しそうだと思う。
 腸とこころの問題で、セロトニンのことが詳しく書いてある。セロトニンは幸せ物質ともいわれ、歓喜や快楽を伝える脳内物質なのだが、この生成に腸内細菌が大きく関与していると書いておられる。セロトニンは脳内で生成される以外に腸で生成され、実はこの方が圧倒的に多いわけだ。腸内では脳とは全然別の働きをしているので、脳内のセロトニンとは無関係と思っていたのだが、先生は腸で生成されるセロトニンが脳に影響していると書かれている。腸で生成されるセロトニンが脳で活躍するとなれば、うつ病を始め慢性痛などあらゆる病気の治療が望める。例えばアメリカなどでは薬局でセロトニンを売っているのだ。ハワイに行く友人に買ってきてもらったことがある。一瓶3,000円だった。気持ち悪くて服用しなかったが、今から思えば効能はどのように書いてあったか調べておけば良かった。おそらく便秘解消とか腸に関する効能ではないかと思う。つまり腸で生成されるものと脳で生成されるものは違うという事である。ところが先生はここのところを微妙な言い回しで書いておられる。
 セロトニン生成は、腸の大きな役割のひとつである。正し食生活をし、腸が適切に機能していれば、セロトニンが不足になることはないと考えられる。腸内環境の改善こそ、副作用のない、”こころの病”の治療であると著者は確信している。
 これでは誰でも腸内で生成されるセロトニンが脳内で活躍すると思うだろう。でもよく見るとそうは書いてないのだ。腸とこころに関係があることは解るが、セロトニンを使ってらしきことを語るのはいただけない気もするのだが、、、。
 さて藤田先生の回虫を飼った顛末を知りたいと思っていたところ「脳はバカ、腸はかしこい」に書いてあるらしい、機会があったら読んでみよう。おわり

【今日のじょん】驚いたぜ春の雪、朝起きたら真っ白、どおりで昨晩から寒いと思ったよ。

 でも寝坊のじょんが起きる頃にはこのとおり

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原始人健康学ー3 3/18

2019-03-18 | 雨読

2019.3.18(月)晴れ

 そしていよいよ「自然治癒力を高める健康法」の章となる。わたしたちが最も知りたいところなのだが、キーワードは四百四病、生老病死、自然治癒力だろうか。四百四病とは人間は四百四の病気を生まれ持つという仏教思想なのだが、人間は本来完璧なもので外部から病原菌などが侵入し病気になるという西洋思想とは相反するものである。若い時分には考えられない思想だが、老齢になってきて周囲を見渡し、自分自身の健康状態を見るとき、四百四病の思想はなるほどなあと思えるようになってくる。実際遺伝子などの様子が明らかになってくると、元々病気の発症する遺伝子の存在が分かり始め、益々四百四病思想が納得されるものとなってくる。私たちはいかに病気が表に現れないよう気をつけるかということが課題になるが、それだけでなく否応なしに現れる病気に対して如何に向き合うかが重要になってくる。治る病気については最大限の努力を払うが、未だ治らない病気のいかに多いことか。その時こそ生き方が問題になってくる、夢を持って前向きに生きるか、落ち込んでふさぎ込んでしまうか、同じ期間の人生であってもその差は歴然である。先生は、私たちはまず、自分たちが持っている「健康」という幻想を捨て、「病気と闘う」のではなく、病気と「共存する」という考え方に立つことが大切である、と説いておられる。
 免疫や老化のメカニズム、ストレスについての考察などなど興味深い記事が続き、先生の健康法が紹介される。回虫を自身の中に飼おうという先生だからさぞかし愉快な健康法が飛び出るのかと思いきや、なんとも月並みな健康法ばかりで少々がっかり。気功法、森林浴、ウォーキング、水泳、飲料水などが登場し、参考になるところも多くあるが、タイトルの自然治癒力との関係がはっきりしないのが残念。この時期に回虫実験をされていたかどうかは不明だが、そのことに関して一切記述が無いのもやや肩すかしを食らった感がある。ただ飲料水については目から鱗の部分があり、お勧めの「ミネラルウォーターガイドブック」を購入し、各種のミネラルウォーターを比較検討している事態である。つづく
【今日のじょん】雪が降るかと思えばぽかぽかの陽気もあり、人間も犬も大変。うみんぴあ芝生広場は草がむくむく生えてきた。


