晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

睦志のこと(26) 穴虫-32 3/26

2014-03-26 | 上林地名考

2014.3.26(水)雨

 青野西遺跡について、3,4世紀の墳丘墓一基が発見されているそうだ。澤氏はこのことも青野が古代の墓地であるという根拠とされているが、もう一つ妙な記事が書かれている。
 弥生時代中期の小刀三点が発見されたが、鑑定の結果奈良県西部の二上山で産出するサヌカイトであったということだ。(京都新聞昭和62年3月12日)
 なぜ妙な記事かというと、同じ話を「知られざる古代」(水谷慶一著)で読んだからだ。
 
大和では大坂山や二上山からしか産しないサヌカイトという石が箸墓の上から実際に発見されているのである。
 
 この時代の墳墓の造営に必要とした二上山のサヌカイトとは一体何を意味するのだろう。それは多分に儀式的、呪術的なものだろうと思うのだが、大坂山や二上山という地域はまさに穴虫の地であって、穴虫と墳墓の関係というものが見えてきたようで、大いにときめいているのである。
 澤氏は青野を訪れ、青野遺跡と共同墓地を訪ねている。青野共同墓地は市中にあっては大きなもので、広大な農業研究センター青野ほ場の中にあって厳然と位置を保っているということはほ場よりもずっと過去からこの地にあったと言うことだろう。
P1020553
青野の共同墓地 

 雨の強い日に訪れたので墓地の中まで見ることはかなわなかったけれど、新しい石塔の中に五輪塔やカラトも見えて、古い墓地であることが分かる。
 その共同墓地の北、由良川沿いに鳩瀬という小字がある。ハトセと読むのだろうか、それならば波止場の意味が大いにあると思われる。
 しかし由良川の主要な港、高津や天津のような交通上重要な位置ではなさそうだ。もし青野が葬地であったなら、奥武島や青島のように船で遺体を運びあげた波止場とも考えられる。波止瀬、泊瀬=鳩瀬と考えたとき、重要なことに気づいた。つづく
P1020552


鳩瀬は共同墓地から道を挟んだ向こう側、由良川を含む地域である

【作業日誌 3/26】
チエンソー整備、詳しくは後日記事で紹介予定

【今日のじょん】じょんはお出かけ大好き犬だが、疲れやすいのが難点である。今日は一日ぐたーっとして、接客もしない。
P1020587
どーよこれ。

どっか具合でも悪いのかと思うが、ちゃんとご飯になると出てくるので問題無さそうだ。
 

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睦志のこと(25) 穴虫-31 3/25

2014-03-26 | 上林地名考

2014.3.25(火)曇り

 亀岡市千代川町の穴虫について考えてみよう。穴虫には岩城神社と薬師堂があり、住居は無い。近所でその場所を尋ねても知らない方ばかりだった。
 千々川が山間を東進し、低地に出て扇状地になり拡がる発端の三角地帯でこれぞ穴虫という感じの場所である。その上が千々川の峡谷であり、いわゆる穴虫のパターンである。その上流に無所、葬地があれば穴虫仮説に合致するのだが、顕著な葬地や古墳などは見つからない。
P1060777
 

穴虫は写真中央右手方向なのだが、この付近で聞いても知らない方ばかりだった。
 ただこの地域が青野というのが気にかかる。青地名のところは葬地、墓地であるという説がある。奥武島(おうじま)、青島、蒼島、大島などで沿岸にある島々がかつての葬地であるというものだ。(2011,3,9参照)同様に内陸にある青地名もその可能性があるとすれば、この亀岡市の青野もかつての無所、葬地であったかも知れない。そういった見方で青野の地名を探ると、捨谷という小字がある。もっともこれだけでは無所、葬地の根拠とはならないが。
 「西丹波秘境の旅」(澤潔著)では綾部市の青野も昔の墓地であろうとしている。今では大変便利で人気のある住宅地となっているが、元々は河川敷の氾濫原のうち捨てられた不便なところであったと書かれている。
P1020554
 

由良川の対岸から青野の風景、この氾濫原に古代人が居住したというのは一つの謎となっている。

 青野には有名な青野遺跡があるが、弥生時代から古墳時代にかかる住居遺跡である。古墳であったり周溝墓の遺跡であれば、古代の葬地、墓地である可能性は高いと思われるが、住居跡ではそうも言えないようだ。ところが住居跡の他に溝や土壙が発見されており、そこから出土した土器片から内部に1,2個の石が置かれていたとみられ、これらの土壙が当時の人々の墓だとみられる。(綾部市史上巻)
 これらの土壙が当時の人々の墓であったとしても、青野が葬地であったという証拠にはならない、そこで青野の地名を調べてみる。つづく

【今日のじょん】おおいのうみんピアに行く。芝生広場ではいつものようにうんPするだろうと、袋を二つも用意していったら、先客のトイプがいてウンPどころではなくなったようだ。
 おとーのスイムは1,500m30分とクールダウン400m。
P1020582  
 

 

 

