2007.5.8(火)快晴
7:00 起床
8:25 緑の時計台発~R439~R32~R439~大豊町立民俗資料館~
R32~大歩危~県道45~
13:00 空音遊(くうねるあそぶ)着(徳島県三好市)~県道45~県道32~
祖谷渓谷かづら橋~県道32~祖谷渓~R32~空音遊着18:00
緑の時計台はラフティング好きの夫婦がいつも仕事があるようにと始めた宿で、学校を借りるという発想は素晴らしいが、また、それが実現することが素晴らしい。部屋はなるべく学校のままを残し、お風呂やトイレは清潔に改造がしてある。自炊も調理室があるので完璧、石窯まであるのでいろんな事が出来そうだ。ランチルームの調度など女性らしい手が加えてあり、ほっとする。昨晩おふくろに電話したら、「学校なんて怖くないかい」と言っていた。そういえば子供の頃夜の学校って怖かったよね。忘れ物をして夕刻に取りに行ったことがあるが、廊下で後ろなんか振り向けない。そんな憶えないかな。私は小心者で臆病者なんだが、今回の旅でかなり変わってきたことがある。怖くなくなっているのも事実だが、怖くても行ってしまうてとこあるのだ。昨晩泊まった図書室など、広い部屋に、石膏のレリーフなどあって、一般的には怖いところかも知れない。でもちっとも怖くないのだ。
酔っぱらってるせいもあり、あっという間に朝となる。他の部屋や施設を写真に撮り、
調理室でコーヒーを湧かし、菓子パンの朝食とする。奥さんが当地のみかんを持ってきてくれる。ありがたい、貴重なビタミンだ。ご主人が出勤だ。「出稼ぎに行ってきます」と明るく出勤、好きなことしている人は明るい。食事を済まし、準備をして奥さんから色々情報を得る。記念撮影をして出発、天気がいいと気持ちもいい。
左:泊まった図書室 中:身体測定や理科の実験用具も残っている。 右:奥さん
今日は距離的には楽勝なので、行きたいところをゆっくり訪問する。
国道32号線を豊永に向かって北上する。途中大豊からの県道が合流する。しまった、これを来れば良かった。出発前に良く検討すべきだ。国道は交通量はさしてないが、狭い上に大型トラックが多い。高速を使ったら割が合わないのだろう、信号がないのをいいことに凄いスピードで走ってくる。かつての私は戦々恐々の状態であったが、今は悠然たるものである。後ろでブレーキの音やクラクションがあっても平気、道はてめいらだけのもんじゃねえんだ、みんなのものなのだ。
先程から気になるのは、両岸の山の遙か上部にぽつんぽつんと家があることだ。山国では普通のことだが、ちょっと異常だ。なしてあそこに住むかなあ。というのは、今日の宿は時計台の紹介で大歩危の近くの古民家の宿なのだが、地図で見れば大歩危からすぐなのだが、例の状態だととんでもないこととなる。いまさら心配しても致し方ないので、最初の目的地、粟生山定福寺にある大豊町民俗資料館に向かう。国道439号線に入ると、緩やかな登りとなり、天神ヶ嶽という断崖に出る。天神さんが祭ってあり、断崖の底に川が流れている。少し休憩をして再度登り始める、やがて定福寺ユースホステルの看板に出合う。あれっユースホステルってあったかなと思うが、今はやっていないみたいだ。私なら絶対泊まるが、普通の人はちょっと来ない場所だ。着いたところは立派なお寺で、真言宗智山派粟生山定福寺といって山門からして由緒がありそうだ。建物総てお参りするが、民俗資料館なるものは見あたらない。庭の手入れをしているおじさんに聞くと、史料館の場所と管理をされている住職の所在を教えてくれた。住職から鍵を預かり、四方山話に花が咲く。この年で自転車旅行をしていることに随分関心を頂いて、住職の50代での八十八カ所参りの話やチベットへの旅行の夢などお話しいただく。特にこの美しい川の上流にダムができる予定であったという話は考えさせられる話である。住職が中心になって反対を唱え、村が二分されるという事態もあったそうだが、結局反対の意見が多く、川は守られたということである。日本中廻ってきて、美しい川、ついこの間まで当たり前であった美しい川が本当に無くなっている。岩手県、高知県の川は美しい。今やダムを造らない事だけでは美しい川は守れない。住民の一人ひとりが真剣に取り組まないといけないことなのである。 民俗資料館は住職が中心となり集めに集めた資料が12,000点あり、よくぞ集めたり、よくぞ分類したりである。この地域の文化の奥深さを感じられる。