 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原始人健康学ー2 3/14

2019-03-14 | 雨読

2019.3.14(木)雪

 サブタイトルはー家畜化した日本人への提言-となっている。最近読む本に多く家畜化の言葉が出てきて、人類が日本人が家畜化されていると言われる。厳密には遺伝学的に言う家畜化ではなくて、現代人が苦労なく豊富な食料を得られ、快適な環境で弱体化していく現象を揶揄した言い方なのだろう。最初に俎上に上がるのは日本人の異常なまでの清潔感である。TVを見ていると実にまあいろんな抗菌剤、除菌剤の宣伝花盛りである。薬剤ばかりでなく、抗菌処理された建築材、家具、衣類、電化製品など身の回りはすべて抗菌、除菌で家の中はまるで無菌室状態である。それをまた我々は安全・安心状態と勘違いして大満足している訳である。こうなると戦う相手の居なくなった免疫力はどんどん低下し、逆に菌は生き延びるため変化し強靱になっていく。O-157だってもともとは害もなく腸内で共生していた大腸菌の一種なのだ。
 確かに過剰なまでの清潔志向は問題ありと思うのだが、さて自分の身の回りを見てみると、ありますぞ。除菌剤、殺菌剤、消臭剤そのたぐいのものが20本はあるだろう。飲食店を経営しているということもあるが、意識としてかなり過剰になっているという気はする。それが日々免疫力の低下につながっているとしたら、、、これは考え物ですぞ。
 【今日のじょん】もう春が来るかと思っていたら、突然の雪、スノウタイヤ履いてて良かった。
 
 コレだもんね、前日の写真と比べてよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原始人健康学-1 3/13

2019-03-13 | 雨読

2019.3.13(水)晴れ、曇り、雨

 「原始人健康学」-家畜化した日本人への提言- 藤田紘一郎著 新潮選書 1997発行 古書


  「食と心」中井吉英・本庄 巌共著にも藤田先生の一文があるので併せて紹介しよう。
「回虫を駆除したので花粉症が始まった」というセンセーショナルな話題が賑わったのはいつ頃だったろうか。自分自身で回虫やサナダムシを体内で飼育し、よくテレビに登場していたのがこの先生である。花粉症には縁が無かったのでさほど気にもしなかったのだが、とにかく変な先生だなあという思いだった。そのうち花粉症の洗礼も受け(現在は治癒しているが、、、)健康や病気のことを研究し始めると、俄然先生の説が浮上してきた。そんな理由で読み始めた本である。

 アレルギー病と回虫などの寄生虫の話から始まる。インドネシアバンダ海のブル島という島に仕事で渡り、その住民を見て、寄生虫とアレルギー病の関係を発見するのである。もしこの赴任が無かったら藤田先生もただのドクターだったかもしれない。島に赴任し、寄生虫と免疫の関係を発見する過程や科学的な内容は最初の章に詳しく書かれている。第一章のタイトルは「『健康』は共同性が作った幻想」というなんとも理解し難いものであるが、「はたして現代の日本人が追求している『健康』は本当の意味での『健康』であろうか。ひょっとすると、これも日本という特殊な近代国家に住む私たちの共同性が生み出したひとつの幻想でではなかろうか。」というところで少し理解できるような気がする。そして第二章の「日本人の家畜化現象」で健康という幻想がはっきりしてくる。つづく

【今日のじょん】おとーとおかーがボイストレーニング始めたので、昨日連れてってもらった。ちょっとの間だけ天気が良くて近所を散歩、「おもろいもんがあるやんけ」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二人のアイスマン-5 3/7