 

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睦志のこと(24) 穴虫-30 3/24 

2014-03-24 | 上林地名考

2014.3.24(月)晴れ 睦志のこと(23)は2014.3.22

 いつぞやにインターネットの地図や航空写真でその地を見て、地名考証にまで及ぶのは邪道だというような記事を書いた。確かにそれだけで結論を出すのは問題があり、現地調査は必ず必要と考えるのだが、仮説を立てるために地名の共通点などを探るためには有効だと思う。特に遠方ですぐに出かけることが困難な場合などやむを得ない措置だと思う。地名考証について結論を出す際には、ネット上の地図や写真ばかりではあり得ないことと考えるが、一つの仮説を生み出す場合にはそういったものを活用してもいいことだと思う。
 今出かけることが困難な状況があり、連日連夜穴地名、虫地名、穴虫地名の場所について国土地理院の地図、グーグルの地図、航空写真など眺め続けている。そして、穴については穴地形、虫については無所、墓所の確率がかなり高いことを感じている。ちなみに穴地形とは、「島と島の間の海峡のような狭まった航路、陸地に換言して山と山の迫った谷間」というような意味で、わたしの造語である。
 地形図や航空写真で見たとき、穴虫という地名の場所は穴地形の入口という場合が多く、そこから街道、通路、谷が奥に向かっており、その奥に無所があるというケースが多く見られるのである。
 これは穴地名の元祖である古代の吉備国においても同じケースとなっており、驚きを禁じ得ない。例えば児島の場合、島々に囲まれた穴海に入るには、穴と呼ばれる海峡から船で入っていくのだが、その奥まったところつまり沿岸部にはおびただしい数の古墳が存在するのである。
 穴虫地名研究の発端となった奈良県香芝市の穴虫も同様である。大和から西に向かうと穴虫があり、大坂山口神社がある。更に西に向かうと山の迫った穴虫峠となり、その先には観音塚古墳、二子塚古墳、聖徳太子御廟、用明、敏達、推古、孝徳天皇陵等々著名な墓所と多くの一般の墓地が存在する。つづくP1060775



亀岡市千代川町の穴虫もどうやらこのパターンのようだ。

【作業日誌 3/24】
ベンチ二脚、給水台、ドッグランど柵塗装
薪割り、草引き

【今日のじょん】P1020579


里親の保利さんから誕生日プレゼントが届いた。アレルギーで貧血気味のじょんにとって食事は重要なファクターであると思っていた矢先なので、大変ありがたい本だ。今かみさんが勉強しているが、犬の食事って、なんとも知らなかったことが多すぎる。
 
 

 

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睦志のこと(23) 穴虫-29 

2014-03-23 | 上林地名考

2014.3.22(土)晴れ 睦志のこと(22)は2014.3.6

 穴地名、虫地名、穴虫地名をいくつも見つけ出し、毎日地図を眺める日が続いている。多忙のために現地を訪ねられないのが辛いところだが、地形図を眺め、航空写真を眺め、地名辞典などを繰っているとおぼろげながら共通項が見えてくる。そうなると現地訪問はある意味で、確認という結果になる。
 地図の上で虫地名を見ていると、虫、武者、ムセオ、ムソオなどがあり、その地には規模の大きい墓地となっていることが多い。墓地というのは宅地や工場地などのように簡単に造成されるものではなく、旧来のままの地が継承されることが一般的と考えられる。そう考えると虫地名はやはり無所、墓所を表すことが多いのかと考えられる。
 「いび郡の地名」(揖斐郡教育会編)という教育関係者と住民が一緒になって作られた優れた本がある。その中に池田町般若畑(はんにゃばた)にある武者穴(むしゃあな)という地名について書かれている。P1020575 P1020576
 


 武者穴の地名語源について実に真摯に資料を調べられた結果、関ヶ原合戦古地図に岩穴という表記があることを発見され、徳川家康が敗戦の時は池田輝政父子とともに古墳の石室に一時隠れて難を逃れる計画があったことを見つけられている。実はこの武者穴付近には多くの古墳があり、その石室を一時避難の場所として利用することを文献や古地図で見つけられたようである。まさに大発見と思われたことと予想するが、武者=無所と思いつかれなかったことは残念である。おそらく武者という文字に意識が集中していたのではないだろうか。ただこの場合穴は横穴式石室のことだろうと考えられる。つづく

【作業日誌 3/22】
薪割り

【今日のじょん】一夜明けたら随分好天となった。昨日は吹雪いていたのが不思議なくらいだ。イベントというのはいかに天候に左右されるかということを思い知らされた昨日今日である。P1020571
 



 やっと雪が解けて、整備を始めようというドッグランどにお客様があった。バーニーズマウンテンドッグ、2才のあいちゃんである。ドッグランどには初のお目見えで、いやはや人なつっこくて、かわいーこだ。太い足がとっても愛くるしい。P1020572
 

 

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睦志のこと(21) 穴虫-27 3/5

2014-03-06 | 上林地名考

2014.3.5(水)曇り、雨  上杉町穴虫を訪ねる。(3月4日)

