2014.3.26(水)雨
青野西遺跡について、3,4世紀の墳丘墓一基が発見されているそうだ。澤氏はこのことも青野が古代の墓地であるという根拠とされているが、もう一つ妙な記事が書かれている。
弥生時代中期の小刀三点が発見されたが、鑑定の結果奈良県西部の二上山で産出するサヌカイトであったということだ。(京都新聞昭和62年3月12日)
なぜ妙な記事かというと、同じ話を「知られざる古代」(水谷慶一著)で読んだからだ。
大和では大坂山や二上山からしか産しないサヌカイトという石が箸墓の上から実際に発見されているのである。
この時代の墳墓の造営に必要とした二上山のサヌカイトとは一体何を意味するのだろう。それは多分に儀式的、呪術的なものだろうと思うのだが、大坂山や二上山という地域はまさに穴虫の地であって、穴虫と墳墓の関係というものが見えてきたようで、大いにときめいているのである。
澤氏は青野を訪れ、青野遺跡と共同墓地を訪ねている。青野共同墓地は市中にあっては大きなもので、広大な農業研究センター青野ほ場の中にあって厳然と位置を保っているということはほ場よりもずっと過去からこの地にあったと言うことだろう。
青野の共同墓地
雨の強い日に訪れたので墓地の中まで見ることはかなわなかったけれど、新しい石塔の中に五輪塔やカラトも見えて、古い墓地であることが分かる。
その共同墓地の北、由良川沿いに鳩瀬という小字がある。ハトセと読むのだろうか、それならば波止場の意味が大いにあると思われる。
しかし由良川の主要な港、高津や天津のような交通上重要な位置ではなさそうだ。もし青野が葬地であったなら、奥武島や青島のように船で遺体を運びあげた波止場とも考えられる。波止瀬、泊瀬=鳩瀬と考えたとき、重要なことに気づいた。つづく
鳩瀬は共同墓地から道を挟んだ向こう側、由良川を含む地域である
【作業日誌 3/26】
チエンソー整備、詳しくは後日記事で紹介予定
【今日のじょん】じょんはお出かけ大好き犬だが、疲れやすいのが難点である。今日は一日ぐたーっとして、接客もしない。
どーよこれ。
どっか具合でも悪いのかと思うが、ちゃんとご飯になると出てくるので問題無さそうだ。