2019-03-07 | 雨読

2019.3.7(木)雨

 過酷な環境にわが身をさらし、ついに「凍えぬ体」を獲得したジャーナリストが、エビデンスを示しながら「潜在的な身体能力を引き出す方法」の一部始終を明かす、、、、帯紙に書かれたキャッチフレーズのとおり著者のスコット・カーニーはジャーナリストで、ホフの怪しげな理論と行動に疑問を持ち、ペテン師の化けの皮を剥がしてやろうという意気込みでホフのプログラムを実行するのである。ところが意気込みとはうらはらに彼のメソッドにのめり込み、自分自身を変革することとなるのである。人類が快適さと引き替えに失った免疫力や潜在能力を取り戻そうという試みには同感するところが大いにあるのだが、そのプロセスは私たち一般とは随分違う。その主なトレーニング法は呼吸法、瞑想、寒冷刺激とされているが、その内容たるや強烈なものである。例えば呼吸法といえば私たちの考えでは腹式呼吸とか丹田呼吸法とか穏やかなものだが、ホフの呼吸法は最終的には5分間も息を止めているとか、息を止めて腕立て伏せを数十回するとかプールの底を鉄アレイを下げて歩き回るとか異常なものである。寒冷刺激ったって写真のとおり氷の湖を泳ぎ回るとか、氷水に浸かるとかまあ大変なものである。とにかく本書の最初に警告(WARNING)があり、「、、、、読者はこれらの行為が本来危険なものであり、深刻な害や死につながる危険性があることを自覚していなければならない」と書かれている。
 この異常とも言えるトレーニングの結果、記録的なタイムでキリマンジェロの登頂を果たす、しかも短パン一丁で。またパーキンソン病やクローン病などの改善も報告されている。それぞれエビデンスも紹介してあるのだが、残念ながら理解できるものではなかった。結局ホフのメソッドの発想と趣旨は理解できるが、その内容たるやあまりにも常人離れしており、参考にもしようがないという感じを受けたのだが、最後の頁で著者は「寒い時期にこれまでより一枚だけ薄着することを提唱している、、、」と書いてある。
 テクノロジーに頼ったり、氾濫する情報に安易に飛びついたりするのではなく、たまにはいつもの「快適ゾーン」の外に出て祖先たちのように周囲の環境の変化を肌身で感じ取り、寒さに安らぎを見いだす方法を探ってみる。本書がて本書がそのきっかけになれば幸いである。
 この一文で分厚い本を読んだ労が報われた感がする。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二人のアイスマン-4 3/6

2019-03-07 | 雨読

2019.3.6(水)曇り

 

 二人目のアイスマンはミイラではなく現に生きている人物である。帯紙に氷の湖を裸で泳いでいる人物がアイスマンことヴイム・ホフである。
「サバイバルボディ -人類の失われた身体能力を取り戻す-」白水社 2018年9月初版
 スコット・カーニー著

 珍しく2,200円もする新刊本なので意外な感がするかもしれないが、実は京都新聞の懸賞で当たったものである。新刊本プレゼントで数冊の本があり、本命は六法全書だったのだが、この本も気になってかみさんの名前で出したら当選したという経緯なのだ。大体このたぐいの本は眉唾物が多いのだが、白水社の発行ということで出してみた。白水社は信頼できる出版社で、山の本を始めいくつかの本を所有している。装丁がしっかりしており、内容が真面目である。それでも懐疑の目を持って頁を開いてみたんだが、序章のところで、常々わたしが考えていることがそのまま書かれていて驚いた。
 「一見、人類が自然界に対して勝利を収めたように思えるが、私たちの体が強くなったわけではない。実際は正反対だ。努力
しないで快適に過ごせる結果、私たちは太り、怠惰になり、どんどん不健康になっている」

 「今世紀に入って肥満、糖尿病、慢性疼痛、高血圧が爆発的に増加し、おまけに痛風までふたたび増加傾向にある。無数の人びとが自己免疫疾患に苦しんでいる。関節炎、アレルギー、狼瘡からクローン病やパーキンソン病まで体が文字どおり自分で自分を攻撃する病気である。まるで、体の外部には脅威がほとんどないので、持てる力がすべて体の内部に向かって暴走しているかのようだ。」