 綾部市の穴虫は小字として在るのはおそらくここ一ヶ所だろう。予定していなかった訪問なので、とりあえず様子を見てみようということだった。
 国道27号線から於与岐に向かう府道に入ると正面に弥仙山の雄姿が見えてくる。秀麗な独立峰のこの山が古来から信仰を集めるのは眺めただけで解ってくる。道端には地蔵堂があり、覗いてみると古い時代のもののようで、道沿いに列んでいたものが集められたのだろうか。
P1020439P1020440 
 


 左手に海自の通信隊施設が見えてくるとその右手、伊佐津川までの地域が上杉町穴虫である。海自施設と穴虫の間の府道は切り通し状になっていて、伊佐津川に突き当たる所で市ノ瀬橋となる。
P1020435



於与岐側から振り返る。右手が海自通信隊、左手が穴虫。

 川を渡ると於与岐町になり、旧道は橋を渡ってすぐに右に曲がる。数年前バスでこの道を通ったが、随分細くてかつては難所だったのだろう。現在は真っ直ぐに広い道路が通じている。
 穴虫は海自施設の道を挟んだ向かい側の細長い部分だが、道脇のいくつかの田んぼ以外は雑木林の岡である。
P1020427P1020428 
 


橋を渡った地点から穴虫、右は旧道から伊佐津川を挟んで穴虫。
 川沿いに踏み跡らしきものがあり登っていくが、獣道となっておりやがてクマザサの中に消えてゆく。時間があればじっくり踏査してみたいのだが、今日はここで諦める。藪の向こうになにやら掘っている現場がある。おそらく採石、採土だと思うのだが確かめようが無い。近所には家らしきものが無いのだ。この北方、西方には石灰石の採鉱地があり、於与岐炭鉱、高槻炭鉱など石炭の鉱脈も存在する。なにか鉱物でもと期待はするが、地質図で見る限りそれらしいものは無い。
P1020425P1020424 
 


穴虫の中、獣道をたどるがやがてクマザサに閉ざされてしまう。むこうになにやら現場が見える。

 市ノ瀬橋を渡ってすぐ左にちいさな祠と石塔などが見える。元々市ノ瀬に鎮座し、下八田村、於与岐村等7ヶ村の総鎮守というから相当の大社だ。中の鳥居が上杉の鳥居野で、一の鳥居は味方というから相当である。この場所が於与岐八幡の元の場所なのだろう。天文19年(1550年)の大洪水で流失したというからこの場所ならさもありなんと思う。
P1020433

 
於与岐八幡宮古跡の松、祠、庚申塔石仏道標等
P1020431
P1020430

 

道標は「左 見内 た〇ご 右 大〇」と読める。
「左 見内 たんご 右 大股」か。

つづく

【作業日誌 3/5】
じょんのペットトイレ完成。でも使わないだろうなあ。
P1020445


【今日のじょん】先日薬の副作用でお漏らししたのでかみさんが先にオシッコさせてドッグランどに置いてきた。後から出て行ったら何と情けない顔をして待っていた。どこかに閉じ込めるとか、繋いでおくなんてことは無いもんね。P1020444


 
 
 
 

 

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睦志のこと(20) 穴虫-26 3/4

2014-03-05 | 上林地名考

2014.3.4(火)睦志のこと(19)は2014.3.1

 穴のついた地名は様々な意味がありそうだが、虫はそれほど多くの意味は無さそうだ。現在知り得た虫地名の語源について整理してみたい。
P1020446
参考文献

(1)昆虫の虫説
 谷川健一氏の名著「日本の地名」に「虫の地名」という短文がある。糸魚川市の虫川、武生市大虫町、京都府与謝郡加悦町温江虫本、福井県遠敷郡名田庄村虫鹿野を挙げて、蚋(ぶよ)や虻(あぶ)、イナゴなどの昆虫が語源であると説いている。地名の語源(鏡味完二)も虫送り(害虫駆除)と昆虫を挙げている。

(2)道説
 「大和の原像」(小川光三著)で香芝市穴虫峠について語られた、太陽の沈む西海の大穴に至る道とされた。道が転訛して虫になったという。

(3)無所説
 「西丹波秘境の旅」(澤潔著)に本項のタイトルである綾部市五津合町睦志(旧虫村)の語源について、無所(むしょ)であろうと述べられている。無所というのは墓地のことである。ただし、氏は睦志については両墓制の詣で墓だとされている。                                                         
 
 (4)蒸し説
 「黄金と百足」(若尾五雄著)で、
武生市(現越前市)の大虫神社について書かれている。丹後にも大虫神社、小虫神社があるが、大虫、小虫とは「大蒸し」「小蒸し」で水銀の蒸留法ではないかと推測されている。

(5)毟(むし)る説
 「とちぎの地名を探る」(塙静夫著)は地形地名、災害地名の名著だが、その中に日光山塊の鳴虫山(なきむしやま)の地名語源について、「薙ぎ毟る」と動詞からきた崩壊地形と解いている。