左:山の上に民家が点在する。 中:天神ヶ嶽 右:定福寺
お礼を言ってお寺を後にする。収納された民具も貴重だけど、対面の山にみえる、人々の暮らしももっと貴重な文化遺産のような気がする。
夥しい数の道具とお寺からの遠望
昨日から気になっていたのだが、川は緑色のきれいな岩石が占めているのだ。愛媛では伊予の青石と教えてもらった緑色片岩である。四万十川では石灰岩が多く、そう気にしなかったのだが、ここでは主役である。この石がこの地方の文化を左右していると言ってもいいのではないか。32号線に戻ったところの吉野川の河原には夥しい青石が並び、壮観である。写真に納めようと思うが、そのうち幾らでもこの景色は出てくるだろうと、先を急ぐ。しかしこれほどの景色は遂に出なかった。
清流に 溶けたる新緑 緑石 うとく
大歩危に着き、宿にむかう。予想通り、えらい坂を登り、えらい坂を下る。転げ落ちるような斜面に今日の宿はあった。荷物を置いて、祖谷渓に向かう。空身とはいえ、えらい坂だ。そりゃそうだ平家の落人が隠れ偲んで住んだ里だ、ちょっくらちょいの山道では済まないだろう。途中に平家屋敷の史料館があり堀川家という平氏の筋の屋敷がある。古い茅葺きの屋敷に数々の宝物があるのだが、平家の面影のあるのは赤旗ぐらいか。
ひたすら登り、長い祖谷トンネルを越えると、恐ろしく下って一宇に着く。平家落人の谷としてはあまりにも明るく、家々も立ち並んでいる。私のイメージとは大違いで、がっかりである。それどころかようようたどり着いたかずら橋は大きな駐車場やホテル、店が出て、大賑わいである。その上かずら橋は500円の入場料が必要で、馬鹿馬鹿しくて引き返す。あちこちに書かれている秘境という言葉がむなしい。
左:平家屋敷堀川家 中:峠から祖谷渓方面 右:ご存じかづら橋
ただ、ここから奥の東祖谷を遡れば、きっと期待どおりの景色が見られると思う。剣山に向かう祖谷川の上流こそ本当の秘境があるのではないか。
時間も無いので、来た道を引き返したいのだが、どうも欲求不満である。祖谷渓を下って祖谷口に出て、小歩危大歩危峡を戻る事とする。一宇から下流は秘境である。離合も困難な道が、断崖の中に刻まれ、遙か下に祖谷の渓谷が見え隠れする。曲がり角の先から平家の残党が出てきそうな気味悪い道を、ひたすら走る。途端に駐車の車が増え、祖谷温泉が現れる。ケーブルカーで谷底に降りていく人気スポットだ。入るつもりだったのだが、車の量を見て止める。せっかく広がった秘境のイメージが壊れてしまうからだ。
松尾川との出合いを過ぎると家が出てきて、渓谷も渕となってくる。きれいな渕だなあと思い、写真に納めるが実はこれはダム湖となっているためだ。「ダムができると川は死んでしまうよ。」という定福寺の住職のおっしゃるとおりだ。
左:祖谷渓 中:小便小僧、冬は寒かろう。 右:大繁盛祖谷渓温泉
もうここに至っては祖谷渓もなんの魅力もない。祖谷口以降の小歩危大歩危は明日も通る道なので写真などは撮らず、ひたすら眺めながら走る。思っていたより素晴らしい景色だ。
大歩危マートで夕食と朝食の材料を買い、急坂を登り返す。飯のあとは宿の主ノリ君に
送ってもらって大歩危のホテルまんなかの温泉に行く。きれいにリニューアルされた温泉で、客も少なくゆっくりする。
走行距離93Km(宿まで36Km) 累計9,866Km 経費8,548円
★空音遊(くうねるあそぶ)大歩危近くの4年目になる古民家民宿。宿泊のみ2,600円、温泉送迎着き3,100円(入浴料込み) 調理は設備が整っているので何でも可能。
大歩危駅周辺にショップがあり、大抵のものは揃う。風呂は五右衛門風呂が有るそうだが、温泉に行くのもいい。主の人柄か、人気が有りそうだ。
★大歩危温泉 まんなか 単純硫黄泉(低張性弱アルカリ冷鉱泉)循環、加温、消毒
無色、無臭 500円 露天風呂有り、岩盤浴や貸し切り風呂(有料)もあり。
★峠列伝(54)徳島県県道45号線、大歩危から祖谷川に抜ける峠 困難度4 景色4水場有り 歩道無し トンネル有り 大歩危から登り続ける、つらい峠、峠のトンネルも狭くて暗い。