 「少なくとも半世紀、体を健康に保つ二本の柱は柱は食事と運動だというのが世間一般の常識となってきた。どちらも不可欠には違いないが、同じように重要なのに完全に見落とされている第三の柱がある。何より、環境的なトレーニングを日課に組み込めば、ほんのわずかな時間で成果を挙げられるのだ。」
 部分的な表現で理解しにくいと思うが、分厚い本を俄然読み進める意欲がわいてきた。つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二人のアイスマン-3 2/12

2019-02-12 | 雨読

2019.2.12(火)雨

 ではなぜ靴が発明され使用されたのだろう。少なくとも5000年前のこのアイスマンが使っていた靴は、防寒と防滑である。靴の内部に防寒用の干し草が入っている。また滑り止めの革紐が巻かれていたとの報告もある。
 人間の足は氷雪の上を歩くときいかに滑りに弱いか冬の白骨温泉で経験した。露天風呂に通う通路は橋状になっていたのだがそこは固まった雪が氷となっていた。そこを裸で歩いて、裸足が氷にこれほど弱いものか思い知った。つるつる滑ってとても立っては歩けない、四つん這いになってようやく露天風呂に通った。答えは簡単である温まった足裏が氷を解かし、水の層を作るためである。これを防ぐには足裏に断熱素材を履く必要がある。靴底が毛皮ではなく革製であったことも滑り止めの意味が強かったのだろう。
 それだけの用途ならサンダル、草履でも良かったわけだが、防寒、防護という意味で踵や甲を覆う靴が形成されていったものと想像される。日本では明治に至るまで草鞋、下駄が使用されたわけだが、寒冷地ではわら靴やアイヌのサケ皮の靴が使用されていた。これらはどこかから伝わってきたというより自然発生的に考え出されたものではないだろうか。つまり靴というのは氷雪に覆われる寒冷の地に発明され使用された用具なのではないかということを考えさせられる一冊であった。
 靴に絞って考察してきたが、5000年前の石器時代の人間が如何に多くの道具を使っていたかということに驚かされる。一人の行き倒れの男が持っていただけでも多いのだから、村での文化というものは相当だろう。エジプト文明以前の人間など簡単な石器以外に何も持っていないだろうという思いが一気に吹っ飛んでしまった。まして基本的に現在と変わらない靴が存在していたことも驚きである。つづく
 

 【今日のじょん】昨日少し雪が降った。今季5,6度目の雪なんだが幸いこの程度で済んでいる。気温も零下になることはなく、エルニーニョ現象が顕著に現れている。

 北日本の方には申し訳ないが、暖かい冬を過ごさせてもらっている。ところがじょんは歳のせいかやたら寒がりで、おしっこも大変。飯食ったらストーブの前でマールくなっておるのだ、ワン。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二人のアイスマン-2 1/31

2019-01-31 | 雨読

2019.1.31(木)雨

 石器時代というと簡単な石器の道具を使い、裸同然でくらしていたものと思いがちだがそうではなかった。エッツイ(エッツ渓谷の雪男の意)は必ずしも大王でもなく、有力者でもなく普通の庶民と考えられるが、その道具や衣類を見ると実に豊富で進んでいる。例えば短剣はフリント製(チャートの一種で石器背負い)だが斧は銅製で見事に加工されたものである。その他弓矢、背負籠、熾き入れや治療器具、薬剤まで様々な優れた加工品が発見されている。衣類については、帽子、マント、上着、ズボン、腰巻き、靴と材料は皮だが今日と変わらない種類が揃っている。そしてヨーロッパでは既に農耕と牧畜が始まっていたということである。おそらく縄文期の日本では農耕は始まっていなかったと思うのだが。
 さて肝心の靴についてだが、それ以前にはヨーロッパ最古の靴は1874年にオランダで発見されたものとされ紀元前2500年とされていたが今回の発見で500年遡ってエッツイの靴が最古となった。
 現在では2008年にアルメニアの洞窟で発見された靴が紀元前3500年のものとわかりこれが世界最古の靴である。靴の起源と言えばエジプトのサンダルが有名だが、それどころじゃなく古い時代に革製の靴があったということは驚きである。ただ、サンダルについては紀元前8000年前のものもあると聞く。
 新石器時代に既に靴があったという事実は驚きである。しかもそれは基本的に現在のものと変わらない形状なのだ。靴底は縫い合わせではなく一体で、足首のところで縛るようになっている。最古のものは靴紐まである。日本では正倉院御物に靴らしきものがあるそうだが、一般に使用されるのは明治以降で、それまでに靴が普及しなかったのはひとえに季候が影響しているものと考える。つづく
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二人のアイスマン-1 1/29