 全国方言辞典では、蚕、蛇、味噌、芋茎など様々な意味があるが、地名になるようなものは見当たらない。
 また日本地名ルーツ辞典では虫明(むしあげ、岡山県)を挙げている。
夜光虫の明かりとかカラムシ栽培地とか言われているが定説は無いとしている。(鏡味明克氏)つづく

【作業日誌 3/4】
じょんのペットトイレ作製

 【今日のじょん】先日動物番組で犬は南北に向いてうんちするというのが流れていた。以後それとなく観察していたら確かに南北になっている。うんちの前にクルクル回るのも地球の磁場に関係するという研究もあるそうだ。かつての鉱山師と犬の関係もそのあたりに在るのかなと真剣に研究しようと思ったら、東西にやってしまった。ガチョーンP1020420
    


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睦志のこと(19) 穴虫-25 3/1

2014-03-02 | 上林地名考

2014.3.1(土)曇り、雨 睦志のこと(18)は2014.2.27

 大津市の穴虫池のことを書いていたら、桜井さんが現地のより詳しい資料を持参してくれた。再度穴虫池に行って、焼野鉱山の確認と坑道の写真、そして坑道付近のズリからマンガン焼けした岩石を数個拾ってきてくれた。
 穴虫池が焼野鉱山跡であろうとは思っていたが、はっきりそうであることが解った。そして前回に頂いた穴虫池の岸に見える穴らしきものが坑道跡であるということもはっきり確認出来た。
Cimg9668Cimg9681Cimg9675   



水面が下がって出てきた坑道跡
Cimg9674 Cimg9664




干上がった穴虫池と水の残っている穴虫中池。
 このズリに磁鉄鉱が含まれていないか、磁石で確認する。もし磁鉄鉱が含まれていれば、琵琶湖周辺の古代の鉱石による製鉄の可能性の一端を垣間見る事も出来、穴虫の穴が坑道の穴という説も浮上してくると思ったからだ。
 しかし残念ながらネオジウムの強力な磁力にも反応しなかった。鳥垣のアシ谷マンガン坑道のズリはしっかり反応したのだけれど。
P1020403
 

焼野鉱山マンガンズリ
 いずれにしても穴虫池が旧鉱山であることははっきりしたが、穴の意味が坑道の穴なのか、穴地形の穴なのか、はたまたその他の意味があるのかは判断のしようがない。
 しかしこの間あちこちに穴虫地名を見つけ、穴虫には共通した意味があるのではないかと思うようになった。そしてもう一つ、これだけ穴虫地名が出てくるとひとつひとつの現地訪問を行うのが不可能だと思うようになった。今回桜井さんに現地を訪れて頂き、貴重な写真や岩石まで提供して頂いたので、自分自身で訪問するのと同様の効果が得られた。各地にいる知人友人に依頼して、現地の映像や情報を集めるのも一つの方法かなと思うのである。

【今日のじょん】毎年のことだけど、屋根から落ちた雪が消えていくのには春を感じる。毎日毎日その量が変わるからだ。冬の間は毎日変わらないが、この時期になると一日数十センチと減ってくる。憎たらしさを憶える雪の壁が愛くるしくさえ思えてくるのだ。じょんだって感じてるかも知れないぜ。
P1020401 P1020402
  
 

 

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睦志のこと(18) 穴虫-24 2/27

2014-02-28 | 上林地名考

2014.2.27(木)曇り

  大津市北大路三丁目の穴虫池について既に紹介してきたところだが、穴虫池は穴虫池、穴虫中池、穴虫上池と谷沿いに列んで作られているため池である。Cimg9352



水を抜かれた穴虫池、左手に見えるのは坑道跡ではないか

 琵琶湖に注ぐ盛越川の支流となるのだが、この谷が何と呼ばれているのかは不明である。また穴虫池の地名の由来も解らない。
 マンガン鉱山であった焼野鉱山の坑道図を見る限り、この池の付近が鉱山跡であったと思っている。焼野鉱山に関する研究書などに穴虫地名が出てくることはないのだが、穴虫池が貯水池として作られたなら、この谷川、あるいはその周辺が穴虫という地名だったのでないか。
 若葉台の住宅地から見上げる感じはまさに穴地形であり、穴虫の穴は地形地名だと考える。
Cimg9355
 

穴虫池から若葉台を見下ろす。
 この地帯は古代製鉄遺跡が多く、岩鉄(磁鉄鉱)による製鉄の跡も見られるという。従って近代のマンガン坑道では無く古代の鉄の坑道による穴地名の線も無視できない。
 というのは今までの穴虫の多くが金属関連地帯であったこともあるが、現在新たに発見した穴虫、木津川市山城町、井手町多賀の二ヶ所も金属に関連しそうな感じなのである。つづく