2019-01-29 | 雨読

2019.1.29(火)曇り

これは本のタイトルではない、偶然に二冊の本を読むことになったがその主人公がアイスマンだったと言うことだ。

 「5000年前の男」解明された凍結ミイラの謎 
  コンラード・シュピンドラー著 文藝春秋社 1994年第一刷 古書
 まずはこの本から紹介しよう。
 1991年オーストリアとイタリアの国境近くのエッツ渓谷で上流のハウスラブヨッホ下方で氷河の中から遺体が発見された。当初は遭難者の遺体と思われたが、調べると5000年前の遺体とわかり世界的センセーショナルな話題となった。20数年前このニュースは知っていたが、特段興味も無くその後の調査結果など追求することもなかった。そして今、歩行や靴について考えをめぐらせることになり、このミイラが靴を履いていたという記事を思い出した。二足歩行を始めた人類がどうして靴を履く様になったのか、調べてみたくなった。
 著者は遺体発見当初からその搬出、調査にかかわった考古学者で、遺体や遺物についても逐一調査されている。その後の調査研究も随分進んでいると考えられるが、本書はほぼ最初の調査報告と考えていいのではないか。遺体発見は1991年9月19日登山者のジーモン夫妻に発見されている。発見から搬出まで事細かに書かれていて、その部分に興味の無い者にとってはつらい読書である。
 驚いたのはラインホルト・メスナーが遺体発見の3日後から登場することである。メスナーはわたしの青春時代の超人的な登攀家である。イタリアの南チロル出身の彼がこの現場に現れたとして何の不思議もないが、メスナーの名が本の中に現れたとき、きっと別人だろうと思った。しかしそれは当の本人で、記録や写真を撮ったりして、搬出や調査に貢献することとなる。
 5000年前といえばヨーロッパでは新石器時代、日本では縄文中期と言うことなのだが、氷に埋もれたという条件が実に見事に人体の状態を保存し、数多くの遺物も状態良く保存されていることに驚くばかりである。氷河といえども移動の少ない岩陰に保存されていたという偶然が幸いしたと言えよう。つづく
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「琉球 奪われた骨」 1/9

2019-01-09 | 雨読

2019.1.9(水)雪

 「琉球 奪われた骨」遺骨に刻まれた植民地主義
 松島泰勝著 岩波書店発行 府立図書館借本
 

 「琉球は日本の植民地である。」で始まる本書は京大への百按司(ムムジャナ)墓琉球人遺骨の返還訴訟に関わる問題を提起した本であるが、遺骨返還の問題だけで無く、民族としての琉球人そして日本による植民地支配について述べている内容の深い本である。沢山のポストイットを貼り付けて意味深長に読み続けたのだが、図書館の返還日に間に合わずすべてを読むことが出来なかった事もあるが、完全に理解する事も出来なかった。従って内容についてのコメントは多少錯誤があるかもしれない。
 さて本書読書の動機はというと昨年1月の京都新聞の記事にたどりつく。戦前京大や北大などの帝大が樺太、北海道などでアイヌの遺骨を、また沖縄や台湾、満州、朝鮮などで遺骨を収集し現在も保管されているという記事である。日本人のルーツを探るという学問的な目的でなされているのだが、その実情は領土拡大、戦争遂行の政策に沿った研究であり、その方法も強権的で植民地支配と言わざるを得ないものである。そして現在までその遺骨が大学に保管されているという事実に驚いた。返還運動の高まりに押されて北大などでは変換作業が進んでいるが京大に関してはまるで取り付く島が無いという。

 沖縄では昭和の初期に京都帝国大(現京大)によって今帰仁村(なきじんそん)の「百按司(むむじゃな)墓」から26体の遺骨が盗掘され、今も京大に保管されている。そして昨年12月本書の著者である松島氏や同墓に埋葬されたとする一族の子孫などによって提訴されたという記事を見つけた。
 本書は一連の国と帝大による横暴を公表するとともに、提訴に至る根拠を述べておられる。人種や民族などについても歴代の研究者や論文を網羅し、琉球人は日本民族とは異なる琉球民族であって日琉同祖論を批判されている。人種という議論は実は大変複雑で決定的なことは言えないのだが、特に極東の日本では石器時代以来北西南各方面から様々な人種が渡来し交雑しているので一概に言えないのが実情ではないだろうか。民族と言えば言語、歴史、文化、生活様式などが要素となるので、琉球民族というのはあり得ると思う。アイヌは明らかにアイヌ民族として存在し、先住民族として認められているところである。日本人としてはどうなのかというとこれは複雑な問題であり、わたし個人としては、少なくとも縄文時代には樺太から沖縄まで同一の人種、原日本人が居住していたのではないかと考えている。弥生時代以降半島から膨大な渡来人を迎え、定着型の農耕文化が広まるとともに、文化や言語の差違が各地に生まれたと考えている。そういう意味では松島氏の説には少し違和感を感じるのだが、もう一つ腑に落ちない件がある。
 それは氏が戦前戦中の帝大の遺骨に対する蛮行のみならず、その後の研究者による遺骨調査ににも同様の批判を加えていることである。確かに骨というのは宗教的にも重要な遺物であり、敬意を持って扱うべきは当然だが、古墳や周溝墓などから発掘される骨について計測や年代測定、DNA鑑定などすることにも同様の批判は成り立たないだろうと思うのである。例えば考古学なんてのは墓を暴くのが主な作業でもあるわけだ。人骨、副葬品などの発掘によって古代の様子が解明されてきた。こういう成果を一様に批判することが民意を得るとは思えない。
 琉球の遺骨が一日も早く返還されることを願い、裁判の行方を注視したいが、京大がどこまで先の戦争を総括できるかが重要な問題であると思うのである。
 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 「日翳の山 ひなたの山」 12/10

2018-12-10 | 雨読

2018.12.10(月)雨

 「死に山」の書評に載っていた1940年1月の朝日連峰の遭難事故の記事がこの本に載っているという情報を得た。
 「日翳の山 ひなたの山」上田哲農著 平凡社ライブラリー 借本
 上田哲農氏の本は多くを読んでいるので、蔵書の中にあるかなと思って探してみたが見つからない。やむなく図書館で借りてその部分を読んでみたのだが、「死に山」同様なんとも不気味な内容であった。氏の文章は情緒的なものが多く、傍らの絵とともに親しみやすいものなのだが、中にいくつか山の怪であったり、不思議な事件であったりが存在する。氏は第一次RCCの代表を務められた往年のクライマーで登攀の記録は先人の労を偲ばせるものがある。