【作業日誌 2/27】
ジャガイモ植え付け準備完了
薪割り

【今日のじょん】
雪が解けると草を探して食べるようになる。胃腸の調子が悪いのだろうかと心配になるが、相変わらずよく食べている。
 鹿君は庭まで入ってきて龍のヒゲなんぞを食っている。P1020391 P1020392

 

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睦志のこと(17) 穴虫-23 2/26

2014-02-27 | 上林地名考

2014.2.26(水)快晴 睦志のこと(16)は2014.2.18

 上林に穴地名の小字がひとつある。睦合町小田の穴谷である。府道一号線を宝蔵寺から100mほど上り、南側が開けた所から正面に見える谷である。取り付きからいきなり左右に分かれているのだが向かって右側が本流のようである。穴というから深く切れ込んだ穴蔵のような谷を想像するのだけど、どうもその様子ではない。
P1020390
 

道の向こうの右に入っていく谷が穴谷、写真で見ると穴地形に見える。

 島と島の間の海峡のような、いわゆる穴地形かというと顕著ではないがそうかもしれない。でもその付近の谷と何ら違いはなさそうである。
 入口が狭くて、中が広くなっているような穴海を思わせる谷だろうか。地形図で見る限りはそうだとは言えない。
 こうなると地元の聞き取りしかなさそうだ。谷の中に洞窟状のところがあるのかも知れない。しかしそれが人工のもので古い鉱山の跡でもあったら事件である。穴谷をつめて尾根を越えるとそこは浅原(あずら)である。浅原は産鉄の地ではなかったかという記事を書いた。(2010.2.4、2013.3.2 浅原のこと)根拠は葛禮本神社の祭神が金山彦命であること、浅原の地名が金属地名であること、木炭資源が豊富であることなどだが、証拠はまだ見つからない。鉱山としては天狗岩でかつて硅石が掘られていたということだ。
 穴谷の下はイカ入といい、上は芋谷である。金属地名研究者には随分気になる地名ではある。
 金属地名としての穴地名は、東石穴、穴ヶ浴、金穴、金穴平、赤穴、金穴山、穴ヶ峠、穴ノ頭、穴久保、穴掘、穴竃、石穴、奥石穴、穴井方、金穴口、穴口などが挙げられている。(金属と地名、防長地方の金属地名)
 穴谷も可能性は薄いけれどあり得る事とはいえそうだ。つづく

【作業日誌 2/26】
薪割り
チクリスタ トランクイロ、測量、材料確認

【今日のじょん】久々に霧の朝となった。霧の深い日は晴天になるのだ。P1020389
 

 

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睦志のこと(16) 穴虫-22 2/18

2014-02-19 | 上林地名考

2014.2.18(火)曇り、雪

 今までに調べた様々な穴の意味には見つからない意味を文献に見つけ、穴地名の箇所に当てはめるともやもやとした霧が晴れてすっきりと視界が開けたような気がする。
 瀬戸内の島と島との間の海峡を穴と呼び、その海の景色をそのまま山や平地に移したらどうだろう。
 穴虫地名の出発点となった香芝市の穴虫峠も、亀岡市千代川町北ノ庄穴虫もまさに穴地形と言える。まだ現地を訪れていないが、志賀郷町の穴堂、白道路町の穴戸なども平地の真ん中にあるとはいえ、両側に島に匹敵する丘があるのではないかと想像する。
 気になるのは瀬戸内の穴地形のところに穴地名が無い事だ。瀬戸内海の島に挟まれた穴の付近を地図で探ってみても穴地名は見つからない。瀬戸内航路を必要としている権力者側の呼び方であって、その島々の住民にとっては穴というのは生活にはあまり関係の無いものなのかも知れない。
 瀬戸内の穴を陸地に置き換えた場合、そこが重要な街道となっているのもうなずけることである。例えば香芝町の穴虫は奈良と大阪を結ぶ重要な街道であるし、亀岡市北ノ庄の穴虫も山陰街道が谷間に入ってゆくちょうどその地にあるわけだ。P1060777
 


山陰街道が本梅谷に向かうところに穴虫がある。 
 小字の穴地名の所も主要街道とはいえなくても村落の道路沿いにあるものがいくつか見られる。もちろん穴のつく地名のところがそういうものばかりではない。
 これから穴地名の現場を訪ねてみようと思うが、今までに調べた穴の意味を念頭に置いて眺めてみたいと思う。特にその位置が確定出来ていない穴地名について、あらかじめ地形図や航空写真で予測を立て訪問し、もしその地が穴地名であったら穴の語源が当を得ているという結果となるだろう。

【今日のじょん】今日は温泉に行くので、じょんはお留守番。昨日は初猿が来ていたし留守番も大変そう。
 雪がある間に鹿道の探索を続けている。畑の横が獣道になっているため、細引きを一本張ったら、もうそこは通らなくて、離れたところから出入りしている。ということはそこいら中張り巡らしたらどうなるのだろうか。
P1020350P1020349 

 
ロープ一本で進路が変わった。
じょんが嗅いでるのはレッドロビンの生垣のところ。

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睦志のこと(15) 穴虫-21 2/17

2014-02-17 | 上林地名考

2014.2.17(月)雨

 穴地名についてまず綾部市の小字を調べてみる。やはり現地に行きやすい所から調べてみたいのと穴虫地名のある所がいいと思うからだ。
睦合町小田穴谷、西原町塚穴、上杉土穴、上杉町穴虫、白道路町穴戸、志賀郷町穴堂、大島町穴見
 すべての位置が地図上に確認出来るのだが、地形図や航空写真でその意味や語源が特定できるものは少ない。何となくそれらしい感じがするものが穴谷と穴虫である。それ以外の穴地名の場所はいずれも平野部にある一個所で、現地に行かない限りその場所の特徴は解らない。現地に行ってもわからないかもしれない。例えば塚穴などと言うところは古墳があったりするのかなと期待するのだがさて。
 穴の意味が活きていると思われる地名が、睦合町小田の穴谷である。ただしこの谷が特別に穴のような谷、すなわち両岸が迫って穴に入っていくような谷でもなさそうなのである。むしろ端的に以前に紹介したアナ地名の意味には該当しないのだが、新たな意味を発見し、その意味に近いのでは無いかと思われるのだ。
 それは「吉備の古代史」(門脇禎二著)の吉備の穴海(戸)という一文である。
P1020297
 

 大和国家は、早い時期の瀬戸内航路を”島”と”穴”というかたちでとらえていたらしい。
中略
”穴海”は、島で囲まれた沿岸部が袋穴のように入りこんだ海峡をいう。
中略
ただ、『記』では、同じ倭建御子が熊曽建のほか、「山の神、河の神、また穴戸の神と皆言向け和して参上りたまひき」と「穴戸」を普通名詞として用いている。
 と続くわけで端折って紹介したのでわかりにくいかもしれないが、古代に重要な航路であった瀬戸内海の島々は島と呼び、その間の海を穴と呼んだようだ。瀬戸内では穴は一般的に流れが速く、瀬戸となっている。そして島々に囲まれた内海を穴海と呼んだようだ。
 これで長門国がかつて穴門、穴戸国と呼ばれていたわけがすっきりと解った。「大和の原像」の中で「太陽の落ちる大穴のある国」と書かれ、なんとも納得がいかない感がしていた。
 備後国の安那郡(やすなぐん)は本来アナと称し、芦田川河口の海を「穴の海」と呼んだ。また児島付近の海も「吉備の穴海」と呼ばれた。(古代地名語源辞典)つづく

【今日のじょん 2/17】
昨日の雨で随分雪が解けてきた。あれほど待ち焦がれた雪解けなんだけど、丸太が出てきたら薪割りせんなんな、芝生が出てきたら草引きせんなんなと気ぜわしくなる。とにかく今日はじょんのうんP片付けだ。
P1020347P1020348   

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睦志のこと(14) 穴虫ー20 2/16

2014-02-16 | 上林地名考

2014.2.16(日)晴れ

 穴といえば一般的には、窪んだところ、突き抜けたところという意味を考えるが、そこから派生して様々な意味がある。例えば三省堂国語辞典では次の意味が載せられている。但し地名には関係なさそうなものは除く。
穴・孔(名詞)
(1)窪んだところ、地面の穴
(2)突き抜けたところ、ボタン穴
(3)見落としやすいところ、欠点
(4)欠損、損失、穴をあける
(5)番狂わせの勝負、大穴、穴馬
(6)いい場所、穴場
あな(感動詞) ああ。あら。あなおそろし、あなかしこ

旺文社古語辞典で、上記の意味以外ものを拾ってみよう。
あなうら(名詞)足の裏
あなじ(名詞)北西の風
あなすえ(名詞)足の先、子孫、血統
あなた(代名詞)向こうの方、未来、将来、

全国方言辞典
あな 父、戸主、
あな 酢
あな あぜ道、畑の周囲
あなたさま 太陽、日、神、亡者や故人の尊称

 角川日本史辞典
穴穂部(あなほべ) 古代の部民
窖窯(あながま)須恵器や陶器を焼く地下式窯
穴倉(あなぐら)食糧、器物などの貯蔵用倉庫

 古代地名語源辞典
あな(安那)元はアナと呼んだものが用字によりヤスナとなった。備後国の郡名
あなし(穴無、穴石、安志)播磨国飾磨郡穴無郷他。
あなた(穴田、竇田)備中国下道郡穴田郷他
あなほ(穴太)近江国志賀郡他
あなみ(安美、阿南)但馬国出石郡安美郷他
あぬ(阿努)越中国射水郡の郷名

日本地名ルーツ辞典
穴内(あなない)高知県
穴吹(あなぶき)徳島県

地名事典の語源の説明は後述するとして、これだけ多くの意味のアナがあるのだから、「地名の語源」にあるいくつかの意味だけで穴地名の語源とすることは意味が無い。ひとつひとつの穴地名について地形的にどのような地か、歴史的にどのような地か検討することが必要である。
 そして穴虫の場合はムシと続けて意味をなすアナを見つけなければならない。
 まず身近な穴地名を探ってみたい。つづく

【作業日誌 2/16】
サイクルスポット看板塗装、支柱皮むき
じょんじょんシャンプー台塗装、ホースシールド

【今日のじょん】積雪が少なくなってきて、獣の足跡を探すのも今のうちとなった。彼らは決まった通り道を作るので、そこを押さえる事が対策の第一歩だと思う。さて今日は里の鹿の痕跡である。里の鹿は西側隣家から谷を飛び越えて侵入する。そして芝生広場から家の南側まで徘徊して、隣家の方に戻る。被害は青木、白樫の幹の皮、龍のヒゲのみだが、大切な植木が一番多くある所だから恐怖である。
P1020336P1020337   


ドッグランどの柵の横から侵入し、芝生広場を廻り、

P1020339P1020345


植木の周囲を廻って、隣家の庭へ入っている。 

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睦志のこと(13) 穴虫-19 2/15

2014-02-15 | 上林地名考

2014.2.15(土)雨 睦志のこと(12)は2014.2.11

 穴虫の語源を探究するとき、やはり穴と虫に分けて考えてみるのも一つの方法だと思う。
 地名語源といえば、鏡味完二氏の地名語源辞典をひいてそれで終わりという文をよく見るが、ウィキペディアで卒論を書くよりもレベルが低い。鏡味氏の「地名の語源」は地名研究者のバイブル的な本で、地名に関しての理論付けもさることながら、地名や地名語源の調べ方について懇切丁寧に書かれている。そして本書の巻末に地名の語源という辞典が付いているのである。鏡味氏はこの辞書の使い方について、次のように書いている。
 
この本は短時間で読んでしまうわけにゆかないから、いそがしい人々は、第二章「どうして研究したらよいか」をまず読んでから、すぐ付録の「日本地名小辞典」を用いて、必要な地名を調べるようにしていただきたい。そしてひまひまに、他の各章をに及んでいただければよい。(「日本の地名」、「地名の語源」の元になったもの)
P1020334
 

日本の地名」と「地名の語源」基本的には同じ内容である。

 現実にはアマチュアの地名研究者はあまりにも忙しかったせいか、他の各章どころか第二章も読まずに、もちろん地名に関する研究、探究をすることなく辞書の部分だけを見て、地名の語源を確定してしまっている。
 アマチュアだけでなくプロの学者であっても、自らの学説の正当性を鏡味氏の「地名の語源」にあるからという言葉で示しているケースをよく見る。
 「地名の語源」はあらゆる研究を尽くして、こういう結果もあるよと言う一例だと思うのだ。従ってこれを一般的な辞書のように使うのは大変危うい。例えば、これから調べてゆく穴地名についてみれば、次のようにある。
 
アナシ (1)鉱山・鍛冶業者(2)風神、北西風の強いところ。〔穴師・穴無・痛足(アナシ)・安師(アナシ)阿那志〕

 なぜ鉱山・鍛冶業者なのか、なぜ風神なのか一切説明が無い。また各地名についてもどこに在るのか書かれていない。これでは辞書としては不備であり、これ一冊で地名の語源が解るというものではない。前段の各章を読んで、鏡味氏の言わんとされていることを理解した上で使用すべきであろう。随分横道にそれてしまったが、いよいよ穴地名について調べていきたい。
P1020333 つづく


地名を調べる際に使う辞典類、もっと欲しいがこの種のものは値段が高くて手に入らない。

【今日のじょん】
 昨日「少々の雪でおおさわぎするなイ」と書いてごめんなさい。関東などびっくりするような積雪があったそうだ。甲府の米越えなどはさぞかし驚かれたことだろう。雪の備えのないところには20cmでも大変だろうし、映像を見るとズック、軍手で雪かきをしておられるのには気の毒になった。
 さてじょん君は久々のレインコートとなっている。雨より雪がいいと言ったら関トーの人には怒られるかな。
P1020332  

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睦志のこと(12) 穴虫-18 2/11

2014-02-11 | 上林地名考

2014.2.11(火・祝)曇り

 穴虫地名が香芝町の穴虫、穴虫峠だけであったら、小川光三氏の大穴道説は納得のいく唯一の説となるかも知れない。しかし各地に穴虫があり、香芝町の穴虫と違う状況が出てきたら、穴虫の語源は他に求めなければならない。
 次に訪れた穴虫は、亀岡市千代川町の穴虫で、地形的には穴虫峠と同様でしかもその東には丹波国府推定地があるのだ。国府から見ると、太陽は西の穴虫に落ちていくことになる。
 しかしその次に訪れた河原林町の穴虫は真東に国分寺跡はあるのだが、地形的には河岸段丘で、太陽が大穴に落ちてゆくというような状況ではない。
 大津市北大路三丁目の穴虫池、中穴虫池、上穴虫池はそのすぐ近くまで行きながらも現物は見ていない。この穴虫池の東には瀬田川を挟んで近江国庁跡がある。ただ三つの穴虫池は南西方向に列んでおり、国庁から見ても太陽が穴虫に沈んでいくという風には見えないだろう。
 このように他の穴虫を見ていくと大穴道説はすべてには当てはまらない様に思える。
 ここで他の説に対する検討に進むのだが、その前に気になる共通点が現れてきた。いくつか調べた穴虫に鉱山が多いことだ。
香芝町穴虫峠、金剛砂(石榴石鉱床)
大津市北大路町三丁目穴虫池、焼野鉱山(マンガン鉱床)
Cimg9349


穴虫池は焼野鉱山の跡とか、水が抜かれたところに見えるのは坑道の跡ではないか?

千代川町北ノ庄穴虫、行者山を挟んだ南に大谷鉱山がある。タングステンの著名な鉱山だが、元々は銅山として開発された。(タングステン、錫鉱床)
P1060780
 

稜線の窪んだところが穴虫、その左手のピークが行者山、大谷鉱山は更に左手(南)の麓に在った。
 宍粟市一宮町、与謝野町男山の穴虫も古代の金属関係の匂いのするところである。これらは今後の調査を待つことにして、先日読んだ「播磨地名伝承の探索」でも谷川健一氏編の「金属と地名」の中でも、”穴”というのが坑道を表すという風に言われている。もちろん”穴”のすべてが坑道というわけではないだろうが、ここは穴虫を穴と虫に分けて考察する必要があるのではないだろうか。つづく

【作業日誌 2/11】
じょんのシャンプー台、脚の作製と塗装
P1020307


冬の塗装は手間が大変、村上さんに頂いたシートが大活躍。

これなーんだ?・・・・答えは明日。
P1020305



【今日のじょん】4日から連日の降雪で、そろそろ食傷気味になってきた。じょんも散歩が足りない様子で、朝の運動はすこぶる元気。変化をつけて雪山ぽんぽこぽんやっても簡単にこなしてしまう。
P1020300 P1020302
P1020303
 


【ぎっくり腰情報】もう忘れていたので、昨日をもって完治としておこう。実に3週間の闘病?である。でも正味の痛みは3日間、残りの18日間は日にち薬というところか。

 

 

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睦志のこと(11) 穴虫-17 2/9

2014-02-09 | 上林地名考

2014.2.9(日)曇り、雨
 穴虫の意味-2

 讀賣新聞2014.2.7(金)に「纏向遺跡 新たな建物跡」という記事があり、既に発掘されている大型建物跡と同じ方向、同じ中心線も重なるため関連の建物としている。気になるのは石野兵庫県立考古博物館長のコメントで、「建物が東西方向に並ぶのは、日の出と日の入りを意識しており太陽信仰と関係があるのだろう。云々」とある。実はこの纏向遺跡の箸墓古墳の真西に当たるのが穴虫峠で、箸墓古墳から見ると春分秋分に檜原神社方面から出た太陽は穴虫峠に沈むことになる。
P1020287
 


 東西に方向に列ぶ建物群が太陽信仰に関係があるだろうというコメントは太陽の道を説く小川氏も水谷氏も大きく勇気づけられることだろう。前述の穴虫(1)、穴道説の根拠ともなる太陽のラインである。
 穴虫峠について今一つ重要なことは「日本書紀」の次の文である。
 
この墓は、日(ひる)は人作り、夜は神作る。故(かれ)、大坂山の石を運びて造る。則ち山より墓に至るまでに、人民(おおみたから)、相踵(あいつ)ぎて、手(た)ごしにして運ぶ。「知られざる古代」より

 崇神天皇紀にある有名な一文だが、大坂山は穴虫峠のことであり、この墓は箸墓と水谷氏は関連づけている。現実に箸墓の上から大坂山、二上山産と思われるサヌカイトが発見されているという。
 穴虫峠を航空写真で見ると、北東方面に白く見える岩塊が広く見える。これが屯鶴峯(どんづるほう)で二上火山群の噴出物が沈殿して出来た凝灰岩の層で天然記念物になっているものである。人民が古墳を造るために手伝えに運んだ大坂山の石とはこの凝灰岩ではないだろうか。この凝灰岩は柔らかくて大変細工しやすいそうである。
 太陽の沈む大穴の石を運んで古墳の造営に使うということは、また太陽が東から昇るように再生を願う太陽信仰の一つの現れかも知れない。つづく

【作業日誌 2/9】
じょん洗い台造り(2日目)大部分木枠作製

【今日のじょん】
谷村さんとモモが来て、森嘉の豆腐を頂いた。以前麻婆豆腐なんかにして叱られたので今日は定石通り湯豆腐にした。佐々木さんに頂いた銘酒あさ開もまだ残っており、嵯峨の料亭の味を賞味させていただいた。
 なんで今日のじょんかって?じょんもいただいたのである。嵯峨豆腐食ってるワンもいねんでねいかい。P1020284 P1020286
 

 もうないのん。
 

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