 さて問題の文は、「岳妖 ー本当にあった話である」という項で、1940年1月に朝日岳周辺で起きた謎の遭難事故の顛末が書かれている。優秀な登山家O、M二人とガイドとしてトップクラスのUなる人物がさして天気も悪くない、危険地帯でも無い尾根で忽然と姿を消してしまうのだ。「死に山」同様、出発前の様子、捜索の様子、遺体発見時の様子、遺体収容後の原因究明など細かに書かれているのだが、遭難の原因が杳としてわからない。あらゆる可能性を消去法で消去していくと何も残らない。リングワンリングでもない、猛吹雪でもない、疲労死でもない、雪崩もありえない。「死に山」の遭難と違う点は、遺体に損傷が無いことだろう。結局通常考えにくい発狂説や妖怪説が出てくる。
 「死に山」の遭難原因がここで言えないので表現しにくいのだが、わたしは両遭難の原因は違うものと考えている。「死に山」の原因とされる現象が朝日岳の当日の様子では起きにくいからだ。両事件の原因探究に抜け落ちていることがある。それは毒ガスである。火山性ガスが人の命を奪うことはままあることで、実際の遭難も起きている。「死に山」という奇妙な山名の由来は、木や草が生えない山ということだ。寒さのせいかもしれないが火山性ガスの可能性は無いのだろうか。朝日岳だってそうだ、登山基地は朝日鉱泉小屋となっている。鉱泉の湧くところなら火山性ガスが発生する可能性はあり得るのではないか。よしんば
火山性ガスが発生しなくても、人を死に至らしめるガスの発生はあるのではないだろうか。「死に山」も「岳妖」も毒ガスについては何の言及も無い。ちろん毒ガスが原因と決めつけるわけではないが、可能性として検討する価値はあるのではないか。
 哲農氏の文中に、Mのキスリングの口紐が引き抜かれていたとある。山行中にキスリングの口紐を引き抜くということはあり得ない。氏は謎としているが、わたしは緊急に雪崩紐として利用したのではないかと想像している。雪崩紐とは、デブリに埋まった際に発見しやすくするための紐である。雪崩は起きえない地形と言われているが、雪崩と錯覚するような音などがした際に、慌ててキスリングの紐をなだれ紐代わりに取り出したとすればその奇妙な行動の謎が解ける。ただ、遺体発見時にはその紐は無かったようなので、やはり謎は謎である。「死に山」の遭難原因は一応究明されたとしても、朝日岳の原因はやっぱり謎である。おわり
【今日のじょん】12月6日にささやかにじょんのびの忘年会を催した。今年も大過なく暮れました、感謝感謝!じょんはって?まあるくなって寝てました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨読 続「死に山」-3 11/13

2018-11-13 | 雨読

2018.11.13(火)曇り
 この奇妙なタイトルの本を読もうとした理由はおわかりかと思う。山岳遭難の元研究者としては是非ともこの不可解な事件を解決してみようという試みである。予想した結果は見事に外れ、結果は意外なものであった。これからの読者のために公表は控えるが実に見事な結果であった。
 特殊雪崩、強風、先住民の襲撃、武装集団の襲撃、兵器実験の巻き添え、隕石の落下、UFOなどが原因としてあげられたが、いずれもあり得ないこととして消去されてしまった。厳寒の野外に裸同然のスタイルで靴も履かずに飛び出さなければならない状況というのが最大の謎である。テントを裂いてまで急に飛び出すというのはなんだろう。本書の中で取り上げられなかったことがひとつある。獣の襲来である。厳寒のウラル山脈にどのような獣が居るのか、あるいは居ないのか知らないのだが、何か居てもおかしくはなさそうである。しかしそれは原因究明の候補にも挙がっていなかった。UFOや隕石よりも確率は高いと思うのだが。
 著者ドニー・アイカーが発見した原因は、そのことが本当に存在するとすれば納得のいくものである。山岳遭難の中にはこの事件以外にも原因が解らないものがあるようだ。読売新聞の書評を服部文祥氏が書いておられるがその末尾に興味深い文がある。
 「日本でも1940年1月に朝日連峰で似たような遭難が起こり迷宮入りしている。同じ原因なのだろうか?」
 実はこの文も本書を読むに至った原因のひとつでもある。本の中で、例え解説でもいいからこのことについて書かれているのではと期待した。しかしどこにもこの事件については書かれていなかった。とすればこの書評はなんと無責任ではないだろうか。讀賣新聞に電話し、朝日連峰の事件について問い合わせたが解らず、服部氏に問い合わせるよう依頼したが、出来ないということだった。しかし色々と検索してもらって、「日翳の山 ひなたの山」に掲載されているという情報を得た。上田哲農氏の名著で、学生時代に読んだことがある。ひょっとしたら書庫に眠っているかもしれない。また新たな楽しみが生まれた。おわり
【今日のじょん】
 プールの日は芝生広場の散歩が楽しみ。広い芝生をチマチマ歩いてんじゃねえよ。


好きなお姉さんはいないかな、プールのぞき魔。


